く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ジョウビタキ> 縄張りチェック? お気に入りの埴輪の頭で一休み

2016年01月30日 | 小鳥たち

【別名「紋付鳥」、北国から毎秋飛来し日本で越冬】

 今冬も渡り鳥のジョウビタキがわが家の近辺にもやって来て、時々かわいい姿を見せてくれる。群れをつくらず、いつも1羽だけ。庭の片隅に置いた埴輪の人形が気に入ったのだろう、その頭の上にちょこんと乗ってしばし休む光景をこのところよく目にする。

 

 ツグミ科。全長15cmほどのスズメサイズで、翼にある白い斑点を着物の紋に見立てて「モンツキドリ(紋付鳥)」とも呼ばれる。雄は顔が黒くて頭は銀白色。胸からお腹は鮮やかなオレンジ色。一方、雌の体は灰色でクリクリしたまん丸い目が印象的(写真)。ジョウビタキは漢字で「尉鶲」や「常鶲」と書く。「尉」は翁(老人)のこと。雄の白い頭をお年寄りの白髪に見立てた。「常」は毎年秋になると必ずやって来るからか。(下の追加写真は2022年12月22日撮影)

 よく通る声で「ヒッ、ヒッ」と鳴き、時々「カッ、カッ」と舌打ちするような鳴き声を上げる。その仕草がかわいい。ぴょこんとお辞儀してから尻尾をぶるぶる振るわせる。繁殖地はシベリア南部や中国東北部、朝鮮半島など。日本では雄と雌が別々に縄張りをつくって冬を越し、春になると北国に戻っていく。ただ近年、北海道や長野で繁殖が確認されたとのこと。そのうち留鳥となって各地の高原などで年中見かける日が来るのだろうか。

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<BOOK> ものと人間の文化史174「豆」(前田和美著、法政大学出版局発行)

2016年01月28日 | BOOK

【「ツタンカーメンのエンドウ」は捏造! 王墓副葬品にエンドウはなかった】

 市販中の「ツタンカーメンのエンドウ豆」の売り文句はエジプト王家のツタンカーメンの墓から豪華な副葬品とともに発見され3000年の時を経て発芽! なかなか夢とロマンのあふれた話で、一時は小学校で栽培ブームが起きるほど。ところが実際には王墓の副葬品の中にエンドウマメはなかったといわれる。本書は昨年11月30日に初版が発行されたばかり。第9章「虚構の主役になったマメ―エンドウ」で22ページを割いて「ツタンカーメンのエンドウ」の誕生やブームの背景を詳細に論じている。(写真㊨は昨年自家栽培した「ツタンカーメンのエンドウ豆」の花)

   

 著者がこのエンドウマメの由来について研究を始めたのは今から約30年前の1987年。内外の多くの文献に当たった結果「9世紀ごろの欧州における『ミイラのコムギ』や『ミイラのオオムギ』の話の『書き替え』であることを確認できた」という。「ツタンカーメンのエンドウ」は「科学的根拠のない虚構」だったわけだ。

 元となった「ミイラのコムギ」はエジプトの墳墓から見つかった種子が時を超えて発芽したというもの。だが古植物学者らによると、その種子は炭化し胚が壊れて発芽は全く不可能で、まさに根も葉もない作り話とか。種子の寿命は貯蔵の条件にもよるが、それでも数百年ということは決してあり得ないという。普通コムギ(パンコムギ)とは別種のコムギの種子を「奇跡のコムギ」「ミイラのコムギ」と称して売った業者もいたそうだ。捏造話の裏には一儲けしようという欲があった。

 「ツタンカーメンのエンドウ」が捏造された背景について、著者は「エンドウの種子が3000年も生きていた」ことを信じた植物や作物の専門家とともに、ブームの火付け役となったマスメディアに大きな責任があると指摘する。農林水産省のホームページ「消費者の部屋」(2006年)でさえ「ツタンカーメンのエンドウ」を「えんどう豆は発芽能力の維持が難しいといわれていますが、発見されたものは約3000年の年月を超えて発芽しました」と紹介していたという。著者は「専門家や国が科学的根拠を示さずに『事実』として、いわば『お墨付き』を与えている『ツタンカーメンのエンドウ』の話が、今もなお生き続けている」ことに警鐘を鳴らす。

