く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<オオアラセイトウ(大紫羅欄花)> 別名に「諸葛菜」や「紫花菜」

2019年03月29日 | 花の四季

【中国原産、総状花序に淡紫色の十字花】

 中国原産のアブラナ科オオアラセイトウ属(オリチオフィラグムス属)の2年草。日本には江戸時代に観賞用として渡来したが、広く栽培されるのは1930年代以降になってから。今では野生化し、道端などでも見かけるようになってきた。花期は長く3月から5月頃まで。草丈は30~60cmで、茎の先の総状花序に径2~3cmほどの淡紫色や紅紫色の十字形の4弁花を付ける。

 「オオアラセイトウ」の名付け親は植物学者の牧野富太郎博士で、アラセイトウは切り花やブーケなどとして人気があるストック(アブラナ科アラセイトウ属)の和名。若芽が食用にもなるオオアラセイトウには「ショカツサイ(諸葛菜)」や「ムラサキハナナ(紫花菜)」の別名もある。諸葛菜の名前は中国・三国時代の軍師・諸葛孔明(181~234)が兵士の食料用として栽培し広めたことに因むそうだ。東京都武蔵野市はこの植物をムラサキハナナとして「市民の花」の一つとしている。

 「ハナダイコン(花大根)」の呼び名でも広く親しまれている。ただ、このハナダイコンは同じアブラナ科でも別属のハナダイコン属(ヘスペリス属)の植物の正式名。花の色形などがよく似ていることによって混乱が生じているが、こちらはヨーロッパ原産で、草丈は50~90cmとやや大きい。紫花のほか白花もある。オオアラセイトウはモンシロチョウの仲間スジグロシロチョウの食草の一つになっている。「諸葛菜咲き伏したるに又風雨」(水原秋櫻子)

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<ブルビネラ> 直立した穂先に鮮黄色の小花を無数に

2019年03月24日 | 花の四季

【南アフリカ原産、「キャッツテール」の別名も】

 ツルボラン科ブルビネラ属の植物は南アフリカとニュージーランドに20種余りが分布する。このうち国内でよく栽培されているのが「ブルビネラ・フロリブンダ」。原産地は南アフリカ南部のケープ地方で、直立した花茎(高さ50~100cm)の先に穂状の花序をつくり、鮮やかな黄色の小花を密に付ける。花期は3~4月。日本にやって来たのは1970年代といわれ、切り花のほか生け花の花材としても人気を集めている。

 属名「Bulbinella」の語源はラテン語で球根や鱗茎を意味する「bulbus」から。この属の植物に球根のような塊茎を持つものが多いことに因む。種小名「floribunda」は「花の多い」を意味する。ブルビネラ属には白花の「コーダフェリス」やオレンジ~クリーム色の花を付けるものもある。ふさふさした花穂が猫の尻尾を連想させるとして英名では「キャッツテール」とも呼ばれる。

 ただ、この「キャッツテール」は花姿がよく似た西インド諸島原産の「アカリファ・ヒスパニオラエ」に対しても使われる。トウダイグサ科エノキグサ属(アカリファ属)の熱帯植物で、エノコログサ(猫じゃらし)のような形の真っ赤な花穂を付ける。またブルビネラ属の近縁種で名前がよく似た植物に「ブルビネ属」がある。ブルビネラの雄しべの花糸が無毛なのに対し、ブルビネには毛があるのが特徴。葉がアロエのように多肉質でオレンジ色の花を付ける「ブルビネ・フルテスケンス」は「ハナアロエ」の和名で呼ばれている。

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<ミリオカルパ・スティピタタ> 花は長いひも状の花序に

2019年03月20日 | 花の四季

【ブラジルなど南米原産の常緑低木】

 イラクサ科ミリオカルパ属の常緑低木。学名は「Myriocarpa stipitata Benth.」。属名ミリオカルパはギリシャ語の「myrios(無数)」と「karpos(果実の)」に由来する。同じ仲間の植物は中南米のメキシコからブラジルなどにかけて20種ほどが確認されているという。雌雄異株のものが多く、雄花は萼(がく)が4~5深裂するが、雌花の萼は退化している。葉は大きく縁に鋸歯がある。

