く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ロシア・ナショナル管弦楽団> 「ムジークフェストなら」の掉尾を飾る熱演

2015年06月29日 | 音楽

【チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ牛田智大)、交響曲第5番…】

 奈良県内各地で約2週間にわたって繰り広げられてきた「ムジークフェストなら」最終日の28日、奈良県文化会館(奈良市)でロシア屈指のオーケストラといわれる「ロシア・ナショナル管弦楽団」の演奏会が開かれた。指揮は同管創立者で世界的なピアニストでもあるミハイル・プレトニョフ。若き俊英ピアニスト牛田智大との共演によるチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」や「交響曲第5番」などを熱演、掉尾を飾るにふさわしい名演奏で締めくくった。

 同管を率いるプレトニョフ(写真㊧)はまだ21歳だった1978年、チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で金メダル・第1位を獲得し一躍脚光を浴びた。ロシア・ナショナル管弦楽団の誕生はソ連崩壊の前年1990年。国内のトップオーケストラから一流奏者を集め、ロシア史上で初めて国家から独立したオーケストラを創設した。長年温めていた夢が実現した背景にはその2年前、米国で開かれたサミット(先進国首脳会議)でのピアノ演奏を機に当時のゴルバチョフ大統領との親交が深まって自由な音楽活動が保証されたことによる。モスクワでの初演からほぼ半世紀、今や世界有数のオーケストラとして注目を集める。

  

 演奏会はチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ第2楽章」から始まった。地元の「奈良県立ジュニアオーケストラ」の若いメンバー約30人も加わった総勢100人近い大編成で、プロ・アマが一体となって優美なワルツを奏でた。2曲目は世界的なトランペッター、セルゲイ・ナカリャコフ(写真㊥)を迎えてアルチュニアン作曲の「トランペット協奏曲」。アルチュニアン(1920~2012)はアルメニアの作曲家で、この協奏曲は代表作の1つ。ナカリャコフはNHK朝の連続テレビ小説「天うらら」のテーマ曲演奏などで日本でも広く知られる。その超絶技巧と透明感に満ちた音色はさすが、と思わせるものだった。アンコールのバッハ「G線上のアリア」ではトランペットの多様な表現力の一端も見せてくれた。

 3曲目の「ピアノ協奏曲第1番」では、小柄で細身の牛田智大(写真㊨)がピアノの前では実に堂々として大きく見えた。その演奏は力強く、かつ繊細で自信にあふれ、雄大で華麗なこの協奏曲の魅力を余すことなく披露してくれた。演奏後「ブラボー」が飛び交う中、近く席から「とても15歳とは思えないね」と知人に話し掛ける女性の声が聞こえてきた。アンコール曲はプーランク作曲「即興曲第15番 エディットピアフを讃えて」。牛田はこの後も名古屋国際音楽祭で7月11日この第1番を演奏するなど、ロシア・ナショナル管弦楽団と各地で共演の予定という。

 休憩を挟んで最後の4曲目は演奏時間約50分の「交響曲第5番」。約80人によるフル編成で、第1楽章は短調の暗く重苦しい旋律で始まり、第2、第3楽章と進むにつれ次第に明るく軽快に。そして最終章は全楽器による強奏で頂点を迎える。その高揚感の盛り上げ方は感動的でもあった。またチェロ9本、コントラバス7本の艶のある重厚な音色も印象に残った。アンコール曲はチャイコフスキーの劇付随音楽「雪娘」より「道化師の踊り」だった。

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<12人のチェロアンサンブル> 「セロ弾きのコーシュ(巧手)」

2015年06月28日 | 音楽

【ソプラノとの共演でヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ第5番」も】

 気鋭のチェリスト12人が一堂に会したコンサートが27日夕、奈良県文化会館(奈良市)で開かれた。題して「12人のチェロアンサンブル セロ弾きのコーシュ(巧手)」。地元奈良出身のチェリスト2人が加わっていることもあって、今年で4回目の「ムジークフェストなら」で今や最も人気の高いコンサートの1つ。演奏が終わるたびに会場の国際ホールを埋め尽くした熱心なファンから万雷の拍手が送られた。

 メンバー12人は昨年から3人が入れ替わった。新しく加わったのは加藤文枝・菜生姉妹と高木俊彰の弟、高木良。カザフスタン出身のアルトゥンベク・ダスタンを除く日本人11人のうち10人を東京芸術大学の卒業生や在学生たちで占める。最年長で奈良育ちの西谷牧人は東京交響楽団首席チェロ奏者で、東京芸大非常勤講師。伊東裕はその西谷の奈良高校、東京芸大の後輩。若くして日本音楽コンクール・チェロ部門第1位に輝いた逸材で、今春、東京芸大器楽科を首席で卒業し、大学院音楽研究科修士課程に進学したばかり。

