く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<漢国神社> 3年ぶりに獅子神楽を奉納

2022年12月30日 | 祭り

【兵庫県立西宮高校邦楽部と西宮神社獅子舞保存会も出演】

 奈良市の古社、漢国(かんごう)神社(593年創建)で12月29日、この1年の厄を祓って新年の福を招く「大祓・獅子神楽」の奉納が行われた。2008年に太神楽曲芸師の豊来家玉之助さんが獅子舞を奉納したのが始まり。以来年末恒例の祭事として人気を集めてきたが、過去2年は新型コロナの影響で祭礼のみに。3年ぶりの本格開催に境内は楽しみに待っていた観客で埋め尽くされた。

 神楽奉納の中心となるのは豊来家さんに「桃俣獅子舞保存会」(奈良県御杖村)などが加わって結成された「漢国神社韓園講(からそのこう)」。今年は兵庫県立西宮高校邦楽部(和太鼓班)のメンバーと「西宮神社獅子舞保存会」も加わって演舞を披露した。西宮神社は全国に約3500社あるえびす神社の総本社。「西宮えびす」としても広く知られる。その獅子舞保存会は長く途絶えていた獅子舞を再興しようと3年前に発足したばかりとのこと。

 獅子神楽の奉納は午後1時すぎ、西宮からの参加者による『道中』から始まった。続いて道案内の神といわれる『猿田彦舞』や『宮参り』、福をもたらす『大黒』、2つの獅子頭を操る『韓園』、宝剣で邪気を払う『剣』や『荒神祓崩し』……。太鼓と笛による軽快なリズムに乗って次々と獅子舞などが披露された。

 奉納芸が終わるたび観客席からは大きな拍手とともに、舞台におひねりが投げ込まれた。中でも多くのおひねりが飛び交ったのが県立西宮高校の女子生徒たちによる獅子舞『大地』の演舞後。関係者が手にする竹籠も拾い集めたおひねりでいっぱいになっていた。

 この獅子神楽を見るのは2018年以来。その時『へべれけ』という演目が観客に大うけしていたが、今年も一番の盛り上がりを見せた。大きな盃を観客に差し出して赤い瓢箪から酒を注ぐ。その後、獅子にも大盃を差し出す。だが、もったいないと酒を注ぐふりをしては自分が飲む。そのうち自分が酔っ払ってしまうことに。

 舞台を取り仕切り、まさに八面六臂の活躍を見せたのが豊来家玉之助さん。軽妙なトークで笑いを誘い、『猿田彦舞』や『韓園』などの一人獅子舞を演じたり、『太神楽』で傘回しなどの曲芸を披露したり。演舞者の後ろで笛も吹いていた。豊来家さんは大阪府生まれ・兵庫県育ちで、大阪芸術大学卒の50歳。自慢はNHK朝の連続テレビ小説『わろてんか』で松坂桃季さんらに曲芸指導をしたこと。かつてNHK番組の「上方演芸ホール」に出演したこともあるそうだ。

 終盤、豊来家さんの掛け声で出演者一堂が舞台に勢揃い。一人ひとり自己紹介すると、観客席から温かい拍手が送られた。この後、舞台でトリを演じたのも豊来家さん。『四方鎮(よもしずめ)』の舞で約2時間にわたった神楽奉納を締め括った。終了後、観客には御杖村の郷土料理という「いとこ煮」が振る舞われた。年末の寒空の下、熱々の小豆とカボチャが実にうまかった!

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<アオジ(青鵐、蒿雀)> ホオジロの仲間、中部以南で越冬

2022年12月28日 | 小鳥たち

【黄色い胸~腹部に黒の縞模様】

 庭でスズメサイズの小鳥が地面に下りて皿の水を飲んでいた。よく見ると胸から腹にかけて黄色く、そこに黒い縦縞の模様。「あっ、アオジだ」。野鳥図鑑ではよく目にしていたが、実際に間近で見るのは今回が初めて。これまでも庭にやって来た小鳥たちの写真を撮ってはこのブログにアップしてきた。メジロやヤマガラ、シジュウカラ、ツグミ、シメ、コゲラ、シロハラ、カワラヒワ、ジョウビタキ……。猫の額のような小さな庭をわざわざ訪れてくれた小鳥たちには「ありがとう」と「ご苦労さま(冬鳥の長旅に対して)」の声を掛けてあげたい。

