く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ワタゲツルハナグルマ(綿毛蔓花車)> 南アフリカ原産の多年草

2023年06月28日 | 花の四季

【舌状花も内側の筒状花も明るい黄色】

 南アフリカ・ケープ地方原産のキク科ワタゲハナグルマ属(アークトセカ属)の多年草。4~9月頃、花茎の先に直径4~7㎝の明るい黄花を一つ付ける。草丈は20~40㎝。花も葉も一見タンポポの花によく似るが、舌状花のみのタンポポと違って舌状花の内側に筒状花があり、花もタンポポより一回り大きいといった違いがある。

 葉はロゼット状に広がり、葉裏には白い綿毛が密生する。繁殖力旺盛で、花後にランナー(匍匐枝)が地表を這い、節から根を出して広がる。ハナグルマは明治末期に渡来し「花車」と呼ばれていたガーベラのこと。和名はその花姿が似ていることなどから「綿毛蔓花車」と名付けられた。学名は「Arctotheca prostrata(アークトセカ・プロストラタ)」。種小名プロストラタはラテン語で「平伏の」や「地を這う」を意味する。

 よく似た植物に属名にもなっているワタゲハナグルマがある。学名は「A.calendula(カレンデュラ)」。同じ南アフリカ原産で繁殖力も強く、ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなどに帰化し、日本でも分布域を次第に広げている。花径は5㎝前後。ワタゲツルハナグルマが筒状花、舌状花とも鮮やかな黄色なのに対し、こちらは中心部の筒状花が暗紫色という特徴を持つ。

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<吹奏楽団A-Winds> 潮見・小谷指揮で64回目の定演

2023年06月26日 | 音楽

【「森の贈り物」、コンクール課題曲「煌めきの朝」など】

 吹奏楽団A-Winds奈良アマチュアウィンドオーケストラ(魚谷昌克団長)の「2023年夏の演奏会」が6月25日、やまと郡山城ホールで開かれた。1999年の発足以来通算64回目の定期演奏会。同楽団のミュージック・アドバイザー潮見裕章氏(大阪交響楽団チューバ奏者)と小谷俊介氏(日本ウインドアンサンブル≪桃太郎バンド≫のバスクラリネット奏者)の指揮で、海・空・森などをテーマにした楽曲を雄大かつ繊細に演奏し、吹奏楽の醍醐味を堪能させてくれた。

 前半第1部の開幕曲は奈良市出身の菊一旭大(てるひろ)作曲『IMAGE~A distance of the horizon~』。水平線・地平線の向こう側をイメージし平和への願いを込めたという壮大な楽曲。演奏後、指揮者の潮見氏から会場に来られていた作曲者の菊一氏に拍手が送られた。2曲目は三澤慶作曲『海へ...吹奏楽の為に』、3曲目は酒井格(いたる)作曲『森の贈り物』だった。この楽曲は龍谷大学吹奏楽部の委嘱により20年前に作曲されたもので、コルネットなどの伸びやかなソロ演奏が森の様々な情景を浮かび上がらせた。

 第2部はロバート・W・スミス作曲『海の男達の歌』から始まった。吹奏楽の人気曲の一つで、「水夫の歌」「くじらの歌」「快速帆船のレース」の3つの場面からなる。第1場面のトランペットとホルンのデュエット、第2場面のユーフォニアムの豊潤な響きとオーボエのソロ、第3場面のホルンやトロンボーンパートのパワフルなソリなど聴きどころの多い演奏だった。

 ここまでは潮見氏が指揮棒を振ったが、第2部後半は小谷氏にバトンタッチし、牧野圭吾作曲の行進曲『煌めきの朝』と福島弘和作曲の『シンフォニエッタ第3番・響きの森』を演奏した。このうち『煌めきの朝』は今年度の全日本吹奏楽コンクールの課題曲。北海道の高校3年生だった牧野氏が作曲し、昨年6月「第32回朝日作曲賞」で応募作201曲の中から最優秀曲に選ばれた。通学途中にある池の水面が日の光で煌めく様などをヒントに作曲したという。演奏時間は約4分と短いが、軽快な管楽器のリズムと響きが心地よく、朝の明るく透き通った空気感が伝わってきた。アンコール曲はスーザ作曲『星条旗よ永遠なれ』。

 小谷氏が定演で指揮したのは今回が初めてだったが、昨年8月にはA-Windsが3年ぶりに出場した第64回奈良県吹奏楽コンクールで指揮し、見事金賞を受賞している。今年の第65回コンクールは8月4~8日、奈良県橿原文化会館で開催の予定。職場一般の部はA-Windsを含む11団体が出場して中日の6日に開かれる。

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<大和文華館> 「陶上の華やぎ―五彩と色絵―」展

2023年06月22日 | 美術

【絵画のような美しい文様の陶磁器が一堂に!】

 大和文華館(奈良市学園南)で、花鳥や人物などが多彩な色で描かれた陶磁器を一堂に集めた展示会「陶上の華やぎ―五彩と色絵―」が開かれている。展示作品は中国の磁州窯や景徳鎮窯などの作品が45点、日本の美濃、有田、京焼きなどが34点、ドイツ・マイセン窯など欧州製が7点の計86点。中国で「五彩」、日本で「色絵」と呼ばれる陶磁器の成立と変遷を、同館の所蔵作品を通じて辿ることができる。7月2日まで。

