く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<奈良県立美術館> 企画展「絵画のたのしみ 所蔵名品展≪冬≫」

2022年11月27日 | 美術

【大橋コレクションの白髪一雄作品など約100点】

 奈良県立美術館は近鉄奈良駅から登大路を東へ徒歩数分の至便の場所にある。11月26日は「絵画のたのしみ」と銘打った企画展「所蔵名品展≪冬≫」の初日(のはず)。いつものように県文化会館前の並木道を通って美術館に向かった。すると、建物全体が工事用のシートで覆われているではないか。えっ、休館? まさか! よく見ると右上に赤字で「開館中」。やれやれ。館内に入るとこんな「お知らせ」が掲示されていた。「屋上防水・軒裏改修工事のため、工事音・振動が発生する場合があります」

 企画展での主な展示品は1950~70年代の前衛絵画を中心とする“大橋コレクション”。このコレクションは関西の実業家として活躍した大橋嘉一(1896~1978)が収集した作品群で、遺族から約2000点の作品が大阪の国立国際美術館と母校の京都工芸繊維大学、奈良県立美術館の3カ所に分割して寄贈された。県立美術館はうち500点余を収蔵しており、今回はコレクション以外の館蔵の作品も一部加え104点を展示している。(下の写真は白髪一雄の『作品』1963年頃)

 同館の大橋コレクションは白髪一雄(1924~2008)の作品がほぼ4分の1の120点を占めていることが大きな特徴。白髪は1955年に前衛集団「具体美術協会」に参加し、天井からぶら下がって素足で絵具を塗りつける“フットペインティング”という大胆な手法で注目を集めた。今回の企画展は5章で構成し、「画家とコレクター:白髪一雄と大橋嘉一」と題した第1展示室に白髪作品30点を集めて展示している。

  

 会場に入って最初の展示作品が1973年作の『喜』(上の写真)。裏面には「大橋嘉一博士の御喜寿をお祝いして」と記されているそうだ。フットペインティングの作品は単に『作品』として展示されているものが多い。ただ『波』シリーズや『ハイウェイ』『重なる二つの赤い扇』などと題した作品も。白髪は1971年に比叡山延暦寺で得度しており、70年代には密教をテーマにした作品の制作にも力を注いだ。会場には『竹生嶋(ちくぶしま)』(下の写真)や『十界の内、天・人間界』『諸仏舌相』などの作品も並ぶ。

 第2展示室のタイトルは「1950~60年代:様々な前衛」。関西ゆかりの須田剋太(1906~90)や津高和一(1911~95)に加え杉全直(1914~94)、難波田龍起(1905~97)、前田常作(1926~2007)、イタリアのロベルト・クリッパ(1921~72)ら内外の作家を取り上げる。第3展示室は「彫刻家が『描く』」をテーマに、2人の彫刻家が彫刻作品の構想段階で描いたドローイング(素描)を展示している。一人は大橋コレクションから豊福知徳(1925~2019)、もう一人はそれ以外の館蔵作品から奈良ゆかりの柳原義達(1910~2004)。

 第4展示室では女性作家を取り上げる。国際芸術展ヴェネチア・ビエンナーレに日本の女性作家として初めて出品した江見絹子(1923~2015)、前衛女性画家の草分け的存在だった桂ゆき(1913~91)……。大橋コレクション以外では田中敦子(1932~2005)の色彩豊かな円と線が絡み合った大作『90E』(下の写真)を展示中。田中は白髪一雄らと「具体美術協会」に参加し、奈良県明日香村にアトリエを構えて制作を続けた。

 第5展示室は既成の日本画壇に飽き足らず革新的な日本画を目指した作家たちに焦点を当てる。岩崎巴人(1917~2010)や上田臥牛(1920~99)、小野具定(1914~2000)、野村耕(1927~91)らだ。岩崎巴人の作品『魚族』は画面中央に描かれた鋭い歯を持つグロテスクな魚の描写が印象的。この作品を見るうち『さかなクンの水族館ガイド』(ブックマン社発行)に載っていた怖そうな面構えのオオカミウオの写真が頭をよぎった。企画展の会期は12月25日まで。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ウメモドキ(梅擬)> 赤い実は野鳥の大好物

