く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<シロヨメナ(白嫁菜)> 山野に群生する野菊の仲間

2018年10月30日 | 花の四季

【名前は草姿がシオンに似て花色が白いことから】

 本州~九州の山野に自生するキク科シオン属の多年草。朝鮮半島や中国、台湾にも分布する。草丈は50cm前後。9~11月頃、茎頂で枝分かれして散房状にキク形の頭状花を多く付ける。花径は1.5~2cmと小柄で、細長く白い舌状花と黄色の管状花から成る。葉は先が鋭く尖った長楕円状披針形。縁にはギザギザの粗い鋸歯が入る。地下茎を伸ばして殖え、しばしば群落をつくる。

 和名は草姿が淡紫色の花を付けるヨメナに似て花が白いことから。ヨメナはかつてヨメナ属とされていたが、今ではシロヨメナと同じシオン属に分類されることが多い。学名は「Aster ageratoides ssp.Leiophyllus(アスター・アゲラトイデス・レイオフィルス)」。アスターはギリシャ語で「星」、種小名は「アゲラタム(カッコウアザミ)に似た」を意味する。「ssp」は亜種を示し、亜種名は「無毛葉の」の意。シロヨメナはノコンギク(野紺菊)の亜種と位置づけられている。

 シロヨメナには葉の形状や様子などが微妙に異なる変種も多い。「ナガバ(長葉)シロヨメナ」は葉がシロヨメナに比べ小さく細長いのが特徴。山間部の渓流の岩場などに生えることから「イワバノギク」とも呼ばれる。「タマバ(玉葉)シロヨメナ」は幅広の卵形の葉を持つ。「ケ(毛)シロヨメナ」はシロヨメナとイナカギク(ヤマシロギク)の中間的な性質を持ち、茎や葉裏に短毛が多く生え触るとざらつく。

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<長崎「一本柱鳥居」> 原爆のすさまじさを物語る〝生き証人〟

2018年10月28日 | アンビリバボー

【片方の柱を失っても立ち続けて70年余り】

 長崎の「一本柱鳥居」として有名な山王神社(長崎市坂本)の二の鳥居は、浦上街道沿いの参道の石段を上った小高い場所にあった。原爆が投下された爆心地から南東へ約800m。爆心地側の鳥居の左半分は強烈な爆風によって吹き飛ばされたが、右半分は奇跡的に倒壊を免れた。まさに奇跡のバランス感覚! その立ち姿はまるで「被爆の惨禍を伝えるのが私の使命」という強い意思を持っているかのように見えた。

 山王神社の創建は江戸時代初期の1638年といわれ、地元では「山王さん」と親しまれている。二の鳥居が建立されたのは1924年。1945年8月の被爆当時、神社には一の鳥居から四の鳥居まであったが、原爆による爆風で三と四の鳥居は倒壊、最大の一の鳥居はほぼ原形のまま残り、二の鳥居は右半分だけが残った。ただ、この二の鳥居も上部の笠木部分が東に13度回転したままになっているという。無事だった一の鳥居はその後、トラックによる衝突事故で倒壊し撤去されたため、4つの鳥居のうち今も残っているのはこの二の鳥居だけ。

 

 この一本柱鳥居は地元では〝片足鳥居〟と呼ばれているという。そのそばには吹き飛ばされた左半分の柱や笠木、「皇大神宮」と刻まれた額、鳥居の前に立てられていた石灯籠などの遺物が横たわっていた。柱には「大正十三年十月十八日建立」という文字が鮮明に刻まれていた。一本柱鳥居は国指定史跡。2年前の2016年10月、原爆により小川に滑落した浦上天主堂の旧鐘楼など3カ所とともに「長崎原爆遺跡」として史跡に指定された。

 

 山王神社には被爆の惨禍を伝えるものがもう一つある。境内入り口で圧倒的な存在感を見せる2本のクスノキの巨木。樹齢500年ともいわれるが、爆風で幹は折れ枝葉は吹き飛ばされて丸裸の立ち枯れ状態に。幹には無数の瓦や金属、小石などが突き刺さり、その破片を取り除くのは困難を極めたという。12年前には幹の空洞から新たに被爆時のものとみられる無数の焼けた石が見つかった。爆風で舞い上がって空洞の中に入ったと考えられるとのこと。樹勢を回復した被爆クスノキは長崎市天然記念物に指定されるとともに、環境省の「日本の音風景百選」にも選ばれている。

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<フウセンカズラ(風船葛)> 独特な丸い実は生け花の花材にも