 陶磁器の表面に釉薬を施して焼成し、その上に上絵具をのせて装飾する技法は「釉上彩(ゆうじょうさい)」と呼ばれる。その技術は中国・北宋時代(10~12世紀)の磁州窯(河北省)から始まった。磁州窯を代表するのが白化粧した素地に黒泥を掛けた後、黒泥を掻き落とす「白黒掻落」や素地に透明釉を掛け、その上に赤などの顔料で文様を描く「宋赤絵」。今展には磁州窯系の陶磁器が『白地黒掻落牡丹文梅瓶』や『赤絵仙姑文壷』など8点展示されている。

 ただ中国製で展示作品の大半を占めるのは中国最大の古窯景徳鎮窯(江西省)のもの。景徳鎮ではもともと青白磁が中心だったが、元代から明、清代にかけて染付や五彩の焼造が活発になった。展示中の『赤絵牡丹蓮華唐草文鉢』は重要美術品に指定されている。『五彩花鳥文大鉢』(ちらし写真の左上)で見込みを彩るのは色鮮やかなボタンや様々な鳥たち。かつてナポレオン3世の皇后ウージェニー(1826~1920)が所有していたという。『粉彩百花文皿』も無数の花々で埋め尽くされており、まるで一幅の絵画のよう。『五彩龍文透彫硯』には皇帝以外の使用が禁じられていたという五ツ爪の龍が描かれている。

 日本では江戸初期に佐賀県有田町を中心に磁器の焼成が始まり、深い藍色の染付が焼成された。1610~30年代のものは「初期伊万里」と呼ばれる。その後、色絵の焼造に成功したのが酒井田柿右衛門。肥前磁器(伊万里焼)には素地が濁手(にごしで)という乳白色で主に海外輸出用の「柿右衛門様式」、国内向けの「古九谷様式」、鍋島藩が将軍家や大名家向けの献上・贈答用として焼造した「鍋島」、赤と金で装飾した「金襴手」などがある。

 展示中の『染付山水文大皿』は初期伊万里の傑作といわれ、重要文化財に指定されている。『色絵松竹梅文大壷』(ちらし写真右下)は太く力強い岩や樹木の幹と、繊細な花弁や葉の表現が対照的で、白い肌地にくっきり浮かび上がる。柿右衛門様式の『色絵菊花文八角瓶』は八角に面取りされた細首瓶で、赤と金で彩られた菊花文が鮮やか。

 京都では17世紀後半に野々村仁清が色絵の陶器を生み出した。その仁清を師事したのが画家尾形光琳の実弟、尾形乾山だ。乾山には光琳との合作も多い。18世紀後半、京都で初めて磁器を焼成したのが奥田頴川(えいせん)。乾山没後、京焼きに中国風意匠で新風を吹き込んだ。その弟子の青木木米は文人趣味の茶器を得意とし、古九谷が廃れていた加賀(石川県)で春日山窯を開き九谷焼の再興に尽力した。木米は仁清、乾山とともにわが国三大名工の一人に数えられている。

 この展覧会には仁清の愛らしい『色絵おしどり香合』や乾山の『色絵夕顔文茶碗』『色絵竜田川文向付』、青木木米が加賀藩に招かれて春日山窯で作陶した代表作の一つ『黒地色絵瓜桃文鉢』などが並ぶ。乾山が1737年に墨書した『陶法伝書(陶工必要)』には仁清らから伝授された製陶の技法や自らが工夫した技術なども記されている。

 東インド会社を通じてヨーロッパに輸出された有田の磁器は「イマリ」として珍重された。同時にドイツのマイセンをはじめ欧州の磁器窯に大きな影響を与え、図柄などをまねた写しが多く作られた。今展にはマイセン窯の『色絵金彩柿右衛門写梅竹虎文皿』、イギリス・チェルシー窯の『色絵金彩伊万里写菊花文皿』など7点を展示中。中国陶磁として展示中の磁器の中に景徳鎮窯の『五彩扇文小皿』7点があった。皿の見込みに金地の扇2つを向かい合わせで描いた図柄。その解説文に「扇のモチーフから伊万里焼の写しと考えられる」とあった。

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<ヨウラクボク(瓔珞木)> ミャンマー原産の熱帯花木

2023年06月21日 | 花の四季

【華麗な花序を仏像の装身具「瓔珞」に見立て】

 マメ科ヨウラクボク属の1属1種の熱帯常緑花木で、原産地のミャンマーでは高さが10~15mにもなる。垂れ下がる花序は長さが60~90㎝もあって、マメ科植物の中では最長。その花序に艶やかな朱色の5弁花を多数付ける。上側の花弁には黄色い縞模様が入り、花の中心から1本の雌しべと複数の雄しべが勢いよく飛び出し反り返る。

 和名は下垂する華麗な花序を、仏像の首飾りなどの装身具や仏堂・仏壇の荘厳具として用いられる「瓔珞(ようらく)」に見立てて名付けられた。英名では優美な花姿から「Pride of Burma(ビルマの誇り)」や「Queen of Flowering Tree(花木の女王)」と呼ばれている。

 学名は「Amherstia nobilis(アマースティア・ノビリス)」。属名は19世紀のベンガル(インド)総督の夫人で、博物学者だった英国人サラ・アマーストへの献名。種小名は「気高い」を意味する。アマースト夫人の名前はキジ科の鳥ギンケイ(銀鶏)にも残されている。ギンケイの英名は「Lady Amherst’s Pheasant(レディ・アマーストの雉)」で、学名(種小名)もアマースト夫人の名前に由来する。

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<奈良市美術館> 昭和館巡回展「くらしにみる昭和の時代」

2023年06月20日 | メモ

【同時開催「奈良を観る~写真で振り返る昭和時代」】

 奈良市美術館(奈良市二条大路南「ミ・ナーラ」5階)で、国立の博物館「昭和館」(東京・九段)の巡回特別企画展「くらしにみる昭和の時代」が開かれている。昭和館は戦中・戦後に国民が経験した労苦を後世に伝えることを目的に1999年に開設された。日本遺族会が運営を受託しており、2001年からほぼ年2回、全国各地で巡回企画展を開いてきた。奈良展の会期は6月24日まで。奈良市・奈良市美術館主催の「奈良を観る~写真で振り返る昭和時代」も同時開催中。(写真は奈良市美術館が入っている「ミ・ナーラ」)

 企画展は「戦時下のくらし~日中戦争・太平洋戦争の時代」と「戦後復興のあゆみ~占領期から高度経済成長期の時代」の2部で構成する。第1部でまず目を引いたのが「日の丸寄せ書き」と「千人針」。いずれも三重海軍航空隊奈良分遣隊に配属された男性に贈られたものという。「家庭用米穀通帳」や「陶製アイロン」、子どもが戦争ごっこで被った「おもちゃの鉄兜」などもあった。「防空服装」はマネキンに防空頭巾や肩掛けかばん、モンペを着用させ立ち姿で展示。

 戦時中にはガソリン不足から昭和12年(1937年)から代用燃料として木炭や薪が使用されるようになり、昭和16年(1941年)には金属類回収令が出された。こうした背景の中で奈良に登場した木炭バスや王寺町での金属供出など当時の写真も展示中。橿原神宮での女学生の勤労奉仕や奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)での防空演習を撮った写真も展示されている。

 第2部で展示中の実物資料の中に「闇市の食事 残飯シチュー」があった。進駐軍から払い下げられた残飯を大鍋で煮込んだもので、中に煙草の包み紙などが混入していたこともあったそうだ。他には「黒塗り教科書」や「布製グローブ」など。戦後ラジオドラマとして人気を集めた『鐘の鳴る丘』の映画ポスターも掲示されていた。展示写真には「ララ(アジア救済連盟)救援物資の衣服を受け取った孤児たち」「接収時代の奈良ホテルのレストラン」なども。

 戦時中、奈良帝室博物館(現奈良国立博物館)は東京帝室博物館(現東京国立博物館)から疎開してきた334点の文化財を受け入れたという。昭和20年(1945年)に入ると東大寺の大仏殿は空襲を避けるため偽装網で覆われ、法隆寺や中宮寺などの仏像は山間部の寺院や民家の蔵に移された。同時開催中の「奈良を観る」の展示写真の中に、入江泰吉がその年の11月、東大寺法華堂の仏像が避難先の正暦寺から戻ってきた様子を収めた写真もあった。巡回企画展は今年12月、仙台市でも開催の予定。

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<チャイコフスキーコンクール> 日本人の予選進出者は7人!

2023年06月19日 | 音楽

【応募者は41カ国742人(前回58カ国945人)】

 チャイコフスキー国際コンクールが6月19日ロシアで開幕する。第1回の開催は旧ソ連時代の1958年。以来原則として4年に1回開かれており、今回で17回目。エリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギー)、ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド)とともに世界3大音楽コンクールといわれる。ただ今回はロシアによるウクライナ侵攻の影響が如実に。国際音楽コンクール世界連盟(本部ジュネーブ)は昨年4月「ロシア政府が資金提供し、宣伝ツールとしているコンクールを支援できない」として除名処分に、応募者も前回2019年の第16回から大幅に減少した。

 

 コンクール創設当初はピアノとバイオリンの2部門だったが、今ではチェロ、声楽、木管、金管(管楽器は前回から新設)も加わり6部門になっている。4年前の前回は世界58カ国から945人の応募があった。しかし今回は応募者が予想以上に少ないため募集期間を半月延長したという。にもかかわらず41カ国742人にとどまり、応募者は2割以上も減少した。

