く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<天理参考館> 企画展「墳墓の護り手 ―鎮め護り彩る品々―」

2017年04月30日 | 考古・歴史

【死者を邪悪な存在から護る古代中国の魔除けの副葬品70点余】

 世界各地の民俗資料や考古美術を収集・展示する天理大学の付属博物館「天理参考館」で、企画展「墳墓の護り手 ―鎮め護り彩る品々―」が開かれている。古代中国の墳墓で死者を邪悪な存在から護(まも)る〝辟邪(へきじゃ)〟の役割を担った副葬品に焦点を当て、霊獣の置物など70点余(うち20点が初展示)を展示している。会期は6月5日まで。

 

 古代中国の墳墓には角や翼を持った奇獣や霊獣など、怪異な姿をかたどった空想上の動物の埋葬品がしばしば納められた。外界から侵入しようとする邪悪な存在を威嚇し退ける役割を担った守護者として「鎮墓獣」や「辟邪獣」と呼ばれる。北朝時代には人面と獣面の鎮墓獣が墓室の入り口に対で飾られたという。写真㊧の『三彩霊獣』(唐時代)は胴や四肢は牛に似て、顔は龍か麒麟のようにも見え、様々な動物を組み合わせた不思議な姿。写真㊨は『灰陶加彩辟邪』(三国時代)。

 

 空を羽ばたく鳥も古代の人々にとって神秘的な存在と映り、鳥をかたどったものが副葬品としてよく納められた。鳥を神との仲介者、さらに辟邪を持つ存在とみなしたのだろう。写真㊧の『緑釉鳳凰飾九技灯』は後漢時代の墳墓から出土した。写真㊨の『青磁神亭壷』(呉~西晋時代)は高さ48.9cmで、上部の瓦建物の周囲に小鳥や犬、熊など多くの動物や人物が配されている。葬送儀礼の情景を表したものとみられ被葬者の魂を悪霊邪鬼から護る〝依り代〟として副葬したのではないかという。

 

 玉(ぎょく)にも神秘的な霊力が宿ると信じられた。玉を死者の身にまとわせたのもそのためで、遺体の腐敗を防いだり邪悪な存在が体内に侵入するのを防いだりする効果が期待された。西周時代の墳墓から出土した写真㊧の『玉覆面』は、本来は顔に被せた布の上に眉や目、鼻、口、耳などをかたどった玉片を綴じつけたもの。後の漢時代になると全身を玉で覆う金縷玉衣(きんるぎょくい)なども登場した。死者を邪悪な存在から護るものとして香炉(薫炉)もよく副葬された。写真㊨は前漢時代の『鍍金青銅虺龍文(きりゅうもん)香炉』。

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<ウマノアシガタ(馬の足形)> 珍奇な名前は掌状の根生葉の形に由来

2017年04月28日 | 花の四季

【別名キンポウゲ、本来は一重がウマノアシガタ、八重がキンポウゲ!】

 キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草。日本のほか朝鮮半島、中国、台湾に分布し、日当たりのいい山野に自生する。花期は4~5月頃。草丈は40~60cmほどで、まっすぐ伸びた茎が上部で分枝し、それぞれの先端に光沢のある黄色い5弁花を付ける。花径は2cmほど。キンポウゲ科の植物にはトリカブトなど有毒なものが多いが、このウマノアシガタも有毒。汁が皮膚に付くと赤く腫れて水疱ができ、口にすると下痢や嘔吐し呼吸困難を招く恐れもあるという。

 植物名は根際から生える大きな掌状の根生葉の形を馬の足形に見立てた。江戸時代の本草学者、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(1803年)には漢名の「毛茛(もうこん)」として「ムマノアシガタ コマノアシガタ…」などと記されており、古くからこう呼ばれてきたようだ。また『新牧野日本植物圖鑑』(北隆館刊)は「根生葉の周縁が浅く5裂し、裂片が鋭尖形でないから遠目には円形にみえるのでこの名がついた」と紹介している。ただ、植物図鑑の中には「近くでよく見るとあまり似ていない」などと記したものも。実際、植物名を唱えながら葉っぱを熟視してもどうも腑に落ちない。

 一説には和名を書き記す際「馬」と「鳥」の字を間違って「鳥の足形」が「馬の足形」になったという説もあるそうだ。東北地方ではこの植物を「とりのあし」などと呼ぶ地方もあるという。いずれにしろ愛らしいこの花にそんな珍奇な名前は似つかわしくないのではないだろうか。図鑑でウマノアシガタを調べると「別名キンポウゲ(金鳳花)」と紹介したものも多い。本来は一重のものをウマノアシガタ、八重咲き種をキンポウゲというそうだ。青森や岩手などにはウマノアシガタより大型で草丈が1mにもなる「オオウマノアシガタ」がある。

