く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<祇園祭㊦> 稚児は神の使い 強力(ごうりき)に担がれ地に足着けず

2012年07月16日 | 祭り

【山鉾巡行で〝注連縄切り〟の大役】

 17日の山鉾巡行では長刀鉾が山鉾32基の先頭に立つ。古くから〝くじ取らず〟で先頭と決まっているのだ。この他のくじ取らずは函谷鉾(5番)、放下鉾、岩戸山、船鉾、橋弁慶山、北観音山(21~25番)、南観音山(29番)。その間に月鉾(9番)、菊水鉾(13番)、鶏鉾(17番)なども加わり、「コンチキチン」のお囃子に乗って約4時間の巡行絵巻を繰り広げる。2年後の2014年に鉾として150年ぶりの復帰を目指す大船鉾が「唐櫃(からびつ)巡行」の形で最後の33番目に参加するのも今年の見どころの一つだ。

 鉾の屋形には音頭取りと囃子方総勢約40人のほかに神の使いとして稚児が乗る。以前はほとんどの鉾に生稚児(いきちご)が乗っていたが、今では長刀鉾だけ。他の鉾では稚児人形が代役を務める。巡行は午前9時、長刀鉾の稚児による〝注連縄(しめなわ)切り〟でスタートする。結界を表す注連縄を切り落とすことで、各山鉾は神域に入っていくことができるというわけだ。

 

【身の回りの世話などは全て男性が担当】

 今年稚児に選ばれたのは同志社国際学院初等部4年の福井正賢君(10)。例年の慣わしに従って13日八坂神社に社参、神の使いである「五位の少将」の位を授かった。この時点から公式の場では地に足を着けず、馬や強力(ごうりき)と呼ばれる男性の肩に乗って移動してきた。巡行当日も肩に乗って鉾の上まで昇る(写真は数年前撮影)。神の子、稚児が穢れないように地に足を着けないように大切に扱われるのだ。

 同様の風習は、祇園祭以外の祭りや神事でも多く見られる。和歌山県・熊野本宮大社の「湯登神事」、兵庫県高砂市・曽根天満宮の「一ツ物神事」、愛知県東栄町の「花祭」など枚挙に暇がない。静岡県森町の「遠州森のまつり」では舞を奉納した男女児を屋台正面に乗せ親元に返す〝舞児還し(まいこがえし)〟が祭りのハイライトにもなっている。

 祇園祭の稚児にはその他にも長い伝統から生まれた様々なしきたりがある。食事の前には必ず火打ち石で清める。身の回りの世話は男親の担当。化粧や衣装の着付け、舞の指導など祭りに関わる諸事は〝稚児係〟の男性たちが一切の面倒を見る……。要するに、13日の社参の儀から17日の巡行当日までは、母親も含め女性とは距離を置いた生活が続くというわけだ。巡行後、八坂神社での「お位返しの儀」によって、稚児は初めて役目を解かれる。

【女性が囃子方として乗り込む鉾や曳山も】

 長く「女人禁制」といわれてきた祇園祭だが、変化の兆しも表れてきた。かつて女性が曳き綱を触るのはご法度といわれた時期もあったが、今では曳き初めにも男女を問わず参加できる。綱を引くと1年間の厄除けになるという。函谷鉾(写真㊨)や曳山の南観音山(写真㊧)などでは10年ほど前から囃子方として女性も巡行に加わっている。ただ、16日の宵山まで男女を問わずに鉾内部を公開するところがある一方で、長刀鉾や放下鉾のように今も鉾内部への女性の立ち入りを認めていないところもある。

 

 2週間後の29日(日曜)、女性だけでつくる「平成女鉾清音会(さやねかい)」が八坂神社境内で祇園囃子を奉納する。「平成女鉾」は高さ20m、総重量10トン。京都の経済界や市民の支援を受け、1996年、5000万円をかけて建造した。祇園祭の巨大な鉾と比べても遜色のない本格的な規模だ。この間、函谷鉾のべテラン囃子方の指導で祇園囃子の練習も積んできた。その成果を披露するため、毎年、祇園祭の終番に八坂神社に奉納してきた。

【巡行参加を目指す女性だけの〝平成山鉾〟】

 清音会の最終目標は山鉾巡行への参加。だが、平成女鉾ができてすでに16年になるが、その目標は実現できていない。反対派の論拠は、祇園祭は町単位で支え合い、男性が司る厄除け神事ということ。だから女性によるイベント的な団体の参加は認められないというわけだ。そんな中で、清音会は5年前、インターネット上に「平成女鉾町」という仮想山鉾町を立ち上げた。

 女人禁制の慣習はいつごろできたのだろうか。祇園祭では室町時代、鉾の上で「女曲舞(くせまい)」という芸能が行われ、鉾に女性が乗っている屏風絵も多く残っているという。ということは〝不浄〟や〝穢れ〟を理由に女性が遠ざけられたのはそれ以降ということになる。最初から女人禁制ではなかったわけだ。

 1000年以上の伝統を誇る祇園祭もいくつもの大きな節目があった。神輿渡御に伴う付随的なものだった山鉾巡行の独立、生稚児の人形化、祇園御霊会から祇園祭への名称変更、前祭りと後祭りの一体化……。時代に応じて姿かたちを変えてきたということだろう。平成女鉾が山鉾巡行に加われば、祇園祭もより一層魅力を増し盛り上がるのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

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