く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<漢国神社> 厄払いと招福へ獅子舞と太神楽

2018年12月30日 | 祭り

【曲芸師豊来家玉之助さんが奉納を始めて11年目】

 奈良市の古社、漢国(かんごう)神社で29日、年末恒例の「獅子神楽」が奉納された。太神楽(だいかぐら)曲芸師の豊来家(ほうらいや)玉之助さんが2008年に1年間の厄払いと新年の招福を願って獅子舞を奉納したのが始まり。今は奈良県御杖村の桃俣(もものまた)獅子舞保存会なども加わってつくる漢国神社韓園講(からそのこう)が奉納している。観客も回を重ねるたびに増え、この日は境内をびっしり埋め尽くすほどの盛況。次々と繰り広げられる熱演に惜しみない拍手が送られた。

 獅子神楽の奉納は午後1時、兵庫県立西宮高校邦楽部の生徒による獅子舞の入場でスタートした。その後、境内に設けられた舞台で、天照大神の道案内を務めた「猿田彦舞」や福をもたらす「大黒」、宝剣で邪気を祓う「回し剣」、大盃で獅子にお神酒を飲ませる「へべれけ」、阪神甲子園球場に程近い西宮市今津の「寅舞」、五穀豊穣を祈る「五穀」、曲芸の傘回しや子ども獅子を肩車する「太神楽」など、十を超える演目が2時間近くにわたって披露された。

 

 舞台を取り仕切り八面六臂の活躍をしていたのが豊来家玉之助さん。自ら「猿田彦舞」や「大黒」「太神楽」「四方鎮(よもしずめ)」などを演じる一方、軽妙なトークで笑いを誘っていた。玉之助さんは大阪府生まれ、兵庫県育ちで大阪芸術大学出身の46歳。NHKの「おかあさんといっしょ」や「上方演芸ホール」に出演したこともあるという。アメリカやフランスなど海外で公演したことも。自慢はNHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」で松坂桃李さんらの演技指導をしたこと。この日も傘回しの際には「この傘と鞠はそのときに使ったもの」などと自慢げに話していた。

 

 演舞が終わるたびに舞台上には次々とおひねりが投げ込まれた。登場したある獅子舞の母衣(ほろ)はそんなおひねりを元手にして作製されたそうだ。獅子神楽の奉納後、参拝客にはカボチャと小豆を煮た熱々の「いとこ煮」が振る舞われた。御杖村の郷土料理とのこと。神社からは開運ご祈祷のお札も配られ、境内ではあちこちで参拝客が邪気を祓ってもらおうと獅子に頭を噛んでもらっていた。笑いの絶えない実に愉快な年末のひとときだった。

  

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<春日大社国宝殿> 特別展「清明の美・春日大社の名刀」

2018年12月26日 | 美術

【平安~鎌倉時代の名刀や人間国宝宮入行平の絶作も】

 奈良市の春日大社国宝殿で特別展「清明の美・春日大社の名刀」が始まった。春日大社には平安時代以降、貴族や武将が競って華麗な太刀を奉納、所蔵する多くの太刀のうち8件25点が国宝、8点が重要文化財、7件が重要美術品に指定されている。今展には平安期の彫金工芸の最高傑作といわれる「金地螺鈿(らでん)毛抜形(けぬきがた)太刀」をはじめ、前後期合わせて国宝7点、重要文化財8点、重要美術品3点などの名刀が一堂に展示される。会期は来年3月24日まで。

   

 毛抜形太刀は柄(つか)に大きな透かしが施され、それが古代の毛抜きの形に似ているのが特徴。完全な形で国内に現存する毛抜形太刀は3振といわれ、うち2振を春日大社が所蔵する。展示中の国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」はそのうちの1振で、鞘には竹林で猫が雀たちを追う場面が彫金で繊細に表現されている。近年の調査で金具の多くが純金製の金無垢(きんむく)と判明した。奉納者は一説に猫好きだった藤原頼長ではないかともいわれる。

 国宝「金装花押散(かおうちらし)兵庫鎖太刀」は「貞治四年」(1365年)の年紀銘があり、南北朝時代の名工・備前長船兼光の作とみられる。兵庫鎖太刀は鞘上部の腰帯を通す帯取に〝兵庫鎖〟と呼ばれた鎖を用いた豪華な造りで、公家や武将に好まれ社寺にも多く奉納された。社伝などによると、この太刀の奉納者は足利義満。国宝「沃懸地(いかけじ)酢漿紋(かたばみもん)兵庫鎖太刀」は鞘に金蒔絵の描割(かきわり)技法でカタバミの紋様が描かれている。この紋は藤原氏の系流では『名月記』で知られる藤原定家などの御子左家(みこひだりけ)の家紋。定家は度々春日大社に参拝しており、定家が寄進した可能性もあるという。太刀以外では源義経奉納ともいわれる国宝の鎧(よろい)「赤糸威(おどし)大鎧(竹虎雀飾)」も展示中。

 同時開催として「鐡(くろがね)の煌(きら)めき宮入小左衛門行平(こざえもんゆきひら)一門展」も開かれている。宮入小左衛門行平は〝昭和の名工〟と呼ばれ多くの門弟を育てた人間国宝宮入行平(1913~77)の次男。今年、公益財団法人日本刀文化振興協会より「日本刀名匠」に認定された。一門展では宮入行平の絶作の太刀をはじめ6氏の作品16点が展示されている。

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<杵築市の城山公園石造物群> 孝女・孝子碑など約200基

2018年12月25日 | メモ

【室町時代の国東塔や宝篋印塔、江戸時代の庚申塔なども】

 大分県の国東半島は磨崖仏や国東塔などが多く石造文化財の宝庫といわれる。その国東半島の東南部に位置する杵築市で、杵築城天守に向かう木立の間に歴史を感じさせる数多くの石造物があちこちに置かれていた。室町時代の宝篋印塔や国東塔、江戸時代の庚申塔や石仏など約200基。この地方の石造文化財の代表的なものや盗難・破損の恐れがあり管理を委託されたもの、祀る人がいなくなったものなどを公園の一角に集めた。「城山公園石造物群」として市の文化財に指定されている。

 その石造物群の中にひときわ大きな「孝女初碑」と「孝子兵吉碑」が立つ。説明文などによると、孝女初(1817年没)は幼くして父を亡くし、行商をしながら病気がちの老母に孝養を尽くした。その孝行ぶりから領主の恩賞を度々受けたという。一方の兵吉(1772年没)も小さいときに父を失って母に孝行を尽くした。2つの記念碑は大正末期に当時の杵築町教育会が建てた。この2人は三浦梅園(1723~89)がまとめた孝行・忠義者の逸話集『愉婉録(ゆえんろく)』でも取り上げられている。

 

 孝女・孝子はほかにも多くの言い伝えが各地に残り、顕彰碑なども建てられている。孝女阿米(およね、山口県周南市)、孝女千代(熊本県津奈木町)、豊後二孝女ツユとトキ(大分県臼杵市)、孝女伊麻(奈良県葛城市)、孝女お照(大阪府和泉市)、孝女登勢(三重県津市)、孝女曽與(そよ、愛知県弥富市)、孝女和喜(愛知県飛鳥村)……。大分県臼杵市と茨城県常陸太田市は孝女ツユとトキの縁で2015年に姉妹都市提携を結んだ。俳聖松尾芭蕉は吉野への旅の帰りにわざわざ孝女伊麻を訪ねたという。山口県周南市は孝女阿米に因んで「およね賞」を設け命日に親孝行な児童・生徒を表彰しているそうだ。

 孝女・孝子の顕彰は徳川5代将軍綱吉の頃から江戸時代後期にかけ幕府や藩によって盛んに行われた。大分・杵築にも1758年に幕府の巡検使がやって来て領内の孝行者を尋ね、役人は初と兵吉の2人の名を挙げたという。幕府は1801年に全国で表彰された孝女・孝子を集めた『官刻孝義録』を編纂・出版している。江戸時代から明治時代にかけても民間の儒学者や文学者らによって、詩歌集『本朝孝子伝』(藤井懶斎著)、『孝婦集』(三宅宗春編)、『近世孝子伝』(城井寿章著)など多くの孝行物語が刊行され、諸階層の人物の伝記集『近世畸人伝』(伴蒿蹊著)の中でも孝女たちが取り上げられている。与謝野鉄幹も『孝女阿米』を書き残している。

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<名勝「玄宮楽々園」> 彦根藩主の御殿と雄大な池泉回遊式庭園

2018年12月24日 | 旅・想い出写真館

【彦根城を借景とする大名庭園、6年前に水田を復元】

 滋賀県彦根市の国の名勝「玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)」は彦根城の北側に位置し、江戸時代には「槻(けやき)御殿」と呼ばれた。造営が始まったのは井伊直興が4代藩主だった1677年(延宝5年)。以来、藩主の居館や饗応の場、退位後の隠居所などとして使われた。現在は庭園部分が「玄宮園」、建物部分が「楽々園」と呼ばれている。

 玄宮園は彦根城天守閣を借景とする広大な大名庭園で、当初は「槻之御庭(けやきのおんにわ)」などと呼ばれた。池の中に置かれた4つの島や入り江を9つの橋で結び、畔や小高い場所に「臨池閣」「鳳翔台」などと呼ばれるひなびた建物が立つ。中国・洞庭湖の「瀟湘(しょうしょう)八景」あるいは「近江八景」を模して作庭されたといわれる。8年前の発掘調査で庭園の一角から水田の畦の跡が見つかった。「神田」と書かれた江戸後期の絵図もあり、藩主が領内の五穀豊穣を祈って田植え神事を行ったとみられる。6年前にはその水田を復元し、毎年稲を育てている。

 

 楽々園は庭園の西側に位置する。11代藩主直中が1812年(文化9年)に隠居するとき能舞台が設けられるなど大規模な増改築が行われた。その頃、建物全体の規模は現在の10倍ほどもあったそうだ。「安政の大獄」や「桜田門外の変」で知られる幕末の大老、井伊直弼も1815年、当時「槻御殿」と呼ばれていたこの地で生まれた。今も残る建物は「御書院」「地震の間」「楽々の間」など。「地震の間」は自然石を多く配した築山に建てられた茶室で、耐震構造になっていることからこう呼ばれているが、元々の名は「茶座敷」だった。

 

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<彦根城・二季咲桜> 可憐な小輪の花が満開に

2018年12月22日 | 花の四季

【水戸市が46年前に寄贈、冬と春の年2回開花】

 国宝彦根城に向かって菰(こも)巻きの松の並木〝いろは松〟を直進し、突き当たりを右折して国の名勝「玄宮楽々園」に向かう途中に、白や淡いピンク色の可憐な花が咲き誇る3本の桜の木があった。その名は「二季咲桜(にきざきさくら)」。説明文によると、1972年に友好都市の水戸市から寄贈されたもので、冬(11~1月)と春(4~5月)の年2回開花する。行き交う観光客も「あっ、こんな寒い時期に桜が!」と驚いた表情でカメラに収めていた。

 彦根城は江戸時代、近江彦根藩主井伊氏の居城。15代藩主井伊直弼は江戸幕府の大老も兼ねたが、1860年の「桜田門外の変」で尊皇攘夷派の水戸藩と薩摩藩の脱藩浪士によって暗殺された。彦根市民にとって水戸はまさに因縁の仲。かつて水戸ナンバーの車が彦根を走っていると石を投げつけられたこともあったという。その両市の仲を50年前、福井県の敦賀市長が取り持った。敦賀市は江戸末期の「天狗党の乱」(1864年)の縁で、水戸市と姉妹都市提携を結んでいた。

 

 この乱は幕末最大の悲劇ともいわれる。天狗党と呼ばれた水戸藩の尊攘派は京に上る途中、敦賀で幕府の追討軍に囲まれ降伏、352人が処刑された。敦賀の人々はその亡骸を手厚く葬って松原神社に祀ったという。そんなつながりから水戸市と姉妹都市になっていた敦賀市の市長が1968年の松原神社例大祭の折、水戸市長に「明治100年を機に彦根市との親善を深めては」と打診した。これを受け彦根、水戸の両市はその年の秋、長年の歴史的なわだかまりを超えて彦根市の金亀児童公園の井伊大老銅像前で「親善奉告祭」を行った。それからちょうど50年、今年11月には彦根市で「親善都市提携50周年記念式典」が開かれた。

 二季咲桜はその井伊大老の銅像のすぐ近くにある。植樹から半世紀近くたって、幹の直径は30cmを超えるほどに。花弁が5枚の一重咲きで、ソメイヨシノの花に比べるとかなり小さいが、楚々とした味わいがあった。1年に2度咲く桜には冬桜や十月桜、不断桜、四季桜、子福桜などがあるが、この二季咲桜はマメザクラ(豆桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の雑種、四季桜の一種とみられている。日本三名園の一つといわれる水戸・偕楽園でも同じ桜が二季咲桜として親しまれているそうだ。

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<岐阜市> JR岐阜駅周辺、かつての景観様変わり!

2018年12月20日 | 旅・想い出写真館

【43階超高層ビルからは名古屋の高層ビル群まで一望】

 岐阜県の県都、岐阜市の駅前や中心市街地の景観が大きく様変わりしているという。高架化されたJR岐阜駅前には金ピカの織田信長像が立つ広場が整備され、近くには超高層ビルが完成。このほかにも駅周辺や柳ケ瀬で再開発ビルの建設構想が浮上し、高層の分譲マンションの建設も相次いでいる――。その変貌ぶりを一目見ようと久しぶりに岐阜を訪ねた。

 岐阜駅の改札口を出ると、眼下に「信長ゆめ広場」と名付けられた空間が広がっていた。その広場に下りる階段の名前も「信長ゆめ階段」。黄金色に輝く信長像は広場の左手奥に立つ。市制120年を記念し、市民の寄付によって2009年に建てられた。高さは台座を含めて11m。マントを羽織った信長は右手に火縄銃、左手に西洋兜を持ってまっすぐ前を見据える。「この像は常に時代の最先端を歩き、『変革』を目指した信長公の姿を象徴しており、都市再生を図る岐阜のまちの未来を表現する」。説明文にはこう刻まれていた。

 

 駅前広場から西に数分歩いた場所に超高層の建物が2棟立つ。「岐阜シティ・タワー43」(2007年竣工)は高さ163m・43階建て、「岐阜スカイウイング37」(2012年竣工)は136m・37階建てのタワーマンション。岐阜駅の東側でも24階建てタワーマンション「岐阜イーストライジング24」(来年1月完成予定)の建設が進む。県内で最も高い「岐阜シティ・タワー43」は最上階の展望スペースが無料開放されている。高速エレベーターで昇ると、眼下に岐阜の市街地や岐阜城がそびえる金華山、長良川などが広がり、遠く名古屋駅前のビル群を望むこともできた。

 

 中心商店街柳ケ瀬はかつて美川憲一の『柳ケ瀬ブルース』が大ヒットし、全国有数の繁華街としてにぎわった。かつての隆盛には遠く及ばないが、毎月様々な集客イベントが繰り広げられ、2009年には「新・がんばる商店街77選」に選ばれた。その柳ケ瀬の核店舗でもある「岐阜高島屋」の南側で、来年3月から市街地再開発事業が本格化する。再開発ビルは高さ約130mの35階建てで、4年後の22年8月の完成を目指す。対象地域の一角に再開発ビルの概要を示す「事業計画のお知らせ」の看板が掲げられ、通りには「ここから始まる、街ものがたり…2018年度着工!」と印刷されたポスターや旗が飾られていた。

 

 さらに岐阜大学医学部跡地でも今春から高さ約84m・18階建ての岐阜市新市庁舎の建設が始まった。場所は2015年にオープンした図書館や文化交流などの複合施設「みんなの森 ぎふメディアコスモス」の南側。2021年春の完成を予定している。今後、市庁舎移転後に現市庁舎の跡地をどう活用していくかに注目が集まりそうだ。岐阜市中心部ではこのほか高島屋西側や柳ケ瀬の中心地域など数箇所で15階建て前後の分譲マンションの建設が進んでいた。岐阜市は今まさに都市再生の真っ只中といった様相だった。

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<おん祭御湯立神事> 春日大社大宿所で古式に則って

2018年12月16日 | 祭り

【お渡りの装束や甲冑、お供えの〝懸鳥〟がずらりと】

 「春日若宮おん祭」初日の15日、奈良市餅飯殿町の春日大社大宿所(おおしゅくしょ)で、祭り奉仕者を清め無病息災を願う「御湯立(みゆたて)神事」と祭りの無事執行を祈る「大宿所祭」が厳かに行われた。大宿所の境内や室内には2日後の17日のお渡り式に備えて、行列の参加者が身に着ける甲冑や装束、長さ5mを超える野太刀などが整えられ、杉葉で覆われた小屋には〝懸鳥(かけどり)〟と呼ばれるお供え物のキジやタイ、塩ザケなどがずらりと吊り下げられていた。

 大宿所はかつて祭りに奉仕する大和士(やまとざむらい)たちが精進潔斎のため参篭した場所。御湯立は午後2時半、4時半、6時の3回行われた。2時半はお渡りに参列する神子(みこ)たち、4時半は大和士、6時は一般の人たちの身を清めるため。1136年に始まったおん祭りも今年で883回目。御湯立は明治以降長く途絶えていたが、その所作や祝詞が大和郡山市の加奥(かおく)家に伝わっていたことが分かって約30年前の1985年に復活した。

 

 湯立巫女・加奥満紀子さんは「サンバイコ」と呼ばれるわらで編んだものを腰に巻きつけ祝詞を奏上。この後、湯釜にお神酒などを注ぎ、祝詞を唱えながら熊笹で弧を描くように湯を左右に降り注いだ。「伊勢は神明天照皇太神宮様の花の御湯な~り」「左右左(サヨーサ)・左右左・左右左」「南は蔵王権現様の花の御湯な~り」「左右左・左右左・左右左」……。一通りの儀式が終わると、熊笹と鈴を振って低頭する一般の見学者のお祓いも行った。腰に巻いたわらは安産などにご利益があるとのこと。

 

 お供えのタイやサケなどを飾る懸鳥の小屋の上には寄進した団体名や企業名などがずらりと列挙されていた。昔は大和国内の大名が鳥や獣を狩り集めて競って寄進したという。江戸中期の1742年(寛保2年)の記録にはなんとキジ1268羽、ウサギ136羽、タヌキ143匹、塩ダイ100枚などと記されているそうだ。奈良の一般家庭ではおん祭のとき、こんにゃくや大根、人参、里芋などを煮込んだ〝のっぺ汁〟をこしらえるのが古くからの風習。この日も見学者たちに熱々ののっぺ汁やあめ湯が振る舞われた。

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<奈良国立博物館> 特別陳列「おん祭と春日信仰の美術―特集大宿所」

2018年12月14日 | 祭り

【絵巻物や古い文献、工芸品など35点を展示】

 今年も奈良最大のお祭り「春日若宮おん祭」(12月15~18日)の季節がやってきた。春日大社の摂社若宮社の祭礼で、平安時代の1136年(保延元年)に天下泰平や五穀豊穣を願って始まった。これまで一度も途切れたことがなく今回で883回目。最大の見どころは17日の華やかなお渡り式で、馬約50頭と約1000人の行列が目抜き通りを練り歩く。御旅所祭では田楽、猿楽、舞楽など古くから伝わる神事芸能が深夜遅くまで次々と奉納される。(写真は「春日若宮御祭礼絵巻」(上巻=部分)

 奈良国立博物館では毎年この時期に、おん祭に関する絵画や史料を展示し、その歴史や祭礼の様子などを紹介してきた。今回はお渡り式を描いた絵巻物などに加え、おん祭に奉仕する大和士(やまとざむらい)が精進潔斎する大宿所(おおしゅくしょ)を取り上げて、お渡り2日前の15日に開かれる大宿所祭の様子を描いた絵巻や古文書、飾り物なども展示している。

 3章構成のうち第2章「大宿所―潔斎の場と町のにぎわい」で展示しているのは、江戸時代の「春日若宮御祭礼絵巻」や「春日御祭次第」「懸物(かけもの)請状」「大宿所日記」「随兵(ずいひょう)甲冑」など。絵巻には大宿所での巫女による御湯立(みゆたて)神事の様子なども細かく描かれている。「懸物請状」の懸物は各地から寄進される雉(きじ)などの供物で、大宿所前にずらりと吊り下げられる。「随兵甲冑」は大宿所伝来品で、警護役の大和士が身に付けていた朱漆し塗りの具足。

 第1章「春日若宮のおん祭」では南北朝~室町時代の「春日文殊曼荼羅」や江戸時代の「春日若宮祭典式古図」「春日祭礼之図」など、第3章「春日信仰のひろがり」では春日社を俯瞰的に描いた「春日宮曼荼羅」や地蔵菩薩が雲に乗って飛来する「春日地蔵曼荼羅」、神鹿を描いた「春日鹿曼荼羅」など鎌倉~室町時代の図絵を中心に展示している。特別陳列の会期は1月20日まで。

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<ネオベンサミア・グラキリス> 1属1種のランの仲間

2018年12月13日 | 花の四季

【タンザニア原産、白い小花を毬状に】

 ラン科ネオベンサミア属の地生蘭。1属1種の植物で、世界自然遺産のセレンゲティ国立公園など大自然に恵まれたアフリカ中東部のタンザニアに自生する。草姿はアシ(葦)によく似て、直立した細長い茎にササのような線状披針形の葉を付ける。草丈は1mほどになる。

 主な花期は冬~春で、径2~3cmの白花が密集してオオデマリのような手毬(てまり)状の集合花を付ける。花は筒状で平開しない。ランの仲間は多くが美しく彩られた唇弁(リップ=中央下側の花弁)を持つが、このランにも赤紫色の斑点模様が入る。唇弁は蜜標(ネクターガイド)として昆虫に蜜の在りかを知らせるとともに昆虫の着地点の役割を果たす。

 学名「Neobenthamia gracilis」の属名ネオベンサミアのネオは「新しい」の意、ベンサミアは19世紀の英国の植物学者ジョージ・ベンサム(1800~84)への献名。ベンサムは10万点を超える植物標本を収集し、長年ロンドン・リンネ協会の会長も務めた(叔父のジェレミー・ベンサムは功利主義で有名な哲学者・経済学者)。ベンサムの名は同じラン科のベンサミア属にも献名されている。種小名グラキリスはラテン語で「細い・薄い」を意味する。

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<パボニア> 鮮やかな赤花が印象的な熱帯植物

2018年12月12日 | 花の四季

【中南米を中心に約250種、仲間に白花や黄花も】

 パボニアはアオイ科パボニア属(ヤノネボンテンカ属)の植物の総称。パボニア属は中南米の熱帯地域を中心に世界に約250種分布する。日本でパボニアとして多く流通し栽培されているのは「グレドヒリイ」や「インテルメディア」と呼ばれる赤花で、原産地と花姿から「ブラジリアン・キャンドル」とも呼ばれる。パボニア属の仲間には白花の「ハスタータ」や黄花の「スピニフェクス」などもある。

 グレドヒリイはブラジル原産の「ムルチフローラ」と英国の植物学者デービッド・グレッドヒル(1929~)によって作られた「マコヤナ」の交雑種といわれる。赤い花びらのように見えるのは苞(副萼片)で、その苞の内側に濃い紫色の花弁と萼があり、筒状の雄しべと雌しべの花柱が突き出す。花期は通常初夏~秋だが、温室や暖かい地域では冬まで咲き続ける。高さは50~150cm。「ケルメシナ」と呼ばれる矮性品種もよく栽培される。

 属名パボニアはスペインの植物学者ホセ・アントニオ・パボン(1754~1840)の名前に因む。パボンはルイス・ロペス(1754~1816)が隊長を務めた南米の植物調査隊に参加し多くの新種を発見、帰国後ルイスと2人で『ペルーとチリの植物』(全10巻)を出版した。南米原産の植物の中には、学名にこの2人が共同命名者であることを示す「Ruiz & Pav.」と記されたものも少なくない。属名になっているヤノネボンテンカ(矢の根梵天花)はハスタータ種の和名。葉が矢じりのような形で花がフヨウに似ることから、別名「タカサゴフヨウ(高砂芙蓉)」や「ミニフヨウ」とも呼ばれている。

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<モクビャッコウ(木百香)> シルバーリーフが寄せ植えに人気

2018年12月10日 | 花の四季

【東アジア原産のキク科の仲間、環境省は絶滅危惧種に指定】

 キク科の常緑性低木で、東アジアの熱帯~亜熱帯地域の海岸の岩場や隆起した珊瑚礁などに自生する。日本では南西諸島のトカラ列島、奄美群島、沖縄諸島や小笠原諸島の南硫黄島などに分布する。沖縄では〝神の島〟といわれる久高島や本島南部のテダ御川(てぃだうっかー)が群生地として知られる。尖閣諸島の魚釣島にも自生する。

 草丈は30~80cm。葉はへら形で、まれに先端が2~5裂する。春~夏に緑色だった葉は秋になると灰白色の短毛に覆われ、シロタエギクのように銀色に輝く。その美しいシルバーリーフから寄せ植えに利用されることも多い。冬に径5mmほどの黄色の頭花を付ける。ただ小さいうえ花弁がなく筒状花だけで形成されるため、地味であまり目立たない。花や葉には独特の臭気がある。

 モクビャッコウは漢字で「木百香」とも「木百虹」とも表記される。沖縄での方言名は「イシヂク(石菊)」。挿し木で殖やすことができるが、野生種は海岸部の開発や園芸用の採取などで激減している。このため環境省は絶滅の危険が増大しているとして、最新の「レッドリスト2018」の中で絶滅危惧Ⅱ類に指定している。

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<サルビア・インボルクラータ> 別名「ローズリーフセージ」

2018年12月06日 | 花の四季

【メキシコ原産、丸い蕾状のものは花を包む苞葉】

 メキシコから中米にかけて分布するシソ科アキギリ属(サルビア属)の宿根サルビア。花期は秋~初冬で、サルビアの中ではかなり遅くまで咲く。学名は「Salvia involucrate Cav.」。属名サルビアは「救う」や「治療」を意味するラテン語から。この属に薬用になる植物が多いことによる。種小名インボルクラータは「包む」を意味するラテン語に由来する。

 草丈は40~150cmと幅があり、茎の下部は木質化する。花は穂状の原種に近いもの、花が球状に集まって咲く改良型、両者の中間的な品種に大別される。ぷっくり膨らんだ蕾のように見えるものは花を包む苞葉(ほうよう)。開花時には剥がれ落ち、先端が唇形になった細長い筒状の合弁花が顔を出す。英名は「ローズリーフセージ」で、この名前で流通することも多い。ローズピンク色の苞葉から「ローズバッドセージ」とも呼ばれる(バッド=bud=は「蕾」の意)。

 学名の後ろの「Cav.」は命名者の略記で、この植物の学名をスペインの植物学者アントニオ・ホセ・カヴァニレス(1745~1804)が命名したことを示す。カヴァニレスはマドリード王立植物園の園長を務め、植物園をヨーロッパ有数の植物研究拠点に育て上げたことで知られる。カヴァニレスが学名を付けた植物はこのサルビアのほかにもタチアオイ、キバナコスモスなど数多い。

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<バンダ> 東南アジア原産の洋ランの仲間

2018年12月05日 | 花の四季

【和名「ヒスイラン」、今や〝ランの帝王〟とも】

 ラン科バンダ属の洋ランで、東南アジアを中心にインドからオーストラリア北部にかけて約70種が分布する。カトレアなどランの仲間の多くが持つバルブ(偽球茎)を持たず、樹木の幹や岩肌などに太くて白い根を張って成長していく。属名バンダの語源もサンスクリット語で「まとわりつく」を意味する「バンダカ」から。和名では「ヒスイラン(翡翠蘭)」と呼ばれている。

 バンダを代表するのがタイ北部~ミャンマーの山岳地帯に自生するセルレア種。花は青紫色で網目の模様が入る。この他の主な種は花の上半分がピンク、下半分が黄色地に褐色の網目が入るサンデリアナ、芳香のある黄花のデニソニアナ、バンドと近縁のランの交配によって生まれたアスコセンダなど。これらの原種や交配種を繰り返し掛け合わせることで、花の色や形、大きさなどがより多彩になってきた。バンダの鮮やかな青い花色は珍しく他のランでは見られない。

 バンダは通常年2回開花し、品種によっては年4~5回も咲く。これもバンダの魅力の一つ。栽培が最も盛んなタイでは毎月どこかで展示会が開かれ、日本からも多くの仕入れ業者が駆けつけるという。中には花径十数センチの大輪を20輪以上付けたバンダや60cmを超える長い房に100輪超の小花を付けたバンダなど、目を見張る超豪華なものもあるそうだ。「カトレアが〝ランの女王〟なら、バンダは〝ランの帝王〟」。洋ラン業者の間からはこんな声も出始めている。ちなみにランの切り花輸出大国シンガポールではバンダの交配種が国花になっている。その名は「バンダ・ミスジョアキム」。

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<プラグミペディウム> 中南米原産のランの仲間

2018年12月04日 | 花の四季

【ワシントン条約で原種の輸入は厳しく規制】

 中南米のメキシコ~ブラジル、ペルーの多雨地域に分布する常緑性の多年草。ラン科プラグミペディウム属の植物の総称で、地に根を下ろすもののほか、樹木や岩肌に着生するものもある。草丈は30~100cm、花色は茶、黄緑、ピンク、オレンジ、赤など。花の形などは同じラン科で東南アジア原産のパフィオペディラム属の植物に極めてよく似る。

 プラグミペディウムの語源は「隔壁」と「スリッパ」を意味する言葉から。雌しべの下にある子房が壁で3室に仕切られていることと、花びらの一部の唇弁がスリッパのように袋状になっている様子に因む。食虫植物のウツボカズラにも似たこの唇弁と、左右の側花弁が長いのがプラグミペディウムの特徴。岩上などに生えるコウダーツム種は側花弁が50cm以上にもなって長く垂れ下がる。このほか主な原種や園芸品種に小型種のペアルセイ、花が緋色のベッセ、淡いピンクのシュリミー、大型交配種のグランデ、側花弁などに紫の筋が入るハートウェギーなどがある。

 プラグミペディウムにはもともと地味な花色のものが多く、華やかなパフィオペディラムの陰に隠れていた。しかしベッセ種の発見や交配による新品種の登場などで人気が高まっている。これに伴って原産地では乱獲などで野生種が絶滅の危機に直面。このためプラグミペディウムはパフィオペディラムとともに、ワシントン条約(絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)で「付属書Ⅰ~Ⅲ類」のうち保護のため最も厳重な規制が適用されるⅠ類に指定され、原種の輸入が厳しく禁じられている。

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<ジンジベル・スペクタビレ> 花序はユニークな蜂の巣状

2018年12月01日 | 花の四季

【マレー半島原産、和名は「オオヤマショウガ」】

 東南アジアのマレー半島からスマトラ島に分布するショウガ科の常緑多年草。ショウガやミョウガと同じショウガ属で、ショウガの仲間の中では大型であることから、和名では「オオヤマショウガ(大山生姜)」と呼ばれる。根茎が香辛料、葉が薬用として用いられることもあるが、蜂の巣状の花序の形がユニークで面白いことから主に観賞用として栽培されている。

 学名「Zingiber spectabile」の属名ジンジベルは「角形」、種小名スペクタビレは「壮観な」や「美しい」を意味するラテン語から。草丈(偽茎)の高さは2m前後にもなり、中心部から高さ60cmほどの花茎を伸ばす。その先端に付く円筒状の花序は長さ約20cm、直径が10cmほど。ただ花弁のように見えるのは花苞(かほう)と呼ばれるものが重なり合ったもの。

 花苞は花を保護する苞がたくさん集まって花のように見えるものを指す。実際の花は長さが3cmほど、花弁は淡い黄色で唇弁などの内側に暗紫色の斑の模様が入る。花苞は初めの黄色が次第にオレンジ、赤色と変化していく。花序が一見蜂の巣に似ていることから、英名では「ビーハイブジンジャー」と呼ばれている。

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