く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<アマリリス> 華やかな6弁の大輪の花

2018年05月31日 | 花の四季

【中南米原産、名前は羊飼いの娘に由来!】

 ヒガンバナ科ヒッペアストルム属で、春植え球根植物の王様ともいわれる。大きなものでは花径が20cmを超えるものもあり、鉢花や切り花として人気が高い。同属の植物はブラジルやペルーなど中南米に90種ほどあり、日本には江戸時代末期に「キンサンジコ(金山慈姑)」「ベニスジ(紅筋)サンジコ」など数種が渡ってきた。現在流通し栽培されている豪華な大輪のアマリリスはこれらの原種の交雑によって生まれた。

 学名は「ヒッペアストルム×ヒブルドゥム」。園芸上ではこのヒッペアストルム属の植物が旧属名から一般にアマリリスの名前で通っており、旧アマリリス属(現ホンアマリリス属)に残った南アフリカ原産の植物「アマリリス・ベラドンナ」は「ホンアマリリス」や「ベラドンナリリー」と呼ばれている。属名ヒッペアストルムの語源はギリシャ語の「ヒッペオス(棋士)」と「アストルム(星)」から。種小名ヒブルドゥムは「雑種の」を意味する。

 5~6月頃、光沢のある幅広の厚い葉の中心から太い花茎を伸ばし、直径10~20cmほどの花を2~4輪横向きに付ける。花色は赤、橙、白、ピンク、縞模様、絞り模様など多彩。花茎は中空で、雌しべは柱頭が3裂する(ホンアマリリスは秋咲きで、ヒガンバナのように開花時に葉がない、花茎は中実、柱頭が分岐しないといった違いがある)。現在多く栽培されている大輪種はオランダで改良された「ルドウィッヒ系」と呼ばれるものが主力になっている。

 アマリリスの名称は古代ローマの詩人プーブリウス・ヴェルギリウス(紀元前70~19)の作品『牧歌』に登場する美しい羊飼いの娘の名前に由来する。アマリリスといえば小学校の音楽の教科書に載っていた唱歌『アマリリス』を思い出される方が多いかもしれない。「♪みんなできこう たのしいオルゴールを ラリラリラリラ しらべはアマリリス」(岩佐東一郎作詞)。元々はフランス民謡とも、フランス国王ルイ13世(1601~43)の作品ともいわれたが、最近ではフランス人のアンリ・ギース(1839~1908)作曲説がほぼ定説になっているそうだ。「アマリリス廃墟明るく穢なし」(殿村菟絲子)

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<沖縄の音楽> 27日は「カチャーシーDAY」

2018年05月28日 | 音楽

【奈良で5年目の〝ムジーク・プラッツ〟】

 沖縄の音楽や伝統芸能を紹介する野外ライブ「ムジーク・プラッツin春日野園地」が今年も5月26~27日、奈良公園内の芝生広場で開かれた。7年目を迎えた「ムジークフェストなら」(5月7日~6月3日)の一環で、この沖縄音楽の集いは今回で5回目。「沖縄の音楽と笑い」をサブテーマに掲げた今年も、沖縄を代表する民謡歌手や音楽グループ、お笑い芸人らがステージに登場し多彩な芸能を繰り広げた。

 初日の26日は「三線DAY」。沖縄民謡界の第一人者知名定男&知名定人や石垣島出身の女性ユニット「やなわらばー」などが出演したほか、三線を持参した観客たちがステージの出演者と一緒に「十九の春」を合奏・合唱した。「カチャーシーDAY」の27日には「豊年音頭」に合わせたカチャーシー(乱舞)などもあり、ステージと観客が一体となって盛り上がりを見せた。

 

 2日目は「玉城流・円の會(つぶらのかい)平良冨士子琉舞道場」による琉球舞踊からスタート。続いて「琉球國祭り太鼓奈良支部」のメンバーがエイサーをベースにした勇壮な創作太鼓を披露した。次に登場したのはバンジョーを奏でながら歌う女性歌手「BANJO AI(バンジョー・アイ)」。デビュー曲の「唄の島」が飲酒運転根絶キャンペーンのCMソングに起用されるなど、いま沖縄で注目を集めるアーティストの一人で、軽快なバンジョーサウンドが耳に心地よかった。

