く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「薬と文学 病める感受性のゆくえ」

2014年02月28日 | BOOK

【千葉正昭著、社会評論社発行】

 著者は1952年宮城県生まれ。高校教諭を18年、仙台高専で助教授・教授を12年務めた。著書に「記憶の風景―久保田万太郎の小説」や「技術立国ニッポンの文学」(共著)など。「薬と文学」なかなかユニークなテーマだが、執筆理由も変わっている。あとがきに①数年前から降圧剤をのむようになった②次男が薬剤師を志していた③薬学や医学研究者も参加した読書会を通じて薬が身近な存在になった――などを挙げる。

   

 著者は読書会で文学研究がどう現代生活に関わりや意義を持つか質問され、返答に窮したことがあったという。そこで「文学についての研究や批評が、現代生活と無縁ではないことを説明するため、その切り口の一つに<薬>を使って説明したい欲求を覚えた」。本書誕生の背景には実はこの欲求があったからだろう。ただ医薬系は門外漢。出版までに6年の歳月を要した。

 本書では有吉佐和子の「華岡青洲の妻」や泉鏡花の「外科室」、松本清張の「点と線」、奥田英朗の「オーナー」など文学作品12点を取り上げた。作品中に登場する麻酔薬やモルヒネ、青酸カリ、抗がん剤、パニック障害などについて多くの専門書に当たり医師や研究者にも取材を重ねて、それぞれの作品の中で重要な役割を果たす薬や病気について掘り下げた。

 「華岡青洲の妻」では青洲が薬草を調合した薬湯をのんで妻加恵が失明する。この薬湯はのちに「通仙散」と呼ばれたもの。筆者は失明について「一つは薬理成分の副作用であり、もう一つは現代社会に当てはめれば治験の問題につながるかもしれない」と記す。猫や犬への麻酔薬の実験は成功していたものの、「青洲自身、人体実験での重篤な副作用までは予知し得なかったといってよい」。

 「点と線」では作品が発表された昭和30年代前半に青酸カリなど毒物・薬物を使った事件が多発し、生産ソーダなど工業品の生産高も飛躍的に増加していたという時代背景に切り込む。リリー・フランキーの「東京タワー」は主人公のボクとがんと闘うオカンの物語。作品中に何度も「ぐるぐるぐるぐる」という擬態語が登場する。「慰めも、希望も、安易に語れないとき、ボクは擬態語の空間に逃げ込む」。ミュージシャン福山雅治がこの物語に共鳴し帯に推薦文を寄せたことも、著者は「この感覚的・感性的な擬態語の多用と無縁ではなかったのではないか」とみる。

 奥田英朗の「オーナー」は発行部数日本一の新聞社の会長でプロ野球チームのオーナーが主人公。たびたびパニック障害に襲われ医師から抗不安薬を処方される。このパニック障害は働き盛りに多く、放置し慢性化するとうつ病に移行することも多い。主人公はその根本的な原因は役職に執着する心ではないかと気づき、第一線から退くことによって快方に向かう。

 12本目として取り上げるのは小説以外では唯一の林宏司脚本「感染爆発」。2008年にNHKテレビで放映されたもので、パンデミック(インフルエンザの世界的大流行)をもたらすウイルスの恐怖を描いた。著者はカミュの「ペスト」と比較しながら、「個人が描き出す社会への関わり方と同時に、ウイルスの恐怖と戦う医療人たちの桎梏と葛藤とを重ね、更に政治がどこまで危機的感染症の防疫に対処出来るかなどを語って興味深い」と記す。「ウイルスもしぶといが、人間も案外しぶといもんだ」。ドラマ最終章での医師の呟きが印象深い。

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<スノードロップ> 清楚な春告げ花、〝マリアの花〟とも

2014年02月25日 | 花の四季

【原産地は欧州~ロシア南部、和名「マツユキソウ」】

 スノードロップの名前はその色と形から「雪の雫(しずく)」または「雪の耳飾り」を意味するという。早春2~3月に小さな純白の花をうつむき加減に咲かせる。草丈は10~20cmほど。1本の茎に1輪の花を付け、日が当たると開き、日が落ちると閉じる。

 原産地はヨーロッパ~ロシア南部のコーカサス地方。日本には明治から大正時代にかけて「ニヴァリス」(英名コモン・スノードロップ)や「エルウィシー」(英名ジャイアント・スノードロップ)が渡ってきた。前者はマツユキソウ(待雪草)、後者はオオマツユキソウ(大待雪草)という和名を持つ。ただ、これらの名前が使われることは少ない。スノードロップは「雪の花」や学名から「ガランサス」とも呼ばれる。

