く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<堂本印象美術館> 「大好き!印象の動物 鳥 昆虫」展

2023年09月29日 | 美術

【絵画・屏風・巻物・焼き物など約60点】

 京都府立堂本印象美術館(京都市北区)で「大好き!印象の動物 鳥 昆虫」展が開かれている。堂本印象(1891~1975)は大正から昭和にかけて日本画のみならず陶芸、金工、木工、染織など多彩な分野で画才を発揮した。1966年に開館した独創的な同美術館の建物も自らデザインを手掛けた。今展には工芸品も含め動物・鳥・虫などの生き物が描かれた作品約60点が展示されている。11月23日まで。

 印象は若い頃、帝展など美術展に積極的に出展した。『柘榴(ざくろ)』は京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)の3年在学中に第2回帝展に出品した作品。太い幹にちょこんと腰掛けた1匹のリスが実に可愛らしい。『乳の願い』『春』『實(みのり)』『蒐猟(しゅうりょう)』などの帝展出品作も並ぶ。『乳の願い』に描かれているのは白いコブ牛を前に祈りを捧げるインドの女性。『春』では麦畑で姉に髪を梳くってもらう妹の膝で子猫がすやすやと眠る。『蒐猟』には2人の人物が白馬と黒馬にまたがって駆ける光景が明るい色調で描かれている。

 

 『兎春野に遊ぶ』は47歳のときの作品で、パトロンの一人だった三菱財閥の岩崎小彌太(1879~1945)の還暦祝いとして描かれた。岩崎は印象の一回り年上の卯年生まれ。画面の5羽のウサギは5×12(干支一回り)で60歳という年齢を表しているとのこと。岩崎家による皇室への献上画として印象が『松鶴佳色』という墨画を描いたのが縁となり交流が始まったという。

 

 展示作品には屏風も2点。『雲収日昇』(六曲一双)は朝日が出て山々に垂れ込めた雲が晴れていく情景を描いた墨画淡彩で、左隻には点景として数羽のカモが描かれている。『寿梅図』(六曲一隻)は太宰府天満宮の梅がモデルといわれる。老木の白梅の枝にはスズメが3羽。巻子(巻物)も2点展示中。『西遊記』と『伊曽保数語(いそほすがたり)』で、いずれも長さが5m近くある。

 この他の作品で印象に残ったのが戦中の1942年、51歳のときに描いた『霧』。霧の中、岩陰で一人の兵士と軍用犬のシェパードが左側の一点を凝視する構図。その方向に敵が潜んでいるのだろう、画面から緊張感が伝わってくる。印象は国民の士気高揚のため開かれた展覧会の審査員だったとき、この作品を描いて出品したという。

 絵画以外では陶板『白い手袋と猫』や木彫人形『とのゐの犬』、漆器『印象案双鶴吸物椀』、陶器の『蜻蛉絵手鉢』、皿『海底の記號』、『鷺図染付花瓶』なども並ぶ。このうち『白い手袋と猫』は人面を表した白い手袋の後ろに黒猫を配した直径90㎝の前衛的な作品。1952年の渡欧でピカソの陶器などに触発された印象は帰国後、絵画の立体化を模索し粘土を使って焼き上げる“陶彫”の制作に挑戦した。その代表作がこの作品。

 京都画壇の写生の伝統を受け継いだ印象の作品には様々な生き物をリアルに表現したものが多い。写生について印象はこう書き残している。「写生はまづ感激から出発しなければならない。写生は完成された絵画ではなく、あくまでも素材であります。写生は字の如く生を写す、あるいは神を写す―ということが本当の意味であります」(「写生1」=画室随想1971年)

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<奈良市写真美術館> 百々俊二回顧展「よい旅を 1968―2023」

