く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<奈良国立博物館> 当麻寺西塔発見の舎利容器を公開

2019年02月28日 | 考古・歴史

【金・銀・銅の三重の入れ子式、白鳳期の輝き今も!】

 修復工事中の奈良県葛城市の当麻寺西塔から、2017年7月、金・銀・銅製の三重の舎利容器が発見された。製作時期は飛鳥時代後期の白鳳期(7世紀後半~8世紀初頭)とみられる。国内で同様の三重容器が見つかったのは法隆寺(奈良県斑鳩町)の五重塔や崇福寺(大津市)の塔跡など数少ない。その国宝級の文化財がいま奈良国立博物館で、完全な複製品と並んで公開されている(3月14日まで)。

 

 舎利容器が見つかったのは西塔の心柱の最上部で、水煙のちょうど中心部分。銅筒(高さ14.2cm、直径12.2cm)の中に納められていた。一番外側の金銅製の容器は高さ9.06cm、径10.05cmで、やや上下につぶしたような球形。鋳造後にろくろで形を整え、金メッキが施されていた。その内側の銀製容器は高さが3.1cmで、蓋には算盤玉のような形のつまみが付く。一番内側の金製容器は高さがわずか1.2cm。中に釈迦の遺骨片に見立てた舎利一粒(材質はガラス?)が紙に包んで納められていた。

 『大般涅槃経』によると、釈迦の遺体は金・銀・銅・鉄という四重の棺に安置されたという。これに基づいて古代インド以来、金・銀・銅などによる入れ子式の舎利容器がしばしば作製され、日本でも法隆寺などから見つかっている。崇福寺跡発見の舎利容器(近江神宮所蔵)は国宝に指定されている。いずれも白鳳期の作で、奈良時代以降は確認されていない。西塔から見つかったものも白鳳期と推定されている。当麻寺が現在地に建立されたのは681年とも691年ともいわれる。

 舎利容器は当初、屋根の葺き替え工事などの完了後、再び心柱上部に戻す予定だった。だが、三重容器が極めて良好な状態で残っており、古代仏教美術史上稀有な文化財と確認できたことから、現物は奈良国立博物館に寄託し、西塔には複製品を納めることになった。複製品は正確なデジタル計測に基づき、富山県高岡市在住の金属造形作家・大江浩二氏が2セット作製した。金銅製容器の中からは皇朝十二銭や寛永通宝、水晶六角五輪塔、大正3年奉納袋なども見つかったが、これらは後世の追納品のため複製の舎利容器とともに西塔に戻す。

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<奈良市写真美術館> 「入江記念写真賞受賞記念展」開幕

2019年02月24日 | 美術

【受賞者の真鍋奈央さんや審査委員長らによる記念トークも】

 奈良市写真美術館(同市高畑町)で「第3回入江泰吉記念写真賞受賞記念展」が始まった。この写真賞は奈良市出身の写真家入江泰吉(1905~92)の功績を称え、2014年に若手写真家の発掘を目的に設けられた。2年ごとに開かれており、3回目の今回は応募作95点の中から、大阪府高石市在住の真鍋奈央さん(31)の『波を綴る』(100枚組)が大賞に当たる記念写真賞に選ばれた。記念展初日の22日には授賞式に続き、真鍋さんや審査委員長の写真評論家飯沢耕太郎氏、同美術館館長の百々俊二氏らによる記念トークが開かれた。

 

 真鍋さんは徳島県池田町出身で、中学卒業後米国の高校で2年間学び、帰国後はビジュアルアーツ専門学校大阪写真学科に入学。現在は同校で講師を務めている。『波を綴る』はハワイの日常の風景や日系人の日々の姿を撮影したもので、「目の前に現れた眺めを、先入観を排したピュアな眼差しで見つめ、その鮮度を保ち続けたままパッケージにしていく能力の高さ」(飯沢審査委員長)が評価された。真鍋さんは「(ハワイは)たくさんの人々と出会い、お互いの時を重ねてきた場所。彼らと日々を過ごすうちに、いつからかハワイの島々が持つ歴史や風土がリアリティーと意味を持って自分に迫ってきた」と振り返る。審査の過程で最後まで残ったのは真鍋さんを含め女性ばかり3人の作品だったという。

