く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ウコン(鬱金)> インドなど熱帯アジア原産、英名「ターメリック」

2014年09月28日 | 花の四季

【別名「キゾメグサ(黄染草)」、健康食品の原料にも】

 ショウガ科クルクマ属(ウコン属)の多年草で、原産地はインドなどの熱帯アジア。日本には平安時代に中国から琉球に伝わり、江戸時代には幕府が創設した薬園で栽培されていた(国立健康・栄養研究所HPによる)。平安時代前半に編纂された辞書『和名類聚抄』には「鬱金香(うこんこう)」という記載が見られる。属名「クルクマ」はアラビア語で「黄色」を意味する言葉に由来。

 日本で栽培されている主なウコンには開花時期や花色から春ウコン、秋ウコン、紫ウコン(夏ウコン)がある。単にウコンという場合は秋ウコンを指すことが多い。秋ウコンは晩夏から初秋にかけて、カンナのような大きな葉の間から花茎を伸ばして花を付ける。白い花びらのように見えるのは葉が変化した苞(ほう)で、実際の花は苞葉の間から見え隠れる黄色の小花。

 根茎にクルクミンという黄色の色素を含み、その粉末が香辛料やカレー粉、たくあんなどの着色剤として利用されてきた。そのため「キゾメグサ(黄染草)」という異名を持つ。インドでは僧侶が身にまとうオレンジ色の袈裟の染料にもなっているそうだ。ちなみに桜の「ウコン(鬱金)」の名は花がウコンで染めた色に似ていることから。クルクミンは肝臓の解毒作用を促すといわれ、健康食品や二日酔い止め飲料の原料などとして広く使われている。ウコンの英名は「ターメリック」。

 春ウコンは花(苞)がピンク色で、「姜黄(きょうおう)」や「ワイルド・ターメリック」とも呼ばれる。秋ウコンほどクルクミンを含まない分、苦味が強く精油成分を多く含む。紫ウコンは根茎の断面が紫色で、夏に紫の花を付ける。別名「莪朮(がじゅつ)」。胃液や胆汁の分泌を促す成分シネオールを多く含み、体内のコレステロールの排出効果も注目を集めている。「時雨馳(は)せうこんの花のさかりなる」(大野林火)。

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<奈良市の環境清美センター> 市民のごみ持ち込み車両で職員が死亡!

2014年09月27日 | メモ

【ブレーキとアクセル踏み間違え、事故現場には今も献花台】

 奈良市左京にある「環境清美センター」で今月12日、悲惨な職員の死亡事故が発生、それに伴って市民が持ち込むごみの臨時受付場の閉鎖が続いている。10月19日に開催予定だったごみ減量・リサイクルキャンペーン行事「ならクリーンフェスタ」も急遽中止になった。事故はごみ持ち込み車両による運転ミスが原因という。現場には2週間たった今も献花台が置かれ、職員をはじめ関係者は犠牲になった同僚の死を悼んでいる。

  

 市民によるごみの持ち込みは通常、ごみ計量棟での車検証の確認の後、「燃やせないごみ」「有害ごみ」「燃やせるごみ」などの廃棄場所を経て、最後に新聞・瓶・空き缶・プラスチック容器などの「再生資源」置き場を通って出口に向かう。ただ、持ち込み車両の増加に迅速に対応するため、少量の家庭ごみの場合は出入り口に近い「再生資源」コーナーの前に臨時受付場を設けてきた。

 事故はごみ回収車が常時5台前後並ぶ臨時受付場で起きた。職員のお話によると、持ち込み車両がブレーキとアクセルを踏み間違えて、男性職員がその車と回収車の間に挟まれて亡くなったという。運転していたのはお年寄りだったのでしょうかと伺うと「40代の女性でした」とのことだった。この事故、新聞やテレビで報じられたのだろうか。新聞は隅々まで目を通しているつもりだが……。

 枯れ葉などが多く出るため、清美センターにはいつもお世話になっている。2~3週間、最低でも1カ月に1回は再生ごみなどとともに持ち込ませていただいてきた。臨時受付場では車のそばまで来てごみ袋を受け取ってくれる親切な職員さんも多い。もしかしたら亡くなった職員の方に私も手渡していたのかもしれない。衷心よりご冥福をお祈りいたします。

