く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<薬師寺> 新年を前に仏像のお身拭い

2021年12月30日 | 祭り

【薬師三尊像→弥勒三尊像→聖観世音菩薩像】

 奈良市西ノ京の法相宗大本山、薬師寺で12月29日、仏様に積もった1年のほこりを落とす「お身拭い」が行われた。午後1時すぎ、金堂に安置された国宝の薬師三尊像の前で、加藤朝胤管主らによって新型コロナの終息などを祈願し、仏像の魂を抜く法要が営まれた。この後、僧侶やボランティアの学生たちがお湯に浸した白い浄布で拭くと、本尊の薬師如来像は両脇の日光・月光菩薩像とともに黒光りする本来の輝きを取り戻した。お湯はこの日朝、正月用の鏡餅を作るためにもち米を蒸した時に使ったものとのこと。

 お湯の入った3つの大きな桶を担いで次に向かったのは北側にある大講堂。ここには弥勒三尊像が祀られている。中央に本尊の弥勒如来、右に法苑林(ほうおんりん)菩薩、左に大妙相菩薩。ここでも法要の後、台座に上ったりしてお顔などを丁寧に拭き清めた。この後、国宝の仏足石(753年製作)の両側に並ぶ釈迦十大弟子も学生のボランティアが一体一体手分けして拭き清めた。この十大弟子の像は彫刻家で文化勲章受章者の中村晋也氏の作で、2003年に大講堂の落慶に合わせて安置された。

 お身拭いの最後は東院堂に祀られた聖観世音菩薩像。像高190cmの金銅仏で、称徳天皇の后、間人(はしひと)皇后が天皇の追善供養のため造立したという。直立不動の凛とした美しいお姿から〝白鳳の貴公子〟といわれ、悲劇の皇子として有名な有間皇子の姿を写したものではないかという説もある。この像だけでなく建物自体も国宝指定。現在の建物は鎌倉時代の再建だが、元々は奈良時代初期に長屋王の正妃、吉備内親王が母元明天皇の冥福を祈って建立した。お身拭いは白装束の僧侶や「薬」のマークが入った法被姿の学生たちによって手際良く進められた。浄布で丁寧に磨く女子学生の後姿にはピンク色の大きな可愛い縫いぐるみ。神々しいお姿の国宝の像との妙な取り合わせが目に焼き付いてしばらく離れなかった。このキャラクター、彼女にとっては手離せない念持仏(守り本尊)のようなものなのだろう。

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〈ネオレゲリア〉 開花期に中心部の葉も赤く変色! 

2021年12月10日 | 花の四季

【原産地はブラジルなど熱帯アメリカ】

 パイナップル科ネオレゲリア属の植物の総称。パイナップル科はブロメリア科の別名で、アナナスと呼ばれることもある。熱帯植物のグズマニアやチランジア(エアプランツ)なども同じ科でそれぞれ一つの属を形成している。ネオレゲリアの主な原産地はブラジルを中心とする熱帯アメリカで、これまでに100種ほどが確認されている。樹木や岩などに着生するものが多い。それらの原種をもとに多くの園芸品種か作り出されており、その数は4000種以上ともいわれる。葉の色や模様が美しくて変化に富み、丈夫で育てやすいことから観葉植物として人気を集めている。

 ネオレゲリアは光沢のある広線形の葉がロゼット状に広がり、基部の筒状の窪みに水を貯めて水分や養分を吸収する。このような貯水機能を持つタイプの仲間は“タンクブロメリア”と呼ばれている。開花期になると、水の中から小さなあまり目立たない花が顔を出し、それを囲む中心部の葉も赤く色づくのが特徴。熱帯育ちということもあって日当たりが良く高温でやや湿気の多い環境を好む。花期は春~秋だが、温室などで20~30度の適温を保てば周年開花し葉も色づく。

 属名のネオレゲリア(Neoregelia)は旧属名のレゲリアに「Neo(新)」を加えて新分類としたもの。その学名はドイツの園芸⋅植物学者エドゥアルト⋅アウグスト⋅フォン⋅レーゲル(1815~92)の名前に因む。レーゲルはスイス⋅チューリヒの植物園の園長を務めた後、ロシア最古の帝立植物園(サンクトペテルブルク)に移って研究を続け、多くの新種植物の名付け親になった。よく栽培されるネオレゲリアに、鮮やかな赤色が特徴の「カロライナエ」、葉先がピンク色に染まる「スペクタビリス」(和名「ツマベニ(爪紅)アナナス」)、小型品種の「ファイヤーボール」「リオ⋅オブ⋅リオ」などがある。