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<エンドウ> 寒波でつるがぐったり! 遅ればせながらワラなどで保温対策

2016年01月28日 | メモ

【例の〝ツタンカーメンのエンドウ豆〟栽培2年目】

 日本列島を襲った記録的寒波。その余波で葉物野菜が高騰しているとか。奈良市内でも24日夜~25日朝の冷え込みは厳しく、最低気温は氷点下4.4度を記録した。その影響で自家栽培中のエンドウマメはつるの先が軒並みぐったり。保温対策の不備を反省しながら、遅ればせながら急遽ワラやビニールで覆った。これこそ泥棒(寒波)を見て縄(ワラ)をなう〝泥縄式〟か。

 

 このエンドウマメ、実は「ツタンカーメンのエンドウ豆」と称して売られているもの。1年前初挑戦したところ、ピンクと紫のツートンカラーのかわいい花を付け収穫は予想以上だった。鞘は少々不気味な黒紫色だが、中は普通のエンドウと同じ緑色。その一部を取り置きし昨年の10月後半から11月にかけて種蒔きした。

 その後、つるが前年よりやや速く伸びて、背丈は既に1mほどに。そこに寒波が直撃した。つるの先がしおれたのは寒さで水分が凍ったのだろう。保温対策に加え、小株で冬越しさせるため種蒔きももう少し遅らせるべきだったのか。つるの先はその後もぐったりしたままだが、昨日27日に様子を見ると右の写真のように幸いそばから若葉が立ち上がり始めていた。すごい生命力!

 28日早朝、NHK「ラジオ深夜便」できょうの「誕生日の花」としてエンドウを紹介していた。ちょうど「ものと人間の文化史174『豆』」の第9章「虚構の主役になったマメ―エンドウ」を読んでいる最中だったので、その偶然に少々驚いた。エンドウの花ことばは「未来の喜び」とか。春が来ると花が目を楽しませてくれ、その後には食の楽しみも待っている。栽培中のエンドウが無事に冬を乗り越えてくれることを願うばかり。

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<奈良県立美術館> 企画展「蕭白・松園…日本美術の輝き」

2016年01月27日 | 美術

【美人画、武者絵、刀剣など100点余、「伝淀殿画像」も】

 奈良県立美術館で「真田丸」関連企画展「蕭白・松園…日本美術の輝き~美人画、武者絵から刀剣、近代の名品まで」が始まった。特別出品も含め100点余(前・後期で一部展示替え)。同館所蔵の江戸時代以降の様々な美人画を一堂に展示、いま話題の真田丸関連として「淀殿」と伝わる肖像画や武者絵、近代日本画の名品なども並ぶ。3月13日まで。

   

 江戸時代の奇才の画家、曽我蕭白の『美人図』(前期展示)は若い女性が虚ろな表情で切り裂いた手紙をくわえて立ち尽くす。近代美人画の第一人者、上村松園の『明治初期風俗十二月』は様々な年頃や階層、職業の女性を12カ月の風物に託して描いた画帖。まだ20代前半の頃の作品だが、既に卓越した描写力を見せている。後期には松園円熟期の作品『春宵』が展示される。

 江戸の美人画で目を引くのは浮世絵の祖、菱川師宣の長男で元禄年間に活躍した菱川師房の『見返り美人図』、懐月堂安度の『立美人図』、宮川長春の『花下美人少女図』など。安度を祖とする「懐月堂派」は大柄で堂々とした遊女を「く」の字形で描き「懐月堂美人」として人気を集めた。一方、上方では円山派や四条派など浮世絵師以外の絵師が美人画を多く手掛けた。応挙門下の山口素絢の『妓婦図』は芸妓がかんざしに手を添え視線を落とした構図。その表情と落ち着いた色彩に上品さがあふれる。近代日本画としては鏑木清方の『涼風』、竹久夢二の『雪中子抱き美人図』なども展示中。

