く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ペンタス> 熱帯アフリカ原産、星形の小花が半球状に

2015年09月29日 | 花の四季

【常緑低木のサンタンカに似た草花、だから和名は「草山丹花」】

 アカネ科ペンタス属の多年草。暑さに強い半面、寒さにやや弱いことから、園芸上は1年草として扱われる。ペンタス属は熱帯アフリカ東部からアラビア半島にかけて30~50種ほど分布するが、広く栽培されているのは「ペンタス・ランセオラータ」(学名)で、この種が一般に「ペンタス」と呼ばれている。

 主な花期は夏から秋にかけて。草丈40~50cmで、茎の先に径1~1.5cmほどの筒状花を半球状に30~40輪付ける。花色は白、桃、青、紅紫、藤色など多彩。花弁に白い縁取りが入った覆輪花もある。花びらの形は5つに裂けた星形。そのため英名では「エジプシャン・スター・クラスター」(エジプトの星の群れ・星団)というロマンチックな名前が付けられている。

 日本には明治末期から大正初期にかけて渡ってきた。愛らしい花で、暑さに強く花期も長いことから、花壇や鉢植えとして人気を集めている。和名は「クササンタンカ(草山丹花)」。花姿が同じアカネ科の常緑低木サンタンカに似ていること、花木ではなくて草花であることから名付けられた。サンタンカはデイゴ、オオゴチョウとともに「沖縄3大名花」の1つ。

 ペンタスの語源はギリシャ語で数字の「5」を意味する「ペンテ」から。花びらが星形に5つに分かれていることによる。そういえば、米国防総省も建物が五角形だから「ペンタゴン」と呼ばれている。カメラの「ペンタックス」もファインダーに搭載された五角形のペンタプリズムから、インテル製CPU(パソコンの心臓部)「ペンティアム」も5番目の型番ということから名付けられたそうだ。ちなみにギリシャ語で数字の3は「トリ」、4は「テトラ」、6は「ヘキサ」。

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<近大農学部> 里山学講座「土の中の生き物たち」

2015年09月28日 | メモ

【ミミズのはたらき、シロアリの役割】

 近畿大学農学部(奈良市)で27日、「土の中の生き物たち」をテーマに里山学公開講座が開かれた。京都大学名誉教授の渡辺弘之さん(写真㊧)が「土づくりへのミミズのはたらき」をテーマに講演、続いて近畿大学農学部環境管理学科講師の阿部進さん(㊨)が「熱帯生態系におけるシロアリの役割―土壌生成論からの解釈」と題して講演した。

 

 『種の起源』で進化論を唱えたチャールズ・ダーウィン(1809~82)はミミズの研究にも生涯をかけ、最晩年の最後の著作もミミズに関するものだった。その中でダーウィンはミミズが土の耕転・改良に大きな役割を果たしていることを実証した。その著作を日本語訳し『ミミズと土』として出版したのがこの日の講演者の渡辺さん。世界各地のミミズの研究に長年取り組んできた〝ミミズ学〟の第一人者だ。

 ダーウィンは1842年、牧草地に白亜の破片を撒き、29年後に掘ってみた。すると白亜は深さ18cmの所に埋まっていた。ミミズが糞塊を少しずつ積み上げた結果だった。渡辺さんも若い頃、京都の草地でクソミミズによる土壌耕転量を調べるため、ピンセットで糞を回収し続けたという。その結果、1年間の糞塊生成量は1㎡当たり3.8kgに達した。これは土壌3.1ℓに、厚さでは3.1mmに相当する。しかも糞塊が乾燥や雨で崩れて回収できなかったものあり、地中のトンネル内にも大量にあることから「実際にはこの5~10倍の土を動かしているのではないか」とみる。

 渡辺さんはタイ東北部でも巨大な糞塔をつくるミミズを2カ所で調査した。ここでは1年間に出された糞塊が1㎡当たり13.3kgと22.5kgだった。これも表土8.8~11.5ℓに相当し、厚さ0.9~1.5cmの新しい土の層をつくったことになる。「人類が出現するはるか以前から土地はミミズによってきちんと耕され、現在でも耕され続けている。食物や作物が育っている土は何度もミミズの消化管を通ってきた」というのはダーウィンの記述だが、渡辺さんも改めて土を耕すミミズの働きを立証してみせた。

 日本には不可能なこととして「蚯蚓(ミミズ)の木登り」「蚯蚓が土を食い尽くす」という諺があるそうだ。「蚯蚓の案じ事」は大地の土を食べ尽くした後、何を食べようかと心配することで、無用なことを意味する。「しかし」と渡辺さん。「ミミズは土を食べ尽くしている。問題なのはそのミミズが少なくなっていること」。

