ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

高岡福信 @大阪市中央区・肥後橋

2022年08月16日 | 大阪府

大阪船場の道修町(どしょうまち)は江戸時代から薬の町として知られていて、薬問屋や薬品会社が150軒もあるのだとか。そんな会社の立ち並ぶ地域でひっそりと店を構える和菓子の「高岡福信」。創業は寛永元年(1624年)というから400年近い長い歴史を持つ店。店の紹介には”大阪城内の寄人として豊臣秀吉公の御膳預りを勤めその経験を元に、寛永元年(1624年)土佐堀船町(現江戸堀)の北船場の地で菓子業を開始し、五代目文左衛門に至り京都禁裏の御用を承るに及び… ”とある。す、凄い…。その歴史とは裏腹に小さな店には寛永通宝が掲げられ(写真下2枚目)、屋号の看板には「浪花最古の創業」とある。

ガラス木戸を開けて中に入ると小さいガラス・ケースがあるのみ。その中や上にこちらの菓子がぎっしりと並べてある。酒饅頭が有名と訊いたので探すが見当たらない。年配の主人に尋ねると酒饅頭の販売は6月までで(訪問7月)、次は10月から作り始めるのだとか。残念。そこで別の品をと思案するも、あまりありきたりな品をわざわざ持ち帰っても仕方がない。すると「鶏卵素麺」と書かれた細長い箱に目がいった。「鶏卵の…、素麺?…」。1棹お願いする。

2週間程日持ちするので家に持ち帰り、開封して妻と賞味。箱の中には黄色く長い麺が入っている。原材料は鶏卵と砂糖のみ。包みから出して短くカットしていただく。しっかりと甘いが素朴な味。そりゃ原材料が2つだけだものな。少しジャリッとするような食感があるのは砂糖が結晶化しているのだろう。麺状なので口当たりが面白い。和菓子という認識で食べていて「コーヒーとかの方が合うかもね」なんて話していたのだが、後から調べてみて納得がいった。この菓子、元々は安土桃山時代に南蛮貿易でポルトガルから伝わった菓子だという。砂糖蜜の中に卵黄を流し入れて麺状にするのだとか。現在では近くの「鶴屋八幡」の他、京都で1軒、福岡で2軒ほどが扱っているだけだという。そんな歴史的な菓子をいただけて良かった。(勘定は¥1,100)

 

 


 

↓ 国の登録有形文化財に指定されている「北野家主屋」(昭和3年・1928・建造)。探して行った訳ではなく、店に向かう途中で偶然見つける幸運。御堂筋近くの路地にあり、木造3階建て。両側に”うだつ”も上がっているし、各所に銅板が使ってあるので防火に苦心して建てられたのだろう。元々は商家だったそう。

 

 

↓ 現代的なビルの間に忽然と現れる「日本基督教団 浪花教会」(昭和5年・1930・建造)を再訪。ヴォーリズ建築事務所による設計。残念ながら今回も中を観ることは叶わず。

 

 

↓ 「浪花教会」に並ぶのは辰野金吾設計の「旧・大阪教育生命保険」(明治45年・1912・建造)。昨年まで「オペラ・ドメーヌ高麗橋」という結婚式場として使われたが閉業したそうだ(まだ看板は残っている)。この奇跡の並びは残ってほしいなァ…。

 

↓ 歩いていて「塩野義製薬(SHIONOGI)」の本社前を通ったら、前代の建物の一部が残されているのに気付いた。朝鮮総督府等を設計した野村一郎が設計したもので大正13年(1924)に竣工したものだそう。よく見ると後ろの現在のビルも柱のデザインは以前のデザインを踏襲しているのが分かる。

 

 


 

 

御菓子司 高岡福信

大阪市中央区道修町4-5-23

 

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