く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ペン画・三村威左男氏> 京都・寺町で「日本文化遺産・奈良」展

2014年04月30日 | ひと模様

【東大寺・興福寺・春日大社・薬師寺・法隆寺など27点】

 0.1ミリの細字のサインペン1本で各地の五重塔や京都、奈良の社寺を描き続けているペン画家がいる。京都府長岡京市在住の三村威左男さん(70)。デザイン会社や印刷会社でグラフィック・デザイナーなどとして活躍する傍ら、在職中からライフワークとしてサインペンによる描画に取り組んできた。その三村さんが世界遺産、古都奈良の仏教建造物などを描いた「日本文化遺産 奈良周辺エリア」展が29日、京都・寺町の「ギャラリーヒルゲート」で始まった(5月4日まで)。

 

 三村さんは1944年4月、大阪・船場生まれで、ちょうど古稀を迎えたばかり。三十年余をかけて全国に点在する五重塔を描き続け、2005年には当時現存した74基全てを描き終えた。いずれも現地を訪ね塔の前で、ケント紙を水張りしたパネルに鉛筆などで下書きせず直接ペンで描いた。それらの作品を、1991年の「五重塔 五十景」展を皮切りに数年おきの個展で発表してきた。著書に「日本の五重塔総覧―紀行文を添えて」(文芸社刊)がある。

               

 2006年からはテーマを「古都京都の文化財17の社寺・城」に移し、08年にPart1として8カ所、11年にPart2として残り9カ所の作品を発表。続いて今回は古稀記念として「古都奈良の文化財」と「法隆寺地域の仏教建造物」に絞った作品を発表した。

 三村さんは京都と奈良の違いを「京都は見る町、奈良は歩く町」と表現する。奈良ではいいアングルを求めて、借りた自転車で対象物の周辺を何度も走り回った。五重塔と同じ手法で、現地で写生し、帰宅後、写真を参考に仕上げていく。ただ「写真と同じようにならないように私なりの〝細工〟をしています」と話す。

 

 『春日山原始林 飛火野に鹿の群れ』(上の上の作品㊥)では陽光が光の太い筋となって降り注ぐ。それが作品のスケールの大きさに繋がっている。『春日大社 中門と釣灯籠』(同㊨)では社殿の上に大きな釣灯籠を描いた。灯籠に込めた様々な願いや歴史の重みを感じさせる作品。『元興寺 浮図田(石塔石仏群)と屋根瓦(行基葺き)』(上の作品㊧)では実際には他の場所にある世界遺産を示す石碑を画面の右下に配した。(上の作品㊨は「東大寺 二月堂・法華堂」)

 三村さんの作品はいずれも黒の濃淡だけで描いたモノトーンの世界。それが見る者の想像力をかき立てる。自身も「黒一色で(様々な)色を感じてもらえる書き方を目指してきた。それがこのペン画の魅力でもあると思う」と話す。一時は水彩画のように色をつけるべきか迷った。しかし15年ほど前、ある著名画家の「やがて伝わってきます」との一言で吹っ切れたそうだ。

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<ライラック> フランス語で「リラ」、札幌市の「市の木」

2014年04月29日 | 花の四季

【ヨーロッパ東南部原産、明治中頃に渡来】

 モクセイ科の落葉低木で、4~5月頃、紫色の小花を無数に付けて、周りに強い芳香を放つ。原産地はヨーロッパ東南部。日本には明治中期に渡来した。寒さに強く涼しい地域を好むため、北海道や東北の公園や庭園などに多く植えられている。花は香水の原料にも。色はライラック色と呼ばれる明るい紫が一般的だが、白や赤、ピンク系のものや八重咲きのものもある。

 ライラックは英名の「Lilac」から。フランス語は「Lilas」でリラと呼ばれ、パリではマロニエとともに愛されてきた。宝塚歌劇を代表する歌「すみれの花咲く頃」はドイツ映画の主題歌が原曲。パリでシャンソン化され「リラの花咲く頃」として歌われていたものを、演出家の白井鐵造が訳詩して1930年上演の「パリ・ゼット」の中で初めて披露された。

 和名は「ムラサキハシドイ(紫丁香花)」。ハシドイはライラックと同じ仲間で、日本の山野に自生し、6~7月頃、白い花をびっしり付ける。ライラックの筒状の小花は先端が4つに分かれるが、まれに5つのものがあり、ヨーロッパでは幸運を呼ぶとして「ラッキーライラック」と呼ばれているそうだ。ただ白花を家の中に入れると不吉なことが起きるといわれ、病気見舞いへの持参は禁物とされている。