 アオジはホオジロ科ホオジロ属の野鳥、学名は「Emberiza spodocephala(エンベリザ・スポドケファラ)」。3亜種が確認されており、生息地域で色や紋様などが微妙に異なる。日本でよく見かけるのはサハリンや千島列島南部、日本の本州中部以北で繁殖する「亜種アオジ(personata)」。秋から冬にかけ主に積雪のない本州の中部以南に飛来して越冬する。「亜種シベリアアオジ(spodocephala)」の繁殖地はロシアのバイカル地方や中国東北部、朝鮮半島北部などで、中国南部や台湾で越冬する。日本でも春や秋の渡りの季節に日本海側でシベリアアオジを観察できるそうだ。ほかに中国の中南部で繁殖し、インド西部~中国南部で越冬する「亜種(sordida)」もいる。・

 体長は16㎝ほど。オスは頭部が灰緑色で、背中の羽は暗褐色。胸~腹は黄色地に黒い縞模様が目立ち、目の周りから嘴にかけては黒い。メスの色目はオスに比べやや地味で、目の後方や頬の下側に黄色いラインがあるのが特徴。学名(種小名)のスポドケファラは「灰色の頭の」を意味する。和名アオジの「アオ」は緑色がかった羽毛の色から。アオジの漢字「青鵐」は「あおしとど」とも読む。アオジなどホオジロ科の仲間は古くから「シトト」または「シトド」と呼ばれてきた。漢字の別表記「蒿雀」の「蒿」は蓬(ヨモギ)のこと。英名は「Black-faced Bunting(黒い顔のホオジロ)」。アオジによく似た小鳥に同じホオジロ科の「ノジコ(野路子)」がおり、環境省のレッドリストで準絶滅危惧種になっている。

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<イラン> 女優アリドゥスティさん逮捕記事が!

2022年12月20日 | メモ

【アカデミー受賞作に主演、デモ巡る投稿で】

 12月19日、朝刊の国際面を開いて、小さな記事に目が釘付けになった。「イラン、デモ巡り著名女優逮捕」という十数行の記事。かつて観たイラン映画の主演女優の顔写真が添えられていた。その女性は2017年に米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『セールスマン』に出演したタラネ・アリドゥスティさん。記事は反スカーフデモに参加し処刑された男性を巡って、アリドゥスティさんが交流サイト(SNS)に「流血を傍観し、何も行動しない国際組織は人類の恥だ」と投稿していた、と記されていた。

  

 『セールスマン』はイランを代表する映画監督アスガル・ファルハディーの作品。引っ越した新しいアパートで夫の留守中、妻が突然侵入してきた男に襲われる。犯人を必死に捜す夫に、性被害を表沙汰にしたくない妻は多くを語らない。次第に2人の間には亀裂が深まっていく。犯人は転居先に以前住んでいた娼婦の関係者だった――。アリドゥスティさんの迫真の演技に加え、イラン映画の視聴が初めてということもあって強く印象に残った。

 この作品はアカデミー賞の授賞式を巡るトラブルでも大きな話題を集めた。2017年2月当時、米トランプ政権はイランを含むイスラム教国7カ国出身者への入国ビザ発給制限を検討中。報道でそれを知ったファルハディー監督とアリドゥスティさんは抗議のため授賞式出席をボイコットしたのだ。日本での公開に合わせ初来日したアリドゥスティさんは会見で「授賞式の場にいたかったが、もし自分たちだけ入国できたら、イランの一般市民はどう思うだろうか」と当時の心境を吐露した。