 女性3人グループの「ゆいゆいシスターズ」は予想を超える観客の多さに「涙が出そう」と繰り返しながら、持ち歌の「ちゅらぢゅら」「私の大好きな島」「ユイユイ」などを披露した。この後〝琉球笑タイム〟を挟んで、兄弟・従兄弟3人によるエンタメバンド「きいやま商店」や、全国各地で積極的にライブ活動を展開する「DIAMANTES(ディアマンテス)」が登場した。「きいやま商店」の名前は3人のおばあちゃんが石垣島で営んでいたお店に因むそうだ。過去にも家族4人のユニット「鳩間ファミリー」や那覇・栄町市場の3人組「おばぁラッパーズ」などが出演したが、この「きいやま商店」もなんとも沖縄らしいほのぼのとしたグループ名で、気持ちがなごんでほっこりしてきた。

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<シナサワグルミ(支那沢胡桃)> 涼やかに風に揺れる花穂

2018年05月27日 | 花の四季

【中国原産、明治初期に渡来し公園木や街路樹に】

 クルミ科サワグルミ属の落葉高木。その名は日本固有種のサワグルミによく似て、中国から渡ってきたことに由来する。渡来時期は明治時代の初期。サワグルミが山地の沢筋などに自生するのに対し、シナサワグルミは市街地の公園木や街路樹などとして積極的に植樹されてきた。また一部は野生化していることもあってサワグルミより目にする機会が多い。

 サワグルミには花姿から「フジグルミ」という別称があるが、このシナサワグルミも花期の5月頃、黄緑色の長い花穂を簾(すだれ)のように伸ばす。雌雄同株で雌花序は雄花序より長い。雌花は花後、幅が2ミリほどの翼(よく)を左右に持つ実(堅果)を付ける。果穂の長さは20~40cmにもなる。名前にクルミとあるものの、サワグルミもシナサワグルミも食用にはならない。

 シナサワグルミの学名は「プテロカリア・ステノプテラ」。日本に渡来してきたときの中国名から「カンポウフウ(嵌宝楓)」とも呼ばれる。よく似たサワグルミとは葉序などに違いがある。シナサワグルミは葉軸にウルシ科の落葉樹ヌルデの葉のように狭い翼が付くのが特徴。サワグルミにはそれがない。またサワグルミが奇数羽状複葉なのに対し、シナサワグルミは先端の頂小葉がない偶数複葉が一般的。ただこれはあくまでも基本で、同じ1本の木で両方の葉の付き方が見られることもあるようだ。

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<イヌマキ(犬槙)> 雌雄異株、庭木として人気

2018年05月24日 | 花の四季

【名前は〝ホンマキ〟のコウヤマキより劣るから?】

 関東以西の暖地に自生するマキ科マキ属の針葉樹。刈り込みに強く好みの樹形に仕立てやすいことから庭木として人気があるほか、沿岸部での砂防林や果樹園の防風林などとして植樹されてきた。また樹脂が多く耐水性に優れて堅い材は建築部材や風呂桶などに活用されてきた。変種に中国原産といわれるラカンマキ(羅漢槙)がある。

 植物名にはイヌマキのほかにもイヌと冠されたものが多い。イヌビワ、イヌツゲ、イヌワラビ、イヌサフラン……。このイヌには本物より劣るという意味合いが含まれる。イヌマキも「ホンマキ」と呼ばれるコウヤマキ(高野槙)より劣るとして命名されたといわれる。マキは本来「真木」で、槙の字は2文字が組み合わされて作られた。万葉集には真木を詠んだ歌が20首ほどあるが、その真木については特定の木ではなく文字通り「まことの木(優れた木)」を意味するとの説のほか、スギやヒノキを指すという説もあるそうだ。

 イヌマキは雌雄異株で、雄花は前年の小枝の先に穂状に数個ずつ付き、雌花は葉の付け根に1個付く。開花時期は5~6月。ラカンマキはイヌマキに比べ生育が遅く、樹高が低く葉も細くて短い。羅漢槙の名前は赤紫色の果托の上に付く緑色の球形の果実を、袈裟をまとった仏僧(羅漢)に見立てて名付けられたという。

