EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市・浄瑠璃町の菖蒲園

2017年06月13日 | 伊予松山歴史散策

毎年この時期になりますと、私の散歩道に咲く紫陽花と松山市浄瑠璃町にある花菖蒲園をカメラ持参で鑑賞に行っています。(昨年からは、松山市御幸町のジャカランダの花の鑑賞に行っております。)

これから紹介します花菖蒲園は、四国八十八ヶ所第46番霊場「浄瑠璃寺」の南方約500mの山麓に花菖蒲園があり、久万高原町にある第45番札所海岸山・岩屋寺から国道33号線を下り、第46番札所医王山・浄瑠璃寺に巡礼する距離約35km、徒歩8時間弱掛かりますがその手前にあり疲れを癒してくれます花菖蒲です。

国道33号線塩ヶ森(松山市浄瑠璃町)から46番札所の遍路道が整備されていて、歩き遍路さんにとっては三坂峠を越えて長い道のりを唯ひたすら46番札所を目指して歩く、塩ヶ森からは下りの遍路道、2km位歩くと綺麗な花菖蒲園が見えて来ます。

17年前に休耕田を地主から借り受けて、町内会の行事の一環として40名が「花菖蒲を愛する会」を設立して約12,00株の花菖蒲を育成管理しておられます。(何故か年々花菖蒲が少なくなっています。)

疲れた身体も花菖蒲を見ると癒されると思い管理する町内会の皆さんも、この事も考慮して花菖蒲園を造ったのだと感じました。休憩するテントと椅子も用意されており歩き遍路さんには打って付けの所であります。

昨日(6月12日)写真撮影に行ってみましたら愛媛県西条市から来られたご夫婦が花菖蒲の鑑賞に来られていました。

 松山市浄瑠璃町の休耕田を管理する関係者と地元住民たちが17年前に「花菖蒲園を愛する会」を設立して12、000株を管理育成していますがどうしてか毎年花菖蒲が減っています。

 地元住民が管理育成する菖蒲、今が見頃。今日(12日)鑑賞に行って来ました。

 西条市や地元松山市内からも鑑賞に来ていました。何故か年毎に菖蒲が少なくなっています。

 花言葉は、「うれしい知らせ」「優しさ」「伝言」「心意気」「優しい心」「優雅」「あなたを信じる」だそうです。

此れからは花菖蒲を接写で撮ってみました。

 

 愛媛県西条市から鑑賞に来られたご夫婦。

 歩き遍路さんや、一般者の鑑賞にためにと地元の方が準備されたテントと椅子です。

 帰りに四国八十八ヶ所第46番霊場「浄瑠璃寺」をお参りして来ました。

 入り口で歩き遍路さんと一緒になり、お許しを得て後姿を撮らせて頂きました。

 そして、暫しお話を伺うと、香川県の方で45日間を掛けて四国八十八ヶ所を巡礼していますとの事でした。

 浄瑠璃寺の入り口に、正岡子規の句碑が建立してあります。

今年、正岡子規は生誕150年で、そして夏目漱石も生誕150年、松山市は、子規・漱石生誕150年祭としていろんな記念行事を開催しています。

浄瑠璃寺の次が、四国八十八ヶ所第47番霊場「八坂寺」で第48番霊場寄り約300mに、四国八十八ヶ所番外札所「文殊院」があります。巡礼者は必ず巡拝されます。画像は、空海弘法大師立像です。

 四国八十八ヶ所番外札所「文殊院」です。

 この地は、衛門三郎の屋敷跡と言われ次の様な謂れがあります。

 天長年間(824~833年)の頃の話である。伊予国浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町)の豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。八日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢をつかんで地面にたたきつけた、鉢は八つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった。

 三郎には八人の子がいたが一大事が起こった。その翌日から1人ずつ子が亡くなり、皆亡くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。

 三郎は、沢山の財産を世の人の幸せのためにと寄進し、家族とも別れ、遍路姿となり大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合いたい気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫びた。

 「お前の罪は許された、河野一族の子に生まれ変わるであろう・・・南無阿弥陀仏・・」三郎は『衛門三郎再来』と書いた小石と経文一巻を手に大師を伏し拝みつつ世を去った。

 これが四国八十八ヵ所巡礼の始まりだと言い伝えられている。(四国八十八ヶ所巡礼の元祖である。)

 衛門三郎の戒名は「光明院四行蓮大居士」で、現在の文殊院が衛門三郎の邸跡であると言われている。

 ご詠歌に「我れ人を救はんための先達に、みちびきたまふ衛門三郎」とある。

 伊予路の文化より引用

 松山市恵原町にある衛門三郎の邸跡(文殊院)から西に200mの所に三郎の八人の子を祀る八ツ塚がある。塚の頂には小祠が置かれ石地像が安置してある。

 最近、女性の歩き遍路が多く、一日30km歩いたとして約40日程度掛かる。距離は約1300kmある。

 

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