く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<奈良公園> ホルンの響きで鹿寄せ!

2023年04月14日 | メモ

【飛火野→萬葉植物園→国宝殿→東大寺】

 久しぶりにホルンによる鹿寄せの場面に遭遇した。4月13日午前10時ごろ、春日大社参道前でバスを降りて程なく、奈良公園飛火野園地の大クスノキのそばからホルンの音が聞こえてきた。吹くのは鹿愛護会の法被を着た若い男性。ホルンを吹き続けるうち、西側から十数頭が列を成して駆け寄ってきた。次いで東側の森の中からも20~30頭。鹿たちはあっという間に男性の周りに群がった。

 見物客もホルンの響きに吸い寄せられるように次第に増えて数十人に。大半は欧米からの旅行客らしく、歓声を上げながら鹿せんべいをやったり、写真を撮ったりしていた。ホルンの男性は大きな籠からドングリを撒いて、観光客の求めに応じ一緒に記念写真にも収まっていた。広大な芝生が広がるこの飛火野では約115年前の1908年(明治41年)陸軍の大演習に際して明治天皇臨席の下、饗宴が催された。背後の大クスノキは天皇の玉座跡に記念植樹されたもの。

 参道に戻って目的地の春日大社国宝殿に向かう。その途中、左手に春日大社神苑「萬葉植物園」の正門がある。「藤 現在つぼみ 早咲き開花」「珍しい緑の桜 御衣黄開花」。参道脇のその立て看板につい導かれるように園内へ。この植物園は万葉集に登場する草花とともに、20品種約200本が植樹された「藤の園」でも有名。看板通り、甘い香りを放つ「麝香藤」や「緋ちりめん」「白甲比丹」「昭和紅藤」(下の写真)などの早咲き種が花穂を伸ばし開花を始めていた。この後、遅咲き種の開花も順次始まり5月初旬ごろまで見ごろが続く。

 一方、看板にあった桜の「御衣黄(ギョイコウ)」は園内に3本あり、ちょうど見ごろを迎えていた。オオシマザクラをもとに生まれたサトザクラ群の園芸品種の一つで、花びらは緑色またはうす黄緑色。その色が貴族の衣装の萌黄色に近いことから御衣黄と名付けられた。「ウコン(鬱金)」の桜によく似るが、御衣黄の緑色が濃いのは葉緑素クロロフィルをより多く含むためという。

 植物園を東門から出て春日大社国宝殿へ。ここではいま「江戸のはなやぎ 屏風と宝物」と銘打った春季特別展が開かれている。屏風では鹿図、桜花流水図、屋島合戦図、松図、南都名所東嶺図などを展示中。このうち「鹿図屏風」は左隻右隻合わせて30頭の鹿をほぼ実物大で描いたもの。貞享2年(1685年)寄進という箱書きから江戸初期の作品とみられる。「桜花流水図屏風」は金地に満開から散り始めの桜を描いた作品。花弁を1枚1枚胡粉で盛り上げるなど丁寧かつ豪華な表現が目を引く。「赤糸威大鎧(梅鶯飾)」「沃懸地獅子文毛抜形太刀」(いずれも国宝)なども展示している。7月2日まで。

  

 この後、久しぶりに東大寺に向かった。南大門から大仏殿に至る参道にも観光客がかなり戻ってきた様子で、とりわけ欧米からのツアー客の姿が目立った。観光客のうちざっと4分の3ほどが外国人客か。若草山を望む参道そばの広場でも20人ほどが鹿を囲んでいた。

 大仏殿の堂内は色とりどりの生花で飾られ、いつもの厳かな雰囲気とは違った華やかさ。5日前の4月8日はお釈迦様の誕生を祝う花祭り(仏生会)。これに合わせ「日本花き生産協会」をはじめ各地の団体・企業・個人から多くの奉納花が寄せられた。堂内を彩る花々はその名残だった。

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<日野町・日枝神社> 4年ぶりに「ホイノボリ」奉納!

2023年04月05日 | 祭り

【シダレザクラを模した幟の下で町内ごとに花見の宴】

 滋賀県日野町大窪の日枝神社で4月4日、春の例祭「南山王祭」が開かれ、4年ぶりに日野特有の華やかな「ホイノボリ」が奉納された。ホイは竹を細長く割ったヒゴのこと。ホイノボリはその竹ヒゴに和紙で造った白やピンクの無数の花びらを取り付けたもので、まるで満開のシダレザクラのように放射状に広がる。そのホイノボリが境内の広場を埋め尽くし、その下で氏子の町民たちが飲食しながら楽しげに談笑。まさに春爛漫の光景が繰り広げられた。

 日野町は日野城主、蒲生家の城下町。全国有数の漆器「日野椀」や漢方薬の販売で近江日野商人としても名を馳せた。往時の繁栄を象徴するのが長い歴史を誇る湖東最大の祭り「日野祭」。5月の連休中、各町内から十数基の豪華な曳山が繰り出す。十数年前、その祭り見物のため日野町を訪れた。今回の訪問はそれ以来。日枝神社の本殿は1773年(安永2年)の建立で、鳥居や燈籠なども日野商人から寄進された。氏子地域はメーンストリートの大窪中央通りの南側。北側の北山王井林神社に対し南山王と呼ばれ、春の例祭には例年22の町内からホイノボリが奉納される。

 4日早朝6時半ごろ奈良の自宅を出発し、近鉄・JR東海道線・草津線・近江鉄道を乗り継ぎ、日野駅前からバスで最寄りの大窪バス停へ。途中、JR南草津駅近くの踏み切り事故もあって、日枝神社に着いたのは10時20分を過ぎていた。神社に近づくと琴の音が流れ、拝殿下の広場にはすでに多くのホイノボリが林立していた。ノボリには赤地にそれぞれの町名が記され、先端には白い御幣。ホイノボリには五穀豊穣や厄病退散などの願いが込められているそうだ。

 広場のそばにホイノボリの受付場所があった。「宮入時刻」の一覧を拝見させてもらうと、先頭に「壱番午前8時39分今井町」とあった。ただ、拝殿側の広場最前列に並ぶ上・中・下岡本町の3町は“番外”で、それより少し前の午前8時32分到着となっていた。宮入が完了したのは10時15分。残念ながらタッチの差で宮入の様子を見ることができなかった。広場の一角には滑り台が2つあった。普段は子どもたちの遊び場になっているのだろう。

 11時を過ぎると、あちこちで仕出しの弁当が配られたり「乾杯!」の声が響いたりした。そばには清酒の1升瓶も。約350年前の1675年(元禄8年)に造られたという石段を登ると、ホイノボリが立つ広場を俯瞰できた。ホイノボリを数えると19まで確認できた。御幣だけを立てた町内もあった。町並みの奥に聳えるのは町のシンボル、鈴鹿山系の一つの綿向山だ。標高は1110m。日野町はその標高に因んで11月10日を「綿向山の日」に制定している。

 拝殿の前では5つの釜が置かれ薪がくべられていた。巫女が午後の神事で鈴を鳴らしながら笹の葉で清めの湯をまくという。ホイノボリはこの日枝神社に続いて、日野町内の井林神社や大屋神社、八千鉾神社など6つの神社の例祭でも数本ずつ奉納される。それらの一連の行事が「日野のホイノボリ」として滋賀県選択無形民俗文化財に指定されている。

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