 スティピタタはブラジル~コロンビアの原産。葉は濃緑色の卵状披針形で、長さ20~30cmと大きいのが特徴。茎上部の葉の脇から長くて白いひも状の花序を垂らす。「stipitata」は「柄のある」を意味するという。イラクサ科の仲間には葉や茎に刺毛があるものが多い。その刺に触れると痛いことからイラクサには「刺草」や「蕁麻」の漢字が当てられているが、このスティピタタも若い枝には毛がある。

 学名末尾の「Benth.」は英国の植物学者ジョージ・ベンサム(1800~84)が命名者であることを示す。叔父は「最大多数の最大幸福」として知られる功利主義の創始者、ジェレミー・ベンサム(1748~1832)。ジョージ・ベンサムは10万点を超える植物標本を収集した。ミリオカルパという新属もコロンビアで採集されたこのスティピタタの標本がきっかけになったそうだ。

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<近江八幡・左義長まつり> 激しいぶつかり合いの後に〝奉火〟

2019年03月18日 | 祭り

【干支の猪に因み丹精込めて作ったダシが13基】

 滋賀県近江八幡市の日牟礼(ひむれ)八幡宮の火祭り「左義長まつり」(国選択無形民俗文化財)が16、17の両日行われ、市内外からの多くの観客でにぎわった。初日には〝奉納町〟と呼ばれる旧城下各町が作った左義長ダシ13基の宮入やダシコンクールを開催、2日目には八幡宮の馬場を中心にダシ同士の〝組み合わせ〟が繰り広げられた。ぶつかり合いの激しさから〝けんか〟とも呼ばれる。日が落ちると〝左義長奉火〟。今年の五穀豊穣と火除け・厄除けを願ってダシに次々と火が放たれた。

 この火祭りはもともと安土城下で行われていたもので、城主の織田信長自ら参加していたともいわれる。『左義長祭の唄』の中でも「ハァー おどり出したる信長公の 由緒残したこの祭り」と歌われる。その後、豊臣秀次が八幡山城を築いたのを機に、安土から移住してきた人々がここで始めたという。江戸時代には全国各地の左義長同様1月14~15日に行われていたが、明治時代に入って3月に変更となった。

 

 ダシは毎年、奉納町ごとに年明けから2カ月ほどかけ丹精込めて作る。前面はその年の干支をテーマに、穀物や海産物など食料品を素材に使って飾り立てるのが特徴。16日のダシコンクールでは、昨年に続いて「第十一区」が今年も優勝を飾った。タイトルは「摩利支天~心願成就」。中心に据えた猪の周りに御朱印帳や数珠を配した作品。間近に見て触って、その丁寧な作りに驚かされた。御朱印帳の赤い地の部分はなんと無数の桜エビだった。花びらの輪郭は様々な豆類で、右側の大きな数珠も小豆でできていた。「燃やすのはもったいない」。法被姿の男性に声を掛けると、「燃やすため手間と経費を惜しまずに作ったものなので」と話していた。

 

 17日の昼すぎ、「チョウヤレ」の掛け声も勇ましく各町内を練り歩いたダシが三々五々、八幡宮の広場に集まってきた。程なく〝けんか〟がスタート。向かい合った2基のダシが担ぎ棒の前部を高く持ち上げ、笛と「セイノー」の掛け声に合わせ突進する。まさに猪突猛進。ぶつかり合いは一方が横倒しになるまで続いた。中には猪の作り物が破損し落下したところも。〝けんか〟は相手を変えながら広場のあちこちで数時間にわたって繰り広げられた。この日は一時風が強くて寒く、時折小雨も落ちた。だが会場はそんな天気を吹き飛ばすような熱気に包まれていた。まさに『左義長祭の唄』の通りだった。「ハァー 天下奇祭の左義長おどり 馬場は火の海人の波」

 

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<春日大社> 古式ゆかしく「御田植神事」

2019年03月16日 | 祭り

【田植歌に合わせ八乙女が雅に田舞を奉納】

 東大寺の修二会(お水取り)が未明に満行を迎えた15日、今度は春日大社で五穀豊穣を祈願する「御田植神事」が執り行われた。約900年前の平安末期の1163年(長寛元年)から続くという伝統的な神事。奈良県内では毎春各地で多くのお田植え祭が行われ、中には飛鳥坐(あすかにいます)神社(明日香村)の「おんだ祭」のように動きの激しいユーモアあふれるものもある。それらとは対照的な古式に則った神事だが、素朴な中にも雅な味わいがあった。

