く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ベゴニア> 多種多様! 膨大な園芸品種

2018年06月23日 | 花の四季

【大別すると木立ち性、球根性、根茎性の3つ】

 ベゴニアはシュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア属)の植物で、オーストラリアを除く熱帯~亜熱帯地方に広く分布する。とりわけ中南米のメキシコ~ブラジルと中国南部~東南アジアに多い。その種類は世界全体で約2千種ともいわれ、さらに原種の交配によって生まれた園芸品種は優に1万種を大きく上回る。日本に分布するベゴニアの仲間は2種。西表島や石垣島などにマルヤマシュウカイドウとコウトウシュウカイドウが自生する。

 ベゴニアの植物名は17世紀に西インド諸島のフランス領アンティル諸島の総督だったフランス人、ミシェル・ベゴン氏(1638~1710)の名前から。ベゴニアは草丈や花姿、花期、葉の色・形・模様などが実に多彩だが、大別すると木立ち性、球根性、根茎性の3つに分類される。木立ちベゴニア(写真)は茎が直立して大きなものでは高さが3mほどにもなり、シャンデリアのような豪華な花房を垂らす。球根性ベゴニアは地中に球根を作るタイプで、花色が豊富で花径も小輪から巨大輪まであるのが特徴。根茎性ベゴニアは太い匍匐茎を地中で横に這わせるタイプで、葉の色や形が変化に富み美しいことから〝観葉ベゴニア〟とも呼ばれる。代表的なものに「レックス・ベゴニア」がある。

 花壇の植え込みなどで最もポピュラーなベゴニアは「センパフローレンス」と呼ばれる品種。ブラジル原産のベゴニアをもとに品種改良された矮性種で、春から秋まで長く花を楽しめることから和名では〝四季咲きベゴニア〟と呼ばれる。球根性ベゴニアの交配で生まれた冬咲きベゴニアは別名「クリスマスベゴニア」。バラのような華やかな花姿で鉢花として評判が高い「エラチオール・ベゴニア」はドイツの育種家の名前から「リーガース・ベゴニア」とも呼ばれる。

 ベゴニアは世界で大人気だが、日本国内にも愛好家が多い。「日本ベゴニア協会」は1962年の発足から既に半世紀以上の長い歴史を持つ。同時に御園勇さん(1910~87)をはじめとする育種家の手によって国内でも多くの新品種が生み出されてきた。ベゴニアは兵庫県尼崎市の「市の草花」。市民の投票で1位だったことや丈夫で開花期間が長い、品種が多く室内外でも楽しめることなどから1991年に選ばれた。「留守がちの日和ベゴニア花増やす」(守谷順子)

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<ヒューケラ> 葉が美しい〝カラーリーフ〟の代表格

2018年06月21日 | 花の四季

【北米原産の宿根草、和名は「ツボサンゴ」】

 ユキノシタ科ヒューケラ属(ツボサンゴ属)の常緑の宿根草。北米を中心にサンギネア、ヴィローサ、アメリカーナなど70種ほどが分布する。ヒューケラはヒューケラ属の植物の総称で、これらの原種をもとに多くの園芸品種が生み出されてきた。和名のツボサンゴ(壷珊瑚、別名珊瑚花)は狭義では朱色の壷状の小花をたくさん付けるサンギネア種に当てられた名前。ただヒューケラ属に加え別属との交配品種も含めてヒューケラやツボサンゴと呼ばれることも多い。英名は「Coralbells(コーラルベルズ=珊瑚の鐘)」。

 品種により花や葉の色形、花期などが異なるが、一般的には5~7月頃、長い花茎を伸ばし総状花序に壷や鐘状の赤やピンク、白の小花を数十個付ける。花片のように見えるのは萼片。花持もや水揚げがいいため切り花としての人気も高い。だがヒューケラの最大の魅力は〝カラーリーフプランツ〟として、年中美しい葉の色や模様を楽しめること。葉の色が赤、紫、黄、橙、深緑、銀灰色など多彩で、異なる品種を組み合わせて寄せ植えを楽しむ人も増えている。

 ヒューケラ(Heuchera)の名前は18世紀のドイツの医学・植物学者ヨハン・ハインリヒ・フォン・ホイハー(Heucher)さんに由来するそうだ。植物名は今でこそヒューケラとして一般に普及してきたが、園芸界などでは今もドイツ語読み風に「ホイヘラ」と呼ばれることも多い。ヒューケラは米国などで盛んに新品種の育成が進められており、「パリ」「ミラノ」「ウィーン」「ハリウッド」のように都市名の付いた品種も次々に生まれている。(写真の品種は「シルバーダラー」)

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<平城宮東院地区> 大井戸に続き加熱調理場の遺構出土!

