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四国は88ヶ所札所巡礼 松山市内霊場の旅 8

2011年12月20日 | 伊予松山歴史散策
第52番 太山寺「龍雲山 護持院 太山寺」真言宗智山派 本尊、十一面観世音菩薩

ご詠歌:太山に 登れや汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし

松山市太山寺町の経が森の東中腹にある。四国霊場52番の札所、天平11年(739)聖武天皇の勅願により行基開基という。帝御自ら金光最勝経の写経を山の頂きに埋められたという伝えがあり今も経が森とよんでいる。

寺伝には、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で嵐に遭遇した。長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光を見てその難をのがれたので本堂を再建したとある。以来2度ほど災害を受けたが嘉元3年(1305)伊予国守護河野氏によって本堂(現存)が再建され、近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。
昭和31年6月28日本堂が国宝に指定、県下最大の豪壮な建物で、鎌倉期の傑作。特に蟇股の工作が優れている。

境内に、子規の句がある。 「蒟蒻につつじの名あれ太山寺」


太山寺一ノ門を潜り少し進むと石段に上に扁額「太山寺」のある仁王門が見えてくる。
ここから本堂まで570mと書かれた石柱がある。


境内に上がるきつい石段の前にある広場には大日如来の石像を中心に右に弘法大師像、左には沢山の石仏が立ち並んでいる。


では石段を上り境内に入ろう。


石段を上り山門で一礼、県下一の木造建築「本堂」が目に飛び込む。「松山市内に国宝が三件あるその一つ」


ご本尊の許しをえて本堂内部を撮らせて頂いた。


鎌倉期に創建され本堂に造作された「蟇股」


私が参拝を兼ねて撮影に行ったのは土曜日であった。境内で毎週土曜日に巡礼に来られた方々に地元住民がお接待をしているそうだ。この日は特産の温州みかんとお茶でお持て成しをして巡礼者の疲れを癒していた。


団体の巡礼者で以前書きましたが四国88ヶ所めぐりの心得の一つ団体の心得「右側に二列に並び巡拝する」その通りされていた。


殆どの札所には仏足石がある。
仏足石は、お釈迦様のおみ足です。お釈迦様ご自身と思い礼拝し、心のよりどころ、こころの安らぎをもたらし、苦しみや悲しみ、そして悩みを解きほぐし喜びを与えて下さいます。
そして巡礼の御安行をお願いして礼拝しては如何ですか。
帰りに納経所で納経帳と掛け軸にお参りされたお経の印を頂き次の札所に旅立とう。
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