 応募者はビデオによる予備審査で本大会出場者が選ばれる。部門ごとの出場者はピアノ・バイオリン・チェロが各25人、声楽が男女各30人、木管・金管が各48人。17日発表された日本人の出場者はピアノ2人、バイオリン5人の計7人。両部門の第1次・第2次予選・本選は20~29日にモスクワ音楽院などで行われる。国別出場者数はロシアと中国が多くを占めた。ピアノは25人のうちロシア9人、中国5人、バイオリンはロシア12人、中国5人。

 第1回のピアノ部門の優勝者は米国のヴァン・クライバーンだった。時は米ソ冷戦下。コンクールはソ連の威信をかけての創設だったが、審査員はえこひいきすることなく実力本位で米国人を1位に選んだ。それもこのコンクールの国際的な評価を高めた一因にちがいない。クライバーンは米国内で一躍英雄と称えられ、4年後には名を冠したヴァン・クライバーン国際コンクールが創設された。そして、2009年に開かれたその第13回コンクールで、辻井伸行が日本人として初優勝を飾ったことは記憶に新しい。

 チャイコフスキーコンクールでは1990年の第9回のバイオリン部門で諏訪内晶子が18歳の若さで優勝した。諏訪内はその前年にエリザベート王妃でも2位という好成績を上げていた。そのため周りからは「予選落ちでもしたら経歴が無にもなりかねない」と応募自体に反対されていたという。ところが史上最年少、しかも審査員全員一致による優勝。諏訪内は自著『ヴァイオリンと翔る』の中で「身に余る栄誉を頂戴して、あの夜は、人生における重大な転換期だったのだと、今にして思う」と述懐している。

 その後、1998年の第11回では声楽部門(女声)で佐藤美枝子が優勝し、2002年の第12回では上原彩子がピアノ部門で日本人初優勝を飾った。しかも女性初優勝者としてもチャイコフスキーコンクールの歴史に名を刻む快挙。さらに2007年の第13回では神尾真由子がバイオリン部門で諏訪内以来日本人2人目の優勝を果たした。前回2019年の第16回ではピアノ部門で藤田真央が2位に。今回も日本人出場者の活躍を期待したい。

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<東大寺ミュージアム> 特集展示「戒壇院の夏安居」

2023年06月17日 | 考古・歴史

【中世の仏事を記した『年中行事』や『鑑真和尚像』など】

 東大寺ミュージアム(奈良市)で特集展示「戒壇院の夏安居(げあんご)」が開かれている。夏安居は僧侶たちが雨期に外出しないで一カ所に集まって修行すること。東大寺では大仏殿を中心とする僧侶集団とは別に、戒壇院でも独自に安居が行われていた。今回の特集では戒壇院で行われていた夏安居の始まりの儀式「結夏(けつげ)」を中心に取り上げている。7月18日まで。

 展示中の『戒壇院年中行事』は室町時代(15世紀)の墨書で、中世にいつどんな仏事が営まれていたかを知ることができる貴重な史料。4月16日(旧暦)の条には夏安居の始まりを告げる結夏作法が詳細に記されている。それによると、釈迦を挟んで北に鑑真和尚、南に南山大師の御影が懸けられた。戒壇院では他の寺院と異なり、鑑真和尚の肖像を掲げるのが特色という。

 鎌倉時代(14世紀)作の『鑑真和尚像』(写真㊨=部分)と『南山大師像』(写真㊧=部分)は並べて展示中。鑑真像は唐招提寺の乾漆像を模して描かれたとみられる。南山大師道宣(596~667)は唐代の南山律宗の開祖。鑑真は道宣の弟子から律宗の教えを受けた。苦難の末に来日した鑑真が聖武上皇や孝謙天皇らに授戒したのは754年(天平勝宝6年)。その後、大仏殿前の戒壇を移設し戒壇堂をはじめ伽藍を築いて戒壇院を造営した。展示中の『東大寺戒壇院指図』は多くの伽藍を焼失した1446年の失火後の再建計画図とみられ、重要文化財に指定されている。

 『梵網戒本疏日珠鈔(しょにちじゅしょう)巻四十四』(東大寺凝然撰述章疏類のうち)は鎌倉時代1318年に学僧の凝然が記したもの。その中には夏安居に触れたこんな一節も。「植物にも命があり、それを踏み殺してしまうのを嫌うために夏安居を設ける」「西国の僧は多く遊行するが、虫を踏み傷つけることを嫌うために仏陀は夏安居を設けた」。『優婆離唄(ゆばりばい)』は声明用の楽譜で、中国・宋代の発音(宋音)でルビが付されているのが特徴。優婆離は釈迦の十大弟子の一人で、最も戒律に精通していたという。

 東大寺ミュージアムは南大門のすぐ北西側にある。常設展示は本尊の千手観音菩薩立像、法華堂(三月堂)伝来の日光・月光菩薩像、奈良時代の誕生釈迦仏像、金堂(大仏殿)鎮壇具など。耐震化工事中の戒壇堂の四天王立像も特別公開中(8月27日まで)。

