日本裁判官ネットワークブログ

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転勤内示始まる

2008年01月14日 | 蕪勢
 裁判官の4月異動が動き出した。最高裁から転勤先が告げられるのである。転勤内示と呼ばれている。もちろん,裁判官に拒否する権利はある。しかし,現実は,ほとんどの裁判官がこれを受け入れる。この時期,全国の裁判所には,悲喜こもごものさざ波が立つ。

 裁判官には,任官してから20年目くらいまで,概ね3年ごとに全国を股にかける転勤がある。私の場合も,任官してから,大阪,松山,岐阜,宮崎・日南,大阪,鹿児島と異動してきた。20年目くらいを境に,一定の地域内の小さい転勤にとどまる。私も,20年目以降は,兵庫県と大阪だけの小範囲ですんでいる。

 裁判官は,転勤先について希望地を提出する。しかし,なかなかその通りにはならない。近い場所を希望したのに遠隔地に,大都市を希望したのに小都市に,新幹線沿線を希望したのに大きくずれた土地になったりする。他方,すんなり希望の叶えられる人もいる。自分の希望が容れられない理由はなぜなのか,ちょっとした戸惑いは誰でも持つ。あれこれと考えてしまう。考えないではいられない。転勤先を決める合理的な法則のようなものがあればいいが,それはないに等しい。最高裁人事局の裁量,腹ひとつで決まってしまうのだ。

 転勤を覚悟しているとはいえ,裁判官も,家族を持ち,配偶者の職場や子どもの教育,親の介護などその個人的事情は,世間と全く同じである。転勤の希望が容れられるために,絶対的な裁量権を持つ人事権者に好感をもたれたい,誰しもそう考える。人事権者は最高裁であり,それに連なる長官,所長である。その人達の自分に対する評価をどうして気にしないでいられよう。お釈迦様の手の平で遊ぶ孫悟空であるうちは問題ない。しかし,その手の平から一歩でも外に出ようものなら,何が待ち受けているか分からない。

 何年か前に,最高裁長官が「ヒラメ判事はいらない」と発言して話題をまいた。上ばかりを見て,右顧左眄する裁判官はダメ,裁判官は毅然として独立の気概を持つべきだ,という趣旨である。内外の喝采を受けた。そのとおりである。しかし,わが裁判所の転勤制度は,まさに,ヒラメ判事を作る元凶そのものではないのか。

 司法改革により,裁判所は一歩前進しようとしている。しかし,この転勤制度など裁判官人事については,まだまだ大きな宿題を残している。(蕪勢)

審判について

2008年01月13日 | あすなろ
      
 中東に有利な判定があったとして国際ハンドボール連盟が北京五輪アジア予選を東京でやり直す異例の決定をした。「中東の笛」といわれる偏頗な審判がなされたと指摘されている。
ハンドボールだけでなく、サッカー、バスケットボール等多くのスポーツ競技においては、審判が反則をとるかどうかで試合の流れが変わり、たちまち勝敗に影響する上、不服申立もできないから、審判は絶対者である。
 柔道でも、国際試合において、日本選手が一本勝ちしたはずなのに逆に負けの判定をされてしまったと思われる場面を一度ならず見た。
 
 不服申立の点では、国技である相撲において、行司の判定に対し、「物言い」という不服申立により審判役が合議して判断するのが興味深い。
 
 審判に対し誤審をしないための訓練や研鑽がなされているようであるが、一瞬の場面では、見る角度等によって判定を誤ってしまうこともあるだろう。
 先回のワールドカップでは、多くの中から選ばれて日本人の審判が出場した。檜舞台の審判に選出されるまでの過程を収録した報道番組を見たが、選手以上の過酷なトレーニングを積まなければ一流の審判にはなれないことを知った。
試合の流れをつかみ、選手以上に走りまわって、たえずボールを中心とする現場に自己を位置させ、選手の動きを正確に把握できる角度に目線をおいておかねばならない。

 テニスの試合では、セルフジャッジが主流になってきた。
 自己のコート側のボールについての判定は自らがすることになるが、スポーツマンシップに則り、疑わしきは自らに不利益に判定することになる。第三者審判の方が自己に有利になる場合もある。
 