 『伝淀殿画像』は17世紀に描かれたもので絹本着色の掛幅(72.2×36.3cm)。その前には淀殿直筆といわれる和歌の短冊が収められた『手鑑(てかがみ)』(登録有形文化財藤岡家住宅所蔵)も。「秀頼公御母堂淀殿」と記した極め札が添えられ、僧慈円の歌「心あらば吹かずもあらなむよひよひに人待つ宿の庭の松風」が流麗な筆致で墨書されている。他に書跡『豊臣秀吉朱印状 柘植左京亮宛』や狩野永納の『楠木正成像』、17世紀の『洛中洛外図屏風』(6曲1双)なども展示されている。

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<BOOK> 「円空の生涯」

2016年01月26日 | BOOK

【長谷川公茂著、人間の科学新社発行】

 江戸前期の遊行僧円空(1632~95)は生涯に12万体の木彫りの仏像を作ったという。これまでに全国各地で発見されたのは約4500体。彫刻を始めたのは32歳のときといわれ、64歳のとき即身仏として入寂した。ということは単純計算でもこの間の30年余に毎日10体以上彫らないと12万体に達しない。超人的な数の仏像を彫り続けたのはなぜなのだろうか。

       

 著者は1933年愛知県生まれ。20代前半の55年秋、江南市の寺で円空作の護法神を目にしたのが円空仏にのめり込むきっかけになった。71年に「円空学会」を旗揚げ、81年から2013年まで理事長を務めた。全国で見つかった円空仏はこれまでに全て訪ねたという。著書に『底本円空上人歌集』『東海の円空を歩く』『円空微笑みの謎』など。

  円空仏の最大の特徴は何と言っても慈愛に満ちた微笑みだろう。観音菩薩や地蔵菩薩だけでなく、いかめしい表情が一般的な仁王像や不動明王、役行者でさえも笑みをたたえる。彫刻家棟方志功を名古屋の鉈薬師に案内したとき、棟方志功が突然須弥壇に駆け上がり「こんな所に俺の親父がいた」と円空仏にしがみついたそうだ。著者は「円空仏の微笑みは円空その人の微笑み」とみる。

 円空は多くの和歌も残している。著者は1960年、岐阜県関市の高賀神社で「大般若経」の表紙裏に貼り付けられた膨大な数の円空自作の和歌を発見した。「この『円空歌集』こそが円空仏の微笑みと美の謎を解く鍵なのではないか」と胸が高鳴ったという。その中にこんな1首があった。「作りおく神の御影の円(まどか)なる浮世を照すかがみ成けり」。私が作るのは円満なる神の像であり仏の像である。これらの像は浮世の人々を救う神・仏であり、私はその鏡を作っている……。

 円空は岐阜県の出身。出家後、愛知や長野など近隣だけでなく東北や北海道、関東、近畿など全国を行脚し仏像を刻んだ。1971年には奈良・法隆寺に立ち寄り、大日如来像を彫って「万代(よろずよ)に目出度き神の在(ましま)して名を九重のいかるがの寺」の歌を残した。また大和郡山市の松尾寺には大峰山での修行中に彫ったといわれる役行者像が安置されている。

 かつて岐阜県内で何度か目にした円空仏は高さ数十センチの粗削りの像がほとんどだった。このため不勉強のほどが知れるが、円空仏といえば小ぶりで簡素な造形というイメージを持っていた。本書で初期の作品は丁寧な造りだったこと、高さは1~2m、中には3mを超える大作もあったことなどを初めて知った次第。円空は幼少時に母を長良川の洪水で失ったといわれる。円空が即身仏入定の素懐を遂げたのも自坊前の長良川河畔だった。岐阜県関市のその場所には「円空上人塚」が立つ。

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<天理大学付属天理参考館> 特別展「天理参考館の珠玉」

2016年01月22日 | 考古・歴史

【世界各地の考古美術のお宝、初公開も含め56点】

 天理大学付属天理参考館(奈良県天理市)で、教祖130年祭特別展「天理参考館の珠玉」が開かれている。同館が収集してきた膨大な世界各地の考古美術品の中から、各地域の伝統文化を代表する逸品56点を展示中。その中には平安時代の「瓦経金剛般若経」や古代ギリシャの酒杯「コリントス式スキュフォス」、チベットの「経本西蔵大蔵経」(年代不明)など初公開のものも少なくない。人間国宝・三代田畑喜八作の京友禅訪問着2点も同館での展示は今回が初めて。3月14日まで。