 キリスト教では聖母マリアの花として知られ、2月2日の「聖燭節」には純潔の象徴として祭壇にまかれる。アダムとイブがエデンの園から冬の世界に追放された時、天使が2人を慰めるため雪に息を吹きかけるとスノードロップに変わったという伝説もある。一方で花の色が死を連想させるとして、他人に贈ってはいけない花ともいわれている。

 スノードロップはヒガンバナ科の球根植物。球根はガランタミンという有用成分を含む。アルツハイマーの進行を遅らせたり筋無力症の症状を改善したりする効果があるそうだ。ただ球根にはリコリンという有毒成分も含まれる。口にすると嘔吐や下痢、めまいなどの症状を引き起こすというから取り扱いには要注意。

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<田原本町・鏡作神社> 五穀豊穣を祈願して「御田植祭」

2014年02月24日 | 祭り

【御田植舞・豊年舞に続き農耕神事の〝牛使い〟】

 奈良県田原本町八尾の鏡作(かがみつくり)神社で23日、五穀豊穣を祈願する「御田植祭(御田祭り)」が行われた。祭りは午後1時にスタート、御田植舞と豊年舞が奉納された後、「牛使い」と呼ばれる農耕神事が行われた。牛が暴れるほど慈雨に恵まれ豊作になるという。その後、早苗に見立てた縁起物の松葉が観客の間に放り投げられた。最後には餅・ミカン・菓子などが入った〝御供まき〟もあって、境内は2時間余、多くの参拝客やアマチュアカメラマンでにぎわった。

 

 御田植舞はかわいい小学生の女の子7人も含め18人の女性が笛と歌に合わせて舞った。絣の着物に赤前垂れと蓑笠姿。大人の女性だけで踊った豊年舞には鎌で稲穂を刈る仕草などが織り込まれていた。農耕神事は白装束の男性たちによって行われた。鍬使いや鋤使い、モミまきなどの苗代作業に続いてメーンの牛使いの場面。2人が扮した牛が田の上で暴れ回った末、疲れ果てて倒れ込むと、観客からどっと笑いが巻き起こった。

 

 

     ―― ☆ ―― ☆ ―― ☆ ―― ☆ ――

 鏡作神社 正式名は鏡作坐天照御魂神社で、祭神は天照国照彦火明命、石凝姥命、天児屋根命。古くから鏡鋳造の神として知られ今も鏡やガラス業界から篤く信仰されている。末社として田原本町内に鏡作麻気神社(小阪)、鏡作坐若宮神社(八尾)などがある。

 鏡作麻気神社の説明看板によると「弥生時代、唐古・鍵遺跡で銅鐸など金属鋳造技術集団が、古墳時代、鏡作部に継承され、この鏡作郷の地で金属鋳造が行われてきたのであろう」とし、さらに「現在、大阪府の東大阪を中心とした小阪・今里・八尾で金属加工業界が多いが、この金属加工の人々の先祖は大和の田原本付近だと伝えられ、田原本町にこれら小阪・今里・八尾の地名と共通する事と関係するかもしれない」とあった。

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<世界遺産登録めざし> 「飛鳥・藤原」の魅力を考える奈良講演会

2014年02月23日 | メモ

【かしはら万葉ホールで、登録推進協議会主催】

 世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会(会長・荒井正吾奈良県知事)主催の講演会が22日、奈良県橿原市のかしはら万葉ホールで開かれた。題して「世界に伝えたい 飛鳥・藤原の魅力を考える奈良講演会」。第1部では〝旅する世界遺産研究家〟久保美智代さん(写真㊧)と奈良文化財研究所企画調整部長の杉山洋氏(写真㊨)が講演、第2部ではお二人がパネラーとなって熱いトークを繰り広げた。

    

 「飛鳥・藤原」は天皇を中心とした統一国家「日本国」の誕生の地として世界遺産登録を目指している。2007年に暫定リストに記載され、その年に県と橿原市、桜井市、明日香村で登録推進協議会が設立された。構成資産候補として挙がっているのは藤原京跡や大和三山、飛鳥寺跡、本薬師寺跡、石舞台古墳、高松塚古墳など20件。これまでに今年1月も含め3回、海外から専門家を招聘し登録への課題や意見を聞いてきた。

 久保さんは「世界遺産『飛鳥・藤原』で伝えたいことは何か?」と題して講演した。これまでに357カ所もの世界遺産を訪れている久保さんは、飛鳥・藤原の特徴を「史跡の中に町があること」と指摘。スウェーデンのバイキング時代の都市遺跡「ビルカ」やスペインの「アルタミラ洞窟」などを例に取り上げながら、飛鳥・藤原の課題として①本物を見せる保存方法の工夫②歴史を体感できる展示③訪れてみたくなるレプリカの再現④点在する観光・史料展示拠点の集約――などを挙げた。

