く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ガザニア> 南アフリカ原産、「勲章菊」の和名も

2020年06月26日 | 花の四季

【名前は15世紀のギリシャの人文学者ガザから】

 キク科ガザニア属(クンショウギク属)の半耐寒性多年草・1年草。南アフリカやナミビアに20種ほどの原種があり、そのうち「rigens(リゲンス)」や「linearis(リネアリス)」などをもとに、19世紀以降ヨーロッパで多くの園芸品種が生み出された。日本には明治末期~大正初期に観賞用として渡来した。金属的な光沢のある花の色や模様、形から和名では「ジャノメクンショウギク(蛇の目勲章菊)」や単に「クンショウギク」と呼ばれる。英名には「Tresure flower(トレジャーフラワー=宝の花)」という別名も。

 元々は多年草だが、高温多湿にやや弱いことから日本では秋まき1年草として扱われることが多い。花期は長く5月から10月頃まで。花は日当たりを好み、朝開いて夕方閉じる。日が差さない雨天や曇天のときも閉じたままのことが多い。花の大きさや色、模様は多彩。花径は6~8cmのものが中心だが、中には15cmにもなる巨大輪のものも。一重咲きのほか八重咲きや半八重咲きもある。草丈が15cmほどと低い矮性種、シルバーリーフ(銀葉)で葉も楽しめる品種などもある。

 ガザニアの名は15世紀のギリシャの人文学者テオドロス・ガザ(Theodorus Gaza、1398~1475)の名前に由来する。ガザはローマ教皇ニコラウス5世の命を受けて、古代ギリシャの哲学者・植物学者テオプラストス(紀元前371~287)の著書『植物誌』をギリシャ語からラテン語に翻訳した。『植物誌』は500余種の植物を観察し分類し特性や用途まで体系的にまとめた最初の植物研究書といわれる。植物に関する専門用語を作ったり、植物分類の基礎を築いたりしたことから〝植物学の祖〟といわれる。哲学者アリストテレスの友人で、テオプラストスの名もアリストテレスが渾名として「神(テオス)のごとく語る(プラストス)」から名付けたそうだ。

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<キカラスウリ(黄烏瓜)> 黄色に熟す果実の色から

2020年06月24日 | 花の四季

【デンプン質の塊根は〝汗知らず〟天花粉の原料に!】

 日本固有のウリ科カラスウリ属の多年生蔓植物。北海道南部から沖縄まで全国各地の山野や川べりなどに生えている。朝鮮半島から中国、ベトナムにかけ広く分布するトウカラスウリ(チョウセンカラスウリとも)の変種といわれる。雌雄異株。6~9月頃、直径5~10cmの真っ白い花を付ける。花弁の先端は細かく裂けて無数の糸状になって不規則に伸びる。花や草姿がカラスウリに似て、秋に果実が黄色く熟すことからその名が付いた。

 学名「Trichosanthes kirilowii var.japonica(トリコサンセス・キリローウィ変種ジャポニカ)」。属名はギリシャ語の「thrix(毛)」と「anthos(花)」の合成語で、レース状となる花弁先端の様子を表す。種小名はロシアの植物学者の名前に因むという。キカラスウリはカラスウリ同様、日没後に開花する。ただカラスウリが翌日夜明けとともに早々としぼむのに対し、キカラスウリは昼すぎまで長く咲き続ける。キカラスウリの花粉を運んでくれる〝ポリネーター〟はストローのような長い口吻を持つ夜行性のスズメガたち。スカシバの仲間オオモモブトスカシバの幼虫の食草にもなっている。

 キカラスウリの塊根は太く、きめの細かい良質のデンプンを多く含む。これを精製したものは吸湿性が高く、古くからベビーパウダーの「天花粉」(天瓜粉とも)の名前で〝汗知らず〟としてあせも用に使われてきた。キカラスウリの代用としてカラスウリの根が使われたこともあるそうだ。塊根の皮を剥いて輪切りにし乾燥したものは生薬名で「栝楼根(カロコン)」と呼ばれる。解熱や去痰、咳止めなどに効くという。なおカラスウリの語源については果実をカラスが好んで食べることから、果実が同じウリ科のスズメウリに比べ格段に大きいことから――など諸説あるようだ。

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<奈良市写真美術館> 石川直樹写真展始まる

2020年06月22日 | 美術

【標高世界1、2位への〝道程〟を活写】

 写真家・登山家・作家などとして精力的に活動する石川直樹氏の写真展が入江泰吉記念奈良市写真美術館(奈良市高畑町)で始まった。2回目のエベレスト登頂(2011年)とK2(標高世界2位)への2度の遠征(2015年と19年)のときに撮影した写真約50点が展示されている。会期は当初4月11日~7月5日の予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となり6月1日~8月23日に変更された。