 ライラックは札幌市の「市の木」(1960年選定)。毎年5月には約400本が咲き誇る大通公園で「さっぽろライラックまつり」が開かれる。56回目となる今年は16~25日に開催の予定(別会場の川下公園は31日~6月1日)。海外では米国ニューハンプシャー州の州花になっている。ちなみに釧路市の市の木はハシドイ。「さりげなくリラの花とり髪に挿し」(星野立子)。

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<京都地名研究会> 綱本・新会長講演「ハザードマップが警告する危ない地名」

2014年04月28日 | メモ

【真下・元立命館大学教授の演題は「万葉集『鷺坂』の歌」】

 京都地名研究会の講演会が27日、京都市の龍谷大学大宮学舎であり、新会長の綱本逸雄氏が「ハザードマップが警告する危ない地名―京都盆地の場合を検討する」の演題で講演した(写真㊧)。続いて立命館大学教授を3月に定年退職したばかりの真下(ましも)厚氏が「万葉集『鷺坂』の歌」と題し講演、鷺坂の地名の由来や所在地について話した(写真㊨)。長年、同会会長を務めてきた国内地名研究の第一人者、吉田金彦氏はこの日の総会で新設の名誉会長に就任した。

 

 綱本氏は「先祖が残してくれた地名の中には、その土地のクセを今でも的確に教えてくれる地名がたくさんある」と指摘し、京都市域をはじめ各地に残る〝災害地名〟を1つ1つ列挙した。西賀茂にある『蛙ケ池』の「蛙」の語源はカエル(返・反)で「覆る」を意味し、土砂崩れのある山谷を指すという。衣笠の『開キ町』の「開キ」は開墾地のことで、この地名は各地の川縁の氾濫原に多い。

 上賀茂の『大柳』の「柳」は各地の川岸に多い地名で、旁(つくり)の卯(ぼう)は留の原字。一時留め置くこと、つまり水が溢水することを意味する。同様に出町柳のそばの『上柳町』『下柳町』の柳地名も川が溢水する地を指す。柳の文字が入ると風情のある地名と思いがちだが、元々は災害地名の場合が多いというわけだ。『出町柳』については「地名と思っている人が多いが、元は出町と柳ノ辻という2つの旧地名を合わせた駅名」。

 深草の『藤森町』の由来は「藤の森」説と、藤はフシ(節)からの転訛で「小高い所」を意味するとして「台地の森」説がある。綱本氏は「地名は美辞麗句化されやすいが、これは自然地形語で藤は七瀬川の淵の小高い所の意であろう」と推測する。山科の『百々(どど)』は①トドメクの語幹で水音の轟く所②トドマル(留)で、水が溜まる湿地――などの解釈があるが、綱本氏は付近に湿地があることなどから後者を支持している。

 宇治市の『ウトロ』は江戸~明治時代には「うど口(くち)」や「宇土口」と表記された。ウドはウツ(空)が転訛したもの、口はクチル(腐・朽)から湿地のことで、「うど口」は水溜まり地を指すという。「宇土口」が「ウトロ」になったのは居住させられた在日韓国・朝鮮人がカタカナ読みで呼んだことによる。北海道にも知床に同じ「ウトロ」があるが、「こちらはアイヌ語で〝岩と岩の間の通路〟を意味し、両地名には関係がない」。

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 続いて登壇した真下氏はまず万葉集の中で「鷺坂」が登場する3首の歌を紹介した。「白鳥の鷺坂山の松陰に宿りて行かな夜も更け行くを」「栲領巾(たくひれ)の鷺坂山の白つつじ我ににほはね妹に示さむ」「山背の久世の鷺坂神代より春は萌(は)りつつ秋は散りけり」

 その「鷺坂」という地名の由来には①さきさか(向坂)②日本武尊伝承由来③鷺の棲む坂――など諸説あるが、そのうち②の日本武尊由来説が通説になっている。所在地については城陽市の長池北方説と久世神社周辺説があり、現在の通説は後者。だが、真下氏は奈良時代の道路の遺構などから、「鷺坂はサギが餌場とした長池の上にあったのではないか」として前者の長池北方説を支持している。

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<奈良・猿沢池> ギョ!、まだ多くの北米産アカミミガメがいた