 演奏曲目はアンコール2曲を含め全8曲で、曲目ごとに12人、8人と編成を変えた。17世紀後半にドイツを中心に活躍したダヴィッド・フンク作曲「ソナタ組曲」で開幕。2曲目のヴィラ=ロボス作曲「ブラジル風バッハ第5番」ではソプラノの浅井順子(のりこ)が加わった。9番まである「ブラジル風バッハ」の中でとりわけ有名なのがこの5番のアリア「カンティレーナ」。ヴォカリーズ(母音唱法)で始まる切々とした美しい主旋律を、浅井が強弱のめりはりの利いた豊かな声量で披露すると、チェロのソロを務めた伊藤裕も重厚な味わい深い音色で応えた。

 後半最初の2曲、アストル・ピアソラ作曲「ル・グラン・タンゴ」とフォーレ作曲「パヴァーヌ」はいずれもメンバーの1人、佐古健一の編曲。編曲のために3~4日徹夜したという。1曲目はその佐古と西谷の2人がソロを務め、リズミカルで力強い演奏を披露し、8人編成の2曲目では甘美なメロディーと弦をはじくピチカートの音色が心地よく融合した。続く「12本のチェロの為の讃歌」はあの斎藤秀雄がドイツ留学中に師事したというユリウス・クレンゲルの作曲。チェロの響きの美しさを改めて堪能させてくれる名演奏だった。

 後半最後のバッハ作曲「シャコンヌ ニ短調」(ラースロー・ヴァルガ編曲)はバイオリンの独奏曲として有名な作品。これを12本のチェロの合奏によって、1本のバイオリンとは一味違った魅力を引き出してくれた。アンコールはグリーグの「ホルベルク組曲のサラバンド」に続き、昨年もアンコールを飾ったパブロ・カザルス編曲によるスペイン・カタルニア民謡「鳥の歌」。カザルス自身が晩年、ニューヨークの国連本部で「私の故郷の鳥はピース(平和)、ピースとさえずるのです」と言って演奏したこの曲は、何度聴いても毎回胸に迫るものがある。

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<会津八一の歌を映す> 「秋艸道人賞写真コンテスト」入賞入選作品展

2015年06月26日 | 美術

【奈良県立図書情報館で7月5日まで】

 古都奈良をこよなく愛し、多くの歌や書を残した歌人・書家の会津八一(1881~1956)。その短歌のイメージを写真で表現する「秋艸道人(しゅうそうどうじん)賞写真コンテスト」の入賞入選作品展が奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西)で開かれている(23日~7月5日)。「秋艸道人」は八一の雅号。コンテストは八一の生まれ故郷、新潟市にある「公益財団法人会津八一記念館」の主催で、「八一の歌をモチーフに万人の心に響く心象風景を映像化してほしい」と2006年度から始まった。今回で8回目。

  

 募集作品は同記念館発行の『会津八一 悠久の五十首』に掲載されている50首の中から1首を選んでテーマとしたもの。今回は全国から107点の応募があり、その中から入賞作7点、入選作22点が選ばれた。最優秀の秋艸道人賞は渡辺繁雄さん(新潟市)の作品(㊤)。「船人ははや漕ぎ出でよ吹き荒れし 宵のなごりのなほ高くとも」という歌をテーマとし、打ち寄せる怒涛をものともせず3羽の鳥が飛翔するたくましい姿をとらえた。

      

 早稲田大学会津八一記念博物館賞に選ばれたのは今村克治さん(新潟県胎内市)の作品(㊧)。完熟ザクロの割れ目から姿を見せる真っ赤な粒々の実が艶かしい輝きを放つ。テーマの歌は「空ふろの湯気たちまよう床の上に 膿にあきたる赤きくちびる」。入賞作は最優秀も含め7点中6点が新潟県内在住者の作品だった。唯一県外からの入賞者は澤戢三さん(奈良県三郷町)で、「天地(あめつち)にわれひとりいて立つごとき このさびしさを君はほほ笑む」の歌をテーマとした作品(㊨)が審査員特別賞(高倉健氏追悼記念)に選ばれた。

 八一が初めて奈良を訪れたのは20代後半の1908年。奈良の仏教美術に強い関心を抱くとともに、この旅行が俳句から短歌へ移るきっかけになったといわれる。その後、奈良を度々訪れた。八一の歌碑は全国に約50基あるそうだが、そのうち20基ほどが奈良県内にある。奈良県は八一の縁で3年前、新潟市と「歴史文化交流協定」を結んでいる。入賞入選作品展は今年1月から新潟市を皮切りに巡回しており、関西では奈良県立図書情報館のほか、いかるがホール(奈良県斑鳩町)、相国寺承天閣美術館(京都市)でも開催。(八一原作の短歌はすべて平仮名書きだが、記念館発行の『会津八一 悠久の五十首』は読者・応募者が理解しやすいように漢字交じり)

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<ヘイシソウ(瓶子草)> 北アメリカ原産の食虫植物

2015年06月25日 | 花の四季

【「サラセニア」とも、個性的な姿や葉模様から観葉植物としても人気】

 北アメリカの東部から南部にかけて分布するサラセニア科サラセニア属(ヘイシソウ属)の食虫植物。和名のヘイシソウは筒状の葉の形がお酒を入れる細長い容器「瓶子(へいし)」に似ていることによる。ただ、その和名より学名から「サラセニア」の名前のほうが広く定着している。