2018年10月27日 | 花の四季

【外来のつる性植物、〝緑のカーテン〟としても人気】

 ムクロジ科フウセンカズラ属のつる性植物。中南米や東南アジアの原産で、今では世界各地の熱帯~亜熱帯地域に広く分布する。元々は多年草だが、寒さに弱いことから日本では春まき1年草として扱われる。花期は夏から秋までと長く、つるは3m前後まで伸びる。そのため日除けや目隠しとしてネットやフェンスに絡ませたり、鉢植えで行灯仕立てにしたりする。花後の紙風船のような果実の形が面白いことから生け花の花材として使われることも多い。

 花は径5ミリほどの小さな4弁の白花。花が落ちると、三稜形の果実(蒴果)を結び、次第に風船のように膨んで風にゆらゆらと揺れる。指で強くつまむとポンと破裂するので、以前は子どもたちが面白がって遊ぶ姿をよく見かけた。果実は径3センチほどの淡緑色で、熟すと茶色く色づく。中は薄い膜で3室に仕切られ各室に球形の黒い種子が1つずつ収まる。種子にハート形の小さな模様が入るのもフウセンカズラの特徴の一つ。

 学名(属名)「Cardiospermum(カルディオスペルマム)」もギリシャ語の「心臓」と「種子」を合わせて付けられた。英名でも「Balloon vine(バルーン・バイン=風船のつる草)」のほか、種子の模様から「Heart pea(ハートピー)」や「Heart seed(ハートシード)」などとも呼ばれる。インドやジャワ島では新芽や若葉を食用にし、中国では薬用として解毒・利尿などに用いられるそうだ。近縁種に鹿児島の奄美諸島や沖縄などの暖地で見られる「コフウセンカズラ」がある。俳句では秋の季語。「あをあをと風船かづらともりけり」(平井昭敏)

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<長崎・唐人屋敷跡> 中華街のそばに鎖国時代の遺構

2018年10月26日 | 旅・想い出写真館

【天后堂・観音堂・土神堂、路地にはレトロな銭湯も】

 長崎新地中華街から歩いて数分の程近い距離にある「唐人屋敷跡」。ここには古い中国様式や和・中折衷式の4つのお堂があり、今も往時の面影を残す。江戸中期創建の天后堂(てんこうどう)・観音堂・土神堂(どじんどう)は市指定史跡、明治元年創建の福建会館(正門・天后堂)は市指定有形文化財。点在するこれらのお堂の周りには狭い坂道の路地が走り、民家や商店、市場、銭湯などが軒を連ねる。華やかな雰囲気の中華街とはまた一味違った懐かしいような異国的な風情が漂う。

 徳川幕府は1635年から中国貿易の窓口を長崎港だけに制限したが、次第に密貿易が増加。その取り締まりとキリスト教の浸透を防ぐ目的で、郊外の長崎村十善寺郷(現在の長崎市館内町)に来航する中国人用の居留地として唐人屋敷を設けた。完成したのは1689年。敷地の広さは約3万㎡で、ここに2階建ての長屋20棟が建てられた。屋敷は高い塀と堀、竹垣で厳重に囲まれ、日本人で出入りできたのは僧侶と遊女だけだったという。多いときには約2000人の中国人が生活していたそうだ。

 

 遺構の一つ天后堂は1736年に南京地方の人々が航海の安全を祈願し守護神の瑪祖(天后聖母)を祀ったのが起源という。アーチ型の石門が印象的な観音堂は観世音菩薩と商売繁盛の神関帝を祀る。石に刻まれた年代から1737年の創建とみられる。土神堂は1691年築で、4つのお堂の中では創建が最も早い。ただ唐人屋敷は1784年(天明4年)の大火でほぼ全域を焼失、天后堂だけが被災を免れた。観音堂と土神堂はその後まもなく再建されたが、土神堂は老朽化に加え原爆による被害もあって解体され、改めて再建されたのは約40年前の1977年だった。

 

 福建会館は福建省出身の貿易商たちの会所として1868年に設けられた寺院建築。約30年後に全面改築されたが、原爆で本館が倒壊し現存するのは正門と天后堂のみ。この天后堂にも航海の女神瑪祖が祀られている。ただ現在建物の保存整備工事中(11月30日まで)ということで非公開なのが残念だった。唐人屋敷は1859年の開国により廃屋化し、長崎在住の中国人の多くはいま中華街となっている新地や大浦の外国人居留地などに移住した。唐人屋敷はなくなったが、ここに居住した人々が長崎の地に残したものは少なくない。精霊流しにペーロン競漕、龍踊り……。長崎の魅力もこれらに象徴されるように、異国の風習や芸能などを広く受け入れ昇華してきた文化的多様性にあるのだろう。

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<ミゾソバ(溝蕎麦)> 用水路などに群生するタデ科の1年草