 阿部さんは〝土壌生態系改変者〟としてミミズ、シロアリ、ヤスデを挙げ、事例研究としてアフリカ・ナイジェリアのサバンナでのシロアリ塚について紹介した。塚は高さが2~3mあり、粘土とシルト(砂より小さく粘土より粗い沈泥)でできているという。シロアリは粘土を下層から持ち上げることで土壌を循環させており、サバンナの生態系にも大きな影響を与えていると指摘した。シロアリの活動によって直径5~10mほどの窪地も無数にできているという。2年草に囲まれており、雨季になると円の中に水が貯えられる。その窪地は「フェアリー・サークル(妖精の円)」と呼ばれているそうだ。

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<BOOK> 「なぜ、日本人は横綱になれないのか」

2015年09月27日 | BOOK

【舞の海秀平著、ワック発行「WAC BUNKO」】 

 日馬富士に続き白鵬の序盤休場で、悲願の日本出身力士の優勝が期待された大相撲9月場所。だが、終わってみれば賜杯を手にしたのは1人横綱の鶴竜。大関照ノ富士は右膝靱帯損傷にもかかわらず本割で鶴竜を下し決定戦まで持ち込んだのはさすが。次期横綱候補の最右翼が照ノ富士であることは間違いない。〝モンゴル4人横綱時代〟の到来がいよいよ現実味を帯びてきた。

       

 「なぜ、日本人は横綱になれないのか」。日本人なら相撲ファンならずとも忸怩たる思いを抱いていることだろう。日本人横綱の誕生は1998年の3代目若乃花が最後。2003年に弟の貴乃花(現貴乃花親方)が引退してからは日本人横綱不在が10年以上も続く。日本出身力士の優勝は2006年初場所の大関栃東(現玉ノ井親方)が最後で、以来9年余にわたって優勝なし。これじゃ〝国技〟の名も廃るというものだろう。

 著者舞の海は現役時代〝平成の牛若丸〟の異名を執り、今はNHK解説者やテレビCM、タレントなどとして活躍中。日本人横綱が出ない背景について「相撲界だけの問題ではなく、日本人全体の問題もあるのではないか」とし指摘する。まず教育や躾の問題。小見出しを拾うと「権利だけを主張する最近の親が教育を悪くしている」「子どもには勝ち負けや順位が励みになる」「『ハングリー精神って何ですか?』」「言葉で傷つく、ひ弱な若者が多くなっている」……。

 加えて収入の問題。プロ野球は1億円以上のプレーヤーが70人近くいるのに大相撲は白鵬1人だけ。夢=金という風潮が強い中で、「日本人の若者が力士になりたいという夢は持ちにくい」。一方、同じ収入でもモンゴル人にとっては生活レベルから10倍の価値がある。ハングリー精神があり、モンゴル相撲の伝統から大相撲にも馴染みやすい。最後に「日本相撲協会は短期的な相撲人気に左右されずに、大相撲のこれからを見据えて、長い目で相撲文化の継承・普及に取り組んでもらいたい」と注文する。

 舞の海のテレビ解説は歯切れがよくなかなか好評のようだ。ただ今年7月場所では「白鵬の力は落ちている」とずばり発言し、これに対し白鵬が優勝後のインタビューで「もう少し温かい言葉を頂ければうれしい」と話す場面も。その伏線と思われるエピソードが本書(5月発行)の中にあった。

 舞の海が引退後、春日野部屋に稽古を見て行ったときのこと。宮城野親方(白鵬の師匠)が来ていて「白鵬が稽古に来る」というので待っていたが、一向に姿を現さない。そのうち白鵬の付け人がやって来て親方に「今日はこちらには来ませんよ」と。舞の海はその1件について「自分の部屋の力士の行動も知らないのです。そんなことでは親方は笑いものになってしまいますが、師匠の指導が問題なのです」と手厳しい。

 さらに白鵬の取り口についても「品格のない面もある」と指弾する。「(肘を相手の顔にぶつけるような)威嚇行為をすること自体、余裕がなくなっていることを示し……」「横綱にもかかわらずしばしば張り手をします。白鵬が尊敬する大鵬は、横綱になってから張り手はしたことがないと思います」。白鵬は本書でのこうした親方批判や取り口批判にもカチンと来ていたのではないだろうか。

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<ヤブラン(藪蘭)> 細長い葉が春蘭に似て、木陰の藪の中に生えるから

2015年09月24日 | 花の四季

【学名や花色から「リリオペ」や「サマームスカリ」の別名も】

 日本、中国、台湾に分布するキジカクシ科(旧分類ユリ科)リリオペ属(ヤブラン属)の常緑性多年草。林野の藪などに自生し、細長い葉がシュンラン(春蘭)にそっくりなことから「藪蘭」の名が付いた。名前はランだが、スズランやオリヅルランなどと同様ランの仲間ではない。

