「鎌倉個道」

鎌倉の歴史、草花、食物

逗子から葉山へ(3)

2010-12-13 06:43:50 | Weblog

逗子を流れる田越川(たごえがわ)は海に注いでいます。

蘆花公園からは江の島の向こうに富士山が雪を被っているのが見えました。

葉山町に入っていきます。

「鐙摺の不整合」と呼ばれる古代の地層を見ることができました。

夏のシーズンには車で一杯の道路も比較的すいています。

鐙摺(あぶずり)のヨットハーバー入り口を右に見て真っすぐ進みます。

日本料理店「日影茶屋」の前の山が「旗立山」です。

源頼朝挙兵のときに三浦義澄がここで気勢を上げたことに由来するそうです。

山の上は広くなっていて小さな塚があります。

源頼朝が密かに情を通じて千鶴御前が生まれたが

それを知った親の伊東佑親が殺させてしまったという。

頼朝の時代になって伊東佑親は殺されてしまうが歴史の皮肉でもあるのだろう。

ヨットハーバーの海は静かだった。

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逗子から葉山へ(2)

2010-12-12 07:01:44 | Weblog

鎌倉と逗子は隣接しているのですが町の雰囲気は大きく違います。

為政者の姿勢よりは地形がそうさせているような気がします。

田越川に沿って海に向かいます。

不法係留していたボートが全くなくてかえって風情がなくなった気もします。

赤い橋を渡り山の上までお墓がある宗泰寺(そうたいじ)です。

次に向かったのが「六代御前の墓」です。

壇ノ浦で滅びた平家の大将・平維盛の嫡男の数奇な運命を秘めた物語を聞きました。

大きなケヤキ、タブの木が歴史を感じさせます。

そこから山の上まで一気に(私は喘ぎ喘ぎ、休みながら)登って行きました。

この山一帯が「長柄桜山古墳群」だということは教えられなければわかりません。

平成になって発見されたということを丹念にご説明頂きました。

そこから少し下ると逗子市郷土資料館のある「蘆花記念公園」です。

名残の紅葉を楽しみながらの昼食もまた楽しいものでした。

緩い坂道に看板があります。

これは明治の文学者・徳富蘆花の「自然と人生」の部分を抜き出したもので

当時の生活、逗子の風光などがよくわかるものです。

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逗子から葉山へ(1)

2010-12-11 07:18:57 | Weblog

鎌倉ガイド協会のウォーキングに参加しました。

”毎月よく参加しますね?”と質問されることが多いのですが、

一人で歩くより“目的を持って歩くことが楽しい”と答えることにしています。

亀岡八幡宮の境内はミニバザーで混み合っていました。

昔は「清水八幡宮」と呼ばれ延命寺持ちだったそうですが

明治の廃仏毀釈令で(山の形が亀の子だったこともあり)現在の名前になったそうです。

続いて京急逗子駅そばの「延命寺」(真言宗)

境内にある幼稚園の子どもたちが楽しそうにしています。

関東大震災で倒壊した本堂を鉄筋コンクリートで建てなおしたとか。

境内には北条早雲と戦って敗走した三浦道寸(義同:よしあつ)の弟・三浦道香(どうこう)主従の墓があります。

「北条早雲によって岡崎城を攻められた三浦道寸は、弟道香の守る住吉城に退いたが、住吉城も攻められ落城した。

 道寸は三浦の新井城に逃れたが、道香は最期まで戦い、7騎で落ちのびた末、延命寺で自刃した 。」

三浦半島の付け根にあたる逗子・葉山には様々な歴史が残されているようです。

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ともに生きる社会づくり事業

2010-12-10 20:44:20 | Weblog

12月3日から9日は「障害者週間」です。

あわせて神奈川県・鎌倉市では「ともしび運動」の普及活動を行っています。

鎌倉市ともしび運動推進委員会と鎌倉市社会福祉協議会では

アイススレッジホッケー銀メダリストの上原大祐さんを招いて講演会を実施しました。

(私も推進委員の一人です)

午前9時に会場の鎌倉市生涯学習センターに集合して準備を開始しました。

会場入り口にはポスターも貼られています。

当初参加人数が心配されましたが定刻(10時)にはある程度集まっていただき

講演会がスタートしました。

PCの画面を観客に見てもらいながら彼のひととなり、活動風景が展開していきます。

数年前にパート1を芸術館で開催したときも大きな反響を呼びました。

最後に彼が実際手にした銀メダルが会場を回った時には溜息が聞こえました。

11時半の終了と同時に上原さんが車いすで会場入り口にかけつけます。

来場者は一様に目を輝かせて彼に拍手を送っていました。

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関谷原(続き)

2010-12-09 07:04:57 | Weblog

マイタウン玉縄(http://www.tamanawa.net/index.html)

地元の情報サイトのトップページにネギ畑が掲載されています。

冬の風物詩「大根干し」です。

日だまりでは気が早いスイセンが花開いていました。

サンキライでしょうか(?)

