く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<富雄丸山古墳> 類例のない盾形銅鏡と蛇行剣が出土!

2023年01月29日 | 考古・歴史

【国内最大の円墳の発掘現場を一般公開】

 国内最大の4世紀後半の円墳、奈良市の「富雄丸山古墳」(直径109m)から、これまで出土例がない盾形銅鏡1面と長大な蛇行剣1本が見つかった。発掘調査に当たっている奈良市教育委員会は1月28~29日、発掘現場を一般公開した。出土した銅鏡と剣は奈良県立橿原考古学研究所で保存処理中のため非公開。だが考古学史に刻まれるに違いない一大発見に、多くの考古学ファンが発掘現場を一目見ようと殺到、最寄りの近鉄の駅からは臨時のシャトルバスも運行された。

 銅鏡と蛇行剣が見つかったのは円墳の造り出し部にあった長さ約6.4m、幅約1.2mの粘土槨の上部から。この粘土槨は木棺を粘土で覆った埋葬施設。粘土槨内部にはコウヤマキで作られた割竹形木棺があり、その棺蓋を乗せる位置の約30㎝外側の範囲を粘土と砂で覆っていた。

 盾形銅鏡は高さ64㎝、最大幅31㎝、最大厚0.5㎝の青銅製で、重さは約5.7㎏。背面には鈕(ちゅう)と呼ばれる中央部分の突起を挟んで、上下に国産の倭鏡にしばしば見られる円形の鼉龍文(だりゅうもん)が刻まれていた。鼉龍は国内で考えられた空想上の動物。「鼉龍文盾形銅鏡」と名付けられたこの銅鏡には鋸歯文なども精巧に刻まれている。奈良市教委は「類例のない銅鏡。表面が平滑に研磨されており、倭鏡工人が製作したとみられる」としている。(下の写真は出土時の盾形銅鏡=奈良市教委のパンフレットから)

 蛇行剣は銅鏡を粘土で埋めた上の水平面から出土した。長さは約267㎝で、鉄剣としては日本最大。幅は約6㎝だが、部分的に残存する鞘(さや)の幅は復元で約9㎝になるという。剣身が蛇のように上下に波打つ蛇行剣は古墳時代中期の古墳から多く出土している。富雄丸山古墳は古墳時代前期後半に当たり「蛇行剣としては最古例」。柄頭や鞘口、鞘尻などには装具の痕跡が残っていた。

 発掘現場では粘土槨の上部に模造の盾形銅鏡と蛇行剣が置かれ、見物客が列を成して覗き込んでいた。その現場手前の受付コーナーにも実物大の写真パネルが新たに出土した円筒埴輪とともに展示中で、多くの人が銅鏡の精巧な文様に見入ったり、剣の長さに驚きの声を上げたりしていた。この粘土槨の埋葬者は墳頂部の埋葬者と関わりが深い人物とみられる。

      

 古墳時代が始まったのは3世紀後半。当時、銅鏡や鉄製刀剣といえば大陸からの輸入物だった。だが、やがて手工業の発展に伴って国産化が始まる。橿原考古学研究所は今回の類例のない銅鏡や長大な刀剣の出土について「国産化という産業革命の到達点を示すもの」と評価する。橿考研付属博物館では蛇行剣と盾形銅鏡の原寸大レントゲン写真を展示している。

 2日間にわたる一般公開では別の場所で新たに出土した円筒埴輪列や珍しい「湧水施設形埴輪」を伴う遺構なども公開している。これまでの発掘調査で円墳の2段目埴輪列がぐるっと1周巡っていたことも判明した。

 また古墳北東側に隣接する富雄丸山2号墳と3号墳も同時に公開中。過去の発掘調査で2号墳は横穴式石室を持つ6世紀後半の円墳と分かっていたが、3号墳については埋葬施設が確認されず、両者の関連が不明確だった。だが今回の再調査で両古墳の間を区画する溝がないことなどが判明、2号墳が後円部、3号墳が前方部となる前方後円墳である可能性が出てきた。

 類を見ない盾形銅鏡と長大な蛇行剣の発見に、発掘現場には公開初日、多くの考古学ファンとともにテレビや新聞などの取材陣も多く駆けつけた。あちこちでカメラに向かってインタビューに応じる人たちの姿が、改めて反響の大きさを物語っていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ブログく~にゃん雑記帳> 訪問者累計200万人に!