2014年04月27日 | アンビリバボー

【18年ぶりの水抜きで、外来種は駆除したはずなのに……】

 26日午後、久しぶりに猿沢の池へ。奈良県が2月中旬、18年ぶりに水を抜いて生息調査や護岸の点検を行っていたとき以来。水抜きは北米原産のミシシッピ・アカミミガメなど外来種の駆除も目的の1つだった。ところが、池の中を覗いて「アンビリバボー!」。除去したはずのアカミミガメがあっちにもこっちにも。目にしたカメのうち少なくとも4分の3がアカミミガメだった。

  

 アカミミガメは縁日やペットショップで「ミドリガメ」として売られている。だが、大きくなると手に負えなくなって池などに捨てる人が後を絶たない。その名の通り、耳の辺りに赤い縞模様があるのが特徴。雑食性。以前、猿沢池で十数匹のカメがハトを水中に引きずりこんで食べ尽くす衝撃的な場面に遭遇したこともある(2012年8月12日のブログで紹介)。

 今回の水抜き調査で捕獲されたアカミミガメは198匹。18年前の1996年のときに確認できたのは78匹だった。一方、在来種はクサガメが54匹(18年前354匹)、ニホンイシガメが僅か1匹(同59匹)と激減していた。アカミミガメは神戸市立須磨海浜水族園に引き取ってもらい、在来種のカメはコイやフナなどとともに、3月中旬、再び水を張った池に戻された。

 

 池を管理する県奈良公園室は今回、コイなどの稚魚を守るためもあって完全に水を抜かず中央部分に水を残して調査を行った。そのため、かなり多くのアカミミガメが底にもぐったりして捕獲を免れたらしい。そばで池を覗いていた男性も「ほとんどがアカミミガメだね」と話していた。その男性によると、再び池に水を張った後、県職員がカメの写真を撮っていたという。県も駆除を免れたアカミミガメの存在に気づき、ボートを出して捕獲を試みたりしているようだ。

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<ユキモチソウ(雪餅草)> 花軸の先端につきたての餅のような〝付属体〟

2014年04月26日 | 花の四季

【「歓喜草」の別名も、絶滅の危険が増大!】

 日本固有のサトイモ科テンナンショウ属の多年草で、伊豆や紀伊半島、四国の山林内のやや薄暗い場所に自生する。開花期は4~5月。花軸の先端の雪のように白くて丸い〝付属体〟を餅にたとえた。その背後をミズバショウやザゼンソウと同じように、花びらのような仏炎苞(ぶつえんほう)で飾り立てる。

 学名アリサエマ・シコキアヌムの「シコキアヌム」は「四国産の」。四国に多く分布し、そこで採取した標本を基に分類されたことによる。山野草の愛好家にとっては垂涎の的で、最初にこの花を見つけた人が欣喜雀躍したことから「カンキソウ(歓喜草)」という別名を持つ。頭に雪を載せた様子から「雪持ち草」と表記されることもある。

 ミズバショウの仏炎苞は純白だが、このユキモチソウは外側が紫褐色で、内側には緑色に白のストライプ模様が入る。同属の仲間にウラシマソウ、ムサシアブミなど。ユキモチソウも含めこれらの植物は栄養状態によって性転換しやすいのが特徴で、栄養が良いと雌株、悪いと雄株になるという。

 盗掘や森林伐採などに伴って自生する個体数は急減。環境省は「絶滅の危険が増大している種」として絶滅危惧Ⅱ類に分類している。都道府県段階でも京都では既に絶滅したとみられ、奈良、和歌山、三重、兵庫の4県は絶滅の危険が極めて大きい絶滅危惧Ⅰ類、香川、愛媛両県は同Ⅱ類、徳島、高知両県も準絶滅危惧種に指定している。

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<帯解寺・小町忌> 絶世の佳人・小野小町を偲び「小町の舞」を奉納

2014年04月25日 | 祭り

【小町の一刀彫人形を納めた祠「小町の宮」前で法要】

 関西で小野小町ゆかりの寺院といえば京都・山科の随心院が有名だが、奈良市の帯解寺でも毎年4月24日に「小野小町忌法要」を営んでいる。今年も境内の一角に設けられた祠(ほこら)「小町の宮」の前で、倉本堯慧住職ら僧侶5人が読経を上げ、続いて平安装束の女性によって雅な「小町の舞」が奉納された。

 