 イランが映画大国の一つなのを知ったのもこの『セールスマン』のおかげだった。その後、イラン映画を数本視聴した。今も画面の残像が浮かぶのが『運動靴と赤い金魚』(1997年)。兄が修理に出した妹の靴を帰宅中に失ってしまったため、兄妹は兄の運動靴をかわりばんこに履いて登校する。ある日、兄はマラソン大会の3等賞の景品が運動靴と知って出場することに。その景品の靴を店で妹用の新品に取り替えてもらいたい。ところが兄は1等に。肩を落とす兄、その雰囲気から事情を察する妹。その頃、父親は買い物を済ませ自宅に向かう。自転車の荷台にはピンクの可愛い靴も載っていた――。大きな瞳で泣いたり笑ったりする2人の豊かな表情が印象的だった。『ボーダレス ぼくの船の国境線』(2014年)も戦争の悲惨さを静かに訴える傑作。国境の川に浮かぶ廃船を舞台に、身寄りのない少年と戦争で家と家族を失った少女(+赤ん坊)、「もうイヤだ」と戦地から逃げてきた米兵の3人が言葉の壁を乗り越えていく様を描く。

 イランではこのところ当局による映画界への弾圧が一段と強まっている。女優アリドゥスティさんの逮捕の前には、7月にモハマド・ラスロフ氏ら2人の監督が「社会の不安を煽った」として逮捕された。ラスロフ監督は2020年に『悪は存在せず』でベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得した(ただ出国が禁じられ授賞式には参加できず)。さらに体制批判の公開書簡を出していたジャファール・パナヒ監督も逮捕され、2010年に言い渡されていた禁固6年の刑に服すため収監された。パナヒ監督はベネチアやベルリンの国際映画祭で最高賞を受賞しているイラン映画界の巨匠の一人だ。

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<京都・山科義士まつり> 四十七士3年ぶり勇壮に!

2022年12月15日 | 祭り

【芝居「松の廊下」や踊り「大石音頭」も】

 12月14日(旧暦)は赤穂浪士による吉良邸討ち入りの日。1702年(元禄15年)のことだから、ちょうど320年前に当たる。この日、ゆかりの地の京都市山科区で「第46回山科義士まつり」が開かれた。地元の自治連合会や地域女性連合会などでつくる実行委員会の主催で、開催は3年ぶり。勇壮な討ち入り装束に身を包んだ区民たちが毘沙門堂から大石神社まで約6キロを練り歩いた。途中の文化施設では「忠臣蔵」の芝居や踊りも披露、まつりに華を添えていた。

 行列の出発点毘沙門堂は山科盆地を見下ろす山麓に位置する。出発予定は午前10時。その20分ほど前に着くと、本堂前に四十七士が整列し「エイエイオー」と勝どきの練習中だった。「元気がない。もう一度」と司会者。「エイエイオー」。「最初が50点、今のは70点」。その後、場所を移し芝居の「連判状改め」の場面を確認し、再び勝どきを上げていた。

 隊列はほぼ予定時刻に毘沙門堂を出発し、参道の石段を下った。赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助や息子の主税、主君浅野内匠頭の正室瑤泉院たちは一足早く出発し、毘沙門通を少し下った所にある瑞光院の門前で隊列に合流した。瑞光院は臨済宗大徳寺派の寺院で、浅野家の菩提寺。内匠頭の供養塔や義士たちの遺髪塚などがある。

 沿道は義士たちの勇姿を一目見ようという人たちでいっぱい。隊列はその間を整然と進みJRと京阪電車の線路を越えて右折。保育園の前では多くの園児たちが歓声を上げて出迎えた。四十七士は園児側に向き直って刀を振り上げ「エイエイオー」を3回。掛け声に合わせ一緒に拳を突き上げる園児もいた。隊列はこの後、幹線道の外環状線を南下し、休憩を挟んでパフォーマンス会場の東部文化会館に向かった。

 舞台に最初に登場したのは可愛らしい討ち入り姿の幼稚園児たち。「連判状改め」の場面を演じて「エイエイオー」と勝どきを上げると、客席から割れんばかりの拍手が送られた。この後、大人の四十七士が客席後方から表門隊と裏門隊の二手に分かれて入場。舞台で東映太秦映画村の協力を得て「刃傷松の廊下」や「内匠頭の切腹」「討ち入り」のパフォーマンスが披露された。その間、女性陣による「元禄花見踊り」と「大石音頭」の華やかな踊りもあった。