 裁判の場合、我が国においては廉潔性に信頼をおくことができ、手続保障があって、原則として不服申立ができ誤審が是正される途が確保されている点で、前記のスポーツ審判の場合とは似て非なるものがある。
 廉潔性の伝統を揺るがすことなく、自らも汗を出して正しい位置に目線を保ち、健全な裁判官シップに則った仕事をして行きたいものと思う。
 (あすなろ)
 

新年早々大きなニュースが続きました。

2008年01月12日 | 瑞祥
 今週は,裁判所も本格的に始動しましたが,司法関連では,新年早々大きなニュースがありました。
 まず第1は,参議院で,全会一致で薬害肝炎被害者救済法案が可決成立したことです。この関連は,昨年の10大ニュースの第2に挙げましたが,司法の場で争われてきた事案が,ついに法律の成立によって実質解決をみることになりました。その可決成立を宣言したのが,元裁判官の江田五月参議院議長というのも何とも感慨深いですね。救済法については,「前文で原告側が求めていた国の責任と謝罪に触れ、被害者には症状に応じ1200万~4000万円を支給する内容。」(毎日)であり,和解については,「法成立を受け、原告・弁護団と政府は15日、和解基本合意書を締結する。全国10裁判所で係争中のC型肝炎訴訟は、順次和解に向かう運びだ。」(毎日)とのことです。ただ,給付金の申請期限は,「法施行日から5年以内で、対象者の認定は裁判所が行う」(毎日)ことになっているようであり,司法の関与は続くようですが,国と原告側弁護団が、「今後、新たに提訴する人の投与事実の立証について、医師の記憶に基づく投薬証明でも、医師の証言が信用できると判断されれば、証拠として認めることなどで合意」(読売)との報道もされています。
 次に,福岡の3児死亡事故で,福岡地裁が,危険運転罪を適用せず,業務上過失致死傷罪等の成立を認め,その処断刑の最高刑であるである懲役7年6月を言い渡したことです。判決骨子としては,「被告は事故当時、酩酊(めいてい)状態とはいえず、アルコールの影響で正常な運転が困難な状況にあったとは認められない。被害者の車を事故直前まで発見できなかったのは、脇見が原因。危険運転致死傷罪は成立せず業務上過失致死傷と酒気帯び運転の罪に当たる。結果の重大性、悪質性などから業務上過失致死傷罪の併合罪の最高刑に当たる懲役7年6月の実刑で臨むのが相当」(西日本新聞)とのことです。世間の注目が高い事件ですので,今後も控訴審に場所を移して争われるでしょうね。
 さらに,ちょっと地味かもしれませんが,最高裁司法研修所の「裁判員制度の下における大型否認事件の審理の在り方」に関する研究報告書の全容が明らかになったとのニュースです。これは,昨年の10大ニュースの第1に挙げた動きにつながるものです。「取り調べの録音・録画(可視化)を「有力な選択肢」とし、公判中の主張変更などがなければ罪状否認の殺人事件なども審理回数は現行の3分の1以下に短縮できるとの見解を示している。」「公判前整理手続きで争点と証拠が的確に整理され『口頭主義』(法廷での証言や供述で判断する)にのっとった訴訟活動が必要。供述調書などを読み込まなければ判断できない証拠調べはしない」などと指摘されているようです(東京・共同)。刑事裁判改革についての重要文献になりそうです。早速読んでみたいものです。今後もこうした動きは続くでしょうね。

あるクイズ

2008年01月11日 | ムサシ
 妻になる女性に出会って間もないころのことである。彼女と2人で明治御苑をデイトで散歩していると,池を鯉が泳いでいた。私はふと思いついて,彼女にクイズを出した。
 「クイズを出すよ。鯉の料理で一番おいしい料理はなーんだ。」と言うと,彼女は「鯉のアライかなー。鯉コクかなー。」などと言っていた。私が「クイズだよ。クイズ!」と言って,「ヒントを言うよ。味は甘くて初恋の味がするんだ。料理方法は何かの葉で焼くんだよ。」と言うと,彼女は暫く混乱していたが,その日の会話はそこで終わりクイズは宿題となった。
 その次に合ったとき,彼女は嬉しそうに「クイズが解けたわよ。」と言った。電車の中でボンヤリと考えていたときに,ふと閃いたのだそうである。 
 答は「鯉の笹焼き」である。これは「恋の囁き」と掛け詞になっている。答に気付いたとき彼女は満員の電車の中で,思わず「アッ」と声を出したと言った。彼女はこのクイズを,私の「恋の告白」ではないかと思ったそうである。
 妻はこのクイズが今でもとても気に入っているようだ。妻は25年以上も前にこのクイズの話を同期の判事補会の雑誌に書いた。このクイズも私達を結びつける一因になったと思われる。
 このクイズは,そのヒントになる話を,高校のころ同級生が話していたのを覚えていて,私がクイズに改良したものである。(ムサシ)

長官や所長は裁判をしないのか?