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<ルリヂシャ(瑠璃苣)> 星形の鮮やかな青花

2023年06月15日 | 花の四季

【地中海沿岸原産、全草に白い剛毛】

 ムラサキ科ルリヂシャ属の一年草。和名では「ルリジサ」「ルリヂサ」とも呼ばれる。その名は瑠璃色の花を付けるチシャ(=レタス)から。ただ「ボリジ」という英名のほうで広く親しまれている。原産地はヨーロッパ南部の地中海沿岸地域。こぼれ種で簡単に殖えることもあって世界各地で野生化、南北アメリカやオーストラリアなどで帰化している。

 草丈は20~80㎝。茎先の集散花序に径2~3㎝の星形の花をうつむき加減に十数輪付ける。花色は紫色を帯びた鮮やかな青色が一般的だが、白や赤紫色も。青花の汁はかつて聖母マリアの青い衣装を描く絵の具として使われ「マドンナ・ブルー」と呼ばれた。茎や葉、蕾など株全体に白い剛毛が密に生える。茎は中空。若葉にはキュウリのような香りがある。

 学名は「Borago officinalis(ボラゴ・オフィシナリス)」。属名はラテン語で「剛毛」、種小名は「薬効の」を意味する。薬用や食用植物として長い栽培の歴史を持ち、全草がサラダやハーブティーなどに、種子から抽出した油は皮膚病などに利用されてきた。ただ、ルリヂシャには少量ながら肝臓障害の原因となるアルカロイド系成分を含むことが判明、「飲食には適さない」と注意喚起する声も出ている。

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<平安神宮> 国の名勝「神苑」を無料公開

2023年06月14日 | メモ

【満開! アジサイ・ハナショウブ・ハンゲショウ…】

 平安遷都1100年を記念して1895年(明治28年)に創建された平安神宮(京都市左京区)。社殿を国の名勝に指定されている「神苑」がぐるっと囲む。明治の造園家、7代目小川治兵衛が作庭した池泉回遊式庭園だ。神苑が整備された日を記念して毎年6月13日は無料公開。今年は「平安蚤の市」と重なって、神苑も参道も多くの観光客で大賑わいだった。(写真は東神苑の「泰平閣」)

 神苑は南・西・中・東の4つの区画からなる。広さは約3万3000㎡と壮大。神苑の入り口は正面の大極殿(外拝殿)の左側、白虎楼のすぐそば。「南神苑」に入ると「八重紅枝垂桜」の案内板が立っていた。谷崎潤一郎の『細雪』にも登場する。高峰秀子の回想記によると、谷崎は毎年ここの紅枝垂れ桜を見るのを最も楽しみにしていたという。見ごろは4月上旬~中旬。桜は時期外れだが、その代わりアジサイが満開で、小川ではハンゲショウ(半夏生)が群生し白と緑のコントラストが目を惹き付けた。

 南神苑にはもう一つ見どころがあった。庭園の中にあってちょっと異色の「京都市交通局二号電車」。約110年前の1911年(明治44年)に製造された国内で現存最古の路面電車で、車体は梅鉢鉄工所の製作、電動機は米ゼネラル・エレクトリック社製。3年前の2020年9月に国の重要文化財に指定された。

 「西神苑」では白虎池の周りを埋め尽くすハナショウブがちょうど満開を迎え、池の中ではハスも白やピンクの花びらを天に広げていた。ハナショウブの種類は約200種、株数は2000株にも上るそうだ。スイレンの仲間のコウホネ(河骨)も数輪咲いて、黄色の花が目にも鮮やかだった。

 本殿背後の回遊路を進むと「中神苑」。一番の見どころは「臥龍橋」だ。池の南北を点々と配置された円筒形や長方形の石でつなぐ。その橋のたもとには幹が池にせり出した松の古木。橋の名はてっきりその松の樹形に由来すると思ったが、見当違いだった。池に浮かべた石が龍の臥す姿をかたどっているからとのこと。使用された石材は豊臣秀吉が造営した三条大橋と五条大橋の橋脚部分という。

 「東神苑」は神苑の中で最も大きな栖鳳池を中心とし東山を借景とする。1912年に京都御所から移築された泰平閣は神苑を象徴する観光スポット。池を横断する長い建物で「橋殿」という異名もある。回廊内は両側が長いベンチ状になっており、庭園巡りを楽しんだ観光客が心地良い風に当たりながら休んでいた。橋殿を渡ってすぐ北側の池のほとりには尚美館(貴賓館)が立つ。こちらも京都御所からの移築。桜の季節にはこの建物の周りも紅枝垂桜が咲き誇るそうだ。

(下の写真は「平安蚤の市」でにぎわう参道)

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<日南・油津> “日南の奇跡”といわれた商店街は今?