2022年11月23日 | 花の四季

【庭木や実もの盆栽としても人気】

 モチノキ科モチノキ属の落葉低木(高さ2~3m)。本州・四国・九州の山地の湿地に自生し、国外では中国南部などにも分布する。雌雄異株。6月ごろ、葉の付け根に直径3~4㎜の淡紫色の小花が群がって咲き、雌株は秋になると直径5㎜ほどの果実が赤く熟す。花はごく小さく目立たないが、赤い実は美しく落葉後も長く残って寒い時期に彩りを添えてくれる。このため庭木のほか盆栽や鉢植え、生け花の花材としても人気。実はヒヨドリなどの野鳥の大好物でもある。

 和名は葉の形や枝ぶりがウメに似ていることから。学名は「Ilex serrata(イレックス・セラタ)Thunb.」。属名はholly(ホーリー=西洋ヒイラギ)またはholly oak(ホーリー・オーク)のラテン古名に因む。種小名セラタは「鋸歯のある」を意味し、葉の縁にギザギザの小さな鋸歯があることを表す。種小名の後ろの「Thunb.」は学名の名付け親、スウェーデンの植物学者カール・ツンベルク(1743~1828)の略称。江戸時代中期に長崎・出島の商館付き医師として来日し、滞在中に多くの植物標本を収集した。

 ウメモドキには近縁種や変種、栽培品種も多い。果実は赤のほか白や黄色のものもあり、それぞれ「シロウメモドキ」「キミノウメモドキ」と呼ばれる。「ミヤマ(深山)ウメモドキ」は細長い葉の形から「ホソバウメモドキ」という別名を持つ。学名は「Ilex nipponica Makino」。「フウリン(風鈴)ウメモドキ」は枝から垂れ下がる長い果柄の先に実を付ける。この2つはいずれも日本固有種だが、多くの地域で絶滅危惧種や準絶滅危惧種になっている。ウメモドキは晩秋の季語。「大空に風すこしあるうめもどき」(飯田龍太)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<「よみがえる川崎美術館」展> 新たに国宝「宮女図」など展示!

2022年11月16日 | 美術

【「春日宮曼荼羅」や北斎「渡船山水図」も】

 神戸市立博物館で開催中の開館50周年記念特別展「よみがえる川崎美術館―川崎正蔵が守り伝えた美への招待」の会期(1015日~12月4日)も余すところあと約20日間。1115日には一部展示替えで国宝『宮女図』や葛飾北斎最晩年の作『渡船山水図』、南北朝時代の『春日宮曼荼羅』などの展示が始まった。通期で展示中の狩野派の煌びやかな屏風や円山応挙の襖絵などとももう一度対面したい。というわけで再度博物館を訪ねた。(写真は川崎正蔵の肖像画から)

      

 国宝『宮女図(伝桓野王図)』(個人蔵)=下の写真、部分=は14世紀の中国・元時代の文人画家銭舜挙の作と伝わる。男装姿の女官を繊細な線で描いた作品。中国人物画の名品といわれ、足利義政が所蔵した東山御物として長く足利将軍家で愛蔵されたという。2階第3会場の出口そばに、川崎正蔵が「命の次に大切な作品」として愛蔵した『寒山拾得図』に代わって展示されている。かつての川崎コレクションの中で国宝に指定されているのはこの『宮女図』と中国・南宋時代の直翁筆『六祖狭担図』(大東急記念文庫蔵)と『千手観音像』(東京国立博物館蔵)の3点。『六祖狭担図』は今展で1122日からの公開が予定されている。

 

 15日から展示が始まった葛飾北斎の『渡船山水図』(北斎館蔵)は北斎88歳のときの作品。緑の木々が生える岸壁の近くの水面を2艘の小船が進み、画面上部奥に白と藍色で描かれた険しい山が聳える。ゆったりと時が流れるような幻想的な情景は北斎の心境を表しているかのようだ。『春日宮曼荼羅』(MAO美術館蔵)は約700年前の春日大社の境内の様子を描いたもので、一の鳥居から画面上方に参道が伸び本殿や若宮社に至る。神体山の御蓋山の山頂には神鹿、その上部には春日の神と本地仏が描かれている。画面の左下には今は塔跡だけが残る東西2つの五重塔も。この曼荼羅の隣には興福寺の祈雨修法の本尊として約580年前に製作された巨大な『最勝曼荼羅』(奈良国立博物館蔵)も展示されている。