 開花期は8~10月。地際から伸びる幅1cmほどの細長い葉の間から花茎を伸ばし、紫色のごく小さな花を穂状に付ける。たまに見られる白花は「シロバナヤブラン」と呼ばれる。晩秋になると、黒い球状の種子ができる。最近人気なのが「フイリヤブラン」。葉に白や黄色の斑(ふ)が入る園芸品種で、明るい雰囲気から洋風の庭にもマッチする。

 ヤブランは属名から「リリオペ」とも呼ばれる。その名前はギリシャ神話に登場する水の妖精「レイリオペ」(ナルキッソス=「ナルシスト」の語源=の母)に因む。またムスカリに似た花色から「サマームスカリ」という別名もある。根茎の肥大部は「大葉麦門冬(だいようばくもんどう)」(生薬名)として漢方に配合される。ヤブランより一回り小型のものに「ヒメヤブラン」や「コヤブラン」(リュウキュウヤブラン)。

 「ヤマスゲ(山菅)」はヤブランの古名ともいわれる。万葉集には山菅を詠んだ歌が十余種含まれる。その1つに「ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨降りしきしくしく思ほゆ」(柿本人麻呂歌集より)。『万葉の花』(片岡寧豊著)によると、この歌の山菅は「ヤブランやジャノヒゲ(蛇の鬚)とする説が有力」。ジャノヒゲは別名リュウノヒゲ。ただ牧野富太郎博士は『植物記』の中で、万葉集で歌われた山菅の多くは「本当のスゲ属」の植物とし、ヤブランについては「全然万葉歌の何れにも無関係」と断じている。

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<大和神社> 秋の大祭に合わせ「紅しで踊り」を奉納

2015年09月23日 | 祭り

【五穀豊穣に感謝、地元の幼稚園児たちも踊りを披露】

 奈良県天理市の大和(おおやまと)神社で23日、秋季例祭が行われた。午前中の巫女舞などの神事に続いて、午後1時半からは本殿前の広場で太鼓や鉦(かね)のお囃子に合わせて「紅(べに)しで踊り」が奉納された。この後、地元の幼稚園児たちも輪になって踊りを披露、観客から大きな拍手をもらっていた。

 「紅しで踊り」は江戸時代、干ばつに苦しむ農民たちが雨乞いをしたところ願いが通じて豊作となり、神様に感謝の踊りを奉納したのが始まり。元々踊り手は男性で、白い四手(しで)を手に踊る「白しで踊り」だったそうだ。その後、一時途絶えた時期があったが、60年ほど前に女性が赤い四手を持って踊る「紅しで踊り」として復活した。

 

 毎年踊りを披露するのは「紅しで踊り保存会」のメンバー。今年は約30人が鉢巻き、手甲、脚絆に紅色のたすき姿で参加、踊りの奉納の前に全員で記念撮影に臨んでいた。「ヨイトコ、ヨイトコ、ヨ~イヤナ」。そんなお囃子に合わせて踊り始めると、途中で神様に豊作を感謝するようにお辞儀をする仕草も見られた。続いて踊った幼稚園児は男女合わせて25人。付き添いの先生方9人も園児たちの間に入って踊っていた。

 

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<インパチェンス> 夏の花壇を彩る「アフリカホウセンカ」

2015年09月21日 | 花の四季

【語源はラテン語の「耐えられない」、果実が弾け種子を飛ばす様から】

 タンザニア、モザンビークなどアフリカ東部原産のツリフネソウ科の常緑多年草。インパチェンスは属名で、日本でインパチェンスという場合「インパチェンス・ワレリアナ」のことを指す。和名は「アフリカホウセンカ」。オランダや米国、フランス、日本などで次々と見栄えのする園芸品種が開発されてきた。

 寒さに弱いため日本では春まき1年草として栽培される。開花期が夏場を中心に長いこと、花色が赤や桃、紫、白など豊富なこと、排ガスにも強いことなどから人気が高い。同じ仲間のホウセンカより花壇などで見掛けることが増えてきた。花の後ろから「距(きょ)」と呼ばれる細長い管が伸びる。

 一重咲きのほか八重咲き、白い縞模様のある星咲き、縁取りが入る覆輪咲きなどもある。日本では1970年代初めから「サカタのタネ」が積極的に品種改良に取り組み、新品種を相次いで発表してきた。最近、国内外で人気を集めているのが「サンパチェンス」シリーズ。生育が極めて旺盛で成長スピードも速く、二酸化炭素の吸収力が高い環境浄化植物としても注目を集めている。

 南太平洋のニューギニア原産の野生種を基に米国で育成された品種群は「ニューギニア・インパチェンス」と呼ばれる。花径が7cmを超えるなど全体的に大株。インパチェンスの語源は「耐えられない」「我慢できない」を意味するラテン語「impatient」。熟した果実に触れると、もう我慢も限界とばかりに弾けて種子を勢いよく飛ばす性質から名付けられたという。

