く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈富雄丸山古墳〉 新たに木棺から3枚の青銅鏡!

2024年03月17日 | 考古・歴史

【被葬者の頭部分にリンを含む真っ赤な水銀朱】

 国内最大の古墳時代の円墳、奈良市の富雄丸山古墳(直径109m)で、埋葬施設の粘土槨内の木棺から副葬品の青銅鏡3枚が見つかり、奈良市教育委員会の埋蔵文化財調査センターが3月16日、発掘現場を一般公開した。

 木棺を粘土で覆ったこの粘土槨は昨年度の調査で北東側の造り出し部分から出土。被覆粘土の中から東アジア最長の「蛇行剣」とこれまで類例のない「鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡」が見つかった。このため未盗掘とみられる木棺内部の調査も大きな注目を集めていた。

 木棺の材質はコウヤマキで、幹を半分に割って内部をくりぬき、下半分を棺の身、上半分を蓋としていた。大きさは長さ5.6m、幅64~70㎝、厚さが約5㎝。内部は2枚の仕切り板で中央の主室と左右2つの副室の3つに区画され、木棺の両端は小口板で区切られていた。 

 銅鏡が見つかったのは被葬者の足側とみられる副室内の小口板のそば。鏡面を上向きに3枚重ねた状態で出土した。一番上の鏡は縁の断面から三角縁神獣鏡の可能性が高いという。今後慎重に取り出して鏡の種類や背面の文様などを調べる。

 被葬者が埋葬されていたとみられる主室(長さ2.4m)では、頭があったと想定される位置を中心に水銀朱を検出した。最も赤色の濃い部分には人骨に由来すると考えられる元素のリンを多く含んでいることも分かった。

 このほか被葬者の足側の仕切り板の近くから漆塗りの竹製の竪櫛(たてぐし)9点も出土した。ただ同時期の古墳時代前期後半(4世紀後半)の古墳と比べると、副葬品が少ないのが特徴。事前に出土した長大な蛇行剣と盾形銅鏡から、木棺内からも甲冑や武具など豪華な副葬品の発見が期待されていた。それだけに、やや期待外れだったことは否めない。

 では被葬者は誰だったのか。副葬品が鏡と櫛だけで、これらが化粧道具でありながら呪術にも利用されていたことから、奈良市埋蔵文化財調査センター所長の鐘方正樹さんはこう推測する。「墳頂部に眠る当時の支配者の兄が、祈祷⋅呪術で支えてくれた巫女の妹の魂を守るため、大切にしていた蛇行剣と盾形銅鏡を供えたのかもしれない」

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〈高取町〉 第18回「町家の雛めぐり」

2024年03月13日 | 祭り

【「かかし祭り」に次いでこちらも最終回!】

 奈良県高取町で春恒例のイベント「町家の雛めぐり」が繰り広げられている。地元の有志でつくる「天の川実行委員会」の主催で、今年で18回目。毎年、大小⋅新旧様々なお雛様が旧城下町の町家や商店、広場などを華やかに飾って、観光客の目を楽しませてくれてきた。だがスタッフの高齢化で、秋の「かかし祭り」に続いてこのイベントも今回が最終回に。3月末までで見納めとなる。

 雛人形の展示場所は旧城下町を貫く土佐街道沿いを中心に約50カ所。メイン会場は「街の駅城跡」内の「雛の里親館」だ。入って左側に17段の雛壇に約500体がうず高く並ぶ。壮観そのもの。その向かい側にも1863年(文久3年)製のもの(下の写真)をはじめ多くの雛人形が並び華やかな光景が広がっていた。

 昨年10月が最終回だった「かかし祭り」ではイベント終了後かかしを希望者に譲って区切りをつけた。では今展示中の雛人形はどうなるのだろうか。スタッフに伺うと「未定。かかしと違って希望者に譲るというわけにはいかないし┄┄」と話されていた。

 最寄りの近鉄壺阪山駅に程近い「じぃじばぁばの館」の変わり雛も見ごたえがあった。和紙を張り重ねた”奈良一閑張り”のジャンボ雛や大名行列、浅草雷門、日本橋など工夫を凝らした人形が所狭しと並ぶ。

 その近く「衣料の店まつむら」の店頭を飾る雛人形も人気を集めていた。中でも目を引き寄せられたのが2体の木目込み人形。高さが10㎝にみたない小さなサイズだが、2体とも可愛い唇がきれいなハート形で表されていた。

 下土佐ふれあい広場や観光案内所「夢創館」のポケットパークなどを飾るのは手作りの巨大な雛人形。夢創館の館内には製作時期が「幕末」と記された雛人形なども飾られていた。

 街の駅城跡事務所内を飾る藤塚真紀さんのオリジナル人形雛(下の写真)や恵美須神社の雛人形なども目を楽しませてくれた。18回も続き観光客を引き付けてきた「町家の雛めぐり」。来年以降もなんとか継続する手立てはないのだろうか。今月16日には別の主催団体による「高取町ひなめぐり音楽祭」(能登半島地震チャリティー音楽祭)の開催も予定されている。