 行列はこの後、岩屋寺を経て最終目的地の大石神社へ。岩屋寺は内蔵助が祇園などで遊んで世間の目を欺きながら江戸に下るまでの1年あまり隠棲した場所といわれる。内蔵助の遺髪塚や義士の位牌などがある。内蔵助を祀る大石神社は1935年の創建で、「大石桜」がご神木になっている。

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<大和文華館> 特別企画展「明清の美―15~20世紀中国の美術」

2022年12月04日 | 美術

【中国に留学した山口宗季や師・孫億の作品も】

 奈良市学園南の大和文華館で特別企画展「明清の美―15~20世紀中国の美術」が開かれている。今年は日中国交正常化50周年・沖縄復帰50周年。その節目に合わせて、多彩で華やかな文化芸術が花開いた中国・明朝(1368~1644)と清朝(1616~1912)の美術作品を展示。同時に、来日した中国画家や琉球から中国に渡って学んだ画家たちの作品も交え、当時の両国の文化交流の一端を紹介する。12月25日まで。

 展示は所蔵作品に兵庫県立美術館蔵と泉屋博古館(京都市)蔵の特別出陳も含め46点。明代の作品でまず目を引くのが『文姫帰漢図巻』。全長が約12mもある巻物で、後漢の蔡文姫(177~?)の波乱の半生を描く。文姫は都の洛陽に侵入した北方の異民族に連れ去られ、南匈奴の左賢王の妻となる。12年後、曹操のとりなしで帰郷を果たすが、最愛の2人の子どもとは引き裂かれてしまう。その母子別離の場面がクライマックス。全18場面のうち13番目に登場する。

 伝仇英筆・文徴明詞書の『仕女図巻』は1540年制作。宮仕えの女性たちが庭園で蹴鞠や鞦韆(しゅうせん=ブランコ遊び)などに興じる様子が色彩豊かに描かれている。張宏筆『越中真景図冊』は越(現在の浙江省)の名所を8つの画面に描いた1639年の作品。仇英は明代中期に、また張宏は明代末期にそれぞれ蘇州で活躍した。

 龔賢(きょうけん)筆『山水長巻』は泉屋博古館蔵で、画面の長さが約5.4mもある幅広の作品。龔賢は清代初期に金陵(南京)で活躍した8人の個性的な画家「金陵八家(きんりょうはっか)」の中心人物とされる。また正統派の6人の大家は「四王呉惲(しおうごうん)」と呼ばれた。『聴松図巻』はその一人王翬(おうき)が山水を描き、弟子の楊晋が人物を描いた合作。四王呉惲の王原祁の『城南山水図』、惲寿平の『蓮池図』も展示中。

 18世紀、清朝最盛期の第6代乾隆帝の頃に揚州で活躍した文人画家羅聘の『墨梅図』、汪士慎の『墨梅図冊』なども並ぶ。花鳥画に優れた個性派の彼らは「揚州八怪」と呼ばれた。『台湾征討図巻』という銅版画は乾隆帝の時代の1787~88年頃の作品。清朝の直轄領に組み込まれていた台湾で1786年反乱が起きる。その平定記念として制作されたもので、海と陸の激しい戦闘の様子が遠近法を使った迫力のある画面で表現されている。乾隆帝は自身の戦勝記念としてたびたび銅版画を作らせたそうだ。

 江戸時代に日本を訪れた中国清代の画家の作品として2点が出品されている。沈詮(沈南蘋)筆『秋渓群馬図』と伝余崧筆『桐下遊兎図』。沈詮は1731年に長崎に来航し約2年間多くの日本の画家を指導し、与謝蕪村や司馬江漢らのちの大家たちにも大きな影響を与えた。蕪村の作品には沈詮の群馬図とほぼ同じ構図の『群馬図屏風』(京都国立博物館蔵)が残っている。清代、中国・福州(現在の福建省)には文化交流施設「琉球館」があり、琉球からの留学生が中国画家孫億らから手ほどきを受けた。その孫億の作品『梅花牡丹小禽図』や、福州で4年間孫億らに学んだ山口宗季の『花鳥図』、山口の弟子・座間味庸昌の『船上武人図』も展示している。

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