2023年09月23日 | 美術

【佐世保・ロンドン・バンコク・大阪新世界・紀伊半島…】

 「入江泰吉記念奈良市写真美術館」で、前館長百々(どど)俊二氏の55年に及ぶ写真家人生を振り返る回顧展が始まった。題して「よい旅を 1968―2023」。内外を旅し「街とそこに暮らす人々の日常」をテーマに撮り続けてきた作品の中から約300点を一堂に展示している。「入江泰吉 文楽と大和の風景」展も同時開催。11月26日まで。

 百々氏は1947年大阪府生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科を卒業し、1998年から大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校・大阪)の学校長を務めた。2015~22年、奈良市写真美術館館長。主な写真集に「楽土紀伊半島」「新世界むかしも今も」「日本海」などがある。今春「次世代の若き写真家に真摯に向き合い、常に切磋琢磨を共にしてきた」功績で日本写真協会功労賞を受賞。長男新氏、次男武氏も写真家として活躍している。

 会場入り口正面に展示されているのは1970年にロンドンの街角で撮影した写真3点。中央の写真には「THE BEATLES LET IT BE」という大きな広告も写っていた。右側と向かい側の壁面を飾るのは1968年撮影の「佐世保 原子力空母エンタープライズ寄航阻止闘争」と69年の「福岡 九州大学教養部バリケード機動隊突入」。佐世保を撮影した19歳の冬「本気で写真家になると決めた」。

 その後、沖縄や岩国を訪ね、1980年代には大阪の下町「新世界」を頻繁に訪れては路地裏や人々の素顔を撮り続けた。作家の田辺聖子が「人生の細部の輝かしさ」と題し百々氏の写真をこう評している。「町の匂いまで嗅ぎとられそうな気がする」「人間の体温にむれた下町への愛着がほんものだからだろう」。百々氏は2007~10年にも「大阪」を改めて写真に収めている。撮影スポットはここでも京橋、鶴橋、千林など庶民の街が中心。

 同時に1995年以降、度々「紀伊半島」を様々なルートで訪れて「紀伊の風土にしっかりと根を下ろして生きる人々」に焦点を当ててきた。百々氏はそれを「巡礼の旅」と呼ぶ。展示作品の多くはモノクロだが、その中にドキリとするカラー写真もあった。血を流して横たわるイノシシの死骸(和歌山県本宮町)。仕留められた直後だろうか、それとも解体が始まったところだろうか。そのすぐ下に展示されているのはスイカやキュウリを冷やした涼しげな水汲み場(奈良県十津川村)。凄惨と清涼。上下の写真の対照的な光景が強く印象に残った。

【奈良舞台の文楽演目の地を入江作品で紹介】

 入江泰吉は終戦前まで大阪で写真店を営み、近くにあった「人形浄瑠璃文学座」に足繁く通った。そこで撮った「文楽シリーズ」が入江の出世作となった。文楽の演目の中には大和路に伝わる神話や伝承を題材にしたものも少なくない。同時開催中の「入江泰吉 文楽と大和の風景」展では奈良が舞台になっている文楽の演目の地を入江の作品で紹介している。

  

 「壷坂霊験記」はお里が盲目の夫・沢市の目が見えるように、と壷阪寺に日参し願掛けするというお話。『壷阪寺山内秋色』は真っ赤に染まる紅葉が背後の堂塔に映え美しい。文楽「義経千本桜」では『吉野山義経隠塔付近の山路』、「妹背山婦女庭訓」では『吉野妹背山』などの風景写真を、文楽シリーズの作品とともに展示している。

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<名勝大乗院庭園文化館> 「発掘された庭園」資料展

2023年09月19日 | 考古・歴史

【平城宮跡東院庭園、平等院庭園なども紹介】

 名勝大乗院庭園文化館(奈良市高畑町)で「『発掘された庭園』~つちに埋もれた古の庭~資料展」が開かれている。発掘調査によって再び地上に現れて復元・整備された古代~中世の“発掘庭園”をパネルで紹介している。10月9日まで。