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<井手町の「左馬」> 巨岩の下部天井に躍動的な馬のレリーフ

2014年09月23日 | 美術

【約60年前の水害で山腹から落下、ふるさと創生事業で整備】

 万葉集の撰者の1人ともいわれる橘諸兄(684~757)ゆかりの地、京都府南部の井手町。その町を東西に流れる玉川(木津川の支流)沿いにある巨岩「左馬(ひだりうま)」を一度見ておきたいと車で出かけた。国道24号を北上し村役場がある交差点を右折、山道のような府道321号和束井手線を走ると程なく左手に「左馬ふれあい公園」があった。

 

 園路を下っていくと、突き当たりに高さが5m以上もありそうな巨岩が横たわっていた。重さ数百トンという花崗岩。「駒岩」とも呼ばれていることから、最初「左馬」はてっきり、その巨岩の表面に描かれているものと思っていた。しばし目を凝らしたが、見当たらない。馬が刻まれていたのは実は右下の小さな窪みになった祠(ほこら)の天井だった。入り口には造花と小さな注連縄。半ば荒れ放題のような小さな公園だが、その周りは清掃されているようだった。

 「左馬」は頭を右向きにした右半身の肉彫りで、全身の長さは1m余り。後ろ脚を高く蹴り上げたような躍動的な姿が写実的に刻まれている。誰がいつ頃彫ったのだろうか。そばの石碑には「作者や制作年代は不明であるが、躍動的な象徴を持つことから鎌倉時代のものだろうと見られている」とあった。ところが、駐車場の説明板には「1137年(保延3年)5月6日に造立したものである」と日にちまで特定していた。1137年というと平安時代の後期。はてな?

  

 この駒岩、実は以前からこの場所にあったのではない。最初に鎮座していたのは玉津岡神社(駒岩の少し下流に位置)の飛び地境内の山の中腹にあった。ところが、1953年の南山城水害のとき、現在地の玉川の谷底に転げ落ち、長年、土砂に埋もれたままになっていた。それが掘り出されたのは4半世紀前のこと。88年の竹下内閣のふるさと創生事業を活用した町の史跡整備の一環として行われたという。

 それで「左馬」が天井にある理由も分かった。もともと岩の正面に刻まれていたものが、転げ落ちたことで向きが90度変わったというわけだ。また駐車場の説明版の記述は、玉津岡神社に残る古文書に、馬の後ろ足の横に年号が刻まれていたが摩滅してしまった、ということが記されていたことによるそうだ。

   

 駒岩は本来、雨乞いや玉川の治水の神として奉納されたが、いつの頃からか「女芸上達の神」として篤い信仰を集めてきた。石碑には「女性の習い事の裁縫や茶法、生け花、ひいては舞踊などを志す人の守り神として古くから信仰の対象になっていた」と記されている。遠方からの参詣者も多く、芸妓がかごに乗ってお参りに来たこともあるという。

 では、なぜ芸事などの守り神になったのか。一説によると――。通常、右利きの人が馬を描く場合、頭が左向きの左半身を描くことが多い。この「左馬」は頭が反対の右向きなので左利きの人が描いたに違いない。左利きの人には器用な人が多い。そんな連想から芸事の神様になったというのだが……。仮にその説を信じるにしても、なぜ「女芸上達」と女性だけの守り神になったのだろうか。 

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【お墓に刻まれた家名】 「八幡家」の文字の「巾」の中に何かが?

2014年09月20日 | アンビリバボー

【〝擬態〟が得意な灰色のアマガエルだった!】

 数日前、奈良市内の白豪寺に程近い墓苑を歩いていた時のこと。帰途、何気なくお墓を見ていると「八幡家之墓」の「幡」の1文字が目に留まった。巾偏(はばへん)の「巾」の右側の色が少し違う。近づいてみると、そこにすっぽり収まっているのは、なんと体長3~4cmほどのかわいい灰色のアマガエルだった。

 

 9月中旬とはいえ、白昼にはまだまだ残暑が続く。ひんやりした墓石はアマガエルにとって居心地がいいのだろう。接写していると、カエルは視線をこちらに向け、やがて「休息の邪魔をしないでよ」と抗議するように「巾」から出てきた。そして、お墓をよじ登って、てっぺんからにらんでいた。お邪魔しました!