 その名は最初に標本をヨーロッパに送ったカナダ人医師・自然科学者のミシェル・サンザン(1659~1734)に因む。英名は「ピッチャープラント」。サラセニア属は大西洋側に沿って8種が分布するが、いずれも個性的な形状から観葉植物として人気が高い。中でも上部に網目模様が入る直立性の大型種「レウコフィラ」(写真)は日本で「アミメヘイシソウ」と呼ばれ、生け花の花材としてもしばしば用いられる。

 「捕虫葉」とも呼ばれる筒状の葉の上部の内外には昆虫をおびき寄せるための蜜腺がびっしり分布する。しかも内側の上部は滑りやすく、下の方には細長い毛が下向きに生える。そのため、一度中に入った虫たちは二度と出られず溺死または餓死してしまう。筒の底の部分からはプロテアーゼなどの蛋白分解酵素が分泌されており、虫の死体は養分として消化吸収される。雨水が流入して消化酵素が薄まると、バクテリアが大量に増殖して分解し、吸収しやすくするそうだ。

 花は葉の付け根から長く伸びた花柄の先に1つずつ付く。アミメヘイシソウの花色は赤褐色。「プルプレア」と呼ばれるものも似た花色で、「ムラサキヘイシソウ」の和名が付けられている。小型種の「プラバ」は黄色い花色が特徴で、「キバナヘイシソウ」と呼ばれる。いずれも冬には地上部が枯れて休眠する。ヘイシソウの花言葉は「憩い」のほか「変人」「風変わり」。その独特な姿形から変わり者扱いされるのだろうか。

 

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<BOOK> 『平城京の住宅事情 貴族はどこに住んだのか』

2015年06月24日 | BOOK

【近江俊秀著、吉川弘文館発行「歴史文化ライブラリー396」】

 著者近江氏は1988年、奈良大学文学部文化財学科卒。奈良県立橿原考古学研究所主任研究員を経て、現在、文化庁文化財部記念物課埋蔵文化財部門に籍を置く。著書に『古代道路の謎―奈良時代の巨大国家プロジェクト』『道が語る日本古代史』『古代都城の造営と都市計画』など。

       

 藤原京から平城京への遷都に伴って、役人には身分の高い順に宮に近い一等地を与えられ、低くなるほど宮から離れた小さな場所を割り当てられた――これが従来の通説。これに対し、著者は宮との距離という単純な理由だけでなく、もっと様々な事情が考慮されたのではないかという疑問から、多くの史料や発掘調査結果を詳細に分析、検討を重ねてきた。

 冒頭のプロローグ「平城京の住人」で早々と結論を示す。「血縁や地縁などによって結びついていた伝統的な氏族社会が次第に解体され、律令制度に基づく官僚制へと脱却していくようすが見えるとともに、相対的に高まっていく天皇の権威が見える」。平城京の宅地は「次第に変化していく当時の社会情勢そのものを反映している」というわけだ。

 まず長屋王邸をはじめ舎人親王の邸宅、藤原氏や大伴氏の邸宅などを取り上げながら、宅地の位置や規模、相続の有無、大規模宅地と水路の関係などを紹介する。その結果、遷都時の位階が高いほど平城宮に近い宅地を与えられたとは限らず、基幹水路の整備をはじめとするインフラの整備状況などが宅地の班給(はんきゅう)の際にも考慮されたとみる。

 新田部親王邸と推定舎人親王邸は宮と少し距離が離れていたが、秋篠川・佐保川・東堀河といった基幹水路に面していた。長屋王邸をはじめ宮南面の大規模宅地の集中地点も水運に利用された東一坊大路西側溝といった基幹水路があった。遷都時に河川改修が行われた範囲は大規模宅地の分布範囲と合致するという。

 平城京では国が宮の範囲だけでなく、その外側の土地の一部も買い上げていた可能性があり、その範囲と目される場所では宅地の状況がめまぐるしく変化するという傾向があった。それらの宅地は職務に応じて貸し与えられた〝公邸〟だったとみられる。平城京では個人の宅地は基本的に子孫に相続され自由に売買もできた。だが〝公邸〟は売買できず没収されることもあった。

 長屋王邸や藤原不比等邸などは長屋王事件や藤原仲麻呂の乱などの後、官衙や寺など他の施設に姿を変えていく。不比等邸は法華寺に、新田部親王邸は唐招提寺になった。「それは、天皇の宮と諸臣との距離を段階的に隔絶させていった結果と見ることもでき、次第に天皇の地位が向上していくさまを読み取ることができる」。

 著者は藤原京と平城京での高位人物の宅地の場所の共通点にも着目する。藤原京の高市皇子(長屋王の父)の邸宅は宮の南東にあったとみられ、平城京の長屋王邸の位置関係と類似する。また藤原不比等邸も藤原京と平城京の場所が似ているという。こうしたことから「藤原京の宅地を調べることは、平城京の宅地に関してもなんらかの情報を与えてくれる可能性があり、今後はふたつの都を比較しながら、居住者の検討を行う必要がある」と指摘する。

