く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<円山応挙展> 代表作の「七難七福図巻」や「牡丹孔雀図」など

2013年11月29日 | 美術

【相国寺承天閣美術館、前期12月15日まで】

 江戸中期を代表する絵師・円山応挙(1733~95)。「円山四条派」の祖として〝応門十哲〟をはじめ多くの門弟を育て、その流れは今の京都画壇にもつながる。相国寺承天閣美術館(京都市)で開催中の「開館30周年記念 円山応挙展」には、最高傑作といわれる「七難七福図巻」や気品に満ちた「牡丹孔雀図」などの代表作のほか、高弟で「四条派」を興した呉春(1752~1811)や長沢芦雪(1754~99)の作品も出品されている。

 

 「七難七福図巻」(重文)は福寿巻、人災巻、天災巻からなり、3巻合わせると全長が約36mに達する超大作。近江・円満院の祐常門主から「従来の仏説で説かれる地獄・極楽はあくまでも想像の世界。見る者によりリアルな現実感を与えたい」と依頼されて制作した。30代半ばに知遇を得た祐常は応挙にとって豪商の三井家とともに大切なパトロン。応挙は渾身の力を注ぎ3年の歳月をかけて36歳の時に完成させた。

 福寿巻には花見や舟遊び、還暦の宴などが描かれ人々の表情も柔和だが、人災巻になると一変する。描かれているのは強盗や切腹、一家心中、水責め、のこぎり引きの刑、牛引きの刑など血生臭い場面ばかり。生々しい描写に、見ていた女性の1人は「恐ろしい」と目をそむけていた。天災巻にも地震、大火(上の写真)、台風、大雨による堤の決壊などの場面がリアルに描かれている。会場には祐常が自ら描いて応挙が参考にしたという「七難七福図下絵」も展示されている。

   

 「牡丹孔雀図」(重文、上の写真=部分)はつがいのクジャクとボタンの花を描いたもので、39歳の時の作品。雄のクジャクが乗っている岩は中国で〝太湖石〟と呼ばれて珍重された銘石という。動植物の「写生図」や「写生帖」も目を引く。その精密な描写はまるで鳥類や植物の図鑑。写生を重視し懐にいつも写生帖をしのばせていたという応挙の真骨頂がそこにあった。高さ3.6mもある「大瀑布図」や応挙には珍しい仏画「釈迦十六善神像」、「浜松群鶴図屏風」なども出品されている。

 門弟の作品は呉春2点と芦雪3点の計5点。呉春の「竹図屏風」は霧に煙る竹林を描いた幽玄・静謐な作品。呉春は与謝蕪村に絵と俳諧を学んだが、この絵は蕪村亡き後、応挙の門下に入ってから描いたもの。芦雪の「獅子図屏風」は2匹の獅子が激しくにらみ合い、まさに飛びかかろうとする一瞬をとらえた作品。応挙とは作風を異にするが、芦雪の大胆な構図には豪放な魅力があふれている。

 同展は12月15日に前期が終了し、同21日から後期が始まる(来年3月23日まで)。後期には美術館初公開という応挙・応瑞親子の大作「相国寺開山堂襖絵」20面や円満院旧障壁画「山渓樵蘇図」5面などが出品される。

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<リンドウ(竜胆)> 晩秋の枯野に一輪ひそやかに

2013年11月28日 | 花の四季

【長野・熊本の県花、枕草子「はなやかなる色あひ、いとをかし」】

 リンドウは秋の七草には入っていないが、秋の野山の代表的な草花の1つだろう。花期は9~11月。花が少なくなる晩夏から晩秋にかけて、目にも鮮やかな青紫色の筒形の花を付けてくれる。葉が笹に似ていることから「ササリンドウ」とも呼ばれる。和名は漢名「竜胆」の音読み「りゅうたん」が転訛して付けられた。

 花は日がさすと開き、夜間や曇天になると閉じる。秋咲きの近縁種に大型の「エゾ(蝦夷)リンドウ」や「オヤマ(御山)リンドウ」などがあり、これらを改良した園芸品種が切り花として出回っている。花の色も青、紫、白、ピンクと多彩になってきた。このほかには中部以北の高山に自生する小型の「ミヤマ(深山)リンドウ」や鉢花用の矮性園芸種「シンキリシマ(新霧島)リンドウ」など。秋咲きが一般的だが「ハル(春)リンドウ」など春咲きのものもある。

 リンドウは古今和歌集には当時の読み方から「りうたむの花」として登場する。清少納言は「枕草子」の中でリンドウをこう称えた。「りんだうは枝ざしなどもむつかしけれど、異花(ことはな)どものみな霜枯れたるに、いとはなやかな色あひにてさし出でたる、いとをかし」。

 リンドウは長野県と熊本県の県花。八幡平市(岩手県)、茅野市(長野県)、川西市(兵庫県)、阿蘇市(熊本県)など市の花としているところも多い。家紋にも多く使われており、「笹竜胆」は源氏を代表する紋所。その縁から鎌倉幕府が置かれた鎌倉市(神奈川県)の花もリンドウで、市章にも図案化したササリンドウが採用されている。