 

 それにしても、このアマガエルの体の色、墓石の御影石によく似ているなあ。帰宅し手元の『自然大博物館』(小学館)を開いて納得した。ニホンアマガエル(日本雨蛙)の項に「周囲の色彩に反応して黄緑色から灰白色まで体色を変化させる」とあった。アマガエルは〝擬態の術〟を持っていたのだ。

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<アスター> 中国北部原産、和名は「エゾギク(蝦夷菊)」

2014年09月19日 | 花の四季

【盆やお彼岸に欠かせない仏花、最近はブーケやアレンジ用にも】

 キク科の1年草。原産地は中国や朝鮮半島の北部で、日本には江戸時代中期の享保年間(18世紀前半)に渡来したとみられる。和名は「エゾギク(蝦夷菊)」。これは「エドギク(江戸菊)」から転訛したのではないかといわれる。エゾギク属(カリステファス属)の1属1種の植物だが、かつてシオン属(アスター属)に分類されていた名残から今もアスターとして流通している。属名のカリステファスは「美しい冠」の意。

 盛夏から秋にかけて茎の先に白や赤、青、紫など色とりどりの花を付ける。花の形も一重や八重咲き、花弁が球状に盛り上がったポンポン咲きなど様々。切り花として全国各地で栽培されており、とりわけ仏花として盆やお彼岸に欠かせない花の1つになっている。最近は小輪多花性の品種が「アレンジメントアスター」と呼ばれ、ブーケやアレンジ用としても人気を集めている。

 別名に「エドギク」のほか「サツマギク(薩摩菊)」や「サツマコンギク(薩摩紺菊)」「チョウセンギク(朝鮮菊)」「タイミンギク(大明菊)」など。「サツマギク」の名前は日本に渡来後、薩摩(鹿児島)地方で広く栽培されていたことによるという。英名は「チャイナ・アスター」。

 「宿根アスター」と呼ばれるものはユウゼンギク(友禅菊)やシオン、クジャク(孔雀)アスターなどシオン属の植物の総称。いずれも多年草で、ユウゼンギクは北米原産の「ニューヨークアスター」の和名、同じく北米原産のクジャクアスターはクジャクソウとも呼ばれる。シオン属の園芸品種はキリスト教の聖ミカエル祭(9月29日)の頃に咲くことから「ミケル(ミカエル)マスデージー」と呼ばれることも。「蝦夷菊や老医のことばあたたかく」(柴田白葉女)。

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<明日香村稲渕> 日本棚田百選の彼岸花、見頃はやっぱりお彼岸?

2014年09月16日 | メモ

【20~21日に彼岸花祭り、黄花のショウキズイセンは今が盛り】

 14日午後、奈良県高取町からの帰りに明日香村に立ち寄った。目的は日本の棚田百選に選ばれている稲渕の彼岸花。風にそよぐ稲穂と真っ赤な彼岸花のコントラストを期待していたが、少し早すぎたようだ。まだ2~3分咲きといったところだった。明日香村では今週末の20~21日に「彼岸花祭り」を開く。彼岸花もお彼岸前後が見頃になりそう。さすがというか、やっぱりというか。

 

 稲渕の棚田を訪ねると、多くの案山子(かかし)が出迎えてくれた。飛鳥川に架かる勧請橋(かんじょうばし)のたもとから下りていくと「案山子ロード」が始まる。案山子のコンテストは今回で19回目。今年のテーマ「童謡・唱歌・わらべ歌のものがたり」にちなむ案山子たちが目を楽しませてくれる。途中に高さが4m以上もありそうなジャンボ金太郎が立っていた。案山子は全部で50体ほどもあっただろうか。21日の来場者の投票で入賞作品が選ばれるという。展示は11月下旬まで続く。

 