 イヌマキは時にコウヤマキとともに単にマキとも呼ばれる。千葉県はイヌマキをマキの名前で「県の木」に制定している。常緑高木のイヌマキの中には樹齢数百年という巨樹も多く、県などの天然記念物に指定されている。静岡県伊豆市の「田沢のイヌマキ」は樹高約28m、推定樹齢600年という古木。静岡県沼津市、三重県御浜町、兵庫県豊岡市、山口県岩国市、下関市豊北町、福岡県筑紫野市、宗像市、長崎県平戸市などの巨樹や自然林、並木も県指定天然記念物になっている。

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<サツキ(皐月)> 生け垣や公園の植え込み、盆栽にも

2018年05月22日 | 花の四季

【日本特産なのに学名はなぜか「インディクム(インド産)」!】

 ツツジ科ツツジ属の常緑低木で、関東以西から四国、九州、屋久島にかけて分布する。園芸品種が生け垣や公園、道路沿いの植え込みなどに広く使われ、盆栽としても人気だが、本来は渓谷の岩場など厳しい自然環境の中で自生する。陰暦の5月(皐月)の頃に花が咲くことから「サツキツツジ」と命名され、略して一般に「サツキ」と呼ばれるように。ホトトギス(杜鵑)が鳴く頃に咲くことからサツキに「杜鵑花」という漢字が当てられることもある。

 ツツジの仲間の中では花期が最も遅く、ツツジが咲き終わる5月半ば頃から6月にかけて朱赤や紅紫色の花を付ける。直径3~5cmほどの漏斗状の合弁花で、5つに裂けた花片の中央上弁に濃い斑点模様が入る。葉はツツジに比べると細くて小さい。刈り込みに強いうえ花付きがいいのが特徴で、住宅街などで石垣の間に植え込まれた玉づくりのサツキを見かけることも多い。

 主な国内産地は三重県鈴鹿市や栃木県鹿沼市。鈴鹿市は最もよく植えられている代表的な園芸品種「大盃(おおさかずき)」(通称「三重サツキ」)の主産地になっている。鹿沼市は園芸用の鹿沼土の産地として知られるが、1972年から毎年開いている「さつき祭り」も有名。今年も5月26日~6月4日に開催の予定で、開幕を告げる初日の花火大会は初夏の風物詩にもなっているそうだ。両市の「市の花」はもちろんサツキ。他にもサツキを市の花に制定している自治体は数多い。三沢市、和光市、厚木市、海老名市、白井市、豊川市、大垣市、守口市、門真市、池田市、橋本市、丸亀市、廿日市市……。

 サツキは日本特産だが、不思議なことに学名は「Rhododendron  indicum(ロードデンドロン・インディクム)」。種小名の「indicum」は「インドの」を意味する。本来なら日本産を表す「japonica(ジャポニカ)」や「japonicum(ジャポニクム)」であるべきなのに……。古い時代に西洋の植物学者が命名した学名の中にはサツキのほかにも原産地を間違ったものがある。例えば落葉高木のエンジュ。こちらは中国原産にもかかわらず学名は「Sophora japonica」と日本産になっている。「庭石を抱てさつきの盛りかな」(三宅嘯山)

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<奈良・霊山寺> 華やかに薔薇会式・えと祭り

2018年05月21日 | 祭り

【世界平和を祈念し本尊と八体仏にバラをお供え】

 内外の多彩なバラを集めたバラ園で有名な奈良市中町の古刹霊山寺(りょうせんじ)で20日「薔薇会式・えと祭り」が開かれた。バラ園では約200種・2000株という色とりどりの花がちょうど見ごろを迎え園内はまさに春爛漫。鼓笛隊を先頭にした約100人の行列がその庭園から出発し、干支守りの八体仏と本尊の薬師如来にバラの花をお供えして世界平和と参拝者の健康、幸福を祈念した。

