く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<チユウキンレン(地湧金蓮)> 地から湧き出たハスのような黄金の花

2017年06月30日 | 花の四季

【バナナの近縁種、中国・雲南省の山岳地帯などに自生】

 中国南部の雲南省からインドシナ半島の標高2000m前後の山岳地帯に分布するバショウ科の多年草。和名は中国名「地湧金蓮」の音読みで、文字通り地面から湧き出るように黄金色のハスに似た花を付ける。直径は30cmほど。ただ花弁のように大きく開いているのは苞葉(ほうよう)。本当の花は苞の付け根にたくさん付いたもので、小さくてあまり目立たない。花期は長く春から秋まで咲き続ける。花が終わるたびに新しい苞が開いて、また次の花が出てくる。

 学名は「ムセラ・ラシオカルパ」。バナナによく似た大きな葉を付け、英名では「チャイニーズ・イエローバナナ」と呼ばれる。同じバショウ科の近縁種だが、分類上はバナナやバショウがムサ属(バショウ属)、チユウキンレンはムセラ属と異なる。ムサ属が2~5mの高さになるのに対し、チユウキンレンは0.5~1mと低い。属名ムセラも「小型のムサ」を意味する。花序もバナナが垂れ下がるのに対し、チユウキンレンは直立する。

 中国では花が止血薬に用いられ、葉柄部分は食用にもされるという。1999年に中国で開かれた「昆明世界園芸博覧会」で目玉植物の一つとして出品されて注目を集めた。日本にはその翌年2000年の「ジャパンフローラ2000(淡路花博)」のときに初めてやって来たといわれる。その後、静岡県で開かれた「パシフィックフローラ2004(浜名湖花博)」でも展示されて、その特異な花姿から人気を集めた。

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<ふるさとミュージアム山城> 企画展「京都茶器物語~喫茶の考古学」

2017年06月26日 | 考古・歴史

【桃山茶陶から幕末・明治の蓮月焼や鹿背山焼まで】

 京都府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城、木津川市山城町)で、企画展「京都茶器物語~喫茶の考古学」が開かれている。お茶を楽しむ喫茶の風習は中国・唐から平安時代初期に日本に伝わった。当初は宮中や寺院などに限られ、広く一般に広まったのは14世紀中頃以降といわれる。企画展では出土品を中心に桃山茶陶から江戸末期~明治の蓮月焼・鹿背山焼(かせやまやき)まで展示し、茶器の移り変わりを詳しく紹介している。7月9日まで。

 

 桃山時代作の「珍皇寺参詣曼荼羅」には門前に一服一銭で茶を商う小屋が立ち並ぶ様子が描かれている。法師が風炉にかけた釜で湯を沸かして茶を点てたり、参詣客が腰掛けて一息入れる様子なども見える(上の写真㊧)。国宝「東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)」にも15世紀初頭に東寺の門前で参詣客相手に茶を売っていたことが記されているという。(上の写真㊨は山科本願寺跡から出土した16世紀後半の瓦質土器風炉)

 

 茶器は時代とともに変遷する。当初は中国製の青磁や白磁だったとみられるが、13世紀末には中国製に瀬戸美濃天目碗が加わった。16世紀になると高麗茶碗や備前・瀬戸など和物が本格的に使われるようになり、千利休によって〝わび茶〟が確立されると利休好みの楽焼や軟質施釉陶器(後の京焼)が生み出された。17世紀前半には利休の弟子、古田織部による形がいびつな〝沓(くつ)茶碗〟など斬新な器が流行した。その後、小堀遠州による〝綺麗さび〟で再び唐物が注目を集める一方で、各地に国焼(くにやき)の窯が開かれ和物も多様化していった。(上の写真は㊧古田織部邸跡出土の織部角皿など、㊨茶屋四郎次郎邸跡出土の黄瀬戸半筒碗など。下の写真は㊧寺町旧域・法成寺跡出土の18世紀の京焼茶道具一式、㊨公家町出土の18世紀後半の施釉陶器土瓶

 

 京都市内ではこれまでに古田織部の京屋敷跡や、江戸前期の豪商茶屋四郎次郎、後藤庄三郎の屋敷跡などから、日常雑器とともに大量の茶器が出土している。織部邸の堀やゴミ捨て穴からは瀬戸美濃や織部、ねずみ志野、唐津、高取のほか中国、ベトナム産の茶器も見つかった。企画展ではこれらの出土品に加え、野々村仁清が色絵陶器を大成した京焼や、仁清の弟子尾形乾山が開いた乾山焼、幕末の女流歌人・太田垣蓮月の作品なども展示中。蓮月焼はロクロを使わずに作られ、自詠の歌が釘などで彫り付けられているのが特徴。19世紀中頃に現在の木津川市で焼かれた鹿背山焼も展示している。鹿背山焼は今年4月に市が所蔵する249点が市の文化財に指定されたばかり。(写真㊧は京大構内遺跡出土の19世紀中頃の蓮月焼、㊨元本能寺南町出土の明治時代の京焼色絵紅茶茶碗)

  