 帯解寺は奈良盆地を南北に貫いた古代の幹線「上街道」のそばにある。歌人で絶世の美女と称えられた小野小町は同じ「六歌仙」の1人、僧正遍昭に会うため、現在の天理市にあった石上寺までこの上街道を往復した。途中、帯解地蔵で有名な帯解寺にも立ち寄ったとみられる。延宝3年(1675年)の「南都名所集」には帯解寺境内に小町の祠も描かれている。

 

 小町忌はこうした史料や発掘調査を基に復元された祠「小町の宮」の前で2006年から行われている。祠の中には奈良一刀彫の小町人形(今井一雄作)が納められており、1年に1度この日にだけ開扉される。法要は午後2時に始まった。参列者の中には小町の出生地ともいわれる神奈川県厚木市から遠路やって来たグループの方々もいた。

 

 「小町の舞」はこれまで本堂で奉納されてきたが、今年は耐震工事中のため会場を信徒会館に移して行われた。「小町の舞」は小町伝説を基に創作された地唄「七小町」に、日本舞踊坂本流家元の坂本晴江さんが振り付けたもの。この日は奈良市在住の門弟、坂本晴千翠さんが宮廷の女房装束で若く美しい頃の小町と、年老いて杖を持つ小町の2役に姿を変えて舞を披露した。

 

≪帯解寺≫ 本尊の帯解子安地蔵菩薩像(182.6cm)は鎌倉時代の作で国指定重要文化財。長くお子に恵まれなかった文徳天皇の皇后が、春日明神のお告げで勅使を立て地蔵菩薩にお祈りしたところ懐妊し後の清和天皇が誕生した。以来、安産・求子祈願霊場として皇室や朝廷をはじめ広い信仰を集めてきた。本堂手前の手水鉢(上の写真㊨)は徳川4代将軍家綱の寄進。1959年の皇太子妃美智子さまのご懐妊の際には安産岩田帯を献納、その折「全国200カ所の神社仏閣(安産霊場)の中から、霊験あらたかな皇室と関係の深い帯解寺と香椎宮を選びました」とのお言葉があったそうだ。

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<ミズバショウ(水芭蕉)> 花弁に見えるのは苞葉が大型化した〝仏炎苞〟

2014年04月24日 | 花の四季

【南限は兵庫県養父市の「加保坂」群落!】

 サトイモ科の多年草で、北海道と兵庫県以北の本州の湿地などに群生する。花弁のように見える純白のものは苞葉(ほうば)が大型化したもの。仏像の光背に似ていることから〝仏炎苞(ぶつえんほう)〟と呼ばれる。本来の花は小さな黄緑色で、中央の棒状の花穂(かすい)に密集する。花が終わった後に葉が伸びて長大な楕円形になり、大きいものは1m以上にも。その葉の姿がバショウ(芭蕉)にそっくりなことからミズバショウの名が付いた。

 見た目は爽やかな植物だが、葉などにシュウ酸カルシウムという毒物を含む。毒性は弱いものの、うっかり食べると口の中が腫れたり、嘔吐や下痢を起こしたりする。ヒグマは冬眠明けに体内の老廃物を排泄するため下剤として食べるという。そのため北海道などでは別名「クマクサ(熊草)」とも呼ばれる。北米西北部~アラスカには仏炎苞が黄色の「オウゴンミズバショウ」が分布するが、ひどい悪臭から〝イエロー・スカンク・キャベツ〟と呼ばれているそうだ。

 国内でミズバショウといえば「夏の思い出」にも歌われている尾瀬沼(群馬県)が有名。ただ尾瀬でのミズバショウの最盛期は夏ではなくて5月下旬~6月上旬。長野市鬼無里(きなさ)の「奥裾花自然園」では広さ7ヘクタールの湿原に約80万本が生え、日本最大規模といわれる。国内で最も遅い時期に見られるのが長野県小谷村の「栂池(つがいけ)自然園」。雄大な白馬連峰を借景にして約30万株が咲き誇る。今年は6月21~29日に「水ばしょう祭り」を開催の予定。

 南限は兵庫県養父市大屋町の「加保坂ミズバショウ公園」。40年ほど前に初めて発見されたもので、県の天然記念物に指定されている。それ以前は岐阜県のひるがの高原が南限とされていた。加保坂には約2000株が自生しており、見ごろは例年4月下旬~5月上旬。今年は4月29日に「ミズバショウ祭り」が開かれる。「水芭蕉逞(たくま)しく出て白きかな」(伊藤凍魚)。