 通期展示の伝狩野孝信筆『桐鳳凰図屏風』(林原美術館蔵)の右隣には雲谷派筆『韃靼人狩猟図屏風』に代わって、会期途中の11月8日から狩野探幽筆の『桐鳳凰図屏風』(サントリー美術館)=下の写真=が展示中。6曲1双で、右隻には金地に雌雄の鳳凰が雛を挟んで寄り添う場面、左隻には優雅に飛翔する鳳凰を別の1羽が岩場から見上げる場面が描かれている。この屏風も1902年の明治天皇の神戸行幸の際に制作された屏風5点のうちの一つで“名誉の屏風”と呼ばれている。

 1115日からの展示替えでは藝愛筆の『梔(くちなし)に双雀図』(京都国立博物館蔵)や同じ藝愛筆の『芦に蟹鯉図』など4点(個人蔵)、狩野山楽筆『芙蓉図』(個人蔵)、伝白良玉筆『観音図』(個人蔵)、伝王李本筆『雪中花鳥図』(東京国立博物館)、因陀羅筆・玉室宗珀賛『寒山図』、伝夏珪筆『風雨山水図』なども新たに展示されている。前回見学したのは1028日。今回も同じ平日の午前中だったが、観客が以前にも増して多く特別展の注目度の高さを表していた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<高島屋史料館> 「獅子図」下絵と刺繍作品を同時展示!

2022年11月12日 | 美術

【企画展「画工画」の第Ⅱ部スタート】

 高島屋東別館(大阪市浪速区日本橋)の高島屋史料館で、企画展「画工画(がこうえ)―明治の画工、世界に挑む」の第Ⅱ部(12月19日まで)が始まった。高島屋は明治中期から大正時代にかけ屏風や壁掛けなどの美術染織品の海外輸出に力を注いだ。企画展はそれらの下絵を描いた当時“画工”と呼ばれた画家たちに焦点を当てたもの。第Ⅰ部「高島屋の画室」に続く第Ⅱ部は「下画(したえ)と染織品」と題して展示作品を全面的に入れ替え、下絵をもとにした刺繍作品や手描き友禅も展示している。

 見どころの一つが雌雄のライオンが描かれた『獅子図』。日本画家の神坂松濤の下絵と、刺繍師(ぬいし)がその下絵をもとに丹念に縫い上げた刺繍絵画(上の写真)が横並びに展示されている。下絵の原画は1900年代の初めにハンガリーの画家が描いた『獅子雌雄図』。刺繍絵画(作者未詳)は染め分けた絹糸の色の濃淡のみで立体感を表している。

 ライオンの刺繍作品は高島屋の「輸出製品記録写真集」で複数の類似作品が確認されているという。当時人気のあるモチーフの一つだったようだ。会場にはビロード友禅の『ライオン』(上の作品=部分)と『山水図』も展示されている。ビロード地に絵を描き染色後、表面を毛羽立たせることで立体感や遠近感を表現した。ビロード友禅は刺繍と並ぶ有力な輸出製品として盛んに製作された。

 下絵と製品の手描き友禅が同時に展示されているのも今回の見どころ。両方がそろって現存しているものは数少ない。下絵は写実的な花鳥画で知られる日本画家今尾景年が描いた『南瓜・豆に鶏図』(上の作品=部分)。これをもとに友禅師村上嘉兵衛が色鮮やかに再現した。こちらの友禅の作品名は『畑に遊ぶ鶏図』。村上嘉兵衛の友禅の作品は他にも『芥子(けし)に鶏図』(下の写真㊤=部分、下絵は岸竹堂)、『桜花雉子図』(下の写真㊦=部分、下絵は幸野楳嶺)の2点も展示中。