2008年01月10日 | チェックメイト
長嶺超輝著「サイコーですか?最高裁!」を読む(その4)

「裁判をしない最高裁長官」(99頁)から。
最高裁長官は、大法廷の裁判長しかしないのが慣例です。
同様に「下級裁判所のトップである長官や所長は、一般に法壇に上がることはしません。」。
しかし、高裁長官や地家裁所長も、その裁判所の裁判官の一員なので、裁判官会議で定める規則(事務分配)で事件の配点を受けることもでき、実際に担当している例も珍しくはありません。
特に東京高裁長官は、独占禁止法違反事件など、高裁の裁判官5人による特別部が第一審となる事件の裁判長を務めた例もあります。そのために他の高裁長官よりも少し報酬が高くなっているのだ、という説もあるくらいです。
また、家裁所長が調停事件などの一部の配点を受けている例も少なくありません。
ただし、地裁所長が事件を担当するのは珍しいかも知れません。所長の判決が高裁で覆ると格好がつかないので、避けることになっているという説もありますが。
やはり大半の裁判官は決して「裁判をしない裁判官」になりたいわけではなく、裁判をする仕事が好きで任官しているはずなのです。
最近も、破産事件に関心を抱くあまり、「書記官の補助者」として審理に立ち会い、口を挟んで問題になった地裁所長がいらっしゃいましたが、この例でも、事務分配で事件の配点を受けられるようにしておいて、裁判官として担当すれば全く問題なかったと思われます。
(チェックメイト)

百人一首の楽しみ

2008年01月09日 | 風船
 我が家では、正月の恒例行事として百人一首をする。子供が字を覚え、たどたどしいながらも札を読めるようになって以来、夫婦で対決してきたが、場に札が多くある前半は、「手が早い」私が優位にたつものの、終盤になって残り札が少なくなると、うたを覚えている家内の独壇場になってしまい、たいてい、逆転負けを喫する。競技の前日、にわか勉強で、せめて一枚札の「むすめふさほせ」だけでも、と懸命に暗記するけれども、思うように札が出てくれず、徒労に終わることが多い。 

 今年は、長男の配偶者が新たに参加することになったので、われわれ夫婦、娘夫婦及び息子夫婦の、夫婦対決となった。最初に、娘夫婦と息子夫婦が対戦したが、新嫁が百人一首が初めてのうえ、緊張で手が伸びず、一日の長がある娘夫婦が勝利した。続いて、われわれ夫婦と長女夫婦が雌雄を決することになったが、1回戦で夫婦ともども「読み手」を務めているうちに、少なからず思い出す札があり、それを頭にたたきこんだ成果が出て、われわれ高齢者夫婦が圧勝した。負けず嫌いの長女は、惨敗がかなりこたえたようで、配偶者と修行を積んだ上で再戦したい、と早くも雪辱に意欲的だ。

 先日のテレビで、小倉百人一首競技大会(毎年正月に近江神宮で行われる)で10連覇をはたした名人が登場して、その実力ぶりを披露していた。すべての札を最初の「出だし」で暗記していることはもちろん、読み手の発語を子音の段階で聴き取る能力、さらには、並べられているふだがどこにあるかを正確に把握する「空間(位置)認知力」等、すべてが超能力といってよい、その凄さにたまげてしまった。それと比較するのもおこがましいが、下手は下手なりに楽しめるのが百人一首の魅力である。

 こうした、ご愛敬にすぎない百人一首も、回を重ねていると、おのずと、好きなうたが何首かできてくる。「みちのくの」「しのぶれど」「恋すてふ」で始まる三首が私のベストスリーで、これらの札をとられるのは、勝負に負けるよりもくやしい。これらが自分の方の取り札にはいっている場合、なるべく、相手がとりにくい場所におくし、相手側にある場合には、さりげなく捜してそれだけは逃すまいとするのだが、相手もそのへんのことを百も承知なので、いつも熾烈な争奪戦になる。

