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蚊焼です。日記です。
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ブログの魔力を持ってしても

2006年07月14日 | 雑感散文

 なんだか、晴れているくせに、パラパラと小雨が降ってきましたよ。
 中途半端な天気ですねぇ。いやらしいですよねぇ。
 もっと、男らしく(?)、降ると決めたらどばぁっと豪雨雷鳴轟かせなさいよ!と天を仰いで文句の一つでも二つでも言いたくなりますよね。

 そんなことを言う自分も、中途半端な男でございまして。
 今日のレポートね、やっぱり中途半端な結果に終わっちゃったんだよね。
 予想通りと言いますか、最後は秘伝の枚数稼ぎ技・文字の大きさを1ポイント大きくし、行間をやや広げたのです。その甲斐ありまして、何とか目標の3枚目に届きました。ただし、3枚目の行数は3行でした。いやほんとに。

 ただね、中途半端なのは字数に限らず、内容ですよ。
 もっと、巨大工事のもたらす環境破壊への影響について、真正面から意見を戦わせてもよかったかなぁと思いつつ、しかしそれに答える環境科学の知識は乏しく、さらには単位も欲しいときたら、コリャ、無難にやり過ごすしかないわけでございます。だから結局、何を言いたいレポートなのか分からなくなってしまったという顛末でございます。
 あ、レポートというのは、さっきの記事にも書いていた、「巨大公共事業」についてのお話ですよ。

 このレポートを無事に印刷し終えたのは締切りの15分前でした。
 気を紛らわすために腕立て伏せをやったり、ウチのI先生からの「人の不幸を見るのは楽しいわぁ」攻撃にも耐え、やっとの思いで、印刷を完了させたのです。

 そして刷りたてのザラ紙のレポートを提出するために、農学部棟内にある教授の部屋を探すも…教授の部屋が見当たりません!
 結局1階から4階までを上り下りし、2階の先生の部屋を見つけて、でも先生は不在でしたので扉の下の隙間からレポートをすっと、「提出」したわけでございます。
 まさかね、3年前と同じ、レポートの提出の仕方をするとはね。

 無事に提出をし終え、研究室に戻って…脱力。
 レポートを終えた後、他にもやることがもろもろあり、また、あれをしたいこれをしたいと、目の前に苦痛な義務を抱え込むとそういった色々な、解放後の楽しい活動プランが頭の中で計画されていたのでありますが、全く手付かず。
 よくあるではありませんか。テスト期間中、勉強しながらあぁしたいこうしたいと、テスト期間終了後の遊びのプランなどをお考えになるでしょう。でも、いざテストが終わると、「寝る!」という酷いオチでございます。
 それと今、似たような状況にワタクシは陥っているというわけでございます。

 せっかくの苦痛から開放されたにもかかわらず、この廃人っぷりといったら、全くもってお恥ずかしい限りでございます。自分のやりたいこと、遊びたいことも出来ない状態になってしまったのか!



 それにしても、先ほど必死に書いていたレポートは、カウントしてみると2220字で書かれていました。普段の日記では平気で2000字を越えるときもあるというのに、何これしきのことでベタつく汗をかきながら必死に書いているのでしょうね。
 やはりブログとレポートは、全く持って別々の得体でございました。

 今ようやく、レポートを自分で読み返してみました。提出期限ギリギリだったから、読み返す暇がなかったんですよ。分かるでしょう?
 それで読み返して、結局何が言いたいのかよく分からないというか、まとまりに欠ける文章になっていたことに気付かされます。いや、書いている段階で軽く気付いてはいたんですがね。
 自分が思っていることを、伝え切れていないのです。
 もっとも、自分は何を思っているのか分からないという、根本的で致命的なところも不足しているのでございますよ。こりゃ、しゃーない。

 最後の結論のところでは、本文中に再三述べているようなことを、最後の一押し!というような感じで、また繰り返し述べている、といった具合です。

 「巨大事業を実施することは、その多大なる恩恵を得ることも確かではあるが、当然ながら費用対効果と、さらに工事の安全の確保や環境への影響に対する対策など、マイナスの面での多大なる影響を慎重に検討される必要性がある。」

 だから何!?って、自分でも突っ込んじゃいたくなりますよ。そんなの当たり前だろうって。しかも専門家の教授に対してそんなこと言ったってしょうがないじゃんよ、ってね。
 プロである教授に対して、素人である学生がそのことについて「論ぜよ」といわれても、無理至極でございますよ。到底無理。だからどうすればいいんだ。
 最もこういう類のレポートに、教授陣は新たなる見地や発見、もしくは学界を揺るがしかねない問題提起を期待しているはずは無いですしね、期待されても書けねぇよ。
 しかしですね、この「論ぜよ」という畏怖極まるこの命令形は、学生の理解度を確認する以上に、何かを学生に求めているような、そんなずしりと重みを持った厳格なる意味合いを醸し出しているように思われるのです。
 上のように、学生に対しての期待がないのであれば、この無意味なまでに学生を追い込む「論ぜよ」を用いないで頂きたく思うのです。「思うところを述べよ」や「考察せよ」ぐらいの言葉で取り計らっていただきたいものです。


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