ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

忘年会

2016年12月03日 | 手打ち蕎麦打ち
              
あづまの郷そば打ち奉仕と吉井田学習センター学習発表会の反省会を兼ねた忘年会が18時から福島駅東口前の居酒屋“福福屋”で開催されたので参加した。
居酒屋にしては5人掛けテーブルの間隔はとても広く、隣の部屋とは廊下で仕切られたゆったりした空間は我々だけの貸切状態だった。
しかも自分のテーブルは偶然にもSさん以外は青葉教室で指導を受けたK・S・W講師と同窓生のKさんだったので、近年にはないゴルフや競馬などへ逸れる事も無くそば談義で終始した。
反省会もこれまでになく十分に行われたが、そば打ちブーム到来以降に開店した福島盆地内の多くの手打ちそば屋「他人が打った物を食べるのも修行の一環」とも言われているのでこれまで12店ほどで食べてみたが、ほぼ半数以上は同類のそばで、そば歴史の無いここ盆地内住民の好み?の疑問もあり、そんな事も投げかけてみた。
答は即座にSさんからあって、どうやらそれらはブーム到来直前のルーツは一つだそうで、恐らく粉は同一か多少の違いはあっても、そば自体は腕と店の雰囲気の差位なのかなと思った。
そばは食べ物としては単純だが、やってみると腕の差も当然の事ながら素人百姓の次に難しかったし、そば打ちが出来なくなってしまった今も興味を抱き続けているのは、若しかして百姓以上に奥の深い道楽だったのかな。

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