ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

JA7AGO氏逝く

2011年06月26日 | アマチュア無線
            
今朝7時前に突然JA7GYPさんから電話。こんな夏枯れの時季に珍局出現では無いと確信しながら、若しかして福島へ応援に?と瞬間頭に浮かんだが“JA7AGOさん急逝”の知らせだった。
45年前秋田へ転勤して二月も経った頃だろうか、東京でJA1MJ,FHKから洗脳されたDX(海外)通信の実現も出来ないまま、楢山寺小路の下宿先で何とかSWL(受信)だけは可能になった。当時秋田市内ではJA7AB,FS,UJ,AGO,ARZさんが活躍されていたが、そんな中でもAGOさんだけは別格で、カラスが鳴かない日はあっても、AGOさんの信号は連日絶える事なく夜明け前からバックキーで、しかも独特のリズムのQSO(交信)ぶりには大変な刺激を受けて、聴くだけではとても我慢が出来ず、間もなく下宿を出てアパートへ移り、バーチカルアンテナで細々とDXを始めた。当時は身分不相応でAGOさんにはとてもお近ずき出来る力も無く、ADXAが発足してからのお付合だった。
AGOさんはADXA News三代目Editorとして誰よりも長く今日まで休刊する事もなく発行を継続され、また四半世紀も継続した東北6県持回りの「DXを肴にして語る会」も氏の発案と指導によるもので、常に控え目で全面に出る事はなかったが、ADXAの重鎮として大変貴重な存在だった。近年は馬力が落ちたと口にしていたが、国外へのDXペデションや国内のDXミーテング等へも何時の間にか参加していて事後報告。活力の素は秋田の銘酒“爛漫”“新政”ではなかったかと思う。
不謹慎だが、三途の川の通行手形は“新政”なんて推察しながら『合掌』


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1 コメント

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あの声が (JR7CJS )
2011-07-01 06:59:30
耳に残っています。DXを呼ぶ時は、叫ばず落ち着いた声で呼んでました。
直接お話ししたことは無かったですが残念です。

ご冥福をお祈り致します。合掌
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