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<BOOK> 「記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞」

2014年04月23日 | BOOK

【門田隆将著、角川書店発行】

 東日本大震災から3年余。あの時、福島県は激震と津波に加え原発事故にも見舞われた。創刊110年を超える地元紙、福島民友新聞では取材中の若手記者が犠牲となり、新聞を発行できない〝欠号〟の危機にも直面していた。本書は丹念な取材を基に、未曾有の難局に直面した新聞人の姿とその時々の思いを克明に描写している。

    

 巻頭に海を背に男性6人が並ぶカラー写真。民友新聞の相馬・双葉ブロックの記者たちで、震災2日前の送別会のときに撮った。そのうちの1人熊田由貴生(24)は津波の取材中に亡くなる。その直前、軽トラックに向かって「来るな」と合図を送り続け男性の命を救っていた。取材中の他の1人は自分の方へ逃げてきた老人と子どもを救えなかったことに今も自分を責め続けているという。

 民友新聞はその日、停電で自家発電機もなかなか動かなかった。朝刊早番(第7版)は結局、災害協定を結ぶ東京の読売新聞で紙面を制作し、印刷は自社の郡山工場で行った。欠号になることなく創刊以来の〝紙齢(しれい)〟をつなぐことができた。その新聞が読者の元に届いたのは「自身が震災の被災者でありながら、それでも新聞配達をおこなった人々が数多くいた」からだ。

 熊田記者の遺体は震災から3週間後にようやく見つかった。上司が棺の上に無惨な被災地の大写真が載った震災翌日の朝刊を置きながら「熊ちゃん、こんな風になったんだよ……」と呟いた。民友新聞は最後まで仕事と向き合った熊田記者を忘れないため、2013年「熊田賞」を設けることを決めたという。

 第1章「激震」から最終第17章の「傷痕」まで記者をはじめ関係者の生々しい証言が続く。「私はお墓にひなんします。ごめんなさい」。こう遺書を残して、避難生活していた93歳のおばあちゃんが自殺したという話は衝撃的だった。様々な証言を通して、福島の人々が体験した恐怖と不安が改めて直に伝わってきた。

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<ラショウモンカズラ(羅生門蔓)> 花冠を渡辺綱が切った鬼の腕に見立て!

2014年04月22日 | 花の四季

【別名「ルリチョウソウ」、唇形の紫花はシソ科で最大級】

 本州、四国、九州の山地や丘陵地に自生するシソ科の多年草。4~5月頃、直立した花茎(高さ30~40cm)の上部に、鮮やかな青紫色の筒状唇形花を数個ずつ付ける。花冠は下側の幅が広く、内側には縞模様が入って長い白い毛が生える。1つ1つの花の長さは4~5cmあり、国内のシソ科の花では最大級の大きさ。「カズラ」の名は花後に根元から長いランナー(走出枝)が伸びることによる。

 問題は「ラショウモン」という名前。「原色牧野植物大図鑑」はこの和名の由来について「花冠を渡辺綱が羅生門で切り落とした鬼の腕に見立てた」と記す。渡辺綱(源綱)は平安中期の武将で、大江山の酒呑童子や鬼同丸退治などの武勇伝で有名。京都・一条戻橋で美女から姿を変えた鬼の腕を名刀で切り落とした説話でも知られる。謡曲「羅生門」では舞台が一条戻橋から羅生門に移し変えられた。

 それにしてもこの紫花を「鬼の腕」に見立てるとは! 誰がいつ頃名付けたのだろうか。江戸中期の百科事典「和漢三才図会」(1713年頃成立、寺島良安編纂)には既に「羅生門(本名未詳)」として紹介されている。18世紀前半にはチョウが舞うような花の形から「瑠璃蝶草(るりちょうそう)」とも呼ばれていた。

 植物研究家の一部では、「ラショウモン」=「鬼の腕」という解釈は牧野富太郎博士の説とみる向きも。怪奇的な名前はこの花にふさわしくないという指摘もある。この山野草も例に漏れず自生地が減少。東京都では既に絶滅したとみられ、千葉、静岡、和歌山、徳島、高知の各県では絶滅危惧Ⅱ類、奈良県では準絶滅危惧種に指定されている。

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<奈良女子大学管弦楽団> 橿原文化会館で「イタリア公演凱旋記念演奏会」