       ☆☆☆  ☆☆☆  ☆☆☆  ☆☆☆

 

 鮮やかな黄花をじっと観察していると、花びらの上に小さな小さなバッタの幼虫がちょこんと乗っていた。体長の割に触角が実に長い。背中の中央には褐色の1本の筋。キリギリスの幼虫には筋が2本入るので、この幼虫はキリギリスの仲間の「ヤブキリ」に違いない。ヤブキリの幼虫は花粉が好きなのか、この時期、タンポポなどの花の上に載っている姿もよく見かける。この小さな命を見ていると、天敵の目をかいくぐって無事に大きくなれよ、と声援を送りたくなる。

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<フジモドキ(藤擬き)> ジンチョウゲの仲間、名前は花の藤色から

2017年04月27日 | 花の四季

【中国原産、別名「チョウジザクラ」、縁起を担いで「長寿桜」とも】

 ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属。中国原産の落葉低木で、日本に渡来したのは江戸時代の初期といわれる。花期は4~5月。花径1cmほどの淡紫色の筒状花を無数に付ける。植物名はフジに似たその花色から。花弁のように見えるのは萼片(がくへん)で、先が4つに裂けて4弁花のように見える。樹高は1~1.5mほどになり、庭園や公園に植栽されるほか、盆栽としても人気を集めている。

 江戸初期の本草学者、貝原益軒(1630~1714)が著した『花譜』(1694年)には「芫花 しけいじゅ」として「藤の花の色に似たり。花ひらく時葉なし。花をちて後葉生ず……紫荊樹といふ」と紹介されている。「芫花(げんか)」は漢名。花や根はアコニチン、ゲンカニンなどの毒成分を含むが、漢方では粉末にした花の蕾が利尿・去痰薬として使われる。芫花は東大寺・正倉院に伝わる『種々薬帳』にも香薬60種の1つとして記されており、奈良時代には既に薬用として中国から伝わっていたことを示す。

 江戸中期の小野蘭山(1729~1810)の著書『本草綱目啓蒙』(1806年)には「フヂモドキ 丁子ザクラ河州 サツマフヂ江戸及仙台 ゲンジサウ丹州」などと記述されている。河州は河内の国、丹州は丹波・丹後。当時から各地で様々な名称で呼ばれていたことが分かる。今でも正式和名のフジモドキより「チョウジザクラ」の別名の方が広く浸透している。これは花の形をスパイスの丁子に見立てた呼び名。ただバラ科サクラ属に同名の植物があるから紛らわしい。フジモドキは縁起を担いで「丁子桜」転じ「長寿桜」の名前でも流通している。

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<唐古・鍵ミュージアム> 春季企画展「弥生遺産Ⅴ 初期調査の遺物」

2017年04月26日 | 考古・歴史

【楼閣の屋根を描いた新たな絵画土器片! 発掘速報展も同時開催】

 奈良県田原本町の「唐古・鍵考古学ミュージアム」で春季企画展「弥生遺産Ⅴ 唐古・鍵遺跡初期調査の遺物~補遺」が始まった。同遺跡は弥生時代を代表する国内有数の環濠集落。これまでに121次の発掘調査が行われ、同町が保管する出土品は優に1万箱を超える。今回の企画展では再整理によって見つかった遺物群も展示中。その中には楼閣の屋根が描かれた新たな絵画土器の破片(写真)も含まれている。

  ⇒ 

 楼閣が描かれた土器片はこれ以前にも3点見つかっている。1992年に渦巻き状の屋根(下の写真)と柱・階段の一部が描かれた2点、そして2000年には高床式の建物の柱と屋根の一部が描かれた1点が出土した。今回の土器片は92年の出土品の再整理中に見つかったもの。大きさは6.1×3.7cmで、屋根とみられる左下がりの13本と柱1本が線刻で描かれている。

  ⇒ 

 田原本町教育委員会は胎土の色や厚さなどから過去に見つかった絵画土器片と同一とみている。ただ異なる斜線の間隔などから、同じ土器に楼閣2棟と寄棟大型建物1棟の計3棟が描かれていたと推測、唐古・鍵遺跡の集落に首長の居館とみられる大型建物を中心に2棟一対の楼閣が建っていた可能性が出てきたと指摘する。出土した土器片4点の傍らには楼閣など3つの建物が描かれた壷の復元品も展示している。一方、一部専門家からは「一つの楼閣を描いたものでは」「中国からの伝聞を基に描かれたのでは」といった異論も出ているようだ。