 

 初公開のうち「瓦経金剛般若経」(重要美術品、上の写真㊧)は平安時代に姫路市の極楽寺(現・常福寺)裏山の経塚に埋められていたもの。江戸時代に瓦経500枚が出土し姫路藩主が回収したが、明治維新の混乱の中で大半が姫路城の濠に埋められ行方不明という。「コリントス式スキュフォス」は水平双把手付きの酒杯で紀元前7~6世紀のものとみられる。中国・殷時代のものと推定されるフクロウをかたどった酒壷「鴟鴞(しきょう)文ゆう」(写真㊨)やコンゴ共和国の「呪術人形」、「トルクメン女性の装身具」なども初公開。

 

 中国・唐時代のものでは「海獣葡萄鏡」(重要美術品)や「加彩鎮墓獣」(上の写真㊧)、「三彩釉駱駝」(㊨)なども展示。「加彩鎮墓獣」は墓に侵入しようとする邪悪なものを威嚇するために作られた中国明器(めいき)で、釉薬を用いず顔料で彩色した〝加彩〟という技法による。海外のものではネパールの仏画「八十四成就者」(下の写真㊧、部分)やロシアの「民族衣装を着た風俗人形(7点)」なども。シルクロードを渡って持ち込まれたササン朝(6世紀頃)の「ガラス製円形切子碗」(下の写真㊨)はまばゆいばかりの輝きが目を引く。同様の切子碗はローマ圏での出土例がなく典型的なササン朝ガラスとみられていたが、最近この碗を蛍光X線分析した結果、材質はローマ特有のガラスであることが判明したそうだ。

 

 田畑喜八の訪問着2点はいずれも縮緬地で、寒木模様(下の写真㊧、部分)と月見草模様。日本のものでは他に三代歌川広重の錦絵「東京上野鉄道開業式諸民拝見之図」、大正時代作の「土人形 武装した人」(下の写真㊨)、「津軽獅子舞の獅子頭」なども展示中。「土人形 武装した人」は彫刻家吉田白嶺が明治天皇桃山陵(京都市伏見区)鎮護のために制作したものとみられる。記録によると、御陵には中世武将のいでたちの高さ約90センチの土人形2体が埋められているという。同館蔵のこの2体は「多めに作って上出来なものが埋められ、これらはその残りだろう」とのこと。

 

 

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<BOOK> 『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』

2016年01月21日 | BOOK

【砂川啓介著、双葉社発行】

 NHKラジオ深夜便の21日午前4時台の「明日へのことば」。語り手はかつて「体操のお兄さん」として人気を集めた俳優の砂川啓介さん(78)だった。この日のタイトルは「妻が認知症になったら」。10日ほど前に砂川さんが綴った本書を読み終えたばかりだったこともあって興味深くラジオに耳を傾けた。

         

 砂川さんの奥様は「ドラえもん」で有名な声優大山のぶ代さん(82)。舞台での共演をきっかけに結婚した2人はおしどり夫婦として知られ、共著の料理本を出したことも。だが大山さんは60代後半以降、次々に病魔に襲われる。直腸がん、脳梗塞、そしてアルツハイマー型認知症。2012年秋の発症以来、砂川さんの認知症との闘いが始まった。

 「ドラえもん」のイメージを壊すことを恐れた砂川さんはほとんど誰にも知らせず自宅で介護を続けた。しかし、70代後半の身には肉体的にも精神的にもこたえる。自身も13年秋、胃がんの摘出手術を受けた。「カミさんの介護を辛いと感じてしまう僕は、夫失格なのだろうか」。砂川さんは日々、自責の念にさいなまれたという。