 杉山氏は長年カンボジアにあるアンコール遺跡群の中の西トップ遺跡の調査・修復事業に携わってきた。その経験を踏まえ「世界遺産アンコール・ワットからみた飛鳥・藤原」と題して講演した。アンコール遺跡群は1992年の登録と同時に危機遺産リストにも登載された(2004年脱出)。今では年間300万人の観光客が押し寄せ、インフラ整備などが課題になっている。杉山氏は寺院群を中心にしたアンコールと飛鳥・藤原の共通性に触れながら「飛鳥・藤原の〝普遍的な価値〟をどう認めてもらうかが最大の課題。その魅力をもっと世界に発信していく必要もあるだろう」と話した。

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<BOOK> 写真集「世界でいちばん美しい城、荘厳なる教会」

2014年02月20日 | BOOK

【「世界の写真家たちによる美の記録」エムディエヌコーポレーション発行】

 B5判のオールカラー。表表紙を「眠れる森の美女」の城のモデルとなったノイシュヴァンシュタイン城(ドイツ)、裏表紙をヨーロッパ随一の装飾と讃えられる「ヴィースの巡礼教会」(同)が飾る。これらを含め21カ所の城と15カ所の教会を紹介している。

   

 ノイシュヴァンシュアイン城は「騎士道世界への強い憧れを持つルードヴィヒ2世が自身の美意識を満たすためにのみ建てた」という。雪景色のほかアルプスを背に黄葉に囲まれそそり立つ姿も美しい。そのルードヴィヒ2世が生まれたニンフェンブルク城(ドイツ)は20㌶にも及ぶ広大な庭園を持つ。フレデリクスボー城(デンマーク)は湖に浮かぶ小島に建てられた宮殿。今は国立歴史博物館として利用されている。

 ドロモランド城(アイルランド)はネオゴシック様式で、現在はボノやジョン・トラボルタら有名人も滞在する高級ホテルに。アイリーン・ドナン城(英国)はスコットランドで最も美しい古城といわれる。レマン湖畔にあるシヨン城(スイス)は詩人バイロンが「シヨンの囚人」などで歌い上げた。ホーエンヴェルフェン城(オーストリア)は映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの歌」のシーンで背景に使われた。

 このほかに取り上げたヨーロッパの城は八角形のカステル・デル・モンテ(イタリア)、オペラの殿堂になっているオラヴィ城(フィンランド)、11世紀以来増築を繰り返してきたホーエンザルツブルク城(ドイツ)など。ヨーロッパ以外ではチベットのポタラ宮とシリアのクラック・デ・シュヴァリエの2つを紹介している。大きな虹が架かるポタラ宮は実に神々しい。

 教会ではミラノのドゥオーモ(イタリア)、モン・サン・ミシェル城郭修道院(フランス)、ザンクト・ガレン修道院(スイス)、セゴビア大聖堂(スペイン)、アザム教会(ドイツ)、血の上の救世主教会(ロシア)、リラ修道院(ブルガリア)、ブレッド島の聖マリア教会(スロベニア)などを取り上げている。

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<奈良・猿沢池> 護岸点検のため18年ぶり水抜き、アカミミガメ駆除!

2014年02月19日 | メモ

【池の中から大量の酒瓶やラジカセ、携帯、側溝の鉄製ぶた……】

 古都奈良を代表する観光名所の1つ、猿沢池で1996年以来18年ぶりに水抜きが行われている。護岸の点検や清掃、水面下の状態の確認などが主目的だが、奈良県奈良公園室ではこの機会に生態系を壊すミシシッピアカミミガメなど外来種を駆除する方針。これでニホンイシガメなどの在来種や食欲旺盛なアカミミガメの犠牲になっていた鳩たちにとっても安全な環境が戻ってきそうだ。

 

 水抜きは10日にスタート、先週末までにほぼ完了し中央部分に水が残る程度になっている。きょう19日午後には池の点検と同時に奈良市立椿井小学校4年生の環境学習が行われる予定。それに備え18日には投げ捨てられたゴミの回収や水面下の事前調査などが行われた。ゴミの中で目立ったのが日本酒の瓶。回収しても回収しても、すぐにバケツが満杯になっていた。ほかにラジカセやビデオ、ビール瓶、携帯、ハサミなど。酔っ払いが投げ込んだのだろうか、側溝を覆う鉄製のふたもあった。

 

 池に生息していた魚や在来種の亀などはいったん奈良教育大学付属小学校のプールに移し、3月をめどに池に戻す。アカミミガメなど外来種は当初処分の予定だったが、神戸市立須磨海浜水族園が引き取ってくれることに。アカミミガメは夜店などでミドリガメとして売られているが、大きく成長し手に負えなくなって池に放たれたものが増殖したようだ。

 