  

 再整理で見つかったものとして、赤色顔料が付着した土器(上の写真㊧)や土製武器鋳型外枠片、高坏(たかつき)形土製品片なども展示している。また「発掘速報展2017」として、2015~16年度に行った唐古・鍵遺跡の116~121次調査や寺内町遺跡(田原本町)、豊田狐塚古墳(天理市)などの出土品も展示中(写真㊨は豊田狐塚古墳の玄室から出土した須恵器)。会期は5月28日まで。

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<ナシ(梨)> 枝先に桜より少し大きい純白の5弁花5~8輪

2017年04月25日 | 花の四季

【果実は別名「有りの実」、古代から食用とされた貴重な果樹】

 バラ科の落葉果樹。4月頃、枝先に純白の5弁の花を5~8輪ほど付ける。古くから食用とされきた。弥生時代の登呂遺跡(静岡市)からは炭化した種子が見つかっている。日本書紀の持統紀には飢饉に備えてナシやクリなどの栽培を奨励する記述もある。万葉集にはナシを詠み込んだ歌も。「もみち葉のにほひは繁し然れども妻梨の木を手折りかざさむ」(作者不詳)。さらに平安初期の延喜式には甲斐の国などからナシが朝廷に献上されたと記録されている。

 ナシは大別すると和ナシ、洋ナシ、中国ナシに分類される。和ナシのうち二十世紀梨は主産地の鳥取県の〝県花〟になっており、倉吉市にはナシのテーマパーク「鳥取二十世紀梨記念館」(愛称「なしっこ館」もある。ただし最初に実生苗が見つかった二十世紀梨の発祥地は千葉県松戸市で、市内には今も「二十世紀が丘」という地名が残る。1900年代半ばまでその二十世紀と長十郎の時代が長く続いた。しかし、その後は三水(新水・幸水・豊水)をはじめ新高、新興、新世紀、晩三吉などの新品種が栽培され、かつての2大品種のウエートは低下している。

 ナシの語源には諸説ある。果実の中心が酸っぱいことから「中酸(なす)」からの転訛▽白い果肉を表す「中白(なかしろ)」の略▽風があると実がならないから「風なし」から……。ナシは忌み言葉「無し」に通じるからと、果実は逆に「有りの実」とも呼ばれてきた。全国各地には樹齢200~300年といわれる野生種ヤマナシの巨樹がある。「月潟の類産ナシ」(新潟県)は国指定の天然記念物、「稲田のヤマナシ」(群馬県東吾妻町)や「鉢伏のなしのき」(富山県城端町)は県指定の天然記念物になっている。ちなみに歌舞伎界を指す言葉「梨園」は中国・唐の宮廷音楽家養成所の庭にナシの木が多く植えられていたとの故事から。「梨棚の跳ねたる枝も花盛り」(松本たかし)

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<京都地名研講演会> 西崎氏「枕詞『あしひきの』は『峯集(はしひ)きの』か」

2017年04月24日 | メモ

【鏡味氏は「地名と漢字」「アイヌ語地名の復元」をテーマに講演】

 第16回京都地名研究会の講演会が23日、京都市の龍谷大学大宮学舎で2017年度総会後に開かれた。最初に西崎亨氏(武庫川女子大学名誉教授)が「枕詞『あしひきの』は『峯集(はしひ)きの』か」の演題で講演、続いて鏡味明克氏(三重大学名誉教授)が「地名の漢字」と「漢字地名からのアイヌ語地名の復元」の2つのテーマで講演した。

 万葉集など古代和歌に多く登場する「あしひきの」は主に「山」にかかる枕詞とされる。ただ古語辞書には「語義・かかり方未詳」などとするものが多い。西崎氏は冒頭「31音節のうち5音節が全く意味のないものとみなされるのはおかしい」と指摘したうえで試論を展開した。「あしひき」にはこれまで「足引」や「足曳」「足病」「足檜」「葦引」などと表記され、「山の険しさのために足が引きつる」「山裾を長く引く」「植物の葦を採取する」など様々な解釈がなされてきた。