 石川氏は1977年東京生まれで、23歳の2001年に七大陸最高峰登頂を成し遂げた。これは当時の野口健氏の世界最年少記録を破る快挙。人類学や民俗学などに深い関心を抱き辺境から都会まで幅広く旅を続けながら作品を発表してきた。2008年には『最後の冒険家』で開高健ノンフィクション賞、11年には『CORONA』で土門拳賞、そして今春には『EVEREST』など一連の作品や活動で日本写真協会賞作家賞を受賞した。数年前からは「日本列島」プロジェクトとして都道府県別47冊の写真集出版にも取り組んでいる。

 会場入り口には「山は人間が生き延びるための 根源的な叡智を 引きずり出してくれる」と記した大きなパネル。その奥には半円形の巨大テントがあり、中に石川氏の大判写真集『EVEREST/K2』が置いてあった。展示写真には聳える山岳や雄大な自然のほか、シェルパやポーター、麓の村人たち、荷を運ぶ馬などの写真も目立つ。

 石川氏は世界最高峰エベレスト(8848m)には2001年に北壁から、10年ぶりの11年には南東稜から登頂に成功している。だが〝魔の山〟とも形容されるK2(8611m)には昨年7月、頂上まであと約600mと迫りながら今回も雪の状態からサミットプッシュ直前に断念せざるをえなかった。石川氏は「山の9割方を登っての撤退は実に無念だった」と振り返る。ただ、その直後にはガッシャーブルムⅡ峰(K4、8035m)の登頂に成功している。会場ではエベレスト登頂などの際の動画も放映中。標高が8000mを超えると酸素濃度は平地の3分の1になる。石川氏の苦しげな表情からもその過酷な状況が伝わってきた。だけど山頂に着いたときには表情が緩んで「いやぁ、うれしいわ」。その短い言葉に達成感が凝縮されていた。

 ネパール政府は今年3月、コロナウイルス感染防止のためエベレストを含むヒマラヤ登山の許可証発行を停止した。石川氏は遠征時にお世話になったシェルパのことを思い浮かべながらこう記す。「一年のうちで登山者やトレッカーが最も集中する春の観光シーズンの稼ぎで家族を養い、一年の生計を立ててきたシェルパたちのことを思うと胸が痛い。荷運びを生業とするポーターや家族経営のロッジ、その従業員たちにとっても今は一番つらい時期だろう」。そしてこう結んでいる。「彼らはこれくらいで生活が立ち行かなくなるほどやわじゃない、と信じたい自分もいる」

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<ミクリ(実栗、三稜草)> 集合果をイガグリに見立て

2020年06月19日 | 花の四季

【準絶滅危惧種、枕草子や源氏物語にも登場】

 池や沼、水路などの浅い場所に生えるガマ科ミクリ属の抽水植物。日本だけでなくアジアなどに広く分布する。草丈は0.5~1.5m。5~8月頃、水中からまっすぐ立ち上がった茎から枝を伸ばし、上部に10個前後の雄花、下部に数個の雌花を付ける。雌性頭花は熟すと突起のある緑色の球状の集合果となる。直径は2cmほど。和名はその見た目をイガに包まれた栗に見立てた。

 学名は「Sparganium erectum(スパルガニウム・エレクトゥム)」。属名は帯・バンドを意味するギリシャ語に由来し、種小名は「直立した」を意味する。根元から叢生する線形の葉の裏には角ばった稜(りょう)が発達しており、その断面は下部にいくほど三稜形(三角形)に近い形となる。ミクリの漢字に実栗のほか「三稜草」を当てているのもそのため。根茎は漢方の生薬名で「三稜(さんりょう)」と呼ばれ、腹痛や胸痛などの薬に配合される。

 茎はかつて簾(すだれ)や莚(むしろ)などの材料として活用された。平安中期に清少納言が書いた「枕草子」にも「三稜草(みくり)の簾」が出てくる(99段)。また紫式部の「源氏物語」には光源氏から玉鬘へのこんな贈歌がある。「知らずとも尋ねて知らむ三島江に生ふる三稜(みくり)の筋は絶えじを」(第22帖玉鬘)。ミクリは環境省のレッドリストで準絶滅危惧種。湿地の開発や河川・水路の改修に伴うコンクリート化などで将来の絶滅が危ぶまれている。オオミクリ、ヒメミクリ、ナガエミクリなど変種や近縁種も絶滅危惧または準絶滅危惧種のものが多い。