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<奈良国立博物館> 力動感漲る金峯山寺・金剛力士立像

2021年12月06日 | 美術

【国宝仁王門の修理完了まで「仏像館」で特別公開】

 久しぶりに奈良国立博物館(奈良市)の「なら仏像館」(旧本館、写真)へ。お目当ては特別公開中の金峯山寺(奈良県吉野町)の木造金剛力士立像(仁王像)2体(重要文化財)。高さは阿形・吽形とも5mを超え、国指定文化財の仁王像としては東大寺の南大門像(国宝)に次いで国内2番目の大きさを誇る。安置されていた金峯山寺の仁王門の解体修理に伴って、同博物館に搬出し修理が完了する2028年度まで仮安置へ。間近から見上げる巨像の憤怒の形相と筋骨隆々の全身に漲る力動感には圧倒されるばかりだった。

 金峯山寺は金峯山修験本宗の総本山。これまでも何度か訪ね本堂の北門に当たる仁王門もくぐってきた。この重厚な門は重層入母屋造りで国宝に指定されている。ただ、その左右に安置される金剛力士像にはあまり目もくれずに通り抜けていた。2体の像は檜の寄木造りで、阿形の高さは505.8㎝、吽形は506.2㎝もある。像内の墨書銘から、南都大仏師の康成(こうじょう)によって南北朝時代の1338~39年(延元3~4年)に造られたことが分かっている。

 その2体の像が寺を離れて吉野の山を下るのは今回が初めて。奈良国立博物館に運ばれた後、2019年から2年がかりで彩色の剥落止めや台座の材質強化など保存修理が行われたうえ、今春から仏像館の中で最も広くて天井が高い中央の第6展示室で特別公開されている。過去に同博物館で展示された最大の仏像は高さ4m弱の財賀寺(愛知県豊川市)の金剛力士像(阿形)だった。今回はそれを大きく上回ったため搬入作業も難航したようだ。両腕などを一旦取り外して運び込み、チェーンブロックで吊り上げて台座に設置。足場を組んで再び両腕などを接合したうえ、免震装置付きの専用展示台に据え付けた。この間、仏像館は約2カ月にわたって臨時休館した。

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<飛鳥京跡苑池> 北池北側に幅約6mの水路!

2021年12月05日 | 考古・歴史

【苑池主要部分の全容が判明、今後復元へ】

 国内初の本格的な宮廷庭園といわれる奈良県明日香村の「飛鳥京跡苑池」。その北池から北側に延びる石組みの溝と幅約6mの水路跡が見つかり、奈良県立橿原考古学研究所が12月4~5日現地説明会を開いた。この苑池の存在が初めて分かったのは1999年。以来断続的に発掘調査を続けてきたが、今回の第15次調査までに遺跡の主要部分に当たる南池や北池、水路の規模や構造などがほぼ判明した。「飛鳥・藤原」は世界遺産の登録を目指しており、今後の課題は埋め戻した後にどう復元整備していくかに移っていく。

 同苑池は飛鳥川右岸(東側)の河岸段丘にあり、7世紀に天皇の宮殿があった飛鳥宮跡の北西に隣接する。斉明天皇の時代に造営が始まり、7世紀後半の天武天皇の時代に改修されたとみられる。遺跡の範囲は東西約100m、南北約280mに及ぶ。その中心に位置するのが渡堤を挟んで南北にあった2つの池。南池(東西63m・南北53m)には中島が浮かび、噴水のような巨大な石造物も出土した。主に外国使節の接遇などを目的に観賞用の庭園として整備されたとみられる。一方、北池(東西36m・南北52m)には祭祀用とみられる流水施設が設けられていた。

 今回の調査では北池北側から水路と水路周辺の石積み、南北方向の石組み溝の北側延長部などが新たに見つかった。水路は南・東・西の3面で石積みの護岸が垂直に築かれていた。高さは1~1.2m。北池との間で水路の南護岸と砂利敷きが検出されたことで、北池と水路が直接つながる構造ではなく、北池から延びる石組みの溝によって水路の南西隅でつながっていることが分かった。溝は長さが約14mで、幅(内法)は約0.6m。北池の水面の高さが一定以上になると、余った水がこの溝を通って水路に排水される構造だった。