 これに対し、西崎氏は高野山西南院や高山寺などの古い文献の中で「峯」が「ハシ」と訓読みされていたことに着目、さらに「字鏡集」など古辞書に「集」が「ヒク」とも読まれることにも注目した。それらから峯の「ハシ」が「アシ」に変化したと類推したうえで「あしひきは本来『峯が集まる』ことを意味して、『山』にかかるようになったのではないだろうか」と話した。また「足病」と書いてあしひきと読ませる点について「考え直す必要があるのではないか」とも指摘した。

 鏡味氏は講演「漢字地名からのアイヌ語地名の復元」の中で、北海道のアイヌ語地名に多い集落を表す「コタン」と山を表す「ヌプリ」が、アイヌ語地名が色濃く残る東北地方でなぜか見出されない疑問点を掘り下げた。コタンについては東北に多い地名「古館(ふるたて)」が音訓混用で「コタチ」とも読めることに着目して「アイヌ語のコタン地名を吸収したのではないか」とみる。またヌプリについては東北の山名に「~森」「~森山」が多く、「~森」は助詞の「の」を加えて「のもり」と読むものが多いことに着目。「ヌプリとノモリが混乱して、ノモリの中にヌプリが埋没したのではないか」などと話した。

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<マーガレット> カナリア諸島原産、ギリシャ語の「真珠」に由来

2017年04月22日 | 花の四季

【和名は「モクシュンギク」、香川県三豊市・静岡県南伊豆町の花】

 キク科の半耐寒性多年草。原産地はアフリカ北西部のモロッコ沖に浮ぶスペイン領カナリア諸島。17世紀末にヨーロッパに伝わり、主にフランスで品種改良が進められた。このため「パリ・デージー」とも呼ばれる。マーガレットといえば欧米で女性の名前に多いが、語源はギリシャ語で真珠を意味する〝マルガリーテ〟に由来する。花の清楚な美しさからの命名で、春の鉢花や切り花として人気が高い。

 日本には明治時代の終わり頃に渡来した。和名は「モクシュンギク(木春菊)」。株が古くなると下部の茎が木質化し、深い切れ込みが入った葉の形が春菊に似ていることによる。ただ、この名前で呼ばれることはほとんどない。花期は3~7月。一重咲きの白花が一般的で、古くから「好き、嫌い、好き、嫌い……」と花占い(恋占い)に使われてきた。最近は近縁種との交配などで黄や赤、ピンク、オレンジなど色も豊富になり、花の形も八重咲き、ポンポン咲き、半球状の丁子(ちょうじ)咲きなど多彩になってきた。

 国内の主な産地は暖かい香川県や静岡県などで、香川県三豊市では「市の花」、静岡県南伊豆町では「町の花」に制定されている。マーガレットは見頃を過ぎても花弁が落ちないという特徴を持つ。そこに着目した両県の栽培農家は受験生を応援する〝落ちない花〟として、数年前から中学3年生にマーガレットの花束を贈る運動を展開している。「マーガレットの花束抱き笑む幸せ」(伊藤敬子)

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<カワラヒワ(河原鶸)> スズメ大、翼の後方に鮮やかな黄色の紋様

2017年04月21日 | 小鳥たち

【ヒマワリの種が大好物、留鳥だが北海道以北から飛来の冬鳥も】

 今回拙庭にやって来たのはスズメとほぼ同じぐらいのカワラヒワ。翼後方(初列・次列風切羽)の黄色の模様が実に鮮やか。飛翔時にはその黄色の帯が遠目にもくっきりと浮かび上がる。魚の尾ひれのような形の尾羽の一部にも同じような明るい黄色の模様がある。くちばしは太くて短い。ウソやシメ、イカルなどアトリ科の小鳥に共通する特徴だ。

 日本をはじめ朝鮮半島、中国、モンゴルなど東アジアに広く分布する。国内では九州以北のほぼ全域で繁殖する留鳥だが、北海道以北に生息するものは冬鳥として関東以西の暖地に渡り、春にまた繁殖地に戻るものも。北海道では晩秋、河川敷に大集合して群れで南へ渡っていく光景が見られるそうだ。産卵期は3~7月。雛には雄鳥と雌鳥が交代で給餌し、孵化後2週間ほどで巣立つ。

 

 主食はタデやイネ科、アザミ、ヨモギ、タンポポなどの種子。ヒマワリの種も大好物で、庭にやって来た2羽もシジュウカラなどのため庭にまいていたその種をついばんでいた。羽を立ち上げて近くに寄ってきたスズメを威嚇する光景も見られた。国内のカワラヒワ属には他にオオカワラヒワや小笠原諸島に生息するオガサワラカワラヒワ(環境省はレッドリストで絶滅危惧ⅠA類に指定)などがいる。ちなみに日本の伝統色「鶸色(ひわいろ」(明るい萌黄色)はカワラヒワの仲間マヒワの雄鳥の羽毛の色に由来するという。「黄の紋を晒して歩く河原鶸」(櫻井掬泉)

