鎌倉ガイド協会主催のウォーキングに参加した。
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■旅の始め
雨の中を鎌倉駅西口から市役所方面に向かう。
市役所は鎌倉御所と呼ばれる皇族の住まいがあり、
さらに諏訪氏の舘があった場所だが、
その昔は「郡衙」(市役所)でもあった。
紀伊国屋は40年以上前の皇室のロマンス
時の皇太子殿下と美智子様がテニスをされた
コートがあった場所である。
■太古の官庁街
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御成小学校運動場
そこは太古の官庁街でもある。
後ろには図書館と社会福祉会館
いずれも御所勤務の人たちに縁の場所だ。
■寿福寺
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雨に煙る惣門。
鎌倉五山の一つ「壽福寺」
裏山には北条政子の墓と供養塔がある。
■寿福寺の紅梅
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将軍の妻であり母であった政子は
健気な人だったのかもしれない。
紅梅が凛とした姿を見せていた。
■鶴岡八幡宮の権現造り
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源氏の祭祀の中心地、
権現造りの屋根が美しい。
■畠山重忠邸跡
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北条政子には4人の子がいた。
息子二人は将軍・頼家と実朝
娘二人は大姫と三幡
鶴岡八幡宮の東門の傍に畠山重忠邸跡がある。
歴史碑に出てくる三幡の名が哀れを誘う。
■雨の二天門
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雨が激しく降り始めて
比企一族の歴史を止める「妙本寺」をクライマックスとした。
頼朝の乳母・比企尼の子が力を持った。
比企能員(よしかず)の子・若狭局が頼家の妻になる。
北条一族により滅ぼされた比企一族の末裔・比企能本が妙本寺を興した。
若狭局と頼家の娘は4代将軍藤原頼経の妻となり「竹御所」と呼ばれた。
竹御所の死とともに源氏の血筋はと絶えたという。
折からの雨は一層強くなるばかりだった。