2023年01月22日 | メモ

【開設から11年、総閲覧数は約579万PV】

 このブログ「く~にゃん雑記帳」にアクセスしてくれた訪問者がトータルで200万人に達した。2012年1月の開設から11年。これまでに投稿した記事は2000件弱に上る。この間のトータル訪問者数は1月21日現在で200万427人、総閲覧数は579万1957PV(ページビュー)になっている。(写真は「く~にゃん」)

 

 最近の1日当たりの訪問者は600~700人台、閲覧数は1700~2100PVで推移している。過去3日間では19日=670人(1843PV)、20日=649人(2074PV)、21日=666人(1773PV)。「gooブログ」の訪問者ランキングでは約314万ブログ中、それぞれ512位、542位、529位となっている。過去1年では昨年8月から9月にかけ訪問者がたびたび1000人を超えていたのだが……(8月9日には1622人=全ブログ中98位=と久々に2ケタ台の順位になったことも)。投稿頻度が以前に比べ少なくなっていることも影響しているのだろう。

 これまでのカテゴリー別投稿数では「花の四季」が687件と全体の3分の1ほどを占める。次いで「美術」194件、「祭り」178件、「歴史・考古」175件、「メモ」162件、「BOOK」158件など。「花の四季」や「祭り」へのアクセスは当然のことながら、花の開花時期・祭りの開催時期に集中する傾向にあるようだ。

 花、祭り以外でアクセス上位3位以内にたびたび入っているのが「広島・原爆資料館 入り口に被爆し佇む少女の大きな写真」(2019年8月2日)。これに続くのがコンサート会場に向かう途中落雷で亡くなった若い女性を取り上げた「大阪・長居公園 若い女性の写真の脇に『情報提供求む!懸賞金50万円』」(15年11月10日、写真㊤)、「奈良・猿沢池 亀が鳩を水中に引きずり込んで食べた!」(12年11月7日)など。

 「ハリガネムシ 出てきた!ハラビロカマキリのお尻から3匹」(16年5月28日、写真㊤)や「カメムシ 孵化した幼虫が卵殻を囲み整然と円陣!」(20年7月16日、写真㊦)など昆虫関連へのアクセスも結構多いようだ。「高野山・中門 広目天と増長天の胸元にセミとトンボ」(19年8月2日)も時々上位に顔を出している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<橿考研付属博物館> 特別陳列「迎春の祝事―酒と宴」

2023年01月04日 | 考古・歴史

【出土した土器の形や木簡などから辿る】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で年末年始に合わせた特別陳列「迎春の祝事(ほぎごと)」展が開かれている。テーマは「酒と宴」。縄文・弥生時代から古墳・飛鳥・奈良時代の出土品を中心に、酒と宴にまつわる遺物を選んで紹介している。会期は1月15日まで。

 縄文時代の出土土器は煮炊きに用いられたとみられる口が大きい深鉢や浅鉢形が一般的だが、中期後半以降、様々な形状のものが現れる。その中には細い円筒状の注ぎ口が付いた「注口(ちゅうこう)土器」もある。器面に文様が施され、丁寧な仕上げなものが多い。大和三山の一つ、畝傍山の東南に位置する橿原遺跡(橿原市)から出土した縄文晩期の注口土器(写真㊤)は重要文化財に指定されている。細い口から注がれていたのはさて?

 弥生時代の主要な器種は壷や甕、高杯(たかつき)だが、中期になると水差形土器や細頸壷、把手付き鉢など多様化が進む。一町(新沢一)遺跡(橿原市)出土の台付き水差形土器(写真㊤)は器面全体に施された美しい文様が目を引く。こちらも重要文化財。酒石酸(澱=おり)などが検出されないため中身は不明だが、何か特別な液体が容れられていたに違いない。

 古墳時代に入ると、5世紀ごろ朝鮮半島から堅牢で透水性が低い須恵器を作る技術が伝わった。「はそう(漢字は「瓦」の右に「泉」)」と呼ばれる須恵器は大きく膨らんだ胴部に丸い孔が穿たれており、その孔に竹などを差し込んで注ぎ口として使われたとみられる(写真㊤は橿原市の土橋遺跡出土)。古墳時代の須恵器では平たい水筒のような提瓶(さげべ)や蓋付きの小さな壷が4つ付いた「台付子持壷」なども出土している(写真㊦)。

 飛鳥時代になると日本書紀の記述や木簡などから、酒と宴の実態が浮かび上がってくる。飛鳥宮跡(明日香村)出土の木簡に記された「須弥酒」は上澄みを集めた酒のことで、当時の酒の中でも特別な酒だったと考えられる。飛鳥京跡苑池出土の木簡には酒や酢を管理する「造酒司」の名前も記されている。