2018年06月19日 | 考古・歴史

【被熱痕跡5カ所、調理用の鉢や多数の食器類も】

 奈良市の平城宮東院地区の発掘調査で、昨年12月に見つかった大規模な井戸(9m×9.5m)の東側一帯から5カ所の被熱痕跡や炭を捨てた廃棄土坑、2棟分の建物跡、多量の食器類や調理用とみられる鉢などが出土した。井戸に通じる階段も見つかっており、発掘を担当した奈良文化財研究所都城発掘調査部は「火を用いて調理する厨(くりや)のための大規模な空間で、調理や配膳などの機能に応じ空間を分けて利用していた」と分析している。6月17日に現地説明会があった。

 東院地区は約1km四方の平城宮の東側張り出し部分の南半分(南北約350m、東西約250m)。奈良時代、ここには皇太子の東宮や天皇の宮殿などが置かれ、度々宴が開かれていたことが『続日本紀』などの文献で分かっている。南東端からは庭園の遺構が見つかり「東院庭園」(特別名勝)として復元されているが、現在発掘調査中のこの第595次調査区はその庭園の北西側に位置する。

 

 井戸に通じる階段は高さ約30cm、幅約5.8mの石組みで、段数は2段ないし3段。井戸の東側の地形が少し高いため、西側の空間との段差をつなぎ東西を一体的に用いるための階段とみられる。被熱痕跡5カ所はいずれも直径が35~40cmで、土が赤化・硬化し火を強く受けた焼土を多く含む。炭廃棄土坑は調査区の東北部から見つかった。直径は約80cm。建物遺構はいずれも南北に長い構造で、一つは井戸のすぐ東側に位置する。規模は東西2間(約5.9m)、南北5間(約14.8m)。もう一つはこの建物の南東側に隣接し、東西3間(約8m)、南北8間(約23.6m)以上と大きく、調査区の南方へ続く。

 

 2つの建物の周囲からは東西溝とそこから分岐する2本の南北溝が見つかった。幅は80~100cm、深さは10~30cm。これらの溝を中心に奈良時代後半の土師器や須恵器が多く出土した。杯(つき)・椀・皿などの食器類が多く、甕(かめ)・盤(ばん)・竃(かまど)・灯明皿もあった。中には小さな穴が開いた蓋のような土器も。発掘担当者の一人はこの土器について「蒸し器の一部で、穴は蒸気を逃がすためのものではないか」と話していた。奈良時代中頃~後半の軒丸瓦や軒平瓦なども出土している。

 

 これまでに井戸の東西で見つかった溝や建物の遺構、出土物などから、この一帯は東院地区での食膳の準備に関わる台所のような空間だったことがほぼ判明した。井戸から汲み上げた水を溝に貯めて西側で食器や野菜などの食材を洗い、東側で調理したり盛り付けたりして、皇族の日常の食事や宴のための料理などを運んでいたとみられる。

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<クララ(眩草)> マメ科の有毒植物・薬用植物

2018年06月17日 | 花の四季

【〝幻の蝶〟オオルリシジミの幼虫の食草】

 正直な話、最初にこの植物名を聞いて思ったのは「なんと洋風のおしゃれな名前だろう」。そして思い浮かんだのが作曲家シューマンの愛妻で、世界初の女性職業ピアニストといわれたクララ・シューマンだった。ところが名前の由来を知って、そんなロマンチックな連想は一瞬に砕かれた。全草が有毒で、とりわけ根の毒性が強く、口に含むとくらくらするほど苦い。だから「クララグサ」と呼ばれ、それが略されてクララになった――。

 マメ科の多年草で、本州・四国・九州の日当たりのいい草原や河原に自生する。日本以外では韓国や中国にも分布する。6~7月頃、長い総状花序を伸ばし長さ2cm弱の淡黄色の花を密に付け、秋になると4、5個の種が入った長さ7~8cmの鞘状の豆果ができる。同じマメ科の落葉高木エンジュ(槐)に似ていることから「クサエンジュ」という別名もある。