 霊山寺の開山は奈良時代の仏僧行基と菩提僊那と伝わる。本堂は国宝、本尊薬師如来は重要文化財。バラ園はシベリア抑留の体験がある先々代の住職がバラの花に世界平和の思いを込め1957年に開園した。薔薇会式は若い世代に平和への祈りを伝えていきたいと、開園30周年に当たる1987年から始まった。普段秘仏となっている本尊もこの日には開帳される。

 

 午後1時にバラ園を出発した行列は天平装束姿の鼓笛隊「まつぼっくり少年少女合唱団」に、十二支のお面を着けた干支面者、バラで飾った御輿、一山の僧、お稚児さんなどが続いた。最初に法要が行われたのは境内のほぼ中央に位置する「八体仏霊場」。生まれ年の十二支に生まれ星座十二宮を加えて、千手観音(子年、水瓶座)から阿弥陀如来(戌・亥年、牡羊・魚座)まで8体の守り本尊がずらりと並ぶ。その前で僧侶が読経を唱え稚児がバラの花を供えた。八体仏のそばにある開山行基の銅像にもバラの花が供えられていた。この後、一行は再び行列を作って本堂に向かった。

 

 バラ園は広さ約4000㎡で「人生輪廻」をテーマとして造園された。入り口から奥に向かってまず母子像のオブジェが置かれた子どもの世界、次にバラの女神を中心とした成人の世界、そして人生を顧みるばらの館がある老人の世界が広がる。京都大学農学部の造園学研究室(監督新田伸三氏)が造園を担当した。新田氏は当時、大阪府営服部緑地の大花壇、奈良の壷阪寺香りの園、神奈川県立フラワーセンター大船植物園なども手掛けている。

 園内では第二次世界大戦が終結した1945年に命名されたという大輪・八重咲き品種の「ピース」をはじめ様々なバラの花が今が盛りと咲き誇っていた。その中でもとりわけ人気を集めていたのがかわいいピンクの小花をびっしり付けた「夢乙女」。その前では写真を撮る人が引きも切らなかった。咲き始めの黄色が日光によって朱色に変化する「絵日傘」というバラの花にもじっと見入る人が多かった。この2品種はいずれも日本で作出されたそうだ。

 

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<ヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)> 白~淡紅色の可憐な花姿

2018年05月19日 | 花の四季

【北米原産の帰化植物、野生化し空地や道端にも】

 北米原産のアカバナ科マツヨイグサ属の多年草で、日本には観賞用として大正末期ごろに渡来したといわれる。暑さ寒さに強く、乾燥を好んで痩せ地でも育つ。繁殖力が旺盛なため今では野生化し荒地や空地、土手、道端などで見かけることも多い。夕方から翌朝にかけ開花するものが多いマツヨイグサ属の中では珍しく昼間に開く。

 花期は5~7月ごろで、白~淡紅色の優しげなカップ状の花を付ける。花径は4~5cmほど。基部は黄色を帯び、白く十字状に裂けた雌しべの柱頭がよく目立つ。その花姿が同じ北米原産で江戸時代末期に渡来した白花のツキミソウに似ていることから、ヒルザキツキミソウという和名が付いた。ツキミソウが一夜だけ咲く一日花なのに対し、このヒルザキは数日間咲き続けるのが特徴。白花が基本種で、淡紅色は変種といわれ、咲き始めから淡紅色のものをモモイロヒルザキツキミソウと呼んで区別することも。園芸品種には黄花もある。

 マツヨイグサ属には他に多年草のマツヨイグサ(待宵草)や2年草のオオマツヨイグサ(大待宵草)がある。前者は南米原産、後者は北米原産の帰化植物で、夏になると各地の河原や山野などで鮮やかな黄花を付ける。いつの間にかこれらの花が、野生化せずほとんど目にすることがなくなったツキミソウに代わってツキミソウと呼ばれることが多くなってきた。ある季語集もツキミソウの項で「誰がどこでどう間違えたのかわからないが……オオマツヨイグサのことをツキミソウというようになった」ととまどいを交えながら記す。