 大乗院は興福寺の門跡寺院で1087年に創建された。現在地に移転後、足利将軍家に仕えた善阿弥によって作庭が始まり、完成後は「南都随一の名園」と称えられた。1995~2007年の発掘調査で、江戸時代末期の「大乗院四季真景図」などに描かれた往時の姿が地下に眠っていることが判明。埋め戻した後、盛り土の上に遺構を復元し2010年から一般公開を始めた。庭園の広さは約1万3000㎡。「旧大乗院庭園」として名勝に指定され、日本ナショナルトラストが管理している。(東大池の中島に架かる朱色の反橋は庭園のシンボル的存在)

 2枚のパネルのうち1枚目には奈良文化財研究所による発掘調査位置図や出土した石組み井戸、東大池の護岸、埋まっていた西小池などの写真を掲載。もう1枚で庭園史家の重森三玲(1896~1975)が昭和初期の1938年に庭園を調査したときに作製した平面図と記録写真を紹介している。重森は国内の古典的な庭園の大半を実測調査する傍ら、生涯に約200の作庭を手掛けた。主な庭に東福寺、松尾大社(京都)、岸和田城(大阪)、旧友琳会館(岡山・吉備中央)などがある。(復元された西小池には4つの小さな橋が架かる)

 平城宮の東南隅から発掘された「東院庭園」と、奈良時代初期に長屋王の屋敷があった場所の南側から発掘された「宮跡庭園」(平城京左京三条二坊六坪)もそれぞれパネルで紹介中。東院庭園の池には小石を敷き詰めた洲浜があり、自然風景を模した日本庭園のルーツといわれる。この東院庭園は遺構保存のため埋め戻したうえでの復元だが、宮跡庭園は出土した石材などに保存処理を施し、埋め戻すことなく発掘当時の姿で公開しているのが特徴。

 奈良県内で現在進行形の発掘庭園といえば、やはり「飛鳥京跡苑池」(明日香村)だろう。これまでに南北2つの大きな池と水の祭祀に使われたとみられる流水施設(写真)などが出土した。7世紀の斉明天皇の時代に築造が始まり、天武天皇のときに改修されたと推測され、日本最初の本格的な宮廷庭園といわれている。県は2025年度にまず中島や噴水とみられる大きな石造物などが見つかった南池の史跡整備工事に着手する予定。どのような姿で復元・公開されるか、今から楽しみである。

 今回の資料展では京都市の「大沢池・名古曽滝跡(大覚寺御坊跡)」や京都府宇治市の「平等院庭園」など奈良以外の発掘庭園も取り上げている。旧大乗院庭園を訪れたのは2022年6月以来1年3カ月ぶり。前回はあちこちに「カラスが背後から飛来接近してくることがありますのでご注意ください」という貼り紙や立て札があったが、今回は取り払われていた。

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<アワ(粟)> 祖先はネコジャラシ!

2023年09月17日 | 花の四季

【五穀の一つ、縄文時代から栽培】

 イネ科エノコログサ属の穀物で、原産地はインドや中央アジアといわれる。日本には稲作が伝わる前、縄文時代に朝鮮半島を経て渡来した。穀類の中ではヒエ(稗)とともに栽培の歴史が古く、米・麦・豆・稗(または黍=キビ)とともに五穀の一つに数えられている。

 アワはエノコログサが作物化したものといわれる。子犬の尻尾のような花穂から漢字で書くと「狗尾草」。一般に「ネコジャラシ」という俗称で呼ばれることが多い。草丈は1~2m。長さ10~40㎝の穂に2㎜ほどの黄色い粒状の子実を無数に付ける。穀類の中で最も小粒で、五穀米や団子、菓子、小鳥の餌などに使われる。諺に「濡れ手で粟」など。

 英名は「フォックステイル・ミレット」や産出国から「イタリアン・ミレット」「ジャーマン・ミレット」など。学名は「Setaria italica(セタリア・イタリカ)」と、種小名に「イタリアの」と付けられている。命名者はパリゾ・ド・ボーヴォワ(1752~1820)というフランスの博物学者。

