【 奈良国立博物館「大嘗贄」や「神亀元年」などの木簡】
今年は奈良時代に聖武天皇が即位してちょうど1300年。その節目の今年2月、偶然にも即位後の重要な儀式大嘗祭に関連した木簡が大量に出土した。奈良国立博物館は開催中の正倉院展に合わせ、なら仏像館(旧本館)で特別陳列「聖武天皇の大嘗祭木簡」 を開催、「大嘗贄」や「大嘗分」「神亀元年」などと書かれた代表的な木簡8点を展示している。
木簡群が見つかったのは平城宮朱雀門の東南にあった一片約3mの土坑。約2600点(うち 削り屑 2250点) がまとまって出てきた。
展示中の木簡は大嘗祭のため各地から送られてきた物品の荷札や 管理用の付け札。
下の木簡に書かれているのは「佐波郡大嘗贄押年魚千百十隻」。贄(にえ)は神や天皇に捧げる食物で、荷が塩漬けの鮎1100匹であることを表す。佐波郡は周防国(山口県東部)にあった古代の郡域とみられる。
下の写真は奈良文化財研究所の図録から。中央の木簡には「□郡村社郷高負里大嘗分」と記され、左側の木簡には表と裏に「五連和五百嶋」「神亀元年八月廿二日」と書かれている。神亀元年は聖武天皇が即位した年に当たる。特別陳列は正倉院展の会期と同じ11月11日まで。
【平城宮跡資料館には木簡のほか土器や軒瓦なども】
奈良文化財研究所の平城宮跡資料館では秋期特別展「聖武天皇が即位したとき。~聖武天皇即位一三〇〇年記念」を開催中。大嘗祭木簡のほか土器や軒瓦、灯火器なども展示し、即位前の首皇子の時代から東大寺の大仏建立までを辿っている。
展示1番目は皇太子と記された削り屑。奈良時代前半のもので、首皇子とみられる皇太子に仕える舎人などの勤務管理に関わる木簡の一部と推測される。
大嘗祭関連の荷札木簡でこれまでに洗浄が終わったのは約180点。その3分の2に当たる約120点が備中国(現在の岡山県西部)から送られてきた可能性が高い。なぜ特定の国に集中したのだろうか。奈文研では「今後解明すべき課題の一つ」としている。
会場には大嘗祭木簡と一緒に出土した土器類も展示されている。
聖武天皇は即位後、御在所を東院から内裏に遷した。軒瓦と丸瓦⋅平瓦の出土量や比率から、内裏の建物は総瓦葺きではなく、屋根最上部のみに瓦を葺く“甍棟(いらかむね)”だったと推測されている。
平城宮に程近く長屋王たちの邸宅かあった二条大路の濠状土坑からは灯火器などのほか、疫病よけの呪符木簡も出土した。735~737年(天平7~9年)、疫病(天然痘?)が大流行し藤原四兄弟も相次いで没した。最大の後ろ楯を失った聖武天皇は仏教への傾倒を強めていく。特別展は12月8日まで(木簡は1期と2期で展示替え)。