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<トビシマカンゾウ(飛島萱草)> ゼンテイカ(ニッコウキスゲ)の大型変種

2017年06月25日 | 花の四季

【新潟県の佐渡と山形県の飛島・酒田海岸にだけ分布】

 ユリ科ワスレグサ属(ヘメロカリス属)の海岸近くに生える多年草。ニッコウキスゲと呼ばれることが多いゼンテイカ(禅庭花)の島嶼(とうしょ)型の大型変種といわれる。山形県酒田市の北西に浮かぶ小さな飛島で最初に発見されたことから「トビシマ」を冠する名前が付いた。トビシマカンゾウはこの飛島と酒田海岸、それに新潟県の佐渡島にだけ分布する。

 5~6月頃、高さ1~1.5mほどの花茎の先に鮮やかな黄橙色の6弁花を十数輪付ける。花は朝開き夕方に閉じる一日花だが、次々に開花するため花期は比較的長い。真夏の高原を黄色く染めるニッコウキスゲに比べると、草丈が高い、花の時期が早い、1本の花茎に付く花数が多いといった特徴がある。学名は「ヘメロカリス・デュモルティエ・変種エクサルタタ」。属名はギリシャ語の「一日」と「美」から、種小名はベルギーの植物学者の名前に因み、変種名は「非常に背が高い」を意味する。

 トビシマカンゾウは酒田市の「市の花」に制定されている。佐渡には海岸のトビシマカンゾウに加え、内陸の野山に八重咲きのヤブカンゾウが自生することもあって、佐渡市は単にカンゾウとして「市の花」にしている。国内最大の群生地は佐渡の北端にある大野亀(海に突き出した標高167mの大岩塊)。毎年6月第2日曜日に「佐渡カンゾウ祭り」が開かれており、今年(6月11日)で40回目を迎えた。トビシマカンゾウは佐渡で「ヨーラメ」と呼ばれる。「ヨー(魚)」と「ハラミ(孕み)」の略語。この花が咲く頃に卵を孕んだタイなどの魚が磯にやって来るという。トビシマカンゾウはいわば〝漁告げ花〟というわけだ。(写真は京都市在住のT・Nさんの提供。佐渡・大野亀で撮影)

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<奈文研藤原宮跡資料室> 速報展「弥生時代の脚付き編みかご」

2017年06月24日 | 考古・歴史

【謎の〝四方転びの箱〟はかごの脚だった! 箱の用途が判明】

 奈良県橿原市城殿町にある瀬田遺跡の円形周溝墓の周溝から弥生時代末期の「脚付き編みかご」が出土した。底に付けられた脚部分はこれまで〝四方転びの箱〟と呼ばれてきた台形の木製品。平城宮など各地の遺跡から同様の箱が単独で約50例見つかっていたが、その用途が不明だった。今回編みかごに留められたままの状態で見つかった結果、謎の箱がかごの脚だったことが初めて判明した。その調査結果の速報展が奈良文化財研究所藤原宮跡資料室(橿原市木之本町)で23日から始まった。

  

 瀬田遺跡は縄文時代から平安時代の複合遺跡。編みかごは一緒に出土した土器から弥生時代後期末(2世紀後半)から終末期(3世紀前半)のものと分かった。かごの直径は約30cmで、脚部分は台形状の四面の側板が斜めに立ち上がってかごを支える構造。側板は上辺9cm、下辺11cm、高さ2.5cmで、両端に小さな穴が2つずつあり、そこに紐を通して組み立てられていた。〝四方転びの箱〟はその用途がはっきりせず、これまで魚を捕るための箱めがねなど様々な推測が行われていた。(下の写真㊨はかごの復原イメージ)

 

 このかごには4種類の植物が使われていたことも分かった。縦材と横材にはヒゴ状にしたタケ類の稈(かん、茎)、上部の親骨はヒサカキの枝、脚の側板はツブラジイの柾目材、親骨の巻き付け材と脚の留め紐はツヅラフジの蔓。当時の人々が植物の特性をよく熟知し、部位に応じて使い分けていたことを示す。編み方も底部が網代編み、体部(側面)の上部がござ目編みなど部位によって変えていた。かごは食料の運搬・貯蔵に使われたと考えられている。

 この編みかごが出土し〝四方転びの箱〟が付いていると分かった瞬間、研究員の間から歓喜の声が沸き起こったという。整理作業は壊れないように細い毛先の面相筆で慎重に行われた。実物が脆いため速報展には出品されていないが、その代わりにポスターの中で実物大のカラー写真を紹介している。その編み目の緻密なこと。古代人の丁寧な手仕事ぶりが目に浮かぶようだ。完形のかごで最も古い国内の出土品は九州の有明海に面した佐賀県東名(ひがしみょう)遺跡から見つかったもの。約8000年前の縄文時代早期に当たるが、既に部位ごとに異なった植物や技法が使われていたことが分かっている。

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<マツバギク(松葉菊)> 葉が松葉のように細くて花がキクのようだから