 根を乾燥させた「竜胆」は古くから生薬として用いられてきた。その名も漢方薬「熊の胆(くまのい)」以上に苦いことから来ている。ビールづくりでは苦味をつけるため、ポップが登場するまで使われたそうだ。リンドウはかつて「エヤミグサ」や「オコリオトシ」とも呼ばれた。これは熱病の瘧(えやみ、おこり=マラリヤ)の治療に使われたことによる。「男なきに泣かむとすれば竜胆が わが足もとに光りて居たり」(北原白秋)。

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<創作押し花作家・亀井園子さん> 橿原ロイヤルホテルで作品展「自然からの贈り物」

2013年11月27日 | 美術

【数々の受賞作に加え教室受講生の作品も、30日まで】

 奈良県高取町在住の創作押し花作家・亀井園子さんの作品展「自然からの贈り物・平和へのメッセージ」が奈良県橿原市の橿原ロイヤルホテルで開かれている。その作品は草花に加え野菜や果物も使った押し花に、草木染なども組み合わせた独創的なもの。海外での評価も高く、この9月には作品がアートタイル(陶板)としてパリの美術館に永久保存されることになった。作品展には亀井さん主宰の押し花教室「長園(おさぞの)」の受講生の作品も並ぶ。30日まで。

   

 亀井さんの作品は今春のブログ(3月6日付)でも一部紹介させてもらったが、改めてご経歴を拝見すると、その華やかな受賞歴は目をみはるばかり。欧州文化芸術褒賞、アントニオ・ガウディ芸術大賞、フランス「美の革命展」でルーブル・グランプリ賞とトリコロール芸術平和賞、カラヤン生誕100周年記念楽譜の表紙デザインへの採用……。今年4月にはゴッホ生誕160周年を記念した「永遠のひまわりシャンパン芸術創生賞」にも選ばれた。

 今回パリのベルシー美術館に永久収蔵されることになったのは「Parisアートタイル至宝祭」で芸術栄冠金賞を受賞した「万物のめぐみ~四季のうつろい」と題した作品(上の写真)。志貴皇子が春の到来を喜び詠んだ歌を草木染にし、その回りに桜などの草花やイチゴ、ミカンなどを配している。「石ばしる垂水のうえのさわらびの もゑいづる春になりにけるかも」。その流麗な書もなかなか味わい深いが、これも亀井さんの自筆という。作品展には美術館の永久収蔵証明書と共に収蔵品と同じアートタイルも展示されている。

 

 ゴッホの「ひまわり」に着想を得て創作し「シャンパン芸術創生賞」を受賞した作品(上の写真㊧)は、ヒマワリ柄の藍染の回りをミニヒマワリの花などで飾ったもの。特別醸造されたシャンパンのラベルにも採用された。このほか「世界遺産富士山―早春賦」や「爽風」「天の香具山―豊穣の初秋」、鳩をモチーフにした「平和へのメッセージ―オブジェ」――なども出品している。

 「世界遺産富士山」(上の写真㊨=部分)は扇面の中に富士山と湖面に映る富士を描いたもの。山腹にはシロタエギクの葉などを配した。「爽風」(下の写真㊧=部分)はメロンの皮を花篭に見立て、ユキヤナギやスノーボールの花、イチゴ、ツクシ、輪切りにしたオクラ、アスパラガスなどで飾り立てた。イチゴは半切りにし中身を食した後、乾燥させたとのことだが、その艶々した色は新鮮そのもの。押し花にありがちな平板なものではなく、立体感にあふれているのも亀井さんの作品の大きな特徴だ。(下の写真㊨は「天の香具山―豊穣の初秋」=部分)

  

  亀井さんが素材として使っている草花は「ほとんどが自宅の裏の畑で栽培しているもの」。藍染のアイも毎年育てているそうだ。会場には自作のアートフラワーや微妙な色のグラデーションが美しい草木染のコースターなども並ぶ。11月13日に傘寿を迎えたばかりの亀井さんが目指すのは〝光輝高齢者〟という。次は「自然からの贈り物」を使って、どんな魅力的な作品を紡ぎ出してくれるのだろうか。

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<高校駅伝女子> 出場58校(県予選V47校+地区代表11校)出そろう

2013年11月26日 | スポーツ

【安定感抜群の興譲館、最多のV4狙う豊川】

 全国高校駅伝大会の女子出場校が出そろった。今年は第25回の記念大会に当たるため、都道府県予選の優勝校47校に全国11地区大会の上位校を加えた計58校が12月22日に京都市で開かれる全国大会に出場する。興譲館や豊川、須磨学園など強豪校のほかに常連校を破って全国切符を手にした有力校もあり、今年も目が離せない大会になりそうだ。

都道府県予選・地区大会のタイム上位校ランキング=1時間10分以内> 

※カッコ内の順位は昨年の全国大会の結果(―は不出場)、タイムの後の「=地区大会」は地区大会のタイムが都道府県予選の優勝タイムを上回ったことを示す

① 興譲館(岡山、3位)          1:07: 29

② 山梨学院大付(山梨、12位)   1:07:45=地区大会(県大会1:09:30)

③ 豊川(愛知、2位)           1:08:14

④ 須磨学園(兵庫、6位)       1:08:16

⑤ 荏田(神奈川、―)         1:08:23

⑤ 常盤(群馬、14位)           1:08:23=地区大会(県大会1:09:12)