2014年04月21日 | 音楽

【シューベルト交響曲第2番と「ナブッコ」などイタリアオペラ序曲集】

 奈良女子大学管弦楽団の「‘14スプリングコンサート」が20日、橿原文化会館で開かれた。今年で結成45年になる同楽団は1月にイタリアで初の海外演奏会を開催したばかり。今回のコンサートはその報告を兼ねたもので「イタリア公演凱旋記念演奏会」と銘打っていた。ちらしのその文字に引かれて出かけたが、牧村邦彦氏(同楽団常任)の指揮の下、緩急・強弱のメリハリが利いた見事な演奏を披露してくれた。

  

 牧村氏は大阪シンフォニカー交響楽団(現大阪交響楽団)の指揮者として13年間にわたり活躍。とりわけオペラの指揮では定評があり、現在は「ザ・カレッジオペラハウス管弦楽団」正指揮者、大阪音楽大学非常勤講師などを務める。イタリア演奏旅行(1月14~19日)ではミラノの南にある「ピアツェンツァ市立歌劇場」で、牧村氏の指揮でイタリアオペラ序曲集やシューベルトの交響曲第8番(第9番とも)「ザ・グレイト」を演奏した。ロビーにはその演奏旅行の写真やポスターが飾られていた(下の写真㊨)。

 この日の演奏会はシューベルトの交響曲第2番から始まった。シューベルト18歳のときの作品で、第1楽章にはベートーベンのバレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲に少し似た部分も。溌剌(はつらつ)とした第1楽章の演奏が終わると、会場内に期せずして拍手が沸き起こった。それほど熱のこもった演奏だった。第2~第4楽章も統率のとれた演奏が続いた。牧村氏(下の写真㊧)の名指揮の賜物だろう。

 

 後半のイタリアオペラ序曲集の幕開けはヴェルディの「ナブッコ」。その中の合唱曲「行け、わが想いよ、金色の翼に乗って」は〝第二のイタリア国歌〟といわれる名曲。ヴェルディの葬儀でもこの曲がトスカニーニの指揮で演奏された。それだけにイタリアでの演奏はよほど勇気を要したに違いない。牧村氏もその旋律を受け持ったオーボエ演奏者に向かって「とても怖かったよな」と、当時を正直に振り返っていた。幸い観客からは「ブラボー」の声が掛かったそうだ。

 「ナブッコ」の後はロッシーニの「シンデレラ」、ベッリーニの「カプレーティとモンテッキ」と続き、最後はヴェルディの「シチリアの晩鐘」で締めた。ベッリーニ以外はイタリア公演と同じ曲。演奏者約60人の中には卒業生や男性を含む賛助出演者も含まれていたが、心地よい緊張感を保った演奏が最後まで続いた。アンコールもイタリア公演と同じ「さくら さくら」(H&Y Kurahashi編曲)。これも心に染み入る演奏だった。

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<奈良・林神社> 饅頭の祖・林浄因の命日に合わせ「饅頭祭」

2014年04月20日 | 祭り

【全国から饅頭業界代表者が列席、一般参拝客にも饅頭の振る舞い】

 近鉄奈良駅のすぐ西側にある漢国(かんごう)神社内の「林(りん)神社」で19日、恒例の「饅頭祭(まんじゅうまつり)」が行われた。この神社は〝饅頭の祖〟といわれる林浄因を祀る。今年も全国各地から多くの饅頭業界関係者が参集して業界の発展を祈願した。

 

 林浄因は南北朝時代の1349年、中国・杭州から禅僧と共に来日し、中国の肉入りの饅頭(マントウ)をヒントに餡(あん)入りの饅頭を考案した。当時住んでいたのが漢国神社のすぐ近く。後村上天皇(在位1339~68年)に献上したところ大いに気に入られ、その縁で宮女と結婚。その時、紅白の饅頭を配ったのが、お祝いの席で紅白饅頭を配る風習の起源ともいわれる。

 

 林神社は戦後1949年に建立された。「饅頭祭」は以来、4月19日の林の命日に合わせて毎年行われている。社殿手前のひな壇には全国の菓子が所狭しと並んでいた。近畿一円のほか北海道、福島、宮城、東京、愛知、徳島……。式典は午前11時に始まり、献餞・献菓・献茶、祝詞奏上、玉串奉奠と続いて45分ほどで滞りなく終了した。

 

 漢国神社宮司は式典後の挨拶で「饅頭のように円く、軟らかく、優しく過ごされることを祈念したい」と話されていた。その後、ギターや笙(しょう)の生演奏の中、列席の関係者や参拝者に饅頭とお茶が振る舞われた。その饅頭は林の流れを汲む「塩瀬総本家」自慢の銘菓。境内では房が伸び始めた紫色の藤の花が彩りを添えていた。

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<スノーフレーク> 釣鐘状の白い花をひとひらの雪に見立て

2014年04月19日 | 花の四季

【ヨーロッパ原産、「スズランスイセン」「オオマツユキソウ」とも】

 ヒガンバナ科の球根草。原産地は中部ヨーロッパ~地中海沿岸地方で、昭和初期に日本に渡ってきた。3~5月頃、長い花茎に白い釣鐘形の小花を付ける。英名の「スノーフレーク」は「雪片」のこと。白い花をひとひらの雪に見立てて名付けられた。

 花径1cmほどの6弁花で、縁の緑色の斑点が愛らしいアクセントになっている。うつむいて鈴なりに咲く花姿がスズランに、球根の形や細長い葉がスイセンに似ていることから「スズランスイセン(鈴蘭水仙)」という和名を持つ。他に「オオマツユキソウ(大待雪草)」という優美な名前も。

 同じヒガンバナ科のスノードロップに姿形や名前がよく似ているため混同されやすい。スノードロップは明治末期頃に渡来し「マツユキソウ」という和名が付いた。それより遅く渡来したスノーフレークは草丈が大きめということで「オオマツユキソウ」と呼ばれるようになったらしい。ただ、スノードロップの1種で大型のものも「オオマツユキソウ」と呼ばれていることから、話が少しややこしい。

 スノーフレークの花言葉は「純粋」「清純」「汚れなき心」など。2011年に大崎梢原作の青春ミステリー「スノーフレーク」が谷口正晃監督・桐谷美玲主演で映画化された。9~10月頃開花するものに「アキザキ(秋咲き)スノーフレーク」がある。原産地はポルトガルなどヨーロッパ西南部。草丈が約15cmと小さく、よく似た白や淡いピンク色の花を付けるが、縁に緑の斑点は入らない。「スノーフレークみなうつむきて留守の家」(満田玲子)。

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<奈良県立美術館> 「アメリカ現代美術の巨匠達」展

2014年04月18日 | 美術

【従来の版画の概念を超える幅約11mの超大作も】

 奈良県立美術館(奈良市)で「アメリカ現代美術の巨匠達―CCGA現代グラフィックアートセンター所蔵版画名品展」が始まった。ロイ・リキテンスタインをはじめとする米国を代表する現代美術家の作品約100点。中には幅が約11mもある超巨大作も出品されており、従来の版画の概念を超えた意欲的な作品群に圧倒される。5月25日まで。

 サブタイトルの中の「CCGA現代グラフィックアートセンター」は大日本印刷が1995年、優れたグラフィックアートの収集・研究拠点として福島県那須川市の宇津峰山麓に開設した。米国の「タイガーグラフィックス」制作のアメリカ現代版画作品群と日本の現代グラフィックデザインの秀作を2本柱としている。

     

 ロイ・リキテンスタイン(1923~97)は印刷インクのドット(網点)を拡大して描く手法で、20世紀後半、米国の代表的なポップアーティストとして活躍した。展示作品は11点。代表作の1つ『会話に反射』(上㊧))は2人の顔を斜めに横切るシャープな光の筋が、見る者に会話の中身を様々に連想させる。一連の「反射シリーズ」はある作家の版画作品を撮影するとき、額装のガラス面に光が反射し撮影がうまくできなかったことをヒントに生まれた。『青い髪のヌード』や『考えるヌード』も目を引く。

 デイヴィッド・ホックニー(1937~)の『セリアのイメージ』(上㊨)は友人のテキスタイルデザイナーをモデルとしたキュビズム(立体派)的な人物画。ホックニーはピカソの作品の模写を通してキュビズムの手法を学んだ。『カリビアン・ティータイム』は避暑地の情景を明るい色調で屏風仕立てのスクリーンに描いている。