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<ソプラノ藤原のり子さん> 大阪・天満教会で「いざよいコンサート」

2017年04月14日 | 音楽

【日本歌曲を叙情的に「白鳥の歌」「荒城の月」「初恋」「早春賦」など】

 大阪市北区の天満教会で13日「藤原のり子のいざよいコンサート」が開かれた。主催は1995年に梅原猛氏、小松左京氏らの呼び掛けで設立された「藤原のり子の日本歌曲の会」。藤原さんは東京藝術大学音楽学部声楽科卒で、同会を基盤に日本歌曲の素晴らしさをもっと多くの人に知ってほしいとの願いを込めコンサート活動を続けてきた。この日のコンサートは約1年半ぶりで、岡田春恵さん(ピアノ)と三木麻帆さん(シンセサイザー)が伴奏を務めた。

 コンサートは副題に「MIWAKOに捧ぐ」。MIWAKOはコンサート活動を支えてきた姉の丸山美和子さんのことで、ちょうど1年前のこの日に病気で他界した。コンサートに先駆け同教会で「しのぶ会」も開かれた。コンサートは2部構成。第1部ではその姉が大好きだったという『もう春だ』(夢虹二詞・中田喜直曲)で幕開けした。のり子さんが身に着けた緑色のドレスは姉の着物の帯を仕立て直したという。

 

 次いで『埴生の宿』『白鳥の歌』『荒城の月』『津軽のふるさと』と続いた。豊かな声量と伸びやかな高音。歌詞に込められた叙情的な情景が目に浮かぶようだ。日本語の美しい響きにも改めて気づかされた。藤原さんは「じーばーず」という合唱団を結成し、病院や東北の被災地などでも演奏活動を続けてきた。第1部の後半はその「じーばーず」も登場し、最初の『歌ごよみ』では観客と一緒に『どこかで春が』『朧月夜』『村祭』など9曲を続けて合唱した。次いで『むこうむこう』『からまつ』、そして姉美和子さんが好きだったという『翼をください』で締めくくった。

 第2部は華やかなピンクのドレス姿で登場した。皮切りは石川啄木の『初恋』、続いて子守唄2曲、夏川みりのヒット曲『童神(わらびがみ)』と北原白秋の『揺籃(ゆりかご)のうた』。藤原さんは日本歌曲について「西洋の歌曲は愛をテーマにしたものが中心だが、日本の歌曲は花鳥風月を愛で自然の美しさを歌ったものが多いのが特徴。その詩歌にぴったりの音楽が合体して生まれた」と話す。この後の演奏曲は『早春賦』『平城山』そして『落葉松』。これまでのコンサートではこの『落葉松』が締めの曲だったとのことだが、続いて『涙そうそう』を披露した。姉を偲びながらしみじみと歌った後、そっと涙をぬぐう姿が印象的だった。最後の1曲は東北の被災地でも歌った『おひさま~大切なあなたへ』。「♪あなたは私の奇跡 あなたは私の希望~」。藤原さんの明るい笑顔と優しい語り口もあって、ほっこりと心が温まるコンサートだった。

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<バクチノキ(博打の木)> 剥がれた樹皮をバクチで丸裸にされるのになぞらえ

2017年04月12日 | 花の四季

【バラ科の常緑高木、別名「ビランジュ」は誤認によるものとか】

 高さが15mにもなるバラ科サクラ属の常緑高木。本州の房総半島以西と四国、九州、沖縄、台湾の海に近い暖地に自生する。葉は長さ10~20cmの長楕円形。サクラの葉の形とは異なるが、葉柄の上部に2つの蜜腺があることがサクラの仲間であることを示しているという。葉からは咳止めや鎮痛剤に使われる薬用の杏仁水が取れ、材木は家具や器具材、薪炭に利用される。

 花期は9~10月頃で、短い総状花序に小さな5弁の白花を密に付ける。樹皮はもともと灰褐色だが、次々に鱗片状に剥がれて木肌が現れ紅黄色のまだら模様になる。和名の「バクチノキ」はその様子を、人がバクチに負けて身ぐるみ剥がされることになぞらえたといわれる。方言で「はだかのき」と呼ぶ地域も多い。葉の裏に細い毛があるものは「ウラゲバクチノキ」と呼ばれる。