赤い実もなっています。

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朝の関谷原(せきやっぱら)

2010-12-08 07:13:59 | Weblog

朝の散歩も捨てたものではありません。

”大根が売ってたら”の声に押されて出かけました。

残念ながら大根を買うことはできませんでしたが素敵な風景に会いました。

暦の上で12月7日は「大雪」

30年前に亡くなった父の誕生日でもあります。

冬の根菜類、葉ものが収穫を待っています。

白菜です。

キャベツは丸みを帯びてきました。

「かまくら野菜」の名前が地元を元気にしているようです。

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広町の森へ

2010-12-07 07:13:21 | Weblog

久しぶりに「広町の森」に出かけました。

湘南モノレール西鎌倉駅から徒歩約10分で御所谷入り口です。

晩秋と初冬の狭間に入り込んだ気分で歩きました。

ヒヨドリジョウゴの実の赤い色が周囲の枯れ色を引き立てています。

「小春日和」はこの季節の温かい日のことを指すそうですが、

穏やかな日差しに心まで穏やかになります。

花が咲いた形のままで秋を迎えた桐の大木です。

クコ(枸杞)の実が甘く赤くなっているのを見つけました。

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週末は東京へ、そして福島へ

2010-12-06 07:07:31 | Weblog

超多忙な週末になってしまいました。

土曜日(12月4日)には東北新幹線が新青森まで全線開通しました。

お昼の会食(毎年1回、30年前のプロジェクトメンバーが顔を合わせます)

原宿の中華料理店に出かけるのに湘南新宿ライン「恵比寿」駅で乗り換えです。

地下鉄の駅かと見紛う雰囲気で何やら海外に行った気分です。

定刻前に原宿駅で下車しました。

久しぶりに明治神宮の杜に入っていこうと思いました。

何気なく見ている「神宮橋」の由来が橋のたもとに書かれています。

幼いころの元旦には両親と一緒に潜った鳥居です。

外国人も多く大勢の人で賑わいながら静かな佇まいです。

下をのぞくと川が流れ紅葉しています。

大都会の真ん中に静寂があることに感激しました。

会合の後は東京駅経由で福島県に向かいました。

強風のためダイヤが大幅に乱れていました。

静かで悲しいけれど心に温かい灯がともるお通夜でした。

とんぼ返りで深夜のご帰還にはなりました。

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衣笠城へ(続き)

2010-12-05 07:16:18 | Weblog

浦為通が衣笠城をこの場所に築いた理由は

・「大善寺」が修験道場だったこと

・古久里浜湾が深く入り込み出船が容易だったこと

・三方が山に囲まれて理想的な馬蹄形だったこと

の3つだそうです。(鎌倉ガイド協会)

源頼朝は無二の忠臣・三浦義明を開基とする「満昌寺」を建てた。(1194年)

三浦氏滅亡後一時衰退したが天岸慧広(てんがんえこう)が復興した。

本堂背後の山が三浦義明の霊社「御霊神社」です。

昼食後は三浦一族の匂いが満ちた場所を巡る旅に出ました。

・「近殿(ちかた)神社」(三浦義明の孫・義村を祀る)

・「薬王寺」跡(三浦義澄の墓)

・「腹切りの松」公園(三浦義明が落城に際して居城を静かに拝して自害したとされている)

・「清雲寺」(三浦義継が為継の冥福を祈るために建立したと伝えられる)

ガイドなしではなかなか歩けないコースでした。

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衣笠城へ

2010-12-04 07:39:00 | Weblog

三浦半島は三浦一族の歴史の宝庫でもあります。

三浦氏は桓武平氏の子孫「村岡為通」が「前九年の役」に参戦し恩賞として三浦の地を拝領して「三浦」を名乗ったのが始まりと伝えられる。衣笠に本城を築き代々の源家に仕え鎌倉幕府草創の立役者となった。(鎌倉ガイド協会「古都鎌倉史跡めぐり」より)

大雨洪水警報の中を大幅に遅れたバスから横須賀線に乗ってJR衣笠駅に到着したのが9時15分ころでした。

10時には鎌倉ガイド協会の案内で第1グループとして出発しました。

荒天にかかわらず総勢30人ほどの集団になったようです。

最初に奈良時代後期に創建された「曹源寺」(曹洞宗)を訪ねました。

木造十二神将は先日まで鎌倉国宝館(薬師如来と十二神将展)にお出ましでした。

衣笠十字路に戻ってバスに乗り衣笠城址で下車します。

何の変哲もない石に「衣笠城追手口遺址」が刻まれていました。

急な山道をまっすぐ登っていきます。

”やめればよかった”と一瞬思い、気を取り直して登り続けます。

石段を上ると不動明王を祀る「大善寺」です。

このお不動様は行基の作と伝えられ「箭執(やとり)不動」の名があります。

三浦為継が「後三年の役」に出陣した際に敵の矢を払い落として守ったという言い伝えだそうです。

扁額には小泉純一郎元総理の「無信不立(信なくば立たず)」の文字が掲げられていました。

時の宰相は論語の文章をもって自己の信条を伝えたかったのかもしれません。

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