 彼岸花の盛りはまだ先だったが、「案山子ロード」終点の高台の土手には黄色い花が今が盛りと咲き誇っていた。彼岸花の仲間のショウキズイセン。そのそばには彼岸花の白花も咲いていた。見下ろすと棚田が緩やかなカーブを描き、下に向かって幾重にも広がっていた。郷愁を誘う日本の農村の原風景。石舞台古墳の辺りはいつも観光客であふれ返っているが、この稲渕はいつ訪ねても比較的静かで落ち着いた風景に癒される。ただ、今週末だけは「案山子ロード」に長蛇の列ができることだろう。

 

 

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<押し花作家・亀井園子さん> 集大成!「創作押し花&染作品展」

2014年09月15日 | 美術

【内外受賞作中心に約60点、高取町のギャラリー「輝」で28日まで】

 奈良県高取町在住の国際的な押し花作家、亀井園子さんの代表作を一堂に集めた「創作押し花&染作品展」が、地元高取町の「町家のギャラリー輝」で開かれている。内外の受賞作品を中心に約60点。亀井さんは「これまでの集大成と同時に新たな出発点」と位置づけている。28日まで(水曜日休館)。

 

 亀井さんの作品には草花のほか果物や野菜なども使った立体感にあふれるものが多い。草花の多くはご自宅の庭園で自ら育てたもの。使う果物はイチゴにミカン、スイカ、メロンの皮、野菜はオクラ、アスパラガスなど実に多種多彩。これらの〝自然からの贈り物〟に、草木染や自作の俳句、音楽の楽譜などを組み合わせて、額縁の中に独創的な世界を作り出す。それらの作品を貫くのは自然への賛歌であり、平和へのメッセージである。

 

 作品に対する評価は高い。とりわけ海外での注目度は高く、これまで多くの賞を受賞してきた。アントニオ・ガウディ芸術大賞、フランス「美の革命展」ルーヴルグランプリ賞、サンクトペテルブルク美術アカデミー賞……。バッハの大ファンという亀井さんの作品の中にはドイツのセバスチャン・バッハ・アートグランプリ賞を獲得したものも。

    

 別の作品はカラヤン生誕100周年記念楽譜の表紙デザインにも採用された。さらに昨年春にはゴッホ生誕160周年を記念した「永遠のひまわりシャンパン芸術創生賞」を受賞し、特別醸造のシャンパンのラベルにもなった。作品展の会場にも受賞記念のトロフィーやブロンズ像、ティアラなどがずらりと並ぶ。亀井さんが主宰する押し花教室「長園(おさぞの)」受講生たちの作品も展示されている。

 亀井さんが押し花を始めたのは数十年前、春の到来を告げるツクシを半切りにしてみたのがきっかけとなった。今回の作品展は数年前から温めていたもの。ところが約1カ月前の8月7日、押し花作りを側面から支えてくれ、作品展を楽しみにしていたご主人が亡くなられたという。作品展の準備も重なって、さぞかしご苦労も多かったに違いない。

 1933年(昭和8年)生まれの亀井さんは常々「コウキ高齢者でありたい」と話す。コウキは後期でなくて光輝。「光輝高齢者」である。お年寄りに対する敬愛の念が微塵も感じられない「後期高齢者」。その事務的で冷たい言葉に対して、なんといい響きだろうか。亀井さんは「今回の作品展を1つのめどとし、見ていただいた方々のご意見を参考にしながら、さらに前進していきたい」と話していた。

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<なら国際映画祭開幕> 奈良県新公会堂前にレッドカーペット 

2014年09月13日 | メモ

【13~15日に奈良市内8カ所で内外の作品約60本を上映!】

 レッドカーペットをドレスアップした紳士・淑女が胸を張り、ゆっくり歩を進める。映画人にとってはまさにハレの舞台に違いない。12日開幕した「なら国際映画祭」。奈良県新公会堂前に敷かれたレッドカーペットを、奈良在住の河瀬直美監督やコンペティション部門審査員の女優夏木マリさんら盛装した約400人が歩いた。奈良公園内のその周りは国際的で華やかな雰囲気に包まれた。

 

 「なら国際映画祭」は2007年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した河瀬さんの提唱で2010年に始まった。隔年開催で今回で3回目。今年はならまちセンターや奈良女子大学講堂、春日大社など8会場で、15日まで内外の作品約60本が上映される。新進気鋭の監督を対象とするコンペ部門には応募作約150点の中から選ばれた8作品が上映される。最優秀作には「ゴールデン鹿賞」と、副賞として奈良県内を舞台に映画を制作する権利が与えられる。