 前回水抜きした18年前の調査ではまだ在来種のニホンイシガメやクサガメが圧倒的に多かったが、10年前の目視調査では逆にアカミミガメが急増し在来種を大きく上回った。北米原産のアカミミガメは食欲が旺盛で繁殖力が極めて強い。2012年8月12日のブログでご紹介したように、水を飲んでいた鳩を水中に引き込んで溺れさせ、十数匹のアカミミガメが羽根をむしり取って食べる衝撃の場面に遭遇したこともある(上の写真㊨)。

 県奈良公園室では今回の水抜きに合わせ池のほとりのヤナギ並木の復元にも取り組む。猿沢池では池の背後の興福寺五重塔とほとりのシダレヤナギが風情を引き立てていた。だが近年、枯れ死が相次いでおり、かつて30本以上あったのが今ではわずか数本に。根元の樹皮に寄生し養分を吸い取る「ナラタケ病」が原因とみられる。数年後には水面に映るヤナギ並木が復活していることを期待したい。

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<長田光男氏> 大和の獅子・狛犬「圧倒的に多いずんぐりとした〝D型〟」

2014年02月18日 | メモ

【「N型や三角型も」奈良文化財同好会主催の講演会で】

 奈良文化財同好会(会長金澤運氏)主催の講演会が18日、奈良市中部公民館で開かれ、大和郡山市文化財審議会の長田光男会長(写真)が「大和の獅子・狛犬」と題して講演した。長田氏はまず獅子と狛犬の起源に触れた。獅子は始め「釈迦の権威を象徴するとともに釈迦を守護する霊獣としての意味を持った」。その後「獅子一対のもののほかに獅子と兕(じ)という一対が現れた」。「兕」は野牛に似て頭に1本の角を持つ空想的な霊獣。「その形がわが国に伝わって、獅子と対称の位置に配される有角の狛犬という霊獣が造り出された」と話した。

    

 日本で獅子・狛犬の組み合わせが初めて見られるのは平安時代の9世紀になってから。「枕草子」や「栄華物語」などによると、宮中の高御座の守護や魔除けとともに、天皇の権威を象徴する〝瑞獣〟としての役割を果たしたと考えられる。御簾(みす)や几帳のあおり止めのための鎮子(ちんす)としても用いられた。春日若宮神社(奈良市)に伝われる平安後期の銅製狛犬(国宝)も形や大きさ(高さ17.6cm)から鎮子とみられる。

 長田氏は獅子・狛犬を造形上の特徴などから①奈良様②和様③鎌倉様④浪速様――の4つに大別する。奈良様の典型として挙げるのは薬師寺の古式な獅子一対(国宝)。中世以降に多い頭を曲げてこちらを向く造りではなく、前肢を踏ん張りいかめしい表情でまっすぐ前方をにらむ。初期和様の獅子の代表は東大寺南大門の石獅子。1196年、中国・宋から渡来した石工4人が造ったもので、石造の獅子としてはわが国最古として重要文化財に指定されている。

 純粋の和様は「平安後期に至って日本的な美意識に沿って生み出された様式」で、頭を前方に突き出すような姿勢で力を抜いておおらかな雰囲気を漂わせる。その代表として河分神社(黒滝村)や矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市)の木造獅子などを挙げる。鎌倉様は鎌倉中期以降に現れた。動きのある作風や豊かな彩色が特徴。

 ただ現存する獅子・狛犬は江戸時代以降に造られた浪花様が6~7割を占める。その多くが小島屋半兵衛や杉屋和助、丹波佐吉ら大坂の石工たちによって造られた。天明~寛政期(1781~1801)には写実的で個性豊かな大型のものが造られ、享和~文化期(1801~18)になると形式美の追求に力が注がれた。江戸後期に入ると「庶民に親しまれやすい温和なものが多くなるが、美術的価値から遠のくことは否定できない」と指摘する。

 長田氏は側面から見た形状からも6つに分類した。一見四つん這いの姿勢に近い「π(パイ)型」、前肢を垂直に立て背筋を反り返るほど伸ばした「三角型」、ずんぐりとして太く背中を丸めた「D型」、頭を高く上げ尾も高く伸ばした「N型」、尾が太い束になって立ち上がる「U型」、頭を下げ尻を高く持ち上げた「逆立ち型」。長田氏が調べた524件を当てはめた場合、D型が全体の約65%を占め、次いでN型の17%、三角型の14%と続いた。

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<奈良公園雪化粧> 雪の重みで松の枝落下、松葉で飢えをしのぐ鹿たち

