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青春時代 第2回

2022年12月04日 | ブログ
思えば遠くへ来たもんだ

 海援隊のヒット曲のひとつである。『筑後の流れに 小魚釣りする人の影 川面にひとつ浮かんでた 風が吹くたび揺れていた 20歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた 思えば遠くへ来たもんだ 今では女房 子供持ち 思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す』 女性との別れの辛さから、名作「贈る言葉」が生まれたという。

 金の卵という言葉があった。中卒者の就職列車による集団就職。東北地方から東京への就職列車が時の話題となっていたのは、昭和20年代後半から40年代前半頃までかな。特に団塊世代が中学を卒業した昭和38年から40年、金の卵を求める企業側からの求人数も多かったのだ。

 彼らもすでに晩年となり、当時をなつかしく、「思えば遠くへ来たもんだ」と述懐しているのであろうか。

 私の7歳上の長兄は、工業高校を出て、四国の実家から九州は延岡の大企業に就職した。私が11歳の頃だ。6人兄弟妹だったから、6畳、4畳半と3畳間と台所の狭い家にまだ7人がひしめき合って生きていた。それでも長兄が欠けただけで、髄分と寂しくなった記憶が鮮明である。その兄が正月に帰省するときは、国鉄から私鉄の乗換駅まで兄弟で迎えに行ったものだ。

 中卒で遠く東北の地から東京に出た、まだ15歳の集団就職生にとっては心細くも新しい大都会の生活に夢と希望もあっただろうが、送り出した田舎のご家族にしてみれば、まさに『元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る・・・』「案山子」さだまさしさんの歌の通りであったろう。

 井沢八郎さんの「ああ上野駅」という歌謡曲が生まれたのは昭和39年、東京オリンピックの年だったようだ。『どこかに故郷の 香をのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない 人生が あの日ここから始まった・・・就職列車にゆられて着いた 遠いあの夜を 思い出す・・・』関口義明作詞

 ものづくりJPANブランドを築いてきた大勢のそんな若者たち。望郷と夢と憧れと負けるものかの根性が、この国のその後の繁栄を築いた土台だった。しかし、近年、そのような労苦なくその地位に登り詰めた世襲議員が、「観光立国」などという逃げのようなキャンペーンでこの国の凋落に拍車をかけた。作業服も手も真っ黒にしても、すべての産業を支えるものづくりこそ、日本の日本人の得意技でなければならない。政治家も昭和の原点に返るべきであろう。思えば遠くに来たものだ。



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