 バクチノキには「ビラン」「ビランジュ」という呼び名もある。ただし、それらはこの樹木をインドの毘蘭樹(批蘭樹)と誤認したことによるものという。近縁に樹高が3~6mとバクチノキより低く公園などに植えられる「セイヨウ(西洋)バクチノキ」がある。こちらの原産地はその名の通りヨーロッパ南東部~アジア西部地域。花の総状花序は長さが10cmほどになりバクチノキより大きく、花期も4月頃と異なっている。

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<馬見丘陵公園> 「第4回馬見チューリップフェア」大にぎわい

2017年04月11日 | 花の四季

 【チューリップ中心に約50万株! 国内有数のフェアに】

 奈良県営馬見丘陵公園(河合町~広陵町)で4月8日から始まった「第4回チューリップフェア」が、連日大勢の家族連れでにぎわっている。チューリップにムスカリやクロッカスなども加えて約50万株。色とりどりのチューリップ群が桜やユキヤナギ、パンジーなどとともに咲き誇り、まさに息をのむほど美しい景観を作り出している。

 チューリップが集中的に植えられているのは園内の「集いの丘」「花見茶屋」「花の道」「カリオンの丘・春の花畑」の4つのエリア。担当者によると、3年前の第1回フェアはチューリップの株数約3万株でスタートしたが、それが年々増えて昨年の第3回では約28万株に。そして今年はチューリップだけで約38万株に上り、今や国内でも有数のチューリップフェアにまで成長した。これほどの株数になると、球根の植え付けだけでもご苦労は相当なものだったに違いない。中には豪華なボタンの花のような八重咲きの珍しいものもあった(下の写真㊨の品種名は「マンマミーア」)。

 

 フェアは16日までの9日間。この間、ステージでの音楽演奏や健康体操教室、大道芸、草花や地域物産品の販売、園芸相談、園内に多く点在する古墳のガイドツアーなど多彩なイベントも繰り広げられる。同公園内で撮影した写真「私だけの馬見丘陵公園」の優秀作品展も同時開催中。気になるのはフェア後のチューリップの扱い。担当者にそっと聞いたところ、球根を育てるには花を摘む必要があるが、フェアは花自体を楽しんでもらうのが目的なので球根は〝消耗品扱い〟とのことだった。

 

 

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<ハナカンザシ(花簪)> かんざしにしたいほど可憐な小花をいっぱいに

2017年04月07日 | 花の四季

【花径2cmほど、ドライフラワーのようなカサカサとした手触り】

 キク科ローダンセ属の1年草。ローダンセ属の仲間はオーストラリアや南アフリカに100種ほど自生するが、このハナカンザシの原産地はオーストラリア。正式名は「ローダンセ・アンテモイデス」。株を覆うほどに直径2cmほどの丸くてかわいい八重の白花をいっぱい付ける。草丈は15~30cm。花期が3~6月と長く、切り戻すと次々に花芽がつく。

 もともとは多年草だが、高温多湿に弱いことから日本では1年草として扱われる。花はつぼみの頃は初め赤紫色。開くと丸くて白く、中央部が黄色の花を茎の先に1輪ずつ上向きに咲かせる。花にはほのかな芳香があり、カサカサとしたドライフラワーのような不思議な手触り。その触感から英名では「ペーパー・デイジー」や「ストローフラワー」などと呼ばれているそうだ。

 近縁の仲間に「ヒロハノハナカンザシ」があり、「ローダンセ」として流通している。細葉のハナカンザシに対し葉が幅広い卵形なのが特徴。別名「ヒメカイザイク(姫貝細工)」。花色は白のほかピンクや赤紫色などもある。草丈は30~50cmと大きく、切り花やドライフラワーとして利用される。「初髪に花かんざしといへる花」(後藤比奈夫)

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<京都高島屋> 「日本美術と高島屋~交流が育てた秘蔵コレクション」展

2017年04月05日 | 美術

【特別展示「豊田家・飯田家寄贈品展」も同時開催中】

 京都高島屋の7階グランドホールで、高島屋史料館が所蔵する日本画を中心に60点を展示する「日本美術と高島屋~交流が育てた秘蔵コレクション」展が開かれている。竹内栖鳳や富岡鉄斎、横山大観、東山魁夷、川合玉堂、前田青邨、平山郁夫、小倉遊亀、片岡球子など日本画壇を代表する錚々たる画家の作品が一堂に並ぶ。同時に特別展示として「豊田家・飯田家寄贈品展」も開催中。4月10日まで(入場無料)。(写真は㊧竹内栖鳳の『アレ夕立に』=部分、㊨北野恒富の『婦人図』)