 アワは古くから皇室の伝統儀式「新嘗祭」で米とともに供物として用いられてきた。万葉集にはアワを詠み込んだ歌が5首。その一つに「ちはやふる神の社し無かりせば春日の野辺に粟蒔かましを」(巻3-404娘子)。「神の社」は相手の奥さんを意味する。「粟の穂の垂れし重さにしづかなり」(長谷川素逝)

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<大和文華館> 淇園の“指頭画”と再対面

2023年09月16日 | 美術

【無料招待デー、また特別企画展に】

 奈良市学園南にある私設美術館「大和文華館」が開館したのは1960年10月のこと。近畿日本鉄道の創立50周年記念行事の一つだった。文華館は年数回、無料招待デーを設けている。9月15日も近鉄創業記念日に伴う招待デーだった。開催中の特別企画展「文人サークルへようこそ」は開幕直後に訪れているが、“指頭画”をもう一度見ようと再び出かけた。

  

 指頭画は筆の代わりに指先や伸ばした爪で絵を描く画法。指墨や指画ともいわれる。中国・清時代前期の文人画家、高其佩(1672~1734)が技法を確立し、日本にも伝わって南画家たちに影響を与えた。その手法を逸早く取り入れたのが大和国郡山藩の上級藩士だった柳沢淇園(1703~58)。今展では『指墨竹図』(個人蔵)が初公開されている。墨をつけた指の腹で竹の葉を伸びやかに描いており、節の細い線は爪で描いたとみられる。

 高其佩の指頭画も1点展示中。山水画の掛軸『閑屋秋思図』。縦175㎝横50.6㎝もある大作だ(一番右側の作品)。深い山中の雄大な風景と庵で読書に耽る人物が描かれている。山肌や樹木に指紋の跡が残っているとのこと。しかし前回同様、残念ながら確認できなかった。

 指頭画で使う指はどの指? これまで主に利き腕の人差し指とばかり思っていた。ところがどうも違うようだ。高其佩の従孫(兄弟の孫)に当たる高秉(こうへい)の著作『指頭画説』(1771年刊)によると、高其佩は通常、親指と薬指と小指を使って描き、雲や水の流れを表す際にはこの3つの指を同時に使っていたという。

 日本の指頭画で有名な作品に、池大雅(1723~76)が京都・宇治の黄檗宗寺院、萬福寺の襖に描いた『五百羅漢図』がある。池大雅は若いころ柳沢淇園より薫陶を受けたという。今展ではその池大雅の『七老戯楽図』(右から2番目)のほか伊藤若冲の『釣瓶に鶏図』(3番目)、呉春の『春林書屋図』(4番目)なども展示中。大和文華館は四季折々の花も見どころの一つ。白やピンクの大きなフヨウが開花中だった。

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<奈良町資料館> 観光客に人気のパワースポット

2023年09月11日 | メモ

【青面金剛・吉祥天女・庚申大皿・江戸時代の絵看板……】

 奈良市の旧市街地「ならまち」。世界遺産・元興寺の旧境内を中心とするこの地域には風情あふれた古い町家とおしゃれな店舗が混在、多くの観光客を引き付ける。目に付くのが家々の軒先に吊るされた赤い猿のぬいぐるみ。「身代わり申(ざる)」と呼ばれ、「奈良町資料館」(南哲朗館長)が製作・販売する。ここではレトロな民具や絵看板、仏像、美術品なども無料で公開している。

 オープンしたのは約40年前の1984年。目印は入り口にぶら下げられた無数の身代わり申たちだ。館内に入って最初に出迎えてくれるのが吉祥天女像と青面(しょうめん)金剛像。吉祥天女は良縁や子宝などにご利益があるという。青面金剛は地元に伝わる庚申信仰のご本尊。「庚申さん」と呼ばれ病魔や災いを退治してくれる。

 身代わり申は厄除けのお守りで、軒先などに家族の人数分吊るす風習がある。申は庚申さんのお使いだ。身代わり申は「願い申」とも呼ばれる。背中に願い事を書いて吊るしておくと、願いが叶うとのこと。ちょうど身代わり申を購入したばかりの中年の男性が、受付の女性に願い事を伝えて書いてもらっていた。

 資料館の見どころの一つが江戸時代の絵看板類。櫛屋・菓子屋・味噌屋・両替屋などの味わい深い看板が壁面を所狭しと埋める。櫛屋は江戸時代、櫛の音が「苦」と「死」につながると忌み嫌われ、京都では「九」と「四」から「十三屋」の屋号を用いたところが多かったという。ただ、展示中の看板には「九」の文字が刻まれていた。

 これらの絵看板とは別に、入り口のそばに疾走する馬の彫り物に「ウルユス」と刻まれた薬屋の看板が展示されていた。お腹を空にする便秘薬の宣伝で、「空」の文字を分解して「ウルユス」と名付けた。「べんぴと表現しない賢人の粋な心遣いですね」という説明が添えられていた。

 奥に進むと、「庚申大皿」という有田焼の巨大な皿が目に飛び込む。ならまちでは60日に1回行われる庚申さんのお祭で、直径が1mを超える大皿に山海の珍味を盛り付けて参拝者を接待したそうだ。展示中の藍色の染付磁器2枚は直径がなんと1.7mもあり、1枚に約100人分の料理が盛られたという。

 華やかな色絵の皿も4枚あった。そのそばには「伊万里染錦大皿 人間国宝柿右衛門作」という説明書き。柿右衛門といえば、有田焼の色絵を代表する陶工・酒井田柿右衛門。それらの華麗な作品にしばし見入ってしまった。

 展示品にはほかにこんなものも。江戸時代の“大名時計”、明治初期に東京の「鹿鳴館」で使われていた蓄音機、大正時代のわが国最初のラジオ……。美術品からレトロな珍品まで実に多彩だ。しかも入場・見学は無料。見どころ満載のこの資料館こそ、ならまちの穴場スポットの一番手だろう。

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<トコロ(野老)> ひげ根から“野の老人”

2023年09月06日 | 花の四季

【ヤマノイモ科、万葉集にも2首】

 ヤマノイモ科ヤマノイモ属のツル性多年草で、全国各地の山野に生える。夏にひも状の花穂を伸ばし、淡緑色の小花をたくさん付ける。雌雄異株。雌花の花穂は下垂し、花を咲かせながら次々に緑色の実を結び始める。蒴果で、秋になると茶色く乾燥し3つに裂けて種子を飛ばす。別名「オニドコロ(鬼野老)」。

 トコロの地下茎は横に這って、ひげ根を多く生やす。「野老」はそのひげ根を老人のひげに見立てたもので、エビが「海老」なのに対し野の老人として野老の漢字が当てられた。古く万葉集にも「ところづら」として2首登場する。「皇祖神(すめろぎ)の神の宮人ところづら いや常(とこ)しくにわれかへり見む」(巻7-1133、作者不詳)。

 学名は「Dioscorea tokoro(ディオスコレア・トコロ)」。属名は古代ギリシャの医師・植物学者のペダニウス・ディオスコリデスの名前に由来し、種小名は和名のトコロがそのまま使われている。命名者はNHKの連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルにもなっている牧野富太郎博士。

 「○○ドコロ」と名付けられた植物は少なくない。同じヤマノイモ科にはヒメドコロやカエデドコロ、タチドコロ、キジカクシ科にも可憐な白花を付けるアマドコロ、ナス科にもハシリドコロなど。いずれも太い根茎がトコロの形に似ていることから命名された。

 埼玉県南部に位置する所沢の地名の「所」は一説にこのヤマノイモ科のトコロに由来する。所沢市の市章はトコロの葉を図案化したものが使われている。トコロの干したひげ根は正月、長寿を祈る“蓬莱飾り”としてエビなどとともに飾られてきた。「海老野老(えびところ)台を同じく飾りけり」(名和三幹竹)

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<ならまち糞虫館> 日本と世界の糞虫がずらり!