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<ワルナスビ(悪茄子)> 北米原産の帰化植物 全草に毒成分、茎・葉に鋭い棘

2015年06月23日 | 花の四季

【名付け親は日本の〝植物学の父〟牧野富太郎博士】

 野菜のナスやジャガイモと同じナス科ナス属の多年草。そう言えば、うす紫色の花もジャガイモの花にそっくり。しかも全草にジャガイモの芽と同じ有毒成分ソラニンを含む。茎や葉には鋭い棘。繁殖力旺盛で除草剤もほとんど効き目なし。そんなことから「悪茄子」という少し気の毒な名前を付けられた。「オニナスビ(鬼茄子)」とも呼ばれる。

 6~9月ごろ、茎の途中から花茎を伸ばして径2~3cmの花を5~10個ほど付ける。花期は長い。花色が白いものもあり「シロバナワルナスビ」と呼ぶことも。果実は径1.5cmほどの球形で、初めの緑色が次第に黄橙色に熟していく。その色や形はまるで黄色のミニトマト。ただ有毒のソラニンはとりわけ果実に多く、誤って口にすると吐き気や嘔吐、腹痛などの中毒症状が現れるという。

 北米原産で、今や世界中で草地や荒地にはびこる帰化植物になっている。日本には明治時代後半に牧草に混じって入ってきたらしい。牧野富太郎博士(1862~1957)は下総(千葉県)の印旛郡三里塚(今の成田空港)で植物採集中に繁茂するこの草を見つけた。1906年(明治39年)頃のことという。その後、昭和に入って関東以西を中心に各地に広まったといわれる。

 名付け親はその牧野博士。根を採集し東京に持ち帰って植えたところ、地下茎が四方八方に広がり、いくら引き抜いても切れた根から芽を出した。手に負えない厄介者というわけで悪いナスビ「悪茄子」と名付けた。その名前について牧野博士は著書『植物一日一題』でこう自賛している。「打ってつけた佳名であると思っている。そしてその名がすこぶる奇抜だから一度聞いたら忘れっこがない」。博士が生涯に命名した新種や新品種の植物は1500種以上に上る。その中にはオオイヌノフグリ、ノボロギク、ハキダメギクなども。

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<奈良県大淀町> 「第4回大和の国芸能まつり」開催

2015年06月22日 | 祭り

【県無形文化財の伝統芸能や民謡、太鼓、お囃子グループなど】

 「第4回大和の国芸能まつり」が21日、奈良県大淀町の町文化会館あらかしホールで開かれた。主催は同ホールで音響や照明などのイベント運営を担当するボランティア組織「あらかしステージオペレータークラブ(ASPC)」。地元大淀町をはじめ県内の伝統的な民俗芸能や新しい芸能の振興を目指して2012年にスタートした地域活性化イベント。今年は県内各地から13団体が参加して、日頃の練習の成果を披露した。

 芸能まつりは午後1時、地元の「直央流鼓響大淀太鼓教室」からスタート、かわいい幼稚園園児や小学生が息の合った太鼓の演奏を見せてくれた。続いて天理市の「紅しで踊り保存会」が登場(下の写真㊧)。紅しで踊りは毎年9月、大和(おおやまと)神社の秋の大祭で豊年満願踊りとして奉納される。天川村の「洞川(どろかわ)民芸会」は「天狗の舞」(同㊨)と「行者神楽」を舞い、五條市の「和太鼓のら」は八木節など2曲を演奏。広陵町の「箸尾戸閉(とだて)祭 南区・南興青年会」は手拍子に合わせて「箸尾伊勢音頭」を披露した。

 

 休憩を挟み第2部の初めに登場したのは宇陀市の「菟田野祭文(うたのさいもん)音頭保存会」。祭文音頭は宇陀市の水分神社の盆踊りとして遥か昔から受け継がれてきたという。太鼓に合わせ祭文音頭が始まると、場内は一足早く夏の盆踊りの雰囲気に包まれた。この後、女性だけでつくる橿原市の太鼓グループ「楽鼓(らっこ)の会 萩組」(下の写真㊧)や奈良県無形文化財に指定されている五條市大塔町の「篠原おどり保存会」(同㊨)、川上村の「烏川神社豊穣祭 東川(うのかわ)千本搗き音頭保存会」が登場。最後は出演者全員による「海のお囃子」の演奏と踊りでフィナーレを飾った(最上段の写真)。実に愉快な2時間半。会場を去る観客たちもみんな満面笑顔だった。

 

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<伏見城(指月城)跡> 出土した大規模な石垣や堀、大量の金箔瓦……

2015年06月21日 | 考古・歴史

【(有)京都平安文化財、京都・伏見で現地説明会】

 京都市伏見区のマンション建設予定地から大規模な石垣や堀、大量の金箔瓦などが出土、これまで場所が不明で〝幻の城〟ともいわれてきた豊臣秀吉造営の伏見城(指月城)の遺構とみられている。民間の発掘調査会社「有限会社京都平安文化財」などによる現地説明会が20日、伏見区桃山町泰長老の発掘現場で開かれた。場所はJR桃山駅の南西、近鉄桃山御陵前駅の南東に位置する。