 水路は過去の発掘調査と合わせると、北側に100m以上延びて飛鳥川方向に向かっていたとみられる。同苑池では南池から17点、北池から1点の木簡が出土しているが、水路からは今回の9点も含めこれまでに154点も見つかっている。現在も整理作業中のため最終的にはさらに増えそうとのこと。内容は7世紀後半の荷札木簡、薬に関する木簡、米を請求した木簡など。宮殿が飛鳥から藤原宮に移った後のものとみられる木簡も出土しており、藤原宮の時代になっても同苑池が使われていたことが伺えるそうだ。水路内の堆積土中からは土器類も出土しており、現地説明会の会場にもその一部が展示されていた。(上の写真は飛鳥宮跡)

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<和歌山県立近代美術館> 「和歌山の近現代美術の精華」展

2021年12月01日 | 美術

【和歌山県ゆかりの芸術家を網羅、建築家黒川紀章も】

 和歌山県立近代美術館(和歌山市)で「紀の国わかやま文化祭2021」との連携による展覧会「和歌山の近現代美術の精華」が開かれている。「観山、龍子から黒川紀章まで」と「島村逢紅と日本の近代写真」の2部構成。第1部では下村観山(1873~1930)や川端龍子(1885~1966)ら明治期以降の近現代美術界で大きな足跡を残した和歌山県ゆかりの画家や彫刻家、版画家らに、県立博物館と県立近代美術館を設計した黒川紀章(1934~2007)も加えて代表的な作品や資料などを展示(前後期で一部入れ替え)、第2部では和歌山市出身の島村逢紅(1890~1944)を中心に、交流のあった写真家の作品も合わせ約250点を紹介している。(写真は黒川紀章が設計した和歌山県立近代美術館、手前の銅像は「徳川吉宗公之像」)

 下村観山の作品では前期に「魔障」(東京国立博物館蔵)とその下絵の「魔障図下図」(永青文庫蔵)、試作の「白描魔障図」(和歌山県立近代美術館蔵)の3点が一堂に展示された。魔障は僧侶の修行を妨げる魔物を意味する。下絵や試作の白描画の段階では僧が対峙する相手は餓鬼のような怖い表情。ところが本画では相手が如来の姿に一変している。魔物が如来に化けたということだろうか? 本画に至るまでの試行錯誤が垣間見えるようで興味深かった。観山の作品は現在、六曲一双の屏風絵「唐茄子畑」(東京国立近代美術館蔵)などを展示中。観山の長兄で能面師や彫刻家として活躍した下村清時(1868~1922)の作品も6点展示されている。

 大作の制作で知られる川端龍子の作品は通期の「筏流し」(東京・大田区立龍子記念館蔵)と「南飛図」(和歌山市立博物館蔵)のほか前期2点、後期3点を展示。「筏流し」は熊野で切り出した木材を筏で新宮まで運ぶ光景を描いたもの。横長の大画面からせめぎ合う激流の音が聞こえ筏師の緊迫感も伝わってきた。その迫力は圧倒的! 前期展示の六曲一双「草炎」(東京国立近代美術館蔵、写真は部分)は闇夜のような紺地に金泥で描かれたクズやアザミ、タケニグサなどの野草が鮮やかに浮かび上がる。まるで蒔絵のような輝きだ。紺色に染めた料紙に金泥で経文や仏画を書写した紺地金泥経に着想を得たといわれる。現在は「新樹の曲」(東京国立近代美術館蔵)、「狩人の幻想」(県立近代美術館蔵)などの大作も展示されている。

 田辺市出身の日本画家稗田一穂(1920~2021)は戦後山本丘人に師事し、1960年代には法隆寺金堂壁画の再現模写に携わった。今年3月百歳の天寿を全うした。那智の滝など南紀地方の風景画も多く残しており、今展では海の上から那智山を仰ぎ見た「幻想那智」(県立近代美術館蔵)などを展示中。新宮市出身で画家や教育者、建築家などとして広く活躍した西村伊作(1884~1963)、有田川町出身で観山や龍子らと共に「南紀美術会」を結成した彫刻家建畠大夢(1880~1942)、東京美術学校在学中に23歳の若さで亡くなった和歌山市出身の版画家で、遺作が萩原朔太郎の第一詩集「月に吠える」に挿絵として収録された田中恭吉(1892~1915)、広川町出身の世界的な版画家で銅版画のメゾチント技法の復興に尽力した浜口陽三(1909~2000)らの作品も並ぶ。会期は12月19日まで。

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