 上記三首はいずれも恋のうただが、最近、これらにかわって、どうしても相手に取られたくない札ができた。清少納言の、つぎのうただ。
  夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

 そのようになったいきさつは、ほかでもない、そのうたを本歌として、つぎのようなざれ歌をつくったからだ(「裁判官は訴える」47頁参照)。大阪家裁で遺産分割事件を担当していたときにつくったうたで、なかなか傑作だと自分では思っているのだが、どうだろうか。
   策こらし 遺産分捕り 図るとも 世に大阪の 家裁は許さじ 
                                (風船)

社会奉仕命令の新設について

2008年01月08日 | 
7日付け読売新聞大阪版の1面トップ記事は,政府がいわゆる「社会奉仕命令」制度導入の方針を固めた,というものでした。詳細は1月6日付けブログのコメントを出されました「通りすがり」さんが記載されていますが,要するに,一定の犯罪について,実刑と執行猶予の間に社会奉仕命令を条件とする執行猶予の制度を新設し,新たに設ける監督機関が定める公園清掃や落書き消去活動等に裁判所が命じた時間数従事し,従わない場合は実刑とする,というもので,そのための刑法と刑事訴訟法の改正案を今年中に提出する,とのことです。
欧米では既に広く導入されている制度ですし,日本でも少年事件では同様の試みが大いに実績をあげている制度でもあります。記事では,背景には刑務所の過剰収容の問題があると指摘されていましたが,実刑と執行猶予の限りない落差に悩まされていた刑事裁判官としても,選択肢が増加し,柔軟な対応ができるという意味で大変な前進と評価したいと思います。
私個人としては,10年以上前に,無免許運転の被告人に社会奉仕命令類似の指示をした後再度の猶予にした判決について,高裁が交通関係の社会奉仕ではないから斟酌できないとの理由で破棄されたことがあり,その理由に釈然としていなかっただけに,時代の変化を強く感じた次第です。お正月早々の歓迎すべきニュースと思います。「花」

さあ,仕事だ

2008年01月07日 | 蕪勢
 寒さは幾分和らぎ,暮れから調子の悪かった腰痛もようやく落ち着いた。久しぶりのウォーキング。朝6時20分,外はまだまだ暗い。腰の痛みはほとんど感じない。安心した。村上春樹に倣って,音楽を聴きながらの速歩も悪くない。
 団地の外周,往復わずか40分のわがウォーキングコース。夜が白々と明けてくる。復路のため池のあたりではすっかり明るくなった。池の向こうの家々の屋根が輝き始める。空に雲ひとつない。高台の団地から見下ろす冬枯れの田園風景。はるか向こうに連なる丘陵,朝日が暖かく染めている。
 今年はいいことがありそうだ。老ジャッジもちょっぴり幸せを感じる正月の朝である。
 さあ,仕事初めだ。気を引き締よう。(蕪勢)

個人情報について

2008年01月06日 | あすなろ
あっという間に年末、年始が過ぎた。

判決起案、決定書起案をするために借出手続きをして重い記録を持ち帰っていたが、そのうちの約半分はそのまま裁判所に再運搬する羽目となる。
そのしわ寄せによる過密スケジュールを覚悟しなければならない。
 
この間、届いた500通余りの年賀状から、送り主の住所、電話番号、家族の変化、近況等の情報を住所録に書き込んで整理しているが、この個人情報の管理には注意を要する。

 一昔前は、裁判所関係者に年賀状等を送付する際には、発行される名簿を見て住所を記載していた。
しかし、最近は、不測の事態を懸念して、当該名簿には裁判所の住所しか記載しない人が多くなったため、自己の持つ住所録によらなければ住所が判明しない状況になってきた。職員同士で個人的な連絡をとるには不便な面がある。
 
 学校関係でも誘拐事件等不測の事態を懸念して、生徒の住所録あるいは連絡票の作成をしなくなって久しい。保護者相互で連絡が取り合えないのみならず、学校側から生徒の保護者に対して連絡をとることも困難になっていると聞く。
そのために、保護者相互、学校保護者間の交流が妨げられているとしたら改善を要する。