 岩崎嘯雲のテーブル掛けの下絵『魚網』(下の写真㊤=部分)は大きな円形の網に魚やエビなどを描いた大胆な構図が目を引く。5匹の猿の表情が愛らしい下絵の『藤豆群猿図』(下の写真㊤=部分)、満開のピンクのバラが美しい『薔薇図』、花びらが和紙のように繊細な『罌栗(けし)図』、刺繍作品の『馬の繪』(いずれも作者未詳)なども展示している。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<平城宮いざない館> 特別展「のこった奇跡 のこした軌跡」

2022年11月08日 | 考古・歴史

【第1次から近年の621次発掘調査までを振り返って】

 平城宮跡歴史公園(奈良市)の平城宮いざない館で、特別展「のこった奇跡 のこした軌跡」が開かれている(12月11日まで)。発掘・保存活動に取り組んできた奈良文化財研究所の70周年と平城宮跡史跡指定100周年を記念した催し。平城宮の発掘調査は奈文研発足3年後の1955年から本格的に始まった。特別展ではこれまであまり紹介されていなかったその第1次調査や、昭和の初めから断続的に調査が続く「東大溝」の最新の第621次調査の成果などを出土品やパネルで紹介している。

 第1次の調査地区は第二次大極殿の東南隅で、古墳時代の蓋形(きぬがさがた)埴輪や奈良時代の須恵器、土師器などの食器類、「修」や「理」の文字が刻まれた軒丸瓦などが出土した(写真)。刻印瓦は平城宮内の建物などの修理を担当した役所「修理司」に関わるものとみられる。1960年代前半には宮跡の一部で鉄道操車場の建設計画や国道バイパス事業が浮上。それらに伴う発掘調査で注目すべき大発見があり、全国的な宮跡保存運動が巻き起こった。

 

 平城宮跡西南の調査では宮を囲む築地大垣を初めて確認、同時に井戸が5基も見つかった。井戸枠の板は1枚が幅0.5m、長さ1.5mで、いずれも逆S字形の双頭渦巻き文が描かれていた(写真㊨出土品、㊧復元品)。それらのサイズやデザインは平安中期に編纂された『延喜式』の「隼人(はやと)の楯」に関する記述とほぼ一致する。楯は南九州出身者によって平城宮の警備や儀式に用いられていたものとみられ、それが井戸枠に転用されていたわけだ。この隼人の楯は奈文研のシンボルマークにもなっている。バイパス事業に伴う発掘では平城宮の東張り出し部(東院)の発見につながった。

 1963年の天皇の住まいがあった内裏北側のゴミ捨て穴(SK820)からは約1800点の木簡(2018年に国宝指定)とともに多くの土器や木製品が見つかった。その中には「鳥食入器」や「鸚鵡(おうむ)鳥坏」などと書かれた墨書土器があった(上の写真)。内裏で飼われていた鳥たちの餌入れとして使われていたようだ。平城宮跡からはこれまでに鬼瓦が608点も出土している。展示中の鬼瓦のそばに「一遺跡の出土数としては全国でも断トツ。平城宮跡は日本の鬼瓦の聖地ともいえるのだ」という解説が添えられていた。

 東大溝(SD2700)は宮跡東側を南北に貫くもので、最初に見つかったのは1927年。以来断続的に調査が続けられてきた。最新の第621次調査(2020~21年度)でも大量の土器が出土し、築地塀の下側で東大溝に雨水を流すための木樋と石組みの暗渠も見つかった。特別展では新たに出土した土器類を展示するとともに、木簡など木製品の水洗作業の様子などをビデオで放映している。(ちなみに東大溝のアルファベットSDは「溝」を表す。SAは塀、SBは建物、SEは井戸、SKは廃棄土坑のこと)

【地下の正倉院展~木簡に「親王」「奈良京」「倭歌」】

 平城宮跡資料館で開催中の「地下の正倉院展―平城木簡年代記」は後期展示期間(~11月13日)に入った。新たに展示中の木簡は国宝4点を含む28点。その中には長屋王を「親王」と記したアワビの荷札や、遷都当初の平城京が「奈良京」(読みはおそらく「ならのみやこ」)と呼ばれていたことを示す木簡、万葉仮名で「倭歌壱首……」と和歌が記された木簡(写真)なども。不要になった文書箱の蓋を利用して、油の使用量と用途を記録した木簡も展示されている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<にじいろ吹奏楽> 奈良県内の26バンドが熱演!