2018年10月25日 | 花の四季

【矛形の葉の形から「ウシノヒタイ」という別名も】

 タデ科イヌタデ属の1年草。日本各地の用水路や小川沿い、田の畦などでごく普通に見られ、朝鮮半島や中国などにも分布する。和名は草姿や実の形が同じタデ科のソバに似て、溝を覆うように生い茂ることから。9~10月頃、高さ30~70cmほどの直立した茎の先に頭状の花序を出し、5つの萼片からなる淡紅色の小花を十数個付ける。茎には下向きの棘がある。

 葉は卵形で基部が耳状に左右に張り出す矛形。その形から「ウシノヒタイ(牛の額)」という別名を持つ。また花が蕾のときには小さな金平糖が集まっているように見えることから「コンペイトウグサ」や「コンペイトウバナ」と呼ばれることも。花が純白のものは「シロバナミゾソバ」。変種に葉が大型の「オオミゾソバ」や茎の棘が少ない「ヤマミゾソバ」などがある。

 学名は「Persicaria thunbergii(ペルシカリア・ツンベルギ)」。属名ペルシカリアの語源はラテン語の「モモ(桃)」から、種小名はスウェーデンの植物学者カール・ツンベルク(1743~1828)へ敬意を表したシーボルトからの献名。ミゾソバは食用や民間薬にもされてきた。新芽や軟らかい葉を茹でておひたしや和え物、油炒め、てんぷらなどに。乾燥させた葉を煎じて服用すると利尿効果があり、生の茎には止血、鎮痛作用もあるそうだ。「溝蕎麦は水の際より咲きそめし」(高浜年尾)

【出島三学者】ケンペル・ツンベルク・シーボルト

 長崎市の国指定史跡「出島和蘭商館跡」の一角に、江戸時代に商館医として来日し『日本誌』を著したエンゲルベルト・ケンペル(1690年来日)と『日本植物誌』を著したカール・ツンベルク(1775年来日)の偉業を顕彰する記念碑が立つ。建てたのは同じく商館医として1823年に来日した後輩のシーボルト。日本文化を海外に広く紹介するとともに日本植物学の礎を築いた3人は〝出島三学者〟とも呼ばれる。碑面にはケンペル、ツンベルクの2人の大きな名前の下に「見られよ!君たちの植物がここに来る年毎に緑そい咲きいでて……」(呉秀三博士訳)などと刻まれている。ツンベルクに献名された植物はミゾソバのほかにもタブノキ、ゲンノショウコ、クロマツ、ノキシノブ、アマチャ、ヤハズカズラ属(ツンベルギア属)など数多い。

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<アサギマダラ> 〝渡り蝶〟がわが家の庭に飛来!

2018年10月19日 | アンビリバボー

【南下の途中? フジバカマの花に止まって吸蜜】

 秋晴れの18日午前11時すぎ、庭に出るとやや大型のチョウが頭上をひらひら。「アゲハチョウ?」。と、フジバカマの花に止まって蜜を吸い始めた。「あっ、アサギマダラだ!」。慌ててカメラを取りに室内に。庭に戻ると、幸いまだいてくれた。続けざまにシャッターを3回。そこで、どこかへ飛んでいってしまった。写りはもうひとつ。残念。ところが半時間ほどたって、またやって来てくれた。

 アサギマダラは長距離を移動する〝渡り蝶〟として知られる。生息地域は主に日本の本州以南から東南アジアにかけて。日本で見られるアサギマダラは春~初夏に南西諸島や九州の島々から北上し、本州の高原などで過ごして産卵。秋になると、その新世代が逆に南の暖かい地方に向けて旅立つ。マーキング調査による長距離移動記録では福島から台湾、和歌山から香港など、なんと約2500キロも飛んだことが確認されている。

 今年も南下の季節を迎え、奈良県内でもこの1週間ほど、アサギマダラの飛来に関するニュースが新聞やネットで報じられていた。▽曽爾村でフジバカマの植栽地に飛来し始め、14日に「アサギマダラ歓迎祭り」を開催(11日付朝日新聞)▽橿原市でも新沢千塚古墳群公園などに飛来(16日付毎日新聞)……。

 

  アサギマダラが好む花はフジバカマやヒヨドリバナ、アザミなど。わが家の庭にあるフジバカマも咲き始めた。「できればここにも立ち寄ってほしいけど」。飛来を伝える新聞を前に淡い期待を抱いていた。それがまさかすぐ現実になるとは! 住宅街の一角の狭い庭の隅っこにあるフジバカマ。それを目ざとく見つけたアサギマダラはすごい! 滋賀県の最高峰伊吹山で今年7月下旬、初めてアサギマダラに遭遇したときの感動が蘇ってきた。突然のうれしい訪問者が南方への旅を無事終えることができますように。