 2010年映画祭でゴールデン鹿賞を受賞したペドロ・ゴンザレス・ルビオ監督(メキシコ)が奈良で制作した作品「祈り~inori~」は世界各国で高く評価され、スイス・ロカルノ国際映画祭では新人賞を獲得した。前回同賞を受賞したチャン・ゴンジェ監督(韓国)は五條市を舞台に日韓合作の「ひと夏のファンタジア」を制作、その作品は今映画祭で公開される。映画祭は新進監督の発掘とともに奈良の世界的なPRにもつながっているようだ。今年の受賞作品は15日の閉会式で発表される。

 映画祭を主催するのはNPO法人なら国際映画祭実行委員会(NIFF)。レッドカーペットは午後4時にスタートした。歩きぞめの獅子舞を先頭に、同NPO理事長で映画祭エグゼクティブ・ディレクターの河瀬さんやコンペ審査委員長のルチアーノ・リゴリーニ氏(スイス)、夏木マリさんらが続く。中にはロッテルダム国際映画祭の関係者や初監督作品が上映される東大寺学園の高校生、前夜祭で自著『子宮の言葉』を朗読した女優・写真家の松田美由紀さん、サッカー「奈良クラブ」の選手たちも。この後、新公会堂でオープニングセレモニーが開かれ、上映作品の紹介に続いて河瀬さんが開会を宣言した。

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<ケシ(芥子)> 薄紙細工のような花びら、麻薬の原料になるものも

2014年09月11日 | 花の四季

【神秘的な「ヒマラヤの青いケシ」、英名は「ブルーポピー」】

 主な原産地はギリシャや西南アジア。ケシ属の一部はモルヒネなど麻薬原料となる成分を含み、古くから薬用や観賞用として栽培されてきた。花色は白、紫、紅などカラフルで、チベットや中国南西部の秘境には神秘的な青花もある。通称「ヒマラヤの青いケシ」(写真)と称され、英名では「ブルーポピー」と呼ばれている。

 和名の「芥子」は本来カラシナを指していたが、種子が似ていることから転用され、さらに誤読されたともいわれる。ケシ属の植物は寒さに強い、花弁は4~6枚、傷を付けると乳液を出す、実が熟すと上部から種子を飛ばす――などの特徴を持つ。その種は「けし粒ほど」と形容されるように極めて小さい。種子から採れるケシ油は食用油や絵具の原料にも。

 ケシ属のうちソムニフェルム種とアツミゲシ、ハカマオニゲシは麻薬成分を含む。このため日本ではあへん法や麻薬・向精神薬取締法で栽培が禁止されている。厚生労働省はソムニフェルム種の八重咲きが「ぼたんけし」、ハカマオニゲシが植えてもいい「オニゲシ」や「オリエンタルポピー」といった名前で出回ることがあるとして注意を喚起している。植えてもいいのはオニゲシのほかヒナゲシ(虞美人草)、アイスランドポピー、ブルーポピーなど。

 「ヒマラヤの青いケシ」と呼ばれるのは「メコノプシス」と呼ばれる青い花の総称。メコノプシスは約50種あるといわれる。国内の栽培施設として有名なのが大阪市の「咲くやこの花館」。独自技術で開花調整しており、高山植物室で1年を通して見ることができる。ブータンでは最も標高が高い地域に分布する「メコノプシス・ホリドーラ」というブルーポピーを国花に定めている。「散り際は風もたのまずけしの花」(宝井其角)。

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<奈良県立図書情報館>「エメー・アンベール―スイス特派使節の見た幕末日本」

2014年09月10日 | 美術

【日本・スイス国交樹立150周年を記念して】

 奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西)で「エメー・アンベール―スイス特派使節の見た幕末日本」展が開かれている。日本・スイスの国交樹立150周年を記念した催し。エメー・アンベール(1819~1900、写真㊧)は江戸時代末期の日本の姿をヨーロッパに紹介した日本見聞記「幕末日本図絵」を出版したことで知られる。28日まで。