2023年06月12日 | メモ

【最寄りの駅舎は外も内も赤い広島カープ色に!】

 2016年の夏、南九州旅行の途中、宮崎県日南市の油津商店街に立ち寄った。全国各地で商店街の衰退が目立つ中、ここは空き店舗が次々に埋まって人通りが増え活気を取り戻す最中だった。この年の春には中小企業庁の「はばたく商店街30選」にも選ばれていた。それから約7年。その後の変貌ぶりを知りたくて、小倉から日南まで足を延ばした。(写真は「ふれあいタウンittenほりかわ」)

 この商店街が再生に乗り出したのは2013年のこと。それまでは例に漏れず空き店舗が目立つ“シャッター商店街”だった。活性化のキーパーソンが街づくりコンサルタントの木藤亮太さん(福岡県出身、1975年生まれ)。「日南市に居住」「4年間で20店のテナント誘致」という数値目標を掲げて市が人材を募集し、木藤さんが300人を超える応募者の中から選ばれた。

 木藤さんはまず多くの人々が集う拠点として喫茶店を再生。これを皮切りに地域住民や学生らを巻き込みながら、▽企画・イベントに取り組む「株式会社油津応援団」の立ち上げ▽多世代交流拠点「油津Yotten(よってん)」▽6店が入居する「あぶらつ食堂」▽コンテナ店舗が並ぶ「油津コンテナガーデン」▽「土曜夜市」の復活――などに取り組んだ。そうした活動が評価され、経済誌「フォーブスジャパン」(2017年6月号)で日本を元気にする「ローカル・イノベーター55選」の一人に選ばれている。

 7年前との最大の違いは複合施設「ふれあいタウンitten(いってん)ほりかわ」の完成。当時はまだ基礎工事中だった。アーケードを挟んで百貨店日南山形屋の向かいに位置する。建設主体は第三セクター「日南まちづくり株式会社」で、8階建ての高層棟には診療所や高齢者住宅、分譲マンションなどが入居、別棟の広場棟には日南市子育て支援センターが入り、屋上は広場になっている。

 油津商店街を歩いてみて印象的なのが子育てや保育など子ども関連施設の充実ぶり。アーケード街を右に折れると、赤と白を基調とする明るい施設が見えた。保育施設「オアシスこども園」だった。地元特産の飫肥杉を使った木造2階建てで、2階は地域交流館「レインボーカフェ」になっている。商店街のほぼ中央にある多世代交流施設「油津yotten」には子どもや親子連れが自由に楽しめるフリースペースもある。複合ビル向かいの立体駐車場「ittenパーキング」1階テナント部分には子ども英会話教室も入っていた。

 油津はプロ野球広島カープのキャンプ地。「油津Yotten」には広島ファン必見の「油津カープ館」があるが、今回最も驚いたのがJR油津駅の外観。ごくありふれた駅舎が真っ赤なカープ色に塗り替えられ、駅の愛称が「カープ油津駅」になっていた。駅舎内のテーブルや長いすなども赤色に統一されていた。

 外観は2017年に塗装され、内装は2022年に日南飫肥杉デザイン会が中心になって製作したという。商店街からカープキャンプ地の天福球場に至る道は歩道の一部が赤く塗られ「カープ一本道」と名付けられていた。(西武ライオンズ・キャンプ地の最寄り駅南郷駅も青と白を基調とするチームカラーに塗り替えられていた!)

 商店街の活性化に取り組んできた「株式会社油津応援団」は21年秋、宮崎県から「宮崎中小企業大賞」を贈られた。さらに昨年4月には油津商店街が「第1回全国商店街DXアワード」で優秀賞に選ばれた。この賞はデジタル技術を地域の魅力発信などに活用している商店街に贈られるもので、油津商店街はオンラインサロン「シャッター」を通じて商店街再生ノウハウの相互交流事業に取り組んできた。

  

 油津商店街は仕掛け人の木藤亮太さん(上の写真)が目指した「自走できる商店街づくり」へ向け、今もハード・ソフト両面で進化し続けているようだ。ただ一部の地域住民からは不満の声も漏れているという。年配者としては昭和時代の香りが漂う昔ながらの商店街の復活を期待していたのかもしれない。「商店街再生ではなく、今の時代に合わせた商店街へ」。油津応援団がこんなキャッチフレーズを掲げるのもそうした声への配慮からだろう。日南滞在中、飲食店でたまたま木藤さんと遭遇した。日南市との契約切れからかなり歳月がたつが、木藤さんの油津商店街への熱い思いは変わらないようだ。

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〈小倉井筒屋〉 「十五代辻常陸作陶展」開催中

2023年06月10日 | 美術

【代々皇室に器を納めてきた“禁裏御用窯”】

 磁器の名産地⋅佐賀県有田町に江戸時代初期から皇室に磁器を納め続けてきた名窯がある。「辻常陸窯(つじひたちがま)」。代々辻常陸を襲名して伝統と技法を守り続けてきた。今は2009年に襲名した15代目。その作品群を公開する「十五代辻常陸作陶展」が小倉井筒屋(北九州市小倉北区)新館7階大画廊で開かれている。会期は13日まで。

 辻常陸窯では宮内庁から晩餐会用や即位記念の器類などの注文を受けるとともに、一般向けの美術工芸品の制作にも取り組んでいる。ただ長年にわたり皇室専用の窯元だったことから、酒井田柿右衛門などに比べると世間の知名度はいまひとつ。作品が人の目に触れて知られるようになったのは、35年ほど前の先代の喜寿を記念した個展以降という。 