 個人情報保護法が制定されてから、本来伝えられるべき個人情報までもことさらに秘密にされたり、法の射程範囲を超えて過剰に個人情報の規制がなされ、窮屈になってしまった面があるように思われる。
 
 その一方で、簡単に個人情報がハッカーや取引等によって流出しているようである。
 私のところへも、どこから私の住所や電話番号を知ったのか、先物取引の勧誘や、不動産投資の勧誘が再々ある。
あまり気分はよくないが、勧誘の実態を体感することができて仕事上の参考にはなる。
(あすなろ)

今年の予定(司法)

2008年01月06日 | 瑞祥
 お正月なので,目だったニュースもありませんでしたので,今日は,今年の司法の予定について書き込みをします。ただ,参考になる新聞をみても,司法に関しては,行政や外交ほど目立った予定の掲載はなかったですね。例えば,朝日新聞では,「2008年 主な日程予定」(1月1日号)として,1月から12月まで,合計で110項目を超える数の掲載していますが,そのうち司法関係は次の4項目でした。
1月8日  福岡市の3児死亡飲酒運転事故で判決(福岡地裁)
2月26日 あっせん収賄などの罪に問われた鈴木宗男衆議院議員に対する控訴審判決(東京高裁)
4月22日 山口県光市の母子殺害事件差戻控訴審判決(広島高裁)
6月11日 G8サミット司法・内相会合(~13日 東京)
 司法の場合,次の期日は前の期日で定めることが多いので,先を見通した日程が組めないのが実情でしょうね。民事の計画審理や刑事の公判前整理手続が定着すれば様変わりするかもしれません。
 ところで,新聞にはあまり触れられていませんでしたが,今のところ,司法における今年の一番の予定は,来年5月までに始まる裁判員裁判の候補者名簿の作成が,今年中に始まることではないでしょうか。最高裁のHPによると,12月ころまでに,「選挙権のある人の中から,翌年の裁判員候補者となる人を毎年くじで選び,裁判所ごとに裁判員候補者名簿を作ります。この名簿に載った方には,その旨を通知します。」とのことです。報道によると,10月には,通知がなされ,殺到することが予想される問い合わせに対して,11月~12月にかけて,コールセンターを設けるようです。今年は,これが一番のニュースになりそうです。併せて,裁判員裁判の準備が昨年と同様進められることになるでしょうが(当ブログの昨年12月29日欄を参照して下さい。),その中でも,取調過程の可視化の動きがもっとも注目されるのではないでしょうか。 (瑞祥)


最高裁で証人尋問を要する場合

2008年01月05日 | チェックメイト
長嶺超輝著「サイコーですか?最高裁!」を読む(その3)

前回の続き。
「最高裁の法廷で証人尋問の必要が生じ得る特殊な事件」とは?

同書によると「国家公務員法9条に基づく人事院の人事官の弾劾の裁判」ということです(59頁)。
最高裁は通常の裁判では上訴審・法律審として書面審理に徹しますが、このように最高裁が第一審かつ終審とされている場合には、確かに証人等の尋問が必要になる事案も考えられます。

ちなみに、裁判官分限法3条2項1号に基づく最高裁又は高裁の裁判官の分限裁判も、最高裁が第一審かつ終審ですから、理論上は同様でしょう。
(チェックメイト)