 ラジオ番組で公表に踏み切ったのは昨年5月のこと。60年来の親友「マムシ」こと毒蝮三太夫さんの「1人で全部抱え込んでいたら、お前のほうが参っちゃう」「公表したほうが絶対に、お前も楽になるって」という助言からだった。反響は凄まじかった。同じように介護に苦闘している全国のリスナーから「勇気が出ました」など多くのメッセージが届いた。

 公表によって砂川さんにももう嘘をつかなくていいという安堵感が生まれ、「さまよい続けた暗い森に一筋の光が差したような……そんな気がした」。大山さんの症状も少しずつ落ち着いてきているそうだ。今心掛けているのは「彼女に対して決して声を荒らげないこと、怒らないこと」。そして「意識して彼女の容姿を褒めるようにしている」。

 さらに「公表後、友人に会せるようにしたことも、カミさんに良い影響を与えているのでないかと思う」。昨年7月には東京・六本木の店で、大山さんは長年の親友黒柳徹子さんと再会を果たした。その食事会に駆けつけた「マムシ」は大山さんの元気に笑う姿を見て驚いたそうだ。本書の表紙を飾るのは昨年8月に自宅で撮ってもらった1枚。2人の輝くばかりの笑顔と、砂川さんの右肩にぎゅっと置かれた大山さんの右手が印象的。それにしても大山さんは血色も良く実にお若い。砂川さんはラジオの「明日へのことば」で今後やりたいことを問われ、認知症の介護に携わる人たちの役に立つ体操を考えたいと答えていた。

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<ナノハナ(菜の花)> 冬の日差しを浴びて一足早く開花!

2016年01月19日 | 花の四季

【「油菜」「菜種」や「花菜」「菜花」とも】

 春の田園を一面黄色く染め上げる菜の花は、古くから春の風物詩として親しまれ歌にも多く詠まれてきた。「菜の花や月は東に日は西に」(与謝蕪村)、「菜の花の中を浅間のけぶり哉」(小林一茶)。「菜の花畠に入日薄れ……」で始まる『朧(おぼろ)月夜』(高野辰之作詞・岡野貞一作曲)が小学唱歌として教科書に載ったのは約100年前の大正3年(1914年)。以来、国民の間で広く歌い継がれてきた。

  菜の花は種子から良質の油が採れることから「アブラナ(油菜)」や「ナタネ(菜種)」と呼ばれる。アブラナ科アブラナ属の黄色い花の総称でもあり、採油とともに食用として古くから栽培されてきた。花期は一般的に2~5月だが、暖地では秋蒔きで12月頃から開花する。花は十字の4弁花。養蜂家にとっては大切な蜜源植物の1つでもあり、菜の花の開花前線を追って北上していく。油の搾りかすは飼料や園芸用肥料にも利用される。

 種子の色から「赤種」と呼ばれるアブラナは古く中国から渡来した。菜種油は室町時代の頃から使われ始め、江戸時代に入ると灯油の主役へ。その後明治初期には油の収量の多い「セイヨウアブラナ(黒種)」が導入され、在来のアブラナに代わって広く栽培されるようになった。江戸時代の蕪村や一茶が目にした菜の花は在来のもので、『朧月夜』に歌われた菜の花は別物のセイヨウアブラナだった可能性が高い。セイヨウアブラナは花の径が10~15ミリとアブラナより一回り大きく、葉や茎は白みを帯びた緑色。

 そのセイヨウアブラナの菜の花畑も近年、搾油用原料種子の輸入に伴って激減している。各地の河川敷などではセイヨウアブラナによく似たセイヨウカラシナの群落を見かけることが増えてきた。花壇や切り花など観賞用の菜の花は「ハナナ(花菜)」、食用の菜の花は「ナバナ(菜花)」とも呼ばれる。菜の花が観賞用として栽培されているのは日本だけという。切り花の主産地は南房総や伊豆、渥美半島など。菜の花は千葉県の県花にもなっている。

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<近畿大学里山学講座> NPO「コウノトリ湿地ネット」代表の佐竹氏が講演