 この日は午前10時から本殿で「御田植祭」が関係者以外非公開の中で行われた。11時すぎ、摂社若宮神社でお祓いを受けた八乙女(巫女8人)や田主、神楽男(かぐらお)らが南門から入場し、御田植神事の会場となる〝林檎の庭〟に勢ぞろいした。庭の北西角には樹齢1000年ともいわれる神木の杉。まず牛面を被った牛男が唐鋤を引いて田を掘り起こし、田主が鍬で耕す。これらの所作が終わると、八乙女が本殿に向かって横一列に整列し田舞の奉納が始まった。一般客は幣殿越しに垣間見る形になるが、何重もの観客でごった返した。

 

  八乙女は腰に籠を下げ、緋色のたすけ掛け姿。神楽男が笏拍子(しゃくびょうし)や笛などを奏しながら田植歌を歌う。「若たね 植えほよ 女の手に手をとりて ひろいとるとよ や~れやーれ や~れや~れ」。八乙女は歌に合わせ手を交互に上げたり、早苗に見立てた松苗を植える所作を交えたりしながら舞う。静かな舞が続く中、片足立ちで両手を翼のように広げる素早い動きが織り込まれていた。この部分、「雀の舞」と呼ばれているそうだ。

 

  同様の神事は林檎の庭のほか、榎本神社前と若宮神社前でも行われた。榎本神社は本殿の南側に位置し、田舞の奉納場所は参道すぐ脇の広場。このため、ここでも一時観客が参道を埋め尽くすほどだった。それに比べると若宮は3カ所目ということや会場の南庭が見学しにくいこともあって、観客の数はぐっと少なめだった。奉納が終わり奉仕者が引き揚げると、八乙女が置いた松苗などを手に入れようと直後に走り込む観客たちもいた。

 

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<メガスケパスマ・エリトロクラミス> 一属一種の熱帯植物

2019年03月13日 | 花の四季

【ベネズエラなど中南米原産、濃い桃色の花(苞)を穂状に】

 キツネノマゴ科メガスケパスマ属の常緑小低木で、樹高は3~4mほど。中南米のベネズエラやコスタリカ、ニカラグアなどの熱帯地域に分布し、湿潤な日陰地に自生する。一属一種で、メガスケパスマ属の植物はこの他にない。晩秋から早春にかけ、枝先に長さ20~30cmの円錐花序を立てて穂状に花を付ける。

 属名「Megaskepasma」の語源はギリシャ語の「メガ(大きな)」と「スケパスマ(覆われた)」から。先が尖った長楕円形の葉が長さ15~30cmと大きいことによるという。種小名「erythrochlamys」は「エリトロ」と「クラミス」の合弁語で、「赤いマント(外套)」や「赤い苞(ほう)」を意味するそうだ。

 別名「ブラジリアン・レッド・クローク」。花の様子をブラジル人が身にまとった赤いマントにたとえた。赤桃色で花弁のように見えるのは蕾を包むように葉が変化した苞片で、本来の花弁はその間から顔をのぞかせる白や薄いピンク色の舌状のもの。苞は花が落ちた後も長く残る。

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<キバナカタクリ(黄花片栗)> 北米原産のカタクリの仲間

2019年03月11日 | 花の四季

【花も葉もやや大型、「西洋カタクリ」とも】

 カタクリはユリ科カタクリ属(エリスロニウム属)の多年草で、可憐な姿から〝スプリング・エフェメラル(春の妖精)〟とも形容される。北半球に20種余りが分布しており、日本産のカタクリ(学名「Erythronium・japonicum(エリスロニウム・ヤポニクム)」もその一つ。日本に自生するのはこの1種だけだが、北米には多くのカタクリの仲間が分布する。花の色は日本産が薄紫や桃色なのに対し、白や黄色のものが多い。その中の黄花が通称「キバナカタクリ」と呼ばれ目にする機会も増えてきた。

 キバナカタクリの名前は本来アメリカやカナダ南部の亜高山帯に自生するカタクリの1種「E・frandiflorum(グランディフロルム)」に対する和名。ただ国内の園芸界では黄花の原種を交配し作り出された園芸品種が広くキバナカタクリとして流通している。「セイヨウ(西洋)カタクリ」や「ヨウシュ(洋種)カタクリ」という呼び名も。小さく清楚な佇まいの日本のカタクリに比べると、草丈が高く花や葉も大きいものが多い。暑さ、寒さにも比較的強いため、日本でも栽培しやすいといわれる。

 よく出回っている代表的なものがカリフォルニア原産の「E・tuolumnense(トゥオルムネンセ)」の交配・改良品種「Pagoda(パゴダ)」。草丈が30~40cmで、日本のカタクリが1茎1花なのに対し1本の茎に花を数輪付ける。種小名は「トゥオルミ産の」を意味し、ヨセミテ国立公園内の地名に由来する。品種名のパゴダは東洋の仏塔のこと。花弁が外側に大きく反り返る様子が仏塔の屋根を連想させることから名付けられたそうだ。

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<月ケ瀬梅林> 約1万本の梅の花、まもなく見ごろに

2019年03月06日 | 花の四季

【関西屈指の名所、「梅まつり」3月末まで開催】

 関西有数の梅の名所、月ケ瀬梅林(奈良市月ケ瀬尾山)で「梅まつり」が開かれている。最盛期には紅白の梅の花が名張川(五月川)の月ケ瀬湖畔から山腹にかけて艶やかに埋め尽くす。その数、約1万本。5日訪ねると、まだ満開前だったものの、月ケ瀬湖を見下ろす観梅スポットの〝一目八景〟や様々な品種が植えられた梅林公園(写真)は多くの観梅客でにぎわっていた。まもなく本格的な見ごろ時期を迎えそうだ。「梅まつり」は3月31日まで。

 月ケ瀬梅林は約700年前の1300年代に、後醍醐天皇に仕えていた姫若という女官が染色の原料となる烏梅(うばい)の製法を村人に伝えたのが始まりといわれる。それを機に梅の木の植栽が年々盛んになり、江戸時代の最盛期には10万本近い梅が栽培されていたそうだ。尾山地区の山頂に位置する真福寺境内には今も「姫若の梅」と呼ばれる古木がある。烏梅の需要はその後、化学染料の普及などで減少の一途を辿るが、名張川の渓谷と梅林が織り成す自然景観が人気を集め、1922年にはいち早く国の名勝に指定された。

 

 観梅のメーンストリート、一目八景から帆浦梅林を抜けて西に進むと、右手に梅林公園が広がる。ここはもともと「梅の品種園」(1993年開園)があった場所で、様々な梅の品種が栽培されていた。2013年、奈良市がここに遊歩道(延長400m)や展望台、東屋などを整備し、観光客が色とりどりの梅の花を観賞したりゆっくりくつろいだりできる公園として再オープンした。ここの梅は既に七分咲きから満開に近いものもあって見ごたえ十分だった。

 

 公園の斜面を登った所に古木の梅の幹が横たわっていた。「尾山天神梅林最大、樹齢60年の老木」とのこと。昨年9月5日、台風21号の強風で倒れたという。21号といえば関西国際空港や連絡橋なども甚大な被害を受けたあの台風だ。「耐え続け花咲き続け苔むして 尚実をつけし老木を切る」。この梅のそばに、切り倒さざるをえなくなった無念の心境を詠んだ歌が掲げられていた。近くの老木の下には飼い猫を偲ぶ小さな石柱も立っていた。その前にはお供えの花も。そこに添えられていた歌一首「合す手に思い出あふれ梅花散る ともに過せし日々の楽しさ」。 

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<トゲオニソテツ(刺鬼蘇鉄)> ラグビーボール大の緋色の球花

2019年03月04日 | 花の四季

【南アフリカ原産の常緑低木、小葉の縁に鋭い鋸歯】

 ザミア科オニソテツ属の常緑低木。葉は長さが1~1.8mほどの羽状複葉で、小葉の先端に2~4個の鋭い鋸歯を持つ。オニソテツ属の仲間はアフリカ中南部に60種余り分布するが、その中でも特に鋸歯が鋭い刺状になっているためその名が付いた。日本のソテツは小葉が細長い線形だが、こちらは卵形で幅が広いのも特徴。

 雌雄異株。雌株の花は鮮やかな緋色の集合花で、長さ30cmほどの巨大な松ぼっくりのような球花を付ける。学名は「Encephalartos ferox(エンケファラルトス・フェロックス)」。属名はギリシャ語の「en(中)」「kephali(頭)」「artos(ブレッド)」の合成語から。茎の上部や種子にデンプン質を多く含み、原産地の南アフリカで食用にされてきたことに因む。種小名フェロックスは「強い刺の」「刺の多い」「危険な」などを意味する。

 国際的な自然保護団体「国際自然保護連合(IUCN)」(本部スイス)のレッドリストでは準絶滅危惧種。ヒメオニソテツやトノサマオニソテツ、ヒロバオニソテツ、ナガバオニソテツなど仲間の多くも絶滅危惧種や準絶滅危惧種に指定されている。またオニソテツ属の植物は全種がワシントン条約の付属書Ⅰにより、学術目的以外での輸出入が厳しく禁止されている。

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<薬師寺> 国宝東塔の新旧水煙を同時公開

2019年03月02日 | 考古・歴史

【最初で最後の機会、新水煙はまもなく塔の最上部へ】

 国宝東塔を解体修理中の薬師寺(奈良・西ノ京)で1日、奈良時代の水煙と新しい平成の水煙の特別公開が始まった。旧水煙は千年以上にわたって風雪に耐え東塔相輪の最上部を飾ってきた。ただ精密調査の結果、亀裂など傷みが見られることから、代替の水煙が新しく作製された。新水煙は公開後、東塔に取り付けられるため、新旧水煙を同時に見学できるのは今回が最初で最後となる。公開は10日まで。(写真手前が旧水煙、奥が新しい水煙)

 水煙は飛天像が銅製の透かし彫りで精巧に表現されており、奈良時代の工芸技術の高さを示す。東西南北に4面あり、1面の大きさは高さ約190cm、幅約70cm。重さは約100kgもある。横笛を吹いたり散華をしたりしながら飛翔する飛天の姿が左右(東西、南北)対称に彫られている。新水煙を製作したのは富山県高岡市の伝統工芸高岡銅器振興協同組合。形状だけでなく、青く錆びた質感なども忠実に再現した。向かって右側に旧水煙、左側に新水煙が展示されているが、表示がなければ新旧がどちらか全く見分けが付かないほどだ。

 

 会場の一角には水煙の下部に取り付けられる新旧の擦管(さつかん)上部も展示中(下の写真)。表面にはこんな銘文が刻まれている。「天皇即位八年庚辰之歳建子之月以中宮不悆創此伽藍……」。薬師寺の建立が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願う天武天皇の発願によるもので、持統天皇が造営を引き継いだという創建の経緯が詳しく記されている。東塔創建時の古代釘や「金堂東西両塔再興勧進状」(1524年)など過去の修理を伝える古文書なども展示中。

 

 東塔の解体修理は明治時代以来約110年ぶりで、10年前の2009年にスタートした。現在は東塔全体がすっぽり巨大な素屋根で覆われている。昨年5月に心柱を継ぎ足す「立柱の儀」が行われるなど工事は順調に進んでおり、4月27日~5月6日には修理現場の最終一般公開が予定されている。落慶法要は来年4月22~26日の予定。

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<オウレン(黄連)> 早春の山野草として人気

2019年03月01日 | 花の四季

【日本固有の薬用植物、根茎は健胃薬などに】

 キンポウゲ科オウレン属の常緑多年草。北海道・本州・四国の山地の樹林下に群生する。草丈は10~20cmほど。早春の3~4月頃、細い花茎を伸ばして小さな白花を数個付ける。外側の花びらのように見えるのは萼片で、本当の花弁はその内側にあり小さめの匙(さじ)形。花には両性花、雄花、雌花があるが、雌しべだけの雌花は少ない。

 学名は「Coptis japonica Makino(コプティス・ヤポニカ・マキノ)」。学名が示す通り、日本固有の植物で、植物学者の牧野富太郎博士が命名した。和名のオウレンは中国名の「黄連」の音読みから。ただ中国産のオウレンは別種の「コプティス・キネンシス」(シナオウレン)。黄連の名前は地下を斜めに這う根茎がレンコンのように節状に連なり、根茎を折ると断面が鮮やかな黄色であることに由来する。

 葉の形に変異が見られ、「キクバ(菊葉)オウレン」「セリバ(芹葉)オウレン」「コセリバ(小芹葉)オウレン」と呼ばれる。単にオウレンという場合はセリバオウレンを指すのが一般的という。根茎はベルベリンなどのアルカロイド成分を含み整腸、抗炎などの作用がある。このため薬用植物として古くから福井や石川、兵庫、鳥取など各地で栽培されてきた。ただ近年は中国からの安価な輸入品に押され、生産量は減少傾向。オウレンの別種に花の形がウメに似たバイカオウレンがある。

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