 

 アンベールが日本にやって来たのは1863年。当時スイスの時計製造業組合の会長を務めており、日本との修好通商条約締結に向けた特別使節として派遣された。だが、来日時は生麦事件や薩英戦争が起きるなど日本国内の情勢が不安定だったこともあり、江戸幕府との条約締結は約10カ月後の翌64年2月6日になった。

 

 アンベールは江戸と横浜の滞在中、市井の風俗や風景を描いた版画を積極的に収集、同時に日本で写真家として活躍していたフェリーチェ・ベアート(1825~1905)から多くの写真を譲り受けた。それらをもとに帰国後の1866~69年、パリの雑誌に日本特集を連載し、70年には2冊組みの「幕末日本図絵」を出版した。アンベールが収集した版画や自身のスケッチ、写真をもとに描かれた銅版画や水彩画などはジャポニズムの先駆けとして評価されているそうだ。

 同展では江戸城内や日本橋、鎌倉八幡宮、大道芸人などの水彩画や白黒の銅版画などとともに、「幕末日本図絵」2冊、1969年に出版されたその日本語訳本も並ぶ。条約締結直前の1864年1月にアンベールが妻宛てに「条約できた!」と書いた手紙のパネル写真や明治時代中期にスイスから輸入された懐中時計なども展示されている。

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<奈良クラブ> 関大FCに3―2で辛勝、優勝まであと2試合

2014年09月08日 | スポーツ

【課題も! 3―0から後半に2失点】

 関西サッカーリーグDiv.1は第12節を迎え、奈良県橿原市の橿原公苑陸上競技場で7日、奈良クラブ―関大FC2008戦が行われた。前節FC大阪を破り勝ち点差で首位に立った奈良クラブは後半、関大FCの攻勢にてこずりながらも3―2(前半2―0、後半1―2)で辛勝した。残り2試合に勝てば奈良クラブの優勝が決まる。

 奈良クラブのホーム最終戦とあってスタンドは多くのサポーターで埋め尽くされた。午後1時、関大FCのキックオフで試合開始。前半は奈良クラブがボールを支配し、16分、堤がゴール左にボレーシュートを決めて先制。堤は途中出場した前期でも2得点を上げる活躍を見せている。さらに37分には瀬里がゴールを決め、前半を2―0で折り返した。(下の写真㊧先制のゴールを決め祝福される堤=23番、㊨2点目をゴール左に蹴り込む瀬里=9番)

 

 後半に入っても奈良クラブの攻勢が続く。55分には再び瀬里が見事なヘディングゴール。この時点で3―0。奈良クラブの楽勝かと思われた。ところが、後半の中盤以降、早いパス回しでボールを支配したのは関大FCだった。コーナーキックで1ゴールを決めると、さらに勢いづく。奈良クラブの反則でPKを得て、その差、わずか1点に。その間、奈良クラブは焦りからか、チャンスにオフサイドを繰り返した。

 

 奈良クラブは前節でも途中6―0から相手に2点を奪われている。大量得点からの気の緩みだろうか。試合後、監督や選手からも反省の弁が続いた。「ふがいない試合だったが、勝ちきったことをポジティブにとらえたい」とキャプテンの伊澤篤。中村敦監督も「後半の内容が悪かったのは選手たちも自覚しているはず。安定した強さを手に入れられるよう頑張りたい」などと話していた(写真㊨)。ただ、辛勝でも勝ち点3を得たのは大きい。選手もサポーターも肩を組んでラインダンスで勝利を祝った。

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<カトレア> 華やかな花姿から「洋ランの女王」とも

2014年09月05日 | 花の四季

【原産地は中南米、コスタリカやコロンビアの国花】

 中南米の熱帯高地に分布するラン科の多年草。着生植物で、木の幹の樹皮や岩肌などに付着する。日本には明治時代に英国から渡来した。多彩な花色や華やかな花姿から「洋ランの女王」の異名を持つ。結婚式や発表会のブーケやコサージュなどとしてもよく使われる。

 カトレアの名前は19世紀の英国の園芸家ウィリアム・カットレーにちなむ。ブラジル原産のカトレアの栽培に英国で初めて成功したことから、その植物に「カトレア・ラビアータ」の名が付けられた。和名は「ヒノデラン」。牧野富太郎博士がその美しさを日の出に見立てて命名した。だが、残念ながらその和名はほとんど使われていない。

 カトレア属の植物は属間交配が可能で、多くの掛け合わせで数千とも数万ともいわれる品種が作り出されてきた。開花期は春咲き系、夏咲き系、冬咲き系、年に数回咲く不定期咲き種などがあり、花径も3cmほどから15cmを超える大輪まである。

 中南米にはカトレアを国花としている国も多い。〝自然の宝庫〟といわれランだけでも約1400種が自生するというコスタリカは「カトレア・スキンネリ」という種類を国花と定めている。コロンビアやベネズエラもカトレアの1種を国花としている。「カトレアも見舞し人も美しく」(蒲田芳女)。

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<BOOK> 「植物の奇妙な生活 電子顕微鏡で探る脅威の生存戦略」

2014年09月04日 | BOOK

【著者=ロブ・ケスラーら3人、監修=奥山雄大、訳=武井摩利】

 英国旅行の際、ロンドンのキュー王立植物園を訪れたことがある。芝生で休んでいると、遠くから人懐こいリス(勝手に「ピーター」と命名)が駆け寄ってきた(写真㊨)。随分前のことだが、その場面が昨日のように思い出される。本書はその世界で最も有名な植物園の全面協力で出来上がった「世界で一番美しいシリーズ」の『花粉図鑑』『種子図鑑』『果実図鑑』の3冊のエッセンスをぎゅっと1冊にまとめ上げたもの。

    

 著者は植物学者のマデリン・ハーレー、種子形態学の専門家ヴォルフガング・シュトゥッピー、視覚芸術家のロブ・ケスラーの3人。植物は「確実に子孫を残すために信じられないほど多種多様な戦略を編み出した」。植物の生殖器官である花粉や種子、果実を光学顕微鏡や電子顕微鏡で撮った精細な拡大写真が全144ページの多くを飾る。肉眼では見えない〝小宇宙〟は実に美しい。それぞれがカラフルで不思議な形をしている。

 写真の間で植物の奇妙な生存戦略を分かりやすく解説。花粉は「自然界の建築学と構造工学の完璧な傑作」という。花は「運び屋の生物(昆虫など)を呼び寄せるための多種多様な広告戦略や報酬を発達させた」。死肉にたかるハエを送粉者に選んで進化した花は、見かけも臭いも動物の死骸にそっくりという。

 「植物が昆虫の必要に合わせて適応するだけでなく、昆虫の方も『自分たちの花』に合わせた進化をして、身体や口器の形、採食行動を変えてきた」。これを「共適応」というそうだ。マダガスカルのランの送粉者の姿を予言したダーウィンの逸話が興味深い。彼は細長い距(きょ)を持つ花を見て、距の奥の蜜を吸えるほど長い口を持つ昆虫(ガ)が存在するに違いないと考えた。長さ22cmの口吻を持つ巨大スズメガが発見され、説の正しさが証明されたのはダーウィンの死後数十年のことだった。 

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<川上村・滝2題> 蜻蛉の滝と不動窟鍾乳洞・不動の滝 

2014年09月03日 | 旅・想い出写真館

【「蜻蛉」はアブに刺された雄略天皇のトンボ伝説から】

 奈良県の東南部、大台ケ原の北西に位置する川上村。吉野川(紀の川)の源流域に当たり、今月5~7日には全国の源流に位置する町村が一堂に会す「第5回全国源流サミット」が開かれる。さらに11月にはこの山村を舞台に「第34回全国豊かな海づくり大会~やまと~」の放流・歓迎行事も開かれる予定。好天の2日、その川上村を探索した。

 

 最初に訪れたのは「蜻蛉(せいれい)の滝」。国道169号の五社トンネルを抜けて右折すると「あきつの小野公園」がある。滝はその公園内の石段を5分ほど登った所にあった。落差約50m。「ゴォー」という大音響を上げて一気に流れ落ちる。前日雨が降ったこともあって水量が豊富。上から見下ろすと、しぶきが光に反射してかすかに虹色に輝いていた。説明文にも「飛沫が太陽に映じて常に虹をつくっていることから、この付近は一名虹光(にじっこう)といわれている」とあった。