 

 記念展の会場にはオアフ島、モロカイ島、ハワイ島、マウイ島の4つの島ごとに作品が並ぶ。穏やかな表情の病床のお年寄り、カラフルな衣装に身を包み杖を手に歩く日系婦人、サーフィンに興じる若者、楽しげな盆踊り……。火山の真っ赤な溶岩流や真っ黒に固まった溶岩流の先に立つ墓標など、自然の脅威と向き合った作品も含まれる。記念トークでは参加者から「被写体との程良い距離感」「透明感がある」といった賛辞が贈られた。真鍋さんは道路封鎖をかいくぐって溶岩流を間近で撮影できたのは、案内してくれた現地のアル中やホームレスの男性たちのおかげといった裏話を披露してくれた。『波を綴る』は副賞として写真集としても出版された。

 同館では同時開催として入江泰吉写真展「奈良の世界遺産」と「第3回ならPHOTO CONTEST<カテゴリー1>『ならを視る』受賞作品展」も始まった。いずれも会期は4月7日まで。

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<アングレカム・セスキペダレ> 長い距を持つ〝ダーウィンのラン〟

2019年02月22日 | 花の四季

【長い口吻で蜜を吸うガの存在を予言、没後に発見される!】

 アフリカ大陸の南東、インド洋の西部に浮かぶマダガスカル島原産のラン科アングレカム属の植物。アングレカム属の仲間は200種ほどあり、熱帯アフリカからマダガスカル島などに広く分布する。樹木や岩に根を張る着生種と地面に根を下ろす地生種があり、茎の高さも10cmほどから1mを超えるものまで様々。セスキペダレは大型の着生ランで、直径15cmほどの白花は夜になると芳香を放ってスズメガを誘う。温室栽培では12月~翌年2月頃に花が咲く。

 花の形や開花時期から「コメット・オーキッド」や「クリスマス・オーキッド」の通称名があるが、セスキペダレは「ダーウィンズ・オーキッド(ダーウィンのラン)」としても広く知られる。このランの大きな特徴は花の基部から距(きょ)と呼ばれる細長い筒状の器官がぶら下がっていること。その距の中に蜜腺がある。1862年、このランの標本を見た英国の生物学者チャールズ・ダーウィン(1809~82)は、距の奥に溜まった蜜を吸うことができる長い口吻を持つ夜行性のガがいるに違いないと推測した。

 今でこそダーウィンが提唱した進化論も定説になっているが、当時は進化という概念そのものが全く理解されていない時代。ダーウィンのこの仮説は嘲笑され無視されたという。ところが、ダーウィンが没して21年後の1903年、口吻が20cmを超えるスズメガが見つかり蜜を吸う場面も確認された。彼の予言が正しかったことが証明されたわけだ。このガは「キサントパンスズメガ」と命名された。ガは長い口吻で蜜を独占でき、ランもそのガの体に花粉を確実に擦り付けることができる。両者の関係は共に進化を遂げた〝共進化〟のモデルケースとされている。

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<ヤマコウバシ(山香ばし)> 「落ちない葉っぱ」受験生に人気

2019年02月20日 | 花の四季

【「山にある香ばしい木」、枯葉を付けたまま越冬】

 クスノキ科クロモジ属の落葉小低木で、本州、四国、九州の山地や丘陵地の樹林内に生える。樹高は3~7m。朝鮮半島や中国にも分布する。葉を揉んだり枝を折ったりすると、爽やかな香りがすることから風流な和名が付いた。別名に「モチギ」や「ヤマコショウ」。モチギは救荒時などに乾燥した葉を粉末状にして餅に混ぜたことから、ヤマコショウは実の辛味から。

 ヤマコウバシの特徴の一つはリンゴやナシのように冬芽が〝混芽〟であること。赤褐色の冬芽の中に花芽と葉芽を併せ持つ。春4月頃に新芽とともに淡黄色の小花を付け、秋になると鮮やかなオレンジ色に黄葉する。果実は直径7~8cmほどの黒褐色の球状。葉は冬を迎えても枯れたまま枝からほとんど落ちない。落葉するのは春の芽吹き時。これがヤマコウバシのもう一つの大きな特徴。冬枯れの雑木林の中で枯葉を付けたままのヤマコウバシはひときわ目を引く。

 このヤマコウバシの葉がいま受験生たちの合格祈願のお守りとして人気を集めている。〝発案者〟は広島市植物公園の園長さんらしい。同園の顛末記によると、落ちない葉っぱに着目して2008年1月、入園者に葉っぱを挟んだラミネート加工のカードを無料配布した。それが人気を集め希望者が殺到。そして同年12月からカードとしおりをそれぞれ1枚100円で発売すると、翌年春までに3500枚を超える売り上げがあったそうだ。

  それが新聞やテレビで取り上げられると、ヤマコウバシの葉は各地でモテモテに。今では広島県三原市の市民グループ「水辺環境みなおし隊」や佐賀市の「古湯温泉湯守り女将会」などが毎年手作りのカードやしおりを作製し、受験生への無料配布などに取り組んでいる。植物園や各団体には合格発表後「合格しました」と感謝の声も寄せられているそうだ。

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<長崎の〝迷い子石〟> 諏訪神社の参道脇に佇んで140年

2019年02月14日 | 旅・想い出写真館

【江戸~明治時代中期、各地の有名寺社や繁華街に建立】

 長崎の総氏神、諏訪神社(長崎市上西山町)の参道の鳥居脇に鉄柵に囲まれた古い石柱が立つ。正面に刻まれた文字は「まよひ子志らせ石」。今から140年前の1879年(明治12年)に建立された。由来を記したそばに立つ「長崎県警察」の案内板(1987年設置)によると、参拝者の往来でにぎわう雑踏の中で迷子が続発し、それを見かねた当時の長崎県警察課、警察署に在勤する警部たちが資金を寄せ合って建てたという。

 子どもを見失った親は「たつぬる方」と刻まれた迷子石の左側面に住所や子の名前を書き記す。一方、迷子を見かけた人は右側面の「おしゆる方」に情報を記す。この石柱は迷子とその親をつなぐためのいわば〝告知板〟だったわけだ。案内板は「やがて子は再び親の懐に抱かれ、人々の暖かい思いやりに涙を流して手を合わせ、しっかりと手を握り合って去るその姿は数知れなかったといわれる」と結ぶ。

 調べてみると、同様の〝迷い子石〟は京都や東京など各地に残っていることが分かった。京都では八坂神社や北野天満宮、誓願寺(新京極)、東京では湯島天神や一石橋(日本橋)など。戦災で石柱が倒壊した浅草寺にも戦後に復元された石柱が立つ。三重県桑名市でも「上げ馬神事」で有名な多度大社や「石取祭」で知られる春日神社に残っているという。全国では30基ほどが確認されているそうだ。

 石柱正面に刻まれた表記は「迷子みちしるべ」「迷子しるべ石」「迷子しらせ石標」「満よひ子の志るべ」「志類べ以志」など様々。ただ石柱の左側面が「たずぬる方」「さがす方」など迷子の捜し手、右側面が「教しゆる方」など情報を持つ人の告知面になったものが多いようだ。縁を取り持つ仲人役の石柱ということで、京都の八坂神社や北野天満宮、東京の湯島天神などでは「月下氷人石」や「奇縁氷人石」などとも呼ばれている。

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<長崎・諏訪神社> 境内に個性的な狛犬の数々!

2019年02月12日 | 旅・想い出写真館

【両足にコヨリ、グルグル回転、頭に皿のカッパ型…】

 長崎市役所の北方に鎮座する諏訪神社は厄除け・縁結び・海上守護の総氏神として、地元では「おすわさん」と呼ばれ親しまれている。秋の大祭「長崎くんち」でも有名。いくつもの鳥居をくぐり石段を登って拝殿へ。参拝後、拝殿左後ろの本殿拝礼所に向かうと、珍しい光景に出合った! 狛犬(こまいぬ)の前足に何か白いものが無数巻かれている。

 近づくと、その白いものは細いコヨリだった。そばの立て札には「止め事成就の狛犬」。社伝によると〝止め事〟に霊験著しい狛犬で、前足にコヨリを巻いて祈願すると、家出の足止めや借金止め、受験の滑り止め、禁酒・禁煙などの願い事がかなうそうだ。コヨリの長さは80cmほど。賽銭を入れてコヨリを2本いただき、左右の狛犬に1本ずつ巻き付けた。

 

 拝殿の周りには他にもユニークな狛犬がいくつも鎮座していた。「願掛け狛犬」は狛犬を乗せた円形の台座がぐるぐると回転する。江戸時代、遊女街に登楼した船員が翌日荒天で出航できずもう一晩泊まってくれますように、と遊女が狛犬を海の方向に回して願を掛けたという故実に因む。拝殿左後ろの「高麗犬(こまいぬ)の井戸」では狛犬の口から湧き出る水でお金を洗うと倍に増えるといわれ「銭洗(ぜにあらい)の狛犬」とも呼ばれる。稲荷神社の参道脇にある蛭子社の「カッパ狛犬」はカッパのように頭に皿が載っていた。蛭子は水泳上達など水に関する願い事成就の神として信仰を集めており、狛犬の頭に水を掛けて祈願する。

 

 「トゲ抜き狛犬」はいかつい顔付きだが、心に突き刺さっているトゲを抜いてくれるという。狛犬の口の中に手を触れてお願いする。参道の鳥居脇にある祓戸(はらえど)神社の狛犬もなかなかユニーク。向かって右側の口を開いた阿形(あぎょう)の狛犬は逆立ちし、左側の口を閉じた吽形(うんぎょう)の狛犬は立ち上がったポーズ。逆立ちした狛犬は全国的にも珍しいが、北陸の石川県内にはかなり多いそうだ。石川県県民運動推進本部は「加賀逆立ち狛犬巡り」というウオーキングマップまで作製している。

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<長崎> 冬の風物詩「ランタンフェスティバル」

2019年02月11日 | 祭り

【連日多彩な催し=龍踊り、二胡、曲芸、変面…】

 長崎の中心街で冬の一大風物詩「長崎ランタンフェスティバル」(2月5~19日)が始まり、連日多くの観光客でにぎわっている。新地中華街の旧正月を祝う「春節祭」が、1994年に規模を拡大しランタンフェスティバルとして再出発した。今年で26回目。中心部は赤や黄、桃色のランタン(中国提灯)約1万5000個で華やかに埋め尽くされ、中華街や長崎孔子廟、めがね橋そばの中央公園会場などでは連日多彩なイベントが繰り広げられている。

 新地中華街会場(湊公園)には楊貴妃や王昭君など中国四大美人の巨大な光のオブジェなどが所狭しと飾られ、来場者が次々にカメラに収めていた。そばの祭壇にはブタの頭や饅頭などがずらりと並ぶ。「このお供物はすべて本物です」。そばにはこんな説明書きがあった。供物の数々は「鶏魚肉(チーユイロー)」と呼ばれ、一年中お金に困らず、幸せであるようにという願いが込められているそうだ。

 

 名物の角煮まんなど多くの出店に囲まれた広場のステージでは連日、中国雑技や二胡の演奏、龍踊りなどが繰り広げられている。中国雑技で披露される妙技は瞬間芸の変面や輪潜り、皿回し、ジャグリングのような帽子芸、大きな太鼓を自在に操る足芸、出初式の梯子乗りのような椅子芸など。一つひとつ積み上げた高い椅子の上で、片手で水平バランスを決めたときには会場からひときわ大きな拍手が沸き起こった。

 

 変面は顔の面を瞬時に取り替える中国四川省の伝統芸能。一子相伝の秘伝とされる。この変面ショーは孔子廟会場でも龍踊りとともに一番人気だった。孔子廟を訪ねた日は若手男性変面師未来の単独ショーとは別に、3時間後には未来と女流彩華さんとの双人変面ショーも行われた。彩華さんは今春大学に進学する地元の高校3年生。知名度と人気は抜群で、ショーの後には一緒に記念撮影を撮ってもらおうと長蛇の列ができていた。

  

 かつて『變臉 この櫂に手をそえて』という中国映画のビデオを入手し繰り返し見たことがあった。子どもがいない変面王が後継者を育てようと幼児売買で男の子を手に入れる。ところが、その子は男児ではなく女の子だった……。涙を誘う感動の物語を繰り返し見るうち、一度変面を生で見たいと思っていた。今回その願いがようやくかなった。ちなみに日本には変面師の資格を持つ人が約30人いて、九州には未来や彩華さんら8人いるそうだ。

 

 ランタンフェスティバルでは市内7カ所にイベント会場が設けられている。会期中の土曜日には皇帝パレード、日曜日には媽祖(まそ)行列も繰り広げられる。媽祖は航海安全の神様で、江戸時代に長崎港に入港した唐船の乗組員が唐人屋敷の媽祖堂などに安置するまでの行列を再現する。

  

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<小山田古墳> 南辺80m超の飛鳥時代最大の方墳!

2019年02月04日 | 考古・歴史

【北辺は約72m、低い南側に向かって幅が拡大】

 奈良県明日香村の小山田古墳(7世紀中頃築造)が飛鳥時代最大の方墳である可能性が高まり、発掘調査を進める県立橿原考古学研究所による現地説明会が3日開かれた。これまでの調査で墳丘は一辺約70mとみられていたが、昨年12月から進めてきた第10次調査で南辺の長さは80mを上回ることが判明した。北辺は「計算上約72mに復元可能」としており、古墳が正方形ではなく裾部が南側に向かってやや広がっていることが分かった

 同古墳は飛鳥時代に権勢を誇った蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があった甘樫丘の南側に位置し、県立明日香養護学校の敷地内にある。第10次調査は墳丘西辺の構造や範囲の確認を目的に、墳丘の南西角とみられる場所から少し北側の部分を対象に行った。その結果、地表下3m付近から砂質土と粘質土で盛土された斜面が検出された。墳丘側からの流入土には北辺に敷かれた板石と同じ室生安山岩と結晶片岩の破片も大量に含まれていた。板石は7世紀後半頃までに取り外されたとみられる。また7世紀後半~8世紀初頭に埋納されたとみられる土器棺も出土した。

 

 墳丘の中軸線から今回の盛土裾部までの距離は39.7m。これに板石積みなどの墳丘外表施設の分を加えると東西幅は80mを超える。また北辺の板石積みの基底の標高が約115mなのに対し、今回の調査区の盛土裾部の標高は約113mで、北から南に向かって低くなり、墳丘裾部も南に向かってやや広がっていることが判明した。このため「墳丘南辺の規模は80mを上回ることが確実になった」としている。これまで飛鳥時代最大の方墳は千葉県栄町の龍角寺岩屋古墳(一辺約78m)とされていた。

 

 小山田古墳はその規模から被葬者が当時大きな権勢を誇った人物であるのは間違いない。専門家の間では舒明天皇(593~641)説と蘇我蝦夷(?~645)説の2つに大きく分かれる。舒明天皇は蝦夷の推挙で天皇に擁立され、崩御後には「滑谷岡(なめはざまのおか)」に埋葬され、その後押坂(現在の桜井市忍阪)に改葬された。舒明説では初葬墓の滑谷岡がこの場所に当たるとみる。一方、蝦夷説では日本書紀の記事に見える蝦夷・入鹿親子の双墓のうち「大陵(おおみささぎ)」に当たるのがこの場所で、すぐそばの菖蒲池古墳(国史跡、一辺約30mの方墳)を入鹿の「小陵」ではないかとみる。今後の調査が待たれる。

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<新薬師寺> 七仏薬師金堂跡の出土品を展示

2019年02月02日 | 考古・歴史

【軒丸瓦や灯明皿、奈良三彩の陶器片】

 春日大社の南側、志賀直哉旧居などがある奈良市高畑町に佇む新薬師寺。奈良時代の747年(天平19年)に聖武天皇の病気平癒のため光明皇后の勅願によって建立されたといわれる。内外の観光客でにぎわう東大寺や春日大社周辺と違って、ここまで来ると観光客も少なく静謐な空気に包まれていた。国宝の本尊薬師如来坐像を、円形に配置された十二神将立像が守護する。その周りをゆっくり巡りながら久しぶりに天平時代の名品に対面することができた。離れの庫裏では七仏薬師金堂跡の出土品が展示されていた。

 この七仏薬師金堂の遺構が見つかったのは新薬師寺の西約150mに位置する奈良教育大学のキャンパス内。新薬師寺は最盛期、約400m四方にわたる広大な寺域を有していたという。2008年に校舎改築に伴う発掘調査で創建当時の基壇跡とみられる柱穴が出土した。建物の規模は東西50m以上。正倉院に伝わる「東大寺山堺四至図」に描かれた七仏薬師金堂跡とみられている。その遺構の南側からは軒丸瓦や土器・陶器なども出土した。

 

 展示中の軒丸瓦は新薬師寺式の複弁八葉蓮華文で、1+8の蓮子(れんじ)を配した中房を二重の圏線で囲むのが特徴。奈良時代後期~平安時代初期のものとみられ、他に出土例がないことから8世紀末の修理の際にこの形式の瓦が独自に作られ使われたらしい。灯明皿は井戸跡から出土したもので、煤で黒くなった部分も確認される。奈良三彩の破片には緑釉と白釉(透明釉)が施されており、底径30cm強の大型の瓶(または壷)などのかけらとみられる。閼伽水や薬草の貯蔵用だったと推定されている。

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<奈良県立美術館> 企画展「姿の美、衣装の美…肉筆浮世絵」

2019年02月01日 | 美術

【貴重な一点ものの美人画を中心に87点】

 奈良県立美術館で企画展「姿の美、衣装の美…肉筆浮世絵」が始まった。浮世絵といえば版画で量産されたものというイメージが強い。同館でも2015年に浮世絵版画展を開いたが、今回は絵師が筆で描いた一点ものばかりを集めた。展示作品は浮世絵の代表的な主題でもある美人画を中心に87点。会期は3月17日までで、前後期で一部展示替えを行う。(左から菱川師房『見返り美人図』、歌川国長『椿と花魁図』、山口素絢『太夫雪見図』)

   

 展示会場の入り口正面に、導入部として江戸時代初期・中期・後期に描かれた美人画3点が並ぶ。菱川師房(もろふさ)の『見返り美人図』と川又常正の『遊君禿図(かぶろず)』と歌川国長の『椿と花魁図』。菱川師房は浮世絵草創期を代表する絵師だった菱川師宣(もろのぶ)の長男に当たる。川又常正は肉筆の美人画を多く描いた川又常行の門人。歌川国長は初代歌川豊国の高弟で、遊女の立ち姿を描いたこの作品では豪華な衣装の文様などが精緻に描かれている。細面で顎が反り目尻の上がった顔立ちは江戸時代後期の美人画に共通する特徴の一つ。(下の写真は㊧宮川長春『花下美人少女図』、㊨山崎竜女『蚊帳美人図』)

 

 導入部に続いて、浮世絵の先駆的作品として室町時代後期から始まる名所風俗図や遊楽図などの屏風絵、江戸前期の〝寛文美人〟と呼ばれる美人画などが並ぶ。寛文美人は背景に何も描かず女性の立ち姿や舞踊の姿のみを描いたもので、寛文年間(1661~73)に流行した。この後、浮世絵の黎明期から成熟期、爛熟期と時代を追って美人画の変遷を辿る。主な展示作品に宮川長春の『花下美人少女図』、鳥居清忠の『蛍美人図』、歌川広重の『八朔花魁図』、山口素絢の『太夫雪見図』『妓婦図』など。

 浮世絵師たちは美人画のほか歌舞伎役者や故事・伝説など様々な題材を取り上げた。展示作品の中でひときわ目を引くのが2代鳥居清信の『矢の根五郎絵馬』(西大寺蔵)。「矢の根」は歌舞伎の荒事の代表的な演目で、父の仇討ちのため矢の根(矢じり)を研ぐ曽我五郎の姿が画面いっぱいに描かれている。西大寺は1754年に江戸で愛染明王像の出開帳を行った。中村座と役者の市川海老蔵はこれをヒントに曽我五郎を愛染明王の分身とする演出を行ったところ大当たり。そのお礼にこの大きな絵馬(高さ191cm、幅124cm)を西大寺に奉納したという。他に西川祐信の『柿本人麻呂像』、鳥山石燕の『松尾芭蕉像』、菱川友宣の『楠公父子訣別図』なども展示中。

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