megumi-cyanが神話の世界が残る雲伯国境、奥出雲の山中に分け入って撮り続けた写真が、カレンダーになった。
以前もらった写真集にあった日本古来の製鉄法によって玉鋼を作る過程の写真と玉鋼を用いた日本刀つくりの写真などが載せられている。
厳冬期を含め、何年もタタラの聖地に詰めたということだったと思う。
おとなしかった幼稚園のころのmegumi-cyanからは想像もつかない。
鉄作りの守り神の神社
司馬遼太郎の「街道をゆくシリーズ」の「砂鉄のみち」の中に、古代、朝鮮半島から製鉄技術を持った集団が出雲に渡来し斐伊川の砂鉄を使って玉鋼を作った歴史と、スサノオもそうした製鉄集団とともにやってきたという話が記されている。
先日、邪馬台国の所在地やらについて、遺跡発掘・古代遺物の発見もからんで諸説紛々の状況をのぞいてみたけど、スサノオとヤマタノオロチについても諸説あるみたいで、島根県では「対決!オロチは鉄か、斐伊川か」なんていうシンポジウムが開かれている。
邪馬台国論争と同様、深入りは避けた方がよさそうだ。