趣味

2008年01月04日 | ムサシ
 私は小学校4年生までは同級生が10人という「二十四の瞳」よりも小さな田舎の分教場で学んだ。小学校の3年と4年を担任してくれた先生が詩吟や俳句がお好きで,毎朝2年間「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」という漢詩を全員で吟じたり,「来週までに俳句を5つ作るように」という宿題が出されて,熱心に俳句を作ったこともある。しかしその後多少漢詩や俳句に関心を持ったという程度で,格別自分で俳句を作るようにはならなかった。
 高校のころ国語の教科書で石川啄木や若山牧水の短歌に触れたことなどもきっかけとなって,いいなと感じた俳句や短歌を句(歌)集や新聞などで見つけるたびに手帳に書き留めるようになり,その作業は50年近くに及んでいる。有名ではないが,いい短歌や俳句も随分集めたし,その多くを随時活用できる状態にある。最近はそれをパソコンでテーマごとに分類作業中で,例えば「酒」「月」「桜」「ホトトギス」その他多くのテーマで編集しているが,まさしく「病膏肓(やまいこうもう)にいる」ということになるのであろうか。
 ところでこの地道な趣味が,私の恋の成就に大きな役割を演じたと思われるのであるから,人生は案外面白い。
私は妻となる女性に出会った時,2人ともに司法試験の受験生であったが,余り法律の話などはせず,啄木や牧水の短歌や,星の話やとんぼの話などを夢中になってしていた 彼女も短歌が好きで,私の知らない名歌をたくさん教えてくれた。彼女は私のことを「変な人」と思ったそうであるが,一言で言えば,私に熱く法律を語るだけの力がなかったというだけのことである。そういえば私は将来の志望として「天文学者」と書いたことがある他に,「とんぼ学者」と書いたこともあった。私が育った家の近くに農業用の大きな溜池があり,いろんな種類のとんぼが無数に飛んでいたのである。私は銀やんまが大好きで,とんぼの採集に夢中になっていたこともあり,自称「とんぼ博士」だったのである。
 私が啄木の「函館の 青柳町こそ 悲しけれ 友の恋歌 矢車の花」について,「友の恋はなぜ悲しいのか」を尋ねると,彼女は「分からない」と答えた。私が矢車草の花言葉が「片想い」であると教えると,彼女はとても嬉しそうにしていた。彼女も,「うす紅に 貝は匂える ほのかさを 告げんと思う 人は遙けし」とか「北の海 傾く月の 真光りに 輝く人や のちはわが妻」(作者も聞いたが,今は不明である)などを教えてくれて,私を驚かせた。
 あれは彼女と出会った昭和48年5月から3か月が経過した8月末のことであったと思う。彼女は第一次試験に不合格で,私はそれに合格しており,第二次試験の論文試験も終わって,その合格発表を待っていたのであるが,その合格に備えて第三次の口述試験の勉強をするために,私はひとりで母校である大学の谷川岳の麓の寮に出かけて一週間の予定で勉強していた。
 しかし彼女のことで心が落ち着かず,気もそぞろで勉強が手につかない。やむなく私は勉強の合間にむやみに散歩をして過ごしていた。両親の死といい彼女のことといい,私の受験生活は甚だ障害だらけで,神様に「随分いたずらが過ぎるのではありませんか」と苦情を言いたい気分であった。寮は多少高地にあり,辺りは既に初秋の趣きで,澄んだ小川の清流のあたり一面に葛の花が咲き,すすきも穂を出し始めていた。
 私はふと思いついて,美しい紫色の葛の花とすすきの穂を切り取って封筒に入れ,彼女にラブレターを書き送った。
 それから間もなく,帰京して彼女に会ったとき,彼女は笑いながら,「あの手紙の最後に,この短歌が書かれていると完璧だったのにね」と言って,「吾亦紅(われもこう) すすきかるかや 秋草の 寂しききわみ 君に送らむ」という若山牧水の短歌を教えてくれた。「なるほど」と悔やんだが,残念ながら当時私の手帳にはこの短歌は収集されていなかった。
 そんなこともあって,私は「おしどり弁護士になろう」と彼女を口説いて,その後間もなく私たちは婚約した。彼女に出会ったことで,私も地獄のようなトンネルを抜け出しかけていることを実感するようになっていた。勿論その年の論文試験には落ちていた。
 それから間もなく,私は彼女と一緒に合格したいという思いを強力なエネルギーとして,「チンタラ頑張り人間」から「猛烈頑張り人間」に大変身し,昭和50年に運よく2人で一緒に試験に合格し,半年後に結婚したのである。おしどり弁護士になろうと口説いた言葉を反古にして,再び口説き直して,夫婦で裁判官になった。
 受験については思うようには行かなかったが,神様もさすがに私を哀れと思い,彼女に会わせて下さったのではないかと感謝している。
 私にとって短歌や俳句も意外な意味を有していたことになるが,もう少し気持ちに余裕ができたら,自分でも作ってみようかと思っている。(ムサシ)

裁判員制度について-その3

2008年01月03日 | 風船
 新年も早や3日となり、明日はもう御用始めです。
 今年の年賀状では、やはり裁判員裁判に触れる年賀状が少なからずありました。裁判官では、企業訪問の苦労を訴える方や、当事者主義に徹しようとするものの、まだまだ裁判所の訴訟指揮等に期待する傾向が強い風潮を嘆く感想をもらす方がおられました。職員の方では、模擬裁判の段取りに時間をとられて大変だとか、あるいは裁判員候補者名簿の調整が今から思いやられるとの意見がありました。

 旧ろう29日、NHKが「ザ・判決」と題し、イギリスの実際あった難事件を題材にして、市民裁判官(?)がどのような心証を抱き、評議を行っていくかに焦点をあてた番組を放映しました。私も興味深く拝見しましたが、短時間に証拠を示さなければならないので事件(あるいは事故)の全体像がとらえにくい印象を持ちました。元裁判官の宮本さんが、「モルヒネの注射を受けた患者がどの程度苦しんでいたのか」「治療行為としてモルヒネの大量投与が必要であったかどうか」肝心な点が明らかにされていないと指摘されていましたが、たしかに、裁判(事実認定)としては物足りない一面があったことは否定できません。

 それにもかかわらず、私は、このような難事件を題材にしてでも、「市民(及び裁判官と)の評議」を可能かかどうか、について番組を制作したNHKの意図及び努力を買いたいと思っています。なんでも、イギリスの公文書館にあたって資料を検討したと聞いています。そして評議部分はシナリオがなく自由発話だったそうですが、結構活発に評議されており、市民もやるではないかとの印象を持ちました。もっとも、この点は、「裁判員制度賛成」というバイアスがかかっているので、個人的感想にとどめますが・・・。

 なお、問題のアダムズ事件については、この事件に関与したパトリック・デブリンが「イギリスの陪審裁判」(回想のアダムズ医師事件」という本を書いています(内田一郎訳、早稲田大学出版部。1990年初版発行)。
 それによりますと、実はアダムズ事件より6年後の1956年に起きたハレット夫人死亡事件というのがあり、それもロールスロイスを遺贈されたというものでアダムズ事件と酷似しているのですが、その事件は死因審問で自殺と評決されました。その後、警察は、アダムズ医師を危険薬物の件で捜索した際、以前にモレル夫人に処方した麻薬が彼女に投与したことを同医師自身がいったため、6年も前の事件が告発されるにいたったのです。つまり最初から、少しいわくつきの事件で、とても、ダイジェストでは理解しにくい事件だと思います。 

 裁判員制度は、いろんな問題点があるかもしれませんが、私は、問題点があるゆえに葬り去るのでなく、「理想的な形で」実現すべきものと考えています。
                               (風船) 

明けましておめでとうございます

2008年01月01日 | 風船
皆様あけましておめでとうございます。
大晦日の夜から元旦にかけて、皆さんはどのようにすごされたでしょうか。

私は、以前は紅白歌合戦を見ないぞと決め込んで、2年越しの読書に挑戦し、藤村の「夜明け前」やドフトエフスキーの長編を読了したこともありましたが、近年は根気が続かず、ちょっとした読み物でお茶を濁すことが多くなっていました(紅白は、小林幸子の出番だけ見逃さず見る、という変則的見方でした)。

ところが、この冬は、NHKの「絆」の前宣伝につられて、紅白をほぼ完全にみてしまいました。2007年もいろんな歌が新しくでていたのですね。普段、歌からほど遠い生活をしていることがよく分かりました。私の一押しの歌は、すぎもとまさとの「吾亦紅」とコブクロの「蕾」。なかなか聞かせました。

紅白歌合戦が終わると、定番の「ゆく年くる年」。歌合戦の喧噪とうってかわった、降りしきる雪の中の社寺のたたづまい。その対比が、なんともいえませんね。かって近くに住んだことがある、尾道の「西国寺」からの中継が飛び込んで、なつかしい思いがこみあげました。

0時半ころには就寝し、元日の朝は、6時半ころ起床。早速コンビニにでかけて、日頃購読していない、読売新聞と産経新聞をかってきます。両方で250円で、その分量からするとお買い得といえます。朝風呂にはいって、お雑煮を食べたころに、年賀状が到着。裁判所を退職された方ののびのびとした生活ぶりをうらやましく拝見しながら、自分ももう少しだなと、思うのが近年の状況です。

今年一年が、明るい一年になりますよう、祈らずにはおられません。(風船)