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<ヒメイワダレソウ(姫岩垂草)> 旧属名から「リッピア」とも

2020年06月15日 | 花の四季

【南米原産、グランドカバー植物として人気だけど……】

 アルゼンチンやペルーなど南米に広く分布するクマツヅラ科イワダレソウ属の多年草。日本には昭和初期に渡来した。常緑性だが、日本では葉を落として越冬する。旧属名(学名)から「リッピア」と呼ばれることも多い。草丈は5~15cmで、茎が横に這って節々から根を下ろし地表を覆うように広がる。繁殖力が旺盛なうえ寒さや踏圧にも強いことから、地被植物(グランドカバープラント)や雑草対策用の植物として人気を集めている。

 花期は5~10月頃。白またはピンク色の唇形状の小花がたくさん集まった直径1~1.5cmほどの集合花を上向きに付ける。小花の下唇中央には蜜標の黄色い斑紋。和名は日本の在来種で主に海岸に生えるイワダレソウに似て、花や草丈が小さいことから頭に「ヒメ」と冠した。学名は「Phyla canescens(フィラ・カネスケンス)」。属名は「種族」を意味するラテン語の複数形で、1個の苞葉内に多花が集まることから。種小名は「灰白色の」を意味する。別名リッピアは17世紀のフランスの植物学者名に由来するそうだ。

 ヒメイワダレソウによく似た植物に「クラピア」という園芸品種がある。これは宇都宮大学・雑草科学研究センターの講師だった故倉持仁志氏がイワダレソウを品種改良し緑化用地被植物として開発したもの。倉持氏の「クラ」とリッピアの「ピア」からクラピアと名付けられた。ヒメイワダレソウは6年ほど前、福島県内での調査の結果ヒマワリの30倍の放射性セシウムの吸着効果があるとの発表があり、除染を助ける植物として一躍注目を集めた。ただ繁殖力が旺盛なこの植物については一方で生態系への影響も懸念されており、環境省は2015年「生態系被害防止外来種リスト」に〝重点対策外来種〟として掲載した。

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<春日大社国宝殿> 春季特別展「Enjoy 鎧」再開

2020年06月14日 | 美術

【国宝の甲冑、籠手、太刀、梓弓……】

 臨時休館中だった「春日大社国宝殿」が営業を再開し、春季特別展「Enjoy 鎧 日本一の鎧を楽しむ」で再び日本を代表する華麗な甲冑や武器武具などを堪能できるようになった。会期は当初3月14日~7月12日の予定だったが、この間新型コロナウイルス感染予防のため約2カ月休館したため、9月23日まで延長されることになった(7月13日は展示替えのため休館)。

  

 春日大社は国内有数の〝宝庫〟で、国宝354点を中心に多数の文化財を所蔵する。その中には甲冑屈指の名品といわれる「赤糸威(あかいとおどし)大鎧」2領(竹虎雀飾と梅鶯飾)など国宝の甲冑5点、平安以降の時代を代表する国宝の太刀8件25点も含まれる。多くが武運長久を願う武士が奉納したもので、武士たちの春日大社への篤い崇敬の念を物語る。

 展示中の甲冑「赤糸威大鎧(梅鶯飾)」は竹虎雀飾と同様鎌倉時代のもので、花や昆虫などの精緻な飾り金物が実に美しい。威糸(おどしいと)は元々紅花染めで真紅だったが、退色して黄色くなったという。兜の正面中央には威嚇的な形相の獅噛(しかみ)の飾り。国宝「黒韋威(くろかわおどし)矢筈札(やはずざね)胴丸」は南北朝時代の作で楠木正成の奉納と伝わる。体を丸く覆う胴丸に大袖と冑(かぶと)が付いた〝三物皆具(みつものかいぐ)〟の初期の傑作。「黒韋威胴丸」も伝楠木正成奉納で、2016年に重要文化財から国宝に格上げとなった。

 国宝「籠手(こて)」は手と腕を守る防具。手甲部分には一面に菊と波の透かし彫り、その上にアゲハチョウをかたどった金属の彫り物を据えた華麗なもの。源義経が吉野に落ち延びる際に形見として残したという言い伝えがあり〝義経こて〟と呼ばれている。国宝では他に足利義満の奉納と伝わる「金装花押散兵庫鎖太刀」(備前長船兼光作)と平安時代の「梓弓」も展示されている。