  

 高島屋は江戸時代末期に呉服商として創業、明治維新後には多くの画家や友禅作家を擁して美術染織品を制作し、内外の博覧会に積極的に出展した。竹内栖鳳の大作『富士』も高島屋の注文でヨーロッパ向け刺繍壁掛けの下絵として制作された。栖鳳の作品は特別展示も含め8点を展示中。『アレ夕立に』は清元「山姥(やまうば)」の一節「あれ夕立に濡れしのぶ」に因む作品で、舞妓が舞う一瞬の美を捉えた。

 山元春拳の『ロッキーの雪』、竹内栖鳳の『ベニスの月』、都路華香の『吉野の桜』はビロード友禅の壁掛け「世界三景 雪月花」の原画として描かれた作品で、巨大な壁掛けは1910年の日英博覧会で人気を集めた。うち2点は現在ロンドンの大英博物館が所蔵しているが、『吉野の桜』は行方が分からないという。前田青邨の『みやまの四季』は梅や桜、藤などの花々が大きな半円形に咲き誇る中に小鳥たちが集う構図。大阪・毎日ホールの緞帳の原画として制作された。

 横山大観の作品は下村観山との共作も含め4点を展示中。共作の『竹の図』は大観が左隻、観山が右隻を分担した金地の屏風絵で、大観は直立する親竹と若竹、観山は途中で円を描いて上に伸びる竹を描いた。北野恒富の『婦人図』は1929年に大阪長堀店で開かれた「キモノの大阪春季大展覧会」の販促ポスターの原画として描かれた。左の肩から胸の白い肌を露出した大胆な構図が注目を集め、ポスターが駅に展示されるや多くが持ち去られたという。

  

 特別展示「豊田家・飯田家寄贈品展」の豊田家はトヨタ自動車の創業家、飯田家は高島屋の創業家を指す。両家は高島屋の四代当主飯田新七の娘、二十子(はたこ)さんが1922年に、後にトヨタ自動車を創業する豊田喜一郎氏と結婚したことからご縁ができた。両家から史料館に寄贈された美術品約30点のほか、二十子さんが嫁ぐ際に着用した着物なども展示している。

 竹内栖鳳の『小心胆大』(写真㊧=部分)は大きなヘチマに小さなアリが描かれた作品。高島屋が1909年に開いた初の美術展「現代名家百幅画会」に出品されたものの、その後長く所在不明とされていたが、このほど豊田家に伝わっていたことが分かったという。富岡鉄斎の『碧桃寿鳥図』(写真㊨=部分)は3000年に一度実をつけるという不老長寿の碧桃に、西王母の使いとされる青い鳥寿鳥が止まったおめでたい構図の作品。他に都路華香の『果物尽し』、泥谷文景の『白猿』、山口華楊の『春蘭』なども並ぶ。

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<BOOK> 「不滅の昭和歌謡 あの歌手にこの名曲あり」

2017年04月04日 | BOOK

【塩澤実信著、北辰堂出版発行】

 著者塩澤氏は昭和5年(1930年)長野県生まれ。双葉社取締役編集局長を経て東京大学新聞研究所講師などを歴任。元日本レコード大賞審査員。主な著書に「雑誌記者池島信平」「動物と話せる男」「昭和の流行歌物語」「昭和の歌手100列伝Part1~3」「昭和平成大相撲名力士100列伝」など。本書では昭和を代表する歌手100人を選び出して50音順に並べ、それぞれの名曲の誕生秘話や裏話を満載している。歌謡曲ファンならずとも昭和世代にとって興味の尽きない1冊になっている。

      

 名曲誕生秘話の一部を紹介すると――。梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』はわが子の誕生に立ち会った作曲家中村八大が「こんにちは、ぼくが君のパパだよ!」と話しかけたのを永六輔が見て感動し作詞した▽小椋佳の『愛燦燦』は味の素のCMソングとして作られた▽岸洋子の『夜明けのうた』は最初坂本九の吹き込みで発売されたが、全然売れなかった▽北島三郎の『函館の女』のタイトルは最初『東京の門』で、歌い出しも「はるばるきたぜ東京」だった。

 秘話はまだまだ続く。小林旭の『昔の名前で出ています』は星野哲郎が知り合いのホステスからもらった電話「遊びに来て。昔の名前で出ていますから」をヒントに作詞した▽小林ルミ子の『瀬戸の花嫁』は山上路夫が作詞した「瀬戸の夕焼け」と「峠の花嫁」の2作が1つになって生まれた▽吉幾三の『雪國』はもともと吉が温泉の宴会芸として即興で作った下ネタ満載の歌だった。