2014年02月15日 | アンビリバボー

【奈良県下に24年ぶり大雪警報】

 14日、1990年以来24年ぶりに大雪警報が出た奈良県。奈良公園一帯は銀世界と化し、いつもは多くの観光客でにぎわう東大寺や興福寺、猿沢池周辺も普段より静かだった。この日が最終日だったライトアップイベント「なら瑠璃絵」も雪の影響で中止に。東大寺参道の土産物店や鹿せんべいを売る露天もほとんどがお休み。鹿たちは仕方なく雪の重みで落下した松の枝の細葉で飢えをしのいでいた。

 

 

 

  

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<BOOK> 「勇気をくれる、インドのことわざ」

2014年02月14日 | BOOK

【帝羽ニルマラ純子著、共栄書房発行】

 副題に「幸せをつかむタミル語、ことばの魔法」。著者は法政大学卒業後、日本国籍を取得。その後、13年間にわたって日本企業の海外ビジネス展開、外資系企業の日本市場への参入の橋渡し役として活動し、現在はインドビジネスアドバイザーとして活躍している。

   

 タミル語は22のインド公用語の1つで世界で最も古い歴史を持ち、南インドと北スリランカで使われている。本書では3万以上あるといわれるタミル語のことわざのうち、現在もよく使われている160を選び「学び」「人間関係」「戦略」「愛」など9つの項目に分けて紹介している。各ことわざにはタミル語とローマ字表記、片仮名での発音と日本語の意味を併記している。

 本書執筆の理由の1つとして著者は「カレー、数学、ボリウッド映画など日本人が抱くステレオタイプ的なインドのイメージを残念に思ったこと」を挙げる。「インド人は古代より伝わるスピリチュアルな考え方、成句や哲学的感情、知性などの知恵を重んじていることを忘れてほしくない」。以下に示唆に富むことわざの一部を列挙(カッコ内はその意味)。

与えられた食料と知恵は二日と持たない

五歳で頭を下げない人は五十歳でも頭を下げない

敵からとったココナツを寄付する(その場しのぎの解決方法を選択すると、物事は解決しないばかりか、結果的に事態が複雑になる)

平和のために汗をかけば、戦争で血を流すことはない

賢い猫は魚に目もくれず、タマリンドを食べてみせる(タマリンドはサヤ状の果物。魂胆を隠して何事もないようなふりをする人のことを指す)

おしゃべりは友と敵をつくる

冗談は敵をつくらないが、しばしば友を失う

砂糖を借りに行ったら塩を貸してくれと言われる(誰かに助けを求めたら、その人から逆に助けを求められる。悪い状況がさらに悪くなる)

雨に濡れる羊を狼が哀れむ(悪意を持っている人はあなたを心配しているようなふりをする。どんな思惑を持っているか分からない)

虎がいない町では猫が王(どこかに本当の実力者がいるのに、自分が最高であると思ってはいけない)

静かな川にはワニがいないと考えるなかれ(表面の下に危険が潜む)

五と三があれば無学な少女でも料理ができる(五は胡椒・塩・カラシ・クミン・タマリンド、三は水・火・燃料。全てがそろっていると特別な努力や工夫は必要ない。逆に全てそろうことは滅多にない)

カラスにとってヒナは黄金(黒い羽を持つカラスでも母鳥にとってヒナは黄金に輝いて見える。母親は子どものためにどんなことでもする)

箒(ほうき)に飾りをつける(大金を手にすると、つまらないものにお金をかけ始めることのたとえ)

牛は茶でも黒でも、乳は白(肌の色などによって人に対する態度を変えてはいけない)

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<大和文華館> 企画展「煌めきの美―東洋の金属工芸」

2014年02月13日 | 美術

【中国の唐・宋時代の豪華な銀器など86点】

 奈良市の大和文華館で特別企画展「煌(きら)めきの美―東洋の金属工芸」が開かれている。館蔵品に白鶴美術館と和泉市久保惣記念美術館所蔵の工芸品も加え86点。古くは紀元前の中国・殷と周時代の青銅品から、唐時代の鍍金を施した豪華な銀器、さらに江戸時代の蒔絵の逸品などを通して日本、中国、朝鮮の金工技術の変遷をたどっている。

 

 86点のうち重要文化財が7点。その1つで会場入り口正面に飾られた「鍍金花鳥文銀製八曲長杯」は7世紀の中国・唐時代のもので半円形を連ねた独特の形状。八曲杯はササン朝ペルシャの銀器に起源を持つ。同じ唐時代の「銅製貼銀鎏金双鳳狻貎文(さんげいもん)八稜鏡」(上の写真㊧、部分)は直径15.2cm、厚さ1.2cmのきらびやかな文様。獣形の鈕(ちゅう)を中心にして植物文を背景に鳳凰と獅子を交互に置き、その周りに飛ぶ鳥を配している。