 甲冑類では奈良県立美術館蔵の桃山~江戸時代のものや、甲冑師小澤正実氏(1953~)が製作した冑、古式大袖模造、鎧金具製作見本なども展示中。小澤氏は1998年に甲冑修理で国選定保存技術保持者に選ばれ、これまでに春日大社が所蔵する国宝の甲冑などの修理を手掛けてきた。4年前に重文から国宝になった「黒韋威胴丸」も、小澤氏が修理する過程で当初の部材がほぼ完全な形で残っていることが判明、文化財的な価値がより高く評価されて指定替えにつながった。

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<奈良公園・飛火野園地> 鹿たちが早くも水浴び

2020年06月10日 | アンビリバボー

【その池は〝摘草〟の古跡「雪消沢」だった!】

 梅雨入り間近の奈良地方でもこの1週間ほどは最高気温が30度を超える真夏日が続いた。まだ6月前半なのに、熱中症に気をつけてといった声さえ聞こえてくる。そんな中、奈良公園では9日の昼下がり、鹿たちが暑さしのぎのため池の中で水浴びする光景も見られた。その場所は奈良公園内で最大の芝生広場が広がる飛火野園地の一角。春日大社の表参道の南西端に当たる。

 十頭あまりの鹿が池の中に入って涼をとり、中には池に浮かぶ小島の草を食む鹿もいた。小島には小さな石碑。「雪消澤古蹟」という碑文が刻まれていた。古跡? はてな。飛火野園地は正月の「春日の大とんど」の場所として知られ、クスノキの巨樹の根元には「明治天皇玉座跡」という石碑も立つ。通りがかりによく立ち寄ってきた広場だが、この池は気にも留めず通り過ぎていた。後で調べて、この湧き水の池が古くから歌にも詠まれた知る人ぞ知る有名な場所だと分かった。

 碑文「雪消澤」は「ゆきげのさわ」と読む。ここは古い時代から雪が消えた早春に若葉を摘み取る〝摘草〟の名所として知れ渡っていたという。今でこそ雪が降ることはめったにないが、昔は奈良でも結構よく降っていたのだろう。平安時代後期の公卿、藤原仲実(1064~1122)は歌集「堀河百首」の中にこんな歌を残している。「春日野の雪消の沢に袖垂れて君がためにと小芹をぞ摘む」。水浴びしていた鹿たちのおかげで、この場所の由緒を初めて知ることができた。少し離れた日蔭では鹿のお母さんが鹿の子(かのこ)模様の生後間もない小鹿に寄り添い、しきりに毛づくろいをしていた。

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<大和文華館> 開館60周年記念「コレクションの歩み展Ⅱ」

2020年06月08日 | 美術

【開館後に収集した代表作品57点を一堂に!】

 今年開館60周年を迎えた大和文華館(奈良市学園南)で記念展「コレクションの歩み展Ⅱ」(7月5日まで)が始まった。1960年の開館以降に集めた作品の中から絵画、陶磁器、漆工、金工・ガラス製品など各分野の代表作57点を選び一堂に展示する。当初はまず「歩み展Ⅰ」で開館前に収集した作品の展示を予定していた。ところが新型コロナウイルスのため3カ月近く臨時休館へ。そのため順序を逆にして「歩み展Ⅰ」は「歩み展Ⅱ」終了後の7月10日~8月16日に開くことになった。

 今回の展示作品の中には六曲一双の屏風3点が含まれる。そのうち室町時代の画僧、雪村周継の墨画「花鳥図屏風」は重要文化財で、右隻に早春の朝の光景、左隻に夏の夜景が描かれる。雪村筆「自画像」も重要文化財。獣皮を掛けた籐椅子に仏具の如意を手にした老僧が静かに座す。あと2つの屏風は江戸前期の絵師渡辺始興の「金地山水図屏風」と江戸末期の絵師岡田為恭の「春秋鷹狩茸狩図屏風」。

 重要美術品「阿国歌舞伎草紙」は桃山時代の作で、歌舞伎踊りで人気を集めた出雲阿国を描いたものとしては「最も時代を遡る作品」。この草紙では「念仏踊」と「茶屋遊び」の2つの演目の場面が、楽しげな観客の様子とともに色鮮やかに描かれている。平安中期作「木造女神像」(高さ50cm)も重要美術品。絵画では伊藤若冲の「釣瓶に鶏図」、円山応挙の「東山三絶図」、富岡鉄斎の「山水画帖」や「群仙祝寿図」なども展示中。

