「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)4度目のスペシャルは、早稲田大学。でもなんだか、どこの大学だろうと、雰囲気というのは左程大差ないような気がしたのです。偏差値はたまた地域格差云々といわれても、学生の気質、自由な雰囲気を観ればどこ吹く平等風か。
いや、つまりですよ。早稲田だからどうの、では無くて、平成と共に育った世代としては、共感すること数多なわけです。どこの大学生も、似たことを考えたり、やってのけたりしているんだなぁ、と感心したわけです。
自由に行きたいと願う気持ち、個性を発揮したいという欲望。どの時代もそうだとは言いながら、矢張り平成は平成の風が吹く。
ゆとり世代でデジタルネイティブな我々は、どこと無く「生き方」というものを探し回って生きている。
「自由」という束縛に、自由な生き方を咎められていやしないか。大学を自由と認識してやりたい放題、社会に出てしまえば束縛と服従か。議論は様々、疑問も多数。
個人的な話になる。自由な学生時代から社会人になるとき、己は一度死んだと思って、社会を生きていこうと考えた。そしたら本当に、死んだように生き繋ぐ日々。何故か毎日が楽しくない。何故か。逆に何が、学生時代に充実しえたのか。それを今考えては、懐かしむばかり。
そこで「太田君」は考える。混沌とする今の社会は、楽しい。今がとても楽しくて、明日はもっと楽しい。誰が社会を閉塞的なものと決め付けた。
実は自分で勝手に、社会に出るからとて、自由とか個性、夢や希望を脱ぎ捨て葬り去ろうとしていたのやも知れない。社会に出て尚、やりたいことを爆発させればよいのではないか。大学時代ばかりが華ではない。
まぁ、そうなんだけれども。
実際には、社会に出たら落ち着かなくちゃ、出る杭を引っ込めなくちゃと身なりを整える。そこんところが多分、今の自分を飛躍させることが出来ない、「突破力」が無いんだろう。
そのような感じで、つい最近まで学生だった自分も、刺激を受け、考えさせられ、そして大学時代の後悔や恥を思い出してはウームと唸っているこの有様。
「突破力」とは、今を楽しめることか。