  

 指月城は天正20年(1592年)に秀吉の隠居屋敷として建設が始まったが、秀頼誕生後、本格的な城郭に造り替えられたといわれる。ところが文禄5年(1596年)の伏見大地震で倒壊、その直後、木幡山に新たな伏見城(木幡城)が造営された。ただ指月城についてはこれまで遺構や遺物、絵図類などが見つかっていないこともあって、一部の研究者や郷土史家の間で、指月城はもともと存在しなかったのではないかという疑問の声も出ていた。

 

 今回の発掘場所は「ライオンズ伏見桃山」(仮称)の建設予定地。出土した石垣は一辺1mを超える花崗岩や堆積岩を中心とし、南北約36mにわたって伸びていた。残存する石垣は下段の1~2段だが、本来は3段以上だったとみられる。石材の種類、大きさ、組み方などは2012年に出土した秀吉の城郭風邸宅「聚楽第」の石垣と共通する。その石垣の西側には並行して幅5~7mの堀があった。深さは2m超だが、現在の底面はまだ瓦を含む土で埋まっており、本来は3m、あるいは4mを超える深いものだったとみられる。

 石垣の周辺や堀の埋土の中からは多数の金箔瓦を含む大量の瓦類が出土した。金箔瓦は軒丸瓦や軒平瓦、飾瓦、鬼瓦などで、秀吉の家紋でもある五七の桐文や菊文など、大坂城跡や聚楽第跡から出土した瓦と同じような文様が含まれていた。石垣の構築年代は16世紀末頃とみられるが、堀が埋没したのも瓦や同時に出土した土器、陶磁器類から同じ16世紀末頃と推定される。

 

 今回見つかった石垣と堀は遺跡台帳の地図などによる指月城推定地内のほぼ中央付近に位置するという。発掘調査を担当した「京都平安文化財」では「推定範囲内での残存地形や遺構の検出位置などから、この石垣と堀は本丸の主要施設があったとみられる中心的エリアの西辺段に沿って設置されたものだろう」と推測している。なお、発掘場所で建設予定のマンションは7月着工、2017年1月竣工の計画という。

 

 【森島康雄氏の論文「それでも指月伏見城はあった」】

 伏見城という言葉は指月城と木幡城の総称として使われることが多い。多くの研究者の間でも2つの城が存在していたというのが定説になっている。ただ遺構が未発見だったこともあり、以前から「指月城はもともとなかったのではないか」という声もあった。2006年には郷土史家たちでつくる「伏見城研究会」のメンバーが『器瓦録想其の二 伏見城』を出版、その中で指月城は存在せず伏見城は初めから木幡山に築かれた、との持論を展開した。

 これに対し森島康雄氏(京都府立山城郷土資料館主査)が2010年『それでも指月伏見城はあった』と題する論文を発表して反論した。森島氏は徳川家康侍医の覚書『慶弔年中卜斎記』やイエズス会宣教師の『日本西教史』、醍醐寺三宝院の義演著『文禄大地震記』などを基に、実際に指月城が存在したことを改めて立証した。その論文は末尾をこう結んでいた。「今後、立売通沿いで行われる調査で指月伏見城の堀跡が検出される可能性が高い」。今回の発掘場所はまさにその立売通のすぐ南側に位置し、徒歩わずか数分の距離だった。

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<奈良市杉岡華邨書道美術館> 「謙慎の書② 梅原清山と寄鶴文社選抜展」

2015年06月20日 | 美術

【隷書、篆書、楷書、仮名交じり…書家22人の作品一堂に】

 奈良市杉岡華邨書道美術館で「謙慎の書② 青山杉雨の門流―梅原清山と寄鶴文社選抜展」が開催中。同美術館は2008年から国内を代表する書壇の会派・門流に焦点を当てて現代の書を多角的に取り上げてきた。今展もその一環で、関東を中心に活動する読売系最大派閥の1つ「謙慎書道会」について紹介するシリーズの2回目。書家22人が24点の作品を出展している。7月12日まで。

 青山杉雨(さんう、1912~1993)は昭和から平成の初めにかけ書壇に一時代を築いたわが国を代表する書家。「一作一面貌」と評される多様な表情を持つ作品で知られ、謙慎書道会の初代理事長を務めた。92年に文化勲章受章。梅原清山はその青山を師とし、日展特選、日本芸術院賞などを受賞。現在、謙慎書道会顧問で寄鶴文社の顧問も務める。

 

 展示会場を入ると、正面に梅原の作品が3点並ぶ。その中央に大きな作品『天馬』(写真㊧、96.5×170cm)。昨年1月の書展のため午年(うまどし)に因んで中国の「史記」から選文した。天馬は上帝が乗って天を駆ける名馬。篆書金文の太字で、力強く勢いのある馬を表現している。井上清雅の『奮鱗翼』(宋書)は「鱗翼を奮う=存分に活躍すること」を意味し、今年正月の書き初めとした作品。

 岩井韻亭の『崑崙山南月欲斜 胡人向月吹胡笳』(岑参詩)は流れるような筆致が印象的な作品。末尾の「胡笳(こか)」は古代中国の北方民族胡人が吹いた葦の葉の笛。岩井はこの書作について「最近、身近に旅立っていく友人が多いが、送る自分も90歳を越えると、もの悲しいはずの胡笳も、どこか清々とした響きに感じられる。送る者と送られる者に悲しみを超えた絆があるような……」と記す。

 謙慎書道会の基本理念は「古典を尊重し、古典に学び、古典に立脚した学書の姿勢」。そのこともあって、今展の出品作品も「詩経」「史記」「北史」など中国の古典からの選文が多くを占める。その中で清水研石の作品『正法眼蔵随聞記より』は唯一つ漢字仮名交じりの書。「學道の人衣食を貪ることなかれ……」。その長文の流麗な作品に、改めて柔らかい仮名文字の魅力も味わわせてもらった。

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<タチアオイ(立葵)> 人の背丈を超える大株に華やかな大輪の花

2015年06月19日 | 花の四季

【別名「ツユアオイ」「ハナアオイ」「カラアオイ」「ホリホック」】

 アオイ科ビロードアオイ属(アルテア属)の1~2年草。日本には古く中国から渡ってきたため、古名では「カラアオイ(唐葵)」と呼ばれた。ただ、渡来時期はよく分かっていない。原産地も中国説と小アジアなどの西方説があり、新牧野日本植物圖鑑(北隆館)も「小アジア(または中国ともいう)の原産」と併記している。最近ではトルコと東ヨーロッパ原産のものの雑種ではないかともいわれている。

 太い茎をぐんぐん伸ばして背丈は2~3mにも達し、径10cmほどの大輪の花が下のほうから順々に咲き上がる。別名「ツユアオイ」。梅雨入り前後から咲き始め、花が茎頂部近くになると梅雨が明けることによる。また大きな花から「ハナアオイ」とも呼ばれる。英名は「ホリホック」。その名は12世紀頃、十字軍がシリアのキリスト教聖地からヨーロッパに持ち帰ったことに因むという。

 学名は「アルテア・ロセア」。アルテアの語源はギリシャ語の「治療する」で、アルテア属に薬用植物が含まれることによる。とりわけ「アルテア・オフィシナリス」(ビロードアオイ)は古くから根や葉が胃腸炎などの治療に用いられてきた。種小名のロセアは「ローズのような」の意。バラのような花の華やかさから名付けられたのだろう。

 花色は白、黄、橙、赤、ピンクなど多彩。一重咲きのほか半八重や八重咲きもある。最近は花びらが黒紫の「ブラックホリホック」(黒タチアオイ)が人気という。鉢植え向きの背丈が低い矮性種も出回っている。タチアオイは静岡市と福島県会津若松市の「市の花」。「呼ぶ子帰る子十二時の立葵」(広瀬直人)。

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<奈良基督教会> 礼拝堂と幼稚園舎が国の重要文化財に!

2015年06月18日 | メモ

【全国的にも珍しい昭和初期建築の木造和風教会】

 奈良市日本聖公会奈良基督教会の会堂(礼拝堂)と隣接する親愛幼稚園の園舎2棟を国の重要文化財に指定するよう、文化審議会が5月中旬、文部科学大臣に答申した。奈良県内でキリスト教の施設の重要文化財指定は初めて。早速、内部を拝見させてもらった。

 

 教会は興福寺境内の西側に位置し、入り口の石段は近鉄奈良駅そばの東向商店街に面する。会堂は85年前の1930年(昭和5年)4月に竣工した。設計は教会の信徒で、古社寺の修理に携わっていた宮大工の大木吉太郎さん。奈良県は風致景観を考慮することを条件に建築を許可したという。このため屋根は瓦葺き、壁面は真壁造りという一見寺院風の外観で、内部も吉野杉などを使った数寄屋風になっている。基本的な空間構成はキリスト教伝来の形式を保ちながら、和風の意匠を取り入れた教会建築は全国的にも数少ないという。

 

 隣接する幼稚園舎も大木さんの設計。こちらは会堂より一足早く1929年12月に完成した。当初は信徒会館として着工したが、工事終了間際になって園舎として使うことになり翌春に開園した。会堂と園舎は渡り廊下でつながっている。文化審議会の答申は建物の価値をこう評価する。「古建築から着想を得た諸要素を巧妙にまとめ各部のバランス、細部意匠とも秀逸で意匠的に優れている。古社寺修理から学んだ伝統的な要素を駆使し、教会堂として完成させた昭和初期の近代和風建築として高い価値がある」。

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<BOOK> 「比較ミツバチ学 ニホンミツバチとセイヨウミツバチ」

2015年06月17日 | BOOK

【菅原道夫著、東海大学出版部発行】

 著者菅原氏は1968年、岡山大学理学部生物学科卒業。大阪府立高校で教諭を務めた後、サントリー研究センター、京都学園大学の研究員などを経て現在、神戸大学大学院理学研究科生物学専攻生体分子機構講座研究員。2013年に「捕食者スズメバチに対する日本ミツバチの防衛行動」などの論文で神戸大学から博士号を授与した。専門は動物生理・行動学。

     

 在来種ニホンミツバチはトウヨウミツバチの1亜種とされ、北は下北半島から南は奄美大島まで広く分布する。大昔から日本列島に生息していたのだろう。そう考えたいところだが、どうもそうではないらしい。それは①日本書紀の皇極天皇2年(643年)の「百済太子余豊がミツバチを奈良の三輪山に放して飼育した」という記事②ニホンミツバチは遺伝子的に韓国のトウヨウミツバチに極めて近い③アジア~ヨーロッパのミツバチ分布域に広く生息し、ミツバチを専門に捕食する「Bee wolf」と呼ばれるハチが日本列島には存在しない――などの〝証拠〟による。

 セイヨウミツバチの3亜種のうち世界で広く養蜂に使われているのがイタリアン種。蜜を集める能力に優れ、日本国内で見られるのもほとんどがイタリアン種という。これに比べるとニホンミツバチはやや小さく体色が黒いのが特徴。営巣の場所や形態も両者で異なるが、ニホンミツバチにとって特に大切なのが巣の入り口の大きさ。それは天敵のオオスズメバチが生息することによる。著者が市街地で見つかった巣249カ所を調べたところ、その多くが入り口の幅が5cm以内と小さかった。

 ミツバチは気温が高くなると、巣の入り口で翅を震わせて巣を冷やす。この扇風行動はニホン、セイヨウの両ミツバチに共通するが、その方法は対照的。ニホンミツバチは入り口で頭を外側み向けて翅を震わせるが、セイヨウミツバチは反対に頭を入り口に向ける。さらにニホンミツバチは巣の中に風が通りやすいように、ハチたちが巣の外に出る。この行動を〝ハチの夕涼み〟と呼ぶそうだ。ただ、ハチが水を飲み巣内に打ち水をして温度を下げる行動は両者に共通するという。

 ニホンミツバチの巣の中から驚くほど多くのオオスズメバチの死体が見つかることがあるそうだ。1匹のミツバチがスズメバチに挑みかかるのを合図に一斉に飛びかかって取り囲み蜂球を作る。蜂球は30分以上持続するが、著者の調査ではスズメバチは10分以内に死んでいたという。蜂球内の最高温度はほぼ46度、炭酸ガスの濃度は4%に達した。「ニホンミツバチはエネルギーを大量に使い、発熱し、高体温の体内から相対湿度90%以上、4%の炭酸ガスを含む呼気を排出しスズメバチを殺しているのです」。ミツバチには熱耐性があり、致死温度は50度超という。

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<東大寺金鐘ホール> 奈良県スイスベルン州友好交流記念コンサート

2015年06月16日 | 音楽

【ジャズピアニストのロジェー・ワルッヒ氏、自作の『学園前』など12曲】

 映像作家の傍らジャズピアニストとしても活躍中のロジェー・ワルッヒさん(50、写真)のジャズピアノ演奏会が15日、奈良市の東大寺総合文化センター「金鐘ホール」で開かれた。13日開幕した「ムージックフェストなら」の一環で、題して「奈良県スイスベルン州友好交流記念コンサート」。スイスの首都ベルン市の旧市街は中世の町並みが残り世界文化遺産に登録されている。奈良県とベルン州はともに古都で観光地ということから今年4月、友好提携を結んだ。

     

 ワルッヒさんは1965年スイスのサンクト・ガレン市生まれ。1988年に初来日し、日本の文化や自然に魅了されて2年後に再来日、98年から日本に定住している。この間、奈良市の須山町で4カ月間ホームステイしたり、学園前の6畳一間のワンルームマンションで1年間過ごしたりしたことも。学園前の室内には調律師が倉庫代わりに置いていたグランドピアノがあり、その真下に布団を敷いて寝たそうだ。現在は奈良市に近接する京都府相楽郡在住。ワイフは奈良県出身の日本人女性。

 ジャズピアノは出身地の市立ジャズ学校で学んだ。95年に「スイスマルボロコンテスト」優勝という実績を持つ。来日後も2008年のファーストインパクト主催「第1回街のピアニスト・コンクール」でクリエイティブ賞を受賞するなど、その腕前は折り紙つき。この日のコンサートではユーモアたっぷりに曲やスイスのことなどを紹介しながら、自作の12曲を演奏した。

 その2曲目は学園前に住んでいた頃に作曲したもので、題名もずばり『Gakuenmae(学園前)』だった。その演奏の愉快なこと。演奏の合間に屋根(ふた)の開いたグランドピアノの中に、なんと20個ほどのピンポン玉を放り込んだ。すると、力強いタッチに合わせピンポン玉が弦の振動で踊るように高く低く跳ねていた。遊び心にあふれた演奏だった。

 ワルッヒさんは東日本大震災の直後、フランスとドイツのテレビ局のカメラマンとして東北を5~6回訪れた。「これまでの人生の中で一番大きな悲しみだった」と振り返る。5曲目に弾いた『Aftermath(アフターマス)』はその時の思いをもとに作った作品。曲名は「大災害の後」を意味する。静かに始まり、途中の激しい演奏を挟んで、また静かに終わる曲は鎮魂歌のように心に染みた。

 父親が亡くなった時に作曲した『Immortal Remains(イモータル・リメインズ)』や長男と長女の名前を付けた作品、先週作ったばかりでまだ無名の作品などの演奏もあった。ワルッヒさんはスイスの大使館・総領事館のイベントなどを中心に各地で演奏活動を続けており、今月21日には大阪市の旭区民センターで開かれる「音楽の祭日2015inあさひ」に出演するそうだ。

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<珠玉のフランス・オペラ> サン=サーンス「サムソンとデリラ」&ビゼー「カルメン」

2015年06月15日 | 音楽

【4年目の「ムジークフェストなら」開幕、28日まで、】 

 奈良の梅雨シーズンを彩る音楽の祭典「ムジークフェストなら2015」(13~28日)が開幕した。今年で4回目。14日には奈良県文化会館で「珠玉のフランス・オペラ」と題してサン=サーンスの『サムソンとデリラ』とビゼーの『カルメン』の演奏会が開かれた。管弦楽は大阪交響楽団、指揮・中田昌樹。声楽はメゾソプラノのマリアンヌ・デラカサグランド、テノールの後田翔平、バリトンの駒田敏章に、特別編成の合唱団(14人)が加わった。

 いずれのオペラも抜粋版の演奏会形式で原語上演・字幕付き。前半の『サムソンとデリラ』は通常約1時間50分の演奏時間が半分の55分だった。このオペラは旧約聖書に基づく物語。マリアンヌはよく通る深みのある響きで、怪力の英雄サムソンに敵対する異教の美女デリラ役をこなした。とりわけ「彼は私の奴隷」と歌うアリアや、「ああ、私の愛に応えて、私を酔わせて」とサムソンを誘う歌声は聴き応え十分だった。

 マリアンヌはフランスのパリ音楽院やCNIPAL(国立オペラ研修所)で学んだ後、国内外のオペラ公演などで活躍中。3年前には大阪いずみホールで同じデリラ役として出演したことも。後半の『カルメン』には真っ赤なロングドレスにショール姿で登場し、自由奔放に生きる妖艶な女性カルメンとしてアリアの「ハバネラ(恋は野の鳥)」などを披露した。

 テノール、バリトンの若手2人の豊かな声量や伸びやかな響きにも会場から温かい拍手と「ブラボー」の掛け声が送られた。テノールの後田は昨年1月の第44回イタリア声楽コンコルソ(日本イタリア協会主催)でミラノ大賞を受賞し、現在イタリアのパルマ国立音楽院に留学中。バリトン駒田は東京芸術大学大学院を修了し、昨年の第83回日本音楽コンクール声楽部門の第1位。2人ともその実力を遺憾なく発揮してくれた。今後の一層の活躍に期待したい。

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<コバンソウ(小判草)> 風に揺れる黄金色の花穂を小判に見立て

2015年06月11日 | 花の四季

【ヨーロッパ原産の帰化植物、ドライフラワーにも】

 ヨーロッパ原産のイネ科コバンソウ属の1年草。明治時代に輸入され観賞用として栽培されていたが、「今では代表的な逸出帰化植物のひとつとなっている」(北隆館『野草大百科』)。繁殖力は旺盛。野生化し全国各地の海岸の砂地や道路沿いなどにはびこる。ただドライフラワーとしての人気はなお高い。

 晩春から初夏にかけ、高さ30~50cmほどの細長い茎の先の円錐花序に小穂(しょうすい)をいくつも付ける。小穂は緑色から次第に黄金色に変わっていく。その形や色が小判に似ているとして「小判草」という縁起のいい名前をもらった。本来の花は小穂の先に付くが、他のイネ科植物同様小さくて、ほとんど目立たない。

 この小穂を俵に見立てて「タワラムギ(俵麦)」や「タワラソウ(俵草)」とも呼ばれる。地方によっては「キツネノチョウチン」などと呼ぶ所も。同属の「ヒメ(姫)コバンソウ」は草丈が20cmほどと低く、三角形の小さな小穂を鈴なりに付ける。別名「スズガヤ(鈴萱)」。この別名にちなんでコバンソウを「オオスズガヤ」と呼ぶこともある。

 「ニセ(偽)コバンソウ」はイネ科スズメノチャヒキ属で、コバンソウに似た小穂を付ける。こちらは多年草のため別名「宿根コバンソウ」。また「ワイルド・オーツ」や「セイヨウコバンソウ」とも呼ばれドライフラワーに使われる。小判草に対し「オオバンソウ(大判草)」と呼ばれる草花もある。ヨーロッパ原産のアブラナ科ルナリア属の「ゴウダソウ(合田草)」で、扁平で楕円形の実を大判に見立てた。「風ひらひらと表裏もなくて小判草」(塘柊風)。

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