気象庁によると桜の開花は例年より2日早いそうです。
午後からマイタウン玉縄の運営会議でした。
「タウンレポート」を「春の関谷原」が飾っています。
(http://www.tamanawa.net/index.html)
その後「龍寶寺」を訪ねました。
満開の紫木蓮(近景)と白木蓮(遠景)が
龍寶寺の本堂を飾っています。
お寺に咲く「シキミ(樒)」も満開でした。
重文の古民家そばのしだれ桜が開きはじめています。
気象庁によると桜の開花は例年より2日早いそうです。
午後からマイタウン玉縄の運営会議でした。
「タウンレポート」を「春の関谷原」が飾っています。
(http://www.tamanawa.net/index.html)
その後「龍寶寺」を訪ねました。
満開の紫木蓮(近景)と白木蓮(遠景)が
龍寶寺の本堂を飾っています。
お寺に咲く「シキミ(樒)」も満開でした。
重文の古民家そばのしだれ桜が開きはじめています。
砧の世田谷美術館で
「白洲正子 神と仏、自然への祈り」が
開催中です(5月8日まで)。
ローソンチケットで前売りを求めて
暖かい日差しに誘われるように出かけました。
砧公園ではサンシュユ(山朱萸)が満開で、
トサミズキ、レンギョウと黄金色に飾られています。
”文化が発達しすぎると柔軟に流れる”
白洲正子の生誕100年を記念した
企画は那智の滝や
近江(おうみ:滋賀県)を中心とした
隠れ里を通じて
日本人の心のふるさとを探すようです。
途中に何箇所かあるビデオによる説明が
印象的でした。
桜のつぼみがふくらむと
自然に足が動き始めます。
久しぶりに「定点観測」のコースを歩きました。
日本料理店のシデコブシ(幣辛夷)、
横須賀線踏切先のレンギョウ(連翹)
それぞれに春を主張しています。
長寿寺を右折して「亀谷坂(かめがやつざか)」
上っていくと春の山野草が元気です。
ノカンゾウ(野甘草)
ウシハコベ(牛繁縷)
木イチゴの白い花も咲きはじめています。
じっと見守るお地蔵さまもおられました。
電力不足は買い物客の流れを変えています。
ようやくガソリンは買えるようになったようです。
ところが品不足の方はなかなか解消されません。
地元のスーパーには開店30分以上前から行列!
”水をお求めの方はあちらの入口にお並びください”
従業員が声を涸らせている。
10時開店時には殺気立っています。
一緒に買い物に来た次男坊は
途方に暮れているようです。
牛乳、ヨーグルト、卵、納豆は1人1個。
パン類を含めて
”なくなり次第”終了だそうです。
次男坊は知人宅に持参するヨーグルトを入手。
別々のケースに入れて2倍の品物をゲット!
ささやかな買い物の知恵かもしれません(?)
鎌倉にようやく人が戻ってきたようです。
現代人はジッとしていることが苦手ですが、
この2週間余はTV画面にしがみついていたのでしょう。
大船駅西口の整備事業もあと半年を残し
ペディストリアンデッキ(歩行者用橋)と
駅からの通路がつながりました。
鎌倉駅そばのギャラリーやまご
山口光彦写真展を見に行きました。
男の料理教室で一緒の彼の作品は
視線が興味深いと思ってきました。
気がつくと桜の蕾(つぼみ)が色づきはじめています。
極楽寺での「仏生会」打ち合わせが済み
極楽寺坂切通「成就院」そばの桜です。
鎌倉市社会福祉協議会の理事会に参加しました。
監事を仰せつかっています。
次男坊を作業所まで送って徒歩とバスで出かけました。
午前10時の会議までには時間が少しあります。
鎌倉市農協市場は相変わらずの賑わいです。
残された洋風建築としての安保小児科です。
今は風致保存会の事務所になっています。
源頼家(頼朝の長男)の名が刻まれた「問注所」旧跡です。
福祉センターに到着しました。
裏庭はカクレミノの林です。
我が家のお墓は鎌倉霊園にあります。
24日はお彼岸の明けに当たりますが
お墓参りをすることにしました。
今泉から天園ハイキングコース経由です。
ユキヤナギを愛でていると雪が降りかかりました。
天園はようやく芽吹きの季節です。
イノデ(猪手)が大きく開きかけています。
六国峠分岐を横浜方面に行き
途中から鎌倉霊園に入っていきます。
お参りを済ませると
源実朝ゆかりの「大慈寺跡」を通って
明王院にお参りしました。
お彼岸なのに寒の戻りのような寒さです。
藤沢の「新林(しんばやし)公園」に出かけました。
名物の梅が終わって
ボランティアと思われる男性たちが
春の準備に余念がない様子に感動しました。
数年前まで私の散歩道にあった福原家の門
移転されて公園の中にあります。
玉縄北条氏の家臣団として
里見軍と戦ったことで知られています。
その奥にある古民家「小池家」の
先祖は足利尊氏に仕えたと説明書に書かれていました。
歴史と自然を感じるウォーキングです。
本態性高血圧の診断を受けたのが50歳のときです。
最初の半年ほどは薬を変えたり医師を替えたり
様々なことを試してみました。
結果的に知久祝康先生にお願いして18年
今でも上野まで通っている理由です。
薬が切れるのであわてて出かけました。
帰り道に雨のアメ横に寄りました。
友人が干物商を営んでいます。
”仕方がないけどお客さんはさっぱり”
大震災の傷跡は大きくひろがりつつあります。
それでもみんなが力を合わせて生きて行こうと
している様子が見て取れるのはありがたいことです。
間引き運転(電力事情)で大船駅に返りつきました。
白木蓮が見事に咲いていました。
3月に入り雨の日が多くなったようです。
国立能楽堂の研修能舞台で
オール三菱の謡曲大会が開催されました。
仲間と「鵜の段」の連吟に参加しました。
地震のため懇親会は中止して
日本古来の芸能を楽しむ時間になりました。