⑦ 青森山田(青森、7位)        1:08:25

⑧ 神村学園(鹿児島、8位)      1:08:48=地区大会(県大会1:09:33)

⑨ 白鵬女子(南関東代表、9位) 1:08:53

⑩ 大阪薫英女学院(大阪、5位) 1:09:28

⑪ 鹿児島女子(南九州代表、―)  1:09:36

⑫ 北九州市立(北九州代表、―) 1:09:42

⑬ 立命館宇治(京都、1位)      1:09:44

⑭ 柏日体(千葉、―)            1:09:49

 興譲館はこの9年間で優勝2回、2位4回、3位3回と抜群の安定感を誇り、3年ぶり3回目の優勝を目指す。県予選で区間新をマークした奥野舞子(3年)や足立知世(同)を中心に1年生から3年生まで選手層が厚い。豊川もこの3年は2位→優勝→2位と安定している。主将の酒井愛菜(3年)を中心に昨年2位に終わった悔しさをばねに、女子最多の4回目の優勝を狙う。

 この3年間8位→4位→6位と期待に比べやや物足りない成績が続く須磨学園は県予選で1時間8分台前半の好タイムをマークし、久々の優勝が視野に入る。山梨学院大付は関東大会で予選タイムを1分45秒も上回るタイムをたたき出し、予選・地区大会を合わせたランキングでは一躍2位に躍り出た。

 荏田は神奈川県予選で常連の白鵬女子を最終5区で森田香織(3年)の区間新記録の快走で逆転、大会新記録で15年ぶりの出場を決めた。一方、不覚を取った白鵬女子も関東大会では1時間8分台の好タイムで山梨学院大付、常盤に次いで3位となり、地区代表として3年連続の出場にこぎつけた。

 初出場校は9校。その中で注目されるのが柏日体と鹿児島女子。柏日体は県大会4連覇中の成田や強豪市立船橋を大会新記録で破った。目標は初出場初入賞。鹿児島女子は1月の全国都道府県対抗女子駅伝1区(6キロ)で実業団選手を抑えて区間賞を取った上原美幸(3年)や高校総体800mと1500mで2位に入った倉岡奈々(1年)の2枚看板を擁し、九州大会では神村学園に次いで2位に入った。

 福岡県予選の最終5区で筑紫女学園に逆転を許した北九州市立も九州大会ではタイムを大幅に上げて4位に入り3年ぶり6回目の出場。初出場の学法石川(福島)や伊賀白鳳(三重)、神島(和歌山)、桂(近畿地区代表)などの健闘も期待される。

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<梶田真章・法然院貫主> 「こころ豊かに生きる」と題して講演

2013年11月25日 | メモ

【京都園芸倶楽部の創立90周年記念式典で】

 京都園芸倶楽部の創立90周年式典・記念講演会が24日、京都・宝ケ池の国立京都国際会館で開かれ、法然院貫主(かんす)・梶田真章氏が「こころ豊かに生きる」と題して講演した。梶田氏は1984年に第31世貫主に就任、その翌年「法然院森の教室」を設けて環境学習活動に乗り出し、さらに93年には境内に活動拠点として法然院森のセンター「共生き堂(ともいきどう)」を開設した。

  

 梶田氏は室町時代前半まで日本人は輪廻転生を信じ、どうしたら六道の地獄・餓鬼・畜生に落ちずに極楽往生できるかが最大のテーマだった、と指摘する。この世のことは神様にお願いし、あの世のことは仏様に祈ってきた。だが、室町中頃に生活が安定してくると家を守るという欲望が生まれ、神様にも仏様にもこの世のことをお願いするようになった。その頃から日本人はご先祖様や鎮守様に守られて生きてきた。

 柳田國男はそれを〝先祖教〟と名付けた。人々は亡くなった先祖が浄土に行くのではなく、草葉の陰から見守ってほしいと願い、お墓ができるようになった。「その〝先祖教〟文化の象徴が送り火や精霊流し。『千の風になって』という歌の流行も、より近くから見守ってほしいという思いが背景にある」。そんな中で室町後期から江戸初期にかけて、多くのお寺が次々にできた。

 「その多くは仏法を広めるためではなく、法事をするためにつくられた」と、お寺の在り方に疑問を投げかける。今では全国に約7万のお寺があり、約5万といわれるコンビニの1.5倍近くに上るという。京都ではいま紅葉真っ盛り。観光客を集めようとライトアップするお寺も多い。梶田氏はこの風潮にも首をかしげる。「まさか法然院はしないでしょうね」と念を押されることもあるそうだ。「夜まで照明を当て紅葉を散らしてどうするのか。周りの生き物とどう向き合うかが問われている」。

 人々は長く〝先祖教〟を支えに生きてきたが、「高度経済成長に伴って私中心、小さな家族中心になると、自分のふるさとがどこか分からなくなり、ご先祖様とのつながりも薄れてきた。〝先祖教〟が崩れていく中で、新たに自分の拠り所が欲しいと願う人が増えてきた」。梶田氏は「なぜ宗教が必要なのか。それはこの世が不可解だから。不測の時代に遭遇した時の知恵として宗教がある。人生は苦だから宗教が生まれた。苦と出合わない人に宗教はいらない。だが、いつ出合うかは誰にも分からない」とも話していた。