 ジェームズ・ローゼンクイスト(1933~)の『時の塵』(上)は約10.7m×2.2mという大きさで世界最大の版画といわれる。「大量消費社会」をテーマとし、広大な宇宙空間に管楽器や空き缶、宇宙船のような鉛筆、トンボのような折り紙などが浮遊する。『スペース・ダスト』など「水の惑星にようこそ」シリーズの3点も展示中。着色した紙パルプを巨大な手漉き紙の上に吹き付けるという手法で、大画面と鮮やかな発色を実現した。

  

 フランク・ステラ(1936~)の『泉』(写真)も約7m×2.3mという大作で、これまでの版画の概念を打ち破るスケール。中央の黒い植物のようなものを基点に様々な色・柄の抽象的なフォルムが画面いっぱいに湧き上がる。同展にはハワイを拠点に浮世絵版画の制作に取り組む寺岡政美(1936~)の作品3点も展示されている。『ナマズに嫉妬』は歌舞伎役者が美女に寄り添うナマズを睨みつける構図でユーモアに溢れている。

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<バイモ(貝母)> 花の網目模様から「アミガサユリ」とも

2014年04月17日 | 花の四季

【ユリ科では最も早く開花、「春百合」「母栗」の別称も】

 ユリ科バイモ属の球根植物。3~5月頃、釣り鐘形の淡い黄緑色の花を下向きに付ける。原産地は中国。「貝母」の名前は鱗茎(球根)が二枚貝の殻の形に似ていることによる。その鱗茎を乾燥させた粉末は生薬として去痰や咳止め、解熱などに用いられる。日本にも薬用植物として江戸時代に渡来した。

 花は径3cmほどの6弁花で、花びらの内側に紫色の網目模様が入る。それが編み笠に似ることから「アミガサユリ(編笠百合)」という別名を持つ。ユリ科の中では最も早く開花することから「ハルユリ(春百合)」や「ハツユリ(初百合)」とも。また栗のような形をした球根から新たな球根が生まれることから、古くは「ハハクリ(母栗)」とも呼ばれた。

 バイモは半蔓性の植物。花に近い上部の葉が長く伸びて巻きひげ状になり、周りの植物などに巻き付く。スプリング・エフェメラル(春の妖精)の1つで、花が終わると地上部はまもなく枯れ翌年の春まで長い休眠に入る。同属の仲間にクロユリ(黒百合)やコバイモ(小貝母)など。

 ただ、日本在来のコバイモ類には開発や乱獲で自生地が急減して、絶滅が懸念されているものも多い。環境省はミノ(美濃)コバイモ(単にコバイモとも)やカイ(甲斐)コバイモ、アワ(阿波)コバイモ、出雲(イズモ)コバイモなどを絶滅危惧、ホソバナ(細花)コバイモを準絶滅危惧種として登録している。「貝母咲く地蔵の慈悲にうなづきつ」(羽田岳水)。

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<馬見丘陵公園> 「チューリップフェア」 圧巻!44品種18万株

2014年04月16日 | 花の四季

【20日まで、植木市・大道芸・ガイドツアーなど多彩なイベントも】

 奈良県馬見丘陵公園(河合町~広陵町)で開催中の「馬見チューリップフェア」(12~20日)が連日、多くの家族連れなどでにぎわっている。「花の道」や「集いの丘」などに44品種・約18万株。そのチューリップの根元や周りをムスカリやネモフィラ、パンジーなどが華やかに彩り、色鮮やかな〝花の絨緞〟が春の陽光を浴びて輝いていた。

 チューリップが一面を埋め尽くした光景は壮観そのもの。中でも「花の道」エリアで、シンボルツリーの「センペルセコイヤ」を色とりどりのチューリップが円形に囲んだ華やかな景観は圧巻の一言に尽きる。下から見上げる「集いの丘」も様々な色が折り重なって青空に映えた。

  

 チューリップの多彩な色数もさることながら、多様な花の形には改めて感心させられる。一重や八重をはじめ花びらの先端が尖ったユリ咲き、縁にフリルの入ったフリンジ咲き――。中でも「これもチューリップ?」「まるでボタンみたい」と注目を集めていたのが桃色の八重「アンジェリケ」という品種(写真下㊨)。これがフェア会場ではなく単独で咲いていたら、チューリップと分からないかもしれない。

 

 公園内ではフェア期間中、土日曜を中心に多彩なイベントを開催。植木市や園芸相談、テント内ステージでの音楽演奏、大道芸、グルメストリート、チューリップガイドツアー、古墳ガイドツアー……。チューリップの本場オランダの民族衣装での記念撮影会(無料)も行われている。

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