く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「聴導犬のなみだ 良きパートナーとの感動の物語」

2018年02月13日 | BOOK

【野中圭一郎著、プレジデント社発行】

 歩いていたら突然後ろから音もなくすぐ脇を車が通り過ぎてびっくり! エンジン音が小さいハイブリット車の登場で、同じような経験をした人は多いにちがいない。「耳が聞こえない人は日々、こんな怖い思いをしながら暮らしているのだ」。かつて出版社に勤めていた頃に聴導犬の訓練風景を目にしていた野中氏はふとそう思った。盲導犬に比べると聴導犬の認知度は低い。マイナーな存在の聴導犬のことをもっと多くの人に知ってほしい――そんな思いが本書の執筆に駆り立てた。

       

 聴導犬は耳が不自由な人たちのいわば耳代わり。訓練士が生後2カ月ほどの子犬を自宅で飼いながら訓練し、2歳前後になると希望するユーザーに引き合わせる。ユーザーがその犬と暮らす目途がついたところで、犬とユーザーが一緒に聴導犬の認定試験を受ける。著者は聴導犬と暮らすユーザーや訓練士への取材を重ねて「理想の聴導犬ブランカの大胆さ」「聴導犬になれなかったあづね」「鳥の鳴き声を教えてくれたあみのすけ」など9つの物語を紡ぎだした。

 そこに描かれているのは訓練士と聴導犬、ユーザーと聴導犬の強い絆と信頼感だ。ある訓練士はユーザーに渡すときの心境を「嫁に出す母親の気持ち」と表現し、ユーザーの一人は聴導犬を「天の恵み」「犬に姿を変えた如来」と形容する。ただ「聴導犬を持つということは、世話をしてもらうと同時に世話をすることも意味する」。聴導犬もやがて年老いて役割を果たせなくなってしまう。引退しペット扱いになると、ペット禁止のアパートにはもう住めない。そこであるユーザーは聴導犬の老後に備えペット可のマンションに引っ越したという。ユーザーが聴導犬より先に年老いたり病気で世話ができなくなったりすることも。やむなく訓練士が引き取りに行くと、聴導犬が「なんで(ユーザーも)一緒に来ないの?」といった表情で泣いていたそうだ。

 2002年施行の身体障害者補助犬法で、公共施設や乗り物、飲食店、病院、ホテルなどに聴導犬、盲導犬、介助犬を同伴できるようになった。外出するときには「聴導犬」と書かれたケープを身に付ける。ただ盲導犬に比べ聴導犬を目にする機会はまだ少ない。それもそのはず。実際にユーザーを手助けしている聴導犬は全国でまだ70頭にすぎず、盲導犬の950頭の十分の一にも満たない(2018年1月現在)。補助犬法の施行から既に約16年になるが、今でもなお「犬の同伴はだめ」と断られるケースも少なくないという。

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<大和文華館> 特別企画展「宋と遼・金・西夏のやきもの」

2018年02月09日 | 美術

【10~13世紀の多様な中国陶磁を一堂に展示】

 大和文華館(奈良市学園南)で特別企画展「宋と遼・金・西夏のやきもの」(2月18日まで)が開かれている。中国では10~13世紀の北宋~南宋時代、全国各地に多くの窯が築かれ、北方で勢力を持った契丹族の遼、タングート族の西夏、女真族の金王朝でもそれぞれに個性的な陶磁器が生み出された。この企画展には館蔵に京都大学総合博物館蔵と愛知県陶磁美術館蔵の特別出陳を加え81点を出展、中国陶磁史を華やかに彩るこの時代の多様な陶磁器を一堂に展示している。(下の写真は㊧白磁蟠龍博山炉、㊥青磁多嘴壷、㊨白地黒掻落緑釉牡丹文瓶)

  