 クララはマトリンやオキシマトリンなど有毒のアルカロイド系成分を含む。このため食用にはできないが、根を乾燥したものは「苦参(くじん)」と呼ばれ消炎・鎮痛・利尿・下痢止めなどの漢方薬に配合されている。また根の抽出エキスは抗菌や血行促進、美白、肌荒れ予防などへの効果もあるとして、化粧水や美白化粧品、育毛剤などに使われるようになってきた。

 クララは〝幻の蝶〟といわれるオオルリシジミ(環境省レッドリストで絶滅危惧ⅠA類)の食草でもある。この蝶はクララの葉に産卵し、幼虫はその花芽だけを食べて成長する。ただクララ自体の自生域が減っていることもあって、オオルリシジミの生息域も長野県と九州の阿蘇地方などごく一部地域に狭まってきた。そこで長野県下では昨年秋、日本自然保護協会が地元の「安曇野オオルリシジミ保護対策会議」と連携し、食草クララの株分け・移植作業を進めた。また阿蘇地方でも東海大学阿蘇キャンパスの学生たちが2015年にクララの生育環境保全のため背の高い雑草の刈り取り作業などに取り組んだ(同キャンパスは翌16年の熊本地震で被災し閉鎖。18年4月一部の農業実習を再開)。

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<ワスレナグサ(勿忘草)> 中世ドイツの悲恋物語に由来

2018年06月16日 | 花の四季

【径1cm弱の青紫色の小花、日本には「エゾムラサキ」が自生】

 ヨーロッパ~西アジアに分布するムラサキ科ワスレナグサ属の多年草。ただ暑さに弱いことから日本では夏越しできず1年草扱いされている。花期は晩春~初夏。総状花序に直径1cm弱の青紫色の小花をたくさん付ける。園芸品種には白やピンクの花も。花冠は先が5裂し、中心に黄または白の目が入る。庭に一度植えると、こぼれ種によって翌年また芽を出すことも多い。

 この花は中世ドイツの悲恋物語で有名。ドナウ川の畔を歩いていた若い騎士ルドルフは恋人ベルタのため花を摘もうと川岸へ。ところが、その花を手に戻って渡した直後、足を滑らせ急流にのみ込まれてしまった。ベルタに「僕のことを忘れないで」という言葉を残して。そして、その花はドイツで「Vergiss mein nicht(フェアギス・マイン・ニヒト)」、英語で「Forget me not(フォゲット・ミー・ノット)」と呼ばれるようになった――。和名は明治時代の植物学者川上瀧彌(1871~1915)がその英語を「勿忘草」「忘れな草」と訳したもの。花言葉は「私を忘れないで」「真実の恋」。

 ワスレナグサ属(学名ミオソティス属)は北半球に約50種ある。広義ではそれらを総称してワスレナグサと呼ぶが、狭義ではスコルピオイデス種を指す。その和名は「シンワスレナグサ(真勿忘草)」。日本に自生するワスレナグサ属は北海道~本州中部の高原の湿地に生える「エゾムラサキ(蝦夷紫)」の1種だけ。この時期、尾瀬や上高地、開田高原などで群落が見られる。国内では一般にこのエゾムラサキや「ノハラ(野原)ワスレナグサ」と呼ばれるアルペストリス種、それら両種の交雑種がワスレナグサとして流通している。「夕さりぬ勿忘草へ山の風」(伊藤敬子)

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<住吉大社> 華やかに古式ゆかしく御田植神事

2018年06月15日 | 祭り

 【田舞や住吉踊、武者行事、棒打ち合戦……】

 全国約2300社の住吉神社の総本宮、住吉大社(大阪市住吉区)で6月14日、古来の様式を踏襲した伝統の御田植神事が営まれた。国指定の重要無形民俗文化財で、香取神宮(千葉県香取市)、伊勢神宮内宮の別宮・伊雑宮(いざわのみや、三重県志摩市)とともに日本三大御田植祭といわれる。同大社の御田は広さ約2000㎡。その中央に設えられた舞台と御田の周囲で、早苗を植える人たちを励ますように約2時間にわたって多彩な芸能が繰り広げられた。