 一昨年の東日本大震災以来「絆」の大切さが指摘されている。「絆はその字の通り、牛をひもでつなぐということ。大震災を機に、誰かとつながっているという実感が欲しいと改めて絆が注目された。知らず知らずのうちに誰かの役に立っている。そんな生き方こそが素晴らしい」。園芸倶楽部での講演ということもあって、最後は「植物と向き合うことで豊かに生きることができるなら、他の生き物から功徳を頂いているということになる」と結んだ。

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<奈良県高取町> 秋晴れの下、賑やかに「第25回たかとり城まつり」

2013年11月24日 | 祭り

【時代行列や駕籠かき競争、殺陣の実演、よさこい、雅楽、骨董市……】

 奈良県高取町で23日「第25回たかとり城まつり」が開かれた。高取山頂に築かれた高取城は城郭の広さが約6万㎡、周囲約6キロと国内最大規模で、岩村城(岐阜)、備中松山城(岡山)とともに日本3大山城といわれる。その城につながる土佐街道や児童公園を中心に、時代行列や駕籠(かご)かき競争など多彩な行事が繰り広げられた。

 

 メーンイベントの1つ、時代行列は午後1時に始まった。ほら貝、旗行列を先頭に大名行列奴(やっこ)のねり、八重と鉄砲隊、高取城甲冑隊、九度山真田隊、大阪城鉄砲隊と勇ましい武者行列が続いた。しんがりは大道芸の玉すだれ。華やかな衣装姿で見事に竹製のすだれを操ると、沿道を埋めた観客から盛んに拍手が送られていた。

 

 駕籠かき競争は25回目という城まつりの節目を記念して復活した。参加したのは7チーム。趣向を凝らした駕籠に可愛らしい姫を乗せて500mほどを「エッサ」「ホイサ」と駆け抜けた。ただ、コースの土佐街道は緩やかな上りの坂道が続く。そのため途中で水を補給し、ゴールの児童公園では疲れ果て座り込む男性もいた。

 

 

 この他にも様々なアトラクションが続いた。火縄銃の実演、居合道、殺陣の実演、夢おどり、よさこい鳴子踊り、雅楽の演奏、大骨董市、フリーマーケット……。天誅組150周年記念パネル展や町家立面図パネル展なども行われていた。町役場の駐車場と結ぶシャトルバスの会場側発着場のそばには昨年9月ギネスに公認されたという「空き缶の城」がそびえていた。使ったビールの空き缶は3万5679個に上るという。

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<天理参考館>企画展「青銅のまつり」 弥生時代の銅鐸・銅剣など30点

2013年11月23日 | 考古・歴史

【中国・朝鮮など海外の古代青銅製品60点も】

 天理大学付属天理参考館(奈良県天理市)で企画展「青銅のまつり」(12月2日まで)が開かれている。約2500年前の弥生前期末に日本に伝わってきた青銅器の〝源流〟をたどり、古代人が青銅器に託した思いやその美術的な魅力を紹介するのが狙い。日本で独自に発達した銅鐸をはじめとする国内出土品約30点(一部複製品も含む)と、中国や朝鮮半島、タイなどの青銅製品約60点を展示している。

   

 青銅器の歴史は紀元前3500年頃、エジプトやメソポタミアで剣や斧が作られたのが始まり。中国では紀元前2000年ごろから生産され始め、殷・周の時代に祭器や武器が盛んに作られた。その青銅器文化は春秋・戦国時代、東アジアに広まり、日本には紀元前400年頃、朝鮮半島を経由して伝わってきた。

   

 銅と錫の合金である青銅器は、錫の含有量が少ないと赤銅色に、増えると真鍮に近い黄金色に、さらに増えると銀のような白銅色になる。ただ、錫の含有量が増えると材質が硬くなる半面、脆くなるという性質を持つ。このため、弥生時代の中期~後期に硬くて丈夫な鉄が普及し始めると、武器や農耕具も鉄製が主流になった。同時に青銅製の武器は実用品から祭器に変化し大型化した。(上の写真は㊧「流水文銅鐸」(伝徳島県吉野川沿岸出土)、㊨「袈裟襷文銅鐸」(滋賀県野洲市出土)=いずれも弥生中期~後期のもので重要美術品に指定)

 日本の銅鐸は独自に生み出されたものだが、その源流は中国の銅鉦・銅鐘・銅鈴などともいわれる。中でも小型の銅鈴が起源とみられているが、日本では最初から大きさが20cmほどあり、表面に文様が施されている点で異なる。過去に出土した銅鐸は500個を超えるが、その1割強の約60個は〝絵画銅鐸〟で人物や動物、建物などが描かれている。銅鐸も弥生中期までは楽器としての機能を備えていた。だが、後期に入ると武器と同様、大型化して祭器となり、古墳時代に入ると忘れられてしまう。(下の写真㊧中国・春秋~戦国時代の銅鐘、㊨紀元前3世紀頃の銅鼓=中国貴州省出土)

 

 会場には中国の南部やタイに伝わる大型の「銅鼓」という青銅製品も展示されている。銅鼓はその文様や普段使わない時に地中で保管するなど日本の銅鐸との類似性が指摘されている。銅鼓が登場して約2000年。中国雲南省の少数民族チワン族の社会では今も祭礼で使い続け、結婚式や葬送儀礼などで銅鼓による演奏が行われているそうだ。

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<フユザクラ(冬桜)> 晩秋~初冬に可憐な白い花を健気にも

2013年11月22日 | 花の四季

【別名「コバザクラ」、春にも咲く〝二度咲き〟】

 桜といえば普通春だが、この桜は名前の通り、紅葉盛りの晩秋から初冬にかけて咲く。白く小さな一重の花で、華やかなソメイヨシノやカンザンなどに比べると、地味で少し寂しげな風情。だが、寒さに向かって咲き始めるこの冬桜にも健気で清楚な美しさがある。マメザクラとヤマザクラの雑種とみられ、幹も葉も花もやや小ぶり。卵形の小さい葉から「コバザクラ(小葉桜)」の別名を持つ。

 花は径2.5cmほどで花弁は5枚。広葉樹が葉を落とす11月から12月にかけて咲く。冬咲きの桜には他に、緋紅色の花が鐘状に垂れ下がる「ヒカンザクラ(緋寒桜)」や、ヒカンザクラとヤマザクラ系の雑種といわれる「カンザクラ(寒桜)」などがある。厳冬時期に入って咲かずに残った冬桜のつぼみは、翌年の3月下旬から4月にかけて再び花を咲かせる。

 同じような秋と春の2度咲きには「十月桜」や「四季桜」「不断桜」などがある。十月桜は淡紅白の八重咲きで、その名の通り冬桜より一足早く10月頃から咲き始める。四季桜は淡紅白で一重。寒い時期に咲くのは、日本の桜の先祖が秋に咲く「ヒマラヤサクラ」で、その〝先祖返り〟によるものではないかともいわれる。

 冬桜で有名なのは群馬県藤岡市鬼石町の「三波川(さんばがわ)の冬桜」。国の天然記念物に指定されている。桜山公園には約7000本もの冬桜があり、12月1日には「桜山まつり」が開かれる。今年の目玉は湯原昌幸の歌謡ショー。湯原は2004年に「桜、桜、冬桜。春に背いて咲くがいい」と歌う「冬桜」が日本有線大賞を受賞。その縁で藤岡市の観光大使を務めている。「今日ありと思ふ余命の冬桜」(中村苑子)。

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<BOOK> 『ほくは「しんかい6500」のパイロット』

2013年11月21日 | BOOK

【吉梅剛著、こぶし書房発行】

 著者吉梅剛氏は1968年、広島・因島生まれ。国立弓削商船高専卒業後、海洋科学技術センター(現・海洋研究開発機構)に入所。2009年から「しんかい6500」の潜航長を務め、現在は海洋探査機の運用業務を担当。「しんかい2000」「しんかい6500」での潜航回数は319回に上る。

 「しんかい6500」は「しんかい2000」の後継機として1989年に完成した。その名前通り、6500mの深海まで潜航することができる。支援母船「よこすか」に乗せられて調査海域に運ばれ、深海生物やプレート(岩板)の動きなどを調査する。大きさは全長9.7m、幅2.8m、高さ4.1m、最大速力は2.7ノット。乗員は操縦士、副操縦士に研究者のオブザーバーを加えた3人。

   

 本書は多くの潜航体験を基に、一般にはなじみの薄い有人潜水調査船内の様子や機能、深海の風景などを詳細に紹介してくれる。どこで何を調査するかは全て公募によるという。最終決定までには海洋研究課題審査部会での各課題の採点による順位決めを皮切りに厳しい3つの〝関門〟がある。ただ調査課題に選ばれ、調査海域までたどり着いても、高波や濃霧などで中止を余儀なくされることもしばしばという。

 潜航前には海底地形図の作製やマニピュレーター(マジックハンド)の操作性の確認、搭載する研究機材の重量と浮量の算出など多くの作業が山積しているが、「そんな中でも重要な『儀式』がある」。母船のブリッジには小さな神棚があり、海の神様・金毘羅様が祀られている。その前に潜航チームや研究者チームも含め全乗船員が集まって、二礼二拍一礼し航海の安全と調査の成功を祈願するそうだ。

 小笠原海域で潜航調査中、サメのような大きな魚が何匹も潜水船を周回し、「ゴン」と体当たりしてきた。船内は一時騒然。離底し浮上を開始しても水中テレビカメラに体当たりするなど攻撃が続いた。やがて姿が見えなくなったが、母船に揚収された潜水船はカメラの油圧配管につながるビニールホースが膨らみ、今にも破裂しそうな状況だった。ホースが水中で破裂したら「潜水船は機能不全に陥っていたかもしれない」。その後図鑑で調べたところ、巨大魚の正体は「アブラソコムツ」という深海魚と分かった。

 潜航調査で厄介なのがゴミ類。中でもビニール袋(レジ袋)はプロペラ軸に巻きついたり、操縦席前の中央覗き窓に張り付いて視界を奪ったりすることも。海底の吹き溜まりのような所には〝レジ袋の墓場〟まであるそうだ。だが、最も怖いのは「海底で出くわす人工物、特に網やロープ」。操業中に岩などに引っかかり廃棄された漁具類とみられるが、もし潜水船がロープで縛り付けられ身動きが取れなくなったら……。そう想像すると、金毘羅様への参拝がいかに大切な〝儀式〟かも分かるような気がしてきた。

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<奈良県立万葉文化館> 「江戸絵画の精華」東京富士・奈良県立両美術館が出品

2013年11月19日 | 美術

【狩野派・琳派の屏風絵、北斎「冨嶽三十六景」、広重「名所江戸百景」……】

 奈良県立万葉文化館(明日香村)で、東京富士美術館(八王子市)と奈良県立美術館(奈良市)所蔵の特別展「江戸絵画の精華」が開かれている。東京富士美術館からは狩野派と琳派を中心とした屏風絵や襖絵14点と葛飾北斎の版画「冨嶽三十六景」36点、奈良県立美術館からは歌川広重の「名所江戸百景」の大半が出品されている。

  

 狩野派の出品作は伝狩野永徳作の墨画淡彩「瀧小禽図屏風」を含め6点。そのうち「鳳凰図屏風」(作者不明)は金地の屏風全体を使って、雌雄の鳳凰が牡丹や竹、桐などと共に色鮮やかに描かれている(上の写真は左隻)。琳派の作品は創始者・俵屋宗達の作と伝わる「松桜図屏風」や江戸琳派の鈴木其一作「萩月図襖」など4点。

  

 他に土佐派や住吉派、曾我蕭白の作品も並ぶ。蕭白の「鶴図屏風」(上の写真)は丹頂鶴だろうか、1羽が松の下で餌をついばみ、もう1羽が波の寄せる岩場に立って見下ろす構図。全体が墨の濃淡で表現されているだけに、鶴の頭頂の紅2点に自然と目が向く。自由奔放な画風が持ち味の蕭白だが、この絵には今を共に生きる鳥たちへの優しい眼差しもあふれており、蕭白の別の魅力を垣間見せてくれる。

 北斎の「冨嶽三十六景」は富士山を様々な地域から望んだ作品。描いた場所を現在の都道府県に当てはめると、茨城、千葉、東京、神奈川、静岡、山梨、長野、愛知の8都県に上るという。当初はそのタイトル通り、36景の予定だったが、好評だったため10作品が追加され全部で46作品になった。今展示会では追加分6点を含む36点(前後期で入れ替え)が出品されている。ただ前期に出品されていた代表作「神奈川沖浪裏」は後期に入って参考写真の展示となっている。(下の写真㊧は「相州梅澤庄」)

   

 広重の「名所江戸百景」は最晩年の安政3~5年(1856~58年)頃の作品。題名は「百景」だが、こちらもそれより多く全部で118図ある。斬新な構図で四季折々の江戸の風景を切り取った作品はジャポニズムとしてヨーロッパの画家たちに大きな影響を与えた。中でもゴッホは「亀戸梅屋舗(うめやしき)」(写真㊨、出品中)や「大はしあたけの夕立」(不出品、参考写真を掲示)を模写したことで知られる。今展示会では前期の53点に続き、現在は入れ替えして54点(参考出品の2代広重の作品1点を含む)を展示中。会期は24日まで。

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<高校ラグビー奈良大会> 天理、前回全国準優勝の御所実との接戦制す!

2013年11月18日 | スポーツ

【6年ぶりに花園出場の切符を手に】

 第93回全国高校ラグビーの奈良県大会決勝が17日、県立橿原公苑陸上競技場で行われ、天理が前回全国大会準優勝の御所実業を15―12の僅差で破って花園出場を決めた。奈良大会での両校決勝対決は19年連続。この5年間は御所実が連覇を果たしていた。天理は堅い守りで御所実の攻撃に耐えに耐えた。一方、御所実はボールの競り合いではやや勝り、相手陣で戦う場面が多かったが、肝心のところで反則を繰り返したのが惜しまれた。

 

 先制したのは天理。前半14分、ゴール前のラインアウトからモールで押し込んだ(上の写真㊧)。同25分には御所実が素早い展開でトライ。いずれもゴールキックが決まらず、その時点で5―5の同点。御所実にとっては前半終了間際の失点が痛かった。天理は敵陣ゴール前でのフリーキックからの速攻でフォワードの選手が中央にトライ、ゴールも決まって12―7で折り返した。御所実にとっては虚を突かれたような痛恨の失点だった。

 ただ御所実も後半開始早々、相手のキックをチャージしパスをつないでトライ(上の写真㊨)。やや難しい角度のゴールも決まって再び12―12の同点に。その後も御所実が相手陣で攻撃を仕掛けたが、天理のディフェンス陣が踏ん張った。中盤以降、一進一退が続いたが、後半24分、天理が相手ゴール近くでもらったペナルティーキックを決めて、そのまま逃げ切った。ノーサイドの瞬間、天理選手は抱き合い、御所実の選手はがっくり膝を落として明暗を分けた。(白のジャージーが天理、黒が御所実業)

 

    

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<唐古・鍵遺跡> 北部九州の土器片を発見! 交流圏飛躍的に拡大

2013年11月17日 | 考古・歴史

【唐古・鍵考古学ミュージアム「弥生遺産展」で展示】

 奈良盆地の中央部に位置する弥生時代の環濠集落遺跡「唐古・鍵遺跡」(国の史跡)で、近畿の弥生遺跡では例を見ない北部九州の土器片(写真㊧)が発見された。これまで出土していた最も西方の土器は吉備地域(岡山県南部)のもの。今回の発見により交流圏域が遥かに広域だったことになる。この土器は唐古・鍵考古学ミュージアム(田原本町)で16日から始まった秋季企画展「弥生遺産展」(12月23日まで)で展示されている。

 

 唐古・鍵遺跡からは地元産の土器のほか他地域から持ち込まれた土器が多く出土している。西は摂津や播磨、吉備など、東は近江や尾張、三河など。各地域の土器は土質や形態、文様などの特徴から産地が特定される。例えば、吉備の土は白っぽく土器の頚部に凹線を配置し、河内の土は角閃石を多く含みチョコレート色を呈す。

 注目の土器は甕(かめ)の口縁部に当たる幅13cmほどのかけら。一見何の変哲もない土器片だが、縁には赤い塗料が鮮明に残っている。1988年の第34次調査で遺跡東側の環濠部分から出土していたもので、土器を再調査した結果、その特徴から北部九州で作られた可能性が極めて高いことが分かった。

 地元で作られた弥生土器に比べると、①口縁部を赤彩している②外面の刷毛調整の工具が異なる③土器の成形方法は粘土紐ではなく板づくりの可能性がある――といった違いがある。中でも口縁部を外側に直角に折り曲げた「逆L字形」になっているのが最大の特徴という。

 

 こうした特徴は北部九州の筑前地域、後の魏志倭人伝の時代に奴国・伊都国と呼ばれる地域に見られる「須玖(すぐ)式」と共通しているそうだ。製作時期は環濠から出土した他の土器から弥生中期中頃(紀元前2世紀頃)と推定されている。吉備地域の土器が弥生中期後半とみられることから、持ち込まれた時期も大きく遡ることになる。

     

 今回の企画展では出土した弥生時代前期から古墳時代前期の土器類の変遷をたどるとともに、特徴的な土器を分類・展示している。展示総数327点のうち、ほぼ半数は初展示。火災に遭った土器や用途が不明な高さ数cm~10cm前後の〝ミニチュア土器〟(上の上の写真)、復元できた土器としては唐古・鍵遺跡最大の大壷(高さ約90cm、胴部径約66cm)、約150m離れた地点に分割投棄された甕、鹿や魚などが描かれた〝絵画土器〟(上の写真㊧から順に)なども展示されている。

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<BOOK> 「楕円の江戸文化」(中西進著、白水社発行)

2013年11月16日 | BOOK

【パワフルな「かるた」の民衆+知の冒険者たち】

 著者・中西進氏は日本文学研究者で万葉集研究の第一人者。奈良県立万葉文化館名誉館長も務める。このほど俳優・高倉健氏らとともに文化勲章を受章した。本書は「パワフルな『かるた』の民衆」と「知の冒険者たち」の2部で構成する。筆者は江戸と京・大坂という2つの中心があった江戸時代を「楕円国家」と呼び、「その文化の波及運動はカム装置による運動としてとらえなければならない」と指摘する。

   

 前半の「パワフルな『かるた』の民衆」は『理念と経営』2009年1月号~13年1月号に「江戸いろは歌留多の知恵」のタイトルで連載したもの。江戸かるたを素材に、上方かるたと比較しながら江戸庶民の生き方を浮き彫りにした。例えば最初の「い」。江戸の「犬も歩けば棒にあたる」に対し上方は「一寸さきやみの夜」。「上方かるたがいかにも運命論者ふうなのに対して、江戸かるたがひどく現実派であるのが大違いでおかしい」。

 上方かるたが「上品で教養があって建前ふう」なのに対し、江戸かるたは「強烈な庶民感覚、お上へのからかいや反抗、生きている本音」が表れていると指摘する。「ろ」は江戸の「論より証拠」に対し上方は「論語よみの論語知らず」、「は」は「花より団子」と「針の穴から天をのぞく」。この「花のより団子」も「花だ紅葉だといって風流ぶっているおサムライさんよ、オレらはまずは餌でさあ」といった〝啖呵〟とみる。

 「ね」は上方の「猫に小判」に対して江戸は「念には念を入れ」。「いつもいつも、江戸かるたの落ち着く先は人間の悪意と、それに対する防衛策である……江戸かるたの絶望的な人間不信は悲しいが、尊い生き方の知恵である」と評価する。「わたしは、ほんとうに江戸かるたの一貫した庶民のエネルギー、お上への強い反抗精神、そしてみごとな知恵に、いつも感心してしまう」とも。

 後半の「知の冒険者たち」は『武道』2005年1月号~06年12月号に「道を拓く」として連載した。著者は17世紀から19世紀にかけての江戸時代は「大きな知を蓄積する時代」だったと振り返る。「古代天皇は仏教を立て、明治政府は国家神道を立てた。その中間に徳川政権の立てた儒教がある……知のあふれた江戸時代に、どう日本人が儒教を自分のものにしようとしたか」。

 その知識の変遷をたどるため、江戸時代に活躍した知識人・思想家24人を、生い立ちや著作を基に取り上げる。その中には徳川300年の官学となった儒学の始祖、林羅山や多くの門人を集め〝藤樹教〟とまでいわれた中江藤樹をはじめ、山鹿素行、貝原益軒、新井石、荻生徂徠、石田梅巌、本居宣長、杉田玄白、山片蟠桃、広瀬淡窓たちが含まれている。