 中国では北宋時代(960~1127年)から南宋時代(1127~1279年)にかけ、北方に耀州窯や定窯、磁州窯、鈞窯など、南方に龍泉窯や南宋官窯、建窯、吉州窯などが築かれた。背景には一般庶民への陶磁器の需要拡大がある。青磁・白磁の製造技法が確立されたのも宋代。「青磁多嘴壷」(北宋)は龍泉窯(浙江省)で最古級のものといわれ重要美術品に指定されている。墳墓に納められた副葬品で、蓮弁文が5段にわたって線刻され、最下段の蓮弁の中には「富貴長命大吉」などの銘文が刻まれている。(下の写真は㊧白地黒花鯰文枕、㊨三彩印花魚文長盤)

 

 磁州窯(河北省)は北宋時代から今日まで続く華北最大の民窯で、白化粧の上に施した黒釉を掻け落として花弁文などの文様を立体的に表す白地黒掻落(しろじくろかきおとし)をはじめとする多様な技法が特徴。その技法は華北一帯や北方の金の民窯などにも多大な影響を与え、それらの窯で焼かれた陶器は「磁州窯系」と呼ばれる。会場にも「白地黒掻落緑釉牡丹文瓶」(北宋)や「白地黒花鯰文枕」(北宋―金)、「三彩浮彫鹿文枕」(同)、「赤絵蓮華文碗」(金)など多彩な焼き物が並ぶ。

 吉州窯(江西省)の「黒釉木葉天目碗」(南宋)は漆黒の釉面に1枚の枯れ葉の葉脈が浮かび上がって美しい。吉州窯は唐~清時代にかけ存続した古窯で、建窯(福建省)と並ぶ天目茶碗の産地として人気を集めた。この木葉天目碗には「吉州窯独特の高度な手法で、現在では復原しえない神秘的な技法」という説明文が添えられている。葉の先端部が内側に折れて重なり合っており、葉をそのまま、あるいは加工して見込みに置いて焼いたのでないかという。

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<奈良県立美術館> 企画展「赤膚焼・奈良一刀彫・奈良漆器…悠久の美と技」

2018年02月08日 | 美術

【奈良の伝統工芸一堂に 「これまで」と「現代」を比較展示】

 奈良県立美術館で伝統工芸企画展「赤膚焼・奈良一刀彫・奈良漆器…悠久の美と技」が始まった。古都奈良の地で脈々と受け継がれてきた伝統工芸のうち、代表的な赤膚焼、奈良一刀彫、奈良漆器の3つに焦点を当てて、近世・近代の作家が残した珠玉の作品とともに現代作家の力作を展示し、匠の技と魅力を紹介する。3月25日まで。

       

 会場に入ると、まず各分野の代表作が1つずつ並ぶ。赤膚焼は江戸時代後期の名工奥田木白の乳白色の地に素朴な奈良絵が描かれた「大和絵酒瓶」。木白は赤膚焼中興の祖といわれる。一刀彫は森川杜園の「生玉伏白鹿」。春日大社に奉納した高さ19.1cmの白鹿像で、奈良市指定文化財になっている。漆器は栗原徳蔵の「鳳凰金銀蒔絵箱」。蓋に翼を大きく広げた鳳凰の装飾が施されている。(写真は案内ちらし=部分。上の作品は森川杜園の「一刀彫 融」、下は奥田木白の㊧「大和絵酒瓶」、㊨「蝉飾付唐茄子形花器」)

 赤膚焼は桃山時代に大和郡山城主の豊臣秀長が常滑から陶工を呼び寄せて茶器を焼かせたのが始まりといわれる。様々な釉薬や焼き方があり「特徴がない」のが特徴ともいわれるそうだ。赤膚焼の名を高めた奥田木白や明治~昭和時代の名匠の作品に加え、今に伝統を引き継ぐ6つの窯元の作品も多く展示している。木白作「蝉飾付唐茄子形花器」のアブラゼミの繊細な表現にはつい見入ってしまった。

