鎌倉にも”隠れ家レストラン”がありました。
大船駅から栄光坂を登り
玉縄台の峠を右に曲って・・・。
洒落た建物の一室
窓からは鎌倉の向うの三浦半島!
前菜に舌鼓を打ちました。
東南アジア系の料理は
商社マン夫人だった店主自慢の料理です。
香辛料が苦手な私も(笑)美味しく頂きました。
鎌倉にも”隠れ家レストラン”がありました。
大船駅から栄光坂を登り
玉縄台の峠を右に曲って・・・。
洒落た建物の一室
窓からは鎌倉の向うの三浦半島!
前菜に舌鼓を打ちました。
東南アジア系の料理は
商社マン夫人だった店主自慢の料理です。
香辛料が苦手な私も(笑)美味しく頂きました。
東日本大震災復興支援が目的の
”大船さんま祭り”とも呼べるかもしれません。
JR東日本の大船駅も後援団体です。
午前10時の開会前から賑わっています。
サンマを焼いて準備していました。
午前10時の開会式
大船渡からつばき娘と
ゆるきゃらが挨拶に来ていました。
(右端はミス鎌倉)
被災地が復興されるまで続ける!
その意気込みが祭りになっていました。
七里ヶ浜の磯伝いと歌われる稲村ケ崎
(文部省唱歌「鎌倉」)
歴史碑の周りが妙に淋しいのは
松の木を切ったからのようだ。
霊山山が鎌倉の町を見えなくしている。
振り返ると七里ヶ浜の海
稲村ケ崎には浜カンゾウが群生して
江の島に手が届きそうで
鎌倉には海がよく似合う。
玉縄地域にも秋が届きました。
真言宗の「円光寺」
その昔は玉縄城内にあったようです。
石段上の小高い場所にあります。
本堂の前の百日紅も終焉!
観音堂
本堂の横顔は
古寺の佇まいを見せています。
地元にある寺も良いものです、
極楽寺で義妹の「追善供養」をお願いしました。
境内の彼岸花が別離を悼んでいるようでした。
門のそばでは萩も咲いています。
気を取り直して歩き始めます。
極楽寺駅は賑わっていました。
えのん君の絵が画かれた江ノ電!
その先に阿仏邸址があります。
歴史と現代とが融合する町「鎌倉」です。
玉縄地域にも秋が届きました。
台風が熱帯性低気圧に変る前に
「久成寺(くじょうじ)」に行きました。
大きなイチョウが色づき始めています。
通路には銀杏が落ちていました。
上杉謙信の祖である
長尾定景一族の墓は静かでした。
山から下りて来て
バス通りに出る前の参道です。
このところ夏と冬が長くなったような気がします。
秋の彼岸は秋を満喫させます。
阿仏尼を偲ぶ塔
英勝寺の稲荷
大姫(源頼朝の長女)ゆかりの岩船地蔵堂
扇谷上杉屋敷跡
それぞれに歴史を感じながら歩きます。
いつもの場所に
アケビを発見して嬉しく思いました。
鎌倉五山第三位の「寿福寺」
今年は開山栄西禅師(1141~1251)の800年遠忌
鎌倉ガイド協会のウォーキングです。
栄西禅師は「茶の木」を日本に持って来た人!
茶道の恩人でもあります。
参道の美しい敷石が訪れた人を魅了します。
通常はここまでしか行かれません。
本堂に入って宝冠釈迦如来や
明治の廃仏毀釈で鶴岡八幡宮寺から持ちこまれた
仁王像(阿形と吽形)を見ることが出来ました。
鎌倉で唯一の尼寺は
太田道灌ゆかりの寺でもあります。
ススキの穂を通して「英勝寺」を見ます。
鎌倉町青年団の歴史碑に
戦前の青年たちの思いを感じます。
境内は彼岸花がいっぱいです。
竹林を歩くと秋の風が聴こえます。
名残の萩を楽しむ時間でもあります。
明日は彼岸の中日です。
”暑さ寒さも彼岸まで”
言葉通りの季節の移ろいです。
木々が実をつけ始めています。
イヌビワが色づいて来ました。
林ではヌルデが黄葉し始めています。
どんぐりの木であるマテバシイは
実が道路に落ちていました。
北海道でオンコと呼んでいた
イチイ(一位)の赤い実もついています。
鳥が運んできて庭先に花をつけた
ムラサキシキブ(紫式部)も
紫色の実をつけています。