 

 滝の名は雄略天皇が狩りのため行幸した時の蜻蛉(トンボ)伝説にちなむ。天皇の肘に吸い付いた1匹のアブを、どこからともなく飛んできたトンボがかみ殺した。天皇はそのトンボをほめたたえ、この地を蜻蛉野(あきつの)と呼ぶように。それにちなんで滝も「蜻蛉の滝」と名付けられた。螺旋階段を下ると、真正面に滝の中ほどが現れた。見下ろすと、滝は2段になっていた(上の写真㊨)。この滝は万葉集に登場し、松尾芭蕉や本居宣長ら著名な文人墨客も訪れたという。

 次に向かったのは奈良県の天然記念物にも指定されている深さ140mの「不動窟鍾乳洞」。169号を南下し柏木トンネルを越えた吉野川沿いにある。管理するのは「喫茶ホラ!あな」という飲食店。料金500円を払って階段を下り洞窟内へ。中は薄暗くて通路は狭く天井も低い。時々頭をぶつけながら進む。中ほどまで来ると石灰岩の上に不動尊が祀られ、その左手に大飛瀑「不動の滝」があった。岩の間を白く泡立った水が激しい勢いで下る。そのすさまじいばかりの轟音が洞窟内に響き続けていた。(下の写真㊨)。

 

 洞窟内はひんやりしており、滝のそばに置かれた温度計は14度を示していた。後でうかがった喫茶の女性によると、年中11~14度で夏は涼しく冬は暖かいという。「三途の川」と名付けられた川沿いを通り、「胎内潜り」という狭い通路を中腰になって抜けると「奥の院」という広場に出た。ここが終点。ゆっくり歩いて往復約30分の洞窟巡りだった。この不動窟は大峰登山の裏行場として名高く、学術的にも極めて貴重という。

              

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<サギソウ(鷺草)> 優雅にシラサギが舞うような花姿から

2014年09月01日 | 花の四季

【江戸初期から栽培? 姫路市の「市の花」白鷺城にちなみ】

 ラン科サギソウ属(ミズトンボ属)の多年草。唇弁と呼ばれる下側の花弁が純白で、サギが羽を広げて優雅に舞うように見えることから、その名が付いた。日当たりのいい湿地を好む。かつては全国各地に自生地があったが、野生のものは乱獲や開発によって激減。環境省のレッドリストには準絶滅危惧種として掲載されている。

 サギソウは江戸時代初期には既に栽培されていたとみられる。日本最初の園芸書といわれる「花壇綱目」(1681年刊行)や貝原益軒が書いた「大和本草」(1709年)にも紹介されているためだ。花期は7~9月、草丈20~40cm。葉に斑(ふ)や覆輪が入る品種もある。同属の仲間にダイサギソウ、ミズトンボ、イヨトンボなど。

 サギソウは姫路城が世界遺産になっている姫路市の「市の花」になっている。別名の「白鷺城」にふさわしい花として半世紀前の1966年に選ばれた。市はサギソウの啓発普及活動として毎年、写真展や栽培講習会などを開催、今年も10月1~13日に「緑の相談所」で写真展を開く。愛媛県今治市のサギソウ自生地「蛇越池」では約20年前から地元の児童や高校生が苗を植え付け繁殖に取り組んでいる。

 東京都世田谷区にはサギソウの悲話が伝わる。400年以上前の江戸時代、常盤は世田谷城主吉良頼康の寵愛を受けていたが、家臣との密通の作り話で追い込まれる。常盤は自害し身の潔白を晴らそうと、かわいがっていたシラサギの足に遺書を結び父母が住む奥沢城に向けて放つ。そのサギをたまたま狩りをしていた頼康が射止める。遺書で常盤の無実を知って城へ急ぐが、時既に遅かった。その後、サギを射止めた跡にはサギに似た可憐な花が咲いた――。サギソウは世田谷区の「区の花」になっている。「風が吹き鷺草の皆飛ぶが如」(高浜虚子)。

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