 奈良一刀彫は奈良人形とも呼ばれ、力強い素朴な彫りと鮮やかな彩色が特徴。会場では「神事人形から伝統工芸へ」のタイトルで、奈良人形の名声を高めた岡野松壽や森川杜園、杜園の流れをくむ作家たちなどの作品群を、3つの展示室で紹介している。杜園の作品の中にはにこやかな表情が実に印象的な「福の神」や亀に龍が巻きついた「玄亀」なども。一刀彫の題材には能楽や舞楽、雛人形、鹿、十二支などが多いが、近年は新しい題材に挑戦する若手作家も増えてきた。平井和希の作品「猫」もその一つ。奈良漆器では正倉院宝物を忠実に再現した北村久斎の「螺鈿玉帯箱」や、久斎の孫で人間国宝の北村昭斎の「木槿之図螺鈿箱」などが並ぶ。

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<星野道夫の旅> 東大阪市民美術センターで没後20年特別展

2018年02月02日 | 美術

【18年間にわたってアラスカの大自然、生命の息吹を活写】

 東大阪市の花園ラグビー場南側にある市民美術センターで、アラスカの大自然を撮り続けた写真家、故星野道夫氏(1952~1996)の作品を一堂に集めた特別展「星野道夫の旅」が始まった。2016年夏にスタートした没後20年全国巡回展の一環。様々な動物やオーロラ、ツンドラの紅葉、草花など約250点の写真のほか、愛用のカメラやカヤック、寒冷地用のバニーブーツなども展示している。3月4日まで。

       

 会場は5つのコーナーから成る。「イントロダクション」(アラスカとの出会い)、代表作を展示した「マスターピース」に続いて「生命のつながり」「神話の世界」「星野道夫の部屋」。星野氏がアラスカに関心を抱いたのは学生時代に東京・神田の洋書古書店で写真集を目にしたのがきっかけ。早速、アラスカのある村長宛てに手紙を出した。「仕事は何でもするので、どこかの家においてもらえないでしょうか」。半年後「歓迎する」との返信があったのを機にひと夏をアラスカで過ごす。そして大学卒業後アラスカ大学に留学し、以降、本格的な撮影・執筆活動に。「イントロダクション」コーナーにはその時の村長から届いた手紙も展示されている。

 星野氏の作品で最も多いのがクマとカリブー。展示会の案内チラシに掲載された「夕暮れの極北の河を渡るカリブー」も代表作の一つだ。「氷上でくつろぐホッキョクグマ」は雪の塊を枕にして無防備に両脚を広げて眠るクマの表情が愛らしい。動物の親子や子の一瞬の表情を切り取った作品も多い。「小さな流れを渡れない子を励ます母カリブー」「春に生まれた子グマを背中に乗せている母グマ」「タテゴトアザラシの赤ちゃん」……。いずれの作品にも星野氏の温かい眼差しが注がれている。

 作品の間に掲げられた星野氏の言葉も印象に残る。「人間のためでも、誰のためでもなく、それ自身の存在のために自然が息づいている。そのあたりまえのことを知ることが、いつも驚きだった。それは同時に、僕たちが誰であるかを、常に意識させてくれた。アラスカの自然は、その感覚を、とてもわかりやすく教えてくれたように思う」「目に見えるものに価値を置く社会と、見えないものに価値を置くことができる社会の違いをぼくは思った。そしてたまらなく、後者の思想に魅かれるのだった。夜の暗い闇の中で、姿の見えぬ生命の気配が、より根源的であるように」

 展覧会初日の1日には夫人星野道子さん(星野道夫事務所代表)によるギャラリートークも開かれた。星野氏は知人から大きなクマにどう接近して撮っているのか問われたとき「クマと一緒に呼吸をするんだ」と答えていたという。道子さんもクマの撮影のため取材旅行に同行したことがあるそうだ。星野氏は自然や動物の一瞬を撮るため、とにかく待ち続けた。どこを通るか分からないカリブーの撮影でも、厳冬の山にこもってオーロラを撮る時も。道子さんは「待っている時間を楽しみにし、大切にしていたからこそ、こういう写真が撮れたのではないでしょうか」と話していた。ギャラリートークには写真家星野さんの人気を示すように、説明会場からあふれんばかりの多くの観客が詰め掛けた。

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