く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈筒井順慶まつり〉 勇壮な僧形⋅武者行列が練り歩く

2024年09月09日 | 祭り

【地元の高校⋅中学の先生や生徒たちが扮して】

 奈良県大和郡山市で9月8日「筒井順慶まつり」が繰り上げられた。地元の「筒井順慶顕彰会」の主催で、今回で21回目。主会場の筒井城跡の広場で多彩なイベントが開かれ、多くの市民でにぎわった。(写真は近鉄筒井駅前で)

 筒井順慶(1549-84)は筒井城最後の城主。筒井城は外堀で囲まれた東西500m、南北400mに及び、平城式城郭の中では大和で最大規模を誇った。しかし1580年、織田信長の命で破却され、順慶は居城を郡山城に移した。

 順慶は山崎の戦いで洞が峠で形勢を眺めていたとして日和見主義者の代名詞のようにいわれてきた。ただ史実は異なり、順慶は実は洞が峠に出陣していなかったという。顕彰会は順慶を「領民第一の徳将」「状勢判断の天才」と讃える。

 順慶まつりは午前10時半、大阪堺鉄砲隊による祝砲でスタート。出陣式などに続いて「僧形⋅武者行列」が近鉄筒井駅前に向けて出発した。これまで市長が務めてきた順慶役は県立ろう学校の校長、嶋佐近役は県立大和中央高校の校長が務め、近隣の学校の先生や生徒たちが家臣などとして参加した。僧形は筒井家が元々興福寺の僧兵出身のため。

 行列の一行は筒井駅前で記念写真を撮って小休止した跡、再び城跡のまつり会場へ。行列帰着後、会場では「やまと獅子太鼓」の演奏や一般参加の水攻め合戦、堺鉄砲隊の実演などが繰り広げられた。近くの光専寺ではまつりに合わせ安置する木造順慶像が一般公開された。

(写真はまつりで曳き回された光専寺の木造順慶像を模した像)

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〈橿考研付属博物館〉 2023年度発掘調査速報展「大和を掘る39」

2024年09月07日 | 考古・歴史

【39回目、県内31遺跡の出土品を一堂に】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で2023年度発掘調査展「大和を掘る39」が開かれている。前年度の発掘調査の成果を出土した遺物やパネルなどで紹介する恒例の展示会。39回目の今展では縄文時代から江戸時代に至る県内31の遺跡を取り上げている。9月16日まで。

[珍しい太鼓形の埴輪が完全な形で!]

 田原本町の宮古北遺跡の周濠から他の様々な形象埴輪と共に見つかった。太鼓形埴輪はこれまでも今城塚古墳(大阪府高槻市)などで3例確認されているが、完形の出土は初めて。大きさは長さが約28㎝、胴部径が約25㎝。中央の穴は「成形⋅焼成のため開けられたものと考えられる」とのこと。遺跡は「宮古平塚古墳」と命名された。

[井戸の中から巨大な大甕を発見]

 奈良市の平城宮跡の南東約2キロの平城京佐京四条四坊~六条三坊の発掘調査で13基の井戸が確認された。大甕が出土したのはその一つの井戸から。須恵器で、石組みの枠内に転落した状態で見つかった。

[法隆寺参道脇の円形の植え込み、実は6世紀の古墳だった!]

 斑鳩町の法隆寺のそばにある駐車場の一角に円形の植え込みがあり、地元では舟塚古墳と呼ばれてきた。直径は8.5mほど。そこを奈良大学の学生が中心になって発掘したら、横穴式の石室が見つかった。副葬品の大刀や馬具、琥珀玉、須恵器や土師器も出土した。6世紀後半の築造とみられる。

[舒明天皇の宮殿跡に掘立柱塀の柱穴列!]

 飛鳥時代の宮殿遺構、飛鳥宮跡(国史跡)には3つの時期の宮殿遺構が重複して存在する。第Ⅰ期は舒明天皇が造営した飛鳥岡本宮。その推定地の発掘で、掘立柱塀の多数の柱穴跡が見つかった。写真は柱抜き取り穴の剥ぎ取り地層。

[若草伽藍の南を区画する溝?]

 聖徳太子が建立した創建法隆寺「若草伽藍」推定跡地の南側の調査で、東西に延びる幅約2m、長さ約16mの溝が確認された。伽藍の南辺を画する溝の可能性が指摘されている。溝からは大量の瓦類も出土。その中には焼けた瓦や壁土片なども含まれていた。

[井戸から浮き彫りされたお地蔵さんの石仏!]

 橿原市の芝ノ前遺跡は14~15世紀を中心とした墓地関連遺構。その発掘調査で新たに煮炊きなどに使う羽釜や甕を蔵骨器とする火葬墓が確認された。同時に石仏や土器が井戸や溝に投棄された状態で多数出土した。中世の墓地が廃絶されていく様子を物語るものとして注目を集めている。

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