ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

郡山青葉教室64回目

2012年03月11日 | 手打ち蕎麦打ち
              
“3.11”昨年のこの日から東日本住民の生活は一変してしまった。幸にもと言ってしまいば誠に不謹慎だが、食器類や一部家具類の破損と住居は外壁と内壁に若干のひび割れも修理する程も無く、原発事故さえなければ何も変らなかった。しかし我が居住地は避難勧奨区域等を除いた放射線量は未だに県内一高く、幼い孫達の自主避難や素人百姓の断念など精神的なストレスからか、最近は震災関連のTV報道を目にする毎に自然に涙が流れて何とも切ない。「老いなのかなー」とも感じてしまうのだか・・・・
今回は週の半分を山形市内に自主避難しているSさんが休み、しばらくぶりにY先生と2人で勤めて来た。
30歳前半の青年の飛び入り体験者があり、先生の指示で世話をした。Sさんの様な社交家で無い自分は何時も事後に反省してしまうが、今回もまたそば打ち以外の話題には触れず終いで、良否を別にしても、進行上初対面者との知識として、興味を持った理由や人物像等も引き出す事は出来なかった。
予談の無い授業ほどツマラナイものは無かったし、次回も体験したいと言って帰ったが、果たして満足してくれたか気になった。