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〈奈良市写真美術館〉 「入江泰吉記念写真賞」受賞作品展

2024年03月11日 | 美術

【ならPHOTO   CONTEST 作品展も】

 奈良市写真美術館(高畑町)で「第5回入江泰吉記念写真賞」(日本経済新聞社協力)の受賞作品展が開かれている。若手写真家の発掘を目的に2014年にスタートし2年ごとに作品を公募してきたが、第5回は新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの開催となった。今回は全国から61点の応募があり、その中から東京在住の眞岡綺音(あやね)さんの作品『陸の珊瑚』が大賞に当たる記念写真賞に選ばれた。

 眞岡さんは大阪府出身の23歳。日本写真映像専門学校を卒業し、これまでに読売写真大賞中高生部門大賞、御苗場2018年間最優秀賞なども受賞している。今回の受賞作品(48枚組み)では祖父母が経営する牧場を舞台に、4~5年間にわたって家族や環境の変化を追い続けた。作品の中には病床にあった祖父の最期の姿やお墓の周りで明るくはしゃぐ男女児の写真などもある。

 審査員の写真家百々俊二氏は「家族の日常を丹念に生き生きと記録し、そこに生と死が織り成す。祖父の死を経て家族関係の再生、乳牛を育てる労働を明るく柔軟な眼差しで表現している」と評価。菅谷富夫氏(大阪中之島美術館館長)は「写真から伝わってくるのは、時にはグロテスクなまでの生々しい生命感である」と評している。一連の作品は写真集として出版された。

 「第5回ならPHOTO  CONTEST 」の受賞作品展も同時に開催中。「ならを視る」をテーマに掲げたこのコンテストには全国から548点の応募があった。その中から「なら賞」には二川和歩さん(愛媛県在住)の『佇む』が選ばれた。東大寺南大門で巨大な金剛力士像に対面する二人の女性の姿をモノクロでとらえた。「日本経済新聞社賞」の受賞作は若井芳昭さん(三重県在住)の『ならが視る』。奈良公園名物のシカが大きな切り株の向こう側から耳をそばだてじっとこちら側を凝視する。

   

 入江泰吉の作品展も開かれている。今回は春を告げる花として「梅⋅桃⋅桜」にスポットを当て、大和路や吉野など花のある風景写真30点余を紹介している。会期はいずれも3月17日まで。

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〈本薬師寺〉 南門の南東部から幅3.3mの石敷き!

2024年03月09日 | 考古・歴史

【巨大な礎石の抜き取り跡も発掘】

 奈良県橿原市の特別史跡「本薬師寺(もとやくしじ)跡」で、正門に当たる南門の南東部分から基壇の外周を巡る石敷きや南門の柱を支える礎石の抜き取り跡などが見つかった。発掘調査を担う橿原市文化財保存活用課が3月2日、現地(藤原京右京八条三坊)で見学会を開催、熱心な考古学ファンが説明者に次々と質問を繰り返していた。

 本薬師寺は680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って造営を発願し、天皇崩御後は持統天皇が継承し698年に完成した。710年の平城京遷都に伴って造営された奈良⋅西ノ京の薬師寺(平城薬師寺)の前身といわれる。伽藍配置もいわゆる「薬師寺式」と呼ばれ、金堂の南側に東西の両塔が並んでいた。本薬師寺は平安中期の11世紀まで存続したとみられている。

 今回の発掘調査で見つかった石敷きは幅が約3.3mで、20~30㎝大の石が南門南東の基壇の外周を直角に屈折する形で整然と敷き詰められていた。検出した石敷きの長さは約22m。この石敷きが南門の基壇全体をぐるりと囲んでいたとみられる。

 石敷き内には中央に南門の軒先から落ちる雨水を受ける石組みの溝が設けられていた。溝の幅は約60㎝で、深さは5~10㎝。南門南東部からは直径が2m近い礎石を抜き取った跡も見つかった。

 南門の規模は過去の発掘調査から東西約15m、南北約10mと推定されていたが、今回見つかった大きな礎石跡や、南東の隅柱から雨落ち溝までの距離が約4mもあることなどから、国家寺院の正面玄関にふさわしい壮大な建物だったことが改めて裏付けられた。

 その南門と北側の中門との間隔が平城薬師寺より約7m狭いことも新たに分かった。平城薬師寺の創建に関しては学界の一部に藤原京の本薬師寺の建物を移転した「移築説」もあるが、発掘調査による南門の構造や位置の違いは「新築説」の有力な補強材料にもなりそうだ。

 今回の調査では石敷きの外側から南門の屋根を葺いていたとみられる軒丸瓦や大きな平瓦なども出土し、数点が展示されていた。(下の写真は金堂跡と東塔跡の柱を支えた礎石) 

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