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<BOOK> 「天皇家と生物学」

2015年09月20日 | BOOK

【毛利秀雄著、朝日新聞出版発行】

 生物学に携わる世界の優れた研究者に与えられる賞に「国際生物学賞」がある。30年前の1985年(昭和60年)、昭和天皇の在位60年と長年にわたる生物学の研究を記念するとともに生物学の奨励を図る目的で創設された。内外のメンバーで構成する審査委員会で選ばれた受賞者(毎年1人)には今上天皇・美智子皇后ご臨席の中でメダルと賞金1000万円が与えられる。

            

 本書は昭和天皇、今上天皇、秋篠宮さまを中心に天皇家の方々と生物学の関わりに焦点を当て、その背景や研究内容、内外での評価などについて詳しく紹介する。著者毛利氏(1930年生まれ)は元日本動物学会会長、理学博士。東京大学教養学部学部長の後、放送大学副学長や国立基礎生物学研究所長、岡崎国立共同研究機構長を務めた。著書に『日本の動物学の歴史』(共編著)、『生物学の夢を追い求めて』など。

 序章「君主と学問」に続いて第1章「初代 昭和天皇」、第2章「第二代 今上(明仁)天皇と常陸宮」、第3章「第三代 秋篠宮と黒田清子さん」、第4章「国際生物学賞について」で構成。昭和天皇の主な研究テーマは海産無脊椎生物ヒドロゾア類と変形菌だった。この2分野で多くの新種を発見しており、「国際生物学賞」で授与されるメダルも新発見のキセルカゴメウミヒドラの群体が図案化されている。カニやウミウシ、ヒトデなどでも多くの新種を発見している。ハタグモガニ、ヒノマルクラゲ、コトクラゲ、エノコロフサカツギ……。

 昭和天皇が「雑草という名の植物はないよ」とお側の者をたしなめられたという逸話は有名。皇居の吹上御苑では草刈りなどを中止させ、自然に近い野草園とした。植物に関する最後の著書『皇居の植物』には1470種もの植物について記されている。和歌山・田辺湾の神島で1929年、博物学者で変形菌研究者の南方熊楠からキャラメルの箱に入った標本の献上があった。「筆者のような戦中派にとっては当時の感覚として、きわめて不忠・不敬なことであったと映る」とは筆者の感想。その箱は今でも昭和記念公園の昭和天皇記念館で見ることができるそうだ。

 今上天皇の主要研究分野はハゼの分類学。クロオビハゼ、コンジキハゼなど日本産の6新種を発見し、日本での新記録種や新たに和名を付けたものも20種近い。新たな和名のうちアケボノハゼとギンガハゼは美智子さまが、シマオリハゼは紀宮さま(黒田清子さん)が名付けられたそうだ。ハゼの研究は海外でも高く評価され、リンネ協会の外国会員に選ばれている。生物学分野の研究は秋篠宮さまにも引き継がれ、主にナマズやニワトリに関する論文を発表されている。悠仁さまも昆虫など生き物への関心が高いという。いずれ生物の研究に携わることになるのだろうか。

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<大和文華館> 特別企画展「中世の人と美術」

2015年09月19日 | 美術

【公家、武士、僧侶の日記や肖像、墨蹟、社寺縁起など50点余】

 大和文華館(奈良市学園南)で特別企画展「中世の人と美術」(~10月4日)が開かれている。院政期~戦国時代に活躍した公家や武士、僧侶たちの日記や消息、肖像、墨蹟、祖師絵伝、社寺縁起など、参考出陳も含め50点余りを展示中。その中には佐竹本三十六歌仙絵断簡「小大君(こだいのきみ)像」や「誉田宗庿(こんだそうびょう)縁起絵巻 下巻」、「石山寺縁起絵巻 巻第五」、可翁筆「竹雀図」など重要文化財11点が含まれる。

 

 「小大君像」(右は一部拡大)の絵は人物の細密描写絵「似絵(にせえ)」の名手といわれた鎌倉時代前~中期の画人・歌人の藤原信実、書は後京極流の祖、九条良経の筆と伝わる。小大君は三条天皇の東宮時代に女官の女蔵人(にょくろうど)として仕えたといわれ、藤原公任によって三十六歌仙の1人に選ばれた。この歌仙絵は36人が描かれた上下2巻の巻物として下鴨神社から秋田藩佐竹家に伝わっていたが、1919年に佐竹家を離れる際に分断されたという。

 「誉田宗庿縁起絵巻」は大阪・誉田八幡宮の草創や霊験譚を描いた巻物3巻。1433年(永享5年)に室町幕府6代将軍の足利義教によって奉納されたことが下巻(展示中)巻末の奥書に記されている。その絵師は同時に特別出陳されている「石山寺縁起絵巻 巻第五」を描いた絵師と同じ人物とみられているそうだ。いずれの絵巻も色彩鮮やかで、巻物の長さは約17~18mに及ぶ。