【白野江植物公園】九州の玄関口にある飛来の名所

 周防灘を望む小高い丘にある「北九州市立白野江植物公園」(門司区)は毎秋、南下するアサギマダラがよく立ち寄ることで知られる。同園ではアサギマダラの休息地になるよう毎年吸蜜植物フジバカマの植栽を増やしており、今では2000株ほどになるという。10月21日に訪ねると「花の谷」のフジバカマの周りを10頭ほどのアサギマダラがふわふわ飛んだり、翅を開閉させながら蜜を吸ったりしていた。その優雅な姿を撮ろうと5~6人の来園者が一心にカメラを向けていた。多いときには100頭もの乱舞が見られるそうだ。この日はラッキーなことに「北九州都市緑化祭の日」ということで入園無料、そのうえいろいろな花の種まで頂いた。

 

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<マユハケオモト(眉刷毛万年青)> その名は花と葉の姿形から

2018年10月18日 | 花の四季

【南アフリカ原産、学名から「ハエマンサス」とも】

 ヒガンバナ科の常緑の宿根草。原産地は固有植物が多く自生し〝花の楽園〟と称される南アフリカで、日本には明治時代の初期に渡来したという。直径7~8cmの球根状の鱗茎を持ち、10~11月頃、高さ20~30cmほどの太い花茎を伸ばして、その先の散形花序にネギ坊主のような径5~10cmの花を付ける。

 花は白く細い花糸の先に黄色い葯を付けた雄しべが林立する。その花姿を白粉(おしろい)を塗って化粧するときに使った眉刷毛にたとえた。また厚い多肉質の葉が日本原産のオモトに似ていることから、合わせて「マユハケオモト」という和名になった。近縁種に花が赤い「アカバナマユハケオモト」がある。この原産地も南アフリカのケープ地方。

 学名は「Haemanthus albiflos(ハエマンサス・アルビフロス)」。属名ハエマンサスの語源はギリシャ語の「血」と「花」から。これはハエマンサスの仲間に赤い花が多いことによる。種小名のアルビフロスは「白い」の意。マユハケオモトは属を代表する種であることから単に「ハエマンサス」とも呼ばれる。ちなみにヒトリシズカ(センリョウ科)やワタスゲ(カヤツリグサ科)も、穂状の花序や綿毛の花姿から「マユハケグサ(眉掃草)」と呼ばれることもある。

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<ポンテデリア> 代表種「コルダータ」は和名「長葉水葵」

2018年10月17日 | 花の四季

【原産地は北米、青い小花を穂状に】

 ポンテデリアはミズアオイ科ポンテデリア属の水生植物の総称。南北アメリカの池や沼地の浅瀬などに5種類が自生し、穂状の花序に青や淡いピンク色の小花を多数付ける。ミズアオイ科の植物では浮遊性の水草で南米原産のホテイアオイ(布袋葵)がよく知られるが、このポンテデリアは抽水植物で、根が水底で根を張って水面上に花茎や葉柄を伸ばす。

 属名のポンテデリア(Pontederia)は18世紀のイタリアの植物学者の名前に因むという。代表的なものに北米東部~カリブ海地域原産の「コルダータ(cordata)」がある。葉が20~30cmと長くて大きいハート形なのが特徴。この種小名もラテン語で「心臓」を意味する「コルディス(cordis)」に由来する。和名は「ナガバミズアオイ(長葉水葵)、英名は「ピッケレル・ウィード(Pickerel weed)」。ピッケレルは淡水魚カワカマスの幼魚のことで、群生するこの水草が小魚にとって格好のすみかになっていることからの命名らしい。

 コルダータの開花時期は初夏~初秋で、直立した花茎の上部に長さ10~20cmの花穂を形成し、小さな涼しげな青い花をたくさん付ける。小花は1日で萎むが、1週間ほど次々と咲き続ける。コルダータには変種として葉が細長い披針形のものや、より丸みを帯びた長心形のものもある。和名では前者が「ホソナガバミズアオイ」、後者が「マルナガバミズアオイ」と呼ばれている。

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<枚岡神社秋郷祭> 布団太鼓が次々と勇壮に宮入り

2018年10月16日 | 祭り

【氏子9地区から大中小の太鼓台20台余】

 東大阪市の枚岡神社で14~15日、収穫に感謝する秋祭り「枚岡まつり(秋郷祭)」が行われた。14日が宵宮、15日が本宮。9つの氏子地区から大・中・小20台余りの太鼓台(布団太鼓)が繰り出し、太鼓の音に合わせて地区内を練り歩いた。両日とも午後3時半から勇壮な宮入り。担ぎ棒を頭上まで差し上げる〝サセ〟が決まると、見物客から大きな拍手と歓声が沸き起こった。

 枚岡神社は河内国一宮という古社。奈良の春日大社創建の際、この神社から天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ)の二神が分祀されたことから「元春日」とも称される。本殿は春日造り、社紋も春日大社と同じ「下り藤」。氏子の9地区はいずれも大と小の太鼓台を持ち、中太鼓台や複数の小太鼓台を有する地区もある。大きな太鼓台は重さが2トン近くあるといわれ、これを入れ替わりながら40人余りで担ぐ。

 

 太鼓台は午後2時頃、神社から西に下った一の鳥居周辺に集結。この後「出雲井・鳥居」地区の太鼓台を先頭に近鉄枚岡駅すぐ南側の踏み切り前まで進んだ。難関だったのはその直前の狭くて急な坂道。台棒が肩に食い込んで担ぎ手の顔がゆがむ。担ぎ手に女の子も多い小太鼓台の関係者は「登れるかなあ」と不安そうにつぶやいていた。踏み切りを越えた後も急坂が続く。さらにその先には狭いT字の交差点。そこを左に曲がると神社の二の鳥居もすぐそばだ。

 

 宮入りの順番は毎年ほぼ同じとのこと。神社に近い地区から順に宮入りし、境内を出ていく宮出は逆に遠い地区から。今年も神社そばの「出雲井・鳥居」の大・小の太鼓台が最初に二の鳥居をくぐって勇壮な姿を現した。続くのは唯一大・中・小の太鼓台を有する「額田」地区。3台の太鼓台は鳥居から本殿下の広場の間を行ったり来たりした後、広場で一斉に力強く「サセ」を披露した。この後も次々に大・小の太鼓台が宮入り。境内には太鼓の音と威勢のいい「ちょうさじゃ、ちょうさじゃ」の掛け声が響き渡った。

 

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<長浜きもの大園遊会> あでやかな振袖姿の女性が大集合!

2018年10月14日 | 祭り

【女優堀田真由さんが大通寺の境内でゲストトーク】

 滋賀県長浜市で13日「長浜きもの大園遊会」が開かれた。高級絹織物「浜縮緬」の主産地長浜をPRするとともに観光客の誘致につなげようと1983年に始まった。今回で34回目。あでやかな振袖姿の女性を中心に和服を着用した約570人が、曳山博物館や黒壁ガラス館がある大手門通りや長浜別院大通寺に至るながはま御坊表参道などをそぞろ歩きし、古い町並みは終日華やかな雰囲気に包まれた。(写真は大通寺の境内を埋め尽くした振袖姿の女性たち)

 正午前に大手門通りに行くと、あちこちで振袖の女性たちをカメラに収めるアマチュア写真家の姿が飛び込んできた。胸などには「登録番号○○○」と印刷された紙製のステッカー。近くのテントの案内所で伺ったところ、一般カメラマンのマナー順守のため住所、氏名、連絡先を記入してもらったうえでステッカーを渡しているとのこと。「嫌なポーズを強要された」といった女性の苦情から2年前に登録制を始めたという。もらった登録番号は300台の後半で、「撮影に関するご注意」として「撮影するときは必ず許可を得て」とあった。出足の遅さを反省するとともに、このイベントの人気の高さに改めて驚いた。

 

 主催は浜縮緬関係団体などで構成する大園遊会運営委員会。事前に「16歳以上の振袖で参加できる女性」を募集しており、申込者には旅行券や高級着物が当たる大抽選会への参加やお買い物券1000円分のプレゼント、観光施設への無料入館、お茶席での振る舞いなどの特典がある。お茶席は3カ所に設けられており、大手門通りに面した安浄寺での小堀遠州流茶道のお茶席では順番を待つ女性たちであふれていた。

 

 振袖姿の女性たちはカメラマンの注文に応じてポーズをとるとともに、自らの携帯を差し出し写真を撮ってもらう女性も少なくなかった。中でも人気を集めていた一人が赤い振袖を着た山口百恵さん似の若い女性。行く先々でカメラマンに囲まれていた。格好の撮影対象になったのは女性だけではない。晴れ着に身を包んだワンちゃんの周りにもカメラマンの姿が絶えなかった。曳山博物館と大通寺に設けられた特設ステージでは日本舞踊やバンド演奏、殺陣の演舞なども繰り広げられていた。

 

 午後2時が近づくと振袖姿の女性たちは次々に大通寺に集まってきた。一番のお目当ては20万円分の旅行券や縮緬の着物仕立券など豪華賞品が当たる大抽選会。それに先駆けスペシャルゲストとして地元滋賀県出身の女優堀田真由さん(20)のトークショーがあった。堀田さんはNHK連続テレビ小説「わろてんか」で主人公の妹役を演じるなどテレビや映画で活躍中。黒を基調とした振袖姿の堀田さんはステージ上でひときわ輝いて見えた。抽選会には多くの協賛企業や商店、団体などから合計340本もの賞品が寄せられ、多くの女性たちが賞品を手に笑顔で大通寺を後にしていた。

 

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<興福寺> 約300年ぶりに中金堂再建! 5日間にわたり落慶法要

2018年10月10日 | 祭り

【支える大径木の柱などはカメルーンやカナダから調達】

 奈良市の世界遺産・興福寺にとって、伽藍の中心となる「中金堂」の再建はまさに悲願そのものだった。中金堂は平城遷都の710年の創建以来、戦乱や火災などで過去に7回焼失、その度に再建を繰り返してきた。最後の焼失は301年前の1717年。その後、中金堂は小規模な仮堂が造られただけだった。この再建により、興福寺は創建当初の姿に大きく近づいた。完成を祝う落慶法要は7日から始まり、11日まで5日間にわたって営まれる。(写真は南都諸大寺による法要が行われた9日に撮影)

 中金堂の再建は境内整備委員会が発足した1991年に動き出した。発掘調査で創建時の礎石が見つかったことから、これを基に柱の数や配置などを忠実に再現した。建物の規模は東西37m、南北23m、高さ21m。総工費は約60億円。屋根の鴟尾(しび)が眩いばかりに金色に輝き、5色の帯と幕、春日大社の左右一対の鼉太鼓(だだいこ)、8本の錦幡(にしきばん)などがその威容を華やかに彩る。法要は初日が興福寺自体によるもの。その後、西国三十三所札所会、南都諸大寺、比叡山延暦寺と続き、11日に結願(けちがん)を迎える。

 

 中金堂の屋根を覆うのは約7万1000枚の瓦、重さは230トンを超える。担当したのは生駒市に本社を置く「山本瓦工業」で、瓦の製造には2011年から4年近くを要したという。建築工事を担ったのは奈良県内の古い寺社の修復を多く手掛け、平城京の朱雀門や第一次大極殿の復元にも取り組んだ桜井市の「瀧川寺社建築」。中金堂の復元には大極殿の復元に要した材木量2150立方メートルを上回る2320立方メートルが必要。しかも柱には直径77cm・長さ10mが36本、直径62cm・長さ5.3mが30本もいる。国内ではそんな大径木はとても賄えない。そのため材木の大半をアフリカのカメルーンやカナダから調達し、柱にはカメルーン産のケヤキを、軒を支える組み物などにはカナダ産のヒノキを使った。

 

 「材木確保の目途がつけば、仕事の8割をこなしたも同然」。中金堂の威容を前にして、6年前の2012年夏、瀧川寺社建築の会長兼棟梁の瀧川昭雄さんが講演でこう話していたことを思いだした。カナダのバンクーバー島などでは上空から森林を観察して伐採する木の目途をつけたとも話していた。また講演当時79歳だった瀧川さんはこんなことも口にされていた。「私の使命は技術の伝承。宮大工を志す若い人たちの育成に残りの人生を捧げたい」。興福寺の多川俊映貫首から最初に再建を打診されてから約28年。大仕事を成し遂げた瀧川さんら関係者の喜びは計り知れない。中金堂の再建を通じて、多くの中堅・若手の人たちに宮大工の技と心意気が伝授されたことだろう。

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<ヒイラギモクセイ(柊木犀)> ヒイラギとギンモクセイの交雑種

2018年10月08日 | 花の四季

【芳香のある白い小花、キンモクセイより少し遅れて開花】

 モクセイ科モクセイ属の常緑小高木で、ギンモクセイ(銀木犀)とヒイラギ(柊)の雑種といわれる。銀木犀は花色が橙色のキンモクセイ(金木犀)と同じく中国原産。いい香りを放つ樹木として人気が高いのは金木犀だが、実は銀木犀が基本種(母種)で、金木犀はその変種。そのため単に「モクセイ」というときは銀木犀を指すことが多い。一方、柊は葉に鋭い棘(とげ)があり節分の魔除けの木としてよく知られる。柊木犀は銀木犀と柊の交雑で生まれたとあって両者の中間的な性質を併せ持つ。

 花期は10月頃で、金木犀や銀木犀よりやや遅く開花し、柊よりは少し早い。葉の脇に銀木犀によく似た花冠が4裂した白い小花(径8~10mmほど)を束状に付ける。葉は厚く革質の卵状楕円形だが、柊ほどツヤツヤした光沢感はない。縁には8~10対ほど鋸歯(ギザギザの棘)があり触ると痛い。萌芽力が強く強剪定に耐えることや棘が防犯につながることから、民家の垣根などとして多く植えられてきた。鋸歯の鋭さを弱い順に並べると「金木犀<銀木犀<柊木犀<柊」となり、柊の棘は2~5対と少ないが最も鋭く尖る。ただ柊木犀も柊同様、棘のない全縁の葉が時折見られる。雌雄異株だが、日本では雄株しか見られないため、繁殖は挿し木による。