2017年06月23日 | 花の四季

【原産地は南アフリカ、ハマミズナ科の多肉植物】

 南アフリカ・ケープ地方原産の多年草。日本に最初に渡ってきたのは明治の初めといわれる。葉が松葉のように細長くキクのような花を咲かせることから、その名が付けられた。ただキクの仲間ではなくてハマミズナ科(ツルナ科とも)の植物。名前がよく似たマツバボタン(松葉牡丹)も全く別のスベリヒユ科。マツバボタンに比べると、マツバギクは多肉植物で葉が肉厚という特徴がある。

 根元から茎がよく分枝し地面を這うように広がることから、グランドカバーやロックガーデンなどに使われることが多い。日本でマツバギクと呼ばれるものには大きく分けて2つの種類がある。ランプランサス属のものとデロスペルマ属のもの。いずれも南アフリカ原産で、見た目もそっくり。花期はランプランサス系が4~5月、デロスペルマ系が6~10月。ちなみにランプランサスの語源はギリシャ語で「輝く」と「花」、デロスペルマは「明白な」と「種」の合成語から成っている。

 花色は赤、紫、黄、白、オレンジなど豊富。最もよく見かけるのは「デロスペルマ・クーペリ」と呼ばれる系統で、寒さに強いことから〝耐寒マツバギク〟と呼ばれ「ハナランザン(花嵐山)」「レイコウ(麗晃)」といった名前で出回っている。主な花色は光沢のある赤紫色で、初夏を中心に秋まで断続的に花を付ける。マツバギクは日が昇ると花が開き夕方には閉じる。雨天や曇天のときは閉じたまま。チューリップの花の開閉は光と関係なく温度に左右されるそうだが、マツバギクに関しては「温度に反応しているのか、光の量のみが関係しているのかは現時点ではわからない」(日本植物生理学会のHP「みんなのひろば」)そうだ。「化粧地蔵撮るには屈む松葉菊」(伊丹三樹彦)

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<ムジークフェストなら⑤> 「堤剛&萩原麻未 デュオ・リサイタル」

2017年06月21日 | 音楽

【年の差44歳! チェロ界の重鎮と注目の女性ピアニストの協演】

 国際的なチェリストの堤剛と若手女性ピアニスト萩原麻未という魅力的な取り合わせのコンサートが20日、奈良市西大寺の秋篠音楽堂で開かれた。堤74歳、萩原30歳。年の差44歳のデュオ・リサイタルだ。堤は名実ともに日本を代表するチェリストで、2013年まで9年間、桐朋学園大学の学長を務めた。現在は演奏活動の傍ら、霧島国際音楽祭音楽監督やサントリーホール館長なども務める。一方、萩原は2010年のジュネーブ国際コンクールピアノ部門で優勝し一躍注目を集めた。コンサートは堤の円熟味あふれる演奏と萩原の溌剌とした演奏が融合し、チェロとピアノの二重奏の醍醐味を満喫させてくれるものだった。

      

 プログラムは前半がベートーヴェンの「モーツァルトの『魔笛』の〝娘か女か〟の主題による12の変奏曲」、モーツァルトの「幻想曲二短調」、セザール・フランクの「チェロ・ソナタ」。15分の休憩を挟んで、後半は三善晃作曲の「母と子のための音楽」5曲とリヒャルト・シュトラウスの「チェロ・ソナタ」。ピアノソロの「幻想曲二短調」以外はいずれも二重奏だった。

 フランク「チェロ・ソナタ」は元々バイオリン・ソナタが原曲。フランクはベルギー出身で19世紀にフランスで活躍した。バイオリン・ソナタの傑作といわれるこの曲はチェロのほかフルート・ソナタなどとして演奏されることも多い。堤は身も心もチェロに委ねるように、時に目を閉じ時に体を大きく揺らしながらビロードのような艶やかな音色を紡ぎだした。萩原もそれに呼応するように繊細かつ大胆に卓越したテクニックで鍵盤を操った。とりわけ第4楽章のフィナーレの息の合った演奏は感動的だった。

 萩原がジュネーブで優勝したのは23歳の時。コンサートのファイナルではスイス・ロマンド管弦楽団をバックにラヴェルの「ピアノ協奏曲」を演奏した。その時の演奏と授賞式の模様を繰り返しユーチューブで見たのが懐かしい。当時の新聞には萩原が現地から広島の母親に「信じられない。私が1位でいいのかなあ」と電話で話したことなどが詳しく紹介されていた。その後、1位の名に恥じないよう研鑽を積み数多くの演奏会をこなしてきたためだろう、萩原の演奏は自信に満ち溢れていた。演奏後、聴衆に向かって深々とお辞儀する姿も印象的だった。

 アンコール曲は2曲。最初にラヴェルの「ハバネラ形式の小品」、次いでラフマニノフの「ヴォカリーズ」。この「ヴォカリーズ」は甘美なメロディーが愛され、映画「プラトーン」で使われるなど聴く機会も多いが、堤がチェロで奏でる「ヴォカリーズ」は深みのある音色と旋律がマッチして、より味わい深いものになった。

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<ムジークフェストなら④> 春日野園地で沖縄音楽一色の2日間