 6世紀の中国・南北朝時代の「細金細粒細工飾金具」9点のうち蓮弁形の3点には羽を広げた金製のセミがかたどられていた。高官が冠飾りとしていたもので、セミは清廉潔白を象徴したという。 鎌倉時代前期作の「金銅蓮華形磬(けい)」(上の写真㊨)は幅15.5cmで蓮華の形。「磬」はもともと中国の石・玉製の打楽器だが、寺院で導師が勤行の際に打ち鳴らしたという。

    

 「沃懸地(いかけじ)青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒」(上の写真㊧、部分)は本阿弥光悦作と伝わる。長さ39.7cm、直径3.7cmの円筒形で、木地に金粉を敷き詰め高蒔絵や金貝の技法を使って20頭余の鹿で飾る。大胆なデザインと華麗な蒔絵が印象的。下絵の作者は光悦の書に多く料紙装飾を描いた俵屋宗達が有力視されている。

 他に、ふくよかな面相と精巧な細工が目を引く「金銅如意輪観音像」(上の写真㊨)や大日如来の周りに坐仏30体を配した小さな「金銅板仏」(いずれも唐時代末期)、法隆寺の夢殿の軒を飾ったとの伝承がある「金銅風鐸」(奈良時代)、紀元前の中国・戦国時代のかんざし「玻璃(はり)飾陶玉簪」なども出品されている。16日まで。

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<BOOK> 『日本国憲法の初心 山本有三の「竹」を読む』

2014年02月12日 | BOOK

【鈴木琢磨編著、七つ森書館発行】

 著者は毎日新聞編集委員。昨年2月、東京の古本屋で『竹』と題した薄っぺらな本が偶然目に入った。著者は山本有三、奥付には発行1948年3月20日、価格65円とあった。ページをめくると「戦争放棄と日本」をはじめ「ロハス大統領と神保中佐」「政治と文化」など7編の時評や随筆。『路傍の石』の作家と憲法はなぜ結びついたのか? 本書は著者のこんな疑問から生まれた。

    

 戦前、売れっ子作家だった山本有三は戦後、政治家として表舞台に立つ。GHQ(連合国軍総司令部)は占領当初、日本語のローマ字化を画策した。これに対し山本は「日本語の問題はわれわれ日本人が解決するから口出しはしないでくれ」と拒否。ただ以前から日本語を平易なものにすべきと考えていた山本は新憲法の口語化を政府に進言した。実際、憲法の前文と第1条、第9条は山本自身が口語体の試案を作成し、政府はこれらを参考に口語体の憲法改正案を作り上げた。

 山本は1946年5月、貴族院議員に勅選されている。時評「戦争放棄と日本」は新憲法が公布されたその年11月3日の翌日、朝日新聞に掲載された。第9条について山本はこう記す。「裸より強いものはない。なまじ武力なぞ持っておれば、痛くもない腹をさぐられる。それよりは、役にも立たない武器なぞは捨ててしまって、まる腰になるほうが、ずっと自由ではないか。そこにこそ、本当に日本の生きる道があるのだと信ずる」。平和憲法への熱い思いと誇りがこもる。

 「ロハス大統領と神保中佐」は1946年の「新潮」8月号に掲載された。神保信彦中佐は陸軍に所属していた山本の親友で、フィリピンでの戦闘中、日本軍の捕虜になったロハス将軍に司令部から銃殺命令が下った。だが将軍の人格と見識に敬意を抱く神保は銃殺を装ってかくまう。その後、中国に転属となった神保は終戦で戦犯として捕らわれの身になった。一方、ロハスは戦後、フィリピン大統領に。ロハスは命の恩人神保の抑留を知るや、蒋介石宛てに助命嘆願書を送った。神保はそのおかげで無罪の判決を受け無事帰国した――。

 「ロハス氏があらたにフィリッピンの大統領に選ばれたというニュースぐらい、近ごろ、私を喜ばせたものはない」と始まるこの一文を、山本はこう結んでいる。「日本軍の残忍な行動は、あまねく世界に伝えられている。しかし、このロハス氏の場あいを思うとき、軍部の中にも、心ある者が全くいなかったわけではない。軍に非人道的な行為のあったことは、謝罪すべきことばもないが、この一事だけは、フィリッピンの人びとに対しても、世界の人びとに対しても、改めて日本を見なおしてもらうよすがになると思う」。

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<ウサギの楽園・大久野島通信第8弾> 雪にもめげず元気なウサギたち

2014年02月11日 | ウサギ「く~にゃん物語」

【食欲旺盛、持参したキャベツ8玉もペロリ】

 広島県竹原市沖の瀬戸内海に浮かぶウサギの楽園「大久野島」。日本列島を寒波が襲った8日、温暖なこの島にも珍しく雪が舞った。ちょうどその日から1泊2日で島を訪れていたウサギ愛好家のK・Iさんご夫妻(関西在住)から、最新の島の様子とウサギの写真が届いた。