 「足利尊氏自筆御神号」は「八幡大菩薩」という5文字の墨書で、花押の形態から1336年(建武3年)頃に書かれたとみられる。清和源氏の流れをくむ尊氏は源氏の守護神、八幡神を崇敬していた。上部に孫の3代将軍義満の黒印「天山」が押されており、足利家に代々伝わっていたらしい。秋月等観筆「寿老人図」の構図は寿老人が竹杖を手に白鹿を伴って歩む。等観は室町時代の画僧で、周防国(山口)に雪舟を訪ねて絵を学んでおり、数少ない雪舟の後継者の1人といわれる。南北朝時代の公卿、中院通冬の自筆日記「中院一品記(なかのいんいっぽんき)」(東京大学史料編纂所蔵)も展示中。

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<BOOK> 「大相撲 知れば知るほど」

2015年09月17日 | BOOK

【ベースボール・マガジン社発行、「相撲」編集部編著】

 大相撲人気が続いている。今年は1月場所から4場所続けて15日間「満員御礼」。この9月場所も前売り券が既に千秋楽まで完売しており、5場所連続の大入りが確実とか。ところが第一人者白鵬が初日からよもやの2連敗・休場で、日馬富士も含め横綱3人のうち2人が休場という異常事態。前売り券を買った相撲ファンは肩透かしを食ったような気分に違いない。

          

 本書発行日は7月の名古屋場所が始まる直前の7月11日付。表紙はもちろん圧倒的な強さを誇ってきた横綱白鵬が飾る。4章構成。第1章「大相撲歳時記」では1月の明治神宮奉納土俵入りに始まって12月の冬巡業まで、関取たちの1年間をカラー写真を中心に紹介する。第2章は「大相撲ものしり帖」。賜盃(しはい)や優勝額、土俵入り、行司や呼出し、明け荷(開け荷)、弓取式、決まり手などについて詳しく触れる。

 その中には知っているようで知らないことも数々。賜盃は千秋楽の表彰式後どうなるのか。記念撮影がすむと相撲協会が預かって保管し、優勝者には後日、小型のレプリカが贈られるそうだ。優勝額は一見カラー写真に見えるが、もともとはモノクロ写真に油絵の具で彩色したもの。62年間担当していた彩色家が85歳で引退したため、昨年の1月場所からはデジタル写真技術によるカラー写真になったという。

 他にも▽「国技館」という名称がヒットしたから相撲は「国技」といわれるようになった▽番付に呼出しや床山の名前が行司のように常に載るようになったのは2008年の初場所から▽稽古廻しは汚れても洗わず、干して日光消毒するのが基本▽明け荷の重さは空で10キロ、荷物を詰め込んだら50キロ以上▽江戸時代の名横綱谷風が上覧相撲で将軍からもらった弓を手に舞ったのが弓取式の始まり――など相撲界の様々なエピソードなどを満載している。

 第3章は「人気力士 オフショット名鑑」。番付上位の力士を中心に出身地や体格、得意技などに加え「寸評」を添えている。白鵬は「東日本大震災の際の慰問など土俵外での貢献も大きい」、照ノ富士は「入門前は数学オリンピックの金メダルに輝いたことも」。エジプト出身の大砂嵐の本名は「シャーラン・アブデラハム・アラー・エルディン・モハメッド・アハメッド」と実に長い。貴ノ岩の身長が「1182cm」になっているのはご愛嬌か。第4章「大相撲を楽しむための徹底ガイド」では様々な疑問にQ&A方式で答えている。タイトル通り「知れば知るほど」相撲のテレビ観戦がより楽しくなってきた。

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<五條市「藤岡家住宅」> 企画展「与謝野晶子より藤岡瑠璃子へ」

2015年09月16日 | メモ

【晶子の葉書、瑠璃子追悼の手紙と哀歌、晶子直筆の「源氏物語礼讃」など】

 奈良県五條市の登録有形文化財「藤岡家住宅」で、企画展「与謝野晶子より藤岡瑠璃子へ」が開かれている(25日まで)。藤岡瑠璃子(1914~37)は内務官僚で和歌山、熊本などの官選知事を務めた藤岡長和(1888~1966)の長女。与謝野寛(鉄幹)が創刊した文芸誌『明星』の同人だった父の長和(俳号玉骨)を通じて与謝野晶子や高浜虚子らとも交流があり、自身も俳句をたしなむようになった。しかし、結婚し女児を出産した2カ月後、くも膜下出血のため20代前半の若さで亡くなった。

 