 御田植神事は約1800年前、祭神の神功皇后が神田を定め、長門国(今の山口県)から植女(うえめ)を召して奉仕させたことが始まりといわれる。この神事に際し鎌倉時代には猿楽や田楽が催されていたとの記録があるそうだ。午後1時に始まった本殿での神事奉告祭が終了すると、いよいよ御田式がスタート。奴行列を先頭に風流武者、雑兵役の男児たち、神職、巫女姿の八乙女(やおとめ)、植女、替植女(かえうえめ)、御田の世話をする奉耕者、田植踊や住吉踊の女児たちなど数百人が長い列を成して入ってきた。

 

 この日の主役でもある植女8人には一人ひとりに赤い大傘が差しかけられていた。植女はかつて末裔が堺の遊女になったという伝承から、近年まで堺の遊女が植女役を果たしていたという。明治維新後は大阪新町廓の芸妓、その後は大阪花街連盟の芸妓が植女として神事を支えてきた。現在は関西・大阪21世紀協会の上方文化芸能運営委員会が中心になって選出しているそうだ。植女の役割は神前から早苗を授かって、植え付けを行う菅笠に赤襷姿の替植女に渡すこと。御田では一足早く飾り立てられた〝斎牛〟が代掻きをしていた。この牛は5月の京都の葵祭にも参加していたそうだ。

 

  

 中央舞台では赤い風流花笠を囲んで八乙女8人による神楽「田舞」や御稔女(みとしめ)と呼ばれる女性による豊穣祈願の「神田代舞(みとしろまい)」が舞われた。八乙女は白衣に緋色の袴姿で、頭上には花菖蒲の飾り。次いで甲冑姿の侍大将が武運長久を祈る所作を披露したり、陣太鼓や法螺貝が鳴り響く中、紅白に分かれて男児たちが六尺棒を打ち合う棒打ち合戦を繰り広げたりした。棒打ちには害虫を追い払う〝虫追い〟の意味も込められているそうだ。

 

 その後も広い御田をぐるっと囲んで地元の子どもたちによる田植踊や住吉踊が続いた。この間に植え付けもほぼ終わって、水を張った御田は一面早苗の緑で覆われた。そのすぐ上を数羽のツバメが飛び交っていた。田楽は田植え前に豊作を祈って歌い踊る田遊びが起源との説があるという。その田楽の原初の姿を垣間見るような思いがした。

  

 ちなみに御田に植えた稲は大阪府の奨励品種ヒノヒカリとのこと。住吉区と住之江区の農家を中心に結成している御田講のメンバーが今後、合鴨農法も取り入れて稲の生育を見守る。その鴨は生後2週間目の幼鳥20羽を導入するそうだ。米1200kgの収穫を見込んでおり、10月17日の宝之市神事で初穂を刈り取ることにしている。

 

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<シチダンカ(七段花)> 六甲で〝再発見〟された幻のアジサイ

2018年06月14日 | 花の四季

【装飾花が八重咲き、ヤマアジサイの変種とも】

 江戸時代後期に来日した医師・博物学者シーボルト(1796~1866)が大著『フローラ・ヤポニカ(日本植物誌)』の中で紹介したものの、誰も実物を見たことがなく標本もなかったことから、長く〝幻の花〟といわれてきた。それが偶然見つかったのはシーボルトの帰国から130年後の1959年。発見場所は神戸市の六甲ケーブルの西側で、農学博士の室井綽(ひろし)さん(1914~2012)がシチダンカと確認した。

 シチダンカはヤマアジサイ(別名サワアジサイ)の変種といわれる。中心部の小さな両性花を花弁状の萼(がく)からなる装飾花が囲む。その装飾花が八重咲きなのが大きな特徴で、先が尖った萼片が何段も折り重なって、まるで星が輝いているようにも見える。花色は咲き進むにつれ淡いピンクから薄紫、藍色と微妙に変化していく。葉の幅は他のアジサイに比べやや細め。その上品な花姿からヤマアジサイの中でも特に美しい名花と称えられている。

 もう一つの特徴は両性花が未熟なまま開花しないで落ちてしまうこと。そのため種ができず自然繁殖しにくい。六甲山にある神戸市立森林植物園は長年、挿し木による増殖に取り組んできた。その結果、今では全国各地の公園や植物園でシチダンカを見かけるようになってきた。森林植物園では今ちょうど見頃を迎えているとのこと。同園のあじさい園にはシチダンカも含め約350品種5万株のアジサイがあり、6月16日~7月16日には「森の中のあじさい散策」と銘打って多彩なイベントを予定している。

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<アルストロメリア> 花束やフラワーアレンジに人気

2018年06月13日 | 花の四季

【南米原産、「インカのユリ」の別名も】

 ヒガンバナ科アルストロメリア属(ユリズイセン属)の多年草で、南米のペルーやチリ、ブラジル、アルゼンチンなどに100種ほどが自生する。アンデス山脈の冷涼地に多く、欧米では「インカのユリ」とも呼ばれる。それらの原種をもとにオランダなどヨーロッパで品種改良が進められた。カラフルなうえ花もちもいいことから、鉢植えや庭植えのほかブーケやフラワーアレンジなど切り花としての人気も高い。(写真の品種名は㊤インディアンサマー、㊦サマースノー)

 アルストロメリアは〝植物分類学の父〟カール・フォン・リンネ(1707~1778)が南米旅行中の1753年に発見したといわれる。そのリンネが友人の植物学者クラース・アルストメーア(1736~1794)の名前に因んで命名した。花の最盛期は5~7月頃だが、四季咲きの場合は春から晩秋まで楽しめる。花弁の内側に条斑(じょうはん)と呼ばれる筋模様が入ることと、葉が捩れることが多いのが大きな特徴。条斑は昆虫に蜜の在りかを知らせる役割を果たしているといわれる。ただ条斑がない品種も作り出されて〝スポットレス〟タイプとして出回っている。

 日本は切り花生産量でオランダに次いで世界第2位。2016年の全国生産量は5520万本で、都道府県別ではトップの長野県が全体のほぼ3分の1を占める(2位愛知県、3位北海道)。1998年の長野冬季五輪では〝ビクトリーブーケ〟としてアルストロメリアの花束がメダリストに贈られた。国内最大の産地を抱える伊那市は今年3月、友好提携都市東京都新宿区の全区立小中学校の卒業生(39校約2700人)一人ひとりに祝福のメッセージを添えて花束を贈った。「♪夢咲く夢子の夢百合草が あるすとろめりあ あるすとろめりあ そっと明日を置きに来る」=さだまさしさんの『夢百合草(あるすとろめりあ)』 

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<キリンソウ(麒麟草・黄輪草)> 鮮やかな星形の黄花

2018年06月12日 | 花の四季

【ベンケイソウ科の多年草、和名の表記・由来には諸説】

 全国の山地の草原や林縁、海岸の岩場などに生えるベンケイソウ科キリンソウ属(マンネングサ属)の多年草。日本のほか朝鮮半島、中国、サハリン、カムチャツカ半島などに広く分布する。草丈は10~50cmで、葉は光沢のある多肉質。5~7月頃、茎上部の放射状の集散花序に星形の鮮やかな黄色い5弁の小花を多数付ける。

 和名の由来には諸説ありはっきりしない。「麒麟草」の表記は中国の伝説上の動物麒麟に因むとされる。ただ「肉厚の葉の様子を麒麟の角が肉に包まれているところに見立てた」などと説明されるが、どうもすっきりしない。一方の「黄輪草」は黄色い小花が輪状に密に付くことから。他に別名からの転訛説などもある。若葉・若芽は山菜として胡麻和えなど食用とされる。江戸時代から観賞用として栽培され、また救荒植物として塩茹でし乾燥させて保存食にもされたそうだ。

 よく似た仲間に本州の中部以北に分布する「ホソバノキリンソウ」、雄しべが赤紫色の「エゾノキリンソウ」、南アルプスの光岳(てかりだけ)に因む小型種の「テカリダケキリンソウ」などがある。キリンソウは通常冬に落葉するが、これを品種改良した「常緑キリンソウ」が屋上や法面の緑化植物として注目されている。なお秋の野原で見かけるアキノキリンソウ(別名泡立草)は別科のキク科の多年草。「山脈(やまなみ)を風がのりこえきりん草」(榎本冬一郎)

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<イブキジャコウソウ(伊吹麝香草)> 国内に唯一自生するタイム類

2018年06月11日 | 花の四季

【強い芳香から「百里香」の別名も】

 シソ科イブキジャコウソウ属(ティムス属)の小低木で、北海道、本州、九州の日当たりのいい山地などに自生する。とりわけ石灰岩や蛇紋岩などの岩場を好むことから「イワジャコウソウ」とも呼ばれる。匍匐(ほふく)性の植物で、茎が地面を這うように伸びて群落をつくる。高さは5~15cmほど。6~8月頃、枝先に淡紅色の小花を付ける。筒状の花の先が上下に分かれたシソ科に多い唇形花で、花冠から雄しべが突き出す。

 名前は滋賀県の最高峰、伊吹山(1377m)に多く見られることと、「百里香(ひゃくりこう)」の別名があるほど強い芳香を放つことから。伊吹山は日本百名山の一つで高山植物の宝庫といわれ、伊吹山のイブキジャコウソウは『新・花の百名山』(田中澄江著)でも取り上げられている。学名「Thymus(ティムス)」はハーブのタイムの語源。世界には数多くのタイム類が分布するが、国内に自生するタイムの仲間はこのイブキジャコウソウだけ。日本以外では朝鮮半島や中国、ヒマラヤ地方などにも分布する。

 地域によって花色の濃淡などにはかなりの変異がある。白花のものは「シロバナイブキジャコウソウ」、海浜に自生するものは「ハマジャコウソウ」と呼ばれる。よく似た匍匐性のタイムにはヨーロッパを中心に分布する「クリーピングタイム」(ワイルドタイムとも)がある。この和名は「ヨウシュ(洋種)イブキジャコウソウ」。一方、日本で一般にタイムと呼ばれハーブとして肉・魚料理などによく使われるのは南欧原産の「コモンタイム」。茎が高く伸びる立ち性タイプで、和名では「タチジャコウソウ」と呼ばれている。

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<キョウガノコ(京鹿子)> 京染め鹿の子絞りにたとえて

2018年06月10日 | 花の四季

【シモツケソウの仲間、変種の白花は「夏雪草」とも】

 バラ科シモツケソウ属の多年草。日本原産といわれるが、自生地は確認されていないという。仲間のシモツケソウ(下野草)と東北~中部の日本海側に分布するコシジ(越路)シモツケソウの交雑種、あるいはシモツケソウの突然変異種ではないかと推定されている。古くから栽培されて初夏の茶室を飾る茶花の一つとされてきた。

 花期は6~8月頃。高さ60~100cmで、分枝した茎の先に濃いピンク色の5弁の小花をふわふわと密に付ける。蕾は粒々で、花径は6~7mmほど。多数の雄しべが突出する。その花姿を小鹿の背の斑(まだら)模様のような京染めの鹿の子絞りにたとえて優美な名前をもらった。「京鹿の子絞(きょうかのこしぼり)」として国の伝統的工芸品に指定されているが、植物名の方は一般的に「きょうがのこ」と濁るようだ。

 6月9日や6月23日の誕生花で、花言葉は「密かな恋」「質素な美」「はかなさ」など。変種の白花のものはナツユキソウ(夏雪草)と呼ばれる。ヨーロッパ~西アジアには同じシモツケソウ属の仲間「メドースイート」が分布する。この和名はセイヨウナツユキソウ。ただイタリア・シシリー島原産のナデシコ科のセラスチウムもナツユキソウ(別名シロミミナグサ)と呼ばれる。「京鹿の子咲くと添水(そうず)のはずみけり」(佐野青陽人)

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<ムギワラギク> ヘリクリサム、帝王貝細工とも

2018年06月09日 | 花の四季

【オーストラリア原産、江戸時代末期に渡来】

 キク科ムギワラギク属。原産地はオーストラリアで、本来は多年草だが、寒さに弱いため日本では園芸上1年草として扱われる。黄や赤、紅、オレンジ、白など色鮮やかな花色で、秋蒔きの場合は翌年の5~6月頃、春蒔きでは7~9月頃に咲く。高さが60~100cmになる花壇向きの高性種と、鉢植えやプランター向きの高さ30~40cmの矮性種がある。

 学名は「ヘリクリサム・ブラクテアツム」。属名から「ヘリクリサム」と呼ばれることも多い。ヘリクリサムの語源は「太陽」と「黄金」から。種小名ブラクテアツムは「苞葉のある」を意味する。その種小名が示すように、花弁のように見える総苞片が幾重にも重なって中央の小花を囲み込む。花径は3~6cm。総苞はガラス質の珪酸を含むため硬くて光沢があり、触れるとカサカサとした独特の質感を持つ。

 ムギワラギクの名前も麦藁細工のような花の質感から名付けられた。「テイオウカイザイク(帝王貝細工)」という別名もある。ただ同じオーストラリア原産のキク科植物に「カイザイク」があるので少々紛らわしい。1属1種で、この花も2枚貝の内側のような金属的な光沢がある。ムギワラギクは花色が長く褪せないため、ドライフラワーとしても人気が高い。英名では「Everlasting Flower(永遠の花)」と呼ばれているそうだ。仲間にハナカンザシ(花簪)やペーパーデージー、シルバーキャンドルなどがある。

 ムギワラギクが日本に渡ってきたのは江戸時代の末期といわれる。磯野直秀氏作成の『明治前園芸植物渡来年表』によると、1860年(万延元年)に江戸幕府が日米修好通商条約の批准書交換のため派遣した遣米使節が、ネモフィラやラベンダー、スイートピー、パンジー、ペチュニアなどの種子とともに持ち帰ってきたそうだ。

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<クサノオウ(草の王、瘡の王)> ケシ科の鮮やかな4弁花

2018年06月07日 | 花の四季

【毒草・薬草、タムシグサ、イボクサなどの別称も】

 ケシ科クサノオウ属の越年草で、全国各地の日当たりのいい道端や土手、草地などに生える。5~7月頃、直立した高さ30~60cmの茎の先に、径4cm前後の鮮やかな黄色の4弁花を付ける。茎は中空で、葉は羽状に深く裂ける。同じケシ科のヤマブキソウの花によく似るが、こちらは5弁花で樹林下などの半日陰を好む。

 全草にケリドリンなどのアルカロイド成分を含む毒草だが、鎮痛作用や知覚神経を麻痺させる作用があり、古くから薬草として利用されてきた。かつては痛み止めとしてアヘンの代わりに使われたこともある。漢方名は「白屈菜(はっくつさい)」。貝原益軒は主著『大和本草』(1709年)の「白屈菜クサノワウ」の項で「茎葉を折れば黄汁いづ 味苦し 今俗に草の王と云 よく瘡腫を消す その葉をもみてつくる 妙薬也」と記す。

 クサノオウの名前の由来にはこの中にある「草の王」のほか「瘡(くさ)の王」「草の黄」など諸説ある。それぞれ薬草の王様、瘡(皮膚病)によく効く薬草、黄色い乳液を出す草から。古くから皮膚病を治す薬草としてよく用いられたことを示すように、クサノオウには「田虫草(たむしぐさ)」「疣草(いぼくさ)」「皮癬草(ひぜんぐさ)」など皮膚疾患に因む別称や方言が多い。

 かつては胃がんの治療薬として用いられたこともあった。『金色夜叉』で有名な明治の文豪、尾崎紅葉(1868~1903)は晩年、胃がんを患って苦しんだ。そのとき門下生たちが薬効があると信じられていたクサノオウを求め手分けして探し回ったという。泉鏡花はその顛末を随筆『白屈菜記』(1903年)に書き記している。

 クサノオウは種子をアリに運ばせて分布域を広げる〝アリ散布植物〟としても知られる。種子にはアリが好む「エライオソーム(種枕=しゅちん)」と呼ばれる白いゼリー状の脂肪塊が付着しており、アリは巣に持ち帰ってこれを食べ、種子本体は巣の近くに捨てられる。国内ではアリ散布植物が他にスミレ、カタクリ、ニリンソウ、フクジュソウ、ヤマブキソウ、ツリフネソウなど200種ほど確認されている。

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<徳川園> 尾張徳川家邸宅跡に池泉回遊式庭園

2018年06月06日 | 旅・想い出写真館

【2004年に開園、江戸下屋敷跡から出土の滝も再現】

 「徳川園」は名古屋城本丸の東約3キロに位置する池泉回遊式の日本庭園。元々は尾張藩第2代藩主徳川光友(1625~1700)が1695年(元禄8年)に隠居所として造営した大曽根下屋敷の跡地で、1931年に名古屋市が尾張徳川家から邸宅と庭園の寄付を受けた。戦時の空襲で表門を残して焼失してしまい、戦後は葵公園(一般の都市公園)として市民に開放していたが、これを日本庭園として再整備し14年前の2004年に徳川園として再オープンした。

 庭園の中心的存在は地下水を水源とする広大な「龍仙湖」。その南側から東側にかけて、鯉が滝を登って龍になるという登竜門伝説に基づく「龍門の瀧」、新緑のもみじの木々が渓谷を覆う「虎の尾」、落差6mの三段の滝「大曽根の瀧」、中国杭州の西湖の湖面を直線的に分ける堤防を縮景したという「西湖堤」、花菖蒲がちょうど見頃の「菖蒲田」などがある。「龍仙湖」の西側には2代藩主光友の諡号(しごう)瑞龍院から名付けられた茶室「瑞龍亭」が佇む。