 「白磁蟠龍博山炉」は蓮華をかたどった香炉(高さ38.2cm)で、中国唐~随時代の白磁の傑作といわれる。上部の蓋には火炎宝珠文が刻まれ、蓮茎に蟠龍が巻きつく。漆工や陶磁器では酒井抱一図案・原羊遊斎作の「竹製蒔絵椿柳文茶入」、15世紀ベトナム製の「青花牡丹文大鉢」など。足利尊氏が1336年(建武3年)正月、新田義貞らを討つ挙兵の本意を綴り加護を祈願した石清水八幡宮への寄進状、古田織部の織田有楽斎への礼状なども展示されている。尊氏の麗流とはいえないものの一字一字丁寧に記した少し丸めの太い文字が印象的だった。

【梅林に回遊路が出現! 臨時休館中に整備】

 大和文華館は美術工芸品を展示する本館を取り囲むように〝文華苑〟と名付けた自然の庭園が広がる。ロウバイ、サザンカ、ウメ、モクレン、ササユリ、スイフヨウ……。来場者にとっては四季折々の花々を観賞するのも楽しみの一つだ。苑内にはウメだけでも約70種130本が植えられている。チケットを買って右に曲がって進む。すると、目の前にこれまでなかった光景が! 梅林の中に真新しい回遊路ができていた。本館で伺ったところ臨時休館中に整備したとのことだった。

 梅林向かいの「梅の小径」を登っていくと、林の中で薄紅色のササユリの花が風に揺れていた。すでに咲き終わったものもあったが、ざっと数えるとまだ十数本の茎に花が付いていた。本館入り口にもササユリの鉢植えが飾られていた。帰る途中「ブ~ン」という羽音とともに、そばの大きな切り株の上に体長4cmほどの昆虫が着地。一瞬カミキリムシかと思ったが、近づいてみると体形や大きな目玉からタマムシの仲間に違いない。だが名前が出てこない。しばらくして飛び立ったタマムシを見送り、帰宅後すぐに図鑑をめくって分かった。「ウバタマムシ(姥玉虫)」。玉虫色に輝くヤマトタマムシに比べ色合いが地味なことからこんな名前になったのだろう。少しかわいそうな気がした。

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<イロハモミジ> 花後に〝翼果〟がくるくると風に舞い

2020年06月02日 | 花の四季

【「タカオカエデ」「イロハカエデ」の別名も】

 本州、四国、九州の山野に広く分布するカエデ科の落葉高木。大きなものは高さが20mを超える。カエデの仲間は国内に30種近く自生するが、単にモミジという場合、秋真っ赤に紅葉するこのイロハモミジを指すことが多い。庭木や公園樹などとしてもよく植えられる。風媒花。4~5月頃、本年枝の先に暗赤色の小花を付け、花後に赤い翼を横に広げた翼果がくるくると舞いながら落ちていく。紅葉の名所として有名な京都・高雄に多いことから、その地名に因み「タカオカエデ」とも呼ばれる。他に「イロハカエデ」や「コハ(小葉)モミジ」とも。

 葉はカエデ類の中で最も小さい径4~7cmほどの掌状で5~7深裂する。学名は「Acer palmatum(アセル・パルマツム)」。属名の語源は「鋭く尖った」を意味するラテン語から、種小名は「手のひら状の」を意味する(ちなみに「カエデ」という言葉も葉の形がカエルの手に似ていることから「蛙手」が転訛したもの)。イロハモミジの「イロハ」は裂片の数を「いろはにほてと」と数えたことに由来する。「モミジ」は秋に葉が色づくことを「もみつ(紅葉つ・黄葉つ)」(色を揉みだすという意)といい、これが名詞化し、さらに濁音化して「もみぢ」、そして「もみじ」と変化したそうだ。万葉集には「もみつ」や「もみち」の言葉に「黄葉」の字を充てた歌が数多く登場する。

 イロハモミジの変種には葉や翼果が大きな「オオモミジ」や日本海側の山地に多く葉がやや大きい「ヤマモミジ」などがある。江戸時代の元禄年間から明治時代にかけ、これらのモミジをもとに多くの園芸品種が作られた。福島県いわき市の「中釜戸のシダレモミジ」(樹種イロハモミジ)は国指定天然記念物。宮城県仙台市の「賀茂神社のイロハモミジ」、静岡県伊豆市の「青埴神社の枝垂れイロハカエデ」、広島県庄原市の「上市のイロハモミジ群」、長崎県松浦市の「福寿寺のイロハモミジ」など県指定の天然記念物も多い。モミジといえば秋の紅葉が人気だが、新緑の若葉も爽やかで美しい。吉田兼好も「徒然草」の中で「卯月ばかりの若楓、すべて、よろずの花紅葉にもまさりて、めでたきものなり」(第139段)と讃えた。若楓は初夏の季語。「鹿はまだ角芽ぐむ頃や若楓」(正岡子規)

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