 学名は「Osmanthus × fortunei(オスマンサス × フォーチュネイ)」。属名オスマンサスの語源はギリシャ語の「芳香」と「花」から。間の「×」は雑種であることを示す。種小名は19世紀のスコットランド出身の植物採集家ロバート・フォーチュン(1812~80)の名に因む。彼は東インド会社の依頼を受けて中国を度々訪れ、大量のお茶の木をインドのダージリン地方に移植し、インドの紅茶産業の礎を築いたことで知られる。フォーチュンは幕末の1860年代初め、開港間もない日本も2回にわたって訪れた。その間の見聞録を原題『江戸と北京』(邦題は『幕末日本探訪記』)としてまとめている。

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<手向山八幡宮> 「転害会」新調鳳輦の晴れ舞台のはずが…

2018年10月06日 | 祭り

【58年ぶりの東大寺転害門へのお渡りが中止に!】

 10月5日は東大寺の鎮守社、手向山(たむけやま)八幡宮の例祭「転害会(てがいえ)」。この八幡宮は聖武天皇が大仏建立に際し、749年(天平勝宝元年)、九州豊前国(大分県)の宇佐八幡宮から八幡大神を勧請して創建された。そのとき大神は紫の輿に乗って東大寺の西北に位置する転害門をくぐったという。これが神輿(みこし)の始まりといわれており、転害会はこの神迎えの様子を再現した祭事。かつては天皇の勅使を迎えて行われる勅祭だった。

 今年の転害会は例年以上に注目を集めていた。それは長く途絶えていた本殿からお旅所の転害門(国宝)への鳳輦(ほうれん、神輿)の渡御が58年ぶりに復活されることになっていたから。平安時代作といわれる鳳輦が重要文化財に指定され老朽化も激しいため、1960年の転害会でのお渡りを最後に退役、その後は渡御のない転害会が続いていた。しかし昨秋、忠実に模した鳳輦が新調されたことで、今年からお渡りも再開されることになっていた。

 

 曇り模様の天候が少々気がかりだったが、お渡りを楽しみに勇んで出掛けた。到着したのは午前10時すぎ。本殿での神事がほぼ終わって、神職ら関係者の記念撮影の最中だった。ところが法被姿の奉仕者に伺ったところ、お渡りは中止で、転害門で行う予定だった神事の一部、舞楽の奉納が正午から拝殿で行われるとのこと。不安定な天候から前日までに早々と中止が決まっていたそうだ。祭り好きのアマチュアカメラマンが少なかったのも、事前に調べて中止の情報を得ていたからにちがいない。

 

 少しがっかりして時間をつぶすため神社の鳥居を抜け法華堂(三月堂)、そして二月堂方向へ。境内は修学旅行生で溢れ返っていた。と、そこへ先ほどお話を伺っていた法被の方。「お渡りじゃないけど、御神輿がまもなく動きますよ」。鳳輦を収蔵庫へ収めるため神社の周りを担いで回るとのこと。お忙しい中、そのことを伝えるためわざわざ駆けてきてくれたその親切なお気持ちがうれしくありがたかった。

 境内に戻ってまもなく鳳輦が20人ほどの氏子らに担がれて動き始めた。この鳳輦を目にするのは新調直後の昨年11月に開かれた東大寺の「宇佐神輿フェスタ」以来。屋根の上には煌びやかに輝く鳳凰。拝殿から運び出す際、その鳳凰が建物に当たるのではないかと、見守る側も気が気でなかった。鳳輦は朱塗りの楼門から階段を下りて反時計回りに境内の外側を一周。その間も鳳凰が木の枝に引っ掛からないように慎重に歩を進め、長い棹で何度も枝を持ち上げたりしていた。担ぎ手の中には東大寺のお坊さんだろうか、剃髪の方も混じっていた。

 

 拝殿では予告通り、正午から舞楽の奉納が始まった。向かって左手に笛や篳篥(ひちりき)など管楽器、右手に大鉦鼓(だいしょうこ)など打楽器の奏者。舞手はまだ8歳という男児だった。曲名は朝鮮半島系の右舞(うのまい)で有名な「納曽利(なそり)」。通常は二人舞で竜を模した面を被るそうだが、この日は一人舞で頭には面の代わりに天冠を着けていた。一身に注目を集めながら優雅に舞い終わると、観客の間から温かい拍手が沸き起こった。この後、主役の男児を中心に再び記念写真を撮っていた。