2016年01月11日 | メモ

【「コウノトリ野生復帰と連動した円山川下流部の自然再生」テーマに】

 近畿大学農学部(奈良市)で10日、一般公開の里山学連続講座が開かれた。環境管理学科里山専門委員会の主催で、10年前から毎年5回開催。通算51回目に当たる今回は兵庫県豊岡市のNPO法人「コウノトリ湿地ネット」代表の佐竹節夫さんと、養父市森林組合業務統括課長の西垣司さんの2人を講師に迎えた。(写真はいずれも昨年9月、豊岡市の県立コウノトリの郷公園で)

 わが国のコウノトリは生息環境の悪化で激減し、野生のものは1971年に絶滅した。しかし、兵庫県立コウノトリの郷公園(豊岡市)をはじめ行政、研究者、地元農家などが一体となった野生復帰の取り組みが実を結び、2005年秋に秋篠宮さまをお迎えして5羽を初放鳥、以来着実に増えてきた。昨年12月現在、野外で暮らすコウノトリは78羽、飼育中のコウノトリは96羽に上る。

 講師の佐竹さんは近畿大学卒業後、豊岡市役所に入庁し、コウノトリ共生課の課長として郷公園の整備や野生復帰運動を主導してきた。現在はNPOで餌場になる湿地の保全・再生、人と自然が共生する仕組みづくりなどに取り組む。この日は「コウノトリの野生復帰と連動した円山川下流部の自然再生」をテーマに、これまでの歩みや今後の課題などについて講演した。

 コウノトリは大食漢の肉食。魚のほかカエルやネズミ、ヘビなど目の前で動くものなら何でも丸飲みするという。生後1カ月のヒナでさえ、1日に1キロ以上欲しがるそうだ。そのため「大きな生態系(食物連鎖)のピラミッドが機能していないと暮らしていけない」。くちばしの長さから水深が浅くて緩やかな流れの明るい水辺環境が欠かせない。水深は15cm以下が好ましいという。

 「コウノトリがすめる環境は人間にとっても豊かな環境」。共生社会づくりはこうしたイメージの共有から始まった。各界各層から成る野生復帰推進連絡協議会が採った手法は成功事例を1つずつ積み上げネットワーク化していく〝見試し〟。現状調査→仮説を立てる→試行→モニタリング→修正と進む。農家は田植え後の中干しをオタマジャクシがカエルになるまで控え、2~3月に産卵するアカガエルのため冬の間も湛水した。コウノトリに優しい農法は拡大を続け、地元の学校給食にも〝コウノトリ育むお米〟が使われている。

 円山川水系では10年前から自然再生計画に基づき、約8キロにわたって河川敷の掘り下げ・湿地化工事が行われた。国は2つめの大規模湿地を造成中という。各地の河川では多くの魚類が遡ることができるよう段差の解消工事も進む。佐竹さんは「(こうした取り組みの中で)川に多様な生き物が戻りつつある。いずれはぜひ(川遊びを楽しむ)川ガキも戻したい」と話す。

 新聞報道によると、奈良市池田町の広大寺池で昨年11月から12月にかけて1羽のコウノトリが目撃された。このコウノトリ、足輪の番号から2013年春に京都府京丹後市で生まれたメスで、豊岡市内で放鳥されたコウノトリの孫に当たることが分かった。12月初め、早速確認しようと出かけたが、その時は残念ながら空振りだった。コウノトリが長居できる水辺環境が、豊岡周辺だけでなく全国各地に広がることを願うばかりだ。

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<BOOK>中公新書「ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か」

2016年01月09日 | BOOK

【對馬達雄著、中央公論新社発行】

 ヒトラー政権が誕生したのは1933年1月。深刻な経済危機の中で、アウトバーンの建設などで大量失業問題を解決したヒトラーに、ドイツ国民は熱狂し拍手喝采を送った。そして6年後、ドイツ軍のポーランド侵攻によって第二次世界大戦へ。ヒトラー独裁は自身が自殺し、連合軍に無条件降伏する45年5月まで約12年間続いた。この間、ホロコーストで虐殺されたユダヤ人は600万人以上ともいわれる。

       