 大正浪漫を代表する詩人・画家、竹久夢二(1884~1934)の抒情詩に「宵待草」(1912年)がある。実らぬひと夏の恋心を詠んだこの詩に、作曲家・バイオリニストの多(おおの)忠亮(1895~1929)がメロディーを付けて大ヒットした。「♪待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるさなさ 今宵は月も出ぬそうな」。題名にも歌詞の中にも登場する「宵待草」はもちろん実在の植物ではない。夢二がやるせない心情を一夜だけ咲くはかない「待宵草」に事寄せて作詩したといわれる。自筆記録には「待宵草」と「宵待草」の両方があり、語感の美しさから最終的に「宵待草」にしたという説が有力になっているそうだ。

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<ヒカゲツツジ(日陰躑躅)> 山地の渓流沿いなどに自生

2018年05月16日 | 花の四季

【日本固有種、「サワテラシ」の別名も】

 本州の関東以西や四国、九州の山地の渓流沿いなどに自生するツツジ科ツツジ属の常緑低木。樹高は1~2mほどで、5月ごろ枝先に直径3cm前後の淡黄色の花を数輪ずつ横向きに付ける。和名はよく霧がかかるような湿度が高い半日陰の場所を好むことから。「サワテラシ(沢照らし)」という別称もある。これは明るい花が薄暗い渓谷を照らすように咲き誇ることからとみられる。

 世界共通の学名は「Rhododendron keisukei(ロードデンドロン・ケイスケイ)」。ロードデンドロンはツツジ属のこと。種小名の「ケイスケイ」は江戸末期~明治前期に活躍した理学博士伊藤圭介(1803~1901)の名前に因む。伊藤はシーボルトから本草学を学び、スウェーデンの植物学者カール・ツンベルク(リンネの弟子)の著書『日本植物誌』を翻訳し学名に和名を付して『泰西本草名疏(たいせいほんぞうめいそ)』として出版した。

 伊藤はヨーロッパの植物分類体系を日本に初めて紹介したほか、「雄しべ」「雌しべ」「花粉」などの植物用語を造り出して初めて使ったことでも知られる。ヒカゲツツジの学名もこうした伊藤の業績を称えて命名された。シーボルトらによって「ケイスケイ」など伊藤に因んで献名された植物はこのほかにも数多い。スズラン、アシタバ、マルバスミレ、イワナンテン、シモバシラ……。

 変種に栃木県の山地など関東地方の一部でまれに見られる「ウラジロヒカゲツツジ」がある。丸葉で葉の裏が灰色になるのが特徴。環境省のレッドリストではごく近い将来に絶滅の危険性が極めて高いとして絶滅危惧ⅠA類に分類されている。2012年にはリスト掲載種の中でも特に保護の優先度が高いとして、「種の保存法」施行令の一部改正で国内希少野生動植物種に追加指定された。ヒカゲツツジは生息環境によって葉形や花形、花色などに微妙な違いがしばしば見られる。このため屋久島、天城、箱根、日光、伊勢などの地域名を冠して呼ばれることもある。

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<大垣まつり> 神社前でからくり芸と少女の舞踊を奉納

2018年05月13日 | 祭り

【13両の軕が城下町を巡行、夜は幻想的な提灯飾り】

 岐阜県大垣市の八幡神社(通称大垣八幡神社)で12日、約370年の伝統を誇る「大垣まつり」が始まった。国指定の重要無形民俗文化財で、「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコの無形文化遺産にも登録されている。大垣の山車は「軕(やま)」と呼ばれる。〝試楽〟の12日には各町内から曳き出された13両の軕が神社前と市役所前でからくり芸や少女たちによる舞踊を奉納した後、別々に太鼓や笛のお囃子に乗って練り歩いた。日が落ちると〝夜宮〟。神社前の水門川沿いに再び勢揃いした13両は午後7時になると提灯に一斉に点灯、1両ずつ鳥居前で片方の車輪を持ち上げぐるぐる回転する軕回しなどを披露した。

 大垣まつりは1648年(慶安元年)、初代藩主の戸田氏鉄(うじかね)により八幡宮が再建されたとき、城下18郷が神輿3社を寄付し、軕10両を造って曳き出したのが始まりという。79年には3代藩主から〝三両軕(さんりょうやま)〟と呼ばれる神楽軕、大黒軕、恵比須軕を下賜された。その後、濃尾震災や戦災などで多くの軕が被災・焼失したが、順次再建・復元が進められ6年前の2012年、70年ぶりに藩主下賜の3両と町衆の10両合わせて全13両が揃った。

