材木座にひっそりと佇むように
源頼朝ゆかりの
「補沱珞寺(ふだらくじ)」があります。
開山の文覚上人は
神護寺の修復を強訴して島流しにあい
そこで頼朝に会ったことから
歴史が展開して行くことになります。
境内のサルスベリは盛りを過ぎていました。
本堂に手を合わせて帰りました。
材木座にひっそりと佇むように
源頼朝ゆかりの
「補沱珞寺(ふだらくじ)」があります。
開山の文覚上人は
神護寺の修復を強訴して島流しにあい
そこで頼朝に会ったことから
歴史が展開して行くことになります。
境内のサルスベリは盛りを過ぎていました。
本堂に手を合わせて帰りました。
7月29日は鎌倉市玉縄地区で
夏祭りが4ヶ所もありました。
(玉縄台、関谷城廻、植木そして鎌倉城廻)
わが町「鎌倉城廻」の盆踊りは
今年で40回目になるそうです。
早朝から「やぐら」の設営です。
午後5時からのスタートに
孫たちが半天を着ました。
すべての祭りを取材して
最後は地元に帰って来ました。
キョウチクトウも喜んでいます。
午後7時ころのにわか雨!
劇的な終わり方でした。
光明寺の山門を正面に見て左側は
支院にあたる「千手院」の門です。
入って右手には松尾芭蕉の句碑があり
この寺に集った人々が思われます。
ご本尊は千手観音だそうです。
道の辺に咲くムクゲは中国から
古い時代に渡来したようで、
「木槿」木の菫と書きます。
光明寺の塔頭「蓮乗院」は
光明寺山門のすぐ隣にあります。
門を潜ると右手に百日紅(サルスベリ)
夏の雰囲気を醸しています。
左手の松の先には光明寺の鐘楼
光明寺落慶まで良忠上人が泊まっておられ
現在でも光明寺に入る僧は
いったん「蓮乗院」に入るそうです。
22日の光明寺「観蓮会」には
出張中のため行かれませんでした。
天気は雨模様ですが
鎌倉駅からバスで出かけました。
記主庭園の蓮では蓮が咲いています。
泥の中に咲く花を高貴と呼びます。
少々無理をしたようで
夕べは38度の熱が出て休みました。
昨日の続きです。
法堂を出た神輿には
開山・蘭溪道隆の像が乗っておられます。
たくさんの僧たちに守られながら
山門の周囲を練りました。
僧たちが次々に仏殿に入って行くと
やがて安置されました。
その後、方丈では30人の僧たちが並び
「四つ頭」と呼ばれる食事会です。
儀式のように食事を運ぶ僧がいて
最後には抹茶をふるまいました。
後片付けをしてからが
檀家の皆さんとの法要です。
7月23~24日は建長寺の開山忌です。
多くの人が参拝に来ています。
嬉しいことに入山料は無料です。
仏殿の裏手にあたる「法堂」で
開山・蘭溪道隆を偲ぶ儀式が進んでいます。
吉田正道管長の漢詩が掲示されていました。
ようやく日常生活に戻りました。
大船駅西口で観音様が励ましています。
線路ではたくさんの車両が行き来して
暮らしが進んでいるようです。
駅入り口の花屋さんの屋根で
今年も朝顔が咲いています。
静かにゆっくりと
歩いて行きたいと思います。
川端康成の小説「古都」や
東山魁夷の日本画で知られる
北山杉の里を歩きました。
JRバスの終点・周山まで行き
引き返して中川学校で下車します。
中川八幡宮に参拝して歩き始めました。
清滝川の向かい側に材木商の家が並んでいます。
進んで行くとトロッコの線路や小屋!
喘ぎつつ汗をかきながら
栂尾・高山寺まで歩ききりました。
高野山を訪ねました。
大阪環状線・新今宮から南海電鉄
橋本、極楽橋と進みました。
✳真田幸村ゆかりの九度山が途中にあります。
極楽橋からはケーブルカーで山頂の高野山駅へ!
バスに乗り継いで「奥の院」に到着
歴史上の人々から現代企業まで
様々な墓碑が続く中を進むことで
不思議に穏やかな気持ちになりました。
「壇上伽藍」と呼ばれる聖地には
金堂、御影堂、根本大堂と堂于が並びます。
霊宝館の宝物を拝観して
最後に「金剛峯寺」にお参りしました。
世界遺産の名に相応しい聖地を
訪ねることが出来ました。