 

 「龍門の瀧」は東京・新宿の尾張家江戸下屋敷跡から出土した大規模な滝の石組みの遺構を元に徳川園で再現したもの。遺構は1998年に現在の早稲田大学戸山キャンパス内で見つかった。出土した石材は伊豆石と呼ばれる安山岩で、総数360個、総重量250トンに上る。江戸城築城の余り石と推定されているそうだ。これらの石材を名古屋市が同大学から譲り受け江戸下屋敷の庭園にあった滝を蘇らせた。

 

 2代藩主光友を巡っては花菖蒲を愛し、江戸屋敷に菖蒲園を造って観賞したという記録も残っている。花菖蒲は大きく分け江戸系、肥後系、伊勢系に分類されるが、そのうち江戸系は光友が各地の野生の花菖蒲を栽培し交配させたのが始まりともいわれる。徳川園の菖蒲田にはその江戸系を中心に約1700株が植えられており、来園者たちが咲き誇る色とりどりの花をカメラに収めていた。

 

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<筒井町・出来町天王祭> 「徳川園山車揃え」計5両が一堂に

2018年06月05日 | 祭り

【からくりの妙技と山車の〝どんでん〟に大歓声】

 名古屋市東区で6月2~3日「筒井町天王祭」と「出来町天王祭」が行われ、町民の無病息災や家内安全を願って重厚な山車が曳き回された。両天王祭はそれぞれの町内をエリアとする別々のお祭りだが、日曜日の3日には徳川美術館前の広場で「徳川園山車揃え」があり、筒井町の山車2両と出来町の山車3両の計5両が一堂に会して、からくり人形の妙技を披露した。

 両天王祭は名古屋市内の夏祭りの先駆けとして長い伝統を持つ。山車5両はいわゆる名古屋型と呼ばれる構造。高さ6m前後の二層式で、本体の外側に付く車輪は輪懸けという枠で覆われる。5両のうち古出来町の「王義之車(おうぎししゃ)」を除く4両は江戸時代の建造で、とりわけ筒井町の「湯取車(ゆとりぐるま)」は名古屋市内に現存する山車の中で最も古い1658年(万治元年)の製作といわれる。「王義之車」も江戸中期の1740年代に造られたが、戦災で焼失したため戦後に再建された。

 

 両町5両の山車揃えは尾張徳川家の別邸跡に整備された庭園「徳川園」の再開園を機に2006年から始まった。会場は同庭園と徳川美術館、尾張徳川家伝来の書籍類を収蔵・公開する逢佐(ほうさ)文庫に囲まれた広場で、3日午前11時すぎ、法被姿の子どもたちに曳かれて1両ずつ入ってきた。全5両が勢揃いしたところで、新出来町の「鹿子神車(かしかじんしゃ)」を皮切りに1両ずつ自慢のからくり演舞を披露した。

 

 各山車の上段には山車の進行を鼓舞する〝采振り〟も含め4体のからくり人形が乗る。湯取車のからくりは安倍晴明の前で巫女が行う湯取り神事を再現したもの。巫女が窯の中をかき回した途端ぱっと白い紙吹雪が舞うと、見上げていた観客から大きな歓声と拍手が沸き起こった。各山車はからくりが終わると、次の山車へ場所を譲るため後輪を持ち上げぐるっと180度方向転換して退く。いわゆる〝どんでん〟と呼ばれるもので、中には頑張って1回転半する山車もあった。

 

 日が落ちると、各山車には百数十個の提灯が飾られろうそくに灯が入った。その夜の曳行もなかなか幻想的だが、山車同士の〝出合い〟の場面はとてもロマンチックで感動的だった。筒井町天王祭では建中寺公園前で夜の装いを整えた「神皇車」がお囃子に乗って筒井町商店街を東へ。約30分後、東側で待機していた「湯取車」と対面した。しばらくして「神皇車」は方向転換し「湯取車」を従えるようにして再び建中寺公園前に向かった。まるで年に1度出会う七夕の織姫と彦星。2両は「筒井天王社 氏子中」と書かれた大きな幟の間に仲良く並んでからくりを披露した。

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