 

 12日には鳥居前でまず神楽軕が巫女などによる人形神楽を披露した。舞台の下から棒で操っているそうだが、とても人形とは思えない軽快な身のこなしだった。この後、布袋軕や相生軕、愛宕軕、菅原軕などが続いた。別名天神軕とも呼ばれる菅原軕のからくり人形は「大垣まつり」という文字書きを披露し、見事な筆遣いに観客から拍手が沸き起こった。操作する人はこの本番に向け繰り返し練習を重ねたに違いない。

 

 玉の井軕と松竹軕にはとりわけ華やかな雰囲気に溢れていた。前面に設えられた踊り舞台に色とりどりのあでやかな晴れ着姿の女の子たちが5~6人。1人で、あるいは全員で「お夏清十郎」「大垣音頭」「紅葉の橋」「越天楽」などを舞った。演目を紹介するめくりには踊り手の名前に加え年齢も書いていた。その中には1人で見事に踊りきった7歳や8歳の女の子も。お人形さんのようなかわいらしい踊りを、多くの観客が食い入るように見つめていた。

 

 豪華な軕の造りやからくり、少女舞踊の魅力もさることながら、驚いたのは500店ともいわれる露天の多さ。八幡神社周辺や大垣城東側の目抜き通りなどを埋め尽くす露天には圧倒された。境内にはお化け屋敷も出現し、女の子たちの甲高い叫び声が途切れることなく遠くまで響いていた。〝本楽〟の13日は神社前で奉芸した後、神楽軕を先頭に全13両が列を成し城下町を約8.8km巡行する予定だった。だが大垣観光協会に13日午前中に伺ったところ、あいにくの雨天のため巡行は中止になったそうだ。その恐れもあると思って12日に訪ねたのが正解だった。

 

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<ザボン(朱欒)> 果実はバスケットボール大にも

2018年05月08日 | 花の四季

【アジア南部原産、「文旦(ブンタン・ボンタン)」とも】

 ミカン科ミカン属の常緑低木。原産地はマレー半島やインドネシアなどといわれ、中国南部や東南アジアで広く栽培されている。日本への渡来時期ははっきりしないが、一般的には江戸時代初期に中国から渡ってきたといわれる。日本での主な栽培地は四国の高知や九州南部の鹿児島、熊本などで、生食のほか砂糖漬け、ジャム、マーマレードなどに加工されている。

 5月頃、径3~8cmほどの真っ白い花を付け周辺に甘い香りを漂わせる。花弁は肉厚で4~5枚。葉には光沢があり10~15cmと長い。果実は柑橘類の中で最も大きく、11~12月頃に収穫期を迎える。ザボンにも土佐文旦、阿久根文旦、平戸文旦、河内晩柑、安政柑など様々な品種があるが、その中でとりわけ大きいのが熊本県八代地方で栽培されている「晩白柚(ばんぺいゆ)」。2015年には県立八代農業高校で収穫されたものがギネスブックで世界最重量として認定された。その重さは4859.7gでバスケットボールよりも大きい。

 ザボンの語源は一説によるとポルトガル語のzamboaで、初め「ザンボア」や「ザンボ」と呼ばれ、転じて「ジャボン」、さらに「ザボン」になったという。漢字表記の「朱欒」は漢名から。別名の「文旦」は江戸時代に鹿児島県阿久根市に漂着した中国商船の船主「謝文旦」の名前に由来する。この船主が薩摩藩に助けられたお礼に果物のザボンを贈ったという。ザボンという言葉自体もその船主名の前2文字「謝文」から来ているとの見方もあるそうだ。

 鹿児島をはじめ九州ではブンタンではなくボンタンと呼ぶことも多い。鹿児島発の銘菓として有名な「文旦飴(ボンタンアメ)」は90年以上前の1924年(大正13年)に発売され、今も全国の駄菓子屋などで売られている。その飴菓子に果汁エキスとして使われているのが、鹿児島県阿久根市を主産地とする果肉が赤紫色の「阿久根文旦」。同市ではボンタンを市の木にも制定し、市民ランナーがボンタンの実る阿久根路を駆け抜ける「あくねボンタンロードレース」を開いている。昨年も12月3日に34回目の大会を開いた。