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<カワラケツメイ(河原決明)> エビスグサ(決明)に似て河原に群生

2018年10月05日 | 花の四季

【絶滅危惧種ツマグロキチョウの幼虫の食草】

 本州~九州の河原や河川の土手、草原などに自生するマメ科カワラケツメイ属の1年草で、朝鮮半島や中国にも分布する。葉は鳥の羽のような形の偶数羽状複葉で、8~10月頃、葉の脇に径7mmほどの黄色の小花をまばらに付ける。花の形はマメ科に多い蝶形ではなくて梅の花のような5弁花。花後には四角形の種子が7~12個ほど入った長さ3~4cmの扁平の豆果ができる。

 学名は「Chamaecrista nomame(カマエクリスタ・ノマメ)」。種小名の「ノマメ」は日本語の「野豆」に由来する。漢方では全草を「山扁豆(さんぺんず)」と呼んで利尿や整腸、鎮咳などの生薬として用いる。古くから葉を乾燥したり種子を炒ったりして茶の代用にもされてきた。「ネムチャ」「マメチャ」「ハマチャ」「コウボウチャ」など多くの別称がある。「ネムチャ」は葉の形がネムノキ(合歓木)に似ることから、コウボウチャは弘法大師が愛飲し、全国行脚の際に広めたとの言い伝えによる。

 カワラケツメイの名前は河原に群生し、同じマメ科のエビスグサ(胡草・夷草、漢名「決明」)に似ることから。エビスグサはハブ茶の原料として知られ、種子は漢方で「決明子」と呼ばれる(ちなみに男性4人組の音楽ユニット「ケツメイシ」のグループ名もこの生薬名に因むという)。カワラケツメイはツマグロキチョウという蝶の幼虫にとって唯一の貴重な食草。ただ河川の護岸工事などによって大きな群落が次第に姿を消しつつあり、都道府県段階では絶滅危惧種に指定するところも出てきた。これに伴ってツマグロキチョウも絶滅が懸念されており、環境省は2012年に従来の絶滅危惧Ⅱ類から同ⅠB類に引き上げた。

 カワラケツメイはカフェインを含まないことや脂肪の吸収を抑える効果があることなどから、健康茶として改めて注目を集めている。中でも特産品として地域おこしへの活用に積極的なのが青森県や山口県。青森県の野辺地町では茶をはじめカワラケツメイを練り込んだアイス、プリン、うどん、そば、ラーメンなどを次々に商品化。山口県では山口市徳地地区で「とくぢ健康茶企業組合」を中心に、休耕田で栽培したカワラケツメイの茶の製造・販売に取り組んでいる。無農薬栽培地域の広がりとともに、絶滅危惧種ツマグロキチョウが舞う里としても知られるようになってきたそうだ。

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<オキザリス‘紫の舞’> 三角形の濃い赤紫の葉が人気

2018年10月03日 | 花の四季

【ブラジル原産、小さなピンクの筒状花が数輪ずつ】

 カタバミ科カタバミ属(オキザリス属)の宿根草で、オキザリスの人気品種の一つとして広く栽培される。この「ムラサキノマイ(紫の舞)」はブラジルなど南米原産の「オキザリス・トリアングラリス(トライアングラリス)」または「オキザリス・レグネリー」の紫葉品種。ムラサキゴテン(ツユクサ科)のような濃い赤紫の葉の色と、直線的な三角形の葉の形に特徴があり、鉢花やプランター、寄せ植えなどとして人気を集めている。別名「サンカクバ(三角葉)オキザリス」「カラスバ(烏葉)オキザリス」「インカノカタバミ」。

 草丈は15~30cmほど。葉は三角形の小葉3枚からなる三出複葉で、葉の中心部にやや明るい赤紫色の斑(ふ)の模様が入る。細い花茎の先の散形花序に径2cmほどの淡いピンクや白の花を数輪ずつ付ける。花は日が差すと開き、夜間や雨天・曇天の時には閉じる。花期は一般に6~10月頃だが、冬でも室内に取り込んで日当たりのいい窓辺に置くと咲き続けることも。緑葉の品種もあり「ミドリノマイ(緑の舞)」の名前で流通している。

 種小名の「トリアングラリス」は三角形の葉を意味し、もう一つの「レグネリー」は19世紀のスウェーデン出身の医師・植物学者アンデシュ・フレドリク・レグネル(1807~1884)の名前に因む。レグネルは半生をブラジルで過ごし、多くの植物の新種を発見したことで知られる。トリアングラリス種とレグネリー種は極めて似ており、レグネリー種はトリアングラリス種の亜種パピリオナケア種の変種、あるいは園芸品種ではないかともいわれている。

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