 瑠璃子が作句を始めたのは10代の後半とみられる。1933年9月には俳誌『ホトトギス』に投稿した「青柿のしきりに落つる野分かな」が掲載された。短い生涯に作った俳句は791句に上るという。瑠璃子が亡くなったのは父長和が熊本県知事のときだった。長和は心痛の中で、その中から411句を選んで遺詠集『瑠璃』を翌年上梓した。その中に高浜虚子と与謝野晶子も追悼詠を寄せている。

 企画展には晶子が瑠璃子の突然の死を悼んで長和に宛てた手紙が展示されている。「啓上 瑠璃子様のこと石井様(長和の次男龍男?)より一昨日御知らせ承り夢とのみおもはれ候。御一人の娘君の御こととて ましてこの際の御悲しみ深く御ことそぞろにおしはかられ申候……」。晶子は最後に「歌五首さし出し候」として「哀詞」のタイトルで5つの歌を添えている。

 

 「うつし繪のおん親と子よとこしへに斯(か)くも抱かん形なくとも」「幸ひに足らへる人と見しかども寂しかりけん世を去れる際(きわ)」「吹き出でし清き初めの秋風に乗りて御空へいにたまひけり」……。この5首の歌は晶子のいずれの全集にも収められていないそうだ。ほかに晶子が53歳のとき18歳の瑠璃子に宛てた葉書や、晶子から長和への長文の礼状(1931年)、源氏物語54帖の情景を詠み込んだ54首の歌から成る晶子直筆の『源氏物語礼讃』なども展示している。

 

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<ゲンノショウコ(現の証拠)> 西日本に多い赤花、東日本には白花!

2015年09月15日 | 花の四季

【日本の3大民間薬の1つ、「タチマチグサ」「ミコシグサ」とも】

 フウロソウ(風露草)科フウロソウ属(ゲラニウム属)の多年草。日本、朝鮮半島、台湾に分布する。古くから下痢止めの薬草として広く用いられ、煎じて飲むとたちどころに効果が現われるということから「現の証拠」といわれるようになった。ドクダミ(生薬名=十薬・重薬)、センブリ(当薬)とともに〝日本の3大民間薬〟といわれる。

 日本各地の山野や道端に自生する。花期は夏から秋にかけて。花は径1cm前後の愛らしい5弁花で、花びらに赤い筋模様が入る。西日本には紅色やピンクなど赤系統の花が多いのに対し東日本には白花が多く自生する。かつて薬効が東では赤花の方が高いと信じられ、西では逆に白花の方が高いと信じられて、それぞれ採り尽くされたことによるともいわれる。

 薬用となるのは根以外の葉・茎・花。乾燥させて煎じて服用するほか、皮膚の湿疹やかぶれに塗ったり、入浴剤として風呂に入れたりする。主な薬効成分はタンニンで、消化管粘膜を保護して下痢・軟便を軽減する。この成分は開花期直前に含有率が最も高くなるという。ゲンノショウコは国が定めた薬の規格基準書「日本薬局方」にも掲載されており、その効き目は公的にお墨付き。古くから胃腸の妙薬として有名な奈良・吉野の「陀羅尼助(だらにすけ)」にも主要成分としてゲンノショウコの粉末が調合されている。

 その優れた薬効からゲンノショウコに付けられた呼び名は実に様々。「タチマチグサ」「テキメンソウ」「イシャイラズ」「イシャコロシ」「センニンタスケ」……。フウロソウ属の植物は同様に整腸の薬草として用いることができるという。ゲンノショウコは花後に実が裂開し種を弾き飛ばす。その反り返った形を神輿の屋根に見立てて「ミコシグサ」という別名もある。「しじみ蝶とまりてげんのしょうこかな」(森澄雄)。

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<奈良少年刑務所> 「第25回奈良矯正展」きょうまで

2015年09月13日 | メモ

【受刑者の製品販売、職業訓練パネル紹介、建物の写真展……】

 奈良少年刑務所(奈良市般若寺町)で12日「第25回奈良矯正展」が始まった。刑務所内での教育や職業訓練を紹介し、矯正行政を理解してもらうのが狙い。受刑者が製作した家具や革靴、遊具、文具、雑貨などの展示即売会が例年大好評で、今年も開門と同時に多くの来場者でにぎわった。13日まで。

 即売会には奈良少年刑務所のほか大阪、京都、滋賀、和歌山、三重、名古屋の各刑務所や姫路少年刑務所などがテントごとに出品。並ぶ製品は550種類6300点に上る。若草中学校吹奏楽部の演奏やちびっ子の餅つき、ゆるキャラ集合などのイベントも繰り広げられた。また庁舎2階の講堂では教育・職業訓練のパネル展示や受刑者の書道・絵画などの作品展示、写真展「知られざる名建築~旧奈良監獄(奈良少年刑務所)の美」(ならまち通信社主催)なども開かれている。

 

