「鎌倉個道」

鎌倉の歴史、草花、食物

衣笠城へ

2010-12-04 07:39:00 | Weblog

三浦半島は三浦一族の歴史の宝庫でもあります。

三浦氏は桓武平氏の子孫「村岡為通」が「前九年の役」に参戦し恩賞として三浦の地を拝領して「三浦」を名乗ったのが始まりと伝えられる。衣笠に本城を築き代々の源家に仕え鎌倉幕府草創の立役者となった。(鎌倉ガイド協会「古都鎌倉史跡めぐり」より)

大雨洪水警報の中を大幅に遅れたバスから横須賀線に乗ってJR衣笠駅に到着したのが9時15分ころでした。

10時には鎌倉ガイド協会の案内で第1グループとして出発しました。

荒天にかかわらず総勢30人ほどの集団になったようです。

最初に奈良時代後期に創建された「曹源寺」(曹洞宗)を訪ねました。

木造十二神将は先日まで鎌倉国宝館(薬師如来と十二神将展)にお出ましでした。

衣笠十字路に戻ってバスに乗り衣笠城址で下車します。

何の変哲もない石に「衣笠城追手口遺址」が刻まれていました。

急な山道をまっすぐ登っていきます。

”やめればよかった”と一瞬思い、気を取り直して登り続けます。

石段を上ると不動明王を祀る「大善寺」です。

このお不動様は行基の作と伝えられ「箭執(やとり)不動」の名があります。

三浦為継が「後三年の役」に出陣した際に敵の矢を払い落として守ったという言い伝えだそうです。

扁額には小泉純一郎元総理の「無信不立(信なくば立たず)」の文字が掲げられていました。

時の宰相は論語の文章をもって自己の信条を伝えたかったのかもしれません。

コメント
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