 晩白柚の主産地、熊本県八代市も2008年に晩白柚を市の木と定めた。地元の日奈久温泉では大きな晩白柚を湯船にプカプカ浮かばせる〝晩白柚風呂〟が冬の風物詩になっている。2009年には市営日奈久温泉センターが「ばんぺい湯」の愛称でリニューアルオープンした。地元バス会社は八代市街と熊本空港を結ぶリムジンバス「すーぱーばんぺいゆ号」を運行している。ちなみに晩白柚の晩は晩生、白は果肉の色、柚は中国語でザボンを指すそうだ。「べつとりと昏(く)るる内海ザボン咲く」(山下淳)

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<ヒメウツギ(姫空木)> 川岸の岩場に自生する日本固有種

2018年05月06日 | 花の四季

【ウツギより一回り小形なことから〝姫〟に】

 アジサイ科(旧分類ユキノシタ科)ウツギ属の落葉低木。本州の関東以西から四国、九州にかけて分布する日本固有種で、山地や谷沿いの岩場など日当たりのいい所に自生する。「ウノハナ(卯の花)」と呼ばれることが多いウツギの仲間で、姫空木の名前はウツギより背丈や葉、花などが一回り小さいことによる。学名は「ドイツィア・グラキリス」。属名のドイツィアは18世紀のオランダの植物学者の名前に因み、種小名グラキリスは「細長い」「繊細な」を意味する。

 樹高はウツギが2~3mになるのに対しヒメウツギは1~1.5m程度でよく分枝する。花期は5~6月。円錐花序を伸ばし、純白の5弁の小花(径1~1.5cm)をやや下向きにいっぱい付ける。ウツギは若い枝や葉、花弁などに星形の毛(星状毛)が密に生え触るとざらつくが、ヒメウツギはウツギに比べ毛が少ないのも特徴の一つ。ウツギより小形で扱いやすいため庭植えや生垣、鉢植えなどにされる。このヒメウツギがウノハナとして流通することも多いようだ。同属の仲間には他にコウツギ、マルバウツギ、アオコウツギ(下の写真)などがある。

 ウツギには幹や枝の髄が空洞になっていることから「空木」の漢字が当てられるが、材が堅く古くから木釘として用いられてきたことから「打つ木」とする説もある。「卯の花」は旧暦の卯月に咲くことから。卯の花は垣根などとして古くから親しまれ、万葉集でもこの花を詠んだ歌が20首以上に上る。その多くがホトトギスと組み合わせて詠まれた。唱歌『夏は来ぬ』にも最初に卯の花とホトトギスが登場する。正岡子規は結核で喀血する自身と、鳴いて血を吐くというホトトギスを重ね合わせホトトギスを表す「子規」を雅号に選んだ。「卯の花の散るまで鳴くか子規(ホトトギス)」(正岡子規)

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<知立まつり> 山車の台上で文楽、からくりを奉納

2018年05月04日 | 祭り

【華麗・重厚な山車の〝担ぎ上げ〟も見どころ】

 愛知県知立市で3日、知立神社の祭礼「知立まつり」が繰り広げられた。起源は古く江戸初期の1653年に始まったという伝統行事。1年おきに本祭(ほんまつり)と間祭(あいまつり)が行われており、本祭の年に当たる今年は5台の山車(だし)の上で名物の山車文楽とからくり芝居が奉納された。国の重要無形民俗文化財に指定されており、一昨年には「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されている。

 山車は高さ約7m、重さ約5トンで、金箔を張った彫刻が美しい。車輪は松材で直径80cmほど、幅もかなり分厚い。「試楽」と呼ばれる2日はあいにくの雨模様で宮入りは中止となり、町を巡行した山車も大きなビニールで覆われた(5町のうち2町は巡行も中止になったとか)。「本楽」の3日は心配された雨も上がり、午前10時前には名鉄知立駅に近い新地中央通りに山車5台が勢ぞろい。笛や太鼓、三味線などによる「神舞(かみまい)」と呼ばれるお囃子に合わせ東海道など目抜き通りを巡行した後、昼すぎから1台ずつ宮入りした。