 奈良少年刑務所の建物は奈良監獄として107年前の1908年(明治41年)に竣工した。明治政府が監獄改良の一環として建てた千葉、金沢、長崎、鹿児島とともに〝五大監獄〟の1つと呼ばれる。ただ当時のまま完全な姿で残っているのはこの奈良の建物だけ。表門は2つの円形ドーム屋根が特徴的な重厚な造りで、正面の2階建て庁舎(上の写真㊨)も洋風の赤い煉瓦造り。受刑者を収容する舎房は中央看守所を中心に煉瓦造りの2階建て5棟が放射状に並ぶ。刑務所全体をぐるっと囲む高さ4.5mの塀もイギリス積みの赤煉瓦で築かれている。

 

 設計者は当事の司法省に属して五大監獄を設計した建築家の故山下啓次郎氏(1868~1931)。ジャズピアニスト山下洋輔さんの祖父に当たる。洋輔さんはその祖父のルーツ探しの旅をもとに小説『ドバラダ門』を書いた。昨年10月には「近代の名建築奈良少年刑務所を宝に思う会」を旗揚げし、建物の保存と国の重要文化財指定に向けて勉強会を重ねている。日本建築学会も「近代日本の歴史的建築資産としてきわめて価値が高く、かけがえのない存在」と評価、今年6月には法務大臣宛てに「奈良少年刑務所の保存活用に関する要望書」を提出した。

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<BOOK> 「仰げば尊し 幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡」

2015年09月12日 | BOOK

【櫻井雅人、ヘルマン・ゴチェフスキ、安田寛共著、東京堂出版発行】

 卒業式の定番曲として親しまれてきた名曲『仰げば尊し』。約130年前の明治10年代に文部省によって編纂・出版された「小学唱歌集」の第3編に初めて収録されたが、作曲者・作詞者をはじめ誕生のいきさつが全く分からない謎の曲だった。その原曲が米国の歌集の中から見つかったという大ニュースが流れたのは4年前の2011年のことだった。

        

 発見したのは本書共著者の1人で一橋大学名誉教授の櫻井雅人(1944年生まれ)。その年の1月、米国の「Song Echo(ソング・エコー)」という歌集の中に『仰げば尊し』と旋律が全く同じ『Song for the Close of School(卒業の歌)』(作詞T.H.ブロズナン、作曲H.N.D)を見つけた。「今こそ別れめ」のフェルマータの位置まで同じだった。櫻井はそのときの心境をこう記す。「『君はこんなところに隠れていたのか』と、喝采をさけんだというよりは肩の荷が下りた気分だった」。その大発見について櫻井は奈良教育大学名誉教授の安田寛(1948年生まれ)にメールを送る。安田は19~20世紀の環太平洋地域の音楽文化の変遷を研究する〝メル友〟だった。

 さらに、このニュースを安田が「歴史的認知音楽学研究会」のメーリングリストに投稿した。すると、会員の1人で東京大学准教授のヘルマン・ゴチェフスキ(1963年ドイツ生まれ)から早速こんな投稿があった。「この歌がどういう経緯で『小学唱歌集』に取り入れられたのか、アメリカではまったく歌い継がれなかった歌がなぜ日本でこんなに長く歌い継がれたのか、これから解明しなければならないことが沢山ありそうです」。この3人が『仰げば尊し』の原曲発見を契機に結ばれて本書につながった。

 3人の共同研究は「小学唱歌集」3冊に掲載された91曲全ての原曲を突き止めることから始まった。それまで原曲が分かっていたのは半分にも満たなかった。それが①民謡説=唱歌集の曲はスコットランドやアイルランドの民謡から採用された②賛美歌説=多くが賛美歌から採られた③唱歌説=文部省に雇われ唱歌集編纂にも携わった米国人W.メーソンなどの音楽教科書から採用された――という諸説を生んだ。民謡説を支持する人たちは『仰げば尊し』もスコットランド民謡と主張していた。

 原曲追跡を基に3つの説の真偽を検証した。民謡はスコットランド民謡が8曲、アイルランド民謡が1曲で全体の1割弱しかなかった。そのため「民謡説は偽である」と判断した。賛美歌については厳密に讃美歌といえるのは10曲だが、広く捉えると22曲あった。そのことから「賛美歌説は真である」とみた。賛美歌が多く含まれた背景には「メーソンにキリスト教伝道に貢献する意図があった」。また唱歌についてはドイツの学校教材から34曲、英米の学校教材から25曲が採用され過半数を占めたことから「唱歌説は真である」と結論づけた。

 原曲追跡の作業は膨大な時間と根気を要した。「あとがき」で〝灯台下暗し〟のエピソードを紹介している。最後まで原曲が分からなかったのが唱歌集最後の第91曲『招魂祭』。『仰げば尊し』を発見した櫻井自身もこの原曲だけが分からないとお手上げだった。ところがゴチェフスキから程なく「見つけた」という報告が届いた。その原曲はなんと、櫻井が『仰げば尊し』を見つけた米国の歌集「Song Echo」の中に載っていたのだ。巻末には「小学唱歌集」全曲の原曲リストが掲載されている。

