ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

青葉教室26回目

2010年03月13日 | 手打ち蕎麦打ち
生徒達の手伝い終了後の講師陣自主演習で、自分は先日秋田の友人井川さんが送ってくれた粉に挑戦した。この粉は一昨年秋田へ遊びに行った時立ち寄った山形県金山町の“谷口がっこそば”
http://www3.ic-net.or.jp/~coro/shop/gakko.html
で栽培した物で、県境にあるこのそば屋へ井川さんは時々訪れているそうで、店主に依頼したら快く分けてくれたそうだ。
            
ここのそばは推測に過ぎないが、NHKと民放テレビ番組で紹介(偶然両方視聴した)され、自分が訪ねた時も新潟や宮城ナンバー等他県の客で賑い、地元大石田系の黒い極太の箱そばではなく、いわゆる都会人好みの白い並みのそばに変っていた。
送られて来た粉は握り〆ても砂の様にサラッと崩れてかなり難しいと判断した。貴重な粉なので無難に“二八”とも考えたが、折角の貴重な粉なので“10割”で打った。加水量は研究会の副会長の佐藤さんが思考錯誤の結果生み出した熱湯8:水±2のそば教本にも無い独自の方法だ。これにより“延し”の過程で、水を加える事で生地の蒸発が熱湯より緩慢になり生地周辺のひび割れを阻止する事が出来る。しかし今日の実践では“練り”の過程で既に大きなひび割れが生じてしまい、Y先生の進言で朝霧(つなぎ粉)一握りを加えて“十割”は断念、ほぼ“十一”(といち=そば粉9:つなぎ粉1)に変更した。これでも“延し”では周辺のひび割れが激しく、仕上がりの無駄を少なくする会津塩川町の名人技(周辺を切取り、練り合わせ中心部へ重ねて延し込む)を拝借した。途中から鮫肌が現れ、中心部の割れも出始めたので本延しを省略、太目の田舎そばになってしまった。
            
そば本来の風味を味わうのには適さなかったが、まだ外気温も低く、自家栽培のネギも一番美味しい時期なので、過日吉成先生の所でいただいた“温かいつけ麺”がとても美味しかったので、ネギを主役に脂身の多い豚バラ薄切りと舞茸を加えた汁で味わった。折角のそばだったが、多分貧食時代にはこんな食べ方が最高のご馳走ではなかったかと、インチキな解説で「何時も一言多い」と批判されながらも皆んな満足した様子だった。付け合せは切干大根の煮物(婆さん調理)と明太子入りやわらかオムレツ(温かい物を食べたいのでそばを茹でる直前に大きく一回で作り、食べる直前に自分の小鉢に分ける)を添えた。

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