 

 山車5台が勢ぞろいしたところで文楽の上演がスタート。まず山町が「日高川入相花王(いりあいざくら)渡し場の段」を披露した。よく通る義太夫の語りと三味線に合わせ1体の人形を3人で操る。山車の上で上演される3人遣いの人形浄瑠璃は知立以外では見られないそうだ。この後、中新町の「鎌倉三代記(三浦之助母別れの段)」など3本の文楽が上演された。からくりを披露したのは4番目に登場した西町で演目は「一の谷合戦」。太夫の語りと三味線に合わせ糸で操るからくり人形だけで物語を演じるもので、これも全国的に極めて珍しいという。

 

 華麗な山車の巡行も見ごたえがあった。特に交差点などで方向転換する際の山車の〝担ぎ上げ〟。知立の山車の最大の特徴は梶棒が後方だけにしかないこと。その梶棒をわずか8人で担ぎ上げて後輪を浮かせ、その間に前輪を基点に方向を変える。その直前、梶棒連の8人はしばしの間、整然と並び背筋を伸ばして目を閉じ呼吸を整える。その一瞬に渾身の力を発揮するため精神統一を図っているのだろう。

 

 8人は山車操作の指示者の合図に合わせ、梶棒に肩を入れるや「せいのー」と一気に担ぎ上げる。方向転換した後がまたすごい。今後は全員が同時に尻餅をつくほど倒れ込み後輪を地面に「ドッスン」と落とす。その衝撃の凄まじいこと。地響きが轟き大揺れする山車が壊れるのではないかと心配になるほどだった。その間続く梶棒連を鼓舞する囃子の名調子も印象的だった。知立ではこのまつり本番に向け各町内が1カ月ほど前に宿開きを行い、梶棒連や人形遣い、囃子方などがそれぞれ稽古や諸準備に励んできたそうだ。

   

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<サワフタギ(沢蓋木)> 沢の上に生い茂る落葉低木

2018年05月01日 | 花の四季

【別名「瑠璃実の牛殺し」! 木灰は染色の媒染剤に】

 全国の山野に自生するハイノキ科ハイノキ属の落葉低木。5~6月ごろ、今年伸びた若い枝の先に円錐花序を出し白い小花を多く付ける。花は5つに深く切れ込み、多くの雄しべが花弁より長く飛び出してよく目立つ。秋になると、樹木では珍しく鮮やかな藍色の実を結ぶ。よく枝分かれし横に広がるのが特徴で、和名の「沢蓋木」も沢に蓋をするほど生い茂ることに由来する。

 材が緻密で粘りがあることから様々な器具材や細工物の材料として用いられてきた。サワフタギには「ルリミノウシコロシ(瑠璃実の牛殺し)」という別称がある。美しい実の色を表す「瑠璃実」はともかく、問題はそれに続く何とも物騒な「牛殺し」。実はこのウシコロシはバラ科の落葉樹「カマツカ(鎌柄)」の別名。サワフタギ同様、材が丈夫なカマツカはその名が示すように鎌の柄材とされたほか、牛の曳き綱を付ける鼻輪の材料にもなった。そのため別名ウシコロシに。カマカツの実の色はサワフタギと違って赤い。

 サワフタギにはもう一つ「ニシゴリ(錦織木)」という別名もある。これは古くから枝葉を燃やした木灰が紫紺染め、茜染めなどに利用されてきたことから。サワフタギやハイノキはアルミ成分を多く含み、その木灰が鮮やかに発色させる媒染剤として欠かせなかった。ハイノキ科のハイノキも「灰の木」を意味する。サワフタギの仲間には「タンナ(耽羅=韓国・済州島)サワフタギ」「クロミノニシゴリ(黒実の錦織木)」などがある。シロシタホタルガという蛾(ガ)の幼虫はサワフタギとその仲間の葉だけを食べて成長するそうだ。

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