2017年06月19日 | 音楽

【りんけんバンド、鳩間ファミリー、よなは徹、大城美佐子……】

 奈良市の奈良公園春日野園地で17~18日の2日間にわたって「沖縄の音楽と芸能」の野外ライブが開かれた。今年で6年目の「ムジークフェストなら」の人気イベントの一つ。今回も沖縄を代表する歌手やグループが登場するとあって、大勢の観客が広大な芝生広場を埋め尽くした。初日が「エイサーDAY」、そして2日目は「三線DAY」。両日とも公演は4時間半前後に及び、出演者と会場が一体となって手踊りカチャーシーなどで盛り上がった。(写真右奥は東大寺大仏殿)

 初日のライブは昨年同様「琉球國祭り太鼓」奈良支部の勇壮なエイサーで始まった。続いてロックバンド「ジャアバーボンズ」が『猫マヤー』『勝利の歌』などを力強く演奏した。メンバーは全員沖縄出身だが、メジャーデビューを機に今は拠点を高知県に移して活動する。「ニャンニャン」と猫の仕草を真似た『猫マヤー』の振付が愉快だった。夢は「紅白出場」とのこと。この後、ボーカルデュオ「D-51」、照屋政雄などが登場し、とりを務めたのは昨年に続いて「りんけんバンド」だった。ただ後半はバイオリニスト千住真理子の公演時間と重なり、「りんけんバンド」上原知子のボーカルを聴けなかったのが残念だった。

  

 2日目は琉球民謡の「登川流研究保存会 宮里政則民謡研究所」の演奏からスタート。次に「鳩間ファミリー」が舞台に上がった。鳩間島出身の鳩間隆志や娘の可奈子を中心とする4人家族のユニット。鳩間島は八重山諸島の小さな離島だが、毎年5月3日に開かれる音楽祭で知られる。今年で20回目。音楽祭を始めた加治工勇が作った歌に『鳩間の港』がある。島を離れる人たちを見送る時にタオルなどを振りながら歌われる。この日も一部の観客が歌に合わせてタオルやハンカチを振っていた(上の写真㊧)。鳩間可奈子の伸びやかな高音が印象的だった。

 

 続いて登場したのは「よなは徹バンド」や「大城美佐子&堀内加奈子」。よなは徹は琉球古典芸能の実力派で、卓越した腕前といわれる三線を手に、よく通る張りのある歌声を披露した。関西でバンドを組んで演奏したのはこれが初めてという。大城美佐子は沖縄民謡界の大御所的存在。芸歴は60年に及び、80歳を超えてなお現役の唄者として活躍している。この日は教え子の堀内加奈子と協演した。

 とりを務めたのは「宮沢和史with大城クラウディア」。宮沢は元「THE BOOM」のボーカリストで、昨年はトーク特別ゲストとして出演したが、今年は大城クラウディア(アルゼンチン生まれの沖縄系二世)を伴って代表曲『島唄』などを演奏した。フィナーレは観客も全員総立ちで『豊年音頭』などに合わせカチャーシーを踊った。会場の一角には沖縄料理などの販売テントも設けられ、耳と舌で沖縄を堪能する2日間だった。例年この沖縄ライブが終わるとまもなく6月23日を迎える。「沖縄慰霊の日」。県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦が事実上終結した日で、この日は学校なども休みになり正午に1分間黙祷が捧げられる。

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<ムジークフェストなら③> 千住真理子、ヴィヴァルディ「四季」渾身の名演!

2017年06月18日 | 音楽

【テレマン室内オーケストラと協演、映像作品「奈良の四季」も】

 バイオリニスト千住真理子と映像作家保山(ほざん)耕一による「音楽と映像で巡る奈良の四季」と題する演奏会が17日、奈良県文化会館(奈良市)で開かれた。第1部は千住が延原武春指揮のテレマン室内オーケストラとの協演でヴィヴァルディ『四季』を演奏。第2部では千住と同オーケストラの演奏に乗せて、保山耕一が奈良の四季を撮った映像作品などが上映された。千住の渾身の名演奏と映像の美しさに、会場からは万雷の拍手が送られた。

     

 第1部では演奏に先駆け延原が『四季』について「最高の描写音楽」「春夏秋冬は全て違う調性」など、特徴的なサワリを聴かせながら解説した。続いて『四季』の演奏が始まった。千住の愛器は約300年前にイタリアで作られたストラディバリウス「デュランティ」。そのふくよかな艶のある音色が会場の空気を終始支配した。時に温かく包み込むように、時に激しくすさまじく。オーケストラとの息もぴったりだった。『四季』が単なる合奏曲ではなくて独奏バイオリンを主体とするバイオリン協奏曲だったことを改めて思い起こさせる名演奏だった。

 第2部が始まる前に千住が司会者のインタビューの中でこう話した。「ストラディバリウスを弾きこなすには体力を使う。この楽器に似合う体づくりに取り組んだ結果、すごく筋肉がつきストラディバリ仕様の体になりました」。そう言いながら左手を上げ観客に力こぶを見せていた。そう言えば、かつては細身の印象が強かったが、今ではかなりがっしりした体躯。舞台の袖で千住の演奏を聴いていた保山も「男は背中で勝負するというけど、バイオリニストも背中で勝負するんですね」と話していた。

