「鎌倉個道」

鎌倉の歴史、草花、食物

衣笠城へ(続き)

2010-12-05 07:16:18 | Weblog

浦為通が衣笠城をこの場所に築いた理由は

・「大善寺」が修験道場だったこと

・古久里浜湾が深く入り込み出船が容易だったこと

・三方が山に囲まれて理想的な馬蹄形だったこと

の3つだそうです。(鎌倉ガイド協会)

源頼朝は無二の忠臣・三浦義明を開基とする「満昌寺」を建てた。(1194年)

三浦氏滅亡後一時衰退したが天岸慧広(てんがんえこう)が復興した。

本堂背後の山が三浦義明の霊社「御霊神社」です。

昼食後は三浦一族の匂いが満ちた場所を巡る旅に出ました。

・「近殿(ちかた)神社」(三浦義明の孫・義村を祀る)

・「薬王寺」跡(三浦義澄の墓)

・「腹切りの松」公園(三浦義明が落城に際して居城を静かに拝して自害したとされている)

・「清雲寺」(三浦義継が為継の冥福を祈るために建立したと伝えられる)

ガイドなしではなかなか歩けないコースでした。

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