ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

猪苗代産そば粉

2006年05月14日 | 手打ち蕎麦打ち
約二ヶ月ぶりかな?しばらくぶりに家でそばを打った。
この粉は、先日宗像窯で5年ぶりに登り窯に火を入れたと聞いて、窯出しの一週間後に訪ねてその帰りに買って冷凍保存して置いた物だ。
登り窯はもう20数年も前の冬、窯入れ・火入れ・炊き込み・窯出しの一連の作業風景を窯元に同居しながら取材した事が懐かしく思い出された。
裏山の斜面にある登り窯、作業場から150m程だが途中の風景はすっかり変わっていたが、窯場の入り口にあった小さな柿木はさほど成長もせず健在だった事が何よりも嬉しかった。と云うのも、火を止めて窯出しまでの切替えシーンのワンカットを、この柿の木の薄っすらと雪を被った柿の実(一個)越しの三日月の冬空を撮った事が余にも強烈な印象で残っていからった。
悪政の平成の大合併により会津本郷町が消滅してしまったのは大変残念だが、宗像窯ではこれを機に七代目亮一氏健在も利浩氏が八代目を継承されたそうで、誠にお目出度い事である。
肝心のそば打ち、昨日来の雨降りもすっかり止んだのに予想以上に湿度が高く、水の量は粉の丁度二分の一が適量であった様だったが、20ccプラスがズル玉(柔らか過ぎる)になり、肌で感じる以上の湿度の高さを初めて体験した。
今日のそばは、本家の孫(中1・小1)が大人顔負けのそば好きで、連休で帰省すると云うので振舞う予定だったが、部活で帰省が中止になり今日昼、大人の残念会となった。
このそばは更科系、粉は実の中心部が多く香りがなく、その香りや甘味は外皮と甘皮の一部で補い、それらをごく微量に混合、茹で上がりはイワユル“光るそば”に仕上がる。福島県民の好みのそばだ。

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