 映像作家の保山は2013年に末期の直腸がんと宣告された。それ以降「好きな奈良の風景に別れを告げよう」と奈良の美しい風景の撮影に取り組む。そのライフワークのテーマは「奈良には365の季節がある」。千住の次兄で作曲家の千住明とは10年ほど前、奈良の旅番組で一緒に仕事をしたことがあるという。今回は「うれしいご縁」(保山)で妹の千住真理子とのコラボが実現した。6年目の「ムジークフェストなら」でも音楽と映像のコラボは今回が初めて。

 1年間にわたって奈良県内各地の四季の輝きを撮影した作品は千住明作曲『ヴァイオリンとストリングオーケストラの為の「四季」』の演奏に乗せて上映された。桜と東大寺、吉野の桜、夕陽が沈む二上山、優しく微笑む室生寺の観音様……。どの映像もまさに〝美の極致〟。千住真理子は「動く絵画のよう」と形容していた。続いて奥大和の桜を「1カ月間1日も休まずに追い続けた」という作品も披露された。その演奏曲も千住明が作曲したNHK大河ドラマ『風林火山~大河流々~』。2つの映像作品には自然が放つ命のきらめきへの保山自身の優しいまなざしがあふれていた。

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<イソトマ> 涼しげな青紫やピンクの星形の花が風に揺れて

2017年06月17日 | 花の四季

【オーストラリア原産、旧属名から「ローレンティア」の別名も】

 キキョウ科イソトマ属。この属の植物は中南米やオーストラリア、地中海沿岸地方などに25種類ほど分布しているという。ただ栽培されている主なものはオーストラリア、ニュージーランド原産の「アクシラリス」「フルヴィアティリス」「ペトラエア」などで、単にイソトマというときは中でも「アクシラリス」の園芸品種を指すことが多い。本来は多年草だが、寒さにやや弱いことから日本では通常、春蒔き1年草として扱われる。

 花期は5月~11月と長い(真夏はいったん開花が鈍る)。草丈は30~40cmほどで、ギザギザの細長い葉がこんもりと茂って、茎の先に星形の筒状花を1つずつ付ける。花径は3~4cm。花色には薄い青紫や白、ピンクがある。イソトマの語源は「等しい切片(分割)」を意味するギリシャ語から。花弁が同じ大きさで5つに裂ける様子に因む。旧属名から「ローレンティア」とも呼ばれる。日本への渡来は1963年(昭和38年)に京都府立植物園に入ってきたのが最初といわれる。

 イソトマは全草有毒。5年前の2012年7月、兵庫県宝塚市内の小学校で花壇の手入れをしていた児童7人が目の痛みを訴え病院に搬送された。市教育委員会はイソトマの切り口から出た白い汁が目に入ったためと判断、イソトマに近づかないように指示を出し、その後、イソトマを除去したそうだ。イソトマを扱うときには手袋や手洗いが欠かせない。近縁でよく似た草花に「ヒッポブロマ・ロンギフローラ」(別名イソトマ・ロンギフローラ)がある。「ホシアザミ(星薊)」の和名を持つが、これも汁に触れると炎症を起こす。『園芸植物大事典』(小学館刊)には「猛毒であり、できれば栽培しないほうがよいとされている」と記されている。

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<ムジークフェストなら②> 大淀町で「第6回大和の国芸能まつり」

2017年06月12日 | 祭り

【11団体が結集~祭文踊りや阪本踊りから能楽、和太鼓まで】

 奈良県大淀町の文化会館あらかしホールで11日「第6回大和の国芸能まつり」が開かれた。「ムジークフェストなら」の連携コンサートの一つ。今年は県内各地から11団体が参加した。うち3団体は吉野町祭文踊り保存会、大塔町阪本踊り実行委員会(五條市)、菟田野(うたの)祭文音頭保存会(宇陀市)で、会場は一足早く真夏の盆踊りの季節が到来したかのような熱い盛り上がりを見せた。

 吉野町の祭文踊りは古くから吉野地方に伝わる郷土芸能。だが、過疎化と高齢化の中で衰退気味だったため、地元の有志が1998年に保存会を立ち上げた。以来、吉野まつりや各地の盆踊りに毎年参加している。県の無形民俗文化財に指定されていた大塔町の阪本踊りは諸事情で休止状態だったが、4年前に実行委員会が結成され再び蘇った。阪本踊りには全部で23曲あるそうだが、この日はその中から「開き」「かわさき」「政吉踊り」「なんちき」の4曲を披露した(下の写真㊧)。菟田野の祭文音頭保存会が発表したのは「祭文音頭」と「金魚踊り」の2曲(同㊨)。踊り手が舞台の下や会場の階段まで広がって、観客も手拍子で応えた。

   

 地元大淀町の「ちびっ子桧垣本座(ひがいもとざ)」への声援も大きかった。同町にはかつて能楽の囃子のルーツともいわれる〝桧垣本猿楽〟があったといわれる。能楽が世界無形文化遺産になったのは2001年。ちびっ子桧垣本座はその翌年、小鼓方大倉流宗家大倉源次郎氏の監修と能楽協会大阪支部の協力を受けて創設された。当初の座員は小学生だけだったが、今では保育所・幼稚園の園児から高校生までに広がった。この日の演目は連吟「吉野天人」や舞囃子の「老松」「岩船」など。舞が終わるたびに観客から惜しみない拍手が送られた。

 

 参加が最も多かったのは和太鼓のグループで、「直央流鼓響大淀太鼓教室」(下の写真㊧)や「奈楽DEN(ならでん)」(同㊨)、「和太鼓龍王」「楽鼓(らっこ)の会 なら楽鼓」などが息の合った豪快な演奏を披露した。フィナーレは司会を務めた太鼓打(たいこうち)源五郎さんの音頭による「伊勢道中唄」。奈良県東部に位置する御杖村に伝わる祝い歌で、地元桃俣春日神社の祭礼や婚礼などお目出度い席で歌い継がれてきたという。観客も手拍子や「ハヨーイヨーイ」と合いの手を入れていた。 

 


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<ムジークフェストなら①> 能舞台で「びわ湖ホール4大テノール」コンサート

2017年06月11日 | 音楽

【春日野園地では「あおぞら吹奏楽」人気マーチングバンドなど出演】

 音楽の祭典「ムジークフェストなら」が10日開幕した。「音楽で奈良を元気に」を合言葉に2012年にスタートして今年で6年目。25日までの16日間、奈良市を中心に県内全域はクラシックやジャズ、ポップス、邦楽、沖縄エイサーなど多彩な音楽一色で彩られる。初日には奈良春日野国際フォーラム甍(いらか)の能楽ホールでびわ湖ホール4大テノールによる「オープニング・ガラ・コンサート」が開かれた。若草山を間近に望む春日野園地では県内の吹奏楽部などによる「あおぞら吹奏楽」が高らかに鳴り響き、近鉄奈良駅などでの「駅前ウェルカムコンサート」も始まった。

 開幕コンサートに出演したびわ湖ホール4大テノールは滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールに所属する4人のテノールで2010年に結成された。いずれもオペラのソリストとして活躍する実力者ぞろい。最近は愛知や徳島など近畿圏を飛び出して活動範囲を広げ、テレビやラジオなどへの出演機会も増えてきた。さらに今年1月にはバドミントンのタカマツペア(高橋礼華・松友美佐紀組)、リオ五輪400mリレー銀メダルチームとともに「関西元気文化圏賞 ニューパワー賞」を受賞。来年3月には東京単独公演も決まっている。

 注目度が高まる中で開かれたこの日のコンサートも満席の盛況だった。前半のオープニング曲は「琵琶湖周航の歌」。続いて「荒城の月」「からたちの花」「平城山」「イヨマンテの夜」「帰ろかな」など日本の歌曲や歌謡曲など7曲を4人全員またはソロで披露した。後半は「オペラの魅力」と題して4人それぞれが得意とするオペラのアリアから始まった。竹内直紀はプッチーニ「蝶々夫人」より「さらば愛の家よ」、二塚直紀はレオンカヴァッロ「道化師」より「衣裳をつけろ」、清水徹太郎はヴェルディ「リゴレット」より「女心の歌」、そして山本康寛はドニゼッティ「連隊の娘」より「ああ、今日はなんと楽しい日」。山本の軽やかな高音の響きが印象的だった。

 オペラの後はこのユニットの名物コーナー「テノールdeコント」。この日は「就学旅行は大変だ!の巻」と題し、リーダーの竹内が先生役を務め、生徒役の3人は学ランやセーラー服姿で登場した。修学旅行で奈良にやって来たとの設定で、生徒たちは鹿のぬいぐるみを持ったり、鹿のふんをまねたチョコ豆を口にしたり。愉快なパフォーマンスを交えながら「大仏なら…」「奈良の春日野」「巣立ちの歌」の3曲を歌った。「私たちはオペラ歌手です。芸人ではありません」。竹内のそんな軽妙なトークもあって、会場は終始笑いに包まれた。続いて「イタリアン・カンツォーネ・メドレー」。4人で「サンタ・ルチア」「カタリ・カタリ」など4曲を熱唱し、「フニクリフニクラ」では替え歌「鬼のパンツ」も愉快な振付付きで披露した。アンコールも4曲と大サービス。ここでもプッチーニ「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」で荒川静香さん(トリノ五輪フィギュアスケートメダル)を真似てイナバウアーをやるなどして、会場は最後まで笑いが絶えなかった。

  

 春日野園地での「あおぞら吹奏楽」には奈良市や生駒市などの中学校合同バンドのほか、日本を代表する人気マーチングバンドの京都橘高校吹奏楽部も登場し、見事な演奏のたびに広大な芝生広場を埋め尽くした観客から大きな拍手が沸き起こった。近鉄奈良駅前の行基広場ではこの日「さうりる4Trombones(トロンボーンズ)」など3グループが演奏した。この広場では最終日の25日まで連日ジャズグループなどが交代で登場する。駅前コンサートはJR奈良駅や近鉄大和八木駅前でも開かれる。会期中に県内の社寺や美術館、ホールなどで開かれるコンサートは実行委員会主催分だけで71回に上り、市町村などとの連携コンサートも64回予定されている。加えてカフェやレストランなどでも〝まちなかコンサート〟が連日繰り広げられる。

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<シロタエギク(白妙菊)> 美しいシルバーリーフに映える鮮やかな黄花

2017年06月09日 | 花の四季

【よく似た別属の2種も同名の「シロタエギク」として流通!】

 地中海沿岸地方原産のキク科セネキオ属(キオン属)の常緑性多年草。白い繊毛が密生し銀白色に見えるシルバーリーフが美しく、花壇の縁取りや寄せ植え用の草花として人気が高い。寒さにも強いため花の少ない冬には欠かせない存在で、ハボタンなどと組み合わせられることが多い。初夏の6~7月頃、直径2~3cmほどの鮮やかな黄花をたくさん付ける。

 学名は「セネキオ・キネラリア」。属名の語源はラテン語で「老人」を意味する「セネックス」で、種名キネラリアは「灰色の」を意味する。日本には明治時代に渡来した。和名シロタエギクは植物学者の松村任三(1856~1928)が命名したという。東京の小石川植物園の初代園長を務め、牧野富太郎の師としても知られる(両者間での学問上の激しい確執は有名)。英名は「ダスティミラー」。銀白色の草姿を粉まみれになって粉を挽く職人にたとえた。主な園芸品種に矮性種の「シルバーダスト」、葉が大きい「ダイヤモンド」など。

 よく似た植物で同じシロタエギクの名前で呼ばれているものは他にも2種ある。いずれもキク科で、一つはケンタウレア属の「セントーレア・ギムノカルパ」(原産地ヨーロッパ~西アジア)。属名も原産地も異なるものの、和名・英名はキオン属のものと全く同じ。花の色はこちらが紫紅色で「ピンクダスティミラー」の別名を持つ。もう一つはタナケツム属の「プタルミキフロルム」(原産地は大西洋のカナリア諸島)で花は白い。こちらもシロタエギクやシルバーレースの名前で流通しており、その名の通り、葉の切れ込みがレースのように繊細なのが特徴だ。

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<アリウム・ギガンチウム> 圧倒的な存在感!直径20cmの〝ネギ坊主〟

2017年06月08日 | 花の四季

【中央アジア原産、花を観賞するアリウムの中でも最大級】

 アリウムはヒガンバナ科(旧ユリ科)ネギ属の植物の総称。北半球に800種ほどの野生種が分布しており、古くから野菜や薬草として栽培されてきたものも多い。ネギやニラ、ニンニク、ラッキョウなどもその仲間。ただ園芸界でアリウムと呼ぶ場合は一般に花壇や鉢植えの植物など観賞用のものを指すことが多い。花の色や形は変化に富んでおり、和名では「ハナネギ(花葱)」とも呼ばれている。

 その中で人気を集めるのがこのギガンチウムだ。中央アジア原産で、日本には1936年(昭和11年)に渡来した。「巨大な」を意味するだけあって、草丈は1mを超え、そのてっぺんに直径20cmほどにもなる手鞠のような散形花序を付ける。無数の小花の集合体で鮮やかな紫紅色。奈良県立馬見丘陵公園で先日遭遇したギガンチウムは開花直前で花序を包んでいた薄い膜の苞葉が付いたままだったが、見上げるほどの高さで圧倒的な存在感を放っていた。因みに学名(属名)でもあるアリウムはニンニクのラテン語の古名で「匂い」が語源という。この属の植物の多くが強い匂いを発することに由来するようだ。

     

 アリウムの仲間にはギガンチウムのような大型種がある一方で、草丈が膝下ほどのかわいいものも多い。花が黄色いモリーはキバナノギョウジャニンニク(黄花の行者大蒜)という和名を持つ。他には白花のネアポリタヌム(別名コワニー)、桃色のウニフォリウム、白またはうす紫色のカラタヴィエンセなど。ユニークな花姿や長い茎の水揚げがいいことなどから、生け花やフラワーアレンジメントの花材として使われるものも多い。中でもリーキ(ニラネギ、西洋ネギとも)やスファエロセファルム(和名「丹頂」)などが人気を集めている。

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<フクシア(ホクシャ)> 釣りのウキのような花姿から和名は「ツリウキソウ」

2017年06月03日 | 花の四季

【英名は「レディーズ・イヤードロップス(貴婦人の耳飾り)】

 中南米原産のアカバナ科フクシア属の半耐寒性低木。日本には昭和の初めに鉢花として入ってきたといわれる。4~6月頃、4枚の萼片(がくへん)と花弁を吊り下げたような可憐な花を咲かせる。花の真ん中から下向きに長い雌しべが突き出す。和名はその花姿を釣りで使うウキのように見えるとして「ツリウキソウ(釣浮草)」と呼ばれる。英名は「レディーズ・イヤードロップス(貴婦人の耳飾り)」。小さな風鈴を下げたような様子をイヤリングに見立てた。