 

 今回はウサギの大好物キャベツ8玉とウサギ用のお菓子1箱を持参した。島に到着したのは午後3時すぎ。午前中には真っ白な雪化粧になっていたそうで、ソテツの木の下などあちこちにまだ雪が残っていた。村内唯一の宿泊施設「休暇村大久野島」によると、降雪は2005年以来9年ぶりという。

 

 それでもウサギたちは寒さをものともせず元気いっぱい。キャベツをあげようとすると、冷たい水たまりの中を一目散に走ってくるウサギもいた。相変わらず、みんな食欲旺盛。持参したキャベツとお菓子も2日間ですっかりなくなった。

 島内では300匹ほどの野生ウサギが自然の中で暮らす。今回子ウサギの姿はあまり見かけなかったという。今年も暖かい春になれば多くの子ウサギが生まれるに違いない。そして、ウサギたちとの触れ合いに癒しを求める観光客も増えて〝楽園〟もにぎやかになることだろう。

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<奈良県立美術館> 開館40周年記念名品展「美の世界」

2014年02月10日 | 美術

【上村松園、富本憲吉など約120点】

 奈良県立美術館で開館40周年を記念した名品展「美の世界~近現代美術の40年」が開かれている。所蔵する日本画、洋画、彫刻、工芸作品の中から約120点を選び「日本画の誕生」「洋画の受容」「絵画の展開」「現代美術の諸相」「工芸・デザインの精華」の5つのテーマごとに展示している。3月9日まで。

 

 上村松園の「春宵」(上の写真㊧、部分)は気品にあふれた美人画。料亭の縁側で、仲居が酔いを醒ます芸妓に何か耳打ちする場面を繊細な筆致で描く。凛とした芸妓の表情が印象深い。松園の作品は様々な年齢や職業の女性を描いた「明治初期風俗十二月」も展示中。この作品は1897年頃、松園がまだ22歳前後の修業時代に描かれた。2羽のシギを描いた「月明」は孫の上村淳之の作品。

 竹内栖鳳の作品2点も出品されている。「保津川」(上の写真㊨、部分)は岩を食んで川を下る清流が画面からほとばしる。「烏図」は栖鳳が好んで描いたカラスの作品。金地に墨の濃淡で飛ぶ3羽と羽繕いする2羽を描く。栖鳳の弟子、小野竹橋の「松風」や徳岡神泉の「鯉図」も展示中。小林清親の大判錦絵「隅田川小春凪」や吉川観方の「松嶋屋我童の朝顔」などの木版画も並ぶ。

 

 奈良ゆかりの画家では、浜田葆光(1886~1947)の「水辺の鹿」(上の写真㊧)が雌雄2頭の鹿を明るく力強いタッチで描く。浜田は高知県出身だが、奈良の風光に引かれて移住し鹿の作品を多く残した。普門暁(1896~1972)の「鹿、青春、光り、交叉」(上の写真㊨)はスピード感ある線描で雌雄の鹿を形象化した。自ら立ち上げた未来派美術協会の第1回展出品作。普門は奈良市生まれで前衛美術の魁として活躍した。

 松本秋美(1934~)の「SENRO H」はF150号の大作で第1回浅井記念賞展大賞作。松本は大和郡山市在住で一貫して「線路」シリーズに取り組んできた。レールの間に敷き詰められた無数のバラスト。気が遠くなるほどのその砕石も1つ1つをペンによる細線で描く。どれほどの時間を要したのだろうか。観客の間からも「すごい!」といった声が漏れていた。

 絵画ではこのほか杉本健吉の「春日野 鹿」、須田剋太の「新緑の東大寺」、絹谷幸二の「大和遠望」、辰巳文一の「窯元」、〝フットペインティング画家〟白髪一雄の「十界の内、天・人間界」などの作品も並ぶ。奈良県立美術館は陶芸界の巨匠、富本健吉の作品を現在、陶磁器を中心に143点所蔵。今回はそのうち「白磁八角壷」など10点が出品されている。

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<生駒ふるさとミュージアム> 旧町役場が生駒の歴史・民俗の〝殿堂〟に

2014年02月07日 | メモ

【衣替えオープン、建物は国の登録有形文化財】

 奈良県生駒市に「生駒ふるさとミュージアム」が誕生した。建物は1932年(昭和8年)に生駒町役場の庁舎として建設され、その後、中央公民館に転用されていた。2010年には国の登録有形文化財に指定されている。その内部を改修し郷土資料館として再出発した。

  