 本書は圧倒的多数の国民大衆がヒトラーを支持する中で、ユダヤ人の救援やナチ体制の打倒に取り組んだ有名無名の人々の活動の軌跡をたどる。多様な職業人によるグループ「ローテ・カペレ」や「エミールおじさん」、大学生による反ナチグループ「白バラ」……。それらのグループのメンバーには摘発され獄死した人も多い。「ローテ・カペレ」の場合、戦後も長らくソ連のスパイ網と誤解されていた。

 ヒトラー暗殺の計画・未遂は40件余に上る。1939年9月、ヒトラーが演説するミュンヘンのビアホールの演壇に時限爆弾が仕掛けられた。だが演説を早めに切り上げたヒトラーは僅かな時間差で難を免れる。容疑者ゲオルク・エルザーは終戦の1カ月前、ナチ親衛隊員によって射殺された。44年7月20日には国防軍の反ヒトラー派による暗殺と軍事クーデターが決行されるが、失敗し7000人の逮捕者と200人の処刑者を出した。

 この「7月20日事件」はドイツの敗戦がほぼ確実になった段階での出来事だったが、なお国民の大半がヒトラーを支持しており、「このニュースはヒトラーへの同情と、事件を起こした人びとへの憤激を呼んだ」。事件の遺族や生存者は戦後も「裏切り者」「反逆者」という烙印に苦しめられる。そこに「英雄視された被占領地のパルチザンやレジスタンスとの大きな違いがある」。

 終戦6年後の51年に行われた全国世論調査でも「反ヒトラーの抵抗運動がなかったら、ドイツは最終的に戦争に勝ったか」という問いに、「勝った」または「多分勝った」と答えた人がまだ36%もいたという。52年の〝レーマー裁判〟の判決で裁判長は「7月20日事件」についてこう判じた。「確認できるのは、祖国愛と無私の自己犠牲の精神に基づいて国家と国民を救おうとする、行動の倫理的要素だけである。したがって国家への裏切りという誹謗中傷は許さない」

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<プリムラ> 豊富な花色と可憐さで人気を集める〝西洋桜草〟

2016年01月08日 | 花の四季

【小輪・多花性の「ジュリアン」は日本生まれ】

 サクラソウ科サクラソウ属(プリムラ属)。同属の植物は北半球の温帯から亜寒帯にかけて500~600種分布する。日本に自生するサクラソウやクリンソウも同じ仲間。ただ日本でプリムラと呼ぶ場合、一般的には外国原産で英国などヨーロッパで品種改良され明治時代に渡ってきたものを指す。そのため和名では「セイヨウサクラソウ(西洋桜草)」と呼ばれる。

 プリムラの語源は「最初」や「一番」を意味するラテン語の「プリマ」から。まだ寒い時期に他の花に先駆けて咲くことによる。ギリシャ神話ではプリムラは美の女神フローラの息子で、失恋のためやつれて死んでしまうパラリソスの化身といわれる。本来は毎年花を付ける宿根草だが、高温多湿に弱く夏に枯れやすいため、日本では1年草として扱われる。

 国内で多く栽培され流通しているものの1つに「ポリアンサ」がある。ヨーロッパ原産の数種を交配して生まれたもので、その種小名は多くの花を付けることに由来する。小輪多花性で人気の「ジュリアン」は、このポリアンサにコーカサス地方原産で寒さに強い小型種「ジュリアエ」を交配して日本で生まれた品種。育種家として有名な草野総一氏が作出し、1972年に坂田種苗(現サカタのタネ)が発売した。

 「オブコニカ」は中国原産で、日本名「トキワザクラ(常盤桜)」。花期が長く耐暑性があるため、涼しい所では夏でも開花する。そのため「四季咲き桜草」と呼ばれることも。株全体に生える白い毛にかぶれの原因となるプリミンという毒素を含むものもある。そのため取り扱いには手袋をつけるなど注意が必要。「マラコイデス」も中国原産。葉や茎に白い粉を付けることから「オトメザクラ(乙女桜)」や「ケショウザクラ(化粧桜)」と呼ばれる。「プリムラの花がゆれて あなたの笑顔重なって」(松下奈緒作詞・歌「プリムラの花がゆれて」の一節)。

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