 作陶展の会場には15代の作品に加え14代のものも10点ほど展示されていた。龍や鳳凰、麒麟、鶴、亀など縁起のいい吉祥文様の図柄が目立つ。透明感のある深い藍色の作品はいずれも気品が漂っていた。その中にただ一つ、真っ白い円筒形で骨壷と間違えそうな異色のものがあった。それは辻家に伝わる“極真焼(ごくしんやき)”という秘伝の技法による作品を入れたさや(入れ物)だった。(下の写真は『禁裏御用窯元 宮内庁御用達 十五代辻常陸作品集』から)

 さやは作品と同質の磁土で作られる。蓋との接触部分と内部全面に釉薬を施し作品を納めて焼成すると、さやの釉薬が溶けて密閉され真空状態になる。その結果、内外のガスの浸透・拡散が遮断されて、玉のような気品あふれる光沢の作品に仕上がるという。焼成後、作品はさやを鉄槌で破砕して取り出す。展示中のものは作品を取り出す前の状態で展示していたわけだ。10~11日の2日間、破砕の実演が予定されていたが、会場を訪れたのがその前日の9日だったことが悔やまれる。ただビデオで破砕の様子などを見ることができた。

 会場には「参考古陶磁」として、辻常陸窯がこれまでに皇室に納めてきた作品と同じ“手見本”も展示中。辻家では宮内庁から過去の作品と同じものの注文を受けることもあるため、全てのサンプルを保存しているそうだ。展示作品の中には大正時代の棚飾り「恵比寿大黒」や1990年の新天皇即位の礼・大嘗祭で使われた「天盃」などもあった。日ごろ目にする機会が少ないだけに、一見の価値がありそうだ。会場では作陶展を企画した松隈伸廣さん(美術商「匠庵」代表)に辻家の歴史や技法、作品の特徴などについて解説していただいた。長時間にわたりありがとうございました。

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〈唐戸市場〉 にぎわい取り戻す「活きいき馬関街」

2023年06月09日 | 旅・想い出写真館

【客取り方式から店側がパック詰めに!】

 “関門の台所”といわれる山口県下関市の地方卸売市場「唐戸(からと)市場」。ここで観光客の人気を集めるのが鮮度抜群の寿司や海鮮丼をその場で味わうことができる「活きいき馬関街(ばかんがい)」(馬関は下関の古称)。その客寄せイベントも新型コロナの感染防止対策として一時営業自粛を余儀なくされた。しかし久しぶりに訪れると、多くの観光客でにぎわい以前の活気を取り戻していた。

 馬関街がスタートしたのは約20年前の2002年。金⋅土曜は午前10時から午後3時まで、日曜⋅祝日は午前8時から午後3時まで開いている。今回行ったのは6月9日の午前11時前。2018年以来5年ぶりだか、市場内の中央通路は観光客で溢れかえり、人気店には横の狭い通路に長蛇の列もできていた。たぶん事前に高い人気の店を調べて来た人が多いのだろう。

 ただ販売方法は様変わり。以前は客が店から受け取ったプラスチック容器やトレーに、好みの寿司をトングで入れて精算してもらっていた。それが今はほとんどの店で、客の注文を聞きながら店側が詰めていく方式に改まっていた。店頭に並べた寿司や揚げ物なども、飛沫防止のためブラスチックの透明板などで囲っている店が目立った。

 販売はどの店も1貫単位。これは前と変わらなかった。このため好みの寿司が入った容器を持ち歩き、他の店でまた入れてもらうといった光景があちこちで見られた。まさに“寿司バイキング”。市場周辺のベンチなどにずらりと並んで関門海峡を眺めながら舌鼓を打つ。その光景も以前と同じだった。

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〈御崎馬〉 春駒10頭加わり合計101頭に!

2023年06月08日 | 旅・想い出写真館

【在来馬8種のうち唯一の国天然記念物】

 日本には野間馬、木曽馬、対州馬など在来の野生馬が8種類いる。そのうち唯一国の天然記念物に指定されているのが御崎馬(みさきうま)。宮崎県最南端に位置し日向灘に突き出した都井岬(串間市)に棲息する。

 御崎馬の始まりは約300年前に遡る。江戸時代元禄年間の1697年に高鍋藩秋月家が藩営の岬牧場を設けた。以来ほとんど人手を加えられずに野生の状態で世代を重ねてきた。大きさは体高が約130㎝、体重が約300㎏。競走馬のサラブレッドに比べると小柄で、全体的にずんぐりとした体型が特徴だ。

 御崎馬のいる都井岬は広さが約550ヘクタール。唯一の出入口「駒止の門」で協力金400円を納め車を進めると、間もなく丘の上の草原に数頭の馬が見えてきた。その後も車道や沿道の草地などあちこちで草を食む馬たちと出合った。

 背丈は低いものの首も胴回りも太く、近くで見ると存在感に圧倒されるほど。優しげな目元も印象的だった。人馴れしているのだろう、近づいても一心に草を食み続けていた。突然馬のほうから歩み寄って目前を通り過ぎ、驚かされたことも。