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<コダチヤハズカズラ(木立矢筈葛)> 熱帯アフリカ原産の常緑小低木

2015年09月11日 | 花の四季

【鮮やかな青紫花、園芸品種には白花も】

 キツネノマゴ科ツンベルギア属(ヤハズカズラ属)の常緑小低木。原産地は熱帯アフリカ西部で、日本には明治時代の末期に渡来したといわれる。学名は「ツンベルギア・エレクタ」。属名の「ツンベルギア」はスウェーデンの植物学者で『日本植物誌』の著者でもあるC.P.ツンベルク(1743~1828)の名前に因む。エレクタは「直立した」の意。

 日本では鉢植えや吊り鉢として温室内で育てられることが多い。樹高は1~2m。基部から多数分枝し広がって生い茂る。花は濃い青紫色。花の形は漏斗状で、白くて長い筒部の先に径4~5cmほどの5つに裂けた花を付ける。中心の喉部は黄色。ほぼ周年開花する。「キンギョボク(金魚木)」という別名も。「アルバ」と呼ばれる白花品種もある。

 ツンベルギア属はアフリカ中南部からマダガスカル、熱帯アジアに約200種分布する。その中でコダチヤハズカズラによく似るのが「ツンベルギア(T)・フォーゲリアナ」。高さが2~5mにもなり、花径も6~7cmと花も葉も大きいのが特徴。種小名「フォーゲリアナ」はこの植物を最初に発見したドイツの植物学者J.R.T.フォーゲル(1812~41)に因む。

 他の仲間に「ゲッケイカズラ」「ローレルカズラ」の和名を持つ「T・ラウリフォリア」、「ベンガルヤハズカズラ」と呼ばれる「T・グランディフロラ」、「カオリカズラ」や「ニオイヤハズカズラ」と呼ばれる「T・フラグランス」など。カオリカズラは花に芳香があることから名付けられた。ただ原産地のインド産には芳香があるものの、日本での栽培種にはほとんど香りがないそうだ。

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<BOOK> 「なにわことば遺跡 名歌・名表現からみる大阪の歴史」

2015年09月09日 | BOOK

【山本正人著、清風堂書店発行】

 「またも負けたか八連隊」。6日午後、大阪・西成の「ジャンジャン横丁」の居酒屋。テレビ中継の阪神・中日戦で、阪神が0対5で完封負けした瞬間だった。女性経営者の口からこの言葉がごく自然に飛び出した。年の頃70代後半とお見受けした。つい先日、本書『なにわことば遺跡』の中で見かけたばかりの表現だったから、驚くやら感動するやら。この言葉、決して〝遺跡〟ではなくて、まだまだ〝現役〟だった!

        

 著者は1957年大阪・島之内生まれ。高校で30年以上〝受験地理〟を指導する傍ら、趣味のフィールドワーク、大阪ものの古書探しなどを生かして地域史研究家としても活躍中。古文書や和歌、辞世の句、歌謡曲、小説などから大阪にまつわる名歌や名言、名呼称などを、時代を追って紹介する。1番目は大阪市内で初めて発掘された縄文時代の人骨の名称【大阪市民第一号】、最後の108番目は大阪発超小型人工衛星の【まいど1号】。

 【またも負けたか八連隊】は93番目に登場する。八連隊は1874年に創設された大阪の歩兵第八連隊のこと。弱いものの代名詞として使われてきた俗謡で、この後【それでは勲章九連隊(くれんたい)】と続く。日中戦争中には中国側の八路軍からスピーカーで「こら~八連隊、あまえら弱いいう評判や、無理せんで降伏せえ」となまりの強い日本語でからかわれたとか。だが、なぜ弱いと揶揄されるようになったか、その理由は不明とのこと。実際には西南戦争で活躍して明治天皇からお褒めのことばを賜ったり、太平洋戦争でもフィリピンのバターン・コレヒドール攻略戦で奮戦したりするなど数々の戦功を挙げたそうだ。

 【露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを思い出ずれば】。この歌は菅原道真が大宰府左遷時に曽根崎で詠んだもの。与謝蕪村は天王寺の情景を【名物や蕪(かぶら)の中の天王寺】と詠んだ。【天野屋利兵衛は男でござる】は「忠臣蔵」で有名になった浪花商人の名ぜりふ。辞世の句も多く登場する。細川ガラシャの【散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ】、石川五右衛門の【石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ】など。ほかに【われ、幻の大極殿を見たり】(難波宮の大極殿跡が発掘された時の山根徳太郎博士のことば)、【グラウンドには銭が落ちている】(南海ホークス監督鶴岡一人のことば)、【おれについてこい!】(女子バレーボール監督大松博文の名言)なども取り上げている。

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