 後に大ヒットしたものの、歌手本人は当初乗り気ではなかったという曲も。ソプラノの渋谷のり子は『別れのブルース』について最初「低いアルトでは絶対歌えない」と反発、深酒と煙草で喉を荒らしてレコーディングに臨んだ▽伊東ゆかりは『小指の思い出』の発売直後、テレビで「あんな唄、私に合わないの」と言って作詞者(有馬三恵子)を絶句させた▽美川憲一は『柳ケ瀬ブルース』を最初「小節が利いたこんな歌、無理よ」と断ったが、レコード会社から「歌えないなら君は当社に必要がない」と言われ渋々レコーディングした▽八代亜紀は『舟唄』が男歌だったことから初めは気乗り薄だった。

 レコード会社の社内で評価が低かったが、大化けし大ヒットしたものも多い。ぴんからトリオの『女のみち』はもともとグループ結成10周年記念として300枚自主制作し無料配布したもので、全国発売には「お笑いグループのド演歌が売れるはずがない」と反対の声が圧倒的だった▽西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』は「こんなネクラな歌が売れるはずがない」と二度も却下された▽倍賞千恵子の『下町の太陽』は発売会議で「下町のイメージがよくない、タイトルも悪い」と指摘され、初プレスはわずか1500枚だった▽キャンディーズの『春一番』もアルバムからのシングルカットの提案に「こんなフォーク調の歌詞が売れるはずがない」と社長に一蹴されていた。

 『こんにちは赤ちゃん』も「子守唄もどきの歌が売れるだろうか」と社内に危惧する声があり、森昌子の『せんせい』も「今どきこんな歌が売れるはずがない」という声まであったという。本書には他にも、舟木一夫の芸名はもともと遠藤実が舟木の前の門下生、橋幸夫に付ける予定だった▽17歳で『潮来笠』でデビューした橋幸夫は「いたこがさ」と読めず「しおくるかさ」だと思ったと自著で告白――といったエピソードも紹介している。橋幸夫のヒット曲の一つに吉永小百合とのデュエット曲『いつでも夢を』がある。吉永小百合には他に『寒い朝』『勇気あるもの』といったヒット曲も。NHK紅白歌合戦には歌手として5回出場した。その吉永小百合が本書の100人に入らなかったのは、熱心なファン〝サユリスト〟にとって少々不満かもしれない。

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<コゲラ(小啄木鳥)> スズメ大、日本で一番小さいキツツキ

2017年04月01日 | 小鳥たち

【両脚と尾羽の〝3点確保〟で木の幹を自在に動いて餌探し】

 北海道から沖縄まで全国各地で見られるキツツキ科の留鳥。大きさは全長15cmほどで、スズメとほぼ同じ。日本にはアカゲラやクマゲラ、アオゲラ、ヤマゲラ、ノグチゲラなど多くのキツツキの仲間が生息するが、その中で最も小さいのがこのコゲラ。英名は「ジャパニーズ・ピグミー・ウッドペッカー」で、日本の小さなキツツキを意味する。

 もともとは低山や山麓の雑木林など山野で暮らしていたが、最近は都会の公園や住宅地でもよく見掛けるようになってきた。黒地の背中に白い横縞の模様が入る。雌雄ほぼ同色だが、雄には目の後ろ側に赤い羽毛が数本付く。雑食性で、主に昆虫やクモなどを捕食する。キツツキの仲間はどれも「○○ゲラ」と呼ばれる。「ケラ」は「ケラツツキ」の略で、このケラはもともと虫を指すという。

 コゲラは幹に止まるとき、両脚に加えて硬い尾羽をしっかり幹に付ける。この〝3点確保〟で自在に動き回りながら、餌を探したり巣穴を開けたりするわけだ。飛ぶときには「ギィーギィー」と鳴きながら波形に飛ぶ。全国の生息地域ごとに色彩に微妙な変化が見られ、エゾコゲラ、シコクコゲラ、キュウシュウコゲラ、リュウキュウコゲラなど多くの亜種がある。コゲラは東京都小平市指定の「市の鳥」。市内の玉川上水付近でよく見られるといい、コゲラをデザインした携帯電話ストラップや和菓子の「こげらまんじゅう」も売られている。(写真は奈良の拙庭で3月31日撮影。数年前切り倒したクヌギの幹の隙間にくちばしをコツコツ打ちつけていた)

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