 御崎馬は雄馬1頭に雌馬数頭、その子馬たちで一緒に行動することが多いという。“ハーレム”と呼ぶ家族群だ。目にした群れの中にも小さな子馬がいた。「駒止の門」によると、今年はこれまでに雄3頭⋅雌7頭が生まれた。その結果、現在の総頭数は101頭とのことだった。

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〈宮崎県〉 「ジャカランダまつり」南郷町で開催中

2023年06月07日 | 旅・想い出写真館

【18日まで、今年の花付きは台風や寒波で┄┄】

 宮崎県南部の日南市南郷町で「ジャカランダまつり」が開かれている。ジャカランダは中南米原産の熱帯性花木。「キリモドキ(桐擬き)」という和名を持つ。花の最盛期には森全体が青紫色に染まることから「紫雲木」とも呼ばれる。ホウオウボク(鳳凰木)、カエンボク(火焔木)とともに「世界三大花木」「熱帯三大花樹」の一つにもなっているそうだ。

 まつり会場は日南海岸国定公園のほぼ中央に位置する「道の駅なんごう」と周辺の「ジャカランダの森」など。一帯には約1000本のジャカランダが群生する。半世紀以上前の1964年ブラジルの宮崎県人会から種子を贈られたことが栽培のきっかけとなった。まつり期間中は夜間のライトアップやフォトコンテストのほか、土日曜には苗木が当たる抽選会、ステージイベントなども開催中。まつりもほぼ折り返し点。例年ならちょうど見ごろかもと期待を膨らませて展望広場や「ジャカランダの森」に向かった。

 ところが満開の花を付けたものは思ったほどでもなかった。案内してくれた日南在住者も「以前はこの辺りからの眺めが最高だったのに┄┄」と不思議そう。展望台の脇に立っていた「ご来場の皆様へ」という看板で初めて原因が分かった。そこにはこう書かれていた。「今年は昨年9月の台風14号や寒波によりダメージを受け、例年に比べると花が少なくなっています」。帰りに「道の駅なんごう」に寄った。そこには満開中の大きな鉢植えなどがずらりと並んでいた。眼下に広がる日南海岸の絶景も堪能することができた。

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<門司港駅> 約110年前の大正時代の姿に再生!

2023年06月06日 | メモ

【現役で重文指定はこの駅舎と東京駅丸の内の2つだけ】

 明治~昭和時代の重厚な建築物群が多く残る門司港レトロ地区。その玄関口JR門司港駅の現駅舎は約110年前の1914年(大正3年)門司駅として開業した。1988年には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に。現役の駅舎で重文指定はこの門司港駅と東京駅丸の内駅舎(2003年指定)だけだ。日本経済新聞の「絵になる駅舎12選」ではこの2つの駅舎が東西の1位に選ばれている(2017年5月20日付NIKKEIプラス)。

 門司港駅は6年余りにわたる復元工事が完了し、4年前の2019年春、創建時の大正時代の姿を取り戻した。駅舎を見るのは工事用フェンス越しに架設の階段上から見学した18年秋以来。今回久しぶりの帰省でようやく復元後の晴れ姿に対面できた。駅舎は左右対称のネオルネサンス様式と呼ばれる造りで、2階建ての中央棟と平屋の東西棟からなる。ドイツ人の鉄道技師へルマン・ルムシュッテル(1844~1918)の監修で、イタリア・ローマのテルミニ駅を模したといわれる。復元工事に併せて耐震化工事も行われた。

 工事前と比べ大きな違いは駅舎正面の1階庇(ひさし)部分が取り払われ、すっきりした外観になっていること。重厚な門構えのような姿が印象的だ。ただこの復元に対し複雑な思いを吐露する人も。門司出身の知人は「庇は人力車などの車寄せ用として設けられた。あれがあったからよかったのに」と惜しむ。(下の写真は復元工事前の駅舎=2012年8月6日)

 屋根部分の柵状の飾りや突起は古写真などを基に復元された。外壁は石貼り風の目地を設けたモルタル塗りに。内装も残っていた資料を基にシャンデリアを設置したり、当時の壁紙を再現したりして大正調に復元した。駅舎のシンボルが正面の大時計。開業後まもなく九州で初めて設置されたという電気時計だ。調査で文字盤は過去2回ほど取り替えられていたことが判明した。このため文字盤も最初の設置時のものを復元した。

 1階の「旧三等待合室」や2階にあった「旧食堂」「旧貴賓室」(上の写真)、貴賓の従者が控える「旧次室」などの内装も開業当時の姿に復元された。「旧三等待合室」にはスターバックスコーヒーが入店。2階はこの4月1日「マリーゴールド門司港迎賓館」がオープンした。カフェや披露宴会場として活用されている。

 駅舎構内には大正~昭和時代を偲ばせる遺構が多く残る。「関門連絡船通路跡」は門司―下関を結ぶ連絡船就航当時に駅から桟橋まで伸びていた長さ約100mの通路。引揚者や復員兵が喉を潤したという水飲み場「帰り水」、戦時中の金属供出を免れた「幸運の手水鉢(ちょうずばち)」(下の写真)なども健在。駅舎には改装後も以前と変わらないノスタルジックな雰囲気が満ち溢れていた。

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