 奈良時代には平城京などで酒に関する遺構や遺物が多く見つかっている。「酒器」墨書土師器の杯(写真㊤)もその一つ。三条大路の北側溝からは「一升一合」と記された墨書須恵器壷(写真㊦)が出土した。唐招提寺境内からも底面に「二合半」と書かれた須恵器の椀が見つかっている。量り用の枡として使われていたのだろう。ただ、それらの容積から当時の1合は約80㏄で、今の1合(180cc)の半分弱だったことが分かった。

 会場には橿原遺跡から出土した大きな六角形の井戸枠も展示中。高さは横板組み4段で90㎝だが、本来は7段で182㎝だったと推測されている。22基の井戸が確認されている橿原遺跡の中でもこの六角形の井戸は異形の存在。古代の多角形の井戸は藤原京の五角形、平城京の八角形など数が限られることから、橿考研では「祭祀用井戸として酒造りの水をこの井戸からとっていたのかも」と推測している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<初夢?> ピアニスト反田恭平と小林愛実が結婚!

2023年01月02日 | 音楽

【ショパンコンクール2位と4位】

 世界的なピアニスト反田恭平さん(28)と小林愛実さん(27)がツイッターで結婚を発表した。反田さんは元日の夜、オーストリア・ウィーンからのNHK生放送「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」にゲスト出演していた。約3時間にわたるライブ中継を堪能して就寝、翌2日早朝の4時半ごろ目覚めた。いつもの習慣でニュース速報を携帯でチェック。すると、このサプライズニュースが。「これっ、初夢?」。年明け早々、こんな嬉しいお年玉があるとは!

 ツイッターには2人の連名で「いつも応援してくださっている皆様へ」に続いて、こんな文面が綴られていた。「この度、私たち反田恭平と小林愛実は結婚いたしました。そして新しい命を授かりました事をご報告いたします。小林は、今後体調を見ながらお仕事をさせていただき、延期や出演の見送りなど、ご迷惑をおかけすることもありますが、また会場で皆様にお会いできる日を本当に楽しみにしております。これからは2人で支え合いながら、互いに音楽家としてより一層精進していきたいと思っていますので、私たち夫婦を温かく見守って頂ければ幸いです。令和5年元旦」

 反田さんと小林さんは2021年10月ポーランド・ワルシャワで開かれた「第18回ショパンピアノコンクール」で一躍脚光を集めた。本選ファイナル進出者12人のうち日本人はこの2人だけ。そして2人ともショパンのピアノ協奏曲第1番を好演し、それぞれ2位、4位と同時入賞を果たした。ショパンコンクールでの2位は1970年の内田光子さん以来の日本人最高位。1年2カ月前、国立ショパン研究所によるユーチューブのライブ配信にかじりついていたのがつい昨日のように思い出される。

 小林さんのこのコンクール出場は前回の2015年大会に続いて2回目。このとき日本人で唯一人ファイナルに進出した。その模様をこのブログでも2015年10月17日「小林愛実(20歳)ファイナル進出決定!」と取り上げた。ただ、この大会では残念ながら入賞を逃していた。その6年後2021年大会 (ショパンコンクールは5年に1度開催だが、新型コロナの影響で1年延期された)で悲願の入賞を果たしたわけだ。

 反田さんと小林さんは1歳違いだが、ともに小学生高学年のとき同じ音楽教室で学んでいたという。高校も同じ桐朋女子高校(男女共学)音楽科に在籍。反田さんは高校在学中、日本音楽コンクールを制し、その後、モスクワのチャイコフスキー音楽院に進んだ。一方、小林さんは2015年のショパンコンクール出場時、米フィラデルフィアのカーティス音楽院に留学中だった。幼馴染みの2人が長年、刺激しあって切磋琢磨する間柄だったのは間違いない。

 元日の「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」で反田さんはウィーン楽友協会の演奏会場とNHKの中継現場を何度も往復しては、赤木野々花アナウンサーの質問に答えていた。その穏やかな表情と語り口が印象的だった。最後に新年の抱負を問われると、「水を与えて芽が出るような活動を進めたい」というようなことを語っていた。反田さんはウィーンで指揮を学ぶ傍ら、日本国内では奈良を拠点に「Japan National Orchestra」を立ち上げ、若手ソリストたちのリサイタル活動を後押ししている。反田さんの「芽が出るような活動」の発言にそうした挑戦を思い浮かべた。ただ、その後のツイッターで伴侶小林さんに新しい生命が育まれていることも分かった。こうしたことも踏まえての発言だったのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする