く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<小澤征爾さん> 「世界のマエストロ」巨星墜つ!

2024年02月10日 | 音楽

【ライフワークだった松本の“サイトウ・キネン”】

 世界のクラシック界を牽引してきた指揮者小澤征爾さんが2月6日亡くなった。88歳。武者修行のため貨物船でヨーロッパに向かったのは23歳のとき。ブザンソン国際指揮者コンクール(フランス)での優勝がその後の飛躍の第一歩となった。「東洋人として西洋音楽をどれだけやれるか」。そんな思いを胸に全力疾走して、“世界のオザワ”まで上り詰めた小澤さん。中学の音楽の授業で、女性教師がその活躍ぶりをわが事のように熱く語っていたのがつい最近のように思い出される。(写真はいずれも長野県松本市での「第4回サイトウ・キネン・フェスティバル」の記者会見で=1995年8月14日)

 小澤さんはブザンソン優勝後、フランスからアメリカ、ドイツ、またアメリカと欧米を渡り歩いた。26歳の時には指揮者レナード・バーンスタインの招きでニューヨーク・フィルの副指揮者に就任。凱旋帰国したのは約2年半後の1961年4月だった。JALのニューヨーク・フィル特別機に同乗して羽田に降り立ち、家族や多くの友人たちの出迎えを受けた。バーンスタインから「お前は幸せな奴だなあ」と声を掛けられた。その間の活動は自著『ボクの音楽武者修行』に詳しい。

 ブザンソンでの快挙は日本の音楽家にも多くの刺激と勇気を与えた。ピアニスト舘野泉さんは自著『左手のコンチェルト』の中で「彼のやったことに驚き、青年の冒険心と音楽的な野望とに感動した」と記す。舘野さん自身、日本を離れて音楽に向き合ってみたいと考えていた時期に重なったため、そんな思いを強くしたのだろう。舘野さんはその後渡欧し、フィンランドに拠点を構えた。 

 小澤さんは友人で指揮者・作曲家の故山本直純さんから「自分は音楽のすそ野を広げる。おまえは世界を目指せ」と言われていたという。その後、40代にボストン交響楽団の音楽監督になった小澤さんはズービン・メータ、ロリン・マゼール、クラウディオ・アバドとともに“次代の四天王”と称されるように。

 小澤さんに大きな勇気をもらった一人に指揮者の佐渡裕さんがいる。1989年28歳のとき、ブザンソンコンクールに挑戦し見事優勝。ただ審査結果の発表前、本人は失敗の指揮だったと敗北感に覆われていた。そんな時、楽屋で小澤さんから「あんた、面白いっすよ」と声を掛けられる。「小さいときからあこがれていた“世界のオザワ”にそう言われ、感激で胸がいっぱいになった」。後ろ姿を見送りながら「それにしても大きな頭やなぁ。まるでライオン丸や」と驚いた(自著『僕はいかにして指揮者になったのか』)。

 新日本フィルを指揮し日本デビューを飾ったのも「佐渡に指揮をやらせろ」という小澤さんの強い推しがあったからという。佐渡さんはバースタイン最後の愛弟子ともいわれる。1999年には大阪の年末コンサート「サントリー1万人の第九」(83年スタート)の指揮を山本直純さんから引き継いだ。そんなところからもバーンスタイン―小澤―佐渡、小澤ー山本―佐渡という、深い縁と絆につい思いを馳せてしまう。

 バイオリニスト諏訪内晶子さんは小澤さんの暗譜力に驚かされた。「『人並みすぐれた』などという言葉で表現できる水準ではない。厖大なオーケストラ・スコアが隅から隅まで頭に入っていて、しかもリハーサルや以前のコンサートでご一緒させていただいたときの問題点、会心の部分などが寸分の狂いなくメモリ-に記録されている」(自著『ヴァイオリンと翔る』)。

 実弟小澤幹雄さんは著書『やわらかな兄征爾』の中で、兄を「努力型人間」と評す。「フランス政府の留学試験に落ち…スクーター旅行を思いつき…やっと富士重工からラビットスクーターを借りて貨物船に乗り込むあたりは、得意の『当たってくだけろ』精神だが、どうみても天才型の人間の姿ではない」。

 小澤さんにとって後半生のライフワークだったのが桐朋学園時代の恩師、斎藤秀雄さんの没後10年を機に結成した「サイトウ・キネン・オーケストラ」と長野県松本市での「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(後に「セイジ・オザワ・松本フェスティバル」に改称)。バイオリニスト和 波孝禧さんは自著『音楽からの贈り物』にこう記している。「サイトウ・キネンのメンバーは、皆、音楽家として一家をなす人たちであり、ライバルと呼べる人も少なくない。だが、彼らと一緒だと実にリラックスした気持ちになれるから不思議だ」。

 小澤さんは27歳のときピアニスト江戸京子さんと結婚した(その後離婚)。ブザンソンのコンクールに応募し優勝できたのも、当時フランス留学中の彼女からコンクールの情報をもらったのがきっかけだった。その江戸京子さんが1月23日逝去との新聞記事が社会面に小さく載っていた。小澤さんの亡くなるわずか2週間前のことだった。2人は離婚後も良好な友人関係を保っていたという。お2人のご冥福を心からお祈りします。

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<奈良女子大学管弦楽団> シベリウス「フィンランディア」熱演

2023年12月10日 | 音楽

【第52回定演、ドヴォルザーク「新世界より」も】

 奈良女子大学管弦楽団の第52回定期演奏会が12月9日、大和郡山市の「DMG MORIやまと郡山城ホール」で開かれた。プログラムはチェコのドヴォルザークとフィンランドのシベリウスの作品3曲。「愛国心」と「祖国愛」をテーマに選曲したという。会場の大ホールはほぼ満席で、学生やOBらの熱演に温かい拍手が送られ「ブラボー」の掛け声も飛んでいた。

 指揮者は常任の木下麻由加さん。2010年神戸大学発達科学部人間表現学科を卒業後、デンマークに留学し14年王立音楽アカデミーの指揮科を卒業。この間、ウクライナ国際指揮マスタークラスも2年続けて修了している。現在、奈良女子大学のほか近畿大学、神戸学院大学でも管弦楽団・交響楽団の常任指揮者を務める。

 1曲目はドヴォルザークが渡米前の1882年に作曲した序曲「我が家」だった。さほど長い曲ではないが、現在のチェコ国歌にも使われているメロディーが含まれる。後半のその「ふるさとはいずこや」の演奏は力強く、かつ華やかさに満ち溢れて、ドヴォルザークの郷土愛の世界に引き込まれた。

 2曲目はシベリウスが34歳だった1899年に作った「フィンランディア」。当時フィンランドはロシアの圧政下にあり独立の気運が高まっていた。この曲は民族叙事詩に基づく歴史劇の付随音楽の一部として作曲された「フィンランドは目覚める」が原曲。

 演奏は圧政に苦しむ人々の苦難を表すように金管楽器の暗い重低音で始まる。これまで何十回も聴いた出だしの「苦難」のモチーフだ。しばらくして鳴り響くのは金管・打楽器による独特な力強いリズム。これは「闘争への呼び掛け」のモチーフ。歯切れのいい演奏の後に「フィンランド讃歌」と呼ばれる美しい旋律が続く。

 フィンランドが苦難の末、独立を果たすのは1917年。以来長年にわたり軍事的中立を保ってきた。だが今年の春、その国是を大転換しNATO(北大西洋条約機構)に加盟した。背景にあるのはもちろんロシアによるウクライナ侵攻。演奏を聴きながら、そんな国際情勢がちらっと頭をよぎった。(下の写真は演奏会場の「やまと郡山城ホール」)

 3曲目はドヴォルザークが渡米中の1893年、故国を思いながら作曲した交響曲第9番「新世界より」。「遠き山に日は落ちて」の歌詞で知られる哀愁を帯びた第2楽章と、対照的に力強く壮大なアレグロの第4楽章の緩急・強弱のめりはりの利いた演奏が印象的だった。ホルンなど管楽器とコントラバス6本の安定感が演奏全体をどっしり支えていた。

 指揮者の木下さんは演奏前、ドヴォルザークについて昨今の“鉄ちゃん”に劣らない鉄道おたくだったことなどを紹介していた。気難しそうな作曲家が多い中で、ドヴォルザークのそんな庶民的な側面を知って親しみが増した。アンコールはヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」だった。(カラヤン指揮のベルリン・フィル「新世界より」を聴きながら)

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<あおぞら吹奏楽> 奈良・明日香村「あすか風舞台」で

2023年10月29日 | 音楽

【ゲストにサックス織田浩司氏、京都・両洋高校吹奏楽部】

 奈良県明日香村の国営飛鳥歴史公園内「あすか風舞台」で、10月28日「あおぞら吹奏楽BRASS UNDER THE SKY」が開かれた。音楽の祭典「ムジークフェストなら2023」の一環。今年で11回目だが、これまでは春に奈良市の奈良公園春日野園地などで開いており、今回は時期も場所も一新しての開催となった。

 会場のあすか風舞台は「石舞台古墳」のすぐ西側の芝生広場。最初登場したのは生駒市の桜ケ丘小学校ハーモニックバンド。吹奏楽の実力校として知られ、今年8月に滋賀県守山市で開かれた小学生バンドフェスティバル関西大会でも金賞を受賞。関西代表として大阪城ホールで11月18日に開かれる全国大会への出場が決まっている。

 メンバーが着用するTシャツは学校名と同じ明るい桜色。1曲目は関西大会でも演奏したという「第6の幸福をもたらす宿」だった。続いて「マンボNO.5」。小学生とは思えない力強く歯切れのいい演奏。3曲目の「花祭り」では新しく入部したばかりの3年生たちが演奏に合わせ踊りも披露した。

 出演2番目は同じ生駒市の生駒中学校吹奏楽部。こちらも全国大会常連校で、10月下旬に名古屋市で開かれた全日本吹奏楽コンクール全国大会(中学校の部)で一足早く金賞を受賞したばかり。そのコンクールの課題曲だった「レトロ」と自由曲「カントスソナーレ」に続き、「鷲の舞うところ」、中島みゆきの「糸」、ジョン・レノンの「イマジン」を披露した。

 「糸」では「なぜめぐり逢うのかを……」の主旋律をフルートからクラリネット、そしてサックスとつなぎながら美しい音を奏でた。演奏後、指揮者の山上隆弘氏が千葉県の柏市立酒井根中学吹奏楽部とのジョイントコンサートについて報告した。同中学も全国屈指の実力校で、全国大会の会場で指導者同士が隣り合わせた縁で決まったという。開催時期は来年3月20日、場所は奈良県の橿原文化会館とのこと。

 この後の演目は「明日香村で序曲『飛鳥』を吹こう!」と題した特別企画。「序曲『飛鳥』」は櫛田胅之扶(てつのすけ)氏が古代の飛鳥地方をイメージして吹奏楽のために作ったもの。曲想の舞台はまさにこの地だ。演奏には「スペシャル合同バンド」として約100人が参加した。

 年齢は中学1年生から上は73歳と幅広い。遠く茨城県や長野県からという参加者もいた。指揮は藤重佳久氏。ホルン奏者で、吹奏楽のカリスマ指導者としても知られる。音合わせがこの日の午前中だけとは思えない統率のとれた演奏だった。

 いよいよ恒例のスペシャルゲストの登場だ。今年はサックス奏者の織田浩司氏(オリタ・ノボッタ)と京都市の両洋高校吹奏楽部が招かれた。織田氏が参加するのは第1回あおぞら吹奏楽以来という。地元の畝傍高校吹奏楽部とともに舞台に登場した織田氏は「銀河鉄道999」やホイットニー・ヒューストンの「すべてをあなたに」などを演奏した。

 ゲストバンド両洋高校の指揮者は先ほど「序曲『飛鳥』」を指揮した藤重氏。この春に吹奏楽部の音楽監督に就任した。童謡メドレーを皮切りに「星条旗よ永遠なれ」「オリンピアーダ」、北島三郎の「まつり」、唱歌「故郷」などを演奏した。さすがにマーチングバンド、動きの合った切れ味鋭い演奏スタイルが印象的だった。

 そしてファイナルステージ。舞台とその前に約300人の出演者がずらりと並び、全員でTHE BOOMの「風になりたい」を演奏した。最後を締める定番曲という。秋晴れの柔らかい日差しの中、管楽器の音色が青空へ心地よく響き渡る3時間だった。

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<日本音楽コンクール> 大和郡山で「受賞者発表演奏会」

2023年07月03日 | 音楽

【バイオリンの渡邊紗蘭ら優勝者4人が熱演】

 第91回日本音楽コンクールの「受賞者発表演奏会」が7月2日、奈良県大和郡山市のやまと郡山城ホールで開かれた。若手音楽家の登竜門といわれる同コンクールは昨年、ピアノ・バイオリン・声楽・オーボエ・フルート・作曲の6部門で競われ、7人が優勝を飾った(ピアノ部門で1位が2人)。この演奏会は各部門の優勝者のいわばお披露目公演。今年3月の東京を皮切りに愛知、鹿児島で開かれ、今回の大和郡山公演が4カ所目だった。

 舞台に登場したのは(写真左から)オーボエの榎かぐやさん(東京音楽大学卒業)、バイオリンの渡邊紗蘭(さら)さん(東京音楽大学1年)、声楽(ソプラノ)の松原みなみさん(東京芸術大学声楽科教育研究助手)、ピアノの小嶋早恵さん(東京芸術大学大学院修士課程在籍中)の4人。コンクールで115人が出場したバイオリン部門で優勝した渡邊さん(当時高校3年生)は、全部門を通して最も印象的な演奏に贈られる増沢賞も獲得した。

 最初の演奏者は3年に1度開かれるオーボエ部門(出場者57人)の優勝者、榎かぐやさん(千葉県出身)。本選ではサン=サーンスの「オーボエソナタニ長調作品166」などを演奏、聴衆賞に当たる岩谷賞も受賞した。この日はこの曲を含む2曲を披露。オーボエはギネスによると木管楽器の中で「最も難しい楽器」とか。榎さんはそんなことは微塵も感じさせずに、自在に操ってふくよかな音色を奏でていた。とりわけソナタ終盤の目にも止まらない運指の技は圧巻だった。(下の写真は演奏会の会場やまと郡山城ホール)

 2番目の奏者はバイオリンの渡邊紗蘭さん。コンクール本選で演奏したのはバルトークの協奏曲第2番だったが、この日はパガニーニの無伴奏独奏曲「24のカプリス(奇想曲)より第1番、第24番」、ピアノ伴奏でF.ワックスマン作曲「カルメン幻想曲」などを披露した。第24番は奇才パガニーニの作品の中でも難曲として有名。渡邊さんは左手ピッチカートなどの超絶技巧の個所も余裕をもってこなし、むしろ楽しみながら弾いている様子だった。渡邊さんは甲子園球場のお膝元、兵庫県西宮市の出身。ツイッターなどに「阪神ファン」「目標はベルリンフィル・コンサートマスターの樫本大進さん」とあったことを思い浮かべながら演奏に聴き入った。

 休憩を挟んで後半に登場した2人はいずれも大阪府出身。ソプラノの松原みなみさんはまず「夏の思い出」「霧と話した」など中田喜直の日本歌曲5曲を披露した。1曲目の「むこうむこう」の数小節を聴いただけで、まろやかな声質と響き、豊かな表情にすっかり魅了された。続いて演奏したのはマーラーの「ハンスとグレーテ」、ドニゼッティの「あたりは沈黙に閉ざされ」など3曲。プロフィルの中に「ウィーン国立音楽大学オペラ科を審査員満場一致の首席(最優秀)で修了」とあった。そして昨秋の日本音楽コンクール声楽部門(出場者84人)での優勝。この日歌い終えるや、会場からは「ブラボー」の掛け声が飛んでいた。

 最後の演奏者はピアノの小嶋早恵さん。コンクールのピアノ部門は6部門で最も多い199人が出場した。3次にわたる予選を勝ち抜いた小嶋さんは本選でショパンの協奏曲第2番を演奏、坂口由侑さん(桐朋音楽大学在学中)と同点1位で優勝を分け合った。この日の演奏曲はラヴェルの「夜のガスパール」だった。キラキラと光るスパンコールをちりばめた黄金色のドレスを身にまとった小嶋さんは、印象主義音楽といわれるラヴェルの難曲をそのドレスのように表情豊かに演奏した。演奏時間は22分あまりだった。

 この後、演奏者4人がそろって舞台に登場、会場からは盛大な拍手が送られていた。4人にはそれぞれに華があり、舞台上で演奏する姿はまるで天上から舞い降りてきたミューズのようだった。音楽の素晴らしさを再認識させてもらえた至福の2時間だった。

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<吹奏楽団A-Winds> 潮見・小谷指揮で64回目の定演

2023年06月26日 | 音楽

【「森の贈り物」、コンクール課題曲「煌めきの朝」など】

 吹奏楽団A-Winds奈良アマチュアウィンドオーケストラ(魚谷昌克団長)の「2023年夏の演奏会」が6月25日、やまと郡山城ホールで開かれた。1999年の発足以来通算64回目の定期演奏会。同楽団のミュージック・アドバイザー潮見裕章氏(大阪交響楽団チューバ奏者)と小谷俊介氏(日本ウインドアンサンブル≪桃太郎バンド≫のバスクラリネット奏者)の指揮で、海・空・森などをテーマにした楽曲を雄大かつ繊細に演奏し、吹奏楽の醍醐味を堪能させてくれた。

 前半第1部の開幕曲は奈良市出身の菊一旭大(てるひろ)作曲『IMAGE~A distance of the horizon~』。水平線・地平線の向こう側をイメージし平和への願いを込めたという壮大な楽曲。演奏後、指揮者の潮見氏から会場に来られていた作曲者の菊一氏に拍手が送られた。2曲目は三澤慶作曲『海へ...吹奏楽の為に』、3曲目は酒井格(いたる)作曲『森の贈り物』だった。この楽曲は龍谷大学吹奏楽部の委嘱により20年前に作曲されたもので、コルネットなどの伸びやかなソロ演奏が森の様々な情景を浮かび上がらせた。

 第2部はロバート・W・スミス作曲『海の男達の歌』から始まった。吹奏楽の人気曲の一つで、「水夫の歌」「くじらの歌」「快速帆船のレース」の3つの場面からなる。第1場面のトランペットとホルンのデュエット、第2場面のユーフォニアムの豊潤な響きとオーボエのソロ、第3場面のホルンやトロンボーンパートのパワフルなソリなど聴きどころの多い演奏だった。

 ここまでは潮見氏が指揮棒を振ったが、第2部後半は小谷氏にバトンタッチし、牧野圭吾作曲の行進曲『煌めきの朝』と福島弘和作曲の『シンフォニエッタ第3番・響きの森』を演奏した。このうち『煌めきの朝』は今年度の全日本吹奏楽コンクールの課題曲。北海道の高校3年生だった牧野氏が作曲し、昨年6月「第32回朝日作曲賞」で応募作201曲の中から最優秀曲に選ばれた。通学途中にある池の水面が日の光で煌めく様などをヒントに作曲したという。演奏時間は約4分と短いが、軽快な管楽器のリズムと響きが心地よく、朝の明るく透き通った空気感が伝わってきた。アンコール曲はスーザ作曲『星条旗よ永遠なれ』。

 小谷氏が定演で指揮したのは今回が初めてだったが、昨年8月にはA-Windsが3年ぶりに出場した第64回奈良県吹奏楽コンクールで指揮し、見事金賞を受賞している。今年の第65回コンクールは8月4~8日、奈良県橿原文化会館で開催の予定。職場一般の部はA-Windsを含む11団体が出場して中日の6日に開かれる。

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<チャイコフスキーコンクール> 日本人の予選進出者は7人!

2023年06月19日 | 音楽

【応募者は41カ国742人(前回58カ国945人)】

 チャイコフスキー国際コンクールが6月19日ロシアで開幕する。第1回の開催は旧ソ連時代の1958年。以来原則として4年に1回開かれており、今回で17回目。エリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギー)、ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド)とともに世界3大音楽コンクールといわれる。ただ今回はロシアによるウクライナ侵攻の影響が如実に。国際音楽コンクール世界連盟(本部ジュネーブ)は昨年4月「ロシア政府が資金提供し、宣伝ツールとしているコンクールを支援できない」として除名処分に、応募者も前回2019年の第16回から大幅に減少した。

 

 コンクール創設当初はピアノとバイオリンの2部門だったが、今ではチェロ、声楽、木管、金管(管楽器は前回から新設)も加わり6部門になっている。4年前の前回は世界58カ国から945人の応募があった。しかし今回は応募者が予想以上に少ないため募集期間を半月延長したという。にもかかわらず41カ国742人にとどまり、応募者は2割以上も減少した。

 応募者はビデオによる予備審査で本大会出場者が選ばれる。部門ごとの出場者はピアノ・バイオリン・チェロが各25人、声楽が男女各30人、木管・金管が各48人。17日発表された日本人の出場者はピアノ2人、バイオリン5人の計7人。両部門の第1次・第2次予選・本選は20~29日にモスクワ音楽院などで行われる。国別出場者数はロシアと中国が多くを占めた。ピアノは25人のうちロシア9人、中国5人、バイオリンはロシア12人、中国5人。

 第1回のピアノ部門の優勝者は米国のヴァン・クライバーンだった。時は米ソ冷戦下。コンクールはソ連の威信をかけての創設だったが、審査員はえこひいきすることなく実力本位で米国人を1位に選んだ。それもこのコンクールの国際的な評価を高めた一因にちがいない。クライバーンは米国内で一躍英雄と称えられ、4年後には名を冠したヴァン・クライバーン国際コンクールが創設された。そして、2009年に開かれたその第13回コンクールで、辻井伸行が日本人として初優勝を飾ったことは記憶に新しい。

 チャイコフスキーコンクールでは1990年の第9回のバイオリン部門で諏訪内晶子が18歳の若さで優勝した。諏訪内はその前年にエリザベート王妃でも2位という好成績を上げていた。そのため周りからは「予選落ちでもしたら経歴が無にもなりかねない」と応募自体に反対されていたという。ところが史上最年少、しかも審査員全員一致による優勝。諏訪内は自著『ヴァイオリンと翔る』の中で「身に余る栄誉を頂戴して、あの夜は、人生における重大な転換期だったのだと、今にして思う」と述懐している。

 その後、1998年の第11回では声楽部門(女声)で佐藤美枝子が優勝し、2002年の第12回では上原彩子がピアノ部門で日本人初優勝を飾った。しかも女性初優勝者としてもチャイコフスキーコンクールの歴史に名を刻む快挙。さらに2007年の第13回では神尾真由子がバイオリン部門で諏訪内以来日本人2人目の優勝を果たした。前回2019年の第16回ではピアノ部門で藤田真央が2位に。今回も日本人出場者の活躍を期待したい。

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<奈良女子大学管弦楽団> 「‘23スプリングコンサート」熱演

2023年05月29日 | 音楽

【ブラームス「ハンガリー舞曲」、シューマン第1番「春」など】

 奈良女子大学管弦楽団の「‘23スプリングコンサート」が5月28日、奈良県橿原文化会館大ホールで開かれた。新型コロナ禍でこの2年間は無観客や事前予約制などを余儀なくされ、通常開催は久しぶり。今回はオペラやミュージカル、吹奏楽の指揮活動の傍ら作曲や編曲などにも取り組む井村誠貴氏を客演指揮に迎え、19世紀ロマン派を代表するシューベルト・ブラームス・シューマンの作品を取り上げた。

 井村氏は現在、オーケストラMFI指揮者、春日井市第九演奏会音楽監督、関西音楽人のちから『集』代表などを務める。約20年前には4年ほど奈良女子大学管弦楽団の常任指揮者を務めたこともあるという。この管弦楽団の創立は1969年で、半世紀以上の伝統を誇る。ただ近年は団員不足に悩んでいるといい、この日も現役の団員数を超える卒業生や賛助出演者の応援も得て総勢60人余で演奏会に臨んだ。

 開演を前に井村氏が聴きどころなどを紹介した。最初の演奏曲目はシューベルトの「イタリア風序曲第2番」。シューベルトは当時人気だったイタリアの作曲家ロッシーニに心酔しており、この曲も「イタリア風というよりロッシーニ風。(短いフレーズを繰り返しながら音量を増す)ロッシーニ・クレッシェンドが特徴」。

 2曲目はブラームスの「ハンガリー舞曲集」。この曲を巡っては盗作騒動もあったが、ブラームスはあくまでも「作曲」ではなく「編曲」と主張し、咎められることもなく済んだ。舞曲集の好評に気を良くしたブラームスはドボルザークにも舞曲を書くよう勧めた。その結果生まれたのがドボルザークの「スラヴ舞曲集」という。最後の曲目シューマンの「交響曲第1番『春』」については「第1楽章は独立しているが、2~4楽章は切れ目なく連続して演奏します」などと話していた。

 いよいよ開演。シューベルトの「イタリア風序曲第2番」はハ長調ドミソの和音を基調とする明るい曲調。歯切れのいいリズミカルな演奏が耳に心地良く響いた。2曲目ブラームス「ハンガリー舞曲集」では全21曲中7曲を取り上げ、1番→3番→2番→7番→10番→5番→6番の順番で演奏。その中で1番と7番と5番と6番が印象に残った。

 1番では弦が奏でる叙情的な響きにうっとり、7番はスタッカートの明るく弾む演奏が印象的だった。5番はたぶん知らない人がいない、この舞曲集中最も有名な曲。まさにこれが舞曲、と思わせる力感あふれる演奏を聴かせてくれた。最後の6番も緩急、強弱のめりはりが利いて、7曲の演奏を締め括るに値する名演奏だった。指揮者井村氏の躍動的な指揮が団員の力量を最大限引き出しているように感じた。

 休憩を挟んで後半の演奏曲はシューマンの「交響曲第1番『春』」。シューマンは4つの交響曲を残している。この1番を作曲したのは1841年の初めで、3月にはメンデルスゾーン指揮・ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された。シューマンはその前年1840年9月、父の反対を押し切って若いピアニストのクララと結婚している。

 第1楽章はトランペットとホルンの高らかな響きで始まる。春の訪れを祝うかのように命の躍動を管と弦が一体となって表現した。第2楽章は一転、弦と木管のやや悲しげな旋律が続く。作曲時には「夕べ」という副題が付けられていた。暮れなずむなか今日も平穏な一日が過ぎていく。そんな情景を連想し、ウクライナにも早く平和な日々が戻るよう願いながら耳を傾けた。

 第3楽章はまたまた一転、力強い演奏。シンコペーションの利いたリズムが実に心地いい。第4楽章は華やかな序奏から始まる。後半のフルートの伸びやかなソロ演奏が印象に残った。アンコール曲はかつて運動会の定番曲だったオッフェンバックの「天国と地獄」序曲。次の演奏会が待ち遠しい。(次回は12月9日やまと郡山城ホールで第52回定期演奏会)

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<中丸三千繪> 「マリア・カラスコンクール」優勝から33年!

2023年03月03日 | 音楽

【感涙「化粧が流れ落ちパンダになったかもと目元を拭った」】

 33年前のこの日、1990年3月3日「第4回マリア・カラス国際声楽コンクール」のファイナル(最終選考)がイタリア・ヴェネチアで行われた。約400人の応募者から第1次、第2次選考を勝ち抜いたのは12人。そのファイナリストの中で最難関のソプラノ部門(応募280人)で優勝を飾ったのが、なんと日本人の中丸三千繪(当時29歳)だった。新聞やテレビが大きく報道し、週刊誌も特集記事を掲載していたのが、つい先日のことのように思い出される。

     

 マリア・カラス(1923~77)といえば20世紀最高のソプラノ歌手として名高い。その名を冠したこのコンクールは世界最高峰の声楽コンクールといわれ、3年に1度開かれていた。コンクールの模様は中丸が自ら綴った『スカラ座への道 マリア・カラスコンクール』に詳しい。中丸はピアニスト横山修司からコンクールの前こう声を掛けられた。「マリア・カラスコンクールといえば、日本でいったら美空ひばりコンクールというものだよ……。美空ひばり賞をイタリア人にやるかな。日本人がマリア・カラスコンクールで優勝するなんて、世界がひっくり返ってもありえないよ」

 ところがコンクールが始まると耳の肥えた聴衆から高い評価を得る。前年の12月、12日間にわたって行われた第1次をパスすると、翌年1月末の第2次(セミファイナル)も突破。この間、2匹の猫を飼っていた中丸は「自分へのささやかなプレゼント」としてもう1匹飼うことにした。第2次では歌い終わるや拍手が鳴り止まず、舞台に4回も引き戻されることに。「コンクールなのにカーテンコールなどしていいのだろうか」ととまどった。「ビス(アンコール)!」の声まで掛かった。

 ファイナルは3月3日午後8時にスタートした。中丸は第1部でヴェルディの『海賊』を歌ったが、ここでも拍手が鳴り止まなかった。「いままで歌った歌手のなかで、カーテンコールがあったのはミチエだけだよ」。誰かからこう耳打ちされた。ところがその後の衣装替えで、銀色ドレスの下のペチコート紛失騒ぎが起きる。中丸は「私のペチコート!」と叫びながら劇場内を駆け回った。お針子のおばさんが劇場衣装と間違えて持ち去ろうとしていたのだ。それでも無事に第2部を迎えてシャルパンティエの『ルイーズ』のアリアを歌い終えた。すると、またカーテンコールが3回も。

 第2部が終わったのは日が替わって午前零時を過ぎていた。審査員9人は劇場内の密室に移動し、しばらくして審査結果の発表があった。「テノールとバリトン、バスおよびモーツァルト賞は該当者なし」。続いてメゾソプラノ部門、そして最後にソプラノ部門が発表された。「第1位ミチエ・ナカマル!」。大きな歓声と拍手。中丸はその時の心境をこう記す。「確か自分の名が呼ばれたような気もしましたが、自信はありません。『そんなはずはない』という気持ちもありました」

 そのとき「地球が四角にでもなったかと思うような状態」だったとも表現する。「審査員からの抱擁とキスの嵐で、私は少しずつ正気を取りもどしていきました。泣いて化粧が流れ落ちて、まさかパンダのようになってしまったのではないかと、目元を拭ったりもしました」。発表では「ミチエ・ナカマル」という前に「審査員全員一致で」という言葉も添えられていたが、中丸は聞き漏らしていたという。

 この後、レストランで大勢の祝福を受けた中丸はホテルに戻って茨城県の実家に電話をする。2年前1988年の第3回「ルチアーノ・パヴァロッティ・コンクール」で優勝した時には母や姉も現地で喜びを共有した。だが今回は家族を呼んでいなかった。それは第1回審査員の「優勝はイタリア人以外にありえない」という発言が頭に残っていたせいでもある。国際電話が繋がって母に「お母さん、優勝したのよ」と呼びかけた。だが、母は「またお前そんな冗談いって、本当はどうだったの」と信じない。「本当よ」と繰り返すと、「本当? 本当に? お父さん、たいへん!」。そのやり取りが目に浮かぶようだ。寝た頃には午前6時になっていた。

 優勝を機に、中丸は世界的なソプラノ歌手として引っ張りだこになった。直後に凱旋帰国した中丸は大阪・鶴見緑地で開かれた「国際花と緑の博覧会」の開会式で君が代を歌った。6月には小澤征爾指揮のチャイコフスキー『スペードの女王』で悲願のスカラ座デビューを果たす。その後も欧米の歌劇場からオファーが相次いで、数々の有名オペラのプリマ・ドンナを務めてきた。

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<初夢?> ピアニスト反田恭平と小林愛実が結婚!

2023年01月02日 | 音楽

【ショパンコンクール2位と4位】

 世界的なピアニスト反田恭平さん(28)と小林愛実さん(27)がツイッターで結婚を発表した。反田さんは元日の夜、オーストリア・ウィーンからのNHK生放送「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」にゲスト出演していた。約3時間にわたるライブ中継を堪能して就寝、翌2日早朝の4時半ごろ目覚めた。いつもの習慣でニュース速報を携帯でチェック。すると、このサプライズニュースが。「これっ、初夢?」。年明け早々、こんな嬉しいお年玉があるとは!

 ツイッターには2人の連名で「いつも応援してくださっている皆様へ」に続いて、こんな文面が綴られていた。「この度、私たち反田恭平と小林愛実は結婚いたしました。そして新しい命を授かりました事をご報告いたします。小林は、今後体調を見ながらお仕事をさせていただき、延期や出演の見送りなど、ご迷惑をおかけすることもありますが、また会場で皆様にお会いできる日を本当に楽しみにしております。これからは2人で支え合いながら、互いに音楽家としてより一層精進していきたいと思っていますので、私たち夫婦を温かく見守って頂ければ幸いです。令和5年元旦」

 反田さんと小林さんは2021年10月ポーランド・ワルシャワで開かれた「第18回ショパンピアノコンクール」で一躍脚光を集めた。本選ファイナル進出者12人のうち日本人はこの2人だけ。そして2人ともショパンのピアノ協奏曲第1番を好演し、それぞれ2位、4位と同時入賞を果たした。ショパンコンクールでの2位は1970年の内田光子さん以来の日本人最高位。1年2カ月前、国立ショパン研究所によるユーチューブのライブ配信にかじりついていたのがつい昨日のように思い出される。

 小林さんのこのコンクール出場は前回の2015年大会に続いて2回目。このとき日本人で唯一人ファイナルに進出した。その模様をこのブログでも2015年10月17日「小林愛実(20歳)ファイナル進出決定!」と取り上げた。ただ、この大会では残念ながら入賞を逃していた。その6年後2021年大会 (ショパンコンクールは5年に1度開催だが、新型コロナの影響で1年延期された)で悲願の入賞を果たしたわけだ。

 反田さんと小林さんは1歳違いだが、ともに小学生高学年のとき同じ音楽教室で学んでいたという。高校も同じ桐朋女子高校(男女共学)音楽科に在籍。反田さんは高校在学中、日本音楽コンクールを制し、その後、モスクワのチャイコフスキー音楽院に進んだ。一方、小林さんは2015年のショパンコンクール出場時、米フィラデルフィアのカーティス音楽院に留学中だった。幼馴染みの2人が長年、刺激しあって切磋琢磨する間柄だったのは間違いない。

 元日の「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」で反田さんはウィーン楽友協会の演奏会場とNHKの中継現場を何度も往復しては、赤木野々花アナウンサーの質問に答えていた。その穏やかな表情と語り口が印象的だった。最後に新年の抱負を問われると、「水を与えて芽が出るような活動を進めたい」というようなことを語っていた。反田さんはウィーンで指揮を学ぶ傍ら、日本国内では奈良を拠点に「Japan National Orchestra」を立ち上げ、若手ソリストたちのリサイタル活動を後押ししている。反田さんの「芽が出るような活動」の発言にそうした挑戦を思い浮かべた。ただ、その後のツイッターで伴侶小林さんに新しい生命が育まれていることも分かった。こうしたことも踏まえての発言だったのかもしれない。

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<にじいろ吹奏楽> 奈良県内の26バンドが熱演!

2022年11月06日 | 音楽

【全国大会出場控えた生駒市立の3小学校も】

 奈良県内の小中高校の吹奏楽部や市民吹奏楽団が日頃の練習成果を披露する演奏会「にじいろ吹奏楽」が11月5日、奈良県文化会館(奈良市)で開かれた。奈良県みんなでたのしむ大芸術祭実行委員会、奈良県吹奏楽連盟などの主催。県内各地から26バンドが結集し、約8時間にわたって次々と迫力いっぱいの演奏を繰り広げた。

 演奏会は午前10時半、畝傍高校吹奏楽部の演奏からスタートした。司会はラジオやテレビでDJやリポーターとして活躍中の向井亜季さんと、市民楽団セントシンディアンサンブル代表・指揮者の福島秀行さん。長丁場の演奏会のため昼すぎに出かけ午後2時半スタートの生駒高校から終演の生駒中学まで約4時間演奏に耳を傾けた。

 県内の市町村では生駒が吹奏楽の盛んな地域として有名。それを示すようにこの日出演した26バンドのうちほぼ3分の1の9バンドが生駒に拠点を置く。しかも生駒市立の3つの小学校は今月11月19日大阪城ホールで開かれる「第41回全日本小学生バンドフェスティバル」にそろって出場する。あすか野小学校ブラスバンドと俵口小学校金管バンド、桜ケ丘小学校ハーモニックバンドクラブ。関西から全国大会に駒を進めた4校のうち3校を奈良県勢、しかも生駒市だけで占めるのだから「すごい」としか言いようがない。

 すごいのは小学生だけではない。この日の演奏会を締めくくる生駒中学は全国大会で1988年以来、たびたび金賞を受賞してきた全国屈指の実力校。つい先日10月22日に名古屋で開かれた「第70回全日本吹奏楽コンクール」でも金賞に輝いた。これで2019年から新型コロナで中止だった20年を挟んで3回連続の金賞。実はこの日演奏会の後半に合わせ出かけたのも、生駒勢を中心とする吹奏楽の醍醐味を改めて味わいたいとの思いからだった。

 あすか野小学校ブラスバンドは創部29年目。この日は映画「BRAVE HEARTS 海猿」の音楽などを演奏、トランペットの伸びやかな響きが印象的だった。続いて登場した俵口小学校金管バンドは創部36年目。ロバート・スミス作曲の難曲「ダンテの神曲」に続く2曲目はがらっと変わって「ひょっこりひょうたん島」だった。目を瞑って聴くと「これが本当に小学生?」と思わせるダイナミックな演奏。司会の向井さんも指摘していたように「力強い演奏と可愛らしさのギャップ」が印象的だった。

 桜ケ丘小学校ハーモニックバンドクラブは全日本小学生バンドフェスティバルで昨年に続き2年連続の金賞を狙う。この日の演奏会は10月に加わったばかりの3年生の新入部員15人にとっては初舞台。横一列になって先輩たちの「花まつり」の演奏に合わせて踊っていた。この後、全日本での演奏曲も披露した。

 最後に生駒中学が登場すると、前列のご夫婦とみられる二人のうち男性が何度も右手を大きく振っていた。多分舞台にお嬢さんがいるのだろう(大半が女生徒だったので)。分かる、その気持ち。全国大会で金賞に輝いた自慢のバンドのメンバーなのだから。演奏曲も金賞受賞曲「ジェネシス」と「陽が昇るとき」だった。その迫力満点の大音量と美しい響きが織り成す名演奏に、会場からは拍手が鳴り止まなかった。彼らの演奏を聴くうち、10年前の2012年秋「いこま国際音楽祭」で、フルートなどのソリストと共演した小中学生たちのブラスバンドの演奏を聴いたときの感動が蘇ってきた。

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<万葉植物園> 春日古楽保存会「奉納演奏会」

2022年11月04日 | 音楽

【春日若宮の造替と創立90周年を記念し】

 春日大社の万葉植物園(奈良市)で文化の日の11月3日、春日若宮の式年造替を祝う「奉納演奏会」が開かれた。主催は古典芸能の保存に取り組む春日古楽保存会で、会の創立90周年記念を兼ねた催し。植物園の中央にある池に設けられた浮舞台で、約1時間半にわたり春日大社に古くから伝わる田楽と細男(せいのお)、舞楽が演じられた。

 春日古楽保存会は1932年に春日大社を中心として雅楽、田楽、細男などの保存・伝承を目的に発足。その後、雅楽部門が「南都楽所(なんとがくそ)」として独立した。奉納演奏会は午後1時にスタートした。最初に演じた田楽座は「春日若宮おん祭」(毎年12月開催)で行われる芸能のうち最も興福寺と深い関係のある芸能集団といわれる。

 田楽の起源については神に五穀豊穣を祈る舞、農耕を慰労するための所作など諸説ある。この日は笛や太鼓、小鼓の音に合わせ『中門口』『刀玉』『高足』『もどき開口』『立合舞』などの演目が次々に演じられた。演者は紅色の華やかな装束に平べったい朱色の綾藺笠(あやいがさ)。その中でひときわ目を引くのが、高い下駄を履いて赤い鳥居や花や人形で飾られた大きな花笠を頭上に載せた笛役の男性。人形は伝統工芸「奈良一刀彫」の起源といわれている。

 続いて舞台に上がったのは細男座(せいのおざ)の舞人6人。全身、浄衣という白い装束姿で、目の下にも白くて長い布を垂らす。演じる細男舞は神功皇后の故事に因む。伝説によると、筑紫の浜である老人が「細男を舞えば磯良(いそら)と申す者が海中より出て、千珠・満珠の玉を献上す」と言ったのでこれを舞わせたところ、磯良が出てきたが顔に貝殻を付いていたので覆面をしていたという。

 舞人6人は小鼓、笛、袖役がそれぞれ2人ずつ。まず袖役2人が小鼓と笛の音に合わせ、袖で顔を隠しながら前屈みの姿勢で歩を進める。続いて小鼓の2人が鼓を打ちながら同じようにゆっくり進む。その後も袖・小鼓・袖・小鼓……と続く。その間、右手の笛役2人が笛を吹き続けるのだが、その音には音階がほとんどなく、なんとも心もとない単調な音色。実に神秘的というか、あるいは不思議で滑稽というか。ちらしの曲目解説には「わが国芸能史のうえでも他に遺例のない貴重なもの」とあった。

 舞楽の演目は左舞(唐楽)の「萬歳楽」と右舞(高麗楽)の「延喜楽」。「萬歳楽」は隋の皇帝煬帝が楽工の白明達に作らせたもので、鳳凰が萬歳と唱えるのを舞に表したといわれる。舞人4人は赤い襲(かさね)装束に鳥甲の冠姿。「延喜楽」は908年(延喜8年)に藤原忠房が作曲し、敦実親王が舞を作ったという。舞人は緑色の襲装束。最後に「長慶子(ちょうげいし)」の演奏で、この日の奉納演奏会を締めくくった。

 春日大社の摂社若宮(下の写真)は「大和国の総鎮守」「芸能の神」として信仰を集めてきた。1年半がかりの本殿修理が終わり、10月28日に本殿遷座祭が執り行われた。これを記念し拝舎に至る神楽殿の石段を初公開する特別参拝「八日間初まいり」を11月6日まで行っており、春日大社では11月中の毎土曜日「奉祝万燈籠」として境内の燈籠3000基に浄火を灯す。また11月中、さだまさしやバイオリニスト古澤巌ら、ゆかりの深いアーティストや市民団体による奉納コンサートや芸能奉納が予定されている。奉納コンサートは25日まで続きボサノバの小野リサがトリを飾る(これに申し込んでいたが、先日「落選」の通知が届いた。残念!)。

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<JNO> 室内楽の好演に万雷の拍手

2022年06月04日 | 音楽

【ゲストにベルリン・フィルのオーボエ奏者ら】

 奈良県文化会館国際ホールで6月3日「Japan National Orchestra & Friends~JNOメンバーと海外トップアーティストによる極上の室内楽」と銘打った演奏会が開かれた。ジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)はピアニストの反田恭平が創設し、コンサートをプロジュースする実力派の若手演奏家集団。この日は所属メンバーのうち10人が参加し、ピアニストの務川慧悟やベルリン・フィルのオーボエ奏者クリストフ・ハルトマンら4人がゲストとして加わって5曲を披露した。室内楽の醍醐味を堪能させてくれる息の合った演奏に、満席の会場からは万雷の拍手が鳴り止まなかった。

 反田恭平は昨年秋のショパン国際ピアノコンクールで、日本人としては内田光子以来51年ぶりの2位に入賞し一躍世界の注目を集めた。JNOの前身「MLMダブル・カルテット」を立ち上げたのは4年前の2018年。昨年、JNOに改名するとともに会社組織化して奈良市に本社を設立した。奈良との縁は4年前、奈良を創業地とする工作機械メーカーDMG森精機がドイツで主催したコンサートに、反田が急遽日本から駆け付けて出演したのを機につながった。こうしたことから地元奈良でのJNOへの熱い思いは高まっており、この日のチケットも発売まもなく全席完売だった。

 コンサートは誰にでも馴染みのあるシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」から始まった。ピアノの務川慧悟は昨年、世界3大コンクールの一つ、エリザベート王妃国際音楽コンクールで3位入賞を果たしたばかり。切れがあると同時にまろやかで豊かな響きが印象的だった。この後、ヴィヴァルディの「室内協奏曲」、サン=サーンスの「七重奏曲」と続いた。七重奏曲は弦とピアノにトランペットが加わる室内楽曲としてはユニークな構成で、トランペットは日本フィルのソロトランペッター、オッタビアーノ・クリストーフォリが演奏した。ピアノが独特なリズムを刻む中、チェロ・ビオラ・バイオリン・トランペットと順々に音をつないでいく第3楽章の間奏曲は耳に心地良く聴き応えがあった。

 後半の1曲目はモーツァルトの「ピアノと管弦のための五重奏曲」。オーボエのクリストフ・ハルトマンは1992年からベルリン・フィルのオーボエ奏者を務める傍ら、「アンサンブル・ベルリン」「フィルハーモニー・オーボエ・カルテット」の創設メンバーとしても活躍中。クラリネットは名古屋フィル首席奏者のロバート・ボルショスが担当した。ピアノを挟んで両者が向かい合う形になったが、ハルトマンがほぼ直立したままで動きが少ないのに対し、ボルショスは膝を折り曲げたり上半身を前後に揺らしたり。2人の対照的な動きも見ていて愉快だった。

 続くルイ・シュポア作曲「九重奏」は4楽章の構成で演奏時間が30分を超える大作。弦楽4人・木管5人で、JNOのメンバー8人にクラリネットのボルショスが加わった。指揮者のいない室内楽の魅力は演奏者同士の呼吸や会話といわれるが、この演奏はまさにその魅力を堪能させてくれるものだった。例えば第3楽章のアダージョ。弦側が演奏するとき向かいの管側はじっと聴き入り、その後、管側がそれに応えて音を奏でる。それはまるで万葉集の相聞歌の世界だった。額田王が「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き…」と歌えば、大海人皇子が「紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあれば…」と返したように。室内楽の深い味わいを再確認できた至福の2時間だった。

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<ソプラノ藤井玲南> ギター大萩康司と初共演

2022年05月29日 | 音楽

【イタリア古典歌曲やバッハ・グノーのアヴェ・マリアなど】

 ソプラノの藤井玲南とギター大萩康司のデュオリサイタルが5月28日、奈良県コンベンションセンター(奈良市)の天平ホールで開かれた。今年で10回目を迎えた音楽の祭典「ムジークフェストなら2022」の一環。「奈良は修学旅行以来」という藤井は、大萩の洗練されたギター伴奏に乗せて透明感あふれる歌唱を披露した。初共演とは思えない息の合った名演で、ピアノ伴奏とはまた違った味わいがあった。

 藤井は東京芸大卒業後渡欧して研鑽を積み、ドヴォルザーク国際声楽コンクール、日本音楽コンクールなど内外で入賞を重ねてきた。三大テノールの一人ホセ・カレーラスと共演したこともあるという。一方、大萩も高校卒業後に渡欧し、フランスやイタリアの音楽院で学んだ。中世音楽から現代曲までレパートリーの広さに定評があり、NHKの「ららら♪クラシック」などテレビの音楽番組にも多数出演している。

 リサイタルはまずイタリアの古典歌曲「私の偶像のそばに」「カーロ・ミオ・ベン」など3曲から始まった。抑制の利いた伸びやかな高音が印象的だった。この後、大萩が持参した名器プーシェなど3本のギターを取り替えながらソロ演奏。中世の「アリア」「白い花」など4曲(作曲者不詳)とヴィンチェンツォ・ガリレイ作曲「歌と舞曲」を披露した。この人物は天文学者ガリレオ・ガリレイの父親に当たるとのこと。この後、藤井が再び登場し、マウロ・ジュリアーニ作曲「6つのアリエッタ」から4曲を熱唱した。バッハ・グノーの「アヴェ・マリア」とプーランク「愛の小径」のアンコール2曲も秀逸。わずか1時間ほどだったが、心に残る爽やかなコンサートだった。

【沖縄DAY りんけんバンドも登場】

 奈良県コンベンションセンターではこの日「沖縄DAY 命薬(ヌチグスイ)・唄薬(ウタグスイ)~音楽は生きる力」と銘打つコンサートもあった。会場は天平ホールより広いコンベンションホール。第1部には新良幸人やゆいゆいシスターズなど、第2部には琉球國祭り太鼓奈良支部とりんけんバンドが登場した。

 りんけんバンドの演奏を聴くのは2016年6月の春日野園地でのイベント「沖縄音楽とエイサー」以来。ボーカルの上原知子の透き通った歌声はなお健在だった。まさに希代の歌姫。とても60歳代には思えなかった。その秘訣は? ネットのインタビュー記事には「とにかく毎日声を出すこと。それに尽きます」とあった。夫でリーダーの照屋林賢については「夫婦というより同志というほうが近い」とのこと。人気曲「ポンポンポン」「乾杯さびら~ありがとう」などリズミカルで力強い演奏が続いた。ただ掛け声や指笛はご法度。もちろん立ち上がっての手踊りカチャーシーも。コロナのせいで会場の盛り上がりがいまひとつだったのが少し残念だった。

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<関西フィル> ラフマニノフ「ピアノ協奏曲2番」

2022年05月16日 | 音楽

【奈良出身の原田莉奈、渾身の名演奏】

 関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏会が5月15日、奈良県文化会館(奈良市)で開かれた。この日は県内各地で音楽イベントが22日間にわたって展開される「ムジークフェストなら2022」の開幕日。関西フィルのコンサートは東大寺大仏殿でのオープニングコンサートに続いて行われた。会場の国際ホール(約1300席)は満席の盛況。演奏会は映画音楽2曲から始まった。行進曲風のバリー・グレイ作曲「サンダーバードのテーマ」と、弦楽器だけによる哀愁を帯びたミシェル・ルグラン作曲の「シェルブールの雨傘」(いずれも川上肇編曲)。

 観客が最も楽しみにしていたのは続くラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」だろう。この曲も映画ファンにはお馴染み。「逢びき」「旅愁」「七年目の浮気」などで使われ、さらにアニメ「のだめカンタービレ」でも。フィギュアースケートでもしばしば使用されてきた。2009年ヴァン・クライバーン国際コンクールのファイナルで辻井伸行が弾いた優勝曲でもある。しかも今回ピアノを演奏するのが地元奈良市出身の原田莉奈さん(25)。東京芸大の大学院3年生だ。第15回ローゼンストック国際ピアノコンクール2位(1位なし)など受賞歴も豊富。既にベルリン芸術大学ソロピアノ科修士課程に合格しており、9月からはドイツへの留学が決まっている。

 その演奏を間近で聴きたいとチケット発売初日に最前列の席を確保した。しかも鍵盤を操る手の動きがよく見える中央の少し左側の席。舞台の前面に置かれたピアノのスタインウェイまで5mもない至近距離だった。指揮の藤岡幸夫が演奏前「安定して揺るぎない技術。今後さらに進化していくだろう」と原田さんを評していた。その言葉通り難曲を難曲と思わせない高度な技巧で、強弱・緩急のメリハリが利いた名演奏だった。特に第2楽章の甘くせつない響きと第3楽章終盤の壮大で力強い演奏は圧巻。満場の客席から温かい拍手が鳴り止まなかった。

 原田さんが公演でこの2番を弾いたのは4年ぶりとのこと。「曲の解釈や体力的に変わってくるが、今後もその時々のベストを尽くして勉強を重ねていきたい」。その真摯な姿勢が自信にあふれた演奏にも表れていた。この国際ホールの舞台に上がったのは中学時代以来とも話していた。会場には家族や知人らも多く駆け付けていたに違いない。アンコールはリストの「ラ・カンパネラ」。来年1月8日にはドイツから一時帰国して京都でリサイタルを開くそうだ。休憩を挟んで後半の演奏曲はベートーベン「交響曲第7番」。こちらも藤岡の躍動的な指揮に加えコンサートマスター岩谷祐之(奈良県天理市出身)の統率力もあって、一糸の乱れもない素晴らしい演奏だった。

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<ショパンコンクール③> 反田恭平、2位入賞の快挙!

2021年10月21日 | 音楽

【2回目挑戦の小林愛実も4位入賞】

 ポーランドのワルシャワで開催された第18回ショパン国際ピアノコンクールの本選ファイナルで、反田恭平(27)が2位、小林愛実(26)も4位と日本人2人が入賞に輝いた。日本時間21日朝、主催者の国立ショパン研究所が発表した。世界最高峰のこのピアノコンクールで過去の日本人の最高位は1970年第8回大会での内田光子の2位。反田は惜しくも優勝には届かなかったものの、51年ぶりにそれと肩を並べた。前回2015年にファイナリストとなりながら入賞を逃した小林も今回悲願の入賞を果たした。

 

 審査結果は当初日本時間の21日午前6時半(現地時間20日午後11時半)ごろ発表の予定だった。ところが現地の日付が変わってもなかなか発表されず、結局、審査員たちが発表会場に現れたのは午前9時(同21日午前2時)すぎだった。今回は7月の予備予選応募者が世界約50カ国・地域から500人を超え、10月の1次予選出場者は87人(当初予定80人)、2次進出者45人(同40人)、3次進出者23人(20人)と予定枠より多く、本選にも反田と小林を含む12人(同10人)が進出していた。それだけ有能な若手ピアニストが数多く参加していたことを表す。甲乙つけがたいファイナル進出者12人をどう評価するか。審査員17人が議論に議論を重ねるうち審査時間が大幅に長引いたのだろう。入賞者は通常1~6位の6人だが、今回は2位と4位が2人ずつとなって受賞者は計8人に。その異例の入賞者数と変則的な順位付けが、悩みに悩み抜いた審査員たちの苦悩ぶりを物語っているようだ。

 入賞者は次の通り。【1位】ブルース・リウ(カナダ24歳)【2位】反田恭平(27歳)、アレクサンデル・ガジェヴ(イタリア/スロベニア26歳、ソナタ賞も)【3位】マルティン・ガルシア・ガルシア(スペイン24歳、コンチェルト賞も)【4位】小林愛実(26歳)、ヤクブ・クシュリス(ポーランド24歳、マズルカ賞も)【5位】レオノラ・アルメリーニ(イタリア29歳)【6位】ジェイ・ジェイ・ジュン・リー・ブイ(カナダ17歳)。入賞者の年齢は17歳~29歳と幅広い。ファイナルには17歳がもう2人進出していた。今後の活躍が楽しみだ。

 18~20日の3日間行われた本選ファイナルでは12人がショパンのピアノ協奏曲をワルシャワフィルハーモニー管弦楽団と共演した。協奏曲第1番を演奏したのが9人、残りの3人が第2番だった。反田恭平は初日の3番目に登場し第1番を演奏。緩急・強弱のメリハリの利いた豊かな響きで、第3楽章の最後の1音が鳴ると同時に、まだオーケストラの演奏が終わらないうちにホール全体から大きな拍手が沸き起こった。弾き終えた反田の表情は長丁場のコンクールをやりきった安堵感と達成感にあふれていた。3日目の1番目に登場した小林愛実はやはり協奏曲第1番を選択、繊細なタッチで1音1音を慈しむように響かせて、万雷の拍手に包まれた。

 反田は桐朋女子高校(男女共学)の音楽科に在学中、日本音楽コンクールで第1位・聴衆賞を受賞。その後、モスクワのチャイコフスキー音楽院に進み、4年前からはワルシャワのショパン音楽大学で学ぶ。師事するピオトル・パレチニ教授はポーランドを代表するピアニスト。頻繁に来日公演する傍ら、若手日本人ピアニストを多く指導してきた。2019年にはその功績が認められて旭日中綬章を受章している。ショパンコンクールの常連の審査員でもある(ただし審査員は生徒を採点できない決まりがある)。パレチニ教授は教え子の反田が自分の3位(1970年の第8回大会)を上回る2位に選ばれたことをことのほか喜んでいるに違いない。

 なお優勝者ブルース・リウが弾いたピアノはイタリアのファツィオリで、3位と5位もファツィオリだった。反田恭平と小林愛実の使用ピアノはスタインウェイ。反田と同じ2位のアレクサンデル・ガジェヴと、6位のジェイ⋅ジェイ⋅ジュン⋅リー⋅ブイは日本のカワイだった。カワイピアノの大健闘に関係者もさぞ喜びに沸いていることだろう。

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