 フクシアの名付け親は中南米の植物の採集・研究に取り組んだ17世紀のフランスの植物学者シャルル・プルミエ(1646~1704)。「ドイツ植物学の父」の一人といわれるレオンハルト・フクス(1501~1566)に因んで命名した。プルミエはベゴニアの名付け親としても知られる。フクシアの原種は「トリフィラ」「マゲラニカ」「フルゲンス」など約100種が主にメキシコやチリ、アルゼンチンなど中南米に自生する。

 ヨーロッパで19世紀に栽培や交配が盛んに行われ、さらに20世紀に入ると米国でも人気が高まり愛好者が急増した。1929年にアメリカフクシア協会が設立されたのに続き、38年には英国フクシア協会が発足した。これまでに生み出された園芸品種は数千種に上るという。フクシアには花びらのような萼片と筒状の花弁の色が異なるものが多い。そのコントラストが美しいこと、花の形や大きさが変化に富むこと、花期が長いことなどが欧米での高い人気につながっているようだ。一重咲きのほか半八重や八重咲きのものもある。

 フクシアは涼しい気候を好み、高温多湿にやや弱い。そのため長い梅雨と夏の猛暑がある日本では夏越しがなかなか難しいとされてきた。そんな中で〝夏に強いフクシア〟を謳い文句とした日本発の新品種が登場し人気を集めている。兵庫県の西宮市植物生産研究センターとサントリーフラワーズ(本社東京)が共同開発した「エンジェルス・イヤリング」シリーズだ。これまでに品種登録したものは14種に上る。「フクシアや異星の人の吊り人形」(光晴、「ムーの植物図鑑 花と俳句」から)

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<スズメ(雀)> 生息数は全国で1800万羽? スズメにも少子化の波!

2017年06月01日 | 小鳥たち

【害鳥それとも益鳥? 田舎のスズメは都会組より美しい!】

 人家の近くに生息し最も身近な野鳥といえば、やはりこのスズメだろう。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」(小林一茶)。スズメは古くから俳句や昔話に登場し、美術工芸品の題材となり、家紋にもなってきた。春日大社(奈良市)所蔵で源義経奉納ともいわれる国宝「赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)」にも竹・虎とともに百羽余のスズメがあしらわれている。スズメは小笠原諸島を除いて日本列島に隈なく分布するという。ところが近年その姿を見掛けることが少なくなってきたとの声もしばしば聞く。

 ではスズメは日本にどのくらいいるのだろうか。そんな難問にあえて挑戦した研究者がいる。著書に『スズメの謎』(誠文堂新光社刊)がある三上修さんだ。秋田、埼玉、熊本の3県ごとに商用地・住宅地・農村・大規模公園・森の5つの環境を選び出しスズメの巣の密度を調査した。その結果、割り出した推定生息数は1800万羽。地道な調査にはただただ頭が下がる。スズメの減少について三上さんは1990年からの20年間に「少なくとも5割は減少した」とみる。スズメの少子化についても指摘する。NPO法人の協力で行った調査の結果、親スズメが連れている子スズメの数は商用地1.41羽、住宅地1.81羽、農村地2.13羽で、商用地では子スズメを1羽しか連れていない親スズメが目立った。「町中ほどエサが少ないことが理由だと考えられます」とのこと。

 スズメは稲などの農業被害から〝害鳥〟扱いされてきたが、一方で〝益鳥〟でもあるという指摘もある。害虫を捕ってくれ、雑草の種子も食べてくれるからだ。90年ほど前に国がまとめた「鳥獣調査報告書」のスズメの項にはこう記されているという。「スズメが自然に、あるいは人が捕まえて減った結果、害虫の大発生を引き起こして、ひどい状況になった例は古来より多々ある」。実際、1950年代にスズメ撲滅運動が実施された中国では農作物の害虫が増えて全国的に凶作になったそうだ。

 

 スズメはこの時期がちょうど繁殖期にあたる。孵化から巣立ちまでおよそ2週間。この間に親鳥が雛のために餌を運ぶ回数は1日に約300回、延べ4000回にも及ぶそうだ。親鳥の世話は巣立ち後も独り立ちまで続く。大きさが親とほとんど変わらない幼鳥が、羽を打ち震わせながら黄色いくちばしを大きく開けて餌をねだる。その光景がなんともほほえましい。スズメは羽模様が灰褐色のため地味なイメージが強い。ただ「都会のスズメは薄汚れているが、空気のきれいな農耕地帯のスズメは地味ではあるが美しい」(家の光協会刊『カラー版野鳥』)ともいわれる。

 随分以前のことだが、大阪の長居公園で目にした光景が忘れられない。スズメがおじさんたちの手のひらに乗ってパンくずなどをついばんできた。日本のスズメはそこまで人に懐かないという先入観があっただけに予想外だった。「趣味はスズメ」という女性がいた。なぜか馬が合って何度か食事を共にした。庭を訪ねてくるスズメを見るたびに、若くして病没したその女性のことがしばしば頭をよぎる。

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