 館内は展示室をはじめ郷土情報室、資料閲覧室、企画展示室、研修室、古代の土笛や勾玉を製作できる作業体験室などがある。展示室(上の写真)には遺跡・古墳から出土した土器や埴輪、古文書、民具などを展示。現在展示中のものでは「傘形連判状」「伊勢おかげぬけ参り帳」などの古文書が目を引いた。

 「傘形連判状」(下の写真)は明治維新の最中の1868年(慶応4年)に起きた「矢野騒動」と呼ばれる一揆のときのもの。陣屋役人が年貢の負担増を強いたため、11の村人が連判状を持って長州藩の大坂屋敷に、長州藩支配下の百姓になることを嘆願。その後、長州藩の一隊は陣屋を取り囲んだ村人が見守る中、役人たちの身柄を拘束したという。一揆に参加した11の村のうち7つの村の連判状がこれまでに見つかっている。連判状が傘形なのは「皆平等」を示すとともに「首謀者を隠す狙い」もあったそうだ。

 

 「伊勢おかげぬけ参り帳」は約180年前の1830年のときのもの。ピーク時には1日3万余りの人が清滝街道と交差する小瀬道筋を通ったと書き記されている。江戸時代には60年周期で「お蔭参り(抜け参り)」といわれる伊勢神宮への集団参詣が行われた。1830年はちょうど「文政のお陰参り」の年に当たる。この古文書からも往時のお伊勢参りの盛り上がりぶりが伝わってくる。

 企画展示室では生駒との縁が深い奈良時代の僧行基(668~749年)を取り上げて、国指定史跡「行基の墓」がある竹林寺の軒丸瓦(江戸時代)や「行基菩薩念仏講中掛銭覚帳」(1817~99年ごろ)、「行基菩行状絵伝」(パネル)などを展示中。行基は平城京の菅原寺で生涯を閉じるが、遺言で「生馬(いこま)山の東陵」で火葬にされた。葬られたのは生駒山の東麓にあった生馬院。その立地場所が現在の竹林寺にほぼ一致するといわれている。

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<BOOK> 「まほろばの心」(安田暎胤著、春秋社発行)

2014年02月06日 | BOOK

【薬師寺前管主、日本人の心の復興を願って】

 著者は薬師寺の前管主(現在は長老)。1950年12歳で出家して橋本凝胤師の薫陶を受け、64年に執事長に就任してからは高田好胤管主と共に写経勧進による伽藍復興に尽くした。管主就任は2003年。これを機に「薬師寺二十一世紀まほろば塾」を立ち上げた。そこには日本人の心の復興を目指して高田好胤師が創設した「日本まほろばの会」の精神を継承したいとの思いがあった。

     

 東日本大震災をきっかけに人と人との絆や思いやりの心の大切さが見直された。ボランティア活動に参加する若者も増えた。だが著者は「そうした精神状態がいつまで持続できるかが問題」と指摘する。タイトルの「まほろばの心」とは? 著者は「人間の尊厳性を高める理想的な心である」とし、感謝の心・慈悲の心・敬いの心・赦しの心・和の心・忍の心・柔軟な心など合計16の心について「いつの時代にあっても、人間として相応しい心の持ち方」を説く。

 『赦しの心』では「怨みに報いるに怨みをもってしては、怨みの已むことはない」(法句経)という釈迦の教えとともに、松本サリン事件の被害者でありながら加害者の死刑囚を「さん」付けで呼ぶ河野義行さんの言葉を紹介する。「恨む行為そのものが楽しいかと考えると、面白くないし、エネルギーも要るし、何のメリットもない。そういう生き方は、損得で言ったら絶対そんだよな、っていうのが私の結論」。

 『忍の心』では養父の暴力で両腕を失った大石順教尼を取り上げ、鳥かごのカナリアを見て詠んだ短歌を紹介する。「口に筆執りて書けよと教えたる 鳥こそわれの師にてありけり」。『信ずる心』の中で紹介するのは結核やがんなど数々の病魔に苦しんだ作家の三浦綾子さん。キリスト教徒の三浦さんは「神様は私を導くために、このような病気を与えてくださっている。神様は私を特別にひいきしてくださっている」と病を甘受し、苦しみを安らぎに変えた。このほかプロ野球の王貞治選手や松井秀喜選手たちのエピソードも出てくる。

 著者は漢字そのものの構成からも教えを説く。例えば『和』。この字のノ木偏は「お米であり食べ物を意味する。口に食べ物が入れば和が保てる」として「できるだけ一家団欒の時間を持つことが、一家の和を保つのに必要」と指摘する。争いに三水偏の『浄』は「燃える火のような争いに水を注げば争いは収まり平和になる……清浄心は汚れた心を美しくする」。刃の下に心と書く『忍』では、刀の刃が熱いうちに鍛えるほど切れ味が鋭くなるように「心も若い時代に鍛錬することによって強靭になる」と説く。

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