2023年09月03日 | メモ

【開館から丸5年、世界一美しい南米産も】

 奈良市南城戸町にある「ならまち糞虫館」を9月2日初めて訪れた。糞虫はシカなどの糞を食べるコガネムシの仲間。奈良は国内に生息する糞虫約160種のうち60種が確認されており“糞虫の聖地”といわれているそうだ。開館は約5年前の2018年夏。昆虫少年だった中村圭一さん(現館長)が勤め先を早期退職して実家のある奈良にUターン、長年の夢だった糞虫館をオープンした。

 糞虫館は近鉄奈良駅から徒歩10分ほどの距離。さくら通りを南下し、ならまち大通りを越えて仏具・仏壇の「水本生長堂」横の露地を東に進んだ住宅街の一角にある。初期投資を抑えるため空き家を活用して改造した。平日は休館で、土日曜の午後1時から6時まで開いている。そのうちに、が気付いたら丸5年も過ぎて。

 奈良公園を代表する糞虫がオオセンチコガネ種のルリセンチコガネ。オオセンチコガネは地域によって色彩が赤銅色、青緑、赤紫と変化に富むが、奈良公園のものは瑠璃色に輝くことからルリセンチコガネと呼ばれるようになった。標本には1点ずつ採取時期や場所を記し、色彩の変化が分かる標本ケースも展示されていた。

 糞虫といえば、糞を丸めて後ろ足で玉を転がすフンコロガシを連想しがち。ただ日本の糞虫の99%は玉を丸め転がすことはしないという。例外が体長2㎜ほどのマメダルマコガネで、標本ケース内に1点あった(下の写真の中央左側)。右側のダイコクコガネなど周りの糞虫の中で米粒ほどの小ささが際立つ。2年前の2020年7月に奈良公園で採取したという。よく見つけたものだ。

 外国産の展示コーナーには世界最大級の糞虫たちを集めた標本ケースがあった。まるで大きなメスのカブトムシのよう。オウサマダイコクコガネなどの大きな糞虫はゾウなど大型の草食動物の糞によく集まるという。大型糞虫を目の前にして、これまでのコガネムシのイメージが吹き飛んでしまった。

 極彩色の金属光沢を放つカラフルな糞虫には目が釘付けに。アルゼンチン産で、オスには立派な角もある。和名はニジイロダイコクコガネ。世界で一番美しい糞虫といわれているそうだ。ダイコクコガネの仲間は糞を丸めた玉の中に卵を1粒だけ産み付けるという。

 奈良公園には約1300頭のシカが生息し、毎日撒かれる糞は1トンにも上る。その糞をバラバラに粉砕し土に戻してくれるのが、公園に生息するルリセンチコガネなど糞虫たち。蛆虫がハエになる前に糞を処理してくれるため、そのおかげでハエの発生も抑えられているそうだ。奈良公園にとってはまさに糞虫様々。

 「糞を食べ、糞に暮らすこの小さな虫たちが、チョウやカブトムシ、クワガタに勝るとも劣らない魅力の持ち主であることを知ってほしい」。館内にはそんな中村さんの“糞虫愛”が詰まっていた。大きさも色彩も異なる世界の糞虫たち。「糞虫は生物多様性の見本のようなもの」。中村さんはこんな話もしていた。

 中村さんは自宅で海外の糞虫を飼育しており、館内では糞を丸めて運ぶフンコロガシの様子を撮影した映像を大型画面で放映中。その糞虫が作った直径2㎝ほどの糞の玉や、糞虫と玉を入れた透明の飼育ケースなども展示している。

 『たくましくて美しい糞虫図鑑』(創元社)、童話『フン虫に夢中』(くもん出版)……。中村さんにはこれらの著書のほか、雑誌などへの投稿記事も多い。2021年には地域貢献が認められ奈良県の「あしたのなら表彰」を受賞した。こうした文献や表彰の盾などを集めた館内の一角に、関西テレビの人気企画「となりの人間国宝さん」のシールもさりげなく置かれていた。

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