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<大神神社・酒まつり> 新酒の無事醸造を祈って「うま酒みわの舞」を奉納

2013年11月15日 | 祭り

【清酒のプレゼントや樽酒の振る舞いも】

 酒造りの神様、大物主大神と少彦名神を祀る大神神社(奈良県桜井市)で14日、醸造安全祈願祭(通称「酒まつり」)が行われた。全国の酒造家や杜氏が参列して、仕込みを前に新酒の無事醸造と業界の発展を祈願。境内では参拝者に瓶詰めの清酒がプレゼントされたり、樽酒が振る舞われたりした。

 

 拝殿正面の向拝天井には直径1.5メートル、重さ250キロもある巨大な杉玉。ご神体・三輪山の杉の葉を使い、6人がかりで丸2日かけて作り前日に掛け替えられた。祈願祭は午前10時半から始まった。神饌や祝詞奏上に続いて4人の巫女による神楽「うま酒みわの舞」が奉納された。

  

 拝殿の両脇には全国各地の清酒の酒樽。境内を挟んで拝殿向かいのテント内にも北海道から沖縄まで全国の清酒、焼酎、泡盛の一升瓶が勢ぞろい。これだけ酒樽や一升瓶がずらりと並ぶと、まさに壮観そのもの。拝殿前のテントでは次々に四斗樽(36リットル入り)が開けられ、1合枡で参拝者に次々と振る舞われた。銘柄は地元の「三諸杉」をはじめ「ねのひ」「加賀鳶」「月桂冠」など。

 

 境内には早速、あちこちに枡を手にした人たちの輪ができた。外国の方の姿も見られ、一緒に「かんぱ~い」「チア~ズ}と枡を上げていた。中にはおつまみ持参の方も。「お1人様1杯」と書かれていたが、多くの人がいろいろな樽酒を飲み比べていた。ただ顔を真っ赤にして係員に「もう終わり」とたしなめられる人も。樽酒の振る舞いは16日と17日にも行われる。

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<竹内栖鳳展> 京都市美術館で「後期」入り、代表作「班猫」も登場

2013年11月13日 | 美術

【過去最大級の回顧展、12月1日まで】

 京都市美術館で開催中の「竹内栖鳳展」は10日で前期が終了し、一部展示替えを行って12日から後期入りした。京都画壇を代表する近代日本画の巨匠、竹内栖鳳(1864~1942)。その初期から晩年に至るまでの作品約100点と素描などの資料約50点を展示する大回顧展。12日からは代表作の1つで重要文化財指定の「班猫(はんびょう)」=写真㊧=も登場した。12月1日まで。

    

 会場は「画家としての出発(1882~91)」、「京都から世界へ(1892~1908)」、「新たなる試みの時代(1909~26)」、「新天地をもとめて(1927~42)」と、4つの年代に分けて画業を振り返る構成。その間に写生帖や下絵、素描などを織り込んでいる。

 会場入り口のそばに10代半ばに描いた昆虫や鳥類の写生帖が並ぶ。その精密な描写は目を見張るほど。「芙蓉」(上の写真㊨)は四条派の幸野楳嶺の私塾に入って間もない頃の作品とみられ、左側に師匠から最初に贈られた「棲鳳」の号と「十七年九ケ月」という年齢が書かれている。ごく初期の作品だが、すでに枯淡の味わいさえ漂わせる。私塾で頭角を現した栖鳳は1888年、宮内庁の宝物調査のため楳嶺に随行し古画の模写に励む。その後、京都府画学校(現京都市立芸術大学)でも学んだ。

   

 1900年にはパリ万博視察のため訪欧。そこで西洋美術に刺激を受け、ベルギーの動物園に通ってはライオンを写生したという。屏風絵の「金獅」(上の写真㊧)は帰国直後の作品。どっしり座ったライオンの存在感は圧倒的で、息遣いまで伝わってくる。ライオンの作品は他にも「獅子」や「獅子図」が出品されているが、いずれも今にも画面から飛び出してきそうな気配さえ感じさせる。

 動物画を得意としていただけにライオン以外の作品も多い。「班猫」のほかにトラを描いた屏風「雄風」(上の写真㊨=右隻)や「飼われたる猿と兎」(下の写真)、「松虎」「枯野狐」「象図」「熊」「和暖(シカ)」「おぼろ月(キツネ)」など。屏風「喜雀図」は左隻に地上で遊ぶ7羽、右隻に飛ぶ3羽を置く。その愛らしい姿もさることながら、高速シャッターで切り取ったような羽ばたきの繊細な描写にも目を奪われる。軍鶏(しゃも)の空中戦を描いた「蹴合」も、抜け落ちる羽根まで描かれていて臨場感があふれる。

   

 動物画以外では代表作の「絵になる最初」や訪欧後の作品「羅馬(ろーま)古城図」や「和蘭春光・伊太利秋色」なども展示中。開幕直後に展示されていた「アレ夕立に」は後期に入ってその下絵が展示されている。屏風「富士図」は右隻に長く延びた山裾、左隻中央やや左に雪をいただく青い富士を配置することで、その雄大さを強調している。富士を描いた作品には「東海神秀」も。戦時色を反映した作品「雄飛報國の秋」には赤日を背にまさに飛び立とうとするタカが描かれている。

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