2022年11月06日 | 音楽

【全国大会出場控えた生駒市立の3小学校も】

 奈良県内の小中高校の吹奏楽部や市民吹奏楽団が日頃の練習成果を披露する演奏会「にじいろ吹奏楽」が11月5日、奈良県文化会館(奈良市)で開かれた。奈良県みんなでたのしむ大芸術祭実行委員会、奈良県吹奏楽連盟などの主催。県内各地から26バンドが結集し、約8時間にわたって次々と迫力いっぱいの演奏を繰り広げた。

 演奏会は午前10時半、畝傍高校吹奏楽部の演奏からスタートした。司会はラジオやテレビでDJやリポーターとして活躍中の向井亜季さんと、市民楽団セントシンディアンサンブル代表・指揮者の福島秀行さん。長丁場の演奏会のため昼すぎに出かけ午後2時半スタートの生駒高校から終演の生駒中学まで約4時間演奏に耳を傾けた。

 県内の市町村では生駒が吹奏楽の盛んな地域として有名。それを示すようにこの日出演した26バンドのうちほぼ3分の1の9バンドが生駒に拠点を置く。しかも生駒市立の3つの小学校は今月11月19日大阪城ホールで開かれる「第41回全日本小学生バンドフェスティバル」にそろって出場する。あすか野小学校ブラスバンドと俵口小学校金管バンド、桜ケ丘小学校ハーモニックバンドクラブ。関西から全国大会に駒を進めた4校のうち3校を奈良県勢、しかも生駒市だけで占めるのだから「すごい」としか言いようがない。

 すごいのは小学生だけではない。この日の演奏会を締めくくる生駒中学は全国大会で1988年以来、たびたび金賞を受賞してきた全国屈指の実力校。つい先日10月22日に名古屋で開かれた「第70回全日本吹奏楽コンクール」でも金賞に輝いた。これで2019年から新型コロナで中止だった20年を挟んで3回連続の金賞。実はこの日演奏会の後半に合わせ出かけたのも、生駒勢を中心とする吹奏楽の醍醐味を改めて味わいたいとの思いからだった。

 あすか野小学校ブラスバンドは創部29年目。この日は映画「BRAVE HEARTS 海猿」の音楽などを演奏、トランペットの伸びやかな響きが印象的だった。続いて登場した俵口小学校金管バンドは創部36年目。ロバート・スミス作曲の難曲「ダンテの神曲」に続く2曲目はがらっと変わって「ひょっこりひょうたん島」だった。目を瞑って聴くと「これが本当に小学生?」と思わせるダイナミックな演奏。司会の向井さんも指摘していたように「力強い演奏と可愛らしさのギャップ」が印象的だった。

 桜ケ丘小学校ハーモニックバンドクラブは全日本小学生バンドフェスティバルで昨年に続き2年連続の金賞を狙う。この日の演奏会は10月に加わったばかりの3年生の新入部員15人にとっては初舞台。横一列になって先輩たちの「花まつり」の演奏に合わせて踊っていた。この後、全日本での演奏曲も披露した。

 最後に生駒中学が登場すると、前列のご夫婦とみられる二人のうち男性が何度も右手を大きく振っていた。多分舞台にお嬢さんがいるのだろう(大半が女生徒だったので)。分かる、その気持ち。全国大会で金賞に輝いた自慢のバンドのメンバーなのだから。演奏曲も金賞受賞曲「ジェネシス」と「陽が昇るとき」だった。その迫力満点の大音量と美しい響きが織り成す名演奏に、会場からは拍手が鳴り止まなかった。彼らの演奏を聴くうち、10年前の2012年秋「いこま国際音楽祭」で、フルートなどのソリストと共演した小中学生たちのブラスバンドの演奏を聴いたときの感動が蘇ってきた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<万葉植物園> 春日古楽保存会「奉納演奏会」

2022年11月04日 | 音楽

【春日若宮の造替と創立90周年を記念し】

 春日大社の万葉植物園(奈良市)で文化の日の11月3日、春日若宮の式年造替を祝う「奉納演奏会」が開かれた。主催は古典芸能の保存に取り組む春日古楽保存会で、会の創立90周年記念を兼ねた催し。植物園の中央にある池に設けられた浮舞台で、約1時間半にわたり春日大社に古くから伝わる田楽と細男(せいのお)、舞楽が演じられた。

 春日古楽保存会は1932年に春日大社を中心として雅楽、田楽、細男などの保存・伝承を目的に発足。その後、雅楽部門が「南都楽所(なんとがくそ)」として独立した。奉納演奏会は午後1時にスタートした。最初に演じた田楽座は「春日若宮おん祭」(毎年12月開催)で行われる芸能のうち最も興福寺と深い関係のある芸能集団といわれる。

 田楽の起源については神に五穀豊穣を祈る舞、農耕を慰労するための所作など諸説ある。この日は笛や太鼓、小鼓の音に合わせ『中門口』『刀玉』『高足』『もどき開口』『立合舞』などの演目が次々に演じられた。演者は紅色の華やかな装束に平べったい朱色の綾藺笠(あやいがさ)。その中でひときわ目を引くのが、高い下駄を履いて赤い鳥居や花や人形で飾られた大きな花笠を頭上に載せた笛役の男性。人形は伝統工芸「奈良一刀彫」の起源といわれている。

 続いて舞台に上がったのは細男座(せいのおざ)の舞人6人。全身、浄衣という白い装束姿で、目の下にも白くて長い布を垂らす。演じる細男舞は神功皇后の故事に因む。伝説によると、筑紫の浜である老人が「細男を舞えば磯良(いそら)と申す者が海中より出て、千珠・満珠の玉を献上す」と言ったのでこれを舞わせたところ、磯良が出てきたが顔に貝殻を付いていたので覆面をしていたという。

 舞人6人は小鼓、笛、袖役がそれぞれ2人ずつ。まず袖役2人が小鼓と笛の音に合わせ、袖で顔を隠しながら前屈みの姿勢で歩を進める。続いて小鼓の2人が鼓を打ちながら同じようにゆっくり進む。その後も袖・小鼓・袖・小鼓……と続く。その間、右手の笛役2人が笛を吹き続けるのだが、その音には音階がほとんどなく、なんとも心もとない単調な音色。実に神秘的というか、あるいは不思議で滑稽というか。ちらしの曲目解説には「わが国芸能史のうえでも他に遺例のない貴重なもの」とあった。

 舞楽の演目は左舞(唐楽)の「萬歳楽」と右舞(高麗楽)の「延喜楽」。「萬歳楽」は隋の皇帝煬帝が楽工の白明達に作らせたもので、鳳凰が萬歳と唱えるのを舞に表したといわれる。舞人4人は赤い襲(かさね)装束に鳥甲の冠姿。「延喜楽」は908年(延喜8年)に藤原忠房が作曲し、敦実親王が舞を作ったという。舞人は緑色の襲装束。最後に「長慶子(ちょうげいし)」の演奏で、この日の奉納演奏会を締めくくった。

 春日大社の摂社若宮(下の写真)は「大和国の総鎮守」「芸能の神」として信仰を集めてきた。1年半がかりの本殿修理が終わり、10月28日に本殿遷座祭が執り行われた。これを記念し拝舎に至る神楽殿の石段を初公開する特別参拝「八日間初まいり」を11月6日まで行っており、春日大社では11月中の毎土曜日「奉祝万燈籠」として境内の燈籠3000基に浄火を灯す。また11月中、さだまさしやバイオリニスト古澤巌ら、ゆかりの深いアーティストや市民団体による奉納コンサートや芸能奉納が予定されている。奉納コンサートは25日まで続きボサノバの小野リサがトリを飾る(これに申し込んでいたが、先日「落選」の通知が届いた。残念!)。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする