く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ケイトウ(鶏頭)> 古い時代に渡来 古名「韓藍」

2021年07月24日 | 花の四季

【茎の成長点が“帯化”して鶏冠のように】

 インドなどの熱帯地方原産といわれるヒユ科ケイトウ属(セロシア属)の春まき1年草。日本には古い時代に中国を経て渡来した。古名は「韓藍(からあい)」。鶏頭の名前はフリル状の花序の形と赤い色がニワトリの鶏冠(とさか)に似ていることから。英名も雄鶏(おんどり)の鶏冠を意味する「Cockscomb(コックスコム)」。学名「Celosia cristata」の種小名クリスタータも「鶏冠状」を意味する。

 多くの園芸品種があり花序の色も形も多彩。最も一般的なのが「トサカケイトウ」(写真)。花のように見える部分は茎先の成長点が線状に横に広がって“帯化”したもの。花自体はその下の扁平部分に密集しており小さくて目立たない。帯化が進んで球状になったものは「久留米ケイトウ」と呼ばれている。終戦前後にインドから持ち帰った種子をもとに福岡県の久留米地方で品種改良されたという。ケイトウには花穂が羽毛状の「フサ(房)ケイトウ」や「ヤリ(槍)ケイトウ」などもあり、園芸店などでは「セロシア」の名前で出回ることが多い。

 ○○ケイトウと呼ばれるものにはほかに「ハ(葉)ゲイトウ」や「ヒモ(紐)ゲイトウ」がある。その名は葉姿などがニワトリの鶏冠に似ていることによるが、これらは別のヒユ属(アマランサス属)に分類されている。ケイトウは万葉の時代、繊維を染める“摺り染め”に使われていたという。古名で「韓藍」とよばれたのもそのためで、万葉集では4首詠まれている。山部赤人は「吾が屋戸に韓藍蒔き生(お)ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ」(巻3-384)と詠んだ。軟らかい若葉はおひたしなど食用としても利用されてきた。「人の如く鶏頭立てり二三本」(前田普羅)

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<ヤブカンゾウ(藪萱草)> 八重咲き状の一日花

2021年07月20日 | 花の四季

【万葉集や古今集には「忘れ草」として登場】

 ツルボラン科ワスレグサ属の多年草。同じ属の仲間にはホンカンゾウ、ノカンゾウ、ハマカンゾウ、ニッコウキスゲ、ユウスゲなどがある。このヤブカンゾウは中国原産のホンカンゾウ(シナカンゾウ)の変種とされる。7~8月ごろ、細長い葉の間から高さ50~100cmの花茎を立ち上げ、先端に濃いオレンジ色の花を上向きに付ける。ノカンゾウが一重の6弁花なのに対し、ヤブカンゾウはシベが花弁化して八重咲き状なのが特徴。

 学名は「Hemerocallis fulva var.Kwanso」。属名のヘメロカリスはラテン語の「1日」と「美しい」の合成語で、この植物の仲間がいずれも朝開き夕方に萎む一日花であることを示す。ただいくつも蕾が付いているため、盛りの時期には次々と開花する。種小名フルバは「茶褐色の」を意味する。ヤブカンゾウは単にカンゾウと呼ばれることも多いことから、変種名も「カンゾウ」になっている。日本や中国原産の野生種をもとにヨーロッパで多くの園芸品種が作出され「ヘメロカリス」や「デイリリー」として人気を集めている。

 カンゾウは詩文集の古典『文選(もんぜん)』の中に「萱草忘憂」として出てくる。そのため日本ではヤブカンゾウの花を見たり身に着けたりすると憂いや辛さを忘れさせてくれると信じられ、萱草と書いて「忘れ草」と読まれた。万葉集には5首ほどあり、大伴旅人は九州・大宰府から「萱草吾が紐に付く香具山の故(ふ)りにし里を忘れむがため」(3-334)と忘れがたき故郷への想いを詠んだ。古今集にも忘れ草を詠んだ素性法師の歌などが収められている。ヤブカンゾウの若芽や花、蕾は古くから山菜として和え物や天ぷらなどにして食されてきた。

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<大和文華館> 旅をテーマに「旅の美術」展

2021年07月18日 | 美術

【光琳筆「扇面貼交手筥」など34点】

 大和文華館(奈良市学園南)で「旅の美術」展が始まった。「物語の旅」「名所の絵画」「絵師と旅」の3章構成で、江戸時代を中心とする工芸品や名所図会、絵画、屏風など34点が展示されている。いずれも同館所蔵の作品で、重要文化財の尾形光琳(1658~1716)筆『扇面貼交手筥(はりまぜてばこ)』や弟尾形乾山(1663~1743)筆『武蔵野隅田川図乱箱』なども含まれる。会期は8月22日まで。

  

 『扇面貼交手筥』は高さ18.8×27.3×38.2cm。金箔を押した箱の側面や蓋、中の懸子(かけご)などに「西行物語図」や「八橋図・雪枯芦図」「富嶽図」などが描かれている。『武蔵野隅田川図乱箱』は乾山の没年1743年の作で、箱裏には「華洛紫翠深省八十一歳画」という署名がある。没年の作品にはほかにも『定家詠十二ケ月花鳥図』などが残っており、乾山の創作意欲が最晩年まで衰えを知らなかったことを物語る。

 『緑釉日本地図文角鉢』は日本地図を型押し全面に緑釉をかけて焼き上げたもの。この制作には様々な分野で多才ぶりを発揮した平賀源内(1728~80)が関わったとみられることから「源内焼」と呼ばれている。源内は出身地の讃岐国で職人を雇って地図など斬新な意匠の陶器を焼かせていたという。「伊勢物語」の東下りなどの場面が描かれた作品も多く並ぶ。江戸中期の作品『伊勢物語図屏風』(六曲一双)には主人公の男性が旅の途中でカキツバタの歌を詠んだ八橋と、布引の滝の見物に出かけた場面が描かれている。

 『曽我物語図屏風』(六曲一隻)に描き込まれたのは源頼朝が富士野で催した「富士の巻狩」の場面。屏風絵ではほかに渡辺南岳(1767~1813)のカエルが武士に扮し列を成す参勤交代のような『殿様蛙行列図屏風』、与謝蕪村(1716~84)の『蘭石図屏風』(四曲一隻)など。江戸後期の狩野派を代表する狩野栄信(1775~1828)の『南都八景図帖』や小田野直武(1750~80)の『江の島図』(チラシの上部)、司馬江漢(1747~1818)の『七里ケ浜図』、富岡鉄斎(1837~1924)の『攀嶽全景図』なども展示されている。小田野直武は平賀源内から西洋画の遠近法などを学び、司馬江漢は源内を通じて知り合い師事した小田野から洋風画を学んだそうだ。

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<モッコク(木斛)> 庭木の“御三家”とも

2021年07月15日 | 花の四季

【天然記念物指定の名木が各地に】

 モッコク科モッコク属の常緑樹で、大きなものは幹の直径が50cm、高さが15m以上にもなる。本州の関東以西と四国、九州・沖縄の山地に自生し、厚くて光沢のある葉と品格のある堂々とした樹形から庭木としても人気を集めた。最近ではやや馴染みが薄いものの、かつてはモチノキ、モクセイとともに庭木の“御三家”と呼ばれ、江戸時代にはアカマツ、カヤ、イヌマキ、イトヒバと並んで“江戸五木”とも称えられた。

 6~7月頃、直径1~2cmほどの白い5弁の花を下向きに付ける。雄花のみを付ける雄株と、両性花を付け秋に赤い実が成る株があるのが特徴。雄花は黄色い葯が群がってよく目立ち、両性花は突出した柱頭の基部を雄しべが囲む。学名は「Ternstroemia gymnanthera(テルンストロエミア・ギムナンテラ)」。属名は18世紀のスウェーデンの自然科学者の名前に因み、種小名は「雄しべの葯が裸の」を意味する。

 モッコクの語源には諸説あり、一説に岩などに着生するランの一種セッコク(石斛)に花や香りが似ていることから江戸時代に命名されたという。堅くて緻密な材は杵や櫛などの工芸品、床柱などの建材として用いられてきた。モッコクの高木が群生する広島県竹原市の「忠海八幡神社社叢」は国指定の天然記念物。都道府県指定の天然記念物には東京都あきる野市の「慈勝寺のモッコク」、千葉県佐倉市の「佐倉城の夫婦モッコク」、さいたま市の「妙行寺のモッコク」、和歌山県那智勝浦町の「那智大社実方院のモッコクの大樹」などがある。「木斛の花一時や庭掃除」(古川迷水)

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<奈良市写真美術館> 入江泰吉×工藤利三郎「斑鳩展」が開幕

2021年07月11日 | 美術

【同時に越沼玲子と辻田美穂子の「新鋭展」も】

 入江泰吉記念奈良市写真美術館で7月10日「入江泰吉×工藤利三郎 斑鳩展」が始まった。聖徳太子の没後1400年を記念した企画展の第2弾。奈良を拠点に全国各地の古美術写真を残した工藤利三郎(1848~1929)と、戦後法隆寺など斑鳩の堂塔や仏像、景観などを撮り続けた入江泰吉(1905~92)の写真の数々を「斑鳩」をキーワードに紹介する。同時に「新鋭展」として越沼玲子(あきこ)の「自然のなかで、息をする」と辻田美穂子の「カーチャへの旅」も開催。会期は8月22日まで。

 工藤利三郎は徳島出身で、東京在勤中に日本の古美術を取り巻く厳しい惨状を知ったのを機に文化財を写真に記録しようと写真術を習得し、1883年ごろ故郷で写真館を開業。その後奈良に転居し、93年に猿沢池の畔に古美術写真専門の「工藤精華堂」を開いた。撮った写真は北は中尊寺(岩手)から南は臼杵石仏群(大分)まで広範囲にわたり、1908年から19年かけて出版した『日本精華』全11巻には1065点の写真が掲載されている。奈良市写真美術館が所蔵する工藤のガラス原板1025点は2008年に国登録有形文化財に登録された。(写真は工藤利三郎「法隆寺中門」1893~1902年頃)

 展示中の工藤の写真は明治後期に撮影された法隆寺の五重塔や中門、夢殿、法輪寺の三重塔など15点。解体修理や再建の前の100年以上遡る姿を見ることができる。中には法隆寺の金堂内陣の仏像やその後に焼損した壁画の写真も。金堂の須弥壇には明治~大正時代、現在安置されている釈迦三尊像や薬師像、四天王像などのほか、玉虫厨子や普賢延命像、弥勒半跏像、聖観音立像なども所狭しと並べられていたそうだ。工藤の写真集『日本精華』も第1~第4輯が公開されている。

 新鋭展の越沼玲子は茨城出身で、2014年にコニカミノルタフォトプレミオ特別賞受賞。暗く静寂な森の写真からは木々の息遣いまで聞こえてきそうな気配が漂う。「自然の中では、昼は多くを教えられ、よく見えない夜や闇では、根源的なものを強く感じる」という。辻田美穂子は大阪出身で、2010年に初めて祖母の故郷サハリン(樺太)に渡航。以来、北海道を拠点にしてサハリンを撮り続けている。タイトル「カーチャへの旅」のカーチャは病院で働いていた祖母が日本に引き揚げる1948年までロシア人から呼ばれていたという愛称。

 62年ぶりに帰郷する祖母に付き添って渡った2010年。日本統治時代の遺構は少なく、祖母から話に聞いていたかつての面影はあまり見られなかった。「それでも祖母はその景色を愛おしそうに長い間見つめていた。祖母には恵須取(えすとる)の街が確かに見え、私には全く見えなかった。けれどもその視線の先をどうしても見たくて私の旅が始まった」。恵須取にはかつて王子製紙の工場があり、約4万人の日本人が暮らしていたという。3回目の訪問時に初めて日本出身の女性と知り合った。日本人は今ではこの女性と兄弟の3人だけになってしまったそうだ。

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<ヤノネボンテンカ(矢の根梵天花)> 別名「高砂芙蓉」

2021年07月08日 | 花の四季

【ヤノネは葉の形から、原産地は南米のブラジルなど】

 アオイ科ヤノネボンテンカ属(パボニア属)の高さ1mほどの低木。細長い葉の先が鏃(やじり)のように尖り、花が四国~九州・沖縄に分布する同じアオイ科で別属のボンテンカに似ていることからヤノネボンテンカという和名を与えられた。原産地は南米のブラジル、ボリビア、アルゼンチンなど。日本には観賞用の園芸植物として1980年代前後に入ってきたという。暑さ寒さに比較的強いため逸出したものが西日本を中心に各地で野生化しているようだ。

 花期は7~9月ごろ。朝開いて夕方には萎む一日花だが、最盛期には新しい花が毎日咲き続ける。花径4~6cmほどの白い一重の5弁花で、基部に濃い赤紫色の模様が入るのが特徴。花弁の裏側には放射状に赤い筋の花脈が走る。花の雰囲気がフヨウ(芙蓉)やムクゲ(木槿)などアオイ科フヨウ属の花に似ていることから「タカサゴフヨウ(高砂芙蓉)」という別名を持つ。ただ高砂はかつての台湾を指す日本での呼称で、南米原産のこの植物がなぜこう呼ばれているのかは不明。「ミニフヨウ」や「ヒメムクゲ」と呼ばれることもある。

 学名は「Pavonia hastata」で、属名パボニアは18世紀に南米の植物調査に取り組んだスペイン人、ホセ・アントニオ・パボン(1754~1840)への献名。種小名ハスタータは「鉾形の」を意味しており葉の形を表す。ヤノネボンテンカは雄しべの花糸12本が合着し筒状になって雌しべの花柱を包む。この植物は花を開いてチョウなどの媒介で他家受粉を行うほか、花が開かなくても自家受粉し受精する〝閉鎖花〟という仕組みを併せ持つ。花が半開きや閉じた蕾の状態でも雌しべの柱頭が雄しべの葯の方に動いて受粉し種子を作ることができるわけだ。国内の在来植物では牧野富太郎博士によってスミレ、フタリシズカ、ツリフネソウなど11科14属19種の閉鎖花が確認されている。

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<ウラジロフジウツギ(裏白藤空木)> 四国~九州に分布する在来種

2021年07月03日 | 花の四季

【ブッドレアの仲間、サポニン含む有毒植物】

 ゴマノハグサ科フジウツギ属(ブッドレア属)の落葉低木(高さ1~1.5m)で、主に四国~九州の日当たりのいい草地などに自生する。芳香で蝶を呼び寄せることから〝バタフライ・ブッシュ〟とも呼ばれているブッドレア(フサフジウツギ)の仲間。7~9月ごろ、フジの花に似た穂状の円錐花序(長さ10~20cm)に、薄紫色の可愛らしい小花をいっぱい付ける。花の一つひとつは長さ1.5cmほどの筒状花で、先端が4つに裂けて平開する。

 ブッドレア属はアジアやアメリカ、アフリカで100種ほどが確認されており、日本にも西日本を中心にフジウツギ、コフジウツギとこのウラジロフジウツギなどが分布する。コフジウツギはフジウツギより全体的に少し小型。ウラジロフジウツギの基本種はコフジウツギで、「ウラジロ」の名は葉の裏側に軟毛が密生し白く見えることから。日本で広く栽培されているフサフジウツギは本州中部での野生種の発見から、中国原産の帰化植物とする説と国内に元々あった在来種とする説がある。

 ウラジロフジウツギは他のブッドレア属の仲間同様、葉や茎などにサポニンの成分を含む有毒植物。学名はコフジウツギの「Buddleja curviflora」の後ろに「f.venenifera」と続く。属名ブッドレアは17~18世紀の英国の聖職者兼植物学者のアダム・バッドル(1662~1715)の名前に因んでおり、〝分類学の父〟カール・フォン・リンネからの献名。種小名クルビフロラは「曲がった花の」を意味する。その後ろの「f.」はラテン語の「forma」の略で「品種」を表し、ベネニフェラは「毒を持つ」を意味している。フジウツギは茎の断